覚者・アレクセイ
鳶色の瞳に栗色の髪、毛先は緩い癖毛でセミロング。頬と鼻、顎に髭を生やしている。時々手入れをする程度。四十代。落ち着きがなく粗野で粗暴だが、人情に厚い。戦闘能力がずば抜けて高く、驚異のスタミナの持ち主。ただの脳筋に思われがちだが、観察眼が鋭く論理的な一面もある。すこし打算的な脳筋。ハンの作る料理が何より好きで言葉より表情に出やすい。古い言語の訛りが交じる。
従者・ハン
緑柱石より少し深い翠の瞳。麻色の長い髪をポニーテールにしている。鼻から下は豊かな髭を蓄えているが手入れは欠かさず品がある。毛先は真鍮色。漂泊が長く経験豊富なポーン。(推定500年ほど)思慮深く礼儀正しい。異界で得た様々な知識や経験でアレクセイをサポートする。射手だが戦闘より料理の方が好きな変わったポーン。
※展開上、腐ったニクになるか腐りかけのナマニクになるかは微妙なところです。
あなたではない誰かの、
いずれあなたが辿るかもしれない、
別の物語…
第一章
《ハーピーの羽とリンゴ》
『ハン、俺は覚者とやらになる前からキャラバンの護衛隊の日雇いで日銭を稼いで暮らしていた。ハーピーやゴブリンはもう見慣れた魔物さ…特にハーピーってのはそこらの鳥と違って羽の軸が頑丈でね。矢の良い素材になるし、ゴブリン族が精製する油はランタンなんかのいい燃料になる。ただのオイルより余程長持ちするんだ』
『マスターの知識の豊富さにいつも驚かされます』
『フン、ほら、お前の矢筒を出せ。矢を組んでやる』
それは遠い記憶。それは遥か悠久の彼方にある遠い私の記憶であり、貴方の記憶でもある。
「マスター、僭越ながら私に任せていただいても?」
漂白の民─ポーン─姿形は人間だが、人間とは異なる種族。生命としての具体的な何かが欠落したようなその存在は人間の営みや生活に対し驚く程希薄だった。そして何より、ポーンを付き従える事が出来る存在は竜に選ばれた人間“覚者(Arisen)”だけである。漂白の民・名を“ハン”。麻色の長い髪を結い上げた初老のポーンだ。珍しい深緑の瞳の色に異国の毛皮のショールを巻いている。彼と出会ったのはまだ三日前であるが、どういったわけか初めて出会った気がしない。その理由をハンへ尋ねると「貴方は私の以前の覚者様の遠い遠い子孫にあたります。そのせいでしょうか」と淡々と答えた。
覚者─アリズン─またの名を“竜に選ばれし者”。その者の胸には大きな傷があり、生命の鼓動の音がしない。明確な死という概念がなく、強大で確固たる“意思”に突き動かされる存在だ。その男の名は“アレクセイ”と言った。アレクセイはたった今仕留めたハーピーの死骸をハンへ差し出す。
「そいつをどうするつもりだ?食うのか?」
「いいえ、非常時を除きハーピーは食用には向きません。しかし風切り羽や尾羽は矢の良い材料になるのです」
言いつつハンは手際よくハーピーの羽を毟り取る。ハーピーは眉間に矢を受けて即死していた。
「良い腕だな、ハン。お前が俺の相棒で助かった」
「マスターを守る事が私の指名です」
アレクセイはぐ、と眉間を寄せる。
「…未だに慣れんな、その呼び方」
「他の呼び方の候補はありますか?」
「ごく一般的にアリョーシャはどうだ?」
「分かりました。アリョーシャ様」
周辺に使える物がないか探っていたアレクセイは振り返る。
「ハン」
「はい、アリョーシャ様」
「その“様”は要らない」
「私にとって貴方は敬意を示さねばならない存在です。たとえ覚者様の命令だとしても従えない事もあります」
アレクセイは興味深そうに髭を撫でつつ頷く。
「なるほどな、俺がその崖から飛び降りろと言ってもか?」
「私に飛び降りてほしいのですか?」
「そうゆう訳じゃない。例え話だ」
「安心しました。しかし我々はポーンなのでその身は朽ち果てる事はありません。魂は異界へ戻り再び肉体を宿すので」
言いつつハンは手際よく矢を組んで矢筒へ収納する。ハンの視界に何か映って反射的にそれを掴んだ。リンゴだった。ハンはキョトンとした顔でアレクセイを見る。
「甘いぞ、食え」
「マスターが召し上がってください」
「何個も食えねえし取っておいても腐るだけだ。勿体ないだろ」
「そうですか。ではお言葉に甘えて」
たっぷり熟して瑞々しいリンゴだった。酸味と甘味のバランスがいい。戦闘後の肉体に染み渡った。
「とても美味しいです。感謝しますマスター」
アレクセイは適当な岩に腰を預けて地図を確認すると、リンゴを齧りつつ指先で道程を追う。
「この先は視界が悪い岩場が続くな」
「では、今日はこの辺りで薬草を集めておきましょう」
「賛成だ。ついでに食糧も…そろそろ日が沈む」
《薬草とキャンプ飯》
アレクセイにとって“覚者”の自覚が無かった訳では無い。憶えていない、と言った方が自然だった。断片的に思い出せるのは燃え盛る火の中と、自分を呼ぶウルリーケという名の娘。真紅の鱗の竜の声。目が覚めたらボロを纏って奴隷のような強制労働。周りはポーンだらけだった。自分が何者なのかも判然としないまま、蛇女と戦闘をしてグリフィンの背に乗って…。
「怒涛のような日々だった」
「…?なにかおっしゃいました?」
「気にするな独り言だ…クソ、葉っぱなんてどれも同じだろ」
「恐れながら全然違います。マスター、それはドクニンジンです」
「毒なのかこれ。お前は植物にも詳しいのか」
「ええ。知識は生きる力ですよ覚者様」
「………」
クソ、心臓なしの俺が言うのも変だがポーンに言われると何だか無性に腹が立つ。
「しかしとてもお手柄ですよマスター」
「ドクニンジンが?」
「ええ、別の異界ではドクパセリとも言います。狼人間に対して非常に有効です。治癒力の高い狼人間族にとってドクニンジンの成分は皮膚に途轍もない痛みを与えます」
「この世界にそんなファンタジーなモンスターはいないぞ」
「ええ、この世界には。しかし異界では役に立ちます。頂いてもよろしいですか?」
「やる。それで、薬草はどんな見た目なんだ?」
「これですね。葉はこうして上向きで細長く、深緑で表面にはツヤがあり、葉の裏には白いうぶ毛があります。特徴的なのは香りでしょうか、セージに似た独特の芳香を放ちます」
ハンに習ってアレクセイもその薬草の香りを嗅いでみる。確かに爽やかな香りがした。地元ではこの薬草を“ヴェルンワースハーブ”と呼び幅広い生活で使われている。
「この世界では様々な場所に自生しますが、多くの場合陽当りのいい場所か広葉樹の近くに生えていますよ」
アレクセイは周囲を見渡す。そんな場所ばかりで大抵そこには似たような植物ばかり生えていた。花集めをする子女ならともかく、アレクセイはどちらかと言えば剣や鎧や馬に興味のある幼少時代を過ごした。
「薬草集めはお前に任せてもいいか?俺は薪を集める。その方が効率がいいだろう」
「分かりました。私にお任せを」
日が傾き始める。陽光が射し込んでいた森は薄暗く逢魔が時を知らせていた。薪を集めるアレクセイの目に映ったのは丸々したウサギだ。熟したイチゴのごちそうを夢中で食べていてアレクセイが近づいても気が付かなかった。ガサリ、と音がした事にウサギはピンと耳を立てる。アレクセイは持っていた薪用の太めの木の枝を投げた。投げた木の棒がウサギのすぐ頭上で風を切るその音は、ウサギにとって天敵のタカやワシ、ハーピーの羽音によく似ていた。逃げるより身を隠すという本能が働いてウサギはその場に硬直する。飛び込むようにウサギを捕まえた。ウサギはぶうぶう鳴いて脚をバタつかせてアレクセイから逃れようと抵抗する。丸々して毛の艶もいいウサギだった。
「今日はウサギ肉だな」
薪とウサギの土産を手に薬草を集めるハンのもとへ少し得意気に戻る。ハンは既にキャンプの準備をしていた。高々にシメたウサギを見せつけた。
「マスター、お見事ですね」
「今日はウサギ肉だぞ」
「喜ばしい限りです。私はまた干し肉で過ごすかとヒヤヒヤしました」
「干し肉じゃ不服か」
「いいえ、しかしマスターの体には不十分です。干し肉はいい保存食ですがあくまで行動食の域を出ません。良いコンディションを保つならバランスの良い食事がベストです」
そうだな。ぐうの音も出ん。
ぐうの音も出ないが腹は「ぐう」と虫が鳴いた。アレクセイはよく研いだ小型のナイフで器用にウサギを捌いていく。
「動物を捌いた経験が?」
「わからん。憶えてないだけでやっていたのかもしれん。何となくこうすればいいという感覚が残っている」
「とてもお上手です。そしていい毛並みのウサギですね。毛皮も高く売れるでしょう」
「しかし太ったウサギだ。脂肪がたっぷりある。美味そうだ」
ハンは指を顎に置きつつ「フム」と何か言いたげにアレクセイを見つめる。
「マスター。私から提案が」
「ん?」
「ここはひとつ料理をしませんか?」
「俺は料理なんて出来ないぞ。ウサギのシチューでも作るのか?」
「私にお任せを」
まずは、摘みたてのヴェルンワースハーブをナイフで細かく刻みます。刻めば刻むほどセージの香りが強く出ます。ウサギ肉に満遍なく塩と刻んだハーブを擦り込み、よく熱したスキレットにウサギの脂を敷きます。脂が熱で融けたらハーブを刷り込んだウサギ肉を焼きましょう。薄切りにしたガライモを周りに並べて蓋をします。ガライモはどんな風土でも育つイモ類の仲間で、栄養価が高く滋養強壮のある食品として人々に親しまれています。疲労回復に適切です。ガライモから出る水分が少ない場合、途中に少し水を加えて蒸し焼きにします。そうすることによって調理時間の短縮の効果や蒸気によって深くまで熱せられ肉が固くなりすぎずに済みます。
「出来上がりを待つ間に焼きリンゴも作りましょうか」
焼きリンゴにはシナモンが欠かせません。ヴェルンワースではシナモンは自生しませんが、隣国のバタルでは多く自生しています。シナモンは古来より魔除けとして人々に浸透され、かく言う私もこうして持ち歩いています。シナモンを燃やした炎はファントムやアンデッドに対し非常に有効です。最も聖魔法や火魔法が使えるのでしたらそれに越したことはりません。これらはあくまで緊急時です。魔除け効果も去ることながらこうして料理にも重宝できます。リンゴはとても甘く熟していますので敢えて砂糖は使わなくても充分でしょう。
「キャラメリゼを作りたい所でしたが」
顎に手を置いてブツブツ言う従者をアレクセイは不思議な目で見ていた。暫くするとリンゴとシナモンの甘露な香りと、肉とハーブの焼ける良い香りが漂ってくる。
「もう良いでしょうか」
言いつつハンは蓋を開けた。脂が跳ねる軽快な音と香ばしく焼ける肉の音。アレクセイは余りの出来の良さに暫し言葉を失う。ハンがナイフで肉を切り分けて木製の器によそうとアレクセイへ差し出す。
「出来上がったようです。お待たせしました…ウサギの香草焼きと、シナモン焼きリンゴです」
「…めちゃくちゃ美味そうだ」
「どうぞお召し上がりください」
焼き目は香ばしく、肉は脂が滴っている。暫く干し果物や干し肉ばかりだった事と、収容所のような強制労働施設からマトモな食事をしてこなかっただけにアレクセイは心が踊った。大きなひと口で肉に齧り付く。
「ンッ!」
目を見開いた。憶えてはいないが、今まで食べたどんなウサギよりも美味かった。刻んだハーブが野生的な臭みや味わいを程よく中和してくれている。食欲を掻き立てる皮目の香ばしい塩味。歯でほどける柔らかな肉質。蒸気のおかげで肉質が固くなりすぎず中まで火が行き渡りふんわりしていた。
骨までしゃぶれるほど美味い。付け合せも食ってみるか。
薄切りにしたガライモを食べる。脂が浸かっていた部分はパリパリとして、そうでない部分はホクホクしていた。
ウサギ肉にまぶしたハーブや塩を吸っていて美味い。
アレクセイは手が止まらなくなった。
む、焼きリンゴを忘れていた。
なんだこの甘露な香りは。リンゴが飴色だぞ。
ひと口食べる。アレクセイは項垂れた。
甘い…ッ!干し果物より何百倍も美味い!そのまま食べても瑞々しく甘かったがこれは一際ッ!
「…ハン、め、めちゃくちゃうめえよ」
「光栄です。どうぞ沢山召し上がってください」
「お前は食わねえのか」
「ここまでの道中、マスターの疲労が顕著でした。私はポーンですのでお気になさらず。心行く迄、食事をしてください」
「お前も食え」
「よろしいのですか?」
「ポーンだとしても腹が空くのは事実だろ?何にせよ気力も体力も無きゃ何もできん…なにより美味い、一緒に食べよう」
アレクセイは不器用に微笑む。ハンは器用に微笑んだ。
「ありがとうございます」
ウサギの香草焼きをひと口食べた。思わず頬が緩む美味さだ。
「確かに、これは美味しいですね」
アレクセイは妙に嬉しくなって「そうだな」と相槌を打ちつつ今後の旅路に期待を抱きながらもうひと口食べた。
《ベリージャムとニョッキ/行商人》
アレクセイは単眼鏡を手にヴェルンワース城を見ていた。
「あれから休まず一日半歩き続けたが距離が縮まる気がしない」
「途中、道迷いなどしましたからね」
「ああ、さすがに疲れたよ。進みつつ野営を出来そうな場所を探すか」
「日暮れまであと四時間程です」
「フム、とにかく進みつつ探すしかないな」
地図が正しければこの山道とも言っていい街道はもうすぐ終わる。後は比較的平坦な道が進み、殆ど一本道だった。道迷いのリスクは少ないだろう。
「ところで、マスター」
「ん?」
「マスターは人でありながらかなりのスタミナがありますね」
「そうか?」
「ええ、異界で出会った覚者様は休みなく一日半で山道を超えたりは出来ませんでした」
アレクセイは考えてみれば確かにそうだ、と思った。こんなに体力が続くのは心臓なしになったからとずっと考えていたが、ハンの話しからするにそうゆうわけではないらしい。例え野営で使う道具をハンに持たせているとはいえ、武器やその他装備品の重量と幾つかの荷物を合わせて十キロ以上はある。
メルヴェで会ったウルリーケという娘は“昔から丈夫よね”と言っていたな。それに、確かハンは俺の祖先の事を知っている風なことを言っていた。
「なあハン」
「はいマスター、なんでしょう?」
「俺の先祖は覚者で、お前の昔の主だったんだろ?」
「ええ」
「人間ってのは親に似るように祖先にだって似るものだ。お前の元主も相当なスタミナの持ち主だったなんて事はあるか?」
ハンは暫し考えた。
「確かに、あの御方は出会った時から相当なスタミナとパワーの持ち主でした。時にはキメラを素手で倒していましたね」
「……キメラ…?」
「聞いたことはありませんか?上半身は獅子、下半身が山羊で尾は大蛇の怪物を」
「そりゃ絵物語の生き物だろう?」
ハンは微笑んだ。
「だといいんですがね」
「異界にはいるのか?」
「ええ」
「この国には…まさかいねえよな?」
「わかりません」
クソ、感情の読み取れねえ奴だなポーンってのは。
「たとえ俺が先祖と同じようなスタミナとパワーの持ち主でも、そんな怪物を素手で殴るなんざごめんだぞ」
普通に気持ち悪ィし…。いやしかし、蛇女はいたしな。まさかほんとにこの国にもいるのかそんなの。
「マスター」
「ん?」
「良い香りがしませんか?」
アレクセイは立ち止まってスン、と辺りを嗅ぐ。木々の深い香りがする。いつの間に山道から森や林道に入ったようだ。
「どんな?」
「甘い香りがします」
「鼻が良いんだな、俺には分からんが」
ハンはキョロキョロしつつ少し前を走って興奮した様子で振り返った。
「どこかにベリーの群生地があるのかもしれませんよ!」
「なんだ急に興奮して」
「マスター!私にお任せを!」
何をだよ。
急に足取りの軽くなった従者・ハンへ着いていくと、確かに森の中のよく陽光が射し込むそこには低木のベリーの木が群生していた。
「やりましたよ!マスター!」
「んん、まあそうだな」
ベリーじゃ腹の足しにならんだろうが。
「これは凄いですね!」
そうか…?
