じつろく! カスモンずかん! 作:カスモン博士
自分でも、蝶よ花よと育てられてきた自覚はあります。
優しいパパとママに、大切に、大切に、デロデロに甘やかされながら育ってきました。
典型的な世間知らずの箱入り娘。それこそが私、
そんな私が、社会の常識について語るとか、誰かの行動や考えを否定するなんて烏滸がましいにも程があります。
けれど……
「とりあえず、客は神様じゃない。あれは全部エネミー。つまり、ゲームの敵モンスターだよ。それを僕たちは“カスモン”って呼んでるんだ」
……これは流石に、間違っていませんか?
¥¥¥
パパとママは私のことを、これでもかと愛して育ててくれました。
中高一貫の女子校に通っているのも、両親の意向。二人は私を、あたかも美しい箱へ詰めるように、あるいは上質な真綿で包むようにして育ててくれました。
感謝しています。本当に、本当に。
産んでくれたこと、育ててくれたこと、愛してくれていること。全てに感謝しています。心の底からの、ありがとうを伝えたい。
けれど、ずっとそれでは駄目だとも思いました。両親の庇護下で、両親に依存して。ずっと世間知らずのまま……それは決して健全なことではないはず。
自分の意思で箱を飛び出さなければいけない。蝶の羽ではなく、社会に飛び立てる翼を生やさなければならない。そう思いました。
だからこそ、高校生になると同時に、私はアルバイトを始めることにしたのです。
それは他の人からすれば、小さな小さな、当たり前の一歩かもしれません。
けれど、私にとっては大きな一歩で、初めての両親への反抗でした。
心配する両親と一悶着も二悶着もして――それでも私は折れず――その結果、まずは近場の比較的に簡単なアルバイトから始めてみる、という結論に落ち着きました。
そして、私はここ――地元密着型の小規模ショッピングセンター……の中にテナントとして店を構える100円均一ショップで、アルバイトとして働かせていただくこととなったのです。
専門的なスキルが必要な仕事はハードルが高いのは当然。いきなり厨房などを担当することとなっても、私には難しかったでしょう。
翻って。決して職業差別をするわけではありませんが、この店に売っているのは基本的に日用雑貨。それに、全てが100円(税抜き)です。複雑な計算も必要ないですし、確かに初心者向けのアルバイトと言えるかもしれません。
加えて、この近辺は駅からも遠いこともあり、千客万来という感じではありません。しかも、平日の、学校終わりの夕方から夜ともなれば――正直、常にガラガラです。
以上の条件から、両親の同意を得て、私はここで働くこととなりました。
……とはいえ、です。
妥協的な理由で選んだとはいえ、仕事は仕事。働きに妥協や手抜きを持ち込むことは御法度です。
こんな世間知らずを快く採用していただいた上に、お金をもらって働くのですから、誠心誠意、全身全霊でもって働く所存!
予習として、お札の数え方について動画投稿サイトの動画を何度も見てきましたし、基礎基本が書き込まれた従業員ガイドブックも読み込んできました。店長さん直々に教えていただいたレジの扱い方も、しっかりとメモを取り、お風呂で何度もイメトレしてきました。
あと気を付けるべきことは、やっぱり人間関係ですよね!
そんなわけで、まずは挨拶! 今日からお世話になる先輩方に失礼のないよう、元気いっぱいの挨拶をしなければなりません。大丈夫、これについても最適な言い回しをインターネットで検索してきました。
「こんにちは! 今日からお世話になります、小箱 美甘です! 若輩者ゆえ行き届かない点もあるかと存じますが、精一杯努めたいと思いますので、何卒ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します!」
「あ、うん。……あはは、なんだかビジネスメールみたいだね。……えっと、僕は
あれ? なんだか、微妙に引かれていませんか……?
¥¥¥
大学3年生だという朽本先輩は、まず「従業員間の挨拶は時間に限らず、“おはようございます”で良いよ」と教えてくれました。
朽本先輩いわく。
・もともと「お早い時間からご苦労様です」との意味があるから。
・「こんにちは」や「こんばんは」と異なって敬語であり、目上の人にも安心して使えるから。
・生活リズムは人それぞれであり、一律にして失礼が無いようにしたから。
などの説を聞かせてくれた後、「まぁ、結局どれが正解とか分からないんだけどね」と笑い、「それでも、これが一般的だから覚えておくといいよ」と言ってくれました。
「朽本先輩! 教えていただきありがとうございます!」
「あー、えっとね。その“先輩”ってのも、あんまり使わないかな。基本的に、同僚は苗字に“さん”付けで良いよ」
「そうなんですね! ありがとうございます、朽本さん!」
ところで、今日のシフトは17:00から21:30(閉店は21:00)まで。この時間帯に働くことを「遅番」と呼んでいるそうなのですが、現在時刻は16:45分。
そしてシステム上、タイムカードは16:50~16:59の間に切らなければなりません。
そんなわけで、業務開始の17:00まで朽本さんは、私に対して様々なことを教えてくれました。
「とりあえず、レジ研修はしたんだよね?」
「はい! 昨日、店長さんから教わりました!」
「おっけー。レジについて、分からないところとかは無い?」
「その…えっと、明確な疑問点とかは無いですけど、独りでとなると不安です。すみません……」
「あぁ、そりゃそうだよね。でもまぁ、慣れるまでは隣に誰かが付いているし。分からないところがあったら遠慮なく聞いてよ」
「ありがとうございます!」
教わったことをメモに取りながら、心が晴れやかになっていきます。
いくら自分で決断したこととはいえ、不安はいくらでも湧いてきていました。
でも、とっても優しい先輩のおかげで、幸先の良いスタートが切れそうです。
「その他の仕事については……まぁ、いっぺんに教えても混乱しかしないだろうし。やりながら、追々教えていくとして」
すると。そこで言葉を区切った朽本さんは、それまでの優しい笑顔を止めると、一転、真剣な眼差しとなりました。
「とりあえず、遅番の鉄則を教えておくね」
『鉄則』。これを聞き逃してはならないと、そう思いました。
メモのページをめくり、真っ白な見開きのページへと移ります。
「その1。仕事中、その名札は外しておくこと。レジを開くときとかに裏のバーコードを読ませないといけないから、エプロンのポケットとか分かりやすい所に突っ込んでおくと良いよ」
名札……つまり、この支給されたエプロンの左胸に取り付けられた名札のことですね。
ひらがなで私の苗字の「こばこ」と書いてあり、裏面にはバーコードが印刷されています。
これを外す、というのはどういうことでしょうか?
