「やあ、カトレア。1人かい?」
図書館で本を物色していたカトレアに声をかけた男がいた。
入学したばかりの頃、ポルターガイストのピーブスの悪戯に巻き込まれた時に手を貸してくれた、ハッフルパフの監督生であるチャールズ・サリヴァンだ。
彼とはあれからすれ違えば挨拶をする仲になり、こうして話しかけてきたり、何か困っていることはないかと心配してくれるようになった。
「こんにちは、チャールズ。貴方も1人なの?」
チャールズが1人だなんて珍しいこともあるものだ、と内心思う。
なんせチャールズは自他共に認める人気者だ。
監督生に選ばれるだけあって成績も優秀。
蜂蜜のように甘い顔立ちは人を惹きつける。
困っていたカトレア達を助けてくれたように他者を思いやることもできる。
ちなみにハッフルパフ生ではあるが、純血であるので純血の生徒たちからも人気がある。
「まさか!みんなで課題をやりに来たけど、僕は早々に終わってね。君の姿が見えたから追いかけてきたんだ」
チャールズは栗色の髪を耳にかけながら肩を竦めて笑った。
きっと彼を誘った彼らか彼女らかは今頃がっかりしているだろう。
折角人気者のチャールズとお近づきになりたくて誘ったのに、まさか早々に席を立って一年生の元に行っているなんて。
カトレアも肩を竦めた。
「私はいつも通り、借りる本を選んでいるだけよ」
そして先程見つけて借りようと思っていた本棚の本に手を伸ばす。
タイトルは『魔法界に存在する精霊』。
ありきたりなタイトルだが内容は期待できるかもしれない。
出版年は比較的最近で、そこそこ多くの本を出している作者だ。
精霊のことはアシェルに聞けば教えてくれるが、カトレアが求めているのは正しいだけの知識ではない。
言ってしまえば、アシェルは精霊について正しい事しか知らない。
世の中に、精霊はどのように伝わっているのか。
その姿を瞳に映すことのない俗人は、どのように精霊を想っているのか。
カトレアはそういったことが知りたいのだ。
「君は本当に本が好きなんだね」
チャールズがカトレアを見下ろして笑う。
11歳の1年生の中でも背の高い分類に入るカトレアであっても、チャールズは最高学年の17歳。
頭二つ分以上高い位置から見下ろされる。
若干影がかかったチャールズの甘い蜂蜜の瞳を見つめる。
日々大勢の人間に囲まれて過ごしている彼は許容範囲が広いのだろうか。
話の最中で本に手を伸ばした人に対してこうも寛容になれるだなんて。
流石は忍耐強く忠実なハッフルパフ生といったところか。
まあ、やった本人のカトレアが言うことではないが。
「知識は世界を広げてくれるもの」
「君はまるでレイブンクロー生のようなことを言うんだな」
「組み分け帽子も迷ったみたいよ」
「ああ、そうか。君は
すっかり忘れていたよ、とチャールズは軽快に笑う。
「東の方の国には“人の噂も七十五日"という諺があるんですって」
以前の母国の諺を、日本語ではなくクイーンズ・イングリッシュで発することのなんと違和感か。
口の中がなんだかムズムズするのはご愛嬌。
しかし、2ヶ月も経つ頃には皆カトレア・エバンズという少女が
それで構わない。
カトレアは
「“人の噂も七十五日"、ね。でもきっと、君のことは誰も忘れないよ。たとえ君が
あくまで忘れられるのは、消えてしまうのは噂でしかない。
カトレア・エバンズという少女が存在したことを忘れられる人間はきっといないだろう。
それほどまでに、この少女は鮮烈で、特別なのだ。
カトレア・エバンズを知った瞬間から、海馬にその深緑が刻み込まれる
「…
「かけた当初は忘れるだろうさ。でもきっと、どこかの拍子に綻びに気付いてしまう。そうなれば、あとは一瞬さ」
木の枝に引っかかったセーターのようにあっという間に丸裸だ。
チャールズは笑っているけれど、その蜂蜜の瞳は真剣でまっすぐにカトレアを見ている。
もし、チャールズが言うことが実現するとすれば、それはカトレアにとって大きなデメリットだ。
カトレアが今後やろうとしていることを考えれば、その訳もわかるだろう。
もし不都合や、愛する人を守る為に
「これは占い学が苦手すぎてやめた僕から、君への
チャールズは笑っている。
カトレアも笑った。
「意地悪なのね」
「おや、こんな僕はお嫌いかい?」
「そうね、傷ついてしまったわ」