「たくさん摘みましょう」
「こう言っちゃ難だが、たくさんあっても腐らせるか干し果物になるだけだぞ」
「考えがあります。今日はここで野営をしましょう」
「もうか?」
「ええ」
「…んん、なら薪を集めてくる」
アレクセイが薪を拾い集めて戻って来た時には、ハンは敷布いっぱいのベリーを摘み取っていた。
「摘みすぎじゃないか?」
「まだまだ沢山なってますよ」
「やれやれ今日はベリー祭りだな、あとホラ、リンゴが要ると言っていたな」
「ありがとうございます。今日の料理にはリンゴが欠かせないのです」
ハンは薪を手斧で割りつつ、また料理をしてくれるのかと期待した。
「ベリーのジャムを作りましょう」
まずは下拵えからです。摘み取ったベリーのゴミを丁寧に取り除きます。細かなゴミや塵は綺麗な水でよく洗いましょう。実を潰さぬようストロベリーは優しくヘタを取り鍋へ入れます。ラズベリーは種を取り除き、ブルーベリーはカビの不着が無いか確認しましょう。
「マスター、もう少し丁寧に」
「うるせえな」
使うベリーの半分ほどの砂糖を鍋に加え軽く混ぜます。少し時間を置いて、ベリーから水分が出るのを待ちます。十分に水分が出て色が濃くなったら一部は取り置いてドライベリーに。弱火で鍋に火をかけ焦げ付かぬよう丁寧に混ぜていきましょう。凡そ一時間ほど煮ていくと最初の水分が半分程になり色も一層濃くなります。焦げ付きやすいので気をつけましょう。ここにリンゴの果汁を加えます。ベリーのみだと固まらないのでリンゴに含まれる成分を加える事によりジャムらしさが生まれます。弱火でひと煮立ちさせた後、常温で粗熱を飛ばし、煮沸消毒をした密閉瓶に詰めれば…
「出来ました。ベリーのジャムです」
「ほう、案外簡単に作れるんだな」
「今日はこれを使って夕食を作りましょう」
小麦粉があれば尚良かったのですが、生憎高価ですので今日はガライモを代用します。ガライモを乱切りにして茹で、それを潰しておきます。干しガライモをすり鉢で粉状にします。潰してペーストにしたガライモに粉状にした干しガライモと同じように細かく削ったチーズを加え切るように混ぜていき塩を少々、生地が纏まったらひと口大に切り分けて生地を丸めます。親指で真ん中を少し潰し、よく沸騰した鍋に入れ茹でます。生地が浮いてきたら器に盛り付け、ジャムをかければ…。
「できました。ベリージャムのガライモニョッキです」
「見た目はデザートだな」
「有り合わせのものですが、召し上がってください」
「フム…」
アレクセイは匙でひと口食べた。
ンッ!…ムゥ!なんだこの食感っ!モチモチで食いごたえがある。本当にガライモなのか?ジャムもうめえ…。暫く甘いものなんか食ってなかったから唾液腺が痛い。茹でたガライモの塩気や発酵したチーズの臭みともジャムがよく合うぞ。デザート感覚と思っていたが、こりゃふつうに食事だな。
「マスター、こちらも」
「ん?飲み物か?」
「すりリンゴとベリージャムのジュースです。清廉草をアクセントに加えました」
「ありがとう、いただくよ」
ぐび、とひと口を含んだ。
うお!ジャムの時とはまた違った美味さだな!清廉草の爽やかな清涼感と擦りリンゴの食感とキリッとした酸味が絶妙だ…。
アレクセイは思わずうっとりした。
「うめえ」
「喜んで頂けて何よりです」
「ああ、お前も食ってみろ」
「ありがとうございます」
「まさかこんな森ン中でジャムを作るとは思わなかったが…」
ふ、とアレクセイは微笑んで続けた。
「こうゆうのも悪くない」
「恐縮です。マスター」
殆ど休みなく歩き続けたが、ガライモの夕食のおかげで良く眠った次の日にはすっかり回復していた。ハンは既に起きていて、朝食を作っている。
「おはようございます。覚者様、よく眠れましたか?」
「まあな」
「ガライモのポタージュです。どうぞ」
「スープか、ありがたい」
「本当はミルクがあればもっとまろやかに出来たのですが」
スープを口にしたアレクセイは朝からほっこりしていた。
「お口に合ったようでなによりです」
「うん、いい朝だ」
朝食を終えて身支度を済ませていたとき、アレクセイは自分の盾とサーベルが磨かれている事に気がついた。ハンは弓の弦を張り直している。
「ハン」
「はい、マスター」
「夜中の内に武器を手入れしてくれたのか?」
「はい、細やかですが何もしないよりは幾分マシかと」
アレクセイは研がれた刃を眺めてから鞘へ収めた。どんな瞬間も忠誠と警戒を解かない従者に対し、余りにも献身が過ぎると感じていた。当初こそ従者という存在と、ポーンと呼ばれる民達に畏敬の念を向けられた時は戸惑いこそしたが、なんの見返りも求めず、況してや日を重ねていくごとに揺るぎない忠誠を感じる。
こんな存在、いったい誰がなんの為に生み出した?なぜ覚者だけの言う事をこれ程まで忠実に従う?
俯いて考え込むアレクセイに何か良からぬ事をしただろうか、とハンは勘繰った。
「余計な事でしたか?」
「…ん?」
「異界の覚者様の中には、武器に勝手に触れられることを嫌がる方もいましたから」
「あー、まあ…そうだな。メンテナンスをしてくれるのは助かるが、その時は俺が頼む」
「畏まりました」
「じゃあ行くか」
「はい、マスター。今日も頑張りますよ」
頻繁に整備されている訳では無いが、街道が比較的安全なのは牛車の往来がある為である。大抵の場合、牛車の警護には城都の兵士や手練れの傭兵がついており、時折ゴブリンやオオカミ、野盗の死体が転がっている。アレクセイはゴブリンの死体を見つけて屈み込んだ。
「また死体だ」
「ええ、然程珍しい光景ではありません」
「殆ど何も持ってねえな」
「死体漁りも多いですから」
「ゴブリンは金になるのか?」
「討伐依頼があれば多少は」
「オオカミは?」
「それも多少は、しかしいずれも苦労の割に得られる物はあまりありませんよ」
アレクセイは興味深そうにニヤつきながら振り返る。
「ほう。お前たちも損得勘定のような考えをするんだな」
ハンは不思議そうに首を傾げた。
「お前たち、も?」
「気に触ったか?ただの好奇心だよ、覚者が金にならない仕事を受けたとしてもお前たちは従うだけだろ?」
「気に触ったとしても私にはそれがよくわかりません。覚者様の意思は私たちの意思です。必要なら我々はどんなことにも手を貸しますよ」
「人殺しもか?」
「ええ」
「ほう」
「マスター、先程から不穏な事を仰有っていますが、それほど路銀に困っているのですか?」
アレクセイは「いや」と言いつつ、ゴブリンやオオカミの死体の傷を指し示す。
「どのケモノもゴブリンも急所を正確に、しかも俺が持ってるナマクラより良い武器で殺されてる。特にサーベルは桁違いだ。このゴブリンの死体を見ろ。防具ごと両断されてる。切り口にも無駄がない」
「確かに。手際がいいですね」
次に草を掻き分けて地面に残ったままの足跡や這いずり痕を示す。
「ゴブリン共の足跡を考えるに、あの森の奥から街道へ降りてきてこの茂みに群れで隠れた。フム、ここで松明を焚いて…こりゃなんだ?」
屈み込んで落ちているシミを短刀の先端で削ぐとそれのにおいを嗅いだ。
「松ヤニか…直前まで松明を焚かなかったようだ。襲ったのは逢魔が時か?牛車の轍の乱れを見るに狙って奇襲を仕掛けて返り討ちにあったという事だろうか。人間の護衛は凡そ四人、うち二人は重装備…いい鎧だな、城都の兵士か?」
アレクセイの行動を見守りつつ、ハンは死体や地面の痕跡を眺めて感心するように顎を撫でた。
「足跡や傷跡でそこまで分かるとは」
「街道の行き来をする牛車の護衛にしては良い武器と良い装備だなと思っただけだ」
「牛車の往来は人々にとって死活問題だからでしょうか?」
「んなわけねえだろ。貴族だ。十中八九、貴族が乗ってたんだ」
「貴族…ですか」
「この街道をまっすぐ行けばメルヴェ村だが、貴族サマが視察に来たのか?ヴェルンワースはいつから慈善事業に手を出したんだ?」
腕を組んで牛車の轍を睨むアレクセイの胸中を考えたハンは「一度、メルヴェ村へ戻りますか?」と提案した。
「いや、そうすぐに尻尾は出さんだろう。悪党なら尚更な。今は泳がせておく」
「分かりました。私はマスターの判断を信じるのみです」
「フン、そこは信用しろ。というより、お前たちポーンも人を殺すんだな」
「はい。しかしケモノや魔物のように本能的な衝動で殺しません。身を守る為、とはいえ人を殺める事は極力避けたいです」
「揉め事になるからか?」
「いいえ、というより…なんでしょうか、決して気分は良くありません。非常にストレスを感じます」
アレクセイは貴重な意見だな、と思った。様々な考え方はあるにせよ、人もポーンも「殺人」という手段を軽率に取りたくはないのだ。
「マスター、そろそろ」
「それもそうだな」
奇襲現場から数十メートル進んだ時だった。
「助けてくれぇ!!」
アレクセイもハンも立ち止まる。互いに目を合わせた。
「行くか?」
「罠の可能性もあります」
「様子を見に行くか」
叫び声は森の中からだった。木の陰を利用し、足下の枝を踏まぬよう慎重に進んでいく。剣の交える音が響いている。怒号や悲鳴も。
「罠、では無さそうだな」
「ええ」
角笛が響き渡る。その独特な音色にアレクセイはいよいよ剣を抜いて盾を構えた。
「ゴブリンだ」
アレクセイは木陰からゴブリンの背後へ回った。人間の男が襲撃されている。目立った武装はしていない。「ひいい!」と声を上げて防御姿勢をとっていた。ゴブリンの一匹がスパイクのついた棍棒を振り上げる。逆光で真っ黒の影になっていた。男は来る衝撃に恐怖して目を瞑った。頬に生温かい液体が飛び散る。恐る恐る目を開けるとゴブリンの鳩尾に剣が突き刺さっていた。
「え…」
男が見たのは軽装の中年かそれより少し若い男だった。鳶色の目に緩く伸ばした髪、頬を覆う髭。「ああ、クソ…」とボヤきつつ億劫そうに剣を振ってゴブリンを引き抜こうとしていたが、結局は足でゴブリンを抑えつけて引き抜く。横から投石がきたのを予測していたかのように盾で防いだ。
「立てるか?」
その声色は余りにも落ち着いていて他人事のように聞こえた。男はぽかんとする。
「え?」
「脚は大丈夫なのか?」
言いつつゴブリンに冷静に対処していく。男は自分の脚を見た。右脚が火傷で爛れている。夢中で逃げていて気が付かなかった。不思議と痛みもない。
「ハン!」
ゴブリンに応戦しつつそう叫んだ。
「はい、マスター」
「こいつを安全な所へ、俺も全員を相手に出来ねえぞ」
「分かりました」
ハン、とそう呼ばれた初老の男が颯爽と走って来て屈み込む。
「立てますか?私がお手伝いします。さあ、こちらへ」
初老とは思えぬ程の膂力だった。男は立ち上がりつつ連れ立って比較的安全そうな岩陰へ隠れる。恐怖と混乱で未だに男は状況が分からない。
「ここに隠れていて下さい」
ハンはそう言うと軽業師のように岩へ登る。
残りの矢が少ない。一矢一矢、急所を確実に射なければ。
弦が唸る。放たれた矢は風を切って金切り声のような音を立てて覚者・アレクセイの背後にいたゴブリンの頭を貫く。もう一矢を放つ。アレクセイに突進してきたゴブリンは正確に膝を射抜かれ勢いで転倒した。間髪を入れずにアレクセイが剣で首を突き刺す。ゴブリンたちは慌てふためいた。今まで相手にした人間よりこの人間が遥かに手練れている事に。頭数で挑んでもいつの間にか矢で射たれている。攻撃後の隙を突こうと突進しても、ギリギリの所で盾で防がれた。盾で勢いを利用され体勢を崩した所を狙われる。数で圧倒していたが、いつの間にか頭数が半分以下にされていた。ゴブリン達には予想外だった。このゴブリンの群れは牛車の奇襲をしたゴブリンの一族だった。奇襲が失敗に終わり返り討ちに合い、しかし手ぶらで帰るわけにもいかず森に潜んでいた所、偶々通り掛かったキャラバンを襲っていた所だった。撤退を告げる角笛が響く。深手や致命傷の仲間を置き去りにしてゴブリンたちは森の奥へ逃げていった。逃げ遅れた、或いは傷ついて逃げることの出来ないゴブリンをアレクセイは淡々と殲滅した。森は静かになる。風が吹いてややあって、鳥が囀り始めるとアレクセイは漸く剣を収める。ひと息ついて、ハンの元へ戻った。岩陰にいた男は動転してハンへ寄り縋っている。
「どうか落ち着いて下さい」
「す、すみません!他の、他のひとたちは!?」
アレクセイとハンは五人の倒れている人間を見つけた。その何れも急所を傷つけられ、夥しい出血をしている。もう既に事切れていた。
「…マスター、こちらの方も残念ですが」
アレクセイは頷く。
「助かったのはアンタだけのようだ」
男は項垂れた。
「…そう、ですか…」
現実を受け入れる事には時間がかかるだろう。しかし、突きつけられたそれに男は漸く冷静になれた。
「助けていただき、あり、ありがとうございます…」
「不運だったな、数日前にこの辺りでゴブリンの奇襲があった。コイツらはその一部だろう」
「最近はそういった事件をよく聞きます。護衛として何人か傭兵を雇ったのですが、我々を置いて逃げてしまって」
アレクセイはどう言葉をかけていいか分からなかった。ハンが何か言いたげに見つめてきた事に気づく。
「どうした?」
「マスター、この御方の火傷が少し深いです。すぐそこの小川にヌレミツバがありました」
「ぬれみつば?」
「でしょうね…私が摘んできますので、この方をお願いしても?」
「あー、ああ」
「すぐに戻ります」
アレクセイは何か腑に落ちない顔でハンの後ろ姿を睨んだ。
でしょうね?でしょうねって言ったかアイツ…?
