嘗て英雄だった帰還者に英雄たれと求めるのは間違っているだろうか? 作:かかかか
「いつ見ても、あの夕暮れは変わらず美しいわ」
天に高く伸びて立つは地上に穿たれた『大穴』を塞ぐ神の御技たる摩天楼。
その最上階にて都市を見下ろす溜息を溢す美神の姿は、暮れる陽の光に照らされて正しくこの世の美の象徴に男は見えた。
いや、部屋の影に控える巌の男からすれば常いかなる時でもその美神は己が全てなのだろうが。
それでも男はその光景を美しいと思った。
「彼の魂は本当に美しいわ。まるで夕暮れに染まる都市そのもの。繁栄と終焉が一つの魂に同居したその歪さが、そう…堪らなく、美しいと感じるの。 …ふふ、不思議ね。貴方もそう思わないオッタル? 」
例え自分がこの先どれ程の偉業を積み重ね、捧げ奉り、この身を賭けようがこのお方にこの様な表情をさせることはできないだろう。
常日頃の下界の者に向ける嘲笑の影など何処にもない。親しみと、憧れと、純愛と、悲哀と、諦観。並べきれぬ程の数多の感情が絶妙なバランスを成して作られるこの筆舌に尽くせぬ表情が真の意味で自分に向けられる事は、いやかの者の他に向けられる事はこの先この美神が存在する間にはないのだろう。
巌の男は己の全てを捧げた女神に跪いたままそう思った。
「……恐れながら、非才の身たる私には計りかねます」
それ程に美神の中でも特別足り得る男へ嫉妬の心がないとは言えない。己が非力故だと知りながら、そう感じる己が存在する事を巌の男は自覚している。
けれど、
「…………。しかしながら、その非才の身から見ても、あの男は、【女神の盾】ユリシズ・オーディの生き様は一戦士として美しいと、そう感じます」
そう。それ以上にその男の行動は、偉業は、霞む様なものではないと巌の男【猛者】オッタルは、絶対の忠誠を捧げた女神への誠意として嘘偽りなく己の本心を曝け出して答えた。
同時に不思議に思う。曝け出した言葉に悪くないと感じる自分がいたことに。他者をこれほど自然に尊敬できる自分がいたことに。
けれどそんなオッタルの心中とは別に、その返答に驚いたのは問いかけた女神の方であった。
「あら? 貴方が他者について多く語るなんて、それこそ7年前以来じゃないかしら」
「出過ぎた真似をしました。」
「ふふっ違うわ。少し妬いただけよ。貴方にそこまで想われるあの子を」
珍しいものを見た。そう思ったのはどちらか、それとまどちらもか。既に目線を街の方へ向ける美神の顔は窺い知れないけれど、少なくともオッタルは隠してなお満足げに顔を伏せていた。
外を眺める女神が続く言葉を発するまでは。
「でもいいわ。私も彼以外に心の底から欲しいと思える子が出来たもの。彼の様な手を加える余地のない完璧な魂とは違う、未完成で未成熟で、でも目を奪われる純白の輝きを放つあの子。彼はもう諦めるしかないのかもしれないけど、あの子は絶対に手に入れたいわ」
そう言って笑みを深めた美神にオッタルは無言で深く頭を下げ応える。
「女神フレイヤ。貴方がそう望まれるなら」
この女神がそうおっしゃるならそれが全てで、それが絶対だ。必ずやその言葉を叶えてみせる。
だが、その代わり己が全てでもって女神の寵愛を受けるに足る者が問わせてもらおうと、オッタルは静かに決意した。
これはそんな時のいつかの一幕。
「っ!! 」
「どうかしたのかユリシズ。…まだ気分が優れないなら私とホームに戻るか? アテナ様の側にはエリクトもいる」
「いや違うくて。ちょっと誰かに見られている気がしただけで、この通りっ! 何時もの俺だって! 」
赤紫色に染まる空の下。街を囲む城壁に西陽を遮られ、一足早く夜の街並みとなった街路時にて並んで歩く4つの影。
