オールドアクションゲーム二次創作 作:dwwyakata@2024
川背は追撃部隊を振り切ると、頭の中でアリスに聞いた話を整理しながら、ある一点を目指して急いでいた。
目的は二つ。
スペランカーの支援。それに、フィールドのコアとなっている何者かの撃退である。その内後者の位置は、さっきの話で大体特定できた。
「それにしても、ロシア革命ね」
「多分それだけでは済みませんけれど」
背負ったままのアリスがぼやく。小脇に抱えたバックパックが、風にはためきぱたぱたと音を立てる。
ロシア革命。世界でも屈指の大国であるロマノフ朝ロシア帝国を崩壊させた出来事であり、現在では悲劇としても名高い。その後の革命勢力が、悪名高い独裁者に牛耳られたこともその理由の一つだろう。そうでなければ、悪逆の王室の崩壊程度に捉えられていた可能性が高い事件である。
ともかく、この事件によって当時ロシアを支配していたロマノフ王朝は崩壊。皇帝一族は悪政と搾取に晒された民衆の怒りを買い、皆殺しの憂き目にあった。
このロマノフ王朝が、膨大な金を蓄えていた、という伝承が、以降は一人歩きするようになる。特に凄まじいものでは、その財宝は黄金のインゴットにして数百トンに達するなどというものまである。当時のロマノフ朝が世界の十分の一の富を独占していたなどという無責任な「専門家」達の発言もあり、この「財宝」の規模は伝説となって一人歩きを続け、その輝きに魅せられた多くの人間を破滅させていった。
アリスと川背が村長に聞き出したのも、そんな伝説に破滅させられた、一族の物語だった。
かって、ロシア帝国の軍艦が、この辺りに来たという。F国はロシア帝国の領土となっていた時機があり、その時に何かが埋められたのではないかという伝承がそれによって出来た。実際、村の中でも、ロシア帝国のやる気がないことで知られる軍人達が、しぶしぶ何かを埋めているのを見た、と主張する者がいたという。
村長は、彼らと同年代の人間であったそうだ。
ただ、彼らほど愚劣ではなかった。
当時、ロシアから逃げてきた一族がいた。ロマノフ一家と名乗る彼らが、実際には皇室出身者などではないことは、一目で村長にはわかっていた。だが、これが金を呼ぶと、村長は思ったのである。
ただでさえ貧しい村なのだ。埋蔵金目当てにやってくる山師が落とす金を、期待しても良いではないか。
そうして、異様な構造の村が作られた。
ロシアから来たロマノフ一家を中心に、周囲を他の家々が囲む。そうすることで、山師達の動きを効率よく囲み、彼らに金を落とさせる。森の中も山の中も探索は自由。ただし、探索費は必ず取る。
このもくろみは当たった。山師共は今まで見たこともないような金を僻地の村に落としてくれたのだ。
しかし、それも時が経てば終わりが来る。最初の頃景気よく現れた山師だったが、その内数も減り、ロマノフ一家を蜘蛛の巣の中心に据える構造だけが残った。そうしている内に、村人達の中に、不思議な妄想にとりつかれる者達が出てきた。
本当に、埋蔵金があるのではないかと、彼らは思い始めたのである。村長は苦々しく、老いた顔を歪めながら言う。
「だから、儂は言ったんじゃ。 あんなもの、幻にすぎんとな。 実際そんな金があったんなら、革命だって防げたろうし、もっとマシな軍隊でも作れただろう。 滅びた国家が、埋蔵金なんぞ、そうそう残す訳がないわ。 そんなもの隠す暇があったら、自分で使っておるじゃろうからの」
過疎化が進む村々の中で、此処だけは人が減らなかったのも。いつの間にか、そういう妄想が、村の中で膨らんでいたからだった、だろう。
やがて悲劇が起こった。
金の卵として「飼って」いたロマノフ一家が、失踪したのである。まだ幼いアンリエッタだけは、血だらけになって、村はずれで見つかった。何人かの村人も姿を消しており、何が起きたのかは明らかだった。
森の中には、幾つかそれらしい怪しいものをわざと配置している。その辺りに血痕は見つかったが、死体そのものは結局見つからなかったという。失踪した連中が本当に財産を見つけたのか、凶行の果てに姿を消したのかはわからない。いずれにしても、アンリエッタの両親、それに兄は。これで姿を消した。
