無益な行いの、この上ない、常に新鮮な楽しみ。
《最初の依頼/ソリャンカ》
ベルントは覚者王つきの護衛官であったが長きに渡る預かり王・前コンスルの統治が終了した今、彼にとっての本来の役割は失われて久しい。ベルントはアレクセイへ彼が不在の間に起きた事をすべて話した。アレクセイは話しを半分理解した。後の半分は優秀な従者・ハンが理解してくれているだろう。
「要約すると、俺の記憶をブッ飛ばしたのがキモい髭の魔術師で、ディーサは可愛い息子を王にすべく俺を奴隷として売り飛ばしたのか」
「ええ、ディーサにとって本物の覚者という存在は邪魔者でしかありません」
「んじゃあ、玉座にふんぞり返ってるのは誰だよ?」
「ディーサが仕立てあげた偽覚者ですが、ただの道化師ではないでしょう。私も少しだけ会いましたが…なにか得体の知れない男でした。素性は巧妙に秘匿され、何も分かりません」
男と分かれば尚更アレクセイは興味が無かった。何故なら偽覚者とバレるのは時間の問題だ。覚者だけがポーンを従える事が出来る以上、普通の人間にポーンをハンのように従えさせることは出来ない。偽者は所詮、偽者なのだ。そう考えていた。
「で?ベルントさんよ、スパイって言ってたな?俺がそんな器用な事を出来ると思ってんのか?俺としてはトレボを取り戻してさっさと武器や防具をこさえて竜をブッ殺しに行きたいんだが?つーかよ、万事それで全部解決だろ?世界は平和になりましたってな!この覚者・アレクセイが竜をブッ殺しゃ、偽覚者もこの国の問題も全部纏めて片付くんだぜ?」
ベルントは溜め息をついて額を抑える。
「お気持ち察します、ベルント様」
ハンがそう声をかけた。アレクセイは心外とばかりに振り返る。
「陛下、トレボ奪還も火急の事態と言うことは先にも申しましたが、トレボを占拠したゴブリン族は街道で出会う陳家なゴブリンではありません。組織され統率された集団です。武器や防具は私が手配しますが直ぐには用意ができません。ですからその準備までの間に陛下にはディーサが今後何を企んでいるのか陰謀を明らかにし罪を白日の元に曝すのです。ヴェルンワースの臣民には真の覚者王である貴方様のお力が必要なのです。陛下…何卒」
アレクセイは唸りつつ困惑した顔で額を掻いた。
「そ、そうは言っても俺はスパイなんて…大体スパイってのはよ、もっと勤勉な奴が向いてる…ベルント、お前の方が」
「私にも立場というものがあります。現に私は公妃派の人間ではありません。素性も割れていますし」
「じ、じゃあ、ハン!お前がぴったりだ!」
「マスター…」
「陛下、ポーンは城に立ち入る事を許可されていません」
「ポーンなんて見た目じゃわからねえだろ?ハンを見てみろ、イイ男じゃねえか!」
ベルントはハンを見る。
「それは…確かにそうですが」
ハンは特に動揺もなく静かに淡々と発言した。
「アリョーシャ様、確かに私が適任かもしれませんが、城へ潜入出来たとしても私にはその後どうすれば良いのか独りでは行動できません。況してや人間の企てについての証拠品など私にとっては全て同じものに見えますから」
アレクセイは二人に見つめられる。
「……俺しかいねえってか」
アレクセイは額を抑える。
スパイなんて柄じゃねえだろぉ…。
そんな事は二人も承知であるが、他にどうしようもなかった。
「陛下、明後日の深夜、執務室の警備を緩めておくようにしておきますのでどうか」
最早断る事も出来ない。そもそも“覚者”という身の上、後に引く事は許されなかった。
「わかったよ」
アレクセイは彼らしからぬ静かな声でそう答えた。ベルントはもう店に長居は出来ないらしく今夜はここで別れる事にした。帰り際、アレクセイはベルントに腕を引かれる。
「なんだよ」
「アリョーシャ…じゃない、陛下、くれぐれも」
アレクセイは少しポカンとした後に「ぷはっ」と笑ってベルントの肩を叩く。
「お前やっぱり無理して俺にそんな言葉遣いしてたのかよ」
ベルントは目を泳がせる。
「…申し訳ありません」
「いや、俺もお前の事を何も憶えてないんだがなんかこう、お前に畏まって“陛下”なんて呼ばれるとムズムズするんだよ」
「左様ですか」
「つか、正式にはまだ王様じゃねえ。見ろよこのナリ、一体誰が俺を王様だと思う?王様ってのは派手な装飾の沓を履いて、偉そうで、金ピカの王冠被って、ダッセぇダブレットを身に着けて宮廷道化師を連れてるモンだろ?見ろよこの道化師、なんの面白味もねえ」
アレクセイはハンを親指で指し示す。ベルントはポカンとしたかと思えば何処か懐かしげにフッと微笑む。
「そうか」