「その2。何かあったら、レジにあるブザーを鳴らすんだ。レジが混んだ時とか、自分では分からないことを聞かれたりとか、レジを打ってるのに商品の位置を聞かれたりとか……そういう場合には1度。そして、緊急性が高い時には連続で2度鳴らす」
ボタンを押すとピンポーンと店内に呼び出し音が流れるブザー。
その存在は店長さんから聞いて知っていますが、連続で2回鳴らすというケースは教わっていません。“緊急性が高い時”というのは、一体……?
「最後にその3。絶対に、お客様を神様だと思わないこと」
え……?
「えっと、その……この3つはどのような意味があるのでしょうか?」
「カスモン対策だね」
「かす、もん……?」
「そう、カスモン。『カスタマー・モンスター』と、『カスみたいな問題客』のダブルミーニング」
「えっ……?」
言っている意味は、何となくですが分かります。
けど、意味が分かるからこそ、その意図が分からない。
とても優しい人物だと――そう思っていた方の口から飛び出した暴言に、ただただ戸惑うことしか私にはできない。
「あれは全部エネミー。つまり、ゲームの敵モンスターだよ。それを僕たちは“カスモン”って呼んでるんだ」
「だ、駄目ですよ! お客様を、か、滓だとか敵だとか! そういうこと言っては、だ、駄目だと思います!」
「……例えば、小箱さんが入るちょっと前に辞めちゃった人はね、異性の客から無理やり抱きつかれたことが原因で辞めていったよ」
……え?
「店内に火を放とうとした奴、商品の刃物を振り回す奴、パッケージを開けて放置する奴、商品を壊す奴、万引きを繰り返す奴……こいつらが神様? 冗談じゃない」
「犯罪行為ばっかりじゃないですか! 警察に相談した方が…!」
「しているよ。だから、時々パトロールには来てくれる」
「そうじゃなくて、逮捕とか……」
「証拠がないから無理だね」
「証拠が、ない……?」
そんなことあるのですか?
だって、店内に防犯カメラだってありましたし……。
「ちなみに、あの防犯カメラはダミーだよ。ただの置物」
「え!?」
「この店は100均だからね、あらゆるところで無駄を省いて経費削減してる。防犯カメラも同じで、無駄だから置いてないんだ」
無駄だなんて、そんなこと!
だって、現にトラブルは起きているじゃないですか!
「例えば、だけど。店内で法に触れる行為があったとして。……そうしたら、どうする?」
「それは……もちろん、警察に通報しますよね?」
「そうだね。それで、“名誉棄損だ”って言われたらどうする?」
「え……?」
「当然、裁判になるよね。裁判には金も時間も手間もかかる。それで万が一にも敗北なんてしたら目も当てられない」
それ、は……。
「しかも、諸々を進めるために本社が動かなければならなくなる。そうなると、店長とかは何かしらの責任を取らされるかもしれないしね。そんなわけで、大きな問題にはしたくない……ってのが上の人たちの本音じゃないかな」
信じられないような、しかし嘘の色が欠片もない暴露。
その、あんまりにもあんまりな内容に対して、開いた口が塞がりません。
胸に浮かぶ感情は、呆れや怒り、あるいは悲しみにも似ているようで、どれとも異なるようでした。
「まぁ、でも、そんなに不安に思う必要は無いよ」
すると、そんな私の様子をどのように捉えたのか。
朽本さんはヘラリと笑いながら、続けた。
「さっきも言ったけど、カスモンはゲームの敵モンスター。だけど、ボスとかじゃなくて雑魚キャラに過ぎないから。それぞれの攻略法さえ理解しておけば、意外と対処は簡単なんだ」
「そう、なんですか……」
「そうそう。あ、今日は火曜日だし……十中八九、あのカスモンがやって来る。まずは、言葉よりも見てみた方が早いと思うよ」
その不穏な言葉と同時、ピンポーンと2回、呼び出し音が鳴る。
それこそが“カスモン”との戦い――その始まりを告げるゴングなのでした。