深緑の魔女   作:紅椿_

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のんびりゆったり投稿してきます。


カトレア・エバンズと魔眼の傍観者
第1話:夢


 スゥと水に溶ける様に沈んでいく。

 深く、深く、深く…

 

 

 墨が水に垂らされた様に辺りに漂い、何かを形作る様に蠢く。

 墨はいつしか色を付け、閑散とした村を作り出した。

 

 

 ふと、凍えてしまうそうな程の静寂に包まれた村に一人の女が現れた。

 闇に紛れる真っ黒なローブのフードを目深に被った女は、一つの家を見ると覚束ない足取りでふらふらと近寄っていく。

 その家は、もう十月の末であるというのに玄関の扉が大きく開かれていた。

 その奥には倒れ伏した男の手が覗いている。

 ハロウィーンの夜だというのに飾り一つ付けられていない庭を通過し、開け放たれた扉をくぐる。

 玄関に飾られた写真の中で、純白のウェディングドレスを着た女性とタキシードを着た男性が幸せそうにクスクスと笑い、また違う写真の中ではローブを着た青年四人がフォトフレームの中で笑って卒業証書を掲げる。

 男は玄関ホールで事切れていた。

 突然の事だったのだろう、見開かれたままのハシバミ色の瞳には焦りがありありと浮かんでいた。

 ぽたりぽたりとフードに隠れた女の深緑の瞳から雫が零れ落ち、引き攣った嗚咽が漏れる。

 女は涙を流しながら倒れている男の傍にしゃがみ込んだ。

 まだ温度の残る男の手を握り、開かれたままの瞼をそっと閉じる。

 頬を伝った雫がぽたりと男の頬に落ちた。

 女は男の濡れた頬を一つ撫でると再び立ち上がり、壁に手をついて支えながら階段を上っていく。

 いつも彼女たちがくつろいでいた部屋に向かえば、せめてもの抵抗でバリケードを築いた跡がある。

 無残にも打ち崩されたバリケードを超えると、ベビーベッドを守るように倒れた身体が見えた。

 豊かな赤毛が床に広がり、女とよく似たアーモンドの様な緑の瞳が虚ろに淀んでいる。

 女は深くかぶっていた邪魔なフードを脱ぎ、愛する妹の身体を搔き抱く。

 女のプラチナブロンドの髪と妹の赤毛が入り混じる。

 女は吠える様に泣いた。

 呼応する様に、ベビーベッドの上で生き残った赤子が泣いている。

 額に刻まれた稲妻の傷は、闇の帝王を滅ぼした証だ。

 今後『生き残った男の子』と崇められるようになる、呪いである。

 

 

 光景は墨が水に溶ける様に霧散し、再び別の光景を形作る。

 

 

 次の光景は幾万もの予言が詰め込まれた水晶玉が収められた棚が青白く光る蝋燭で照らされた空間だった。

 美しく歳を取った女は辺りを注意深く警戒しながら棚の間を歩き、“ある物”を探していた。

 幾つもの予言が壊された場所に眉をしかめながらも、近くに目当ての物が無いことを知って安堵の息を漏らす。

 暫く歩いた女は、一つの水晶玉の前で足を止めた。

 両の掌に収まる程の大きさの水晶の台座には『??? to (?)C.E C.E and The Destiny』と書かれたタグが付けられている。

 女は水晶玉にそっと手を伸ばす。

 しかし、水晶玉はバチンッと音を立てて女の手を弾いた。

 女の視線が信じられないとばかりに自らの手と予言の水晶玉を何度も往復する。

 この神秘部に収められている予言は他者を拒みこそすれど、予言に関わる者はその限りではない。

 それなのに、たった今、予言の当事者であるはずの女は水晶玉に拒まれた。

 ありえないと思うと同時に、何処かでこの事態に納得している自分もいる。

 自分は予言の当事者ではない事を何処かで理解していたはずなのだから。

 ダンブルドアからの指令は予言の回収だったが、出来ないのなら仕方がない。

 女は仲間が戦っているであろう死の間へと飛んだ。

 

 