男は「あの」と声を掛ける。
「あ?」
「お名前をお伺いしても?わ、私はミーシャと言って行商をしています。御礼をさせて欲しいんです。お金は無いのですが、商品のいくつかを差し上げますので」
アレクセイは快く頷く。
「俺はアレクセイ。さっきの射手はハン。ちょうど旅の物資に困っていた所だ」
「貴方はいったい?見た所とても戦い慣れていたものですから、兵士か…傭兵ですか?」
「詳しく語る気は無いが、“覚者”だ」
行商の男・ミーシャは眉を顰める。
「は、はぁ…」
そこへハンが戻ってきた。なんだか嬉しそうに。
「日光花もたくさん咲いてました。それにブナの樹皮も手に入れてきましたよ」
「そうか良かったな。お花がたくさんだ」
「どこかゆっくり治療出来る所を探しましょう」
アレクセイは頷くとミーシャを背負う為に屈み込む。
「い、いいんですか?」
「とにかく今は此処を離れるのが先だ」
「私が先導します」
「頼んだぜ」
先を行くハンの後をアレクセイはミーシャを背負ってその道を進んだ。
《ポトフとライ麦パン》
街道から少し逸れた森の中の小川の傍らの開けた場所は小鳥がよく鳴いていて比較的安全だった。アレクセイは行商人・ミーシャを背に周囲を見渡す。
「すみません、アレクセイ様。商品の荷物まで持っていただいて」
「気にするな、ここに降ろすぞ」
「は、はい」
アレクセイは背負っていたミーシャを降ろすと治療をハンに任せて野営の準備をしていく。アドレナリンが抜けたミーシャは治療中の痛みに呻いた。
「イテッ、イデデ…っ」
「ミーシャ様、少し耐えてください」
「いえ、そんな、ミーシャ様なんてっ」
アレクセイはハンの手慣れた処置に感心をする。
「ほう、その葉っぱが火傷に良いのか?」
「はい。ヌレミツバの葉の海綿状組織に含まれる水分には炎症を鎮める効果があります。特に火傷などの皮膚症状に対して抗菌作用もある為、人々の間では傷や火傷軟膏として広く活用されております」
「詳しいな」
「以前、私がお仕えした覚者様が薬草学に精通しておりました。そこで得た知識です」
アレクセイはヌレミツバを手に取ると葉を千切って口に入れた。
「ウエッ!ニッが!マッズ!」
「マスター、確かにヌレミツバの葉には胃酸を分泌して食欲を促進する作用がありますが、食欲旺盛のマスターには必要無いかと」
「早く言えよ!」
アレクセイはペッと唾を吐いた。
「申し訳ありません。まさか口にするとは想像しなかったもので」
「なんでこんなに沢山摘んだ?」
「ヌレミツバは矢の材料になりますから」
ミーシャは二人のやり取りを眺めつつ治療を施された脚を撫でた。痛みはあるが、ヌレミツバの成分のひんやりした感触のおかげで大分楽になっている。
「お二人共、本当にありがとうございます」
「あ?あーまあ、運が良かったと思っておけ」
「我々がもう少し早ければ他の方も助かったかもしれません」
ミーシャはどうにもならない顔をした。
「いいえ、詮無い事です。僕ら行商は常に危険と隣り合わせです。それに、雇った傭兵も最近はたちの悪い連中も多くて前払い制になったんです。皆で路銀を出し合って三人雇うのが精一杯でした。本当に運が良かったのだと思ってます」
「なんで行商なんか」
「長年の夢なんです。旅をしながら商いをする、色んな文化や人々、知らない言葉、知らない世界…素敵だと思いませんか?」
腕を組んで考え込むアレクセイを見て、ハンは「素敵ですよ。ね、マスター?」と相槌を促す。
「そう、かもな?」
「いいんですいいんです。故郷の妻にはバカにされるので」
ミーシャは愛想笑いをして「ところで」と切り出す。
「失礼な事を尋ねるようですが、そちらの方は…もしかして“ポーン”ですか?」
ハンの代わりにアレクセイが答えた。
「そうだ。分かるのか?」
「やはり、そうなんですね。いえ、先ほど治療をして頂いた時、掌に光る印が見えたので不思議に思ったんです。でもポーンが人と一緒にいるなんて」
アレクセイは「あー」と言葉を濁しつつハンを見た。ハンは首を傾げる。
「俺も詳しくは分からんが、コイツらが言うにポーンは覚者の為に仕えるモンなんだと」
「アレクセイ様、貴方は本当に覚者なのですか?」
言われるが、アレクセイ自身も覚者としての確固たる自分について未だに良くわからないでいた。曖昧な顔で何か助け舟を求めるようにハンを見つめたが、ハンは首を傾げる。
「まあ…そのようだ。しかし、俺も怪我のせいか記憶が殆ど無い。覚者だとかポーンとかいうのもよく知らないんだ。何か知っていれば教えてほしい」
「それは構いませんが、僕も伝承や絵物語や吟遊詩人の話し程度ですよ」
「充分だ」
「覚者というのはですね」
不意に、アレクセイとミーシャの腹が鳴った。
「………」
「アレクセイ様もですか?お恥ずかしい、僕も昼から何も食べてなくて」
「どうせなら何か食いながら話そうか」
ハンは「それなら」と立ち上がる。
「マスター、私の出番ですね」
今夜はガライモを使った
「おいちょっと待て、またイモか?イモはもう飽きたぞ」
「マスター、ガライモを侮ってはいけません」
「侮ってはいねえが、そろそろ肉を食いたい」
ハンはフム、と顎に手を置いて髭を撫でた。
「確かに、良質なタンパク質の他に脂質も人間の体には必要ですね。しかし、肝心の肉が」
ミーシャは「でしたら」と自分の持ち物を探る。
「塩漬け豚がありますよ」
そう言うと清潔な布に包まれた物を取り出すと包みを開いた。それは確かにツヤツヤに熟成された塩漬け豚だった。アレクセイにはそれが宝石か何かに見えている。
「い、いいのか」
「ええ、それと少ないですが野菜もパンもありますよ。元々これは売り物ではなくキャラバンの食糧でしたから」
「ありがとうございますミーシャ様」
「何れも命には変えられません。どうぞ使ってください」
では、今夜はガライモで
「待て、塩漬け豚はどうした?」
「ご心配なく、私にお任せを」
改めて。まずはガライモをよく洗い泥を落としてから乱切りに、少し塩を入れた水に漬けておきます。次にキャベツはざく切りに、ニンジンは
「ハン、ニンジンは嫌いなんだ」
ニンジンはひと口サイズにします。
「おい、ハン」
………。
「ま、まあまあアレクセイ様、熟成したニンジンは甘味が増して美味しいですから」
鍋に水を張り火にかけ、沸騰を待つ間に塩漬け豚を大きめの角切りにして、よく炒めます。
「ハン、一個くれ」
「そのご指示は聞きかねます」
「なんでだよ」
「ご容赦を、美味しいのを作りますので暫しお待ちを」
「………」
沸騰した鍋にガライモとニンジンを入れ、炒めた塩漬け豚も一緒に。ヴェルンワースハーブと南部オレガノを刻み、塩と胡椒と共によく揉んでから鍋へ。少し煮立ったところでガライモとニンジンを加え、月桂樹の葉を一枚。蓋をして少し火を弱め、暫し待ちます。
「マスター」
「あ?」
「ふと思ったんですが」
「んだよ」
「ヴェルンワースハーブを料理に使うか、回復用の薬にするか、私はいつも迷うのです」
「知らねえよ」
「そして、料理の完成を待つこの時間、言葉には出来ない期待が膨らみます」
「あーそうかい、俺は早く食いてえんだが?」
アレクセイはコトコト音を立てる鍋を恨めしそうに睨めつけつつ「フン」と鼻で笑う。
「お前は戦闘してる時より料理してる時の方が目が輝いてる」
「マスターは戦闘がお好きですか?」
「そうだな、悪かねえとは思ってるよ。戦いの前の高揚感というか緊張感は好きだ…お前はどうなんだよ」
「率直に申しますと、好きではありません」
「今更驚きはしねえが、ポーンってのはこぞってそうゆうもんなのか?」
「いいえ。私にとって戦闘とは得るものより失うものの方が大きいからです。しかし、戦闘でなければ得られない経験や知識もあります」
「お前にとってはそれは煮ても焼いても食えねえもんでもか?」
「面白い事を仰いますね。私の唯一の喜びはマスターと共にいる。ただそれだけです。戦闘もこの料理もその延長線上に過ぎません」
アレクセイは何だか居心地が悪そうに体を揺すると、手近にあった木の棒で焚き火を弄りつつ献身的な従者の横顔をチラチラ見た。
「お前らポーンが現物主義じゃなくて助かったよ。手持ち金五十ゴールドじゃ情けねえからな」
二人の話しを静かに聞いていたミーシャは、いいコンビだなと感じていた。
太陽もすっかり落ちて辺りが暗闇に包まれた頃。
「さあ、出来ましたよ。ポトフです。頂いたパンも召し上がりましょう」
器に盛り付けたそれを二人に差し出した。
「おう、お前も食え、ハン」
「お心遣いありがとうございます。マスター」
野営で出来立ての具沢山スープを食べられる事にミーシャが感慨深く感動をしている傍らで、アレクセイは空腹の本能に身を任せてがっついていた。
美味い、塩漬け豚の塩味と旨味がスープに染み込んでる。豚の脂身が熱で融けてほろほろだ。ハーブと黒胡椒が効いてて食欲が進む。ガライモは飽きていたが、煮込むとまた味が変わるのか?いつもよりネットリしていて甘い。ほんのり赤みがかってるが、こうゆうもんなのか?ガライモの味がいつもより濃い…。スープの中でガライモを崩すとポタージュみてえになる。ライ麦パンの酸味とスープの相性も抜群だ。
アレクセイは思わず頬が緩んだ。
あー、うめえ…。
「ハン様、凄く美味しいです!あっさりしたスープなんですけど、ガライモを崩して混ぜると味が濃厚になりました!それに野菜もすごく味が染みてて、短時間でどうやって?」
「頂いた野菜が熟成していたので、その分水分を吸ったのかと考えます」
「なるほど!腐りかけって何でも熟して美味しいですけど、そんなうま味もあるんですね!」
「ええ、そしてガライモはヒメガライモを使いました。ガライモ種の中でも味わいも栄養価も高いガライモです」
ミーシャは驚いた。
「そんな高級食材を!?」
アレクセイは咀嚼しつつ他人事のように黙々と食べていた。
《別れの夜明け》
「ご馳走様でした。手作りのジャムもとても美味しかったです」
アレクセイはお茶を入れたカップを二人へ差し出す。
「ありがとうございます。マスター」
アレクセイは軽めに「ん」とだけ応答し、音を立ててお茶を飲む。
「これはいいお茶だ」
「全くです。ミーシャ様には感謝するばかりです」
「いえいえ」
「で、ミーシャ?」
「はい?」
「話しは?」
「す、すいません。食事が余りにも美味しくて、何から話しますか?」
「覚者について」
「分かりました。でも本当に伝承や吟遊詩人の話す内容ですので、実際かどうかは分からないですからね」
「ああ」
「覚者というのは竜に選ばれし者、竜が現れると決まって覚者も現れます。一度に誕生する覚者はたった一人です。覚者は胸に光る傷がありポーンを従える事が出来る。ある覚者は国を治める王になり、またある覚者は右に出る者がいないほどに絶大な力を得たり…つまり人知を超えた存在なのです。この国にも既に覚者がいてついこの間、覚者王が晩餐会を開いていましたよ」
アレクセイは不審に思った。
「待てよ、覚者が独りしか産まれねえなら、俺は一体?」
「そこなんですよねえ。まあでも伝承や絵物語の信憑性なんて低いですよ。現によく偽覚者が投獄されてます」
「俺も偽物かもしれないと?」
「いっいえいえ!別にそんなつもりは!でも、僕は貴方が本物の覚者様だと信じてます」
言いつつミーシャはどうにもならない顔をして俯くと力無く話しを続ける。
「こんな事を言いたくは無いんですが、現覚者王様はあまり良い噂を聞きません。僕が、いえ、僕ら行商がキャラバンを組み、質の悪い傭兵を雇ってまで街道を進まなくてはならないのは城都の兵士不足でした。近頃、牛車ですら満足に運行しませんし、魔物や野盗に襲撃される話しも増えています」
口惜し気にミーシャは両手の拳を握った。
「…これも全て竜の出現による魔物の活発化が原因なのです。一刻も早く竜を斃すか、或いは街道の安全を確保すべきなのに。竜の国防強化の為と税収ばかり上げる一方で毎晩のように宮廷では舞踏会が催され、常に汚職の噂ばかり…僻地の防衛線には碌に物資も届かず兵士の士気は落ちていますし、孤児や未亡人にも満足な戦傷金すら支払われません」
アレクセイはメルヴェ村から少し離れた国境の宿営地でのことを思い出していた。ミーシャの言うように国境にしては城都兵の装備品や物資の質も目立って良い訳では無い。挙げ句には自分たちで現地から調達せねばならない状況になっていた。竜の襲撃を受けたメルヴェ村にも復興の為の支援すら届かないのが現状だ。アレクセイは眉間を寄せる。
となると、街道で見かけたあの牛車が気になる所だ。しかし、ミーシャの話しの真相を確かめるのが先決だろう。何れにせよ城都へは行かねばなるまい。
「ミーシャ」
俯いていたミーシャは顔を上げる。
「お前は唯の行商なのに随分と国の事情や内情に詳しいな。他にどんな事を知っている?」
ミーシャは背筋が寒くなった。油断の無いアレクセイの眼、剣の柄を撫でる指先。一拍の沈黙。薪が爆ぜて辺りの虫の声すら響かなくなった。ミーシャは人当たりの良い笑顔を見せて言った。
「へへ……僕はただの行商ですよ」