アリョーシャ、俺とお前は餓鬼の頃から本当にどうしようもなかった。お前の悪戯に付き合わされるのはいつも俺で、痛い目に合うのも決まって俺だった。だが、俺が危ない目に合った時に助けてくれたのはいつもお前だったよな。
「アリョーシャ」
「ん?」
「いつでも力になる」
そう力強く笑った。アレクセイは漸く腑に落ちたような表情でベルントに手を差し出す。ベルントはその手を握った。
「そうこなくちゃ」
「またな、アリョーシャ」
「おう、じゃあなベルント」
それからアレクセイは宿屋へ戻ると、なにかどっと疲れが出てすぐにベッドに横たわる。ここへ着いてから何だか忙しなかったように感じる。明日の支度をしていたハンはアレクセイのその様子を見てそっと声を掛けた。
「マスター?」
「あ?心配ねえよ、何だか疲れちまった」
「では早くおやすみになった方がよろしいかと」
「ハン」
「はい、マスター」
「スパイの経験あるか?」
「残念ながら」
「どうすりゃいいと思う?」
「特に話すべき情報は何も」
「クソポーン」
「申し訳ありません」
「寝る」
「はい、おやすみくださいませ」
「ハン」
「はい、マスター」
アレクセイは何か言い淀んだ後に、のそりと枕から顔だけを覗かせる。
「……俺は、王様になるのか?」
「この国は王政の法治国家のようで、先代の王は皆覚者だと聞いています。それに則ればマスターはこの国の王になる事は避けられない事実かと」
アレクセイは枕に顔を埋めて「んんう」と唸る。ハンはその様子を見て首を傾げた。
「嫌なのですか?」
「……分かんねえよ」
「マスターに分からないのなら、私にもどう答えていいのか」
「そうじゃなくてよ」
アレクセイは半ばウトウトし始めていた。心地良い微睡みの中にいる。睡魔が手招いているようだった。アレクセイは抗いたくもあり、それに身を委ねたくもある。
「俺はさ…普通の暮らしがしたいだけなんだ…適当に仕事して適当に暮らして…釣りしたり、ときどき魔物狩ったり、そんでよ、それでキャンプしてさ、おまえの…美味いメシ…食ったりし、て」
「そうですか」
ハンはアレクセイの反応が返って来ない事にベッドの方を見る。
「アリョーシャ様?」
静かに寝息を立てている。かと思えば、鼾をかき始めた。ハンはブランケットを手にするとアレクセイにそっとそれをかける。
「おやすみなさいませ、アリョーシャ様」
ランタンの火を吹き消すとハンはベッドに座り込み、静かに瞑想を始めた。
朝を迎えた。アレクセイはいつものようにハンに起こされるかと思ったが今朝は自然に目が覚めた。朝といっても既に日は高い。眠い目を擦りぬくいベッドで微睡んでいたかったがそうもいかない。朝市でもないのに新鮮で忙しない賑わいが窓越しにも聞こえてくる。大抵の人間は柔らかな日射しに「いい朝だ」と思うのだろうが、アレクセイにとっては睡眠の妨げでしかない。目深くブランケットを被ったが朝の尿意に我慢が出来ず結局目を覚ましてベッドから出ることになった。スッキリして顔も洗えば眠気が覚めて、次にきたのは二日酔いだ。酷い訳では無いが何とも言えない頭痛と胃のむかつきがする。水を飲んで誤魔化せば多少楽になるが、今日一日何もしたくない程度には動きたくなかった。
そういや、ハンはどこへいった?
宿屋の部屋は基本清潔だが、アレクセイは何もかも散らかす。ハンが何も言わず部屋の整頓をしてくれる為、掃除なども行き届いている。勤勉で几帳面な男だなとアレクセイが感心しているとハンが戻ってきた。食事の乗ったトレーを持って。
「おはようございます、マスター」
「え?お前朝メシ作ってくれてたの?」
「はい」
スープとパン、リンゴのピューレの乗ったトレーをテーブルに置く。アレクセイは朝食とハンとを見る。彼は水差しから冷たい水も注いでくれていた。
「さあ、朝食にされますか?」
「あ、ハイ」
執事だ、執事。お前次の就職先は宮廷執事に決定な?
アレクセイはテーブルに座る。湯気の立つスープを見つめた。ボルシチのように赤いがトマトベースのスープのようだ。スプーンでかき混ぜると底にサワークリームが入っていたようで濃いピンクに染まっていく。贅沢な具だくさんのスープだったが、ハンには申し訳なくも二日酔いであまり食欲は無かった。しかし、せっかく作ってくれたのだし、とアレクセイはひと口含む。
「…ンッ!」
うわ!ウマッ!濃厚だけど酸味がクセになる…!サワークリームを混ぜると酸味がまろやかになってコクのある濃厚なスープに変わった。野菜も肉もとろとろに煮込まれてて食うのにストレスが無い。二日酔いでもたれた胃に優しくキクな、コレ。
「ハー…ッ」
ヤベェ…!俺このスープめちゃくちゃ好きかも!