 光景はまた変わる。

 形作られた光景は今までとは比べ物にならない程壮大で、激しい物だった。

 雄大なホグワーツ城に、光と闇に分裂して戦う魔法使いたち。

 誰かの放った魔法で城が崩れ、魔法動物が襲い掛かり、赤や緑の閃光が迸る。

 砂塵が舞い、悲鳴が上がり、人が倒れる。

 女も懸命に戦っていた。

 生徒を狙った死喰い人を失神させ、仲間に襲い掛かろうとした魔法動物を吹き飛ばし、傷ついた仲間を癒す。

 それでも、一人の人間が出来る事には限りがある。

 ついさっき友人が息を引き取った。

 同室だった子が死の呪文に貫かれるのを見た。

 多くの人間が死んだ。

 仲間も、敵も、友も、生徒も、先生も。

 妹が死んだ。

 義弟が死んだ。

 シリウスが死んだ。

 ダンブルドアが死んだ。

 マッドアイも、セブルスも、リーマスも、トンクスも。

 皆、皆、皆…!!!

 

 女は嘆いた。

 “私”も嘆いた。

 蹲って折れんばかりの力で杖を握り締めた。

 何の為の魔法だ。

 何の為に生きているというのか。

 妹の、友の、仲間の仇は甥っ子が取った。

 闇の帝王は『生き残った男の子』が打ち破ったのだ。

 私は何もしていない。

 “私”には何もできやしなかった。

 

「「嗚呼!!!私は何も出来ない!!この役立たず!!」」

 

 奇しくも女と“私”は全く同じセリフを吐き捨てた。

 “私”は知っていたはずだった。

 妹が死ぬのも、ジェームズが死ぬのも、シリウスが死ぬのも、ダンブルドアもマッドアイもセブルスもリーマスもトンクスも。

 全部知っていたのに、何故この女は知らないのか。

 

「そう、これが予言なのね」

 

 だからこの“私”ではない私は神秘部の予言に触れることが出来なかった。

 あの予言のタグのC.Eは“私”であってこの私ではないのだから。

 

「ありがとう。私は必ず上手くやるわ」

 

 今はただ、貴方(予言)に感謝を。

 

 

 景色が歪んで消えていく。

 水中で発生した泡が浮かんでいくように、昇って、昇って、昇って…

 パチンと割れた。

 

 

 ⚡︎ ⚡︎ ⚡︎

 

 

 ブラインドカーテンの隙間から陽光が漏れ、チュンチュンと鳥の鳴き声が聞こえる。

 枕元に三体のテディベアが置かれたシングルベッドで寝ていた少女が朝の気配に目を覚ました。

 薄く開いた瞳から深緑を覗かせた少女はもぞもぞと蒲団の中から右手を出して目線の先に掲げる。

 透き通るような白色の、白磁の陶器の様な手だ。

 その指の隙間から天井が覗いている。

 

「知らない天井だ」

 