1つは先頭を歩く10代後半らしき簡素な衣服を纏い、左腕に装飾品にしか見えない細長い水滴型の盾らしき物をつけた薄紫の男。
その隣を歩くのは、同じく簡素ながら男とは違い品のある衣服に身を包んだ栗色の女性でその腰には指揮棒の様な短槍が吊され、手首には少し大きめな円形の鉱石が付いた腕輪がされている。
2人ともパッと見で評するなら見た目の整った良家の出自といったところだが、その歩く姿と纏う空気が明らかなまでに只者ではないとつげていた。
そしてそんな2人の少し後方で歩く女性と少年もまた十分に凡人、いや片方は凡神であるはずも無く。
「もし兄さんの体調が優れないんだとしても付き添うのは順当に考えて私です姉さん。」
「アテナ様の護衛はエリクトに任せているのだから間違っていないはずだが? 」
「私が母様の護衛についているのは確かにステイタス上の判断で適任かもしれませんが、あくまでそれは兄さんと姉さんが探索に出られることを踏まえた上での判断です。特殊な状況でないにも関わらず自分のファミリアの主神の護衛を自身より2つLvの低い者に任せ、自分は最高戦力を引き連れホームに戻るなどあり得ません。」
「うぅっ……」
「うぅ、ではないナウシカ。それにエリクトも。根本的にお前たち2人のどちらかが付き添ったところで夕食の一つも出せんだろう。それも気分優れぬもの相手へともなればな。ならば順当に考えてだ。体調すぐれぬと言っても防御で言えば都市最優の護衛と共に私がホームに戻って夕食を作るのが妥当だろう」
「「ぐぬぬぅ……」」
方や10代半ばの全身をローブで覆い、首にゴーグルをかけた赤褐色の少年。
方やワイシャツにタイトな黒のパンツという時代錯誤な服装をこれ以上なく着こなし、アメジストを連想させる長い髪を後ろ一つで結んだ翠玉の瞳の女神。
渾身のドヤ顔を疲労しながら唸る2人を見つめるその女神は、勝ったと言わんばかりの勢いで大きく歩を進めて先頭に立ち振り返った。
「そういう事だユリシズ! 私達はホームに帰るぞ」
「阿保なんですかアテナ様。それに2人も。誰か1人でも行かないなら今回の外食の意味がなくなりますし、俺の精神状態は良好ですし、何よりっとぉっ! 」
振り返った姿勢のまま後ろ向きで自分の前を歩き続ける女神アテナに本気で呆れそうになる自分を諌めながら、一つずつ話を進めようとしたユリシズだったが、タイミングよく目的の酒場から飛び出して来た白髪の少年と前を見ずにこちらを見続けるアテナの姿を捉えた。
と同時。ユリシズの姿は掻き消え、場に残ったのはユリシズの腕の中で固まる女神アテナ。そして前に伸ばされたユリシズの手で額を抑えられる少年の図だった。
「もう目的の酒場は目と鼻の先だって事ですよアテナ様。」
「え、あっ、あぁすまない気が付かなかった。」
「それと幾ら人通りが落ち着いているからと言って前を見ずに歩くのは危険なので今後しないで下さい」
「わかった」
「ならいいんです」
何がどうなっているのか、パニックに陥った頭を瞬時に再起動させつつ冷静な応答に努めた女神アテナに満足した様子のユリシズは、次に未だ目の前でフリーズしたままの白髪の少年の髪を思いっきり撫で回した。
「わっ、わわっ!! 」
「すまなかった少年。ウチの女神が不用心だった。だが少年も前を確認せずに店から飛び出してくるのは危険だと思うぞ」
「えっ! ハイっすみませんでしたぁあああっ!! って、ええっ!! 」
「どうしたどうした、なんでそんなに驚いてるんだ少年。お互いに謝罪は済んで、怪我も何もない。少年の様子からして急ぎの用があったんだろう? それとも俺の顔に何かついているか? 」
