その女と出会ったのは、俺がガキん頃のことだった。
そん時の俺ぁ、ヤクザの下でデビルハンターとして働くようになって少し経ったころで。たまに悪魔ぶっ殺して金貰って、そっから手数料だの諸々引かれて……最後に残るのは札がせいぜい一枚くらいだったか。笑えるくれえクソ貧乏だったけど、ポチタのおかげで孤独じゃなかった。そんな日々を生きていた時のことだった。
「デンジ、仕事だ」
いつものように、ジジイから仕事を貰う。どうやら近くで悪魔が出たらしい。
俺は搾り取られていく金のことを憂鬱混じりに考えながら支度を済ますと、ポチタを連れて家を出た。
悪魔はあっさり殺してやった。ゴーヤみたいな悪魔だった。
路地裏にいたそいつは俺を一目見るとすぐに襲ってきたが、次の瞬間いきなりなにかを感じ取ったかのように動きを止めた。そしたら子鹿みてえに怯え始めやがったから、その隙にポチタのチェンソーで真っ二つに切り裂いてやった。
死体の前で何を思うこともなく佇んでいた。俺はゴーヤ色の返り血が付いたまま、報告に行こうと死体を持って路地裏の出口に向いた。
……そんな時だった。
「ああ……?」
すると、そこには今さっきまで無かった筈の扉が生じていた。俺の行手を阻むように、堂々と。
綺麗な扉だった。色は俺が前にスーパーで見たココアにそっくりだった──買ったこたぁないけどな──扉は木材で出来ていて、妙に取っ手、所謂ドアノブのほうに目が行く。何の変哲もない筈なのに、俺はそこから目が離せなかった。
扉、それ自体は真っ直ぐに伸びる路地裏の中央で胡座をかいていた。だから行こうと思えば左右にある隙間から抜けられた。だけど、子供ながらの好奇心がノブに手を伸ばさせる。
まず、指先をゆっくりと撫でるように触れさせ、次に握る。最後にじっくりと回す。そうすると……予想以上に大きくガチャリとノブが声を上げる。そこでなぜか急に怖くなって、俺は威嚇する小動物みたいにドアを勢いよく開けた。思わず目も閉じたまま。
「やあデンジ君。はじめまして、だね」
閉じた目の代わりに、鼓膜が眼前に人がいることを認識させた。驚いて目を開けると、そこにいたのは長髪の女。そして周りに広がるのは、いつか見た地獄の景色のような──果てしない闇の空間であった。
「ここは私だけの自由帳でね。好きなように
女は椅子に座っていた。普通の椅子ではなく、小さなソファみたいなもので、ふかふかで柔らかそうだった。横には手を置ける場所がある。その先にコップでも入りそうな穴が空いている。
女は美しかった。さっきのノブみてえに、不思議と目を奪われる──整った顔立ちとさらさらの黒髪。声すら美しかった。
俺はバカだからよく分かんねえけど、間違いなく『美人』に分類されると思う。
「しね……?」
聞き慣れない単語に戸惑っていると、苦笑を浮かべた女が椅子から立ち上がり俺の前まで来る。
そして、後ろのドアをゆっくりと締める。振り向くとドアは消えていた。さらに女は、しゃがんで俺に目線を合わせて話しかけてくる。
「そのままだとただの暴言だよデンジ君。シネマトグラフィーね。まあシネマトグラフィーは……あ、君ぃ映画は観たことあるかい?」
「……ねえけど」
「そう……じゃあ、まあ簡単に言えば
俺の目線と同じ高さで、女が首を傾げる。すると、それに合わせて女が着ていたセーターのような服の中間あたりが少し、揺れる。
揺れた場所は、所謂胸というやつだ。
そしてそれは、デカかった。
「お、おお……」
『分かった』とも、『すげえ』とも取れる返事をする。女は俺の視線に気付いたようだった。
「あはは、デンジ君みたいな子供には少し刺激が強すぎたかな?」
そう微笑まれ、頭を撫でられる。途端に体が熱くなり、女から目を逸らす。急に恥ずかしくなったから、話を逸らすため疑問に思っていたことをぶつけた。
「な、なあおねーさん。何で俺の名前知って……それにここ、どこだ……?」
「んー? あ、ええとね。うーん……えっとね……
あー何か下手に言っちゃうと変な影響出そうだしなぁ……あの