 ぱたりと手を蒲団に落とした少女は呟く。

 分かる人なら分かる、言ってみたいセリフの一つだろう。

 とはいえ、少女がこの天井を本当に知らないわけではない。

 否、知らないが、知ってもいるのだ。

 ベッドから起き上がった少女は部屋を見渡す。

 やはり、知らないけれど、知ってもいる。 

 化粧品やアクセサリーが並んだ鏡台、細やかな模様の彫られたクローゼット、整頓された勉強机、本がぎっしりと並べられている大きな本棚。

 勉強机の上に置かれたカレンダーは9月1日を示し、壁にかけられた時計の針は午前5時を指している。

 べッドの脇には革製の茶色のトランク、窓辺には空の鳥籠が置かれている。

 鏡を見ればかつての自分とはまるで違うカラーリングの美少女が映っていた。

 少女が右手を上げれば鏡の美少女も左手を上げ、少女がにこりと微笑むと鏡の美少女も優しく口角を上げる。

 腰まで届きそうな長さの絹の様なプラチナブロンドの髪、アーモンドの様な深緑の瞳が此方をジッと見詰めている。

 そばかす一つない白色の肌は白磁の陶器のようで、欧州らしい彫りの深さとスッと通った鼻筋、小ぶりな唇は紅花を噛み締めたかのように鮮やかに色付いている。

 声を出せば凛とした涼し気な声が鼓膜を揺らした。

 部屋も、顔も、声も、何一つ知らないはずなのに、確かに少女がカトレア・エバンズとして生きてきた11年間の記憶が脳に刻まれている。

 そしてまた、少女がかつて西園寺椿として生きてきた人生も刻まれていた。

 間違いなく、この世界はかの有名なハリー・ポッターの世界だと断言出来る。

 それも主人公の母親_リリー・エバンズの、本来ならば存在し得ないもう1人の姉となったのだと。

 あの予言は本物だ。

 物語でシビル・トレロー二ーがダンブルドアやハリー・ポッターに向かってしたように、あの夢こそが夢の中で神秘部の水晶の中に収められていた予言なのだろう。

 夢を、思い出す。

 普段であれば記憶に残らないことの方が多い夢が、はっきりと頭の中に残っている。

 あの予言はただのカトレア・エバンズではなく、カトレア・エバンズになった私に当てたものだった。

 カトレア・エバンズは何も成すことが出来なかった。

 優れた頭脳も魔法を使う力も持っていたが、彼女は無力だった。

 妹夫婦を助けられず、友も助けられず、仲間を助けることも出来なかった。

 

 このまま何もせず、何も考えずに生きていけば(予言)の彼女と同じような人生になるのだろう。

 ホグワーツに入学し、才能のままに卒業、闇払いになって、ダンブルドアの駒として働き、、、そして妹を失う。

 妹だけじゃない。

 義弟も、友も、仲間も、あの(予言)と同じように失うのだろう。

 そんなこと、許せるはずがない。

 

 リリー・エバンズに姉は2人もいない。

 ペチュニア・ダーズリーにも姉はいない。

 ハリー・ポッターに伯母は2人もいない。

 この世界(物語)にカトレア・エバンズは存在しない。

 神の気まぐれか、誰かが呼んだのか、私が望んだのか、分かりもしない。

 だが、私にはこの世界(物語)を変えることが出来る。

 全知ではない、この世に絶対はない。

 それでも、私には『ハリー・ポッター』の記憶が、彼女が体験した絶望がある。

 

 ならば、やって見せようじゃないか。

 誰のためでもない、私のエゴのために。

 

「私は、必ず」

 

 貴方に誓うわ、カトレア・エバンズ。

 

 

 ⚡︎ ⚡︎ ⚡︎

 

 

 カトレアはベッドの脇に置かれたトランクを勝手知った様に開け、その中を覗き込む。

 教科書類や衣服類が整頓されて詰め込まれている。

 蓋部分には入学許可証と共に送られてきた必要な物のリストがテープで貼られていた。

 

__________

ホグワーツ魔法魔術学校

 

制服

一年生は次のものが必要です。

一.普段着のローブ 三着(黒)

二.普段着の三角帽(黒) 一個 昼用

三.安全手袋(ドラゴンの革またはそれに類するもの) 一組

四.冬用マント 一着(黒。銀ボタン)

衣類にはすべて名前をつけておくこと。

 

教科書

全生徒は次の本を各一冊準備すること。

『基本呪文集(一学年用)』  ミランダ・ゴズホーク著

『魔法史』          バチルダ・バグショット著

『魔法論』          アドルバート・ワフリング著

『変身術入門』        エメリック・スィッチ著

『薬草ときのこ千種』     フィリダ・スポア著

『魔法薬調合法』       アージニウス・ジガ―著

『幻の動物とその生息地』   ニュート・スキャマンダー著

『闇の力―護身術入門』    クエンティン・トリンブル著

 

その他学用品

杖(一)

大鍋(錫型、標準2型)(一)

ガラス製またはクリスタル製の薬瓶(一組)

望遠鏡(一)

真鍮製秤(一組)

 

ふくろう、または猫、またはヒキガエルを持ってきてもよい。

 

一年生が個人用箒の持参の許されていないことを、保護者はご確認ください。

__________

 

 

 リストを読み、それからトランクの中に詰められていた教科書を一冊取り出してみる。

 真っ赤な表紙に金字で『幻の動物とその生息地』と書かれたソレは、ファンタスティックビーストシリーズの主人公であるニュート・スキャマンダーの著書だ。

 ページを捲らずともカトレアが読み込んだ内容が頭に浮かぶが、それでもページを捲ってしまうのはファンであるが故なのだろう。

 ついじっくりと最後まで読んでしまった教科書を閉じ、トランクに仕舞う。

 ふぅと小さく息を吐いて、手を伸ばすのはトランクの右隅に収められている黒塗りの箱。

 

