オールドアクションゲーム二次創作 作:dwwyakata@2024
猫の圧倒的な神像を見て感心したスペランカーは、間違いなくハリーがここに来ると確信した。
一緒についてきた神官に、周囲への人員手配を頼む。アリスはというと、嘆息して様子を見守っていた。
「神を、説得するんじゃありませんの?」
「今すぐ生け贄が捧げられるわけじゃ無いから。 今、最も大きい危険は、ハリーさんがおかしな事をすることだよ」
「それこそ、現地の人間に任せれば良いものを」
「駄目。 こっちの世界から招いた災厄なんだから」
神官はてきぱきと指示を進め、多くの戦闘員が神殿の周囲に配置されていく。
だが、しかし。
やはり、身体能力は高いし、獣との争いには慣れているとしてもだ。
対人戦が素人同然である事は、スペランカーにも一目で分かった。アリスは手にしている超硬質ゴムの風船を揺らしながら、大きく嘆息した。
「失敗でしたわね。 これでは、ハリーが素人でも逃げられますわよ。 もう、逃げているやも」
「ううん……そうだね」
「異国の巫女よ。 此処は我らが固めますが故に、大神殿へ急いでいただけませんでしょうか」
不意に、神官が話を振ってくる。
「大神殿?」
「我らは、シアエガ様の気配を感じることが出来ます。 それが故に神官をしているのですが。 ともかく、シアエガ様が目を覚まされた模様です。 おそらくは。 すぐに、生け贄を要求してくることでしょう」
「分かった。 すぐに行くよ」
「それに、嫌な予感がするのです。 何か、大きな災厄の予兆だとしか思えません」
巨大なトカゲが引く車も用意された。車輪は原始的な円盤形だが、しっかりついている。むしろ車軸が非常に太いので、見るからに頑丈そうだ。箱は本当にただの箱で、屋根も戸も無かった。
トカゲは全長八メートル以上はある。現在生息している最大級のオオトカゲ、コモドドラゴンが確かマキシマムサイズでも四メートル程度だから、オーストラリアに生息していたというもっと大きなトカゲがかろうじて比肩するくらいのサイズか。
餌らしい植物をがつがつと喰うトカゲの上で、緑色の肌をした小柄な騎手が、乗るように促す。草食だからといって、おとなしい生物だとは限らない。ちょっとおっかなびっくり、車に乗り始める。よじよじ不器用に車に上るスペランカーの隣で、ふわりと浮き上がったアリスが、危なげなく箱の中の敷き藁に着地した。
「よし、乗ったよ」
「異界の神の力持つ者よ。 我の姉も妹も、シアエガ様の糧となり果てた。 生け贄は貴重な人材こそ意味をなす。 だから、神は美しく、未来輝いていた姉を幼い頃に、妹を私が成人してから、浚っていった」
神官は、そうつぶやいた。
血を吐くような独白だったに違いない。
「仕方が無いことなのは分かる。 だが、他に道があるのなら、知りたい。 我らは年重ねても、それを得られなかった。 やはり、外に出ないのは、駄目だな」
「大丈夫。 任せて。 それに、外を知っているのだって、そんなに偉いことじゃないんだから」
ヘルメットをかぶり直すと、スペランカーはリュックサックをおろして、ブラスターを中から出した。
交渉はする。
だが、もしもそれが上手く行かない場合は。
頭は、既に切り換えていた。
シアエガに案内されるまま、ハリーは闇の中を駆ける。現地の人間でも知らないような、路とさえいえないような空間を。シアエガは、平然とわたっていく。見ると、腕力や脚力があるのでは無い。動きを先読みして、誤魔化しているのだ。
ハリーは、さっきから妙に自分の能力が冴え渡っているのを感じた。おそらく、神が何かしたのだろう。だから、走りやすい。四十男の身体能力であっても、すいすいと進むことが出来た。
ハリーの能力は。
重力に起因する衝撃の封殺である。
つまり、高いところからいくら飛び降りても死なない。それが、ハリーの能力である。あまりにも限定された能力だが、鍾乳洞の探索では案外役に立つ。実際に今までも、二回この能力の発動で死を免れている。
しかし今は、どうもその能力が、真の力を発揮しているようなのだ。