「なんてスープだ?」
「これは確か、ソリャンカですね」
「ソリャンカ?それにしちゃぁ、ウメェな」
ハンは嬉しそうに微笑む。
「ええ、まろやかな酸味と少しの苦味のアクセントを表現したくなりました。クワスとビールです。二日酔いには迎え酒と言うでしょう?まあ、アルコール成分は殆ど無いのですが…しかし、不思議なもので酵母というのは…」
そこまで早口で言ってのけてハッとする。饒舌になり過ぎた事に赤面して俯いた。
「すみません。出過ぎた事を」
「い、いやいいけど。俺は料理のことなんてちっとも分からねえからさ、お前の作るモンはマジで好きだよ。ン、美味い!」
アレクセイは夢中になって半分も掻き込んだ。感嘆の溜め息が出る。二日酔いなど何処かへ吹き飛んだ。アレクセイの食事が終わるのをハンは静かに見届けている。満足気な主人の顔にハンの頬が自然と緩む。
「お口にあったようで何よりです」
「んん、ウメェよ、これ…」
アレクセイはハンを見つめる。
執事よりも、やっぱり褐色肌の金髪巨乳娘かなぁ…。
ハンは一方で、見つめられたまま何も言わずただニヤニヤするだけのアレクセイに首を傾げる。
「どうしましたか?」
「え?ああ、いや、何でもねえよ」
アレクセイは記憶こそ無いが、毎日こんなに充実した食事をしてきただろうかと漠然と考え始める。心做しかコンディションもいい。覚者になったからか?とも考えたが、それとは少し違う気もする。それからつぶさに感じた。毎日こんな風に食事を作ってくれる存在が傍らにいることの奇蹟に。
「ハン」
「はい、マスター」
「ありがとう、ごちそうさま」
「はい、いつでも私にお任せを」
《覚者王とジェスター》
健康的な食事と十分な水分補給をすれば二日酔い症状は殆ど楽になった。
「今日は如何されますか?」
「んー…お前の用事はもういいのか?」
「異界に行きたいのですが」
「行けばいいじゃねえか」
「生憎、弓の調子が良くないのです。恐らくリザードマンとの戦闘の際にどこか傷ついたのかと。私の不手際でした」
「間に合せでいいなら買うか?」
ハンは少し悩んでいた。
「いいえ、やはり私もいい弓が欲しいですね。それに…」
言いつつアレクセイの傍らに並んで歩くと目を合わせて微笑んだ。
「今はマスターといる方が落ち着きます」
「…へ、へえ」
クソッ!なんか今ちょっとトキめいちゃったじゃねえかよ!不意打ち過ぎるだろお前…!
「そ、そんじゃあ、町を少しブラつこうぜ」
「いいですね」
「覚者様が直々に見廻りでもすりゃちょっとは株を稼げるだろ」
「カブ?今はカブの時期ではないですよ」
「そうゆう意味じゃねえって、まあいいや行こうぜ」
町は暦で言うところの祭日のようで普段より賑わいを見せている。軒を連ねる屋台や露店も活気に溢れていて、城都だけではなく今日は近隣や同盟国の旅行者も来ていた。中でも人気なのは“覚者”を謳った商品であり、先代覚者王ロセイエスを模した冠や鬣、竜の首を切り落とした小さな彫像は売れ行きの商品のようだった。アレクセイはロセイエスの鬣と冠を身に着け賑わう露店や屋台を冷やかして周る。
「お祭り騒ぎだな!ハン!」
「ええ、マスターも楽しそうです」
「サマになってるだろ?なんたって俺は覚者王だからな!」
ハンは少し離れて歩きたい衝動に駆られたが、アレクセイが無邪気に楽しむ姿にどうにもむず痒い思いだった。ハンの前を子どもが二人走ってくる。アレクセイと同じように鬣と冠をつけて小さな模造刀を手にしていた。もうひとりの子はドラゴンの被り物をつけている。子どもたちは無邪気に笑ってハンの前を走り去った。ハンは微笑ましい姿を追ってから小走りでアレクセイの後ろに着く。
「マスターは」
ハンはアレクセイの子どもの頃の話しを聞きたくなった。そう切り出してすぐ、彼に記憶が無い事を思い出しハッとする。
「ん?」
「いえ、なんでもないです、申し訳ありません」
要らぬ事を聞いてしまいそうになり俯くハンにアレクセイは首を傾げた。
「どうした?」
「お気になさらず」
こうゆう時のアレクセイは少ししつこかった。ポーン相手なら尚更である。
「おい、ハン」
「はい、覚者様」
そんなやり取りを聞いている通行人(主に女性)は「なにあの人」「すっかりなりきって」とクスクス笑っていた。ハンは少し複雑な心境だった。
「お前にイイもん買ってやる」
アレクセイはニッコリ笑った。
「いいモノ?」
ハンはあまり良い予感がしなかったが、口に出さないよう努力した。アレクセイがやって来た屋台はロセイエスの鬣は勿論のこと、様々な仮装の小道具を売っている店だった。アレクセイはそのうちのひとつを購入するとハンの頭に被せる。それはファンシーで可愛らしい青い帽子だった。
