シュタルクの目の前には、じゅうじゅうと音をたて、脂の滲む美味しそうな肉が鎮座していた。
芳しい香りが鼻腔を擽り、知らず知らずにシュタルクの喉が鳴った。
「食べ盛りなんですから、遠慮なく食べてくださいね」
別のテーブルではアリウムが同じような肉を切り分けている。
皿を持って群がる子供達はわいわいと騒がしいものの、順番を守っている様子が微笑ましい。
自分を始め、フリーレンやフェルンの前にもその大きな塊肉は鎮座していた。
「いただきます」
シュタルクは子供達に少し申し訳なく思いながらも、フォークを突き刺し、その香草焼きにかぶりついた。
がぶっ、じゅわぁっ
噛んだ瞬間口いっぱいに脂が溢れ、香草の爽やかな香り、丁度良い塩気がシュタルクの口の中に広がる。
目を輝かせたシュタルクはもぐもぐと咀嚼し、ゴクリと嚥下する。
そして、満面の笑みを浮かべ、叫んだ。
「うっまぁああああい!」
「声でっか」
対面に座るフリーレンは顔をしかめ、小さく切り分けた香草焼きを頬張る。
「お婆様のお料理ですから当然です(むふー」
その隣では、何故かフェルンが自慢気に胸を張っていた。
「いや、本当に美味いこれ!毎日でも食べてえよ!」
シュタルクの言葉に、フェルンの眉が寄る。
「むっ」
「嬉しい事を言ってくれますね。
それなら、フェルンにレシピを渡しておきましょうか」
「えっ」
「ん?なんでフェルンに?」
「むぅっ!」
「(ここに来てからフェルンが感情豊かだね。
良い事……なんだろうね。言葉にしたら拗ねそうだけど)」
三人のやり取りをフリーレンは黙って見つめる。
余計な事は言うまいと、野菜たっぷりのスープを啜っていた。
フリーレンの微かな成長を感じさせる一幕。
子供達の騒がしい声と笑顔に包まれた穏やかな食卓だった。
「なんで怒ってんだよフェルン……」
「怒ってません」
「うふふ……」
夜、子供達が寝静まり、フェルンやシュタルクも寝息を立てている時間。
アリウムの姿は礼拝堂にあった。
女神像の前に膝をつき、今日の感謝を口にする。
その姿は、何処から見ても敬虔な女神様の信徒であった。
「明日もどうか、子供達に祝福を……明るい未来を……」
コツ、コツ
祈りを終えたアリウムはゆっくりと目を開く。
背後の気配に気付きながらも、女神像を見上げ続けていた。
「精が出るね」
礼拝堂にはもう一人、寝間着姿のフリーレンの姿があった。
「フリーレン様、寝なくて宜しいのですか?」
「少しくらい大丈夫だよ。それに……もう少しアリウムを後押ししたくてね」
「ふふ……フリーレン様に、そのような事を言われる日がくるとは思いませんでした。
ヒンメル様の元に、私が背中を押すまで、向かうという発想すらなかった貴女が」
ゆったりとした動作で立ち上がり、アリウムはフリーレンへと振り向く。
「……そうだね、でも、だからこそだよ」
「フェルンとの旅は、良い刺激となっているようですね」
「アイゼンの言う通りだった。旅は話し相手がいたほうが良い。
ただ気儘に旅していた数十年よりも、フェルンと旅した数年のほうが密度があったよ。
……そんな事、ヒンメル達との旅を終えた時点で、気付けた筈なんだけどね」
フリーレンは女神像を見上げて、目を瞑った。
今は亡き二人を想い、偲んで。
「…………」
それをアリウムは何も言わず見つめ続けていた。
その瞳は何も映さず、魔族特有の空虚な瞳だった。
「孤児院で出会った日を思い出すね」
女神像の前、礼拝堂の中、似たような立ち位置で……38年前、二人は相対していた。
勇者ヒンメルが魔王を討伐して40年後―――
勇者ヒンメルが老衰を迎える10年前―――
とある孤児院をフリーレンは訪れていた。
魔族がいるという孤児院、そんな噂を聞いて、その噂を確かめる為に。
そしてフリーレンはその魔族と礼拝堂で相対していた。
紫髪の赤子を抱えた、薄紫の髪の魔族。
帽子で見え辛いけどこめかみに小さな角の生えた、何処か見覚えのある魔族。
フリーレンを目を見開いて見つめる彼女は、その時からどうにもらしくない、そんな魔族だった。
「アンタ……魔族だね」
フリーレンは即座に判断を下した。
すぐに杖を構え、ゾルトラークで片腕と両足を貫き、無力化。
そして、抱えていた赤子を保護しようと動く。
が、その赤子は孤児院の魔族、アリウムの手から離れると、不自然にふわりと浮いた。
「(視認出来ないタイプの魔法か、厄介だけど、知ってればどうにでもなる。
赤子は人質にでもするつもり?本体の無力化が最優先か)」
痛みに顔をしかめるアリウムが膝をついたのを見て、フリーレンはその顔面に杖を突き付け、魔法陣を展開した。
「っ……!」
アリウムは恐怖に息を呑んだ。
その様子を見て、フリーレンは首を傾げる。
「どうしたの?赤子を人質にでもしないの?」
「あ、赤子を……!?貴女人の心ないんですか……!?」
「……魔族に言われるとは思わなかった」
アリウムが抱えていた赤子は近くにおいて人質にするのとは逆、ゆっくりと二人から離れていく。
フリーレンには、それが不可解だった。
魔族ならば命乞いの一つでもするだろうし、より無力な人間がいればそちらを狙うだろう。
ただ自分を見るアリウムを見て、フリーレンは変な魔族だ、とそう思った。
一方でアリウムは、相手が勇者ヒンメルのパーティであるフリーレンだとすぐにわかった。
自分の過去の記憶と変わらない姿、魔族を虫のように見る冷たい視線。
そして魔族に対して一切容赦のない、合理的な行動。
ヒンメルとハイターから、気を付けるように言われていたが……。
「気を付けるも何も、問答無用じゃないですか……」
一瞬で両足を撃ち抜かれて立つ事も出来ず、腕は力がまったく入らず、だらりと垂れ下がっている。
あっという間に自身の体での行動を封じられたアリウムは、苦笑するしかなかった。
「孤児院を経営してる魔族って、アンタ?