「おまえの能力は、落下ダメージの封殺などでは無い」
「では、何だ」
「吸収だ」
そういえば、そんな気もする。
走るときに妙に体が軽い。それだけではない。さっきから、鍾乳石に捕まるようにして天井を移動しているのだが、重力を感じないようにするすると進むことが出来ている。飛び交う翼竜が、何か声を上げる。
シアエガが、動くなと言った。
「ほう。 家畜どもが、私を裏切るつもりか」
「何?」
「おまえの同類を、どうやら私の本体にけしかけるつもりらしい。 数百年飼ってやった恩を忘れおって。 愚かな家畜共よ」
眼下に、それが見えた。
この辺りは地底空洞と言っても桁外れに大きく、たまに巨大な柱があるほかは、丸ごと小さな丘が入るほどの広さがある。その天井から見下す、明かりを放つ草の中を疾走する蜥蜴に引かれた車。
それに、アリスとスペランカーが乗っているのを、ハリーも確認した。
曲がりくねった路を、馬車と言うべきか蜥蜴車というべきか、それが疾走している。蜥蜴は後ろ足だけで立ち、凄まじい勢いで尻尾を振り降り走っていた。このままだと、追いつかれるどころか、追い抜かれるだろう。
「まずいな」
「うん?」
「あの大きい方の女、絶対生還者スペランカーだ。 神殺しという異名も持っている」
「ほう……」
ハリーの記憶の中を覗いたシアエガが、残忍な声を漏らした。
周囲が、ずしんと大きく一つ揺れた。
怒ったのだろうか。この地底空洞を支配する神の、本体が。
「どうやら、多少きつめの灸を据えてやらねばならないようだな」
「私の願いを聞き遂げるのだろうな」
「ふ、愚かな。 私を人間のような、嘘を日常的に吐き、約束を鼻で笑う生物と一緒にするな。 次にそのような妄言を吐き散らかしたら、ただではおかぬぞ」
視線をそらしたハリーは、リュックからザイルを取り出す。
体が軽くなっている今なら、出来るかも知れない。何しろ、重いリュックを背負ったまま、片手で鍾乳石に捕まっていられるのだ。
この力は、鍾乳石に捕まった時点から発動した。重力自体は、ハリーの体に働きかけ続けている。しかし、捕まった事により、重力による下への引力との摩擦が生じた。その摩擦を、どうにかして完全に自分のものとしているらしい。
「今の私は、衝撃を自在に吸収できるのだな」
「そうだ」
「どうも若干解せない部分もあるが、ならば、私に掴まれ。 一気に、相手の先を行く」
無言で、シアエガはハリーの腕にすがりついてきた。
ザイルを振り回すと、鍾乳石に投げて、引っかける。
驚くべき事に、ザイル全体にも力が掛かる。もしも振り回して引っかけただけであれば、絶対にすぐ外れてしまうだろう。もう一本ザイルを取り出すと、ハリーは鍾乳石から飛んだ。
放物線を描いて、虚空を舞う。
しがみついてくるシアエガの宿主を見て、ハリーはふと思う。
愛する姪が、ロンダが死んだのも、このくらいの年だっただろうか。
蜥蜴車に激しく揺られて、頭をぶつけたり尻餅をついたりするたびに、スペランカーは死んだ。虚弱体質は、彼女とは切っても切れない関係にある。まごう事なき呪いである。
すぐに蘇生するが、それでも痛みを伴う。
このガラガラ音を立てて高速で走る蜥蜴車は、殆ど拷問道具に等しかった。
コレよりひどい揺れの乗り物には、滅多に乗ったことが無い。
「大丈夫ですの?」
「へ、平気、ふぎゃっ!」
意識が飛んだ。後頭部をぶつけていたらしい。
巨大な空洞。闇の中、うっすらと浮かび上がっている地面と天井。轍は見えない事からも、これが緊急時にしか使われない車なのだと分かる。
蘇生して見上げると、アリスが立ち上がっていた。そして、視線は一点を見据えている。更に言えば、この揺れの中でも、アリスは絶倫のバランス感覚で、小揺るぎもしないように見えた。
異界の神との戦いの後、アリスが一皮むけたようになったことは知っている。スペランカーの前だけで無く、気を許した少数の前だけならば、とても人間的な笑顔を見せるようになったとも聞いている。この子は、強くなったのだ。
「見てください、スペランカーさん」
「え? おわっ!?」
