しかし、そのことが起こりえたと考える者は、どうして次のことに考えが至らないのか、わたしは理解に苦しむ。すなわち、黄金製であれ何であれ、二十一種類のアルファベットの文字を数えきれないほど集めて何かある容器の中に投げ込み、それらを攪拌して地面に投げ出すと、たとえばエンニウスの『年代記』のように、読者にとってちゃんと読める形になって並ぶとはどうして考えないのか。もっとも、わたしは、幸運の助けを借りたとしても、たった一行の詩句さえまともにできるかどうか、いぶかしく思っているのだが。
―― 『無限の猿定理』 山下太郎訳。
猿がタイプライターを叩いてシェイクスピアの『ハムレット』を書けるかどうかなんて話がある。でたらめにアルファベットを打って、意味のある文章になるかどうかという考え方だ。
これに似た話で、「子猫がピアノの上で遊んでいてベートーベンの曲を奏でるか」どうかなんて話もある。子猫がハンマークラヴィアを奏でるとしたら――たぶんその猫は足が八本以上あるか、何匹もの子猫がじゃれ合っている微笑ましい光景になるのだと思う。
手伝ってくれるのなら、猿でも猫でもいいんだ。手が借りたい。
二年前――当時中学二年生の私はそんな事を考えながら、リビングで白紙の用紙を目の前にしていた。
「どうした? 書かないの?」
私を横から覗き込んできたのは8歳年の離れた兄だった。
「うん」
私はテーブルの上に置いた原稿用紙を手に取り、再び睨みつけるように見つめる。
これは中学校で出された宿題である。題材は『西の魔女が死んだ』という児童書だ。梨木香歩という先生が書いた小説で、死生観や主人公の成長を描いたその内容は素晴らしいものだった。
言葉でならばその感動をいくらでも語れるかもしれない。だが、文章としてはまだ書き始めていない。
「ひーちゃん。小説書くの得意じゃん」
兄の慰めに対して、私は無言で返した。
「あぁ、うんうん。シュミと勉強は違うよね」
ちょっと小馬鹿にした態度でニヤニヤと笑いかけてきたけれど、それは宿題を手伝ってくれる事の合図だった。14年間、兄妹をやっているから兄の性格はよく知っている。
稗田之蛙。
本名をもじった名義で、12歳からインターネットで創作活動をしている。そんな私は文章を書くことが好きだ。絵を描く事も好きだ。
だけど、授業となるとそうでもない。国語の授業は特に苦手だ。皆の前で小説を朗読することは好きじゃないし、登場人物の心情を想像する作業も大嫌い。作文なんか論外だ。
それでも学校では作文を出さなければいけない。だから私は仕方なく筆を取る。
「コンピューターの力でも借りる?」
兄はリビングに置いてあるパソコンの電源を入れ、私に尋ねた。
「デジタルで一旦文章に起こして、いいのが出来たら紙に書く」
こういう時、兄は本当に頼りになる。兄が自費で購入したソフトも使わせてもくれるから、私はいつだってこれで小説を書く。
「そういえば最近、新しいサブスクに入ったんだ」
書き出しに迷っている最中、兄がそんな事を言い出した。
サブスク。サブスクリプション。月額課金制のサービス。
「何か参考書でも見せてくれるの?」
私が尋ねると、兄は首を横に振った。
「AIが小説を書いてくれるっていうヤツ」
それは初耳だった。当時2022年6月。chatGPTも公開されていない時期である。私のような一般人の学生にとって、AIなどというのはドラえもんくらいしか馴染みがなかった。
「書き出しだけ"その子"に任せてみる?」
兄の提案に、私は二つ返事で頷いた。テクノロジーの詰まった21世紀の秘密道具は、いつだって子供をわくわくさせてくれる。
ブラウザを起動し、兄にマウスを委ねる。私は肩を並べてモニターを覗き込んだ。
そしてモニターに表示されたのは、十字の目をした男女のキャラクターと、その頭上には"最強最大のにほんごAI!"と文字があった。
『AIのべりすと』
たぶん、日本語で小説を書く事を主軸としたAIの先駆けであり、今も根強い人気があるAIだと思う。
サイトのインターフェイスから新しい小説を書く為のボタンをクリックし、入力フォームが表示される。
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吾輩は猫である。名前はまだない。
そんな吾輩は今、
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デフォルトから入力されてある文章に、笑いの沸点が低い私は爆笑した。
「夏目漱石」
私がそう突っ込みながら大笑いしていると、兄もその様子がおかしかったのか、ガハハハと笑い始めた。
どうやら何も入力されていない状態だとこのAIは何も書けないから、短くともこういった文章を入力しておく必要があるらしい。
私はサイトの説明を受ける前に、『続きの文を書く』のボタンを押した。
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吾輩は猫である。名前はまだない。
そんな吾輩は今、とっても困っているのである。
「にゃー」
鳴いてみたが、誰も振り向かない。
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なんとも、夏目漱石には似ても似つかない気の抜けた文章を編み出したものだ。
「宿題もこの子に任せてみる?」
兄が尋ねると、私は首をぶんぶんと横に振った。
「これは駄目だよ。夏目先生に叱られる」
私は笑いながら言った。しかし、兄も私と同様吹き出していた。「のべりすと」の回答がツボにはまった私は、次々に『続きの文を書く』を押していく。
その度に物語が紡がれていく猫の"ワガハイちゃん"は、女子高生のグループに毛玉扱いされ、それでもめげずに鳴き続ける。やがて飼い主になってくれる女性に巡り会えていた。
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「にゃー」