問題は、それで村人の中に蠢く妄想に、拍車が掛かってしまった、という事であった。
山の中、森の中で暮らす連中が出始めたという。そして彼らは、妙な連中と、連むようになり始めた、と言うことであった。
最初そいつらは、大学の研究チームか何かに見えたという。今までの山師とは比較にならないほど高性能な機器類を持ち込み、絨毯爆撃的に山を森を調べていた。アンリエッタの家も調べていたが、すぐに興味を無くしたようだった。
彼らに、財宝がまだ残っていると考える村人達が協力したのは、当然だったかも知れない。
だが、その欲望は報われることなく散った。ほどなく、彼らが一人、二人と失踪し始めたのである。
そして自警団を編成して連中を調査しようとしたその矢先に。フィールドが発生した、という事であった。
詳しく調べられれば、何しろ以前の失踪事件まで判明してしまう。過疎化していた村に、更にとどめが刺されてしまうスキャンダルとなるだろう。かといって、国からの補助金があるとはいえ、フィールド探索者の依頼は小さな村には耐え難い負担である。
N社が協力を申し出てきた時に、その金額に村長は目を剥いたという。気持ちはわかる。以前南A大陸の小国で、フィールドに漁場を蹂躙された貧しい村の再生に協力したことがあるからだ。N社としては、この村の素朴な風土にあった料理を川背に作らせようとして、呼んだのだろうか。もしそうなら、あまり魚料理以外は専門ではないのだが、やってみるしかなかった。
思えば、村長も金という魔力に振り回された一人なのかも知れない。そう思うと、気の毒でならなかった。
足を止めたのは、嫌な気配を感じたからだ。
合流地点の少し前。あり得ない幅の河が走っている。空間がおかしくなっているとはいえ、あまりにもおかしな規模である。そして、水面に姿を見せる、途轍もなく巨大な背びれ。ざっと六メートル、いやそれ以上はあるか。
フィールドで遭遇する怪物としてはむしろ小振りだが、何かいやな予感がする。河の中で悠々と泳いでいるだけというのも気になる。背中からアリスが降りるのを確認すると、バックパックを背負い直した。
「彼奴は……!」
「アリスちゃん!?」
何か、変な音がした。
水音だ。同時に、全身が跳ね上がるような違和感。びりびりと、何か見てはいけないものを見たような感触が、血管の中をはい回る。
嘔吐感が、胃からせり上がってくる。
踝まで来た水は、徐々にかさを増しつつある。それなのに、身動きが出来ない。視点がぶれる。膝を、突きそうになる。
金属音がした。いや、何かを擦り合わせているかのような音。ぎぎぎ、ぎぎぎぎ。それが嘲弄だと気付くまで、どれだけ時間が掛かっただろう。
視界にもやが掛かる。ぽかんと口を開けたまま、立ちつくす。見てはいけないものを見てしまったから、脳が強制的にシャットダウンされたのか。ゆっくり、何かが近付いてくる。緑色で、青で、赤で、黄色で、茶色で。大きな目がたくさんあって、牙が一杯生えていて、それで、それで。
「いやああっ!」
不意に、アリスの金切り声が響く。
気付くと、無数の水棲生物を思わせる触手が、アリスの全身に絡みついていた。それでも風船を離さないアリスだが、額に脂汗をかいて、そのまま身動きできずにいる。その淫靡な触手は、川背の足にも腿にも絡みつこうとしていた。
「あああああああああっ!」
絶叫。同時に、ルアーつきゴム紐を手中に出現させる。瞬時に周囲を把握。枯れ木に引っかけ、反動で体を一気に外に逃がす。触手には無数の吸盤があり、アリスの襟首をつかんで一気に逃れさるも、大量の鮮血がぶちまけられた。
膝から腿にかけて、牙が抉ったような跡。アリスの方も、スカートの下の足に何本か酷いみみず腫れが出来ていた。枯れ木の枝に掴まって、呼吸を整えながら見下ろす。
其処には、魚がいた。
ただし、それは魚ではなかった。
鱗に思えたのは、全てが目だった。えらのある部分からは、さっき二人を捉えようとしていた触手が伸び、巨大な口にはずらりと並んだ牙。ただし、それは三重になっていて、一種の鮫を思わせるほどのものだった。