見上げた先には、まるでターザンか何かのように、ロープを振り回しては凄まじいスピードで洞窟を飛んでいく人影があった。
間違いなく、ハリーだ。
しかも、目指す先は。今向かっている、大神殿である。
「私は足止めに入りますわ。 スペランカーさん、貴方は、いざというときのために、神の本体を」
「うん! 頑張って!」
頷くと、まるでロケットが射出されるようにして、アリスが飛ぶ。
重力子を自在に操る彼女にとって、空は独壇場だ。だが、ハリーに抱きついているように見えた女の子の事が気になる。
「急いで、とはいえないか」
緑色の肌を持つ小さな人は、荒れ狂う蜥蜴に跨がって、それを必死に御している。
これ以上、注文はつけられない。そうスペランカーは見て取り、ただ早く着くことだけを願った。
浮き上がったアリスは、全力で能力を展開した。
空中でアリスは、重力子を制御することにより、反重力にとらえられたも同然の結果を得ることが出来る。一気に天井近くまで加速。そして、逆さに体を反転させて、鍾乳石に足をつく。
ハリーを見た。
凄まじい機動だ。
本当にアレが、素人同然と言われていた人物なのか。ザイルをワイヤーのように使って、遠心力を駆使して大ジャンプを繰り返している。しかもアリスが見たところ、フックは鍾乳石に突き刺さっていない。
間違いなく、何かしらの能力である。
帽子を押さえながら、アリスは鍾乳石を蹴った。重力子を操作することにより加速するが、しかしそれも万能では無い。音速を超えるような機動は出来ないし、旋回性能も決して高くない。
だが、経験で、アリスは補っていた。
何度か鍾乳石を蹴って加速。加速。更に加速。気づかれる。
ハリーの横に並んだ。ハリーは、こちらを相手にもせずに、言う。
「君は確か、バルーンクラッシャーのアリスだったな」
「フィールド探索者の面汚しのようなまねはよしなさい、ハリー。 報われない人生を送ってきたことは理解していますが、だからといって他者に不幸を撒いては本末転倒でしょう」
「黙れ」
返ってきた答えは、驚くほど冷ややかだった。
多分、説得は無理だろう。
分かる。ハリーは、おそらく目的に王手を掛けている。それ以上に、多分恵まれた人間に、鬱屈された怒りを蓄えている。
それを嫉妬と、簡単に片付けるのは間違っている。たとえば、普通の人間同様に、いろいろ汚いことやくだらないことをしながら生きてきたのなら、努力が本当に足りていなかったのなら、正面から説教する意味もあっただろう。
だが、この人に関しては違う、資料を調べたが、この人は東洋仏教の修行僧も同様の高潔さで、真面目に人生を歩んできた。そんな彼に、神も仏も、何も報いることは無かったのだ。
気づく。すぐ後ろに二匹、翼竜がいる。あまり大きなものではないが、しかし。
ハリーが抱えていた女の子が、邪悪な笑みを浮かべ、指を鳴らす。
同時に、翼竜が、四方八方から集まってきた。中には明らかに翼竜では無いものも混じっている。
大型のコンドルか。それに、骸骨が空を飛んでいるようなものまでいる。
「足止めせよ」
「上等ですわね……」
奇声を上げて、無数の鳥が翼竜が躍りかかってくる。空を縄張りにする生き物たちが、不埒な侵入者を叩き落とそうと迫ってくる。
不意に、アリスは自分に掛かる重力を、最大限まで強化。
墜落するかのように、地面に最大加速した。翼持つ者たちが、まるで生きた驟雨のごとく追いかけてくる。
アリスは無言で、全力で重力子を操作。
地面に、己の体をたたきつけていた。
衝撃波が、辺りを蹂躙する。爆発が吹き上がり、盛大な煙幕を作り出し、なおかつ翼持つ者達の幾らかを思い切り巻き込んだ。
吹き上がる土砂の中に、或いは衝撃波によって、翼持つ者達がある程度巻き込まれるが。しかし何しろ数が圧倒的だ。頭上を旋回する無数の鳥たち。そして、ハリーは驚くべき速度で、この場を離れつつある。
クレーターの中心で立ち上がったアリスは、走り出す。そして、跳躍。飛んだ。
今度は鳥たちが、四方八方から攻勢に出た。
速い。特に翼竜達は、鳥をもしのぐ早さで、動きも鋭い。
後ろに殺気。