「……あ? おねーさんずっと何言ってんだ……??」
女が急にぶつぶつと独り言を呟き始めたので、戸惑って声を掛けるとフッと正気に戻る。なんなんだろう。
「え? ああごめんごめん、ちょっと考え事。まあ簡単だよ。私が君の──ファンだからさ。そしてここはね──」
そう言うと女、もといおねーさんはさっきまで自分が座っていた方に向き直ると、両手でカメラのポーズを取り、画角を調整するみたいに少し動いた。そして、徐に呟く。
「『よーい、アクション』」
瞬間、果てしなく広がっていた暗闇が圧縮される。おねーさんが座っていた椅子から何かが広がり、さっきとは全く違う空間に切り替わる。
「あ、おお……すげえ……」
「……お?」
背後から光を感じ振り向く。そこにはデカい紙みたいなのがあって、椅子の向こうから射される光に照らされていた。
反射した光が、俺の体も淡く輝かせる。
「――映画館。ようこそ、私だけの
どこからか入ってきた風に吹かれ、俺はおねーさんを直視する。
おねーさんも、俺の視線に応えるように見つめ返す。
動けなかった。それくらい、見惚れていた。
数秒、見つめ合う。沈黙が今は不思議と心地よかった。
息が、詰まる。
そして、この瞬間、この舞台に──
俺はおねーさんに、映画に一目惚れした。
「──さて、デンジ君。どんな映画が観たい?」
真ん中あたりの席に二人並んで座る。すぐに隣にいるおねーさんから質問を投げかけられる。こちらを覗き込むおねーさんからは、いろんな匂いがした。さまざまな花が咲き誇っている花畑に大の字で倒れた時に匂えるかもしれねえ──そんな、甘さと上品さを併せ持つ香りだった。
「いいにおい……」
「ん? ああこれ? マリリン*1と同じのを吹きかけたんだ。いい匂いだろう? CHANELのN°5 *2だ、いつか君も女の子とデートする時は使ってみるといい。──少し、甘すぎるかもしれないけどね」
「おお……」
「……で、何が観たいんだい?」
「うー、あー……映画とか一個も観たことないしわかんねえ……そもそも映画って何なんだ?」
俺が住んでいる街にも、一応映画館やレンタルビデオ屋やらはある。
だけど、毎日の生活に必死で何か観ようなんて思えなかったし、そもそもそこで金を使うなら食費に充てがったほうがうんといいだろう。
そんな俺の考えはつゆ知らず、返事を聞いたおねーさんは厳しそうに顔を歪めて唸りだす。
「えらく難しい質問をぶつけてくれやがるね……『映画とは何か』か……うーん、明確な定義は無いと思っているよ。誰がどのように答えても正解なんだ。
例えば、いま私たちが映画館の中に座っているこの様相を、俯瞰的なショットとして撮影する。次にそれをデータに落とし込むなりフイルムに焼いたりする。最後に映写機にぶち込んでスクリーンで上映すれば、それはもう立派な短編映画さ。
他にも、清掃員のただの日常を映していくだけの映画*3もあるし、もっと言えば清掃員のやつは結構日常の中にも動きがあったりするんだけど、本当にただひたすら主婦がご飯作ったり洗濯したり編み物したり……ってのを3時間ただ映すだけって映画*4もある。
まああれもラストカットの爆発が凄まじいんだけどね。退屈、そして緩急──最も静かなアクション映画さ……。
ま、そう言う感じで、映画ってのはそんな、曖昧で無限に等しい、至極果てしない世界なんだ。
──だからこそ、人はその答えのない世界に飛び込んでいきたくなる」
「おお、そうなんか……なん、なんかすげえな」
急に畳み掛けられすぎて脳の理解が追いつかなかった。そんな俺をおねーさんは微笑ましそうに見つめてくる。なんか恥ずかしい。
「あんまよく分かってなさそうだね。まあ百聞は一見にしかず。君に人生初の映画体験をさせてあげよう! ……と言っても、まず何を観せてあげればいいかな。まあ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とか『スパイダーマン』とか、分かりやすくてメジャーな作品でもいいんだけど、貴重な初体験は今のデンジ君にマッチする名作で脳を焼きたいよね。その方が記憶に残りやすそうだし……」