向かい合って一目見た印象は兎。もっと詳しく言えば突撃して来た印象も含めてニードルラビットといったところだが、自分の顔を見て叫ばれる心当たりはユリシズにはなかった。
とりあえず当たり障りのない話題でも振ろうかと言葉をかけたところ、さらにビクビクと震えて視線を彷徨わせる少年に業をにやしたらしい後方のナウシカが声をかける。
「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ少年。其方に非はない。こちらも何かを求めるつもりはない。だーーー「すみませんでしたぁあああああああああああああ!! 」 ーーか…ら………。」
できるだけ丁寧に、優しく、落ち着かせる様にと心がけて話しかけたつもりのナウシカは、自身の言葉が言い終わる前に突然の謝罪を叫んで遁走する少年に言葉と、何より自身の何かの自信を失った。
「あ〜、あれだナウシカ。まぁ、なんというか…ドンマイっ! 」
「姉さんは雰囲気がちょっと怖いですから、あの少年が逃げ出すのも仕方がないですよ。」
「気にするなナウシカ。失敗を記憶し、のちに役立てることを人は知恵というのだから、次に活かせば良い」
姿勢を低くして固まるナウシカにかけられる言葉は三者三様なれど、どれもナウシカの傷ついた心を癒す事はなく、ナウシカは1人姿勢を正して目元を拭い、喧騒奏でる酒場の扉を押すのだった。
豊穣の女主人という酒場はオラリオで知る人ぞ知る味良し、量多め、値段少し高め、美女多めの酒場である。
そんな常日頃客足途絶えぬ夜の酒場は今日も今日とて、いや今日は特別な賑わいを見せており、その原因もとい有り難いお客様であるロキファミリア一行は少し前の気まずい静けさもなんのその。慰め、宥め、叱り、罵倒し、馬鹿にし、騒いで、飲んで、呑まれて、笑って開閉する扉の音など誰も気にもせず遠征の疲れを吹き飛ばしていた。
「俺は何も間違っちゃいねぇーだろうが!! あんな腰抜けの雑魚が冒険者名乗るから俺ら強者の品格が下がるんだよ!! 」
「あーはいはいわかったよ〜馬鹿ベート。フラれたのは悲しいよね〜。わかったよ〜」
「いつまでも叫んでんじゃないわよアホ狼! 今こちとら団長と大事な話をしてんだよ!! 」
「うっせえ馬鹿ゾネス共! 第一なんで俺が縛り上げられてんだ! さっさと下しやがれ! 」
「少しはそこで頭を冷やせ。何度も言うがミノタウロスの件は我々の責だ。力及ばずを笑うならば先ずは自分を笑う事だベート」
「そーだそーだ! 馬鹿ベート! 」
「うっせぇババァっ! 俺たちはオラリオ最強のロキファミリアだ! 強者だ! なんでその強者が弱者を気にして自分を責めなきゃいけねぇ!? 第一ミノタウロスがあんなとこまで逃げれたのも俺たちに寄生してたあの小規模ファミリアのせいだろうが!! 俺たちだけならあんなヘマする筈がねぇんだよ!! 」
「っちょ! あんた、ベートっ! 」
「はっ! ナヨってんじゃねーよ怪力ゾネスっ! だってそうだろうが! お前らも聞いてるだろ? あの馬鹿2人がダンジョンで丸一日何してたか! 1人は17階層に引き篭り! 1人は雑魚狩りに熱中! そんな馬鹿2人と一緒に行動してりゃあ問題も起きるに決まってるってもんだろうがっ! ぷっくはははははっ!! 」
酒場の天井から逆さ吊りでぶら下げられながら、周りで静まる仲間たちも笑えとばかりに笑い声を上げるベート。
いつもならばなんだかんだとノリの良い家族のことだ。暫くとせずに続く笑いがあると言うのに、今日に限って誰1人として笑わないどころか全員が視線を明後日の方向へ逸らし、挙げ句の果てには周りで騒いでいるはずの他の人間。店のウェイターまでもが視線を床か酒に固定して身動き一つ、音一つたてやしない。