「おお!いいじゃねえか!」
「あの、マスターこれは?」
「王様には宮廷道化師(ジェスター)がつきものだろ?」
道化師…。
ハンは困った顔をして眉間を寄せる。
「私はポーンですよ」
「皮肉だろ?」
「ええ、とても」
「露骨に嫌そうな顔すんなよ」
ハンは「え?」という顔をした。
「そんな顔をしてましたか?」
「お?おお、しかめっ面してたぜ」
「すみません。そういったわけでは…」
難しそうな顔をするハンにアレクセイは「流石にジョークが過ぎただろうか」とポーンの尊厳に傷をつけた可能性に惑う。
「悪かったよ」
そう言って道化師の帽子を取ろうとしたが、ハンはスッと半歩下がる。
「ハン?」
「アリョーシャ様、違うのです。けして嫌な気分などでは無いのです。人間の貴方には理解が出来ないかもしれませんが、我々ポーンにとって必要の無い物を覚者様から賜る事は…その、いつもどうすべきか迷ってしまうのです」
「好きにすりゃいいだろ」
「具体的にどのようにすれば」
「いやそりゃ、こう、なんつーか…」
ハンは期待を込めた目でアレクセイを見つめる。やはりポーンは根本的に人間が本来持つ価値観とは違う性質の生き物なのだとアレクセイは思った。単純に分かり合えないのは人間同士も勿論だが、感情や意思を持つことを許されないポーンにとって「好意で買い与えたもの」はどのような価値観を持つのか、アレクセイには確かに理解が出来なかった。アレクセイはハンの反射速度より早く帽子を引っ手繰る。
「マスター?」
「これは俺が預かる」
「今何と?」
「お前が使いたくなった時まで俺が預かっておく」
「…そうですか。果たしてそんな日が来るでしょうか?」
二人は再び屋台を歩いて回る。ふ、とハンが立ち止まった。途中からハンの気配が消えてアレクセイが振り返った。ハンは奇抜な柄の暖簾の屋台に足を止めていた。
「おうハン、今度はなんだ?珍しいスパイスでも見つけたか?」
「いえ、マスターこちらをご覧ください」
「なんじゃこりゃ?」
「これはリムの香炉で、こちらは転身の書です」
「ほおん」
アレクセイにはそれが何が何だか分からない。
「マスター、いつも仰有っていましたよね。私の姿を女性に変えたいと。これは我々の口調や性格を変えるもので、こちらは姿を変えるためのまじないが書かれています。これがあれば私はマスターの望む姿に」
アレクセイは真っ赤になってそれらを陳列棚へ手早く戻した。
「いいの!それはいいの!」
「はい?」
「行くぞハン!」
「は、はい!お待ちを!」
ハンは早足でアレクセイを追った。
「マスター、よろしいのですか?」
「よろしいの!」
ズンズンと足早に前を進むアレクセイを追い越してハンが前に立つ。
「マスター、私のポーンとしてのスキルや知識が失われる訳ではありません。現に異界ではポーンの姿は著しく変化していますし、それに」
ハンは自分の胸に手を当てて言った。
「私は、マスターの望む私でありたいのです」
アレクセイは「うぐ、」と揺れる心のままハンを見る。
※以下妄想
『マスタぁ、朝ご飯ですよ。熱いのでふうふうしてくださいね』
『マスタぁ!ハンに任せてください!』
『マスタぁ、ハン、夜はこわいので一緒に寝てもいいですかぁ?』
『マスターの近くにいると、ハンは安心しますのですよ』
クソ!!!!どちゃクソ可愛いッ!!
「すみません!この純真の香炉と!転身の書をください!」
アレクセイは欲望に敗けた。目だけがギラギラしている。
今日から俺の伴侶は、じゃなくて従者は可愛い可愛い褐色肌の金髪巨乳美女になる。異世界の覚者共、俺のポーンの可愛さにひれ伏すが良い。ハン。俺は竜に心臓は奪わたが、俺の胃袋はお前が奪ってくれお願いします!
「全部で六〇〇リムになりますね」
やっす。さっさと買えばよか…
「リム?ゴールドじゃねえのか?」
「すみません覚者様。ゴールドは扱ってないんですよ」
アレクセイはなんの話しだ?とハンを見る。
「マスター、リムという通貨をご存知無いのですか?」
「ご、ご存知無いです」
アレクセイのそれは消えそうな声だった。
「おっと、これは失念していました。リムとは我々ポーン達の共通通貨なのです」
「ハンさん、六〇〇リム貸してくださいおねがいしますきちんと返しますから」
「マスター、申し訳ありません。最近、ポーンの商人から貴重なハーブを買ってしまい、私も今はリムの持ち合わせが殆ど無いのです」
「この辺にリムの無人契約所はあるか?」
「マスター、どの世界にもそのような場所はありませんよ」
アレクセイは声にならない叫び声をあげた。
チキショオォォ!
