青空を航行中、ついに目標のものが見える。領域の外殻のような黒い球体だ。
「なんかあの呪霊が出す空間の外側にそっくりだね。ねえ、実は浩介が対処出来たりしない?」
「無理だな。アレからは呪術的要素は感じない。寧ろ領域展開なら侵入のことなんか考える必要もない」
「それはどうして?」
「領域展開は閉じ込めることに特化してるから外側は脆いのよ。まあ、侵入したら必中効果の対象になるからメリットにならんけど」
先生は以前、野鎌の領域展開に巻き込まれている。必中効果は俺が中和したが今思うと危なかった。例えシッテムの箱だろうと先生が必中効果の対象になるのは避けられない。
ついでに領域展開の説明も軽くしておく。先生は恐らく俺の次に出くわす可能性が高い。生徒が危機に巻き込まれれば進んで助けに行く人だ。どうせ入っていく。
「演算処理問題ありません」
「このまま突入可能」
そもそも今回の黒いバリアはどうも複雑らしい。力で作った膜というより精密機器のようなものだ。なんでも多次元解釈というものらしい。正直に言うと特定の周波数じゃないと干渉出来ないよ、ぐらいの認識でしかないが。
「よし……いいちょ……うし……」
先生は謎のダメージを今も受けている。それに耐えきれなくなったのか眠りについてしまう。先生の肩に手を置き、反転術式を流し込む。
「頼むぞ、先生。もう少し頑張ってくれ」
反転術式による治療が有効かはわからない。だが先生の事情などお構いなしに船は敵地に近づいていく。後十数分もすれば相手の多次元解釈に合わせたこの船が突撃する。その直前に起こすしかないだろう。
「多次元解釈システムにエラー発生!」
だが、その束の間の休息すら先生には許されないらしい。それにエラーが発生したのはよりにもよってキモである多次元解釈システムらしい。
「ウトナピシュティムの状態が……箱舟と一致しません!」
その報せは現場を騒がしくするに十分だった。このままだと侵入出来ない。つまり戦うことすらできないということ。
現場はウトナピシュティムの演算にミスがあったのかと大慌てで確認している。その表情は絶望に染まっていた。
『これは……箱舟の方が変わっている』
「そ、そんな……あり得ません。私達の攻撃を避けるためにこんなあっさりと変えられるというのですか!?」
最初に気づいたのはドローンで参加している調月会長だった。恐らく調月会長が言った事を誰よりも理解したのは明星さんだろう。見るからに青ざめている。
そもそもこの攻撃もかなり準備をしてきた。それこそ相手の多次元解釈に対して合わせるのさえとんでもない労苦を強いたはずだ。それをこんな土壇場で変えられるなど溜まったものではない。
『減速してちょうだい!あのバリアと連動していない状態でぶつかれば私たちは未知の次元に取り込まれるか粉々になるかの二択よ!』
悪い報せというものは立て続けに来るらしい。そもそもこのままぶつかればまず死ぬ、と来たか。
減速など間に合わないだろう。奥空さんはその事を報告しており、他のパイロットは何か手はないか頭を回す。しかし時間が足りない。
「俺をブリッジに!俺の領域にこの船を巻き込む!後は俺が領域の座標をずらす!ずらした後のことは任せてもいいか!?」
ひとまず助かる為に使える手を尽くすしかない。俺の領域に巻き込んでしまえば、現実とは多少違う亜空間だ。船が減速する時間は稼げる。それに加えて領域の外殻そのものを移動させれば衝突を避けられるはずだ。
「なんでもいいから早く!!」
「とはいえ凌いだところで……これは……」
この状況で俺の言った事を深掘りする余裕などない。策が出来たならそれを実行するしかないのだ。
しかし、これだと根本的な解決にはならない。相手は簡単に弄れるというのにこちらは一つ作るだけでも大きな苦労。勝ち目などない。
『根本的な解決方法は……あるわ。でも……』
ここにきて調月会長は何か気づいたらしい。しかし、その様子はなんだかぎこちない。ドローンだけだというのに通信越しの彼女が苦悩に満ちているのがわかる。
「……!まさか……同じ箱舟であるアリスを?あなた……!」
『残された可能性は……それだけよ……』
……そうか。相手はアトラハシースの箱舟。なら同じアトラハシースの箱舟であれば対処は可能ということか。
「……時間がない。まずは俺の策で時間を稼──」