アレクセイはフンと鼻で嘲った後、剣の柄を撫でる指先を再び膝の前で組んだ。
「今はそれで納得してやる。お前が俺にどんな想像をするのも勝手だが、俺はあの赤い竜に一度敗けている。こんなナマクラじゃ話しにならん。あの人智を遥かに超えた存在を斃す方法があるとして、それを見つけ出すには相当な労力だろう。お前の知る物語の覚者はどうやって竜を斃す?」
「僕が言える事はどの伝承も物語も覚者は竜の心臓に刃を立てていましたね」
心臓、か。心臓ね。あの赤い竜にも胸に傷があったな…。
「覚者ってのは途方もねえ奴なのは理解したよ」
アレクセイはくぁ、と欠伸をして薪を焚べた。
「悩んでてもしょうがねえから、今夜はもう寝ようや」
「そうですね」
「ハン、見張りを頼むぜ」
「お任せを、マスター」
夜明けにはまだ数刻もあったが、ミーシャは寝付く事が出来なかった。剣を手にしたまま鼾をかいて眠るアレクセイを後目にのっそりと起き上がり天幕から出て焚き火の前に座り込む。すぐ傍らで、従者・ハンが矢を組んでいた。
「ハン様は眠らないので?」
「ええ、今はその必要はありません」
ハンは小刀で器用にブナの枝から矢を作っていた。
「料理、本当に美味しかったです」
「喜んで頂けて何よりです。足の具合は如何ですか?」
「まだ少し痛みますが、とても楽になりました」
「それはなによりです」
手際よく矢を作っていくハンの手元は淀み無い。小刀や小道具を駆使し、ランタンと焚き火の灯りだけを頼りに矢を作っていく。時折なにかの気配を感じ取るのか、森の暗闇をじっと睨みつけている。鼻筋の通った横顔は初老にしては煽情的な雰囲気があった。ハンは暫し森の奥を睨み続けていたが、気配が消えると再び作業へ没頭する。ミーシャにとってこんなに真近でポーンを観察する機会は無かった。ミーシャにとってポーンはリム石の前で何をする訳でもなくただ突っ立っているだけで何を考えているのか分からない不気味な存在だった。人がぶつかろうが、腹いせに殴られようがポーンは何も言わないのだ。ハンは数いるポーンの中でも一際存在感のようなものが強いポーンだった。出で立ちや風格、淀みのない手元からも戦徒としての経験が豊富である事が伺える。しかし“ポーン”である事には変わり無いのか、矢を組み終えると徐ろに立ち上がって、焚き火や天幕の周りをウロウロしたり、リム石の前にいるポーン達のように呆然と立っていた。
「ハン様は僕が見てきたポーンの中でも経験が豊富そうですね。アレクセイ様と出会う前は何を?」
「異界の覚者様の手助けや、時には人々の戦徒として彷徨っていました」
「どうしてアレクセイ様と?」
「マスターが私を選んだのです」
「ポーンと覚者…不思議な縁ですね」
ミーシャは眠れぬ夜に不安を感じていたが、アレクセイの従者ならば心配はいらないだろうと思った。そう思うと忘れていた睡魔がやってくる。
「おやすみなさい、ハン様」
「ミーシャ様、ゆっくりおやすみください」
夜明けである。暗闇に包まれていた森に真っ白な陽光が射し込み始めた。朝露を纏わせた蕾は花を開き、小鳥が目覚めて囀りを響かせている。ひんやりとした朝の風。外套を掛布がわりにしていたアレクセイは眩しさにもそりと寝返りを打つ。ハンがその肩を軽く揺すった。
「マスター?」
「あ?」
「すみませんが起きてください」
寝汚いアレクセイをよそにミーシャは既に目覚めていて荷物の整理をしていた。アレクセイは漸く起き上がったが寝起きの機嫌は相当悪い。ハンやミーシャなど目もくれずに小川のある方へ顔を洗いにのそのそ歩いた。
「アレクセイ様は気分でも悪いのでしょうか」
「お気になさらず。私も出会った当初は戸惑いましたが、思うにマスターは朝が嫌いなのでしょう…朝食を召し上がる頃にはいつものマスターに戻っています」
ハンは昨夜のスープを温め直し、ライ麦パンにジャムを塗っていた。アレクセイは冷たい川の水で無理矢理に覚醒させると、再びのそのそ野営地へ戻る。何も言わずにスープとパンを食べ始めた。
「アレクセイ様」
ミーシャはスープを飲みつつ感慨深気にアレクセイを見た。
「…この御恩。どう報いれば良いか分かりませんが、僕は貴方の事を忘れません。武運長久を切に願っております」
その言葉にアレクセイは眠たげな目をしつつ「ん」とだけ応答した。
「お二人はこれから城都に向かわれるのでしょう?」
反応しないアレクセイの代わりにハンが「ええ」と答えた。ミーシャは「でしたら」と地図を広げる。
「これをご覧ください。街道は安全ですが大きく迂回しなくてはなりません。僕らはいまこの辺りにいるので川を渡って山合いに進むのはどうでしょう?魔物の数も街道に比べたら多いですが僕らが使ってきた道なら多少は安全かと」
「マスター、どうされます?」
アレクセイは「あ?」とパンを齧ろうとしたままのぽわりと開いた口のまま振り返った。
「早いに越した事はねえだろ」
「では、地図に道を書き込んでおきます。これで半日は稼げますよ」
腹を満たせば多少はアレクセイの機嫌も良くなっていて、ハンと共に野営の道具を片付けていた。ミーシャは足の具合の様子を見つつ、自分の荷物を背負うと二人へ振り返る。
「アレクセイ様、ハン様、本当にお世話になりました」
「おう。あーそうだ。お前はメルヴェに行くんだろ?」
「え、ええ」
アレクセイは適当な革の切れ端に何かを書いた。
「こいつをメルヴェ村にいるウルリーケという名の娘に渡しておけ。お前の面倒を見るよう書いた。若い娘だがあれでも村長だ。何か力になるだろう」
ミーシャは「ありがとうございます!」とメモを受け取る。酷い字だった。内容は半分ほどしか読みとれない。
「じゃあな、ミーシャ。達者でな」
「ミーシャ様、さようなら」
ミーシャは少し泣きそうな目で二人の背中を見送ると深々と頭を下げてメルヴェ村へ続く街道をゆっくりと歩いていった。
《リザードマン》
国の大抵の人間は森や山へは深く足を運ばない。道迷いになりやすく街道に出る魔物より森の中心にいる魔物の方が人智を超えた存在になるからだ。アレクセイとハンの一行は地図に記された道を頼りに進んでいく。街道と森の中心の間を縫うような道は川渡りや崖沿いに進む危険な道だったが、山や森というだけあってその分、素材も豊富にあった。ハンは途中にあったゴブリンの死体を漁っている。
「ハン、もう行くぞ」
「マスター、このゴブリンは金銭を持っていました」
「でかしたお前」
アレクセイはいいものを拾ってきた犬の飼い主のように気味の悪い笑みを溢した。
「見かけない皮袋でしたので」
皮袋を開けば確かにゴールドが数枚入っている。汚れてはいたが金は金だ。
「しかし、何故ゴブリンが金なんか?賭博でもすんのか」
「ゴブリンは光るものを集める習性があります」
「お前そうゆう習性は最初に言っておけよ。あん時のゴブリンほぼ放置しちまったじゃねえか」
アレクセイは自分の革財布にゴールドを入れた。再び歩きだす。
「水がねえ」
「やはり、先程の川で汲んでおくべきでしたね」
「馬鹿野郎、あの川の周辺は死体まみれだったじゃねえか。気持ち悪ィよ」
「確かに」
アレクセイは木々や足下の周りを見る。苔むした岩肌が目立つ。近くに水源があることは確かだ。水分を多く含むつる植物を探していたのだが、この環境では生えないだろう。
「沢をくだりたくはねえが」
「致し方ありませんね」
大きな川があるということは沢が必ず近くにもある。
「マスター」
「あ?」
「カワセミの囀りが聞こえます」
「沢が近いらしい」
教えられた道からは少し沢沿いに逸れたが、水の流れる音を頼りに進んでいく。予想していた通り清らかな沢があった。水も美しい透明だ。冷たい水で喉を潤し、水筒に水を汲む。
「いい場所だ。少し休んでいこう」
「はい」
アレクセイは荷物を降ろし、木陰に座り込む。朝からここまで殆ど休みなく来た。疲れているわけではないが、こうして大自然の中にいるのは悪くない。献身的な従者は言われずとも周囲を警戒してくれている。
「マスター」
ハンは行動食を取り出す。あの時の干し果物だ。
「…ん、甘!」
メルヴェ村で買った物よりしっとりして甘い。果肉も柔らかいけど弾力があって噛むほど濃いベリーの味がする。あとから来る酸味のバランスも丁度いい。ジャムとはまた違った美味さだな。
「お前も食ってみろ」
「はい、では」
ハンもひと口ずつ食べている。
「もう少し干せばもっと甘くなるのですが」
「へえ、俺は丁度いいぜ」
「ふ、と思ったのですが」
「ん?」
「マスターは言葉より顔に出やすいタイプなのですね」
「…………」
「美味しかったですか?」
「まあ、ウン…美味いよ」
ハン、なんか小っ恥ずかしいんだが?
「よかったですね」
アレクセイは何も言わずに手のひらにあった残りのドライベリーを放り込む。何か他にダメ出しをしてやろうと思ったが、何も思い浮かばなかった。
グルル…
「ん?」
奇妙な音に互いに顔を見合わせた。
「マスター、お腹が空いたのですか?」
「いやお前の腹の虫かと」
「私は元より空腹を感じませんが」
泥の上を這うような這いずり音。それは沢の奥から聞こえてきた。爬虫類種を思わせる黄色い眼孔。迷彩効果の高い緑色の鱗、水生生物らしいヒレや膜。筋肉質な手脚に牙の生え揃った口元。威嚇行動のように二本脚で立つと木製の槍を手に吼えた。
「マスター、リザードマンです」
ハンが弓を手にする。
「一匹だけじゃねえな」
複数の這いずり音。どうやら少し下の沢に群れていたのかリーダー格の一際大きな個体を筆頭に這い出してきた。一匹の喉が異様に膨らんだかと思えば、水弾を吐いてくる。アレクセイは咄嗟に盾を構えた。
「誰に向かって唾を吐きやがる」
盾をふるって水を払う。リーダー格の一匹が吼える合図と同時に複数の群れが尻尾を使った跳躍で向かってきた。アレクセイは盾で弾いて隙を作ろうとしたが、二メートルはある巨体からのその一撃は想像以上に重い。加えて、質の悪い盾は衝撃を分散せずアレクセイの腕に直接痺れとして響いた。
腕に力が入らねえ。
数匹が木の槍をアレクセイに向かって投げた。咄嗟に剣を振るって弾き飛ばす。リザードマンは巨体の割に俊敏だった。アレクセイは一匹の突進を交わし、背後に回り込む。背を斜めに斬りつけたが背中のクレストを切り落とす程度だ。強靭な尾で足払いをかけられ攻撃後の重心のせいで盛大に転ぶ。
「クソが」
身を翻す。追い打ちとばかりに槍の攻撃がくる。すぐに回避行動をとっていなければ顔面に風穴が開く所だった。重い攻撃をいなしつつ、ギリギリの間合いをキープする。急所らしい首を狙いたいが、槍で攻撃を防いできた。アレクセイは苛立って眉間を寄せる。
トカゲ野郎の癖に戦闘慣れしてんじゃねえぞ。
八つ当たりに近い前蹴りをしたが、太い後脚はしっかりと爪で地面を捉えていて少し仰け反る程度だ。
「おいおい…」
ショックだな。結構本気で蹴ったぜ。
ハンは矢の射程圏内にいたが、リザードマンの俊敏な動きに狙いが定まらなかった。加えて数匹に目の敵にされている。噛みつこうとする一匹の下顎を矢で突き刺して串刺しにした。リザードマンの一匹はパニックになって矢を抜こうと藻掻いた。
「マスター!顎の下です!」
「そう言われてもな、こっちも忙しい」
ハンは弓を構える。
狙いがつけにくい。
アレクセイの背後にせまる一匹へ矢を放つ。首の後ろの鰓のような物が見える鱗の薄い場所を狙ったが、素早い動きのせいで背に当たって矢が弾かれた。
この弓ではこれ以上威力が出ない。
矢が貫通したままの個体がパニックになったまま背後から突進してハンに覆い被さる。肩に湾曲した爪が布と革の粗末な防具を貫通して突き刺さった。皮膚が引き裂かれる痛みを感じた。矢筒も破損して何本かが落ちている。
「……!」
一瞬の力の緩みをハンは見逃さなかった。肘で顎を撃たれたリザードマンは蹌踉めく。白い腹に至近距離で二矢を撃ち込む。急所を射抜かれたリザードマンは力無く藻掻いたがその場から動くことが出来なくなっていた。
じきに死ぬだろう。
ハンはアレクセイと随分引き離されていた事に気付く。
「アリョーシャ様!どこですか!」
二匹のリザードマンに追われていたがそれどころでは無かった。アレクセイは五匹のリザードマンに苦戦している。二匹は脇腹に致命傷を負っていて動きが鈍くなっていた。リーダー格の個体がアレクセイの盾に噛みつく。他の個体よりその咬合力は並外れており、アレクセイは身体ごと沢へ投げられた。全身泥まみれのずぶ濡れになった。
ンの野郎…。
盾は噛み砕かれ見るも無惨になる。アレクセイは手で顔に垂れた泥水を拭い、プッと唾を吐いた。
「くれてやるよ。そんな安物」
二匹は後脚の筋肉に近い筋組織を傷つけた。動けないだろう。コイツらは尾の筋力だけで全身を支えているようなものだ。尾を傷つけるか、断ちさえすれば…。
装備品が水を吸って重くなる。襲いかかる一匹に対応が遅れたが、目に矢を受けて転がり回った。すかさず腹を三回突き刺せば、夥しい血が噴き出す。失血死した仲間に激昂してリーダー格の個体が突進を繰り出した。アレクセイは身を翻す。勢いを失ったその巨体の尾に真っ直ぐ剣を振り降ろした。
ガキン!