《スヴェン》
それからアレクセイは覚者王・ロセイエスの噴水広場でぐったり項垂れていた。
「申し訳ありませんマスター。期待を裏切るような事をしてしまいました」
「ダイジョウブダヨ、キニシテナイ」
声にならないか細い声だった。
「私が異界へ趣きそこで雇われれでもすればリムを稼ぐ事も出来るのですが、生憎武器も無いのでそれも難しいのです」
へえそう。つか、これ全部武器や鉱山を奪ったゴブリンのせいじゃね?いやそれ以前に、ゴブリンが活発になったのはあの空飛ぶ真紅のトカゲ野郎のせいじゃね?許せねえ、許せねえよなァ?ぜってえブチ殺してやる…!ブチ殺してやるからな!
アレクセイが奇妙な憎悪の矛先を向けていると、近くの露店から何やら問答をする声がした。気になってそちらを見ると、十代か二十代ほどの青年が薬屋の前で薬師の店主と言い争っている。薬師が「駄目だ」というのを青年は尚も食い下がった。
「お願いです!それを売って下さい!お金は本当に後でどうにかしますから!」
「ふざけた事言ってんじゃねえぞ小僧!こっちも商売なんだよ!」
「で、ですから、あの、今はお金がないだけで、後できちんと払いますから!」
「おとなを誂うのも大概にしろ!商売の邪魔だ!帰れ!」
青年は何か言い掛けたがそれ以上何かを言う気にはなれず、しょんぼりと薬屋を後にした。そんな日常的なやり取りだったが、アレクセイには何か引っ掛かりを感じる。何故なら青年の衣服は宮廷貴族のダブレットなのだ。富裕層から来たか或いは同盟国の御曹司か、少なくとも「金が無い」なんて事はあり得ない見た目だった。アレクセイはすっくと立ち上がると、青年の後を追いかける。ハンはすぐにその後を追う。
「マスター?どちらへ?」
青年に追いつくのは難しくはない。問題は彼に付き従っていそうな警護兵だ。だが先程の薬師とのやり取りを考えるにそれは無いだろう。
「なあおい!そこのボーズ…じゃねえ、坊や!」
アレクセイは青年の肩に手を置く。青年は振り返る。今にも泣きそうな目のまま、声を掛けてきた男を見て「ヒッ」と声をあげた。青年にとってアレクセイは柄の悪い髭面の中年男だった。伝説のロセイエスの鬣を身に着けて玩具の王冠を被っている。祭りとはいえ致し方無いにせよ、青年にとっては今のアレクセイは浮かれた不審者にしか見えない。青年は逃げるか叫ぶかの選択肢に差し迫られたが、人間は恐怖に直面すると大抵は動けなくなる。
「さっきは何を買おうとしてたんだ?」
「ふぇっ」
青年はそんな声しか出せなかった。これから攫われて身代金を要求される。そんなイメージしか頭に浮かばない。すっかり怯える青年だが、アレクセイは何も答えないのは大人に反抗する難しい歳頃なのだろうと思っていた。変わらない状況に見兼ねたハンが「私にお任せを」と割って入る。
「こんにちは、私の名はハンと言います。こちらの御仁は私の主人・アレクセイ様です。先程、君が薬屋の前で何か揉めていたのを見掛けたものですから、少々気になって声を掛けさせて頂きました」
低く包み込むような声色と物腰の柔らかな所作に青年は漸く「悪漢ではない」と判断したようで、ホッとする。
「す、すみません…僕、あの…怪しい人達かと思ってしまって」
アレクセイは心外とばかりに眉間を寄せる。
「怪しくねえよ!」
「マスター、ここは私に」
「なんでだよ」
腑に落ちないが、アレクセイは腕を組んでやり取りを静かに見つめる。
「先程は何を買おうとしていたのですか?」
青年は声を震わせながらも答えた。
「ええ、あの薬屋に、と、とても綺麗な箱があったんです。色々なからくりがあって…その、どうしても欲しくなってしまって、今はお金を持っていなくて、でもお金を持っていないわけじゃないんです。素直に言えば大丈夫かなって」
ハンは頷く。
「マスター、そういった事情のようです」
アレクセイも頷いた。
「幾らすんだ?その箱」
「千ゴールドです」
「い、意外とするな」
「そうなんですか?」
アレクセイの予想通りこの青年はどこか浮き世離れした金銭感覚の持ち主のようだ。千ゴールドと言えば旅にお誂え向きの装備が購入出来る値段だし、一般庶民的に一日休憩なしで汗みずくで働いた日当くらいの価値がある。
「バカお前、千つったら…なあ?」
アレクセイはハンを見る。
「はい?」
「まあいいや、来いよ坊や」
青年は「え?」と尻込みするがおとなしく着いていく。途中、不安げにキョロキョロした。この人に着いていって危険は無いのだろうか、とそう言いたげに。おずおずしていると先程の薬屋の前に来ていた。