また、おねーさんがぶつぶつと独りごち始める。脳を焼くとか恐ろしいワードも聞こえてきて萎縮していると、唐突におねーさんが聞いてくる。
「あ、そうだ。デンジ君ってお父さんとかお母さんいる? あんまり長い時間外に出てたら心配されない?」
急な問いかけ。少し遅れて、記憶が流れてくる。それは思い出したくない記憶。隠したかった記憶。
でも、目の前のおねーさんになら、不思議と話せる気がした。
一拍置いて、口を開く。
「……あー……まあ、母ちゃんは病気で死んで……父ちゃんは自殺した。だから親いねえんだ、俺。……でも今はポチタいるし、それで充分だ。……あ、ポチタってのは俺が飼ってる、その……」
「うん、大丈夫。知って……いや、うそ、やっぱ知らない。……あー、ごめんね? 辛いこと言わせちゃって」
一瞬、気になることを言った気がするがすぐに忘れる。そんなことより、おねーさんに気を遣わせてしまったことの方が問題だ。
罪悪感を抱かせたくなかったから、すぐに言葉を紡ぐ。
「いいよ、別に……。逆に、あの二人が死んでなかったらきっと今の生活は無かった。そしたらポチタとも出会えてねえ。……だったら、今の方がマシだよ」
「ふーん、そっかそっか……そうですか……」
おねーさんは俺の言葉に頷くと、また思考の海に潜っていく。けっこー重い話だと自覚していたが、おねーさんは俺の話を聞いても特に顔色を変えなかった。割と拍子抜けしたが、そういう映画をたくさん観ているから重い話には慣れているのだろうと思うことにした。
それから何秒か沈黙が流れる。すると、突然名案が思いついたとでも言うかのようにおねーさんが声を上げた。
「よし! じゃあデンジ君には家系映画で映画童貞を卒業してもらおう!」
「家系……? ……どーてー!?」
いきなりのパワーワードに度肝を抜かれる。家系とやらは分かんないが、どーてーは分かる。こないだ悪魔ぶっ殺した帰り、河川敷に落ちてた本を拾ったら書いてあった。女の人とエッチなことをしたことがない奴はそう言われてバカにされるらしい。
本には他にも女の人の裸が載ってたりして、体がなぜか熱くなったのを覚えてる。
その時は持って帰ろうとも思ったが、なんか怖くて置いていってしまった。そのあとやっぱり思い直して取りに戻るともう無くなっていて激しく後悔したのも覚えている。
映画のどーてーって言うのはよく分かんないが、つまりはエッチなことをしてくれると言うことなのだろうか?
期待感と緊張で、噛み噛みになりながらも必死に言葉を捻り出す。
「お、おおねーさんっ、どど、どーてーを卒業ってことは……せ、セッ――」
「ああごめんごめん。もうそう言う知識あったんだね。ただの言葉の綾だから気にしないで。それに私ショタ趣味は無いからさ、ごめんね?」
そんな俺の一抹の欲望は即座に否定され、すぐに気まずい空気が流れる。
「あ、そっ、そうか……なんかわりい勘違いしちゃって……」
そんな俺の言葉を無視して、おねーさんは話題を続ける。
「ま、家系も色々あるんだけど……」
「無視かよ……」
「『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』とかも良いし、王道は『ワイスピ』だけど、まあうん、無いな。デンジ君くらいの年だったら『オトナ帝国』*5でも良さそうだし、『リトル・ミス・サンシャイン』なんかもう最高だが、ここは──うん、あれで良いかな!」
そう言うと、おねーさんは指を鳴らす。するとどこからともなくサイレン? のような大きな音が館内に響く。
その音を聞いたおねーさんはなぜか口元を緩める。理由を聞こうと口を開きかけたところを指で抑えられる。
「しーー…………」
「あ…………」
また、下半身が熱くなった。だが今度は場内が暗くなったことでその気持ちも闇に呑まれていく。
どんな映画なんだろう──そう思いながら、俺の意識は映画の世界に吸い込まれていった。
「…………」