嫌な音がした。剣が真っ二つに折れたのだ。リザードマンの硬い鱗に剣が耐えられなかった。アレクセイは尾で薙ぎ払われながら思った。
もう絶対に安い武器で妥協しない。
そこからは死にものぐるいだ。情けないが全力で走って逃げるしかなかった。装備の幾つかを失ったが、武器や命を失うより遥かにマシだった。
「マスター、大丈夫ですか?」
ついさっきボコボコにされたのに涼しい顔してんなお前。
アレクセイは喉まで出かけたが、ハンの背中の深い裂傷に何も言えなかった。
「お怪我は?」
「幸い打撲程度だ」
「おもわぬ苦戦を強いられましたね」
「おまけに武器も失った」
アレクセイは装備していた小刀のシースをチェスト部分に括り付ける。刃渡り六インチ程のコンバットナイフだが、何も無いより遥かにマシだ。
「マスター、先を急ぎましょう」
「そう慌てるな。お前の怪我を見てやる」
「マスター、失礼ながらお言葉を。先程のリザードマンに対して私の弓の威力では効果が不十分です。私も矢の半分以上を失ってしまいました。このままでは貴方を守り切れません。一刻も早く城都のある方へ向かいましょう」
アレクセイはそんなことは理解しているとばかりに数回頷く。
「夢中で逃げてきて今は方角も分からない。お前の意見も確かに正しいが少し冷静にならせてくれ。お前と違って俺は人間で感情的なんだ。ポーンは不死身でそんな傷放っておいてもいいんだろうが、こう、俺の気持ちの問題だ。あんな数を最初から相手にするなんて俺もどうかしてた。クソ…さっさと逃げるべきだった」
アレクセイの意見にハンはただ頷く。
「分かりました」
「あーそうかい」
覚者にただ忠実なのも考え物だな。ポーンってのは。
見目形こそ人間と変わりなく、話し掛ければ話し掛けた問いを淡々と述べる。人間のようにはっきりとした自由意志が無い存在とのコミュニケーションはやはりどこか不気味で味気ない。そう考えてしまうのは、見目形が“人間”であるからなのか、自分がこのポーンに多少なりとも信頼を感じてきているからなのか、アレクセイにははっきりと分からなかった。
本来ならもっと適切な場所を探すべきなのだが、先程のリザードマンとの一戦もあり、下手な行動を避けたかった。とりあえず今は魔物や獣の気配が無いのでハンの応急処置に勤しむことにする。ハンは上半身の装備を解くとその場に跪く。
「あのよ、ハンさん。普通はちょっと動いただけでもそれめちゃくちゃ痛いと思うぜ」
「そうですか」
「ほら、髪持てよ、お前毛先まで血塗れでガビガビだぞ」
ハンは言われるがままに自分のポニーテールを手で持った。
「そうですか」
右肩から真っ直ぐ背中までの裂傷はケモノ傷なだけに傷口がガタガタで縫合することは出来なかった。傷口からは未だにじわじわと出血している。傷口に集中し過ぎて分からなかったが、戦徒というだけありハンの体には幾つか傷跡があった。アレクセイはハンの持ち物から薬液か何かに漬けられたヴェルンワースハーブ入りの小瓶を取り出す。薬にも料理にも使われるとハンは言っていたな、と思いつつ清潔な布に染み込ませて傷に当てた。
「すげえ染みそうなんだが、平気なのか?」
「とても染みます」
「悪いな」
「いいえ」
「素朴な疑問だけどよ、痛みは感じる、んだよな?」
「ええ」
「人間みたく騒いだり喚いたりはしねえのか」
「人間は過度な痛みによる恐怖で錯乱しますが、我々はそれに至りません。無論、苛烈な痛手を受ければ行動不能になりますが、痛みからではなく単に損傷によるものです」
アレクセイは話しを聞きつつ包帯を取り出すとガーゼを固定する為に巻き始めた。
「行動不能になったポーンは結果どうなる?」
「肉体を失う事と道理ですので、魂魄のみがリムへ帰還します。覚者様の呼応に合わせて再びこの世界へ戻ることが出来るのです」
「上手い絡繰だな、漠然としか理解出来んが」
包帯を巻き終えるとハンは徐ろに立ち上がって「ありがとうございました覚者様」と慇懃に述べた。
「勲章モノだな」
アレクセイがそう言うと、ハンは少しぽかんとした後にフ、と笑う。
「なんだよ」
「いいえ失礼を、昔仕えていたマスターもそのようなことを仰有っていたのを、ふと思い出したのです」
身支度をしつつハンはそう言った。
「へえ。俺のご先祖様か?」
「はい」
「そん時もリザードマンか?」
「いいえ、あれは…確かハーピーでした」
「ふうん、お前もハーピーなんぞに出遅れる時もあったんだな」
「ええ。未熟でしたね」
アレクセイは水分を補給しつつ地図を確認した。太陽は傾きかけている。
「行きは確かここだろ、んで…ウーン」
「こちらです」
「なんで分かる?」
「太陽の位置と影の位置です。朝は太陽を背にしていましたから」
「あーそうかい」
「行きましょう」
アレクセイとハンの一行は再び城都への道を歩みだした。
《城都・ヴェルムント/“明星の雫”》
覚者・アレクセイとその従者・ハンは日没直前に漸く森を抜けることが出来た。森の小径は街道と繋がっていて、これを辿れば間もなくヴェルムントの城下へ着くだろう。殆ど丸腰で泥にまみれており、街道ですれ違う行商人や城都の兵士は二人をかなり怪しんで避けて通った。
「腹が減った」
アレクセイは酷く機嫌が悪かった。口にしたのは朝にライ麦パンとポトフの残りで、後は最低限の行動食のみである。
「昼食を召し上がる事が出来ませんでしたからね」
「あのリザードマン事件さえなけりゃ…」
アイツら次に合ったら丸焼きにして骨までしゃぶってやる…。革は財布にして、頭は家の壁に飾ってやるからな。ああクソ、丸焼きとか想像したら余計腹減っちまう。
「ハン、城都に着いたらメシだメシ」
「はい」
とっぷりと日が暮れる。街道だが辺りは暗闇に包まれていて、ランタンの灯りだけが頼りである。日中は何でも無かった草や木々の音が不気味に響いていて、向こうからやって来るのが人間なのかそうでないのかもランタンの灯火だけが頼りだった。
「ん?」
いつの間に民家がある。畑まで…。お、看板…?
「何か書いてありますね」
「あー…“善良なる臣民へ。魔物が町に侵入した際は、速やかにその場を離れ身の安全を確保するように”だとさ」
「こんな民家の近くにまで魔物がやってくる…と?」
「そんなんじゃ育てた作物もパーじゃねえか。兵士は何してるんだ?」
城都へ近付いていく。遠くから見ていただけではあまり実感が無かったが、首が痛くなるほどの城壁は圧巻のひと言だ。正門を通過すると牛車と荷車が置いてあり、馭者が小銭を数えている。アレクセイがじっと見ているとハーフリングの馭者は舌打ちをしてシッシッと手を振った。
「ジロジロ見てんじゃねえ!今は運行してねえよ!」
アレクセイは舌打ちをして何かひと言言おうとしたが、空腹のせいで何も思い浮かばなかった。ふ、とハンが先を歩いていて、何かをジッと見つめている。
あいつも空腹でおかしくなったか?
「どうしたハン」
「マスターあれを」
ハンは何らかの施設の奥を指差した。そこには巨大なリムストーンが鎮座している。
「リムです」
「いや見れば分かるが」
「はい」
「…………」
黙って見つめられれば、ハンは首を傾げる。巨大なリムストーンが鎮座しているその奥に酒店の看板を見つけた。看板には“明星の雫”と書かれている。
「何よりも先ずはメシと酒にしようや」
「そうですね」
アレクセイは意気揚々と店のドアを開けた。調度賑わう時間だったのか殆ど満席だった。吟遊詩人のリュートの音色や酔っ払い達の喧騒で溢れていたが、アレクセイとハンを見て一瞬静まり返る。大抵の人間なら大勢から睨まれれば多少臆するが、アレクセイは臆すること無く空いている席を求めズンズン歩いていった。周りの人間は二人を汚い流れ者くらいに見ていて少し距離を置く。カウンター席へ陣取ると獣人の女性が「いらっしゃい」と声を掛けた。
「ビールとボルシチとシャシリクだ!二人分くれ!」
店主は快活な人間の男だな、と感じたが気前よく「はいよ」と返事をする。店は再び、リュートと人々の賑わいで溢れた。ややあってジョッキに並々注がれたビールが運ばれてくる。アレクセイは喉を鳴らして飲んだ。けして小さくはないジョッキだったが、それの半分も飲み干して「ドゥア〜」と低い感嘆の声を出す。ハンは見覚えのあるような目でアレクセイを見つめた。
「どうした?お前も飲めよ」
「はい、いただきます」
ハンにとって麦酒は初めてではなかったが、なぜ人間がこの飲み物を好きなのかをずっと理解出来ないでいる。ヴェルンワースのビールは一番麦汁を使った甘みの強いビールで有名だった。とてもフルーティーで喉越しの良いビールである。ハンが今迄飲んだビールは黒い色をしていてキャラメルに似た風味を持っていた。あちらもいいが、こちらも悪くない。そんな感想だった。ハンがビールを三分の一ほど飲み終わる頃、アレクセイは既に二杯目を飲み終えて三杯目を頼もうとしている。
「あんた良い飲みっぷりね」
店主がそう言った。
「ビールなんて久々でよ」
「へえ?アンタたち何処から来たの?随分汚いナリだけど、まさか貧民街?食い逃げだけはやめとくれよ」
ボルシチと豚串(シャシリク)を差し出すと、アレクセイは夢中になって食べつつ喋った。
「悪いな、風呂どころじゃ無くてよ。俺達はメルヴェから来たんだ」
「メルヴェだって?山の向こう側じゃないか?なんだってまた?あそこにゃ竜が出たってもっぱらの噂だよ?」
「このボルシチうめえ!」
店主は話しが合わずに目をウロウロさせた。
「あー…そりゃありがとよ」
アレクセイは欲望に任せてとにかく飲んではよく食べる。
「お前も食えよ、ハン!うめえぞ!」
「はい。いただきます」
ハンは珍しい赤色のスープを飲んだ。トマトスープのようなものを想像したが、全く違う味わいのスープだった。どちらかと言えば酸味のある塩ベースのスープなのだが、肉や野菜の旨味が溶け込んで複雑な味わいだ。ポーンは本来、食事も睡眠も必要は無いがハンはそれでもスプーンがよく進んだ。
「美味いよな?」
アレクセイがニヤつく。ハンは素直に頷いた。
「はい。初めて体験する味です。いったい何のスープなのでしょう?」
店主は気前よく答えた。
「主にビートルートと牛肉を煮込んだスープだよ」
「失礼ながらビートルートとは?」
「おや、知らないのかい?赤カブより真っ赤な野菜のことだよ。ビートルートはバタルから伝わったのさ」
獣人の店主のその言葉にカウンターにいた年寄りが皮肉に笑った。
「獣人女め適当な講釈を垂れるな。ビートルートは元々ヴェルンワースにあったのだ。竜の血液が固まってそれが地面に垂れて、そしてビートルートが出来たのだ」
店主は「フン」と鼻で笑う。
「どれも同じ事よ。昔はこの国はひとつだったんだから」
アレクセイは「違いねえ」と言って器を店主へ向けた。
「おかわり」
アレクセイは一頻り食べて飲んで満足していた。ハンはアレクセイが最初に頼んだ物だけを時間をかけて味わって食べたようだった。アレクセイはウン、と伸びをする。
「満足だ」
「安心しました」
「ちょっくらよ、小便に行ってくる」
「ええ」
離席して店の奥で用を足しつつ、アレクセイは素朴な疑問を思い浮かべていた。
久々のビール三杯は流石に効いたぜ。そういや、ポーンは酔っ払いもしねえのか?つまんねえ連中だ。今度は蒸留酒でも奢って飲ませてみるか。そういや俺、金幾らあったっけか?ハンに確認してもらうか。
用事を済ませて戻って来る、そんな束の間の時間だった。店内が何やら別の意味で騒がしい。
「出ていけよ半人野郎!ここは人間様の憩いの場だ!」
大柄な男がハンを突き飛ばして店の前へ追いやっている。ハンは眉ひとつ動かさず無抵抗のままよろめいた。もう一人が毛皮のショールを襟ごと掴んで凄む。
「謝りもしねえのか?人間様が躾けてやるよ!」
無抵抗のまま殴られて衝撃に倒れ込むハンの姿を見て、アレクセイは考える間もなく床を蹴った。その男が誰かも分からないが、許せないものは許せなかった。
「あ?何だおま」
その男にとって見知らぬ男に殴られるという理不尽がどれ程の痛みか理解しただろう。アレクセイは一発で男を昏倒させる。もう一人も一発で。自分がハンを半人扱いするならまだしも、赤の他人だけにはされたくなかった。様々な感情があるにせよ、自分の従者に不敬を働いたのだから報復はあって然るべきである。アレクセイはそう正当化した。倒れてぐったりする男二人の取り巻きなのかそうでないのかは分からないが後はもう乱闘騒ぎである。吟遊詩人が皮肉な韻を踏んでリュートを奏でた。
「その姿〜まるでオーガ不幸か〜ファントムさえも震えだす」
ハンは殴られた衝撃で口角から出血していたが、何事も無かったかのように立ち上がって乱闘騒ぎを見守る。酔っ払いの多勢とはいえ、アレクセイはひとり優勢だった。ハンは「フム」と顎に手を置く。アレクセイ懇親のドロップキックが炸裂した。
「確かに、まるでオーガですね」
《ベルント》
店は静かになったが、人々はまるで地面から這い出したアンデッドのように呻き声をあげてヨタヨタしている。アレクセイはスンと鼻息で鼻血を飛ばすと、ハンの方へ歩き出す。
「こっぴどく殴られたなハン、勇ましい顔だ」
「マスターほどでは」
獣人の店主は頭を抱えている。
「アタシの店が…アタシの店が…」
アレクセイはやっちまった、と額を抑える。
「あー、わ、悪かったよ、このとおりだ…その、あの」
ポケットを探って今ある限りのゴールドをカウンターへ置く。
「これっぽっちで何が出来るのさ!」
アレクセイはまだ何かないか探っているが、金に代えられそうな物は無い。その内に城都の兵士がやってきた。店内を見て驚いている。通報のあった特徴とぴったり被るアレクセイを見て指を差す。
「お前だな!」
「あ、や!俺はッ!」
バタバタと城都兵に拘束される。
「神妙にしろこの野郎!」
頭を抑えつけられ床にうつ伏せに蹲って後ろ手に錠をかけられた。
「やめろ!変なトコ触んじゃねえ!」
「何だよコイツ!すげえ力だぞ」
「気をつけろ!コイツ噛むぞ!おい!誰か轡を持ってこい!」
屈強な城都の兵士三人掛かりで抑えつけてもまだ抵抗があった。その内に、他とは違う鎧と軍靴の音がゆっくりと響き渡る。重厚感のある音だった。自分に近づいてくる。アレクセイはどうにか頭の向きを変えて目だけでその男を睨んだ。アレクセイへ槍を向けている兵士がその男へ尋ねた。
「ベルント隊長、この男、如何しますか?偽覚者の容疑があります。そこのポーンを引き連れて店内で飲食をしていたそうですが」
ベルントと呼ばれた男は褐色肌をした精悍な大男だった。値踏みするようにアレクセイを見て静かに「連れて行け」と低く命令をする。連れて行かれるアレクセイを見送ると泣き咽ぶ獣人の店主を憐れそうに見つめた。ゆっくりと近づき、その肩に優しく手を置く。
「これを、迷惑をかけたな」
それは革袋いっぱいのゴールドだった。
アレクセイは城都の兵士に抑えつけられながらも前を歩く。時折、居心地悪そうに体を捩らせるが城都兵の機嫌を損ねるだけで終わった。兵士は背後を不審そうに振り返って立ち止まる。店にいた初老のポーンが着いてくるのだ。
「おいお前、リムのあるところに戻れ。この男は覚者じゃないんだぞ」
親切のつもりで兵士はハンへそう告げた。だが、ハンはその兵士に見向きもせずに拘束された男の後ろを着いていく。兵士は舌打ちし「まったく、ポーンってのは」と小声でボヤいた。
アレクセイが連れて行かれたのは地下牢に続く途中の尋問室と書かれた鉄と石造りの窓のない小屋である。アレクセイはそこに投げ入れられた。まともに受け身もとれない姿勢故に体が痛かった。
さて、面倒な事になったぞ。
どうにか逃げる算段を考えるが、いい案は浮かばない。
「私が直接話す」
ベルントは静かに告げると部屋へ入った。大きな音をたてて扉が閉まる。ベルントはランタンの火から部屋に吊るされたランタンへ火をつけた。暗かった部屋が明るくなる。それからアレクセイの体を軽々と抱えて鉄製の椅子へ座らせる。壁には尋問とは程遠い様々な拷問用の道具が吊るされていた。アレクセイはベルントを睨みつける。肉薄してくるベルントだったが、驚く事に猿轡と腕の拘束を解いたのだ。
「あ?」
「服を脱げ」
「……なん」
「脱ぐんだ」
アレクセイはニヤけて「ははん」と頷く。
「そうゆう事かよ、野郎とヤるのは初めてだが優しく抱いてやるぜ」
ベルントは想像だにしない返答に眉間を寄せたが、それでも静かに「服を脱げ」とだけ告げる。
「はいはい、分かったよハニィ」
泥まみれの装備を解いてインナーごと脱ぐと、次に下半身の装備に手をつける。ベルントはハッとしたように手のひらを見せて制止させた。
「待て、上だけでいい」
「あ、そう」
ベルントは何か慌てた様子でアレクセイの近くにあった蝋燭とランタンを吹き消す。アレクセイの周りだけが暗くなる。胸にあった大きな傷が、血液が流れるように紅く妖しく光り始めた。ベルントは後退りする。「ああ」と感嘆の声をあげて項垂れた。アレクセイには何だか分からない。しかし、尋問をされるわけではない事は明らかだろう。逃げる算段を考えたが、ベルントが向かってくる。
「おいおい何だよ!」
アレクセイは臨戦体制で身構えたが、ベルントが急に跪く。
「………?」
「陛下!」
陛下?…陛下…陛下?そうゆうプレイがお望みか?