「おう、コレか?」
薬師は困ったなと言いたげに首を振って両手を腰に当てる。
「困るよ旦那、金は払えるんだろうな?」
「ほら悪いな、コイツは俺のツレなんだよ、迷惑かけたな」
アレクセイは気前よくチップも払った。薬師はすっかり機嫌が良くなって急に愛想よくニマニマする。
「そうだったんですか!いえいえ、いいんですよ!さっきは悪かったね坊っちゃん!」
「あ、いいえ!」
薬屋を後にすると青年は丁寧にアレクセイへ礼を述べた。
「本当にありがとうございました」
「そんな箱どこにでも売ってそうだけどな」
「そう見えますか?でも、色んな仕掛けがあるんですよ。正しい手順じゃないと開かない仕掛けで…ほら、こんなふうに法則があるんだ」
青年は得意気に開けて見せた。アレクセイは何となくそれを見送る。
「へえ。つかお前さ、何しに来たかは探らねえけどあんまりウロチョロすんな、目立つ」
青年は「え!」という顔をする。
「そんなに目立ちますか?」
「周りを見てみろよ、そんな高級なダブレットなんて誰も着てねえぞ」
「…う、これでも一番地味だったんだけどな」
ハァ、と落胆する青年に対して、アレクセイはニヤける顔を抑えつつ顎を撫でた。
察するに名家の御曹司って所か?千ゴールドがいったい何ゴールドになって返って来るのやら。だが、今は持ってないって言ってたな。
「召し使いはどうしたよ?」
青年は何かバツが悪そうに俯く。
「僕、ここへ独りで来たんだ。こっそり部屋を抜け出して…今日は覚者王・ロセイエスの生誕祭でしょ?毎年三日間お祭りをするんだ。子どもの頃からこのお祭りに来るのが夢で、でも母がとても厳しい人で、こんな歳になってもまともに外出もしたことが無くて。今日初めてここへ来て凄く賑やかで驚いちゃった。普通のことがしてみたかったんだよ。皆と同じにね、買い物とか…自分で欲しい物を買ったことがないから。変な話しだろ?笑ってもいいよ」
その話しを聞いてアレクセイがしていた名家の御曹司という予想は少し的外れのように思えた。もっと地位が高い或いは、とアレクセイは少し冷静に頭を巡らせる。しかし、推理も予想もあくまで可能性の域を出ない。それから青年の「お祭りに一度も行けなかった」「普通の事がしたかった」という言葉に奇妙な親近感を覚えた。記憶は無いが、もしかするとこの歳の自分もこのお祭りに行きたかったのかもしれないと。アレクセイは「よし」と青年に声をかける。
「ひと周りしようぜ」
青年は「え?」という顔をした後、目を燦然と輝かせて頬を赤らめる。
「い、いいの?ほ、本当に!?いや、でも僕、あ、貴方とは初めて会ったし」
「だから何だよ、お前独りでブラブラするより俺といた方が絶対に安全だぜ?なあハン?」
「そうですね」
「えっと…失礼ですけど、その、貴方達って」
アレクセイはフフンと得意気に笑う。
「覚者王とその宮廷道化師だ」
青年はポカンとしたが、アレクセイのつけている鬣と王冠とその言葉の意味に「アハッ」と声を出して笑った。青年の笑い方のひとつもよく教育された貴族の所作だった。
「ごめんなさい!面白くてつい!ウン、そのとおりだね。僕も好きだよ覚者王ロセイエス」
「な?王様が着いてんだ、大船に乗った気でいろよ」
「ありがとう…えっと確か、アレクセイ、さん?」
「アリョーシャでいい」
「アリョーシャだね、僕は…スヴェン」
「スヴェンか、よろしくな」
アレクセイとハン、スヴェンは賑わう人々に揉まれつつも屋台や露店を見て回る。スヴェンは「揚げガライモ」の屋台をじっと見ていた。行き交う人々は出来立てのそれらを食べ歩いている。スヴェンは「買い食い」をしたくなった。アレクセイは見兼ねてスヴェンに小遣いを手渡した。
「揚げガライモ食おうぜ、俺の分も頼む」
「うん!」
「ハン、一緒に着いていけ」
「分かりました。さあ、こちらへスヴェン様」
スヴェンは生まれて始めて欲しい物を自分で購入した。アレクセイの分まで。揚げガライモは庶民にも人気のジャンクフードだった。揚げたてのガライモに蕩けたバターと濃いめの塩分は歩き疲れた体にぴったりである。スヴェンは生まれて初めてのジャンクフードに感動をした。
「すごく美味しい!こんなの初めてだよ!」
「んん、期待はしてなかったが、結構イケるな…ほら、お前も食えハン、はいアーン」
そう言われては口を開けないわけにもいかず、ハンはアレクセイに素直に従う。
「うまいだろ?」
「…………」