風船を、一羽がかすめた。多分気づいたのだろう。アリスの能力が、本人だけではなく、道具があって初めて完成するものなのだと。
急降下すると、鳥が一定距離を置く。だが、今度は、それを加速に用いた。包囲を抜け、一気に飛ぶ。鳥たちが、一丸となってついてくる。
上から、殺気。
右に回避。
鋭い爪が、風船をかすめ、そしてアリスの背中を抉っていた。バックパックが無ければ、脊髄にダメージが行っていたかも知れない。
見ると、最初から女の子の周囲を飛んでいた、どくろをかぶった翼竜だ。
もう一匹が、左から来る。
脇腹を、長く鋭いくちばしで抉られた。他の鳥たちとは、一線を画す速度と動きだ。多分、アリスが包囲を抜ける瞬間を狙っていたのだろう。
ハリーが、落ちた。
いや、ザイルをわざと使わなかったのが見えた。
しかも奴はふわりと柔らかく地面に着地すると、再び平然と走り出す。五十メートルは落ちたように見えたが、これは奴の能力か。調査したところ、それほどたいした力には見えなかったのに。
真っ黒な鳥の群れが追いついてくる。アリスは着地すると、地面を蹴りつけながら加速。ハリーは、崖に身を躍らせ、飛びながらザイルを投げていた。
そして、崖を斜めに飛び降りながら。
闇の下へと、飛んでいった。
「まるで、アクション映画のスターですわ」
勿論良い意味でつぶやいたのでは無い。アリスも呆れるほどに、現実感を喪失するほどの能力展開であった。
崖まで、まだかなりある。
どうしてこの平原に地底人が集落を作っていないのかは分からない。分かっているのは、辺りに隠れる場所は無く、しかも群れを指揮している二匹の翼竜が、かなり戦い慣れていると言うことだ。
悠々とアリスの後ろ、一定距離を置いてついてくる二匹。
或いは、鳥使いと直接意識がつながっているのかも知れない。大変に面倒な事であった。
ジグザグに走り、加速しながら跳ぶ。
そして、崖に飛び込んだ。
下は完全な闇。此処に下方加速するのは非常に勇気がいる。だが、それでもやらなければならない。
一瞬でも迷ったら、風船を割られる。
真横。翼竜がいる。
にやりと、翼竜が笑ったような気がした。
巨大な、石造りの建物だった。屋根は他の神殿と同じく、切り妻型に近い。
だが、天井部分には、ハリーを出迎えるように、無数の生物が蠢いていた。その中には、アンモナイトに近い姿をしたものもいる。
抱きついていたシアエガが離れる。
否。多分これは、シアエガの端末の一つくらいに過ぎないのだろう。
「おまえがアリスと呼んでいた者は、私の僕どもと戦っている。 未だ、かなり距離がある」
「そうか。 それならば、問題はスペランカーだが」
「そ奴は、もう到着したようだ」
どこまでも、不快な奴だ。
だが、能力を知っている以上、対処方法はいくらでもある。元々スペランカーは、真っ向勝負の相手には無類に強いが、奇策の類いには無力に等しいのだ。
神殿の周囲には、無数の地底人が集まってきていた。
「直接、貴方の本体とやらの所まで行きたい」
「安い用だ。 こちらへ来い」
神殿は石で作られているが、所々植物素材によって固められている場所もある。天井の一角を開けると、エレベーターのように、或いは煙突のように。ずっと下まで続いている空間があった。
地底人たちが、下では騒ぎ始めていた。
「追撃を封じよ」
シアエガが命じると、無数のアンモナイトやべレムナイトが、触手を動かしながら虚空に舞い上がった。
あいつらも、空を飛ぶことが出来るのか。
「翼竜は分かるが、あれはどうやって浮いているのかね」
「よく分からんが、殻の中に浮くガスをため込んでいるらしい。 だから、殻自体は堅いが、かなり軽いぞ」
「……」
多分水素ガスを使っているのだろうが、それにしてもあれは凄い。生きた気球という訳か。
はしごも無いが、別に苦労することも無い。シアエガを抱えると、ハリーは闇の中に身を躍らせた。
多分、数十メートルは落下しただろうか。
衝撃を完全に吸収して、降り立つ。
其処は。
今までと違い、完全に明かり無き空洞だった。上から、ほんのりと明かりが漏れていて、それだけが周囲を認識する役に立っている。