「……うん、やっぱりイーストウッド*6は良いね」
「…………」
「デンジ君はどうだったかな? ……あれ、デンジく──んっ!? わっすごい泣いてるじゃないかッ!!」
「……おお、えっ? なんで俺こんなに泣いて……っ」
「ややや ケッタイな! 大丈夫かい!? えーとティッシュティッシュ……はいこれ!」
映画が終わり天井の明かりが薄く照らされる。
瞳に違和感を感じた。指で触れて確認する。涙だった。つまり俺は、泣いていた。しかも抑えようと思っても止まらねえ。そんな俺の様子をおねーさんは慌てて見る。ちょっと可愛いなと思ってその姿を見ていると、おねーさんはどこからともなくティッシュを取り出して、俺にくれた。
「あ、ありがど…………ぷは」
少し経つと、落ち着いてくる。それと同時におねーさんがニヤニヤと嬉しそうに話しかけてくる。
「いやー良かったよ無事に刺さってくれて! どうだった? 『パーフェクト・ワールド』*7は?」
「あー……なんかさ、うまく言えねえけど──良かった」
『良かった』なんて、ありきたりなことしか言えないけど、とにかく良かった。そう言うと段々映画の内容を思い出してきて、また泣きそうになる。
隣を見ると、おねーさんは俺の言葉に何か感じているようだ。
「うん、うん……『良かった』か……最高だ。それは映画の初期衝動で、誰かを動かす理由でもある」
おねーさんは俺の言葉を噛み締めていた。『誰かを動かす理由』──そんな言葉にどうも惹かれる。そしておねーさんは気を取り直したようにまくし立てる。
「いやー、『パーフェクト・ワールド』はほんとに名作だね。母子家庭の少年とひょんなことから出会った主人公の脱獄犯。誘拐のような形で行動を共にすることになって、少年は最初は怯えていたが、脱獄犯と接して、過去を知っていくうちに彼を父親のように見ていく……と、ストックホルム症候群を追体験できるような内容で、最初は悪人だと思ってた脱獄犯が……確かに悪人ではあるんだが少年に対する態度や明かされるバックボーンから、私含めた観客は二人に感情移入していくんだよね。
だが状況は変化していく。警察は遂に主人公を追い詰めた。観客はハッピーエンドを望むが……そして、最後は……んー、辛い。辛いんだけど、でも救いの余地はあって……素直に感動できる名作だよね。
やっぱ大巨匠の作品は安定だよ。それこそイーストウッドは尚更だ。君もそう思うだろう?」
「……たぶん」
「たぶんじゃ分からないよ~。一体この映画のどこが君に涙を流させたんだい? 具体的に教えてほしいな」
「別に、そこまで言わなくても……」
「そこまで言ってほしいんだよ」
突然、おねーさんはこちらに身を乗り出す。俺を覗き込んでいる目を見る。目がぐるぐるしている。なんか、頭がふわふわしてきた。
「……私はね。ただ感動しただけで終わってほしくないんだ。経験は人を強くする。
それには無論、芸術鑑賞も含まれている。たかが何かを観ただけで経験にはならないだろうと言う人もいるかもしれない。だがそんなものは
観客はその生き様を見て、憧れ、拒絶し、自分の人生に組み込む。それによって行動や考え方が変わっていく。これを経験と言わず何という?
──そしてここからが本題だ。
最近の若者はね、映画を『消費』としてしか扱っていない節がある。ただ話題を合わせるために、なんとなく観て、なんとなく話題作りに使う。それで終わり。数日経てば内容なんかすっかり覚えちゃいない。
ここのクロス・カッティングがイカしてたとか、ここの劇伴がシーンを際立たせてたとか、ここの芝居が凄かったとか! 私がふだん映画を観て浮かばす感想たちも、彼らにとっては無いに等しいッ!
私からするとなァ! 映画をないがしろにされるのは自分の子どもをないがしろにされるに等しいんだよ! それになんだ最近はッ! ファスト映画? 倍速再生?? はァ? ふざけてんのかァッ!?
……ああ悪い悪い、溢れてしまった。つまりね、映画を観た後にそれをどう自分に組み込むか考えていない人が多すぎる!