「それは申し訳ない。ではお詫び代わりに良いことを教えてあげよう」
僕と一緒にお茶会でもどうだい、とチャールズはカトレアに掌を差し出した。
イギリス人はこういったところが非常にスマートだ。
日本人は良く奥手だと言われるが、この様子を見ればその通りだとしか言いようがない。
比べる対象が純血のアシェルと、成人していて精神的にも大人のチャールズしかいないからデータ的には少々不足しているが。
「是非」
差し出された手にそっと手を重ねる。
チャールズの手はその身長からもわかるようにカトレアよりも一回りも二回りも大きくて、骨ばった男の手であった。
「ああ、そうだ。その本、最近出版された本だけど『精霊と人間』に書いてあることをニュアンスを変えて書いてるだけだよ」
悪戯っ子のように笑うチャールズに肩を竦め、それでもしっかりと本を片手で抱いた。
⚡︎ ⚡︎ ⚡︎
玄関ホールに続く大理石の階段を下る。
すれ違った上級生の女子生徒がチャールズを見てキャラキャラと笑いかけた。
ハッフルパフ生だった。
「はぁい、チャールズ」
「新入生を案内してあげてるのね」
「まあね。じゃあ、良い1日を」
まだ話したそうにしている彼女たちに爽やかな笑顔を振りまき、チャールズはカトレアを伴って階段を下りる。
階段を下りきったとこで左に曲がり、その先の扉を開ける。
授業で使ったことがなく、初めて通る場所だが、カトレアはチャールズをが何処に案内しようとしているのか予想ができていた。
扉の先には明々と松明に照らされた広い石の廊下が広がっていた。
壁の前に置かれた積み重ねられた樽を通り過ぎ、壁には主に食べ物の絵が飾られている。
「この場所のことは主にハッフルパフ生しか知らない。門外不出という訳ではないけれど、あまり広めないでくれよ」
立ち止まったチャールズのすぐ後ろには巨大な銀の器に果物を盛った絵がある。
チャールズは絵の中の大きな緑色の梨をくすぐった。
梨はクスクス笑って身をよじり、あっという間に大きな緑色のドアの取っ手に変わった。
「ようこそ、厨房へ」
チャールズは取っ手を掴んでドアを開け、カトレアの手を引いた。
天井の高い大きな部屋が目の前に広がった。
上の階にある大広間と同じぐらい広く、石壁の前にずらりとピカピカの真鍮の鍋やフライパンが山積みになっている。
部屋の奥には巨大なレンガの暖炉があり、轟々と紅い炎が燃えている。
「ようこそいらっしゃいました、チャールズお坊ちゃま、お嬢様」
鉛筆のような鼻、蝙蝠のような耳、長い手足の指を持つ生物が数人、わらわらと二人を囲んだ。
屋敷しもべ妖精である。
彼らはざっと100人以上いた。
彼らは厨房のあちこちで会釈をしたり、頭を下げたり、膝をちょんと折る宮廷風の挨拶をしたりした。
チャールズは流石7年もホグワーツでハッフルパフ生をやっているだけあって名前を憶えられている。
カトレアも間違いなく今後世話になる場所だ。
「グリフィンドール1年生のカトレア・エバンズよ。よろしくね」
屋敷しもべ妖精たちはキーキーと歓迎の声をあげた。
「屋敷しもべ妖精を見たことは?」
「書籍では」
屋敷しもべ妖精はホグワーツの紋章が入ったキッチンタオルをトーガ風に巻きつけて結んだものを身に着けていた。
屋敷しもべ妖精といえば、主人から洋服を与えられれば解雇の証とされる。
彼らは厨房にいるに相応しい清潔な服を着ているが、自身の仕事に誇りを持ち、キッチンタオルを身に着けているようであった。
「チャールズお坊ちゃまとカトレアお嬢様は紅茶をお飲みになられますか?」
「ああ、一杯もらうよ。君も飲むだろ?」
「ええ、いただくわ」
すぐさま6人ほどの屋敷しもべ妖精がやってきた。
彼らは大きな銀のお盆にティーポット、ティーカップ、ミルク、砂糖、大皿のクッキーを持ってきたのだ。
いつの間にか用意されていたテーブルに腰掛け、紅茶を1口飲む。
豊かな香りが広がる、完璧な紅茶だ。
なんだか実家に帰った時のような安心感がある。
「素敵な場所ね。オリビアを連れてきたら入り浸りそうだわ」
「ああ、彼女ね。彼らの間でも話題だよ」
毎食の食事を作っている彼らからしても、あんなに気持ちよく食べる人がいれば作り甲斐があるのだろう。
チャールズもこの7年間で随分と厨房に入り浸っている自覚があるが、きっと今後入り浸ることになるオリビアには負けるだろう。