水面から半分体をせり出しているその体は極彩色で、さっき見たよりもずっと大きい。いや、認識がおかしい。魚の体の下半分には無数の手のようなモノが見えるが、どうもぼやけているようにしか思えないのだ。
目には人間のものに似た瞳が複数あり、揺れながら回転している。吐き気を誘う醜悪な姿。そして、さっきの感触、思い当たる節がある。
あいつは、同類だ。以前、E国最強のフィールド探索者アーサーと、少数民族バルン族の勇者グルッピーと、それにスペランカーと一緒に戦った事がある。見るだけで狂気を誘発され、並の人間なら見た瞬間発狂死するという。スペランカーが言うには、あの不死の呪いの元凶、海底の神。
しかも、使い魔とか、そんな代物ではない。
あのプレッシャーは、恐らく川背が交戦した中でも、最大級の相手だ。スペランカーの呪いの相手かどうかはわからないが、その同種だろう。
「どうやらそちらは私を覚えているようだな」
「アリスちゃん!?」
意外に紳士的な声に振り向くと、真っ青なままアリスは川背の腕の中で震えていた。最初は恐怖からかと思ったが、違う。
目には、怒りがある。恐怖に満ちながらも、しかし燃え尽きぬ炎が。
「まさか、父親と同じ風船を使う戦士に成長するとは驚いたぞ。 味もあの時我が美味しく魂をいただいた父親と同じかな? お前は逃がしておいて正解だったかも知れぬ。 成長したと聞いて、私の配下の愚物を使ってちょっとした罠を仕掛けてみたが、手間暇掛けただけの料理になりそうだ」
「ダ、ゴン!」
「見ちゃ駄目!」
無理矢理視線をそらさせる。見るだけで、精神が削り取られ、どんどん狂気に近付いていくほどの相手だ。もしも彼奴を倒せるとしたら、可能性は一人しか居ない。腕の中から逃げようともがくアリス。
呼吸を荒げたまま、アリスは吠える。
「弟は! ジムはどうしましたの!?」
「ああ、あっちか。 見込みがないから丸ごと喰らった」
「っ……!」
「なら、会わせてやろう。 せめてもの冥土のみやげだ」
触手の一本が、めりめりと音を立てて膨らんでいく。それは徐々に人間の子供の顔に変貌していった。
あまりにも残虐な運命に、川背はアリスを締め落として気絶させようと思ったが。しかし、一瞬早く逃れたアリスは、腐臭漂う河水が満ちた地面に着地して、その有様を真正面から見つめた。
「お姉ちゃん。 僕だよ、ジムだよ」
顔だけは、愛らしい人間の子供。
だが、その胴体に当たる部分はさながら百足のようで、きちきちと音を立てて蠢いている。魚は、ダゴンと呼ばれた怪神は、特に感慨もなく、触手の先端に出現させたおぞましき怪異を蠢かせていた。
「ここ、とても気持ちが良いんだ。 お姉ちゃんもおいでよ」
「……」
「お父さんとお母さんもいるよ。 また、家族で一緒に暮らせるよ。 もう何もかも忘れて、永久に。 あは、ははは、ははははははははは」
川背の中で、何かが弾けた。どうやら、やるしかないらしい。
アリスの隣に着地。そして、胸の高さまで上げた両手の間のゴム紐を、ピンと張った。
「スペランカー先輩を呼んできて。 此処は僕がどうにかするから」
「何を、言っていますの?」
「今の貴方じゃ、彼奴に有効打一つ与えられずに喰われるだけだよ。 その能力、グラビトンクラッシャーだっけ、それがあったってね」
先輩なら、やってくれる。
川背はそう信じている。だから、此処はアリスの頭を冷やさせる意味もあって、壁を買って出る。
相手はゆらり、ゆらりと触手を蠢かせ、川背の出方をうかがっている。向かい合っているだけで、全身が汗になって溶け出しそうだ。だが、それでも引けない。
家族を。家族の悲劇を、経験しているから。
「そいつは私が殺しますわ」
「うん。 後でね」
「……勝手になさいませっ!」
地面から、アリスが飛び離れるのが分かった。川背はちかちかする視界を何度か瞬きで強制的に戻しながら、怪神ダゴンに言い放つ。
「貴方の目的は? お魚の神様」
「より美味なる餌の捕食」
簡潔きわまりない答えだ。そして、真理でもあるのだろう。
神の理屈と人間の理屈が違うのは当然のことだ。だから、そのこと自体は責めない。
「ならば僕と一緒。 お魚は僕にとって、専門分野の料理素材。 相性が悪かったね」