しかし、ハンは少し不満だったようで何も言わずに食べていた。それから“普通の人”のように買い食いをしたり、飲み歩いたりしつつ飾られて賑やかな町を見て回る。アレクセイが何かを発見してハッとした。
「おい!ハン!アレやろうぜ!的当て!」
「マスター、急に走ったら危ないですよ」
その屋台は的当て屋だった。五本の矢を動く的にどれだけ当てられるかで景品が貰えるといった趣向のものである。前にいた客は一本も当てられなかったようで舌打ちをして帰っていった。アレクセイは小さな弓矢を手にする。
「弓矢っつっても、半分オモチャだな」
「ええ、弦の張りも緩いです。これであの距離を射るのは案外難しいかもしれません」
スヴェンは興味津々だ。
「二人はよく弓を使うの?」
「俺は使った事ねえと思うけど、ハンは弓の名手だぜ」
それを聞いたスヴェンは「本当!?」と目を輝かせる。
「ハンさんが教えてくれたら、僕にも出来るかな?」
ハンはアレクセイを見る。「どうすればよいでしょう?」と言いたげな顔で。
「教えてやりゃいいじゃねえか」
「分かりました」
ワンゲーム五矢の勝負である。ハンは構え方から丁寧に教えていた。
「肘はまっすぐに、矢は引くのではなく下ろす感じで、射る的をよく見て」
一矢目は飛んだが地面に刺さる。
「うーん、駄目だ」
「最初から上手くはいきませんよ。さあもう一度」
アレクセイはそんなやり取りを静かに見守っていた。スヴェンは直向きにハンの話しを聞いている。それはどこかアレクセイにとって求めても手に入らない“日常”や“ふつう”のように思えて微笑ましかった。傍目に見ればこの二人は仲の良い孫と祖父くらいにしか見えていないだろう。ポーンとはいえ彼らは決して“無”ではない事をアレクセイは知っている。熱心な若人にハンは終始楽しそうだった。感情や意志が希薄で人間の感情に対して木霊するだけの存在の筈なのに。
「スヴェン様、力が入りすぎています。無理に当てようとしてはいけません。矢に力を乗せるのです。放つのではなく、離すイメージです」
ハンのアドバイスを受けて射った最後の矢は正確に的を射抜く。中心からはだいぶ逸れたがそれでも当たりは当たりだ。
「やった!」
「スヴェン様、お見事です」
「アハッ!やったよ!ハンさんありがとう!ねえアリョーシャ!今の見た?」
「おうスヴェン、お前中々スジが良かったぜ」
ハンも頷いた。
「ええ、本当に」
穏やかに微笑むハンに、アレクセイは彼の中に確実に“人間性”を見出していた。
「景品はなんだろうな?」
三人に割って入るように的当て屋の店主が声を掛ける。
「景品はねえぜ?ほら此処に書いてあるだろ?的の中心を当てたら景品とな」
それを聞いたスヴェンは一気にしょんぼりする。しかしアレクセイは違った。
「へえ、そうか。なら今度は俺の番だ。弓と矢を寄越せよ。テメェの目玉に二本、タマに二本、眉間に一本だ。さて景品はなんでしょう?」
「なんだと?」
「割とマジで頭にきてるぜ。楽しい気分を台無しにしやがったツケを払ってもらおうか」
「これだから観光客ってのはお行儀が悪くてイケねえな!城都の警備兵を呼んだっていいんだぞ!」
アレクセイは舌打ちをする。城に侵入する計画を立てている以上、今は城都の警備兵に顔を晒すわけにはいかなかった。しかしこの詐欺師紛いの店主に一泡吹かせてやりたい。
「マスター」
ハンは珍しく穏やかな雰囲気ではなかった。その光る眼孔にアレクセイは少し萎縮する。
「……ここは私にお任せを」
これは大変、じいじを怒らせちまったらしい。
不景気は人の心も不景気にさせる。的当て屋の主人は詐欺同然の商売で生計を立ててきた。泡銭は所詮泡銭で、彼の懐が潤う事は無い。陳家な弓と何本かわざと曲がった矢では的を正確に射抜く事はほぼ不可能だった。だが、ハンは五矢を的の中心へ正確に射抜いたのだ。アレクセイもスヴェンも、その様子を見ていた往来の人々も喝采を送った。
「すごい!すごいよハンさん!」
アレクセイも自分の事のように喜んだ。
「どうだ見たか!?おい景品を寄越せよ!この店の一番イイ奴をな!」
店主は青ざめる。無論、そんなものは用意していない。精々ニ矢を射抜いた時に渡す為の、埃をかぶったロセイエスのぬいぐるみ位だ。
「で、ではこれを!おめでとうございますっ」
アレクセイは眉間を寄せる。
「お前ナメてんのか?」
店主はもう何も言い逃れ出来なかった。アレクセイは睨みをきかせて店主の髪を鷲掴みにする。
「…生きたまま心臓抉り取って食ってやろうか?これでアンタも立派な覚者様だぜ?」