ヘルメットを操作して、ライトをつける。
そして、絶句した。
其処には、とてつもない存在があった。腕にすがりついているシアエガが、けたけたと笑う。
「そうだ。 これが私の本体だ」
全長は、おそらく数十メートルに達するだろう。しかも縦に長いのでは無い。球状をしているから、その威圧感はあまりにも凄まじい。
薄白い体の中央には巨大な目があり、無数にあるウナギの尾に似た触手が、空間をまさぐるように蠢いている。体は白いが触手は真っ黒なので、非常におぞましい対比を為していた。目は人間のものに近いが、瞳孔が三つあり、辺りを探るようにくるくると動き続けていた。しかも、火が燃えさかっているように瞳孔は赤い。
気の弱い者が見たら、発狂しそうな姿だ。
だが、不思議と、ハリーは何も感じなかった。
「さて、くびきを外してもらおうか」
「ロンダを」
「ふむ、そなたの姪か。 灰を持ってきているだろう、それを出せ」
灰の包みを、取り出す。
ロンダは不幸な娘だった。家族が事故で次々に亡くなり、天涯孤独の身になってしまったところを、ハリーの家に来た。最初は言葉さえも失っていて、しゃべることも無かった。ただベランダに出て日光を浴びながら、じっと遠くを見つめているばかりだった。
ハリーの写真を見てもあまり興味を見せず、精神科の医師に診せても、あまり改善しなかった。
そんなとき、捨て猫を拾ってきて与えてみると。少しずつ、感情が戻り始めていった。
さっき猫の神像を見たとき、運命を感じたのは。きっと、それが原因だろう。
ロンダは一年ほどで言葉を取り戻し、学校へも行けるようになった。少しずつ、幸せを取り戻そうとしているロンダをあざ笑うように、無惨な病魔が忍び寄り続けていた。
癌だ。
健康診断でそれが発覚して、しかも末期だと分かって。ロンダは悲嘆のあまり、洗面器に湯を張り、手首を切ってしまった。
ハリーが戻ってきたときには、もうロンダは息をしていなかった。
遺書には、これ以上ハリーに迷惑を掛けられないこと、今までとても幸せだったことが書かれていた。
ハリーが世界に致命的な絶望を感じたのは。この時であったかも知れない。
「灰にある情報からの肉体の再構築はさほど難しくない。 材料はいくらでもあることだしな」
触手の一つが伸び、ハリーとシアエガの前に先端を示す。
シアエガが灰をそれに触らせると、先端部分がまるで口のように開いた。否、多分本当に口なのだろう。それも、前後左右に開く、非常におぞましい形の口だ。中には鋭い牙も並んでいる。触手は黒いのに、口の中は真っ赤で、それがまた非常に邪悪な印象を誘った。
口の中に、シアエガが灰を落とす。
触手は口を閉じると、やがて何か、大量にはき出した。
それが、おそらく人間のなれの果ての肉塊だと悟って、流石にハリーも目を背ける。
「材料、だと」
「そうだ。 私は食料など必要とはせぬ。 生け贄は、地位確認のために取り、捕食は情報取得のために行っている」
喰うことで、情報は完全な形で取得できると、シアエガは言う。
そして、生け贄に選ぶのは、いろいろと余計なことを知っている者達ばかり。だから、その知識を元にして、今ハリーが見ている女の子のような端末が、効率よく地底の支配が上手く行っているかを確認するという。
肉塊に、シアエガが手をかざす。それも一瞬で、小山のような臓物と肉の塊に、すぐに手を突っ込んでいた。
「もうこの体にも飽きていたところだ。 再構築開始」
「な、何をするつもりだ」
「分からぬか」
シアエガは、冷酷な笑みを浮かべた。
「おまえの姪の、いや愛する相手の情報を元に、私の端末を再構成する。 記憶に関しても、貴様の意識と、灰を媒介にアクセスした世界の記憶、アカシックレコードから再構成する」
それは。
条件がつくとはいえ、確かにロンダは再生する。不幸な彼女は、再び記憶と肉体を得て、現世に現れることが出来る。
だが、その中には。
この巨大な邪神の意識も、一緒にいる事になる。
だが、邪神がむしろ最大限の譲歩をしてくれていることもよく分かる。ギブアンドテイクで、随分気前よく動いてくれてもいる。はっきりいって、普通の人間よりもずっと、しっかり約束を果たしてくれている。