何故感動し、拒絶し、羨望したか。それらを明確に言語化し、人生の糧にする。そして自分で何かを生み出す為のインプットにする! もしくは自分だけの映画史を形作る!! それこそが映画体験なんだッ! だからねデンジ君! 今から君にっ、その感情を私に説明してほしい!」
「え? あ、う、うん……え、はぁ?」
ダメだ。おねーさんの言葉が、頭に入ってこない。情報量でパンクしそうだ。説明なんて言われても──
そんな俺の思考を読んだのか、おねーさんはさっきとは打って変わって静かに語りかけてくる。
「簡単さデンジ君。その感情の答えは、ついさっき君自身が提示している」
「さっき……?」
分かんねえ。記憶を探っていると、おねーさんが指を鳴らす。すると、スクリーンに投影されたのは──
『あ、そうだ。デンジ君ってお父さんとかお母さんいる? あんまり長い時間外に出てたら心配されない?』
『あー……母ちゃんは病気で死んで……父ちゃんは、自殺した。今はポチタと暮らしてる。あ、ポチタってのは俺が飼ってる、その……』
『うん、大丈夫。知って……いや、うそ、やっぱ知らない。……あー、ごめんね、辛いこと言わせちゃって』
『いいよ別に……。逆に、あいつらが死んでなかったら今の生活は無かっただろうし、そしたらポチタとも出会えてなかった。……だったら、今の方がマシだ』
「これって……」
「さっきの、厳密に言えば二時間ほど前の私たちかな」
「──さて、これで分かってほしいんだけどね」
これで……? なんだ? 母ちゃん……ポチタ……?
──父ちゃん?
「……あっ」
大体の感想はおねーさんに言われてしまった。観たままの、誰でも言える感想。碌に学がない俺でも感動できる映画だったのは確かだ。
けど、この映画のあの子にあって俺には無いもの、それは──
「家族……そっか俺、家族が羨ましいんか」
「そう!! 君は映画に映し出された家族の姿、そして優しい『父親』の姿に憧れ、羨ましいと思ったんだ! ……んまあ優しい父親と堂々と言えるかは分からないが……ともかく、それが君の涙の理由さ」
「……おねーさん。俺さ、ポチタがいれば、ポチタさえ幸せだったら充分だと思ってた。そりゃ、人並みの生活をしてえって思うこともある。けど俺にとってポチタは全て──絶対なんだ。
だから、俺の人生よりも優先してて……ポチタの為に生きてるって言える……かもしれない。でも、俺……あんな父親が、欲しかったんかなぁ……」
「それは私が答えてあげることじゃあないかな。でも……君のその感想は、間違いなく正しい。だからこそ、真実を知ったらどういう顔をするのだろうか……」
「え?」
「んいや、なんでもないさ」
「それより、君の一番好きなシーンを教えてほしいな?」
「あー、ええっと……」
それから幾ばくか経って、会話も一段落する。
ふと、おねーさんは最初のときみたいにカメラのポーズを取った。次にどこからか取り出したのは黒白の板。それを右手に持ち、一瞬こちらを見てしたり顔で笑う。思わず見惚れ、おねーさんの挙動を追う。
そして、板を動かす。鳴らされた音。鋭く軽快なその音色は、空間に乱入し鼓膜に振動を伝わせる。表すならば、文字通り『カチン』という音だった。
「『カット』」
おねーさんの言葉に合わせて、景色が急速に最初の闇に戻り始める。
それを呆然と見尽くすと、最後に残ったのは二席のソファ。座っているのは俺とおねーさんのみ。最初からだが。
一連の行為が終わって、おねーさんが椅子から立ち上がる。俺も遅れて追従すると、一息吐く。そして、おねーさんが言う。
「……じゃ、そろそろ行くかい? デンジ君」
「行くって……どこに?」
「そりゃあ君の家だよ、まあ厳密に言うと君が元いた場所かな」
「……ええ〜〜!?」
そうだ、映画とおねーさんに夢中で忘れてたけど俺ここに路地裏から入ってきて、おねーさんとも初対面だったんだ。妙な安心感でほぼ家だと思ってた。
「帰りたくないのかい?」
「いや……そんなわけじゃねえけど……でも、もっと面白い映画が観てえ! なあおねーさん、映画って他にもたくさんあんだろ!? 俺、さっきの映画を観て思ったんだ! もっと映画を体験してえ! 人生を見てえって! だからおねーさん! もっと映画を観せてくれよ!!」