「ゆ、ゆ、許して下さいぃ、ケチな商売をしてすみませんでした!本当にご勘弁を!」
アレクセイは舌打ちをして店内を物色したが、目ぼしいものは何も無かった。舌打ちしつつぬいぐるみを引っ手繰る。腑に落ちないが、清々しく楽しげに話すスヴェンとハンに「まあいいか」と思う事にした。アレクセイはぬいぐるみの埃を叩いて払うとそれをスヴェンに差し出す。
「ほらよ」
「え!?いいの?」
「いや、俺らがこんなの貰ってもよ」
スヴェンはぬいぐるみを受け取ると大切そうに抱きしめてアレクセイとハンを見つめる。
「ありがとう二人とも…本当に、僕、こんなに楽しいの生まれて始めてだよ」
「そりゃ良かった、なぁハン?」
「そうですね」
「ハンさん、貴方はもしかして戦傷兵なの?あんなに凄い射手は僕も見たことがないから」
「いいえ、私は」
アレクセイがハンのポニーテールを引っ張る。ハンは「何をするんですか?」と言いたげにアレクセイを見た。アレクセイはコソッと耳打ちする。「ポーンだとバレたら面倒だろ」と。ハンは頷くとアレクセイからファンシーな帽子を受け取る。それからスヴェンへ答えた。
「…私は、宮廷道化師です」
「え?」
ハンはファンシーな帽子をかぶる。スヴェンは不思議に思えたが、この二人が自分の素性を詮索してこない事に有り難く感じていてそれ以上は野暮だと聞かないことにした。
「素敵な帽子だね、ハンさん」
「ありがとうございます。スヴェン様」
大通りの中心を大道芸人達がパレードの如く歩いていく。彼らは芝居の宣伝をしていた。広場で芝居がやるようだった。演目は勿論、覚者王・ロセイエスである。
「へー芝居だってよ、見にいくか?」
アレクセイの誘いにスヴェンは寂しそうに俯く。
「ごめん、アリョーシャ。そろそろ戻らないと…僕がいないって母さんが気づいたら大変なことになるから。皆にも迷惑をかけるし」
こういった時にどう言葉をかけていいのか、アレクセイには分からなかった。ボリボリと頭を掻いて「そうか」と名残惜しげに言って続ける。
「しょうがねえな。楽しかったぜスヴェン」
「ね、ねえ、アリョーシャ」
「ん?」
「いつか…その…必ずお礼をさせて!僕を忘れないで!ねえまた一緒に…僕と、その」
「忘れねえよ。なんたってお前に金を借したもんな?今度はお前が何か奢ってくれよ」
スヴェンは嬉しそうに笑って頷き、ハンを見つめる。
「ハンさんも、色々ありがとう」
「どういたしましてスヴェン様、どうぞお元気で」
「うん、じゃあね…ふたり共」
スヴェンは後ろ髪を引かれつつも去っていった。アレクセイが目論んだ通り、スヴェンは城の方へ向かっていく。
「なあハン」
「はいマスター」
「ひょっとするとよ、スヴェンは…」
アレクセイはそれ以上言うのをやめた。
「何でもねえ、行こうぜ」
「はい、マスター」
「気になる屋台があったんだ。寄ってもいいか?」
「ええ、勿論」
気になる屋台とは飴屋の屋台だ。様々な果実に飴をコーティングしたものだ。中でも一番人気なのは“アリズンハート”と呼ばれる飴で、イチゴを覚者の心臓に見立てたものだった。女性にも子どもにもウケがいい人気商品である。ハンは複雑な心境になったが、アレクセイは嬉しそうに二人分購入してくる。
「やったぜウマそぉ!さっきまで長蛇の列でよ!みんな芝居に行ったみたいで…どしたお前、マジのしかめっ面して」
「いえ、マスターはそういったのが平気なのですか?」
「別に…甘いもんは好きな方だが」
「そうではなく」
そういうことか、と言いたげにアレクセイはイチゴ飴を見る。
「こんなの食い物じゃんか、お前ポーンの癖にそういうのは気になるわけ?」
「はい。形とはいえ覚者様の心臓を食べるなんて…あまりにも猟奇的過ぎます」
アレクセイはそれを聞いてハンの肩を組んで引き寄せる。
「アリョーシャ様っ?」
「ハン、こうゆうのはよ、ゲン担ぎだよゲン担ぎ!」
「ゲン担ぎですか?」
「おう、人生前向きに考えようぜ?心臓を取り戻すっつーゲン担ぎって思えよ!」
「はぁ…」
ハンは「そうは言っても」と言いたげだったが、アレクセイは気にしなかった。
「宿屋に戻って芝居でも見るか!」
『憐れなり覚者ロセイエス。そなたの心臓は我の手に』
『安寧と秩序を破壊せし忌まわしき竜よ!我が刃の前に朽ちるがよい!』
『覚者様!共に参りましょう。さあ!我が美しき魔法をご覧に!』
宿屋の最上階から見る芝居は贅沢の極みではある。芝居をひと目見ようと広場には大