「それを言うなら、人間である以上我には勝てぬ。 ふむ、だが我に対して、そのような物言い、気に入ったぞ。 貴様の魂も此処で喰らい、闇の星空でたわけた顔を並べる白痴の神どもを叩きつぶす材料にしてくれようぞ!」
吠え猛った魚が、巨体を起こす。
水面から立ち上がったその体は、二十メートルを超えているように思えた。魚だったように見えた部分はほんの一部で、その下には鮹やら貝やら蟹やらを無数につなげた、異形の下半身がついていたのである。
だが、大きな敵との戦いは、望む所だ。
川背はルアーを振るうと、中空に舞った。時間は、必ず作る。そう、既に消えたアリスに向けて呟きながら。
アリスは泣いた。
川背の言うとおりだった。どんなに強力な能力を持っていても、勝てる訳がなかった。もしもあのまま特攻していたら、一瞬で丸呑みにされてしまっただろう。周りが見えていなかった。どうしようもないほどに、子供だからだ。
子供だ。どんなに背伸びしても、まだ子供も産めない体なのだ。
走る。ただ、森の中を。風船をつかんだまま、時々飛ぶが、美味く重力の制御が出来ない。
アリスの力は、グラビトンクラッシャー。
自分の中および手足から半径六十センチにある重力子の制御を行う力である。
これにより、インパクトの瞬間対象との重力を数百倍にすることによって、一気に粉砕することが出来る。また、内部の重力子の流れを滅茶苦茶にする事により、触れた先を粉みじんにすることが可能である。特に構造物の類には効果絶大だ。アリスがバルーンクラッシャーと呼ばれる所以である。生命体相手にも、かなりの打撃力を発揮する。
風船の中に入れている水素を使って浮遊するのも、この能力の展開によるものだ。攻撃にも機動にも使える強力な能力。ただし、一つだけ致命的な欠点がある。
風船と、帽子。もしくはリボン。
この二つが揃っていないと、発動しないのである。帽子は大きいほど効果が高まる。リボンは利便性に優れているが、帽子よりだいぶ効果が小さい。
専門家によると、一種の「験担ぎ」的なものらしい。元々フィールド探索者が使える能力はオカルトじみたものも少なくないので、科学的には解明がほど遠い。ましてやアリスの場合は、重力子などというまだ科学的には解明がほど遠いしろものを操作するのである。聞いた話によると、他にも発動条件が厳しい能力持ちはいるらしく、フィールド探索者としてはあまり高い評価を受けていないそうである。
風船も帽子もどちらも特注の頑丈なものを使ってはいるが、どちらかを失ったら子供に毛が生えた程度の能力しかないアリスは、死が確定する。
慌てて飛びそうになった帽子を押さえた。普段なら絶対しない失態で、いつになく混乱しているのがわかる。
既に河は越えて、合流地点に到達。目を擦りながら周囲を見回すが、スペランカーはいない。呼吸を整え、混乱する頭を必死に落ち着かせる。そうだ。最後の通信で、此処より少し北にいると言っていた。
薄暗いが、影の出来る方向と時刻から、北を特定。再び走り出す。転びそうになるが、何とか踏みとどまった。乱れた呼吸は、なかなか収まってくれない。まだ涙が溢れてくる。情けなくて、自分を何度も罵った。
やがて、戦闘音が聞こえてきた時には、むしろ安心したほどである。
悲鳴を上げてのけぞる巨体が見える。無数の生物を無理矢理つぎはぎしたような、異形の巨体。普段なら何とも思わない相手なのに、今は恐怖を感じてしまう。それだけではない。空には、無数の鳥人間の姿も見えた。
そして、青ざめて立ちつくす小太りの男の姿。
あの嫌みったらしい笑顔が、引きつっている。そうだ、あれは。あの時の。
地面には幾つもクレーターが出来ていた。その中央で、着衣が既にぼろぼろになっているスペランカーが、立ち上がる。拳を大きく抉られた巨大な怪物は、咆吼しながら、体を再生させていた。否、違う。
周囲にいる無数の小さな怪物を、取り込んでいるのだ。
「おのれ、貴様不死身か!」
男の声が、恐怖に引きつっているのが分かった。
あの日の光景が、フラッシュバックする。自らの子供を生け贄に、あのダゴンを呼び出した外道。父は、全身がズタズタになるまで戦ったが、ダゴンに魂を吸い尽くされて命を落とした。母は発狂して死んだ。弟は、良く覚えていないが、ダゴンの言葉や状況証拠からして、喰われてしまった。