 カポンと蓋を外せば、純白のクッションの上にシンプルだが美しい彫刻が細やかに掘られた杖が姿を見せる。

 そっと引き抜けば、春一番のような暖かな風が吹いてカトレアの髪を靡かせた。

 カトレアはじっと目を瞑ってその風を感じる。

 

 思い浮かぶのはホグワーツの入学許可証を受け取った日のこと。

 カトレアの元に艶やかな黒髪を引っ詰めた妙年の女性が内側がエメラルドグリーンのマントを翻して訪ねてきた。

 自らをホグワーツの教員でミネルバ・マクゴナガルと名乗った女性はカトレアに「貴方は魔法使いだ」と言い放ち、魔法を証明するかのように幾つかの魔法を披露した。

 そうしてカトレアに手紙を渡し、魔法使いであるカトレアに魔法学校に通って欲しいことを一つ一つ丁寧に説明した。

 カトレアは封筒の外に書かれている『ホグワーツ魔法魔術学校』の文字を確かめた。

 

「行きます」

「え?」

「行きます、ホグワーツへ」

 

 封を開くことなく返事をしたカトレアにマクゴナガルはぽかんと一瞬惚けたあと、すぐさまよろしいとばかりに頷いた。

 マクゴナガルを見つめながらカトレアは美しく微笑んだ。

 カトレアは、己が魔法を使えることを知っていたのだ。

 カトレアが生まれた時からこのエバンズ家には不思議が溢れていた。

 始まりは産声で家中の窓硝子が割れた事だった。

 それからというものの、カトレアが笑えば花が咲き、泣けば窓や皿などが割れた。

 カトレアが不思議な力を持つことを誰よりも喜んだのは父親だった。

 なんでも遠い親戚の赤毛の一族はみな魔法を使うことが出来、幼い頃にこの世の奇跡を目撃したらしい。

 それでも、彼は世の中が異物が排斥されやすいという事をよく知っていた。

 それ故に愛娘にはあまり魔法を使わないようにと言い聞かせ、彼女はそれを素直に受け入れてきた。

 幸か不幸かカトレアが物分りが良く、頭の良い子供であったために妹たちですらもカトレアの魔法を見る機会はそう多くなかった。

 

 そうこうしているうちに家の中から転がるように飛び出てきた父親によってマクゴナガルは家の中に招かれ、再びエバンズ一家の目の前で魔法を披露することになった。

 パチパチパチと盛大な拍手をする両親とリリーの傍で、カトレアはそっと隣のペチュニアの小さな手をギュッと握りしめた。

 ペチュニアはカトレアに手を握られたことすら気付かず、ただジッとマクゴナガルの魔法を食い入るように見ていた。

 誰も彼もが少女のホグワーツ入学に賛成している様子にマクゴナガルは満足気に頷き、2週間後に入学用品の買い物に行くためにもう一度来ることを告げて帰って行った。

 

 その2週間後、マクゴナガルはカトレアを伴ってダイアゴン横丁へ訪れた。

 パブを通り抜け、レンガの壁を杖でコツンコツンと叩けば壁は音を立てて道を作り、石造りの街並みを現す。

 黒色のローブを着て、とんがった三角帽子を被ったThe魔法使いといった風貌の人々が街を行き交っている。

 時々信じられないような色のローブを着た人がいたのもご愛嬌だろう。

 

「まずはマダム・マルキンの洋服店でローブなどを揃えますよ」

 

 颯爽と歩き出したマクゴナガルの後を追いながらカトレアは辺りを見渡す。

 金色の羽を羽ばたかせて飛ぶ球体、ひとりでに演奏する楽器、グツグツと紫色の煙を立てて何かを煎じる大鍋、頭上を飛んでいくフクロウ…

 今まで見てきた世界では信じられないような光景だ。

 

 そうしてカトレアは、マダム・マルキンの洋服店でローブやマントなど、フローリンロッツ書店で教科書類、他にも大鍋や秤、望遠鏡を揃える。

 