呼吸が、速くなる。
どろりと、女の子が溶けてしまった。今まで、其処に何も無かったかのように。最初から、泥の塊だったかのように。
代わりに、肉の塊が、徐々に収束していく。
脈打ち、蠢きながら、一つの形に向かって。
ハリーは、目をつぶって、頭を振るう。シアエガは、約束を果たしてくれた。
確かに条件は厳しいかも知れない。だが、ロンダはこれでよみがえることが出来る。きっと、魂というものがあったとしても、それは肉体の中に再構築されるはずだ。
しかし、くびきを外したら。
この地底の人間達は皆殺しにされる可能性も高い。外にも、多大な災禍を招くことだろう。
「ハリーさん!」
はじかれたように、顔を上げる。
其処には。
膝に手をついて、肩で息をしているスペランカーの姿があった。拳銃を無言で取り出す。此奴だけには。
この女だけには、邪魔をさせない。
災厄があるとしても、だから何だ。今まで社会のルールに従って生きてきたハリーを、さんざん馬鹿にして、搾取ばかりしてきたような所だ。災厄になど、見舞われてしまえば良い。
これは、復讐だ。
そう思うと、俄然心も燃え上がる。
「もうすぐ、姪は、ロンダはよみがえる。 邪魔はさせない」
「お金と、名誉と、最後は命、だったんですね」
「そうだ。 金は後の生活のため。 名誉は、私を馬鹿にし続けた社会に対する復讐のために得た。 そして、私が救えなかった、哀れなロンダを救うことで、私の復讐は完成する! ロンダも、知らない土地で、金さえあれば、幸せに暮らせる!」
触手が、闇の中で咆哮する。
スペランカーの前に出た。たとえ神殺しの名を持つ銃で撃たれたとしても、シアエガを殺させるわけにはいかない。
間違っていると、何処かで感じもする。
だが、それ以上に。
間違っているのは、ハリーの周囲の社会だ。
「ハリーさん。 前提が間違っています」
「何だと」
「戦う気はありません。 シアエガさんも、話を聞いてもらえませんか?」
触手が一閃した。
スペランカーが吹き飛ばされ、壁にたたきつけられて爆ぜる。ぐちゃぐちゃに潰れたトマトのようになったスペランカーだが、蘇生が開始する。よろよろと立ち上がるスペランカーは、ぼろぼろになった着衣を顧みず、こちらにまた歩いてくる。
ひやりと、冷たいものがハリーの背中に当たった。
振り返る。
其処には。一糸まとわない、ロンダの姿があった。まだ未成熟な体は、むしろそれが故に蠱惑的だった。だが、はかなげなかっての笑みは、顔には無い。
代わりに、冷たい怒りと、邪悪な笑みがあった。
「ハリー。 殺せ。 この娘の意識は、日に数回は開放し、おまえの好きにさせてやると約束しよう」
「……」
「何を迷う」
頭上で、凄まじい音。
触手が吹き飛んで、その残骸が降り注いでくる。一体どういうことか。
「なるほど、打撃に対する反撃能力か。 それに、手元の武具による、致命打の組み合わせ。 面倒だな」
「話を、聞く気もありませんか?」
「何の話をする気か!」
また触手が一閃し、真上からスペランカーを徹底的に叩き潰す。
だが、触手がはじけ飛ぶ。再生もしているようだが、これでは完全にいたちごっこだ。それに、気づく。ロンダの体の周りに、黒い霧がまとわりついているのを。殆ど本能的に、それが打撃に対するカウンターの呪いだと、ハリーは気づいた。
「よ、止せ! シアエガ、駄目だ! ロンダが死ぬ!」
「そんなもの、いくらでも再構築してやる!」
「やめてくれ! お願いだ! これ以上、ロンダが死ぬ所を見せないでくれ!」
死に顔は、今でも思い出す。
美しくなど、無かった。悲しみと絶望が残り、墓に納めるときだって、ずっと消えなかった。
後で、墓を掘り返して、燃やした。
だが、灰になっても、あの表情は残っていた気がした。ずっとずっと、ハリーの心を苛み続けていた。ずっと、眠ると夢の中に出てきた。
どうして救えなかった。
どうして、ロンダがあんな目に遭わなければならなかった。そう、悔恨を続けた。
スペランカーが、立ち上がる。