アリスは壁に掛かっていたサーベルを抜き放つと、媒介になっていた奴の子供を突き刺した。白目を剥き、泡を吹いていた子供は、大量に吐血してそのまま死んだ。だが、ダゴンはそれをにやにやしながらただ見ていたように思える。
男の無様な絶叫が、最後にとどろいていた。
そういえば、告訴もされなかったのは確かにおかしかった。アリスが殺したのは確実だったのに。何か、あのダゴンに関するモノが働いたのか。N社はあるいは、怪奇なる神々の存在を知っていて、アリスを手駒にしたのかも知れない。
ひょっとすると、そもそも。それさえも見込んで、ダゴンは動いていたのではないか。そうでないと、あの魚神の台詞に説明がつかないではないか。眼前で喚き散らした男。嫌々ながらも怪物がスペランカーに拳を振り下ろす。無数の怪物の塊が落下し、逃げる間もなくスペランカーはぺしゃんこに潰れた。だが、結果は何度やっても同じだ。怪物の拳が消し飛び、肉塊だったスペランカーが、クレーターの中で再生し始め、人の形を取り戻していく。
「ひいいっ!」
男の無様な悲鳴が聞こえた。哀れな奴と、アリスは思った。
だんだん落ち着いてくる。それと同時に、頭も冴えてきた。あの時と同じなら、ダゴンは呼び出すために使う媒介がいるはず。村長は、財宝が存在すると信じていた村人達がすでに行方不明だと言っていたが、高確率で媒介はそいつらだろう。
問題は豚の死骸を鳥人間どもが喰らっていた、と言うことだ。
風船を持った鳥人間どもは、中空を旋回し続けている。シルクハットを地面に叩きつけ、踏みにじりながら、男は吠えた。
「貴様ら、何をやっている! 加勢せんか!」
完全に男は目を血走らせて、冷静さを失っていた。
アリスが飛び出す。そして、男が振り向いた瞬間、顔面にドロップキックを叩き込んでいた。
鼻血をまき散らしながら、傲岸不遜な貴族が倒れる。真横からドロップキックを浴びせたアリスが、顔を踏みつけながら、冷徹な声を絞り出した。とても子供のものとは思えない。。
「お久しぶりですわね、シュナイゼル卿」
「き、貴様、E国貴族の面汚し、反逆者の豚め!」
「そんな何百年も前の話を持ち出されてもね。 そもそもそれを言うならE国の王室自体が、民衆に仇為したヴァイキングの子孫でしょうに」
「お、おのれえええっ! 我らの誇りを、下らぬ寝言で踏みにじるか!」
もがくが、アリスが容赦なく能力を展開した。シュナイゼルと呼ばれた男の両耳から鮮血が噴き出す。殺しはしなかったようだが、無様な悲鳴を上げてシュナイゼルは悶絶した。
「知り合い? アリスちゃん」
「ええ、出来れば顔も見たくない相手ですわね。 そんなどうでも良いことよりも、川背さんがご指名ですわ。 はやく行って差し上げないと、魚の餌にされてしまいますわよ」
「! 分かった。 でも、此処をどうにか突破しないと行けないね」
シュナイゼルは、スペランカーに最初怪物を一匹ずつけしかけてきたが、どれもこれもが攻撃する度に自滅していくのを見ると、怪物をまとめて融合させるという暴挙に出た。生体ミサイルと同じで、攻撃の意思がある存在が間にはいると、カウンターは届かない。だが、あの怪物は露骨に嫌がり始めていた。もう少しで、シュナイゼルが肉塊になる所を見られたかも知れない。
頭を振る。
そんな風に考えてはいけない。相手と同じ所まで落ちても、虚しいだけではないか。
潰されている間に、靴は駄目にされてしまった。服もちょっと歩くには恥ずかしいくらいぼろぼろである。リュックを背負い直し、半ば潰れたヘルメットを被り直す。悠々と準備をするスペランカーを見て、アリスに押さえ込まれたままのシュナイゼルが、意識を取り戻し、目に狂気を宿した。
「おのれ、このまま無事で済むと思うなよ! E国の貴族には、貴様らを憎むモノが幾らでもいる! その財力は米国の成金パワーエリートどもにも引けを取らん! フィールド探索者だかなんだか知らんが、何時か絶対に殺してやるからな!」
下品きわまりない言葉が、散々スペランカーの頭に流れ込んでくる。一瞥だけすると、スペランカーは大事な後輩を助けるべく、森の中を小走りで進み始めた。だが、その前に、風船を持った鳥人間が、たくさん舞い降りてくる。