「最後は杖です。杖選びは魔法使いにとって重要な儀式だと私は考えています。貴方と、店主のオリバンダーと、杖のみで決められるべきでしょう。私は向いのカフェで紅茶を飲んでいますので終わったら来てください」

 

 そう言って古ぼけた店へとカトレアの背をそっと押した。

 マクゴナガルに見送られて店の扉を開けたカトレアを迎えたのは、奥の方でチリンチリンと鳴るベルの音と狭い店内の壁に天井高くまで積み上げられた何千という箱だった。

 

「こんにちは」

 

 不意に聞こえた声に驚いてカトレアは肩を揺らした。

 しかしそれも一瞬のこと。

 

「ごきげんよう、Mr.オリバンダー。カトレア・エバンズと申します」

 

 そう言って着ていたワンピースの裾をつまんでカーテシーをする。

 

「カトレア・エバンズさん、ホグワーツの新入生ですね」

 

 ちょいと口角を上げたオリバンダー老人は長い巻尺をポケットから取り出して色々な場所を測りながら話し出す。

 

「エバンズさん、オリバンダーの杖は一本一本、強力な魔力をもったものを芯に使っております。ユニコーン(一角獣)のたてがみ、不死鳥の尾羽根、ドラゴンの心臓の琴線。オリバンダーの杖には一つとして同じ杖はありません。一角獣も不死鳥も皆んなそれぞれに違うんです。もちろん、他の魔法使いの杖を使っても、決して自分の杖程の力は出せない訳じゃ」

 

 オリバンダーは、巻尺を回収すると棚の間を飛び廻り、いくつかの杖が入った箱を持ってきた。

 

「ではエバンズさん、これをお試しください。柳の木にドラゴンの心臓の琴線、32cm。しなりがよく、主人に忠実」

 

 渡された杖を持った途端、あっという間にオリバンダーに奪われ、次の杖を渡される。

 

「ハンノキの枝にユニコーンの尾の毛。固く、頑固」

 

 _ここよ_

 

 さあ、と差し出された次の杖に手を伸ばした時、どこからか鈴の音のような声が聞こえ、カトレアは伸ばしていた手をピタリと止めた。

 

「ん?どうか致しましたかな?」

 

 _ここよ、私はここにいるわ_

 

「呼ばれている…?」

「…稀に、杖の声が聞こえる、杖の考えていることがわかる人がいると聞いたことがあります」

 

 オリバンダーは内緒話をするように囁く。

 吐息に乗せるように発された音はすぐに空気に消えていく。

 

 杖は人を選ぶものだ。

 その人自身に一番合った杖を見つけてやるのがオリバンダーたち、杖職人の1番の仕事と言っても過言ではない。

 オリバンダーは、父親である先代の杖職人から聞いたことがあった。

 

「”杖自身が主人を強く望む時、主人となる者がその杖に選ばれるだけの素質を持っていた時、杖と人は心を通わせることがある”」

 

 先代は古い文献で読んだと言っていた。

 この話が本当なのかはオリバンダーには分からない。

 だが、目の前には杖に呼ばれてると言った少女。

 もし本当に呼ばれているのなら、その杖の主人はきっとこの少女になるだろう。

 

「どの杖なのか、お教え頂けますかな?」

 

 _早く、早く私を見つけて_

 

「あちらの棚の1番下、黒塗りの箱です」

 

 カトレアの言った言葉に、オリバンダーはゆっくりとその場所を見る。

 オリバンダーの店に黒塗りの箱というのはひとつしかない。

 何代も前の祖先が作った最高傑作、力が強すぎるが故になかなか主人を見初めず、今まで暗い箱の中で過ごしてきていた。

 カタン、と杖の入った箱を机の上に置いたオリバンダーは慎重に蓋を開け、中の杖を取り出す。

 

「…どうぞ」

 

 シンプルではあるが、美しい彫刻が細かく掘られた杖を手に取ったカトレアは、指先がじんわりと暖かくなるのを確かに感じた。

 杖を振るまでもなく杖先からは金色の光が溢れ、優しく店内を満たしていく。

 

「素晴らしい…!!ニワトコの枝に、不死鳥の尾羽と椿の花。これらがこの杖に使われているのです」

 

 オリバンダーは杖をジッと見、そしてカトレアの深緑の瞳を更に長く見詰めた。

 