見た目の年は、ロンダとそれほど離れていないようにも思える。だが。
その圧倒的な安定感は、どこから来るのか。
組み伏せてしまえばいい。非力な女だ。そうすれば、すぐに動きがとれなくなる。そんなことは分かっているのに。
どうしてだろう。
ハリーには、それをする気にはなれなかった。
「話をするだけでも、いいの。 どうしても、戦わなければ駄目?」
「黙れ神殺し! その手にある武器が、魂を等価として滅ぼし合う物だと言うことくらいは理解している! ハリー、何をしている! 速くそいつを押さえつけろ!」
スペランカーが、ブラスターを下げる。
シアエガが、ぴたりと動きを止めた。
「ハリーさん。 これ、渡すね。 持っていて」
「な、何……」
「ハリーさんが、どんな人生を送ってきたか、見たよ。 だから、ハリーさんが悪いんじゃ無いって、私は知ってる。 だから、預かってもらえる」
戯れ言を。
シアエガが、空間そのものを振るわせるような大音響で叫んだ。
無数の触手が、スペランカーに殺到する。
だが、次の瞬間。
天井の穴から躍り出たアリスが、シアエガ本体に痛烈な蹴りを叩き込む。巨体が、丸ごと陥没するのが、ハリーには見えた。
「頭を冷やしなさい、肉饅頭!」
「アリスちゃん!」
「スペランカーさん、急いで! あまり、長くは、保ちませんわよ!」
頷くと、スペランカーは、こちらに走り出す。
そして、ハリーの脇を通り抜けざまに。その手にあった銃を渡した。
「これ、あまり体からは離せないの。 だから、すぐ側で見守っていて」
「……」
確かに、不思議な引力を感じる。
それにしても、娘のような年の相手に、どうして逆らうことが出来ない。手を引かれて、歩く。
ロンダの体が、背中から離れた。振り返る。
ロンダは、呆然と、こちらを見つめるばかりだった。
触手を振り回し、わめき散らしているシアエガの至近まで、スペランカーが歩み寄る。そして、手を広げて、スペランカーは言う。
「見て、無防備だよ。 それでも、まだ話を聞かない?」
「お、おのれ……」
「この洞窟を出たいの?」
わめき声を、シアエガが上げた。徐々に、メッキがはがれ落ちていく。
この神格は、或いはいにしえの異界の神の中では、それほど力が強くない存在なのかも知れない。
「私は、自由になりたい! それだけが望みだ!」
「だったら、望み、かなえてあげるよ」
「何…だと!?」
「私、今アトランティスに住んでる。 其処の神様は空席なの。 住んでいる人たちも、神様をほしがってる。 貴方、ええと、シアエガさん。 シアエガさんが人を食べない、襲わないって約束するんだったら、私がアトランティスに連れて行ってあげる」
神が、悲鳴を上げた。
馬鹿な。あり得ない。
人間が、そんな事を考えるなど。だが、嘘をついているようにも見えない。そんな馬鹿な。こんな現実があるわけが無い。そう叫んだいにしえの神は、混乱の中、己が狂気に呑まれていった。
激しく、周囲が揺れる。天井が崩落し、シアエガの本体に岩石が降り注ぎ始めた。倒れているロンダに、ハリーは走った。アリスが側に飛び降りてくる。ハリーは視線で、さっき神に示された、床に突き刺さっているくびきを刺した。
「それが必要だ。 すまん、手が足りない」
「これは、邪神像?」
「そうだ。 神のくびきだ。 これを媒介に、神の居場所が固定されている」
アリスは、容易にくびきを引き抜いた。今なら、もう大丈夫だろう。
岩が降ってきた。五メートル四方はありそうな、巨大なものだ。だが、衝撃を吸収して、投げ捨てる。ロンダを抱きかかえると、ハリーは困惑しているスペランカーに叫ぶ。
「速く走れ! 埋まってしまえば、その能力でも出るのは難しい!」
「は、はい!」
スペランカーが出口を知っているから、一緒に走る。途中、何度か転んだスペランカーだが、どうにか岩で空間が埋まる前に、出ることが出来た。
神殿の中に、走り出る。
地底人たちは混乱して右往左往していたが、スペランカーが姿を見せると、何か叫んでいた。肩で息をしながら、スペランカーがその辺に置かれていたリュックから翻訳機を取り出す。そういえば、リュックを背負っていないと思ったら。アリスが引ったくると、非常に素早く操作して、返答をしていた。