アレクセイは何が何だか分からず辺りを見渡す。拷問器具が揺れて奇妙な金属音が響く。ベルントは悲しげな目でアレクセイを見つつゆっくりと立ち上がった。
「…ああ、陛下…なんてことだ…神よ」
ベルントは蹌踉めいて項垂れる。それから涙した。
「よくぞ、よくぞご無事で…我が王、我が覚者王様…!」
「お、おい、俺は…」
無い筈の心臓が鼓動する。
『まあ、お前が“覚者王”にでもなれば別だがな』
『はあ?なんだよそれ』
アレクセイは口もとを抑える。
「……。」
マジか、これ。
「な、なあ、その、べ、ベルント?さんよ、俺はいま記憶がぶっ飛んじまってアンタが誰かも、その」
ベルントは「やはり」と言いたげな顔で立ち上がる。
「左様でしたか、陛下」
何か言い掛けてやめた。ベルントは目を彷徨かせる。
「今はゆっくりお話ししている暇はありません。明日の夜、あの店でお待ちしています。少ないですが、これを」
ベルントはゴールドの詰まった革袋をアレクセイへ握らせる。
「気前がいいな」
「元は貴方様のお金ですから」
「へ、へえ…」
アレクセイはこっそり覗く。想像したより沢山詰まっていた。思わずニヤける。
夢じゃねえよな?
アレクセイがいかがわしい妄想をしているとドアの向こうから声がした。固い鉄製の扉は声が通りにくい。ベルントは小窓から人相を確認し、ゾッとした。
「ふ、ファズス殿…どうして」
ファズスと呼ばれた男はローブの暗い影から妖しげに目を光らせる。
「ベルント、いつも言っているだろう?偽覚者とやらが現れたらまず私かディーサ様に知らせよと」
どうにか平静を装い「ンンッ」と咳払いする。
「も、申し訳ありません。夜分遅くにご報告申し上げるのは失礼かと存じまして」
ファズスはモリフクロウのように首を傾げて下から睨めつけつつ言った。
「私が、いつ、そのように申した、と?」
「い、いいえ」
「まあよい。偽覚者の顔を見せろ。覚者王様とどれ程似ているか見定めてやろう」
「は、ハイ、お待ちを、少々散らかしていまして」
「ならば早く片付けろ」
ベルントは小窓を閉めるとニタニタしっぱなしのアレクセイの肩に手を置いて項垂れる。
「おう、どうした?」
「陛下、どうかご容赦下さい」
「え?なに」
アレクセイの反射速度は人間のそれを遥かに凌駕しているが、それでも金に浮かれてすっかり油断している時では別だ。顎にベルントの拳をまともに食らった。受け身も取れる筈もなく意識が飛びかけている頭で何か走馬する。それは死んだ母の姿だった。
“アリョーシャ、知らない人からおかねを貰っちゃ駄目よ?”
“マァマチカ。ベルントは小さい頃からの親友なんだ…。”
伸びてぐったりしたアレクセイの体をベルントが支えると地べたにそっと安置する。鼻血や泥を顔や胸に塗りたくり、人相がどうにか分からないようにした。足下の泥はアレクセイが来るそれより以前の囚人が拷問に耐えられず漏らした様々な物が混ざっているのだ。
「ああ神よ、我を許し給え。陛下に御慈悲をお与えください」
祈りをしつついつもの精悍な顔を作ると、ドアをゆっくりと開けた。
「うっ」
ファズスは酷い臭いに顔をしかめてローブの袖で鼻と口を覆った。人相は血や泥にまみれて良くわからない。髭に覆われた顔、背恰好と髪色は確かに葬った筈のアレクセイと同じだが、そんな男は幾らでもいた。
「この男はどこで?」
「酒屋の乱闘騒ぎの通報で」
「そうか。名前や出身は?」
「名前は無く、貧民街から来たと…か、か、金を積んでポーンを雇ったそうです」
「そうか」
ファズスは人相を確認したかったが、不潔すぎてそれ以上は見たくもなかった。
「明朝に処刑せよ」
「は?」
「聞こえんのか、明朝と共に処刑せよ」
「た、ただの貧民街の男ですよ?そ、それに貴方は異国の来賓でして、公妃の許可なく処刑はこの国の法律に反します」
「私の言動は公妃と同じ権力を持っている。その私が言っているのだ。ベルント、お前はいつから貧民街のウジ虫共の肩を持つようになった?」
ベルントはそれ以上は何も言えなかった。嫌な汗が背中を伝っていくのを感じる。静かに「分かりました」と言う他なかった。ファズスは恭順なベルントに気を良くしてさっさとその場を後にした。ベルントは気配が完全に消えたのを確認してから大きく息を吐いて深呼吸をする。完全に気絶してしまったアレクセイの体を慌ててボロ布で包んで担ぎあげた。
「まったく、どうしていつもお前は騒ぎの中心なんだよアリョーシャ!まずいぞ、まずいことになった」
ベルントは長い外套を身に纏い、ボロ布に包んだアレクセイを運んでいた。地下牢から続く城外へ出ると突然目の前の空間が歪み始める。それはひとひろ位にまで広がると、奥に別の世界が見えた。ポーンたちが“窓”や“門”と呼んでいる異界渡りの際に使う異空間への出入り口のようなものだった。そこの中心からするり、と初老の男が現れる。手のひらが光っていた。この初老の男はアレクセイのポーンのようだった。武器らしい武器を身に着けておらず、チェスト部分にあったナイフに手をかけている。
「マスターに何が?」
静かにそう言った。やはりアレクセイのポーンだった。
「貴方がアリョーシャのポーンか?心配するな、主人は無事だ」
普通の人間ならば信じないだろうが、初老のポーンは警戒しつつ主人の安否を確認する。見回りの兵士のランタンの灯りが見えて、ベルントは外套を目深く被る。
「ここじゃまずい」
静かに移動をして城外へ出ると、すっかり夜の帳の降りた住宅街へ出た。ベルントは初老のポーンへアレクセイを任せた。
「すまない、後は頼む」
そう言ってその場を去ろうとしたが、初老のポーンはその場に立ち尽くしている。ベルントは「ああそうか」と踵を返す。ポーンは警戒して数歩だけ後退りした。どうやら間合いを保ちたいようだ。ベルントは完全に警戒されていた。
「ここは危険だ。どこか目立たない場所へ行け」
「………」
くそ、俺の言う事なんざ聞くわけ無いか。
諦めかけていると初老のポーンは静かに口を開く。
「目立たない場所、とは?」
ベルントはハッとして振り返る。
「そ、そうだな、リム…リムストーンのあるモスクへ行け!そこなら大抵の人間は近づかない」
初老のポーンは控え目に頷くとアレクセイを連れて去っていった。
《買い物/クリークパン》
巨大なリムストーンのあるモスクには確かに大抵の人間は近付かなかった。単にポーンを忌避している理由もあるが、ごく普通の人間にはポーンに用事のある者はいない。変わったことと言えば竜の出現以降、リムストーンの前でぼんやりしていたポーンが何か忙しなさそうに辺りを歩き回っているのが増えた事くらいだ。それについて嘆いているのは陰謀論者くらいでいつものように「世界の終わり」について熱弁している。しかし今日はどうゆうわけか複数のポーンが何かを見守るか、或いは守るように一定の場所でジッとして集まっていた。
モスクの中の巨大なリムストーンの近くの隅でハンはアレクセイの目が覚めるのをじっと待っていた。そして人々が活動をし始める頃。
「……ンッ、ヴ?」
ハンはホッとした。
「マスター、気がついたようですね」
「なん、なんだ?ハン?ど、どこだこ、」
アレクセイは噎せ返って咳をする。口の中が錆臭いし、顎が痛い。頭痛もするし何なら全身が痛いし、何より。
「なんの臭いだ?」
「強いて言うなら糞尿でしょうか」
「どこから臭ってる?」
「貴方からです」
「文字通りクソだ……あー、どれだけ飲んだ?俺は兵士に連れてかれたよな?」
「はい」
「それから、そう、そうだ。ベルントとかいう野郎と話して、それから」
アレクセイはハッとした。ポケットに入った袋いっぱいのゴールドに「ありがとう、ベルント」と天を仰ぐ。
「その大金は?」
「シーッ!別にやましい金じゃねえ!」
「やましくないのでしたら堂々としていればよいかと」
アレクセイはボロ布を外套のように纏ってキョロキョロしている。ハンは首を傾げた。
「なぜ挙動不審なのですか?」
「バカお前、幾ら貰ったと思ってる?誰にも見られてねえよな?」
「ええ」
「ハン、ある程度遊んで暮らせるぞ」
ハンは言葉通り素直に受け止めてゆっくり頷く。
「よかったですね」
「……………」
アレクセイはゴールドの袋を見つつ溜め息をついた。
普通の人間なら「やるべき事があるだろう」とか「まともな職に就け」とか言うんだろうが。
外見は初老で自分より遥かに(ポーンに年齢の概念があるとして)歳上の筈なのだが、猜疑心のない目で見られ思った事なのかその場に対しての正しい行動なのか真意は不明にせよ、ただ表現しただけなのか。
本当にポーンってのは…。
「ほんとにそう思うのか?」
「私は覚者様のされる選択が正しいと信じています」
真っ直ぐな目で見つめられ、真っ直ぐな事を言われる。アレクセイはフ、と笑った。
「そうか」
「はい」
ハンは俯いたかと思えば何か提案をしたげにじっとアレクセイを見つめる。
「アリョーシャ様」
「あ?」
「まずは先にお風呂へ入るべきかと」
城都の宿屋にも等級があるが、上に位置する一等級の宿屋は“覚者の広場”にあった。宿屋の主人は突然やってきた浮浪者に“特別”に対応する。
「お客様、恐れ入りますがこちらは一等級の宿屋でございます」
「知ってる」
「失礼ですが、持ち合わせなど」
アレクセイは当分の宿代としての資金を主人へ一括で払った。宿屋の主人は布袋のゴールドに「…は?」と気の抜けた声を出す。
「部屋は?風呂はあるのか?」
「へ?い、いいい、一番上へどうぞ!」
案内された部屋は中々に快適な装いの部屋で眺めも申し分ない。忙しない人々を見下ろすのはいい気分だ。
「マスター、お風呂がありますよ」
「へえすげえな!こりゃ広い!」
「マスター、今すぐ入るべきかと」
「そうしてえがよ、装備はこれだけだしな…お前、適当な服や食い物やなんか見繕ってくるとか出来るのか?」
「明確なご指示を頂けるのなら」
アレクセイは頷くと街で過ごす為の服の購入をハンへ頼み、何枚かゴールドを手渡す。
「頼んだぜ相棒」
「お任せを、マスター」
アレクセイが風呂に入っている間、ハンはゴールドを腰のポーチに入れてマーケットの方へ向かった。ハンは人間の衣服は一つの店にあるのだと考えていたが、実際には幾つもの店舗が軒を連ねていた。衣服に使う布から公的なものまで様々な種類がある。
「困りましたね」
繁華街の真ん中で立ち尽くすので行き交う人々の肩にぶつかったが何も気にしなかった。どうすべきか迷っていると再び人と肩がぶつかる。
「おい!そこのジジイ!どこ見て歩いてやがる!」
チンピラのような風体の男が怒鳴りつつハンの肩を掴んだ。ハンは自分の事だろうかと言った顔で振り返る。
「こんにちは、どこを見て歩けばいいでしょう?」
その奇妙な雰囲気に男はぎょっとする。
「なんだよポーンかよ!気持ち悪ィ!」
そう言って走り去る。ハンはその男の体系や体格、服装を見て顎に手を置く。
「マスターはああゆうのが好みでしょうか」
何処へ向かえばいいでしょう?以前の覚者様は何をお召しになっていたでしょうか、他の覚者様はどんなものを好んでいたでしょう。
ポーンは人間のように自由に行動が出来ないが、得た知識や経験を元に行動する事は出来た。めぼしいものを探す為にマーケットをウロウロする。ハンは以前の主人が着ていた物に似たようなものを探していた。木綿のシャツや少しワイドなボトムス。アレクセイの先祖だった覚者が好んで着ていた。似たようなものを購入して戻る頃はアレクセイは調度風呂を終えたようだった。
「おう、買えたか」
「はい」
購入したものに袖を通す。悪くない生地とデザインだった。
「中々やるなお前、悪くねえよ」
「光栄です。マスターもすっかり綺麗になりましたね」
「さすが一等の宿屋だ。いい石鹸があったよ」
「そうですか」
「お前もひとっ風呂浴びてこい。最高だぜ?」
「そうします」
ハンの風呂を待つ間、アレクセイはオオブドウを摘みつつ宿屋の窓から広場を眺めていた。良い風が少し湿ったままの髪を撫ぜていく。様々な人間や獣人が忙しなく行き交ってそれぞれの日常を過ごしていた。アレクセイは頬杖をつきつつ眠たげに目をぼんやりさせて考える。
竜がいつ来るかも分かんねえのに、呑気だよなぁ。いざとなりゃ、覚者様が何とかしてくれるとか思ってんのか?バカ言えよ。
街を見るのにも飽きてベッドへ寝転んだ。
「まともな武器もねえのによ」
くあ、と欠伸をしていると、強い石鹸のにおいが漂った。ハンが風呂を終えたらしい。自分では分からなかったが、かなり高級な石鹸なのだと思った。アレクセイはハンの背中の傷が気になってハンを目で追う。リザードマンから受けた傷は殆ど痕も残っていなかった。アレクセイは首を傾げてベッドから起き上がる。
「お前、傷どうした?」
「治りました」
「そりゃ見りゃ分かるけど、こうゆう痕になんねえの?結構深かったぜ」
ハンの脇腹の傷痕を指差す。
「致命傷に至る傷はこのようになりますが、そうでないものは一日程で…しかし、この傷もそのうち消えるでしょう」
「なあハン、傷ってのは野郎にとっては勲章だぜ?そこらへんの町娘なんかポッとしちゃう位にな」
「そうですか」
「まあ、お前にはあんまり関係ねえか」
「そうですね。我々にしてみれば不名誉なものですから」
アレクセイは顎を撫でつつ「ほおん」とハンの傷痕を眺めた。深部に達したであろう火傷や裂傷、獣の噛み跡。様々だ。
なるほど、俺の従者は実に働き者らしい。
「マスター、あまり良い眺めではないかと」
「気になるだろ。誰にヤられたんだ?とか」
ハンは少し困った顔をする。さっさと服を着たい、とそんな様子だ。人間のように裸でいることに羞恥は無いが、覚者の傍らで軽装のままでは落ち着かないのだ。
「アリョーシャ様、はやく服を着たいのですが」
「え?」
しかし、人間のアレクセイにとってポーンの考え方は分からない。同性とはいえ裸を見られる事はポーンにとっても自尊心が傷つけられるのか、そう思った。アレクセイは急に恥ずかしくなった。
「悪い…」
いそいそと着替えるハンをチラチラ眺める。結紐を口に咥えて髪を纏める姿は勇ましさよりも艶やかで叙情的だ。
「お前」
「はい」
「髪、切らねえの?」
「少し切りましたよ」
「へえ、じゃなくてよ、バッサリいかねえの?」
「邪魔でしょうか?」
「いや、お前そのせいで一度俺とメルヴェでやり合った時に負けたろ?」
ハンは結紐をきつく結ぶ。確かに、うなじを覆う迄あったポニーテールは短くなっていた。
「そうでしたね」
「伸ばす事に意味でも?」
「案外、役に立つのです。古来より髪は男女別無く魔術の儀式の材料に欠かせない程の魔力が宿っています。特に我々の力や常識の及ばない異形の存在は命より髪を所望する傾向がありますので」