「殺せはしなかったが、通しもせん! 通れるものなら、通ってみよ! 我が配下の卑しき獣ども! 貴様らの降らん命など惜しむな! その子豚二匹を絶対に通すな!」
「その子達、貴方の子分でしょ? そんな事して、恥ずかしく思わないの?」
「愚民は貴族に使われてこそだ! ましてやそのような卑しき動物ども、どのように使おうが私の勝手だ!」
アリスが目に怒りを宿し、もう一度シュナイゼルを踏みにじる。今度こそ、浅ましき男は気絶した。
だが、鳥人間達は、バリケードを崩さない。何かいやな予感を覚えたスペランカーは、アリスに叫ぶ。
「アリスちゃん、その人から離れて!」
「えっ!? っ!」
アリスが全速力で飛び上がるのと、妙な鈴の音が場に割り込むのは同時だった。
それはとても気味が悪い鈴の音。硝子を引っ掻くような音が混じり込んでおり、生理的な嫌悪感が聞いただけで全身を這い上がる。
シュナイゼルが、まるで出来の悪いマリオネットみたいな動きで立ち上がったのは、その瞬間だった。
既に頭は大量の血にまみれていて、白目を剥いている。意識があるとはとても思えない。スプラッタ映画に出てくるゾンビのようだ。本気で手加減しないで踏みつけたと言うことは、相当にろくでもない奴なのだろう。まあ、喋っていて気分が良い相手ではなかったが。
ぎいんと、凄い音がして、スペランカーは思わず蹲って悲鳴を上げた。それが音ではなく、脳に直接響いてきているのだと悟り、呻く。
「わ、私は、貴族だ。 ほ、誇りを維持するためなら、なんでもして、来た」
怪物達が、一斉にシュナイゼルを見る。
多分一種のテレパシーだろう。それを発しているシュナイゼルは、二歩、三歩と、非人間的な動きで歩く。
「ノーブル・オブリゲーションは守ってきた。 貴族はそうなるべき人間がなるのだと、示しても来た。 だが、そうではない豚どもが、あまりにも、あまりにも貴族を名乗りすぎている! 私は、貴族の誇りを守るためなら、家族だって犠牲にしてきた! 自分の息子だろうと、貴族に相応しくないと思ったら、涙を呑んで斬り捨てた! それなのに、それ、なのに! どうして、高貴なる世界は作られない!」
「高貴なる、世界!?」
「我が求むは! 民衆は家畜として一生を貴族に捧げ! 貴族はそれを的確に管理する、そんな秩序ある世界! かってはそれが存在した! それなのに! 一部の愚劣な連中が、それを全て台無しにしたのだ! 何が人間は平等か! 能力にも精神にもあまりにも差がある愚民どもと我らを一緒にする事自体が間違っているのだ!」
シュナイゼルの全身に、無数の怪物が群がっていく。ばりばり、むしゃむしゃと、凄まじい音がした。
それでも、シュナイゼルの自己主張は止まない。
耳を押さえて、ふらつきながらも、スペランカーは立ち上がる。
「アリスちゃん! 今だよ、突破して!」
「で、でも!?」
あれは、もう駄目だ。
スペランカーは、あまり早くない足で走り出す。今は後ろの凄まじい光景よりも、前の川背を救うことが先決だった。
それにしても、あの鈴の音は。何処かで聞いたことがある。しかも、つい最近である。
すっころんで死に、息を吹き返して立ち上がる。服も少しずつ再生しているが、ちょっとまだ外を歩くには恥ずかしい。
だが、今はそんな事にこだわってはいられなかった。
上で、アリスの悲鳴。振り仰ぐと、今の鈴に影響されなかったらしい、ひときわ逞しい鳥男が、アリスと激しくぶつかり合っていた。気迫と言い、動きといい、まるでアリスに引けを取らない。手にしている風船が少し滑稽だが、その戦闘能力は少し見ただけでも凄まじいものがある。
「先に行ってくださいまし!」
「分かった!」
川背が心配だ。かなりの使い手だが、もしも今感じている気配がスペランカーの予想通りだとすると、とても勝てる相手ではない。
一刻でも早く、駆けつけなければならなかった。
全てを少し離れた所から見ていたその者は、掌にある鈴を見て、にやりと微笑んだ。
流石は、父祖の宝だ。
後は、もう一手だけでチェックメイトである。
マントを翻して歩き出すその姿は、不思議と小柄に見えた。