「今日も美味しそうに食べますね」
「にゃー」
「本当に、可愛らしい子です」「にゃー」
「私も早く、猫を飼いたいのですけれど」
「にゃー」
「なかなか良い子が見つからなくて」
「にゃー」
「今度、また里親募集のサイトを見てみましょうか」
「にゃー」
「では、おやすみなさい」
「にゃー」
「明日も、元気でいてくださいね」
「にゃー」
「おやすみなさい」
「にゃー」
「おやすみなさい」
「にゃー」「おやすみなさい」
「にゃー」
「おやすみなさい」
「にゃー」
「おやすみなさい」
「にゃー」
「おやすみなさい」
「にゃー」
「おやすみなさい」
「
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「バグっちゃった」
延々押し続けていると、やがて登場人物達の発言がループする。それについては一種のホラーを感じると共に「AIギャグ」の側面を感じていた。
「この子に任せると意味のわからない怪文書みたいなのがよくできちゃってさ。動画サイトにもそういうのがアップロードされて、ネタになってる」
そんな事を兄は笑いながら言った。「いっそ本当にAIに書かせて提出してみようか」――なんて、"当時は冗談で言えた"ものだ。
「AIに小説を書かせるだなんて、こんな状態だとまだまだ遠い未来の事だろうね」
私はそう言いながら、デフォルトではなく自分が書いた一文を入力する。
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西の魔女が死んだ。
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マトモな答えが返ってくる事など期待せずに、『続きの文を書く』のボタンをクリックしてみる。
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西の魔女が死んだ。
その本は、小学校六年生の夏休みに読んだ。もう十五年も前のことだから、記憶が薄れている部分もあるけれど、あのときの気持ちは今でもはっきりと覚えている。
わたしはその本を、図書室で借りたのだ。だから手元には、カバーのない裸の本があった。
「西の魔女」という題名を目にして、最初は魔女なんて変な名前だと思った。しかし、表紙に描かれた絵を見て、すぐに興味を覚えた。
そこに描かれていたのは、
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私は脳が揺らめいたような感覚を覚えた事を、今でも覚えている。
それはまるで、一種の感動のような。そんな衝撃だった。
頭の中で「これは使える」とそう私は思った。
2022年6月当時。AIは『日本語の小説を書く』という事において、シロウト目に見ても人間を凌駕するとは言えなかった。
突拍子もない展開を突っ込んで、倫理に外れた物語を綴ってくる。ひどい時はただひたすらに展開をループする。
しかし、小説を書くにおいて次の展開に迷った時に"呼び水"の役割を担ってくれる存在がどれだけありがたいか。小説を書いた事のある諸兄なら理解してくれるはずだ。
私は、たとえばこんな文章をAIに渡した。
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彼女は少女漫画の読み書きが趣味だ。
周囲にその事は隠してはいるが、自分でも少女漫画を描いている事がある。
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これはとある版権の二次創作の書き出しだが、ただ少女漫画を書いているという書き出しである。
これを受けて、AIは以下の文章を出力した。
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彼女は少女漫画を読むのが趣味である。
周囲にその事は隠してはいるが、自分でも少女漫画を描いている事がある。
(うん、いつも以上に上手く描けた)
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たった一行。少女が自分が描いた漫画に対する感想を述べただけ。
しかし、 5W1Hのたった一つのWでも埋めてくれれば、あとの4W1Hの物語は人間が思い描ける。
誘い水(priming Water)。1000文字を書くのに1時間掛かる人間にとって、水のように欲する存在がこれである。
「彼女がこう思ったのは、こういう理由のはずだ」
なんて、私はそんなアイデアが思い浮かぶ。私は、そこから続きの文章を何十行も綴っていく。
詰まった時は、また一行だけAIに任せる。だいたいは登場人物の表情や細かい仕草といった部分を任せている。
そのキャラクターに似つかわしくない仕草や表情をしたのなら、リテイクボタンを押す。やがて、登場人物自身が反応しているようにAIは文章を出力してくれた。
私は、キャラクター自身と対話するような感覚で小説を書き進めるような創作手段を執っている。
単独で小説を書かせるならば、それこそ『無限の猿定理』に等しい代物だったのだろうが。人間側の誘導があるのならばその限りではない。
その証左として。そういう手法で生み出した二次創作は、小説投稿サイト『ハーメルン』にてブックマーク1000、2000、といった目に見える数値で燦然と輝いてくれている。しかも片方は、新人枠でランキング一位を一定期間取得してくれていた。
それらは創作を始めて間もない中学生二年生の私にとって、それは「AIと二人三脚で創り上げた大きな成功体験」であった。
「AIが創作の補助を担っていく時代になっていくなんて、ステキな時代だなぁ!」
自分のペンネームが載ったデイリーランキングを眺めながら、そんな事を考えていたと思う。
しかし、ここから一年も経たない内にAIが人類を脅かし、一部で蛇蝎の如く嫌われるようになるとは、どれだけの人間が予想しえただろうか。