それどころか自身を咎めるリヴェリアは諦めた目でこちらを憐れみ、静観していたフィンは自分ではない何かを見て思考を巡らし、酒で騒いでいたガレスは横で神妙な顔つきを作るロキを守る様に移動していた。
「あぁ? なんだってんだてめぇーら。笑えよ。俺がせっかく笑い話を提供してやってんのによぉ」
理由はわからないが冷めた空気に何を思ったか。笑いを引っ込め口に出した言葉に、後方から応える声があった。
「ハッハッハッハ………これで満足か駄犬。流石は道化神の眷属。その道化ぶりはファミリア特有か? それともお前が特別にそうなのか……なぁ【狂狼】ベート・ローガ? 」
酒場の空気がマイナスに落ちた。そう錯覚、いや見えるほどにその場にいる者の体が寒気さに震え出す。
それは死の恐怖か強者への畏怖か。
少なからず言える事は一つ。
その日ベート・ローガは都市最強の一角を怒らせた。
「なに、そう震えるな。どうも私は他者から必要以上に恐れられる性らしくてな、先程も子うさぎを慰めるつもりが逃げられてしまったよ。ふふ、どうだ面白いだろう? 笑いたまえよベート・ローガ」
「づ"っ!! 」
「どうした顔色が悪い様だが、体調が優れないのか? 脂汗が滴っているぞ。人体の構造上逆さ吊りは身体に悪いから仕方がないと言えば仕方がないが、そうだな。私がその縄を解いてやろう」
腰に吊るされた指揮棒に見間違える短槍を一振り。酒場にいる者でその動きを目で追えた者は幾人か、少なからず目を見開き身を構えた者は片手で数えるほどしかいなかった。
そして当の縄から解放されたベートといえば、落下する間に体制を整え、着地するや否や一足でもって店の端まで飛び退き臨戦態勢の構えをとっていた。
「はぁっ"…はぁっ"…はぁっ"……」
「頭に血が上った状態で急な動きをするものではないぞベート・ローガ。」
一歩、片手に華奢な短槍を携えた女性がベートへ近づく。
瞬間堰を切ったように腰からナイフを引き抜き床を蹴って飛び出したベートに、女性は酷く冷めた目を向けて口を開いた。
「牙を剥く相手を見誤るなよ駄犬。まぁ次があるかなど知らんがな」
フィンが、リヴェリアが、ガレスが、ミア・グランドが動き出すが間に合わない。間に割って入るには距離が、位置が悪かった。
客の悲鳴が、ロキファミリアの悲鳴が遠く感じる程のわずかな時間の狭間。
己の最高速度での強襲を、まるで予め予見していたかの様な緩慢に見える動きで合わせ、指揮棒の様に握る矮小な槍で自身の喉を突き刺そうとする女の氷の様な瞳をベートは見た。
そしてそのまま自分から突き刺されて絶命する自身の姿を幻視した瞬間、
「【熾天覆う七つの円環(ローアイアス)】」
ベートは淡い桃色の壁によって店の壁へ吹き飛ばされていた。
「ぐぅ"っ、がはっ!! 」
背中を打つ衝撃。肺から押し出される空気。
飛びそうになる意識を気合いで引き留めたベートが見たのは、吹き飛ばされる瞬間に見た淡い桃色の花弁の様な壁と、それに短槍を向ける女。その女後ろで、店の扉を潜りながら頭を抱えた男の姿だった。
「邪魔をするなユリシズ。もうちょっとで正当な理由から駄犬を駆除出来ていたところなんだ」
「いやいや途中から聞こえてたけど、正当性を主張するにはかなり無理があるってナウシカ。俺が言えた事じゃないけど、無闇矢鱈に喧嘩を売る必要も買う必要も無いんだぜ? 」
都市から数少ないレベル5の冒険者が命を散らそうとする一大事に誰も動けなかった中、ユリシズ・オーディはさも当然の様に静寂の落ちた酒場でそういった。