「魔法界に伝わる童話”吟遊詩人ビードル”という物語の中にある杖が登場しており、その杖は今や最も偉大な魔法使いが所有しています。この杖は、いわばその伝説の杖の元からなったニワトコの木から作られました」

 

 オリバンダーは杖を一振すると何処からか1冊の本を呼び寄せてカトレアに手渡した。ページがひとりでに捲れ、死神と三人の兄弟が対峙している場面でピタリと止まる。

 

「そして、芯に使われている不死鳥の尾羽と椿の花。たった3枚だけ提供された不死鳥の尾羽と、日本の椿という花が融合する形でひとつの芯として成り立っておるのです。今までにないことを成し遂げたソレは強い力を持つが故になかなか主人を認めず、今まで誰にも買われることがなかったのです」

 

 頑固で強大な力を持つ、しかし1度認めた主人には忠実であり続ける。

 貴方はきっと偉大なことを成し遂げるでしょう、オリバンダーはそう囁いた。

 

 漆黒の杖を再び箱に収めると、カトレアは代金の7ガリオンを支払って店を出た。

 

 

 

 コンコンコンッというノックの音と共に呼ばれた「お姉ちゃん」という声に、ドキンと心臓が飛び跳ねる。

 カトレアはサッと杖を振れば、主人に忠実な杖は望まれるがままにその力を奮う。

 床に散らばった教科書類がトランクの中に飛び込んで行儀よく並び、最後にパタンとトランクの蓋が閉じて鍵まで掛けてみせた。

 

「どうしたの?チュニー」

 

 椿がカトレアとなって初めての家族との顔合わせである。

 姉の意地として決して焦りは見せない。

 焦らず緊張せず、あくまでいつも通りに。

 チョコレートブラウンの扉を開けるとカトレアの愛しい妹の1人であるペチュニアが立っていた。

 

「…お姉ちゃん」

 

 ペチュニアは泣いていた。

 その灰色の瞳はしとどに濡れ、何かを我慢するように色白の手がラベンダー色のパジャマをギュッと力強く握っている。

 

「あぁ、泣かないで、可愛いチュニー。一体どうしたの?」

 

 カトレアはペチュニアを部屋へ招き入れた。

 屈んでペチュニアと目線を合わせると、伸ばしたパジャマの裾で涙を優しく拭う。

 ペチュニアは唇を噛み締めて何も言わずにされるがまま。

 

「怖い夢でも見たの?ほら、お姉ちゃんに言ってご覧なさい」

 

 ペチュニアはパジャマの裾から手を離すと、手を伸ばして今度はカトレアのパジャマをちょこんと摘んだ。

 

「…本当に行っちゃうの?」

 

 はく、と音にならない息が漏れた。

 何処にと言われずとも、わかってしまった。

 カトレアは魔女だ。

 数時間後には家を出てホグワーツに入学する。

 妹を置いて、別の世界に行くのだ。

 

 妹は、普通を愛することになる。

 魔法に憧れ、羨望し、そして自身にないソレを忌避するようになる。

 自身にないモノを持っていた妹を、義弟を、甥を蔑むようになる。

 

「リリーもよ。あの子も魔女だわ」

 

 ペチュニアは姉が魔女だと知ってから図書館に行って調べた。

 本の中の魔女は真っ黒のローブと三角帽子を身につけ、杖を振ったり空を飛んだりする存在だった。

 そして、何よりも目に付いたのは轟々と燃え盛る炎の中で十字架に貼り付けられた魔女の絵だった。

 

「あの子はお姉ちゃんみたいに頭が良くないからすぐに捕まるわ。あの絵みたいに生きたまま燃やされるのよ!」

 

 カトレアはペチュニアを強く抱き締めた。

 

「ごめん、ごめんなさい、チュニー。貴方を置いていくことになってしまって、寂しい思いをさせて、ごめんなさい」

 

 ペチュニアはとうとう声を上げて泣いた。

 ペチュニアは寂しかったのだ。

 明日には大好きな姉が家からいなくなる。

 2年後には妹が。

 自分は1人、この家に取り残されたまま。

 

「必ず手紙を書くわ。休暇にも帰ってくる。貴方を1人になんてしないわ。私も、リリーも。だからどうか泣かないで、チュニー」

 

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