何を企んでたのか知らないけど、それもここで終わりだよ」
「ヒンメル様とハイター様の仰ってた通り……容赦ないですね」
フリーレンの目が少しだけ見開かれる。
しかしすぐにその顔をしかめ、杖を持つ手に力が入った。
「……何?もしかして時間稼ぎでもしてる?
あの二人が魔族を見逃すなんて有り得ないんだけど?」
圧が増した事に、アリウムは冷や汗をかいた。
フリーレンと出会ったら、こうなるかもしれないとは言われていたが、実際に体験してみれば恐ろしくて仕方なかった。
けれどつい先日、ハイターの寝込みを襲って妊娠した子を産んだばかり。
この子の未来を見届けたいという思いは強く、死にたくないと思ってしまう。
「せ、先生!」
そんな時、幼い少女の悲鳴じみた声が礼拝堂に響いた。
フリーレンはちら、と視線だけをその方向に向けて見れば、そこには茶髪の少女が顔を青くして二人を、アリウムを見つめていた。
「あ、貴女!アリウム先生に何をしてるんですか!」
「……」
フリーレンが止める間もなく、その少女はフリーレンとアリウムの間に体を捩じ込んだ。
「……退いて、それは魔族だよ。危険だ」
「危険!?貴女にアリウム先生の何がわかるんですか!?」
「や、やめなさいモーナ。私は大丈夫ですから……」
「でも先生!血が!この人にやられたんでしょう!?」
「大丈夫ですよ……リリィを連れて、離れていて下さい」
その少女の放つ剣幕に、フリーレンが怯む事はない。
けれど、その子供の必死さに、庇う子を利用する様子を見せない魔族に、フリーレンは首を傾げる。
「それに、このくらいなら……」
アリウムは目を瞑り、心の中で祈りを捧げた。
途端に、アリウムの体が淡く光りだす。
フリーレンが先程撃ち抜いた筈の傷が、ゆっくりと塞がっていく。
「……ほら、治りましたから」
「でも、先生……!」
「モーナ……良い子ですから」
アリウムがそう言い聞かせると、少女、モーナはキッとフリーレンを睨み付けた後、背中を向けて駆け出す。
そして、離れた所に安置されていた紫髪の赤子、リリィを抱えて、礼拝堂を後にする。
「先生を傷つけた貴女の事、ずっと覚えてますからね!」
そう言い捨てて。
フリーレンは、その光景を信じられない思いで見つめていた。
特に、自分が撃ち抜いた筈のアリウムの両足と腕を。
床には血が垂れ、その修道服には穴が空き、血に濡れている。
無傷だった、という事は有り得ない。
「魔族が……女神の魔法を、使った……?」
しかも、魔族を殺す事に特化させたゾルトラークの傷を、あっという間に。
魔族が女神の魔法を使う、フリーレンからすれば天地がひっくり返ったようなものだ。
その事実がフリーレンにもたらした衝撃は、計り知れなかった。
「フリーレン様、如何でしょうか」
「……如何っ……て……」
狼狽えるフリーレンに、アリウムは姿勢を変えずに、膝をついたまま見上げて問い掛けた。
「ハイター様は、女神様の魔法を使う様子を見せれば、フリーレン様が止まると、そう言っていました。
……少なくとも、私がハイター様と知り合いなのは、ご理解頂けましたか……?」
フリーレンはその言葉に面食らい、戸惑う。
自分から目を離さない魔族を見返して、暫しそのまま頭の中で考えを纏めて……。
「はぁ」
疲れたようにため息を吐くと、突き付けていた杖を下ろした。
「後であの二人には話を聞きに行くから。
……それまでは見逃してあげる。なにかしたら、直ぐに処理するからね」
フリーレンのその言葉に、アリウムは息を吐く。
ニコリと笑みを浮かべて、口を開いた。
「ありがとう、ございます、フリーレン様……」
ぱたん
そしてそのまま、横に揺れてフラリと倒れた。
「えっ」
「あ、安心したら、ち、力が抜けて……」
はらはらと恐怖からくる涙を流しながら、アリウムは呻いた。
体は震えるだけでまともに動く様子はない。
「う、ううぅう……怖かった……うぇえぇ……」
終いには、そのまま泣き出してしまった。
そんな様子をフリーレンは呆然と眺め続け、まだ少しだけ強張っていた体から力を抜いた。
「……本当に、変な魔族」
呆れたように呟かれた言葉と、アリウムの泣き声が、礼拝堂に響いていた。
「ああ、やっぱりあの時逃した魔族だったんだ。生きてたんだね」
「はい、ヒンメル様は旅を終えた後も逃した可能性のある魔族を皆覚え、気にし続けていたようです」
「ヒンメルはマメだねぇ……」
「……まぁ、私も正直怖いとは思いましたが」
「そうだ、聞いて良い?