「待ってください!浩介!」
しかし何やら不穏な雰囲気を感じる。この刹那のやり取りでは致命的な間を産むであろうほど険悪だ。結果的にその手を使うとしても一悶着で時間を使うだけだろう。
だからこそまずは俺の策を遂行しようとしたのだが止められてしまう。それもよりにもよって渦中の人物に、だ。
「アリスとケイに……やらせてください。リオ会長、ヒマリ先輩」
覚悟は既に完了しているのか真っ直ぐな目で二人の先輩を見つめる。もうテコでも動きそうにない。
「アリスちゃん……」
「だ、大丈夫なの!?あの力を使っても……」
「今のケイちゃんなら……大丈夫……なんだよね?」
懸念されていたのはアレを起動して暴走するかどうか。現状はケイさんが味方になっているのでそれについては問題ない。理屈上では。
ただ、問題なのは気持ち。大丈夫なはずだと楽観視するには重すぎるし、前回の被害を考えると怖くなるのは当然だ。人は一度深く恐怖を刻まれれば簡単には拭えない。
「先生。先生はアリスがなりたい存在になればいいと言ってくれました」
「アリスは"名もなき神々の王女"で、"ゲーム開発部"のメンバーで、"ミレニアムの生徒"で、"シャーレの生徒"です。アリスは……魔王で勇者です」
「……アリスの中にあるこの力で皆んなを守れるのなら、世界を救えるのなら力を尽くしたいです」
アリスさんの言葉は全員が息を呑みながら聞いていた。後数分で塵になるかもしれないというのに誰も目を離せずにいる。
「そして今の私は……アリスと同じくこの世界を守りたい。それではダメ……でしょうか。リオ」
すんなりとケイさんに変わり、調月会長のドローンを見つめる。熱のこもった視線はきっと調月会長にも届いている。
調月会長は何を思ったのかドローンから今の自分を投影させる。どこか浮かない顔をしており、不安に押しつぶされそうな顔で2人を見ていた。
『でもそれは……。……っギリ……わかったわ』
「リオ……アリス……」
観念したのか調月会長は2人を送り出す。自分で提案しておいて苦渋の決断を下したかのようだった。明星さんも表情は暗い。
何故?そう思った次の瞬間に調月会長が苦渋の決断を理解することとなった。
──先生に向けられていた力が途端にアリスさんに注がれ始めたのだ。
「……そうかよ」
恐らく調月会長はこれが何なのか知っている。誰よりも名もなき神々の王女のことを知っており、非情な手を使ってでも排除しようとした彼女だからこそわかってしまっている。
でも、今の彼女は心の中ではもうアリスさんを1人のミレニアム生として認めている。それでは可愛い後輩を態々死なせる決断をするのと変わりない。
そして先生はアリスさんに向けられたこの力がアリスさんを害すると知ってか知らずか庇っていたのだ。だからダメージを負っていたようだ。
アリスさんは立ち止まった俺をよそにブリッジへ向かった。彼女の愛銃はキラリと輝き、あの時に感じた力を遺憾なく発揮しようとしていた。
「……ざけんな」
もう既に──、起動している。
プロトコルATRAHASISでしかこの問題を解決できないのはケイさんが誰よりもわかっているはずだ。この2人は初めからそのつもりでここに来ていたのだ。
『王女は鍵を手に入れ、箱舟は用意された』
『名もなき神々の王女、AL-1Sが承認します──ここに、新たな
ケイさんとアリスさんはすぐにブリッジに到達し、俺達は通信越しにそれを見ることしか出来なくなった。もう誰にも止めることは出来ない。
王女の力を受けたレールガンが変形し始める。ただひたすら大きく力強さを強調するかのように大きくなっていく。質量保存の法則など置き去りにしたそれはもう神器と呼ぶに相応しいそれだった。
────光の剣:アトラ・ハシースのスーパーノヴァ。そう名付けられたレールガンは照準を合わせ始める。
『『光─────────よ!!!!!!!』』
光の剣から発射された希望の光は本当に相手の多次元解釈を貫けるか、そんな不安を掻き消すかのように簡単に貫いて見せた。それにより船内に希望が満ち溢れる。
──ただ一方でアリスさんから何か欠落したかのように感じた俺は素直に喜ぶことは出来なかった。
……すまぬ。何がとは言わないが。
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