「……ふふ」
そんな俺の必死の懇願に、『思わず』とも『やはり』とも取れる笑みを溢す。頼んでるのに笑われたのが何でか分からなくて、少し苛立って聞いてしまう。
「……あ? なんで笑ってんだ?」
「いやいや、大したことじゃないさ。映画沼に沈める瞬間と言うのはやはり何度見ても最高でね。まあまあ、いい兆候じゃないか。
──でもね、映画館ってのはたまに行くから特別感が出るんだ。私みたいに
いろいろと、変なことを言われる。理解はできていない。でも、今はもうここにいれないってことだけは分かった。……まだ、いたかった。藁にもすがるような思いで聞く。
「またって……どうやって来ればいんだ? ずっとここに扉を置いてるのか?」
「いや? そう言うわけじゃないよ。
──でも、君がまた来たいと思えば、私はいつでも、どこにでもこの扉を置いて待っているよ。そうだね、次はポップコーンとコーラを用意しよう。今回は忘れていたからね。それにデンジ君、ポチタ君のことも忘れているだろう?」
「……あっ!! ポチタッ!! ポチタは!?」
しまった、と思った。自分に夢中でポチタを忘れてた。バッと辺りを目まぐるしく見渡すが、ポチタの姿は見当たらない。どこに行ってしまったのか、急に不安で仕方なくなる。が、すぐにおねーさんは優しく語りかけてくれた。
「大丈夫。このシアターはペット連れ込み禁止なんだ。シアター内では君の体内に収納されるようになっている」
「何でそんなことが……?」
「そりゃあもうお茶の子さいさいだよ。だって私は――」
そこまで言うと、後ろではさっきのドアが俺の帰りを待っていたかのように開いていた。
おねーさんは俺をドアの近くまで連れて行くと、そっと背中を押した。一瞬だけど、おねーさんの手のひらが暖かかった。
……出たくなかった。でも、謎の力で俺の体は動いていく。
そして、元の路地裏に出た俺は、遠くなっていくおねーさんの顔を何も言えずに見つめていた。
「――私は、悪魔だから」
そう言っておねーさんは微笑む。その姿を最後に、ドアは閉じられ、刹那のまばたきの後、最初から無かったみたいにドアも消え去っていた。
何分か、俺はその場に立ち尽くしていた。またドアが現れてくれないかと期待していたからだ。でも、待っても待っても望んだものは現れなかった。諦めて、路地裏から出る。ヤクザの場所へと向かう。
空を見る。来た時と同じように、少し薄暗い。ここに来たのは早朝だったが、時間はほぼ経っていないようだ。やっぱり不思議な空間だった。
「ワフ」
突然、聞き慣れた声が聞こえてくる。振り向くと、後ろからポチタが俺に走り寄ってくる。俺の足に頬を擦り合わせている。
数時間ぶりのポチタとの再会。両手で持ち上げる。ポチタは不思議そうにこちらを見ている。
最初の一言。とりあえず、まずは謝った。
「悪ぃな、ポチタ……お前のこと忘れちゃってて。すっげー美人なおねーさんと出会っちゃってさ。たぶん俺あの人のこと好きになっちゃった。お前も見てたろ?」
「ワン!」
「美人だったろ?」
「ワン! ワン!」
「そうだろぉ〜?? ……次はいつ会えんだろうなぁ」
……でも、なんとなく。
あれはたぶん夢だったんだろうな、と内心では思っていた。
だって俺にあんな美人なファンがいるわけねえし。
まあとりあえず今は、そう結論付けることにした。
その割に、記憶と痕跡は生々しく残っているが。
それを気にせずに歩く。
雑踏。通りに出てもまだ人は少ない。
歩く。ひたすらに歩く。
ふと、俺はおねーさんの最後の言葉を思い出していた。
――『私は、悪魔だから』
悪魔。そう形容するには、その悪魔は美しすぎた。
「……あ、名前……」
小ネタ解説
『家系映画』:映画評論家てらさわホーク氏が生み出した言葉。主に『過剰に「家族」が押し出されている』映画に用いられる。
例:『ワイルド・スピード』シリーズ 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ等。
今作では蔑称としては扱っていない。
「ややや ケッタイな!」:伝説の翻訳家 戸田奈津子氏が『ゴースト・バスターズ』で生み出した伝説の翻訳。