アレクセイは自分の髪を手で撫でつつ「へえ」と思った。
「ある異界では私の髪に五千ゴールドの価値をつけて買ってくれましたよ」
アレクセイはハンの短くなったポニーテールを手にして撫でた。
「早く伸びろポニテちゃん!」
「マスター、引っ張らないでください」
「じゃあ、お互いさっぱりしたとこでメシと武器を買いに行こうぜ」
「はい、マスター」
広場の方のマーケットへ行くと、何やら騒々しい。ぼろぼろの牛車とケガをした馭者が城都の兵士に運ばれている。ざわざわと話し声が響いた。
「また襲撃か」
「ひどいわ。これで何件目よ」
「なんでもゴブリンが武器を奪ってるらしい」
「ゴブリンだけじゃなく最近はグリフィンまで」
「グリフィンだって?勘弁してくれ」
「野牛が極端に減ったから家畜を襲うようになったのか」
そんな話しが耳に入ってくる。アレクセイとハンは人の波を掻き分けつつ武器屋の店主に声を掛けた。
「おい、この店の一番いい武器は?」
武器屋の店主は血相を変えて「ああ?」と凄んだ。
「一番いい武器を買いたい」
「ンなもん全部城都の兵士に持ってかれちまったよ。いま売れるのはこの三種類だけだ」
「こんなのナマクラ同然じゃねえか」
アレクセイのひと言に店主は怒りを露わにして胸倉を掴む。
「なんだとこのクソ野郎!ウチの店のモンにケチつける気か!?そんなにいい武器が欲しけりゃ城都兵にでも志願しやがれ!」
胸倉を掴んだまま突き飛ばすと、店主は「やってられっか!」と憤慨して店の奥へ消えていった。アレクセイは襟を直しつつハンを見る。
「だとよ」
「城都兵になるのですか?」
「そうじゃねえって、とりあえずメシにでもしようや」
「わかりました」
二人は一旦武器屋を後にし、屋台を何軒か回って食べ物を購入した。静かに飲食が出来そうな陽当りのいい草原まで来るとチーズやサラミをライ麦パンにのせて食べる。
「…んん」
アレクセイは眉間を寄せる。焼いてから随分時間の経ったライ麦パンだったようだ。かなりボソボソしているし、質の悪いライ麦なのかそれともなにか別の代用品でも入っているのかとにかく全体的に飲み込むのも苦労する味だった。
「……イマイチだな」
「それは残念でしたね」
もうひとつのライ麦パンを取り出し、ハンへ差し出す。
「ほら」
「私が持っておきます」
「いやお前の分のパンだよ。食べろ」
「ありがとうございます」
サラミとチーズも半分分ける。アレクセイはハンが食べるのを見て反応を伺う。ハンはふた口ほど食べたが何も言わない。
「…美味いか?」
「いいえ」
「だよな」
アレクセイはそれでもパンを齧りつつ考えた。城都の住民は飢えていないし食糧にも困っていないように感じたが、パンもチーズもサラミも全体的に質が悪く思える。メルヴェ村に満足に支援品が運び込まれないのも先程の牛車の問題やこうした食糧事情にあるのかもしれない。
「マスター」
「ん?」
「先程の武器屋の御主人にもう一度話しをしてみませんか?」
「なんだよ急に」
「武器屋に武器が無いとは、少し変だと思うのです」
「まあそりゃ変だけどよ」
「今後のことも進めるには先ずなにより武器が無ければ」
「確かにな」
「次はもっと丁寧に聞きましょう。まずは人の話しを聞く、何事もそこからですよ」
アレクセイは適当な雑草を毟りつつ投げると、腕を枕に草原に寝転んだ。
「お前の言う通りだ、ハン」
アレクセイは拳を掲げた。ハンは微笑んで拳を重ねる。
「いつでも力になります」
昼食を終えた二人は雑貨屋でガライモの蒸留酒を購入すると再び武器屋の前に来た。武器屋の店主は剣を研いでいる。どうやら城都兵の武器のようだ。兵士は出来に満足すると本来支払うべき値の半分のゴールドを渡した。
「こ、困りますよ!これではとてもじゃないがやっていけない!」
「うるせえ黙れ!この店は特別に慈悲深き公妃様のご達しで非課税を許可されてるんだ!」
「だからこの半分でもやっていけるだろ?」
武器屋の店主は「そんな!」と兵士に泣きついた。
「最近は満足に鉄や銅が入ってこないんです!それだけじゃない、鍛冶屋に必要な道具さえ…ですから金を払ってくだせえ!」
「そんなの我々に何の関係がある!どけ!薄汚いハーフリングめ!」
兵士は店主を蹴り飛ばした。丁寧に仕事され磨かれた剣に満足しつつ笑いながら店を去っていった。店主は彼らの姿が見えなくなった後で「クソ!」と悪態をついて目頭を抑える。
「…畜生どもめ」
アレクセイはそっと近付いて声を掛け、手を差し伸べる。
「よお、酷くやられたな、大丈夫か?」
主人は「ありがとよ」と言いつつその顔を見て「ケッ」と言った。アレクセイの手を払いつつ自力で起き上がって埃を叩く。
「さっきの野郎か、なんだ?笑いにでも来たか?」
「いいや、というより話しがあって来た」
「お前なんぞに話すモンなんてねえよ、とっとと帰れ」
「そう言うなよ、ほら、ガライモ酒やるからよ」
それなりに良い銘柄のガライモ酒である。武器屋の店主は酒好きで、竜が出る前は特級のガライモ酒を毎月納品していたと言う事をアレクセイは聞き込みで情報を得ていた。
「お前、俺を蒸留酒で釣るとはな…」
店主は酒瓶を受け取ると顎で店の奥を示した。
「着いてこい」
《ジャーマンポテト》
その武器屋は城都が誕生した時からハーフリングの一族が経営する伝統的な武器屋だった。現店主、名をロドリグと言う鍛冶屋だ。ロドリグの家は工房と一体化しており、アレクセイはハーフリングの鍛冶屋の家の様相をあまり期待していなかったが、驚く程整頓され綺麗だった。
「まあそこに座ってろ」
家具なんかもハーフリングのサイズなのかと思えば、普通の人間と変わらないサイズである。自分たちのサイズにあったものを造るくらい彼らには造作もない筈だが、そこは頑固なハーフリングなのだろう。
「さてさて、何か酒のアテはあったかな?」
言いつつロドリグは様々な棚の中を覗いている。
「サラミで良けりゃあるぜ」
「水増ししたサラミなんぞ食えるか、せっかくのいい蒸留酒だぞ」
アレクセイは早く話しが聞きたいだけに職人というのはこだわりが強くて焦れったい存在だった。加えてハーフリングである。人間よりも頑固だ。アレクセイは「どうするよ?」とハンを見る。ハンは台所で蒸されたガライモを見つけた。
「マスター、良い考えがあります」
「そうか。何となく想像がつくぜ」
「ロドリグ様、よろしいですか?」
“様”とつけられ、ロドリグは少し調子がよくなる。
「なんだ?」
「私に料理をさせてください」
「ああ?」
まず、ガーリックひとかけの皮を向いて芽を取り除き、薄切りにします。トウガラシも薄く輪切りにし、フライパンにオリーブオイルを敷き薄切りにしたガーリックとトウガラシを加え、弱火で温めます。こうすることでオイルに香りが加わり仕上がりもよくなります。温めている間に蒸したガライモを皮つきのまま乱切りに。ガライモ類は一度蒸して冷暗所でひと晩置くと、とても味がよくなります。今日の料理にはひと口サイズくらいが好ましいですね。サラミは敢えて厚めに切りましょう。オイルが温まって少しフツフツしてきますので中火にかけ、サラミを炒めます。焦げ目が少しついてきたらガライモを加えて潰さぬよう炒めていき、黒胡椒、塩、刻んだヴェルンワースハーブで味を整えます。ハーブのいい香りがしてきたら、火を止め…
「できました。ジャーマンポテトです」
「めちゃくちゃ美味そう」
まともな昼食ではなかった故にアレクセイは期待してひと口食べた。
「…ッッッ!」
うっっっま…!何だよコレ!めちゃくちゃ美味い!さっき食ったサラミとは思えねえ。ガライモのほくほくした甘みとサラミの香辛料が効いてる。ピリッとしたトウガラシのあと引く感じも絶妙だ。食材がガーリックの染みたオイルを吸ってしっとりして美味え。
黙々と味わうアレクセイを見て、ロドリグも恐る恐るひと口食べた。
「んん!ガライモにこんな調理の仕方があったとは驚きだ、そしてこれがあの水増しゲテモノサラミとは、信じられぬ…」
ロドリグもお気に召したようである。
「ヴェルンワースハーブは主に肉料理と良く合うのです。お互いの魅力を高め合うとてもいいハーブです」
「これなら蒸留酒のアテに申し分ない!」
ショットグラスを三つ用意すると波々と注ぎ入れた。
「さあ我々の出会いに乾杯しよう諸君、出会いに!」
「出会いに!」
「出会いに」
一気に飲み干してグラスを置いた。ロドリグはすっかり上機嫌になった。
「美味い!やはりこうでなくては!」
「こりゃいい蒸留酒だ」
「そうだろ?あの店の差別主義者野郎は嫌いだが、いい酒だけは嘘はつかん!」
アレクセイはちらりとハンを見る。割と強い蒸留酒だが、けろりとしていた。
「それで?えーっと、名前は…」
「俺はアレクセイ、アリョーシャでいい、こっちのはハンだ」
「よろしくお願いします」
「お主はポーンだな?」
「はい」
「ポーンが料理をする姿は初めて見たぞ。こんなに美味い料理なんて久しぶりだ。いい仕事をする。ありがとうよ」
「それには及びません」
アレクセイは不思議に思った。
「ロドリグおじさんよ、なんでコイツがポーンだとわかった?」
「こうゆう仕事をしていれば人間かそうでないかなんて立ち振る舞いを見ればすぐわかる。特にポーンは見目形こそ人間だが、人間とは少し違う。全ての人間は挙動や動作に癖がある。ポーンにはそれがない」
「ほぉん、流石職人だな、なあハン?」
「はい」
「それで、ここらじゃあまり見ない顔だがアリョーシャ、お前は何処から来た?」
「あー、まあ、メルヴェ村…の方だな」
「山の向こう側か?最近、竜に襲われた場所か?」
アレクセイは曖昧に頷く。
「村は殆ど壊滅したらしいな。あの地にはよく行っていたよ。手練れのファイターの鎧を届けにな」
「鎧と言えばよ、おっさん。なんで武器がねえんだ?俺達はその件を聞きにきたんだ」
ロドリグはあまり前向きにはなれず、蒸留酒を注いで飲んだ。酔いに任せれば多少の憂鬱な話しが出来るとそう考えた。
「なんのために?」
「詳しくは話せねえが、どうしても俺達には武器がいる。それから良い防具も」
「さっきも言ったが、ただ欲しいだけなら城都の兵士に志願すりゃいい。それじゃダメなのか?覚者でもあるめえしよ」
アレクセイは「あー」と言葉を濁す。しかしロドリグはアレクセイが「詳しくは話せない」といった旨を考慮した。
「どれもこれも、ゴブリンの群れがトレボ鉱山を占拠したのが原因だ。真っ赤な空飛ぶトカゲのクソッタレが現れる以前は魔物共も城都の兵士が対処できる程度だった。何処からともなくデカい群れが現れ、あれよあれよと占拠された。城都の兵士じゃ力不足だ。死傷者の回収すら満足に出来ない」
「トレボ鉱山?」
「ここらじゃ一番デカい鉱山さ、上質な鉱物が取れる。全盛期の時にゃ何処の鍛冶屋も忙しかったんだぜ。今じゃこの有り様だがな」
「それで納得がいった。材料が無きゃ作れるもんも作れねえわな」
「それだけじゃない。あのゴブリン共、人間の武器にまで手を出しやがる。外を見ろ、あのリムのモスクの下にジョブギルドがあるんだが、あそこの若手のやり手も頭を抱えてるぜ」
「ジョブギルド?」
「ああ、職能を変えられるんだ」
アレクセイは「へえ」と言いつつハンを見た。ハンは「どうしました?」と言いたげに首を傾げる。
「職能を変えた所で肝心の武器が無きゃ話にならんがな!」
「おじさんの話しを纏めるとこうだ。鉱山がゴブリンに奪われ材料も手に入らない、武器や防具を生産出来ず、討伐隊を組むも肝心の城都兵が無能…と」
ロドリグは腕を組んで頷く。
「遺憾極まりない」
「そういやこの国には“覚者王”ってのがいるんだろ?覚者様の力がありゃ鉱山一個くらいなら取り戻せそうだがな?」
覚者王のひと言が出た途端、ロドリグは「ケッ」と言いつつ蒸留酒を煽ると、二人のグラスにも注ぐ。
「覚者王様はドラゴンとの戦いで負傷され療養しているそうだ!毎晩のように覚者王の為に晩餐会だの舞踏会だの、最近じゃ娼館に入り浸ってるって噂さ!覚者になるってのは幸せな事だよ全く!だから近頃、皆が覚者になりたがってここの広場で“我こそは真の覚者なり”と叫んでるぜ。偽覚者は重罪だ。城都兵に連れてかれて帰ってきた者はいない」
アレクセイはフンフンと頷く。
なるほどな、俺も捕まる訳だ。
「アンタもそうなんだろアリョーシャ?確かに良い武器や防具がありゃそんじょそこらのケモノや魔物なんか目じゃねえさ…ポーンだって人間が絶対に雇えないわけじゃない。見た所、金に困っているわけでもなさそうだ。悪い事は言わねえから、偽覚者なんて気取るのはやめておけ」
ロドリグの言い分は確かに正しい。アレクセイは何か決めたような顔をして木綿のシャツのボタンを外しつつ言った。
「ロドリグおじさん、覚者を見たことがあるか?」
ロドリグは鼻で笑う。
「死んだじいやとばあやがよく話していたな。漂泊の民を引き連れ胸に傷があると、ただの傷じゃねえぞ?光る傷だ」
シャツの前を開いて胸の大きな傷跡を見せる。ロドリグは死んだ祖父と祖母が子どもの頃に見た覚者の話しを思い出していた。胸の傷は、まるで製鉄炉の中の溶けた鋼のように脈動し、光り輝いているのだと。遥か悠久の昔、ドワーフの一族は竜の襲来から覚者によって救われた。その覚者は人間の女性で聖母のようにドワーフ達を癒やした。今でもドワーフ達の間では“慈母神”として胸に光を宿した御神体を飾っている。ロドリグはそれまでアレクセイをただの頭の回るゴロツキか、暇を持て余した貴族の道楽くらいにしか思わなかった。ロドリグはまさしく言い伝えられていただけのそれを見て後退る。
「なんという事だ…ああ、聖母よ、慈母神よ、これは、アリョーシャ、お前」
「理解が早くて助かるよ」
ロドリグはフラフラしながら桶に溜めた水で顔を洗い、それからガライモの蒸留酒を瓶ごと飲み干した。何度か頬を叩いたり、蓄えた髭を引っ張ってみたりしたが、夢でも幻でもない。
「なんてことだ!」
喜び半分、驚き半分。
「なら、ならば、いま、今あの城にも、この世に二人と覚者がいないなら、お前、アリョーシャ…」
「落ち着けよ。俺もそれが気になるが、今玉座でふんぞり返ってる方が偽覚者…なんてあり得るか?」
ロドリグは額を抑えて深呼吸をする。
「それが本当ならこの国始まって以来の大スキャンダルだぞ。長らくこの国は覚者王が不在の預かり主による統治だった。慈悲深き公妃様だ。慈悲深いというが性格はその真反対だ。ゴブリンより狡猾で、ファントムより冷たい心を持っている」
「んで美女なんだろ?」
「人間の女の見てくれなんぞ知るかクソッタレ!すっかり酔いが醒めちまった!」
ロドリグは棚の奥の更にまた奥から怪しい瓶を取り出す。何か色々なものが漬かっている。アレクセイは眉間を寄せた。
「飲もう、アリョーシャ!」
何を飲ませる気だよ!