さっきの子がアンタの子供で、人間なのは良いよ。
もし魔族が産まれてたらどうするつもりだったの?
なんていうか考えが甘いんじゃない?犠牲が出てからじゃ遅いんだよ」
「…………フリーレン様。貴女、人の心あります?」
「人の心がないのはアンタ達魔族のほうだよ」
「貴女に言われたらおしまいですね」
「それはそうと、誰とキスして子供作ったの?」
「……は?」
「いや、好きな人とキスしたらコウノトリが赤ちゃん運んでくるんでしょ?
私知ってるんだから。だから相手は誰なのかなって」
「……本気ですか?フリーレン様……?
えーっと……あのですね……お耳をお貸しください」
「……懐かしいね」
「そうですね」
過去を思い出しながら、二人は見つめあう。
互いになんとも言えない感情を抱えながら。
「……別にアリウムの事は嫌いじゃないんだけどね。
良い子なのはわかるし、話をしてて楽しいとも思うよ」
そこまで言って、フリーレンは一度言葉を止めた。
そして、皮肉げに口の端を吊り上げながら、言葉を続ける。
「けど、人の心を持った魔族が生きてる事、それに嫌悪してるよ。ずっと、ずっとね」
その言葉にアリウムは深く頷いた。
「私のような魔族が生きてる事、それ自体が例外の証明、例外が他に起きるかもしれないという可能性の証。
私の存在が周知されれば、魔族の被害者は間違いなく増える。
……貴女からすれば面白くないでしょうね」
「……そうだね」
「まあ、私もフリーレン様の事が嫌いでしたから、お互い様ですよ」
にこやかに告げられる言葉。
フリーレンはその言葉に戸惑う事なく頷いた。
「私が、人を知ろうとしてなかったから、ね」
アリウムも頷くと、フリーレンに背を向けた。
「ええ。私が欲した物を持ってて、その気になればいつでも手に入ったのに……。
忠告もしたのに、結局貴女が気付いたのは失ってから」
「……うん」
「そんな貴女が、羨ましくて、もどかしくて、妬ましくて……大嫌いでしたよ。デリカシーもないし」
懺悔するように告げられる言葉を、女神像が静かに受け止めていた。
フリーレンは、困ったように微笑を浮かべる。
「だからこそ今、もう一度、ヒンメルに会おうと思ったんだよ。
……一緒に、会いに行こう、アリウム」
フリーレンは、真剣な表情でそのアリウムの背中をじっと見つめていた。
懺悔するように、アリウムの向こうで佇む女神像へ、思いの丈を吐き出しながら。
フリーレンが去った礼拝堂。
アリウムは未だにそこで祈りを捧げていた。
「……アリウム先生?」
「モーナ」
「まだ寝ないんですか?」
「ええ……考え事を、してましてね」
「……この孤児院の事なら、私に任せて下さい」
「……!けど」
「もう、いいんじゃないですか……?」
「……モーナ」
「アリウム先生は、今まで頑張ってきました。
この辺りで一度……自分の為に数年程度、好きに使っても良いと、私は思います」
「……そう、ですかね」
「そうですよ」
そう言って少女だった女性は、微笑みを浮かべ、敬愛する先生の背中を押す。
寂しくない訳ではない、できればずっとそのまま共にいて欲しい。
けれど……。
孤児として拾われ、ずっと世話をして貰った。
沢山の子供達と共に、自身もまた健やかに過ごした日々。
間違いなく、自分にとって幸せな思い出のひとつだ。
だからこそ、アリウムがずっと縛り付けられている事を、良い事だとは思えなかった。
故に彼女は背中を押す。
アリウムが、自分の人生を悔いなく送れるように……。
やがてモーナも去った礼拝堂で。
誰もいない礼拝堂で、アリウムは一人静かに佇んでいた。
小さく頷き、胸の中で答えを決めたアリウムは、最後に女神へと祈りを捧げていた。