それほどまでに彼女の食い意地は張っているのだ。
「ところで君、なんでさっきの本借りたんだい?」
「そうね、敢えて言うのならば比べてみたかったからかしら」
『人間と精霊』は読んだが、それはそれ、これはこれ、である。
チャールズには同じに思えた内容も、カトレアはそうは思わないのかもしれないのだから。
アシェルから教えてもらう精霊に関する正しい情報も、先人が綴った精霊の誤った内容も、チャールズが善意で告げる忠告も、カトレアにとっては全て自身を高みへと導くための糧である。
摂取する情報に糸目はつけない。
それら全てを受け入れて、間違った方を信じるのならば、カトレアの目が節穴であったというだけだ。
天上に住み、地上に降りてこない者は地上の生活を知り得ることはないのだ。
カトレアは天上も地上も、どちらもを知れる者になりたいのだ。
「変わってるね。ますますレイブンクローっぽい。でも、そういったところが君の魅力を惹きたてるのかな」
フォーリーが君と友達になったのも頷ける、とチャールズは囁くように笑った。
純血の世界は狭い。
サリヴァン家は聖28一族でこそないが、純血に名を連ねる一族だ。
当然、アシェルとの関りもある。
とはいえ、チャールズはアシェルをめぐる面倒な関わり合いをしたくなく、アシェルは他人に興味がないため、パーティーなどでの挨拶のみの関係である。
「おや、もうこんな時間だ。僕はまだ暫く此処で過ごすけど、君はどうする?」
図書館から移動したのが陽の傾く頃であったので、数十分ほどお茶をしただけで良い時間になってしまっている。
チャールズのカップは空だが、カトレアのカップには数口分ほど残っている。
時が流れるのは早いもので、すぐに夕食の時間になってしまうだろう。
大広間に行かずに厨房で食事を済ませることも多いチャールズと違い、カトレアはきっと友人たちと大広間で食事をとるだろう。
「私はそろそろお暇しようかしら。そろそろ彼女達も寮に帰っている頃でしょうし。此処の事、教えても構わないかしら」
「ああ、もちろん。ただ、さっき言ったことは心に留めておいてくれよ」
「わかっているわ」
お礼の言葉を屋敷しもべ妖精に言えば、彼らは嬉しそうにキーキーと感謝の言葉を述べた。
遠くではおそらく紅茶や茶菓子の準備をしたであろう屋敷しもべ妖精が深々と頭を下げている。
「それじゃあ、失礼するわ」
ひらりと手を振って厨房を去るカトレアに、チャールズは残ったクッキーを摘まみながら手を振った。
チャールズのカップに屋敷しもべ妖精が慣れたようにおかわりの紅茶を注いだ。
松明の灯りがカトレアの金糸に反射してキラキラと辺りに散っている。
チャールズは去っていくカトレアの背を見ながらつぶやく。
「…まぁ、冗談なんかじゃないんだけどね」
カトレアへの
そして占い学が苦手でやめたも本当だ。
チャールズにはきっと占い学の才能があった。
占い学の_個人的にはとても胡散臭いと思っている_教授にも才能があると褒められるほどには。
だけれども、チャールズは占い学というモノとどうにも相成れず、引き留める教授を無視して授業をキャンセルしたのだ。
なんせチャールズの占いは茶葉や水晶などを使わない、勘のようなものだ。
予言者として名高いカッサンドラ・トレローニーのように、先天的なものだ。
それを予言と呼んだり、ただの第六感と呼んだりは人それぞれだが、チャールズは自分のこの能力があまり好きではなかった。
ただでさえ鬱陶しく思っている節があるのに、学んだことでこれ以上敏感になってたまるか。
「君は不思議な子だね、カトレア」
ハッフルパフの中にもカトレアと親しくなりたい者は大勢いる。
しかしカトレアはオリビアやソフィア、レオ、アシェル以外の者とは一定の距離感を保っている。
すれ違えば挨拶するような知り合い程度人間は多くいるが、その多くの者が求めるのは友達かそれ以上の関係だ。
チャールズにとってカトレアは、まさか情欲を抱く相手なわけもなく、ただ勝手に妹のように思っている相手だ。
「君たちも、そうは思わないかい?」
「カトレアお嬢様はとても素敵な方でございました!」
「とても素敵で、とても不思議な方でございます!」
「お優しくございました!」
彼女は特別な女の子だ。
今も
たった1ヶ月、されど1ヶ月。
チャールズの勘は今日も冴え渡っている。