「い、いや俺はもう」
「トレボを取り戻してくれるんだろう?景気づけに一杯飲め!地図に場所を示してやるから!」
上機嫌にそう言われ、ショットグラスに黒っぽい何かを注がれる。
「おいこりゃ…ロドリグおじさんよ、何の酒だ?」
「ホブゴブリンの酒だ」
「………は?」
「あいつらを知ってるか?ゴブリン族にも独特な文化があるのさ、どんな製法で漬けてるか分からんが、有毒のマンドラゴラを酒にしている。時々それが出回るのさ、マニアの間じゃ絶品なんだぞ」
アレクセイはゾッとした。
「お、俺はゲテモノマニアじゃねえ!お前が飲め!ハン!」
「よろしいのですか?」
「ならお前の分も特別に注いでやる。俺はポーンは好きだ。お前さんは特にな」
ハンのショットグラスにも波々と注いだ。
「とても嬉しく思います」
「嬉しくねえだろ」
「さあ乾杯だ野郎ども!覚者に!」
「覚者様に」
「やめろォォ!」
その味はまさに、奇妙奇天烈、奇々怪々、複雑怪奇、奇想天外…。どんな蒸留酒にも及ばない度数の強さ。ショットで一杯飲むだけで目が回る。意識がおかしくなる内に二杯目。死んだ母親の幻覚が見えた。
「これを飲むと聖母が見えるぞアリョーシャ。慈母神様の乳房は最高だなぁ」
「この、きゅソジジイ…」
アレクセイは酩酊して昏倒した。
「マスター、大丈夫ですか?」
もしもハンが気付け薬を持っていなければ、アレクセイは幻覚症状で暫く悩まされていただろう。
《再び、明星の雫にて》
ロドリグとの話しの後は街の住民たちに聞き込みをする計画だったが、奇妙な“謎の酒”のせいで気づけば夕方だった。酷い酔いに苛まれそうだったが、不思議と足取りも軽くなんだか体がスッキリしたように思える。
全部ゲロしたからか?
前を歩くハンはいつもと変わらない。
「ハン、お前は何とも無いのか?」
「ええ」
「酒強いんだなお前」
「そんな事はありません。酔っ払いますよ。ただ貴方がたのように気分が高揚しても楽観的になったり悲観的にはならないだけです。許容範囲を摂取すればそれなりに肉体にもダメージを負います」
「それなりの度数だったぞあれは」
「私はポーンですよ」
「答えになってねえ」
「二杯目は飲んでません。流石にハメを外しすぎですよマスター。節制を覚えて下さい」
クソ、ぐうの音も出ねえ!
「一杯目で何か色んなモンが見えたな、俺は死んだ母親が見えたよ…俺に女装させようとすンだぜ?お前は何が見えたよ?」
ハンは立ち止まって振り返る。そっと微笑んだ。
「……秘密です」
「は?」
何か納得がいかない。アレクセイは問い詰めようとしたが、腰のベルトを引っ張られ振り返る。見れば小汚い男の子がいた。
「あなたがアリョーシャさん?」
「そうだが、なんだボーズ」
「これ、あなたに」
男の子はアレクセイに小さな手紙を差し出す。手紙は高級な羊皮紙で出来ていて、赤染めの革紐で結ばれている。アレクセイは不審に思ったが、こんな子どもが何かをしてくるわけではないと手紙を受け取った。紐を解いて中を見る。
“今夜、明星の雫にて待つ ベルント”
アレクセイはそう言えばあの時そんな事を言っていたな、と思い出した。手紙をハンに持たせて踵を返そうとしたが、男の子が咳払いをして「旦那様?」と何か催促するように言った。アレクセイは大きく溜め息をつく。
「恨むぞベルント」
アレクセイは小銭を男の子へ握らせた。
「へへ、まいどあり」
「クソガキめ、さっさと行け」
「またどうぞ〜」
男の子は人々の群れの中に消えていった。
「子どもとは言え逞しいですね」
「まあそうだな」
「孤児なのでしょうか」
「そりゃ孤児なんて幾らでもいんだろ」
アレクセイはハンを横切って前を歩く。ハンの気配がせずに振り返れば男の子が去った後をずっと見ている。
「ハン」
「はい」
「行くぞ」
「はい、マスター」
アレクセイは振り返りつつ話した。
「子どもが好きなのか?」
「ポーンはみんな子どもが好きですよ。我々には想像もつかない感性を持っています。とても新鮮です」
あーそうか。お前ら子どもなんて作れねえもんな。
「なあ、ハン。お前らポーンは何処から来るんだ?お前らも生命がある以上、産みの親とかいんだろ?」
「我々に人間の概念で言う生命は定義的には存在しません。我々は漂泊と呼ばれる場所で生まれますが、生命の誕生とは異なる現象です。この姿もマスターが投影した姿で、以前の覚者様の頃とは少し姿が異なりました」
「投影?」
「詳しくは私にも分かりかねます」
「つまりよ、俺がおっぱいのデカい褐色肌の金髪娘を求めたらお前はその姿になるってことか?」
ハンは暫し考えるように顎に手を置いた。往来する人々にぶつかりそうになるので、アレクセイはハンの腕を引いて道の端に移動させる。ハンが余りにも真剣に答えようとするのでアレクセイは少し恥ずかしくなった。
「試す価値はあるかと」
想像しなかった解答だった。
「ハンさんよ、お前はそれでいいのか?」
「マスターが求める姿が我々ポーンの姿ですので。見目形が変わったとしても戦闘スキルが大きく変化するわけではありません」
「するだろ」
ハンは「何を言っているのか」と言いたげに首を傾げる。
「しませんよ?」
「いくらポーンでも元々の筋量は全く違う。それに俺は華奢な娘に重い物だの気持ち悪いケモノの素材なんて持たせたくねえ」
「そうですか」
「大体、今でさえお前はこの街の人間に“歓迎”されてるんだぜ?おっぱいがデカい金髪褐色肌の娘にでも転身してみろ。どうなると思う?」
「どうなりますか?」
アレクセイは想像するが、ハンには想像が出来ない。
「お、俺の口からは言えん」
「そうですか」
「それに、俺がそんな際どい娘を従者として傍に置いてみろ。あの覚者、毎夜煩悩丸出しなんだぜとか思われちまう」
ハンは漸くアレクセイが何を言いたいのかを理解した。
「慰み者にされたところで我々はポーンです。我々にとってそれがどれほど不条理でも街道や森にいる魔物や獣に損傷されるのと然程大きな違いはありません。倫理という概念は人間が作り出した節制と秩序の教えであり、我々ポーンにとって理解しかねます」
アレクセイは皮肉に笑い飛ばす。
「人間を傷つけるな・覚者を守れ、だもんな!」
「はい」
「御立派だよ、さてそろそろ買い物の続きをしようぜ。お前がなんか欲しいとか言ってた奴はこの辺にあるぞ」
ハンはキョロキョロしたがハッとしたように振り返る。
「マスター、私はこのままの姿でよろしいのですか?」
「あー…」
アレクセイは想像しないようにしたが、自分の従者が好みの娘になった姿を想像した。可憐で強かで料理が上手くどんな理不尽にも従順で何よりも自分を立ててくれる。
クソ!嫁にしてえ…!覚者やめて嫁だろ最早これは…!
急に黙ってウンウン唸りだすかと思えばハンを見つめるアレクセイに興味深そうな目をした。アレクセイは暫し悩んだ末に。
「お前はずっとそのままでいてくれ」
と、そう答えた。ハンは少し面食らった。どこか懐かしげな目をしたかと思えばふんわりと微笑んだ。
「はい」
それからは、ベルントとの約束の時間までヴェルンワースの露店を見て回った。
「持ち合わせがあるというのは焦燥感に苛まれませんね」
ハンは珍しく自分からそんなことを言った。アレクセイはフッと笑う。
「お前の作る料理は結構気に入ってる。その為の散財なら何ら惜しくはねえよ」
「ありがとうございます。マスター」
たくさんの品を二人で抱えつつ宿屋までの道を歩いていると、ハンが「そういえば」と静かに切り出す。
「私がいた異界では、女性ポーンばかり雇う覚者様がいました。様々な考えがあってとても興味深く思いました」
「……………」
煩悩丸出し覚者共、竜のブレスに焼かれてくたばるがいい…。
アレクセイは“明星の雫”へ入るのを躊躇ったがきちんと話せば分かり会えると楽観視する事にした。店のドアを開けて一番にあの獣人の娘の店主と目が合う。
「あ!お客さん!」
やっべぇ…。
逃げようとしたがそれより早く両手を握られる。人間とは違うフワフワの手にアレクセイは驚く。
「待ってたんだ!この前はありがとう!アンタが大暴れしてくれたお陰だよ!」
何が何だか分からないが恨まれていないのならばアレクセイはホッとする。
つか、手ェふわふわなんだけど…?
「今日は何食べる?いい酒も良い肉も入ったんだ!なんでも好きなもの頼みな!まずはビールにするかい?」
「お、おう…ありがとう、そうだな」
アレクセイとハンは最初に来た時と同じカウンターへ座った。すぐにビールが運ばれてくる。日中に奇妙な酒を飲んだ(飲まされた)せいでビールがとても新鮮に感じた。
「あー、やっぱりウメェな…」
「マスター」
「ん?」
「いつも食事や飲み物をありがとうございます」
アレクセイはビールを飲みつつ何を今更と言いたげに目だけで笑う。
「独りじゃつまらねえからな」
「そうゆうものなのですか?」
「そうゆうもんだ」
タイミング良く料理が運ばれてきた。ボルシチとシャシリク(豚串)様々なキノコや野菜が入った壺焼きだ。ボルシチもシャシリクも変わらず絶品で、特に豚肉はまるで違った。
「なんだこの豚肉、うっま…!」
脂身は甘く口に程よく蕩けるし、豚肉は固いイメージがあったが柔らけぇ…。肉質は肉らしい弾力はそのままで噛めば噛むほど旨味が出て食いごたえも申し分ない。いつもなら独特な家畜臭さがあるんだが気にならねえな。
アレクセイは半分残ったビールを飲み干した。痺れる美味さだ。
「ンンっくぅぅッ!」
うめぇ…!何串でもイケる…!いい食材が入ったというだけあるな。
ハンは黙々と食べつつアレクセイの反応を興味深そうに見つめていた。
アリョーシャ様は食べるのがお好きなのでしょうか。確かに人間にしては恵まれた体格ですから、それなりに消耗は著しいでしょうが。
ハンはそんな事を考えつつボルシチを口にする。ハンは自覚をしていないが、ポーンとして百有余年以上を過ごしていた。アレクセイの遠い遠い子孫の覚者を始め、多くの覚者と数多の世界で年月を過ごし、それと同時に多くの覚者の最期を見届けてきた。どの覚者もハンにとっては特別な存在だった。覚者を失うことはポーンにとって導を失う事と道理だ。ポーンの中には失意に耐えきれずに漂泊の世に還ることもなく、同じ世界に留まり続ける者もいる。
そういえば…
ハンはアレクセイを見つめる。
私はなぜ、“貴方”を失った事を憶えていないのでしょう。
「おおん?どした?」
アレクセイの少し呆けた顔。嘗ての主人に瓜二つの鳶色の目。
「いえ」
「お!そうだ!お前ボルシチ知らなかったんだろ?いい機会だから教わってこいよ」
「それは良い考えですね」
「野営でこんなに美味いモン食えたら最高じゃねえか」
「ええ」
アレクセイは店主に声を掛ける。店主は事情を聞かされると快く承諾してくれた。
「アタシ、グレナっての。黒豹の獣人よ」
「俺はアレクセイ、アリョーシャと呼んでくれ。こっちのは相棒のハンだ」
「まさかポーンに料理を教えるなんてね。一族が聞いたらぶったまげるよ、ほらポーンの旦那、こっちだよ」
「どうぞよろしく」
アレクセイは料理を楽しみつつチビチビとビールを飲みながらハンの様子を見守る。グレナから野菜の下準備や使用するハーブ、ビートルートの下処理の方法の説明を受けていた。熱心に話しを聞いていたり疑問を投げかけつつ作業をし、時折楽しそうに互いに微笑んでいる。
こうやって見れば普通の人間と変わらねえよな。俺もあんな風に穏やかに歳を取りてえもんだよ。好きなように好きな生き方して…。
アレクセイはハンの穏やかな横顔を見つつマーケットでのポーンの姿についての会話を思い出していた。
投影か、投影ね…。案外その理論も間違っちゃいねえな。穏やかな余生か。確かに今の俺には無縁の話しだ。
アレクセイは周囲を見渡す。
そうか。俺はもう普通の人間じゃねえのか。
あの竜をぶっ殺せば俺の人生返してくれんのか?
そんな保証ねえだろ。
つか、俺もう普通の人間として生きられなくねえか?
王様になるんだろ?
この国の、この領土の?王様って何すんだ?
そもそも竜をぶっ殺して五体満足でいられるか?
「陛下」
「うおっ!」
耳元で囁かれアレクセイは体を跳ねさせる。
「こちらへ」
ベルントだった。最初に見掛けた時と違い、ローブを着ている。
「ビビらせんなよお前」
ベルントが向かったのは屋外の静かなテラス席だった。広場が見渡せるそこは喧騒とは少し無縁の場所である。アレクセイはビールと余った食事を持ってそこへ移動した。アレクセイが不審な男と連れ立って行くのをハンは無論、見逃さなかった。
「グレナ様、少し失礼」
そう言うとアレクセイのすぐ傍らに着いた。
「マスター」
「おう、あれ?グレナちゃんはいいのお前?」
ハンは何も言わずにアレクセイの前に立つ。ベルントを隙のない眼差しでじっと見つめて、いつでもナイフを抜ける姿勢でいる。
「おい、ハン」
「陛下、構いません。彼に何を説明しても私への警戒は解かないでしょう」
「そりゃそうか。アンタ、俺をぶん殴った前科持ちだもんな」
「ああするしか方法が…申し訳ありません、お怪我の方は?」
アレクセイは言われて「そういえば」と傷を触る。今朝までは口の中がサビ臭くて堪らなかったし、歯もぐらついていた。だが、食事も気にならず、腫れ上がっていた頬も引いている。
なんで、傷が…。
「“覚者”は致命傷ではない程度の傷なら治りが早いのです」
「分かってて殴ったのか?」
「言い伝えです」
「……まあいいか、ビールでも頼もうぜ」
「陛下、私は」
「お前怪しまれないようにその格好なのかもしれねえけど余計目立つぞ、ここはビールでも頼んでおけ。普通の客でいてえんだろ」
言うと、アレクセイはベルントの分のビールも追加注文した。
まあ俺が飲みたいだけなんだが。
ビールが来るとアレクセイはベルントから話しを持ち掛けてくる前に「それでよ」と切り出す。
「分かる範囲でイチから全部話してくれるんだろうな?」
「はい、陛下。私はその為に今夜ここへ来たのですから」
第1章終わり
ピクシブにもあります。
一章を分割投稿しているので、一気に読みたい人向けのものです。