神殿の柱にひびが入る。天井から、埃が降り始めた。
「宝などは良い! 早く脱出しろ!」
ハリーは、何だかむなしいなと、崩落していく神殿の奥、いにしえの神が引きこもっていた洞窟を見つめて、感じたのだった。
神殿は半ば崩落したが、結局全てが潰れることは無かった。
石に座って呆然としていたハリーに、コートを羽織ったスペランカーが歩いてくる。激しく叩き潰されて服は駄目になってしまったそうだ。足も素足に近い。
アリスは、既に報告のため、戻っている。
「ハリーさん。 宝石、地底の人たちに返してあげてください」
「……」
「きっと、ハリーさんは今まで運が悪かっただけです。 社会が悪かったのだと、私も思います。 でも、その前に、此処の人たちの財産は、戻してあげてください。 此処の人たちは、ハリーさんを虐待なんかしていませんから」
「……そう、だな」
目を覚ましたロンダは、地底人から借りた服を着て、辺りを所在なげなに歩き回っている。シアエガは完全に眠ってしまっているらしい。スペランカーの提案があまりにもショッキングだったのだろう。自分を迎え入れる存在がいて、しかも場所もあると聞いて。孤独の中、己を苦しめ続けていた神は、きっと精神崩壊を起こしてしまったのだ。
元に戻るまでは、数百年は掛かるという。元に戻っても、アトランティスに移してしまえば、以降は無害な存在になるだろうと言うことであった。
此処は、もうフィールドでは無くなったのだ。
ロンダは、ハリーのことは分かるようだ。だが、混乱していて、まだ意識が完全に戻っているとは言いがたい。
罰かも知れないと、ハリーは思った。
「やっぱり、私の努力が足りなかったのかな」
「そんなこと、無いです。 ハリーさんの写真すごく綺麗ですし、それに頑張っていたこと、知ってます。 他の人が認めなくても、私はハリーさんを凄いと思います。 良かったら、いいえ、是非アトランティスに来てください。 ロンダさんも一緒に」
側で、自分を見上げるスペランカー。
何でだろう。自分を認めてくれる人がいるというだけで、どうして涙がこぼれてくるのだろう。
スペランカーの屈託の無い笑顔も、ハリーにはどうしてか、とても新鮮なものに思えた。
こんな人間がいた。それだけで、他がクズでも、社会はある程度光を持っているのではないかと、思えてしまう。
「分かった。 ロンダさえ保護してくれるのなら」
「ありがとうございます!」
ダイヤも、ルビーも、皆リュックから出した。
そして、こちらを不審そうに見ている神官に、手渡す。謝るにはどうしたら良いかと翻訳機を使って聞くと、東洋の礼と殆ど変わらなかった。
頭を深々と下げる。
ハリーを排斥した社会には、今でも敵意が消えない。
しかし、この純朴な地底人たちには、迷惑を掛けた。だから、頭を下げることも出来た。
「すまない。 大変に迷惑を掛けた」
「いや、我らの警備も甘かったのだ。 それに、スペランカー様の好意で、我らの中からも有志はアトランティスに移ることになった。 それにこれからはシャンバラの人口が増えすぎないような策も相談して決めていかなければならない。 問題は山積しているが、協力すれば乗り越えられるはずだ。 だから、そちらでは良い関係を作ろう」
不器用に、真っ白い手を伸ばしてきた。握手の風習は変わらないらしい。
ハリーは、握手を受けた。
齢四十で、やっと受け入れられる場所が出来た。
幸せなことかも知れない。一生報われずに、不幸な人生を送る者だっているのだ。賭には、負けた。だが、これで良かったのかも知れなかった。
「ハリー、おじ、さ、ま」
名前を呼ばれた。
リンダが、側で、笑顔を浮かべていた。
まだ言葉はたどたどしい。だが、その笑顔は。あの死に顔を、払拭するほど、無垢な輝きに満ちていた。
全てを失い、犯罪にまで手を染めることになった男。
ですが、スペランカーはそれでも。
更正の余地があるこの悲惨な人生を辿った男に、手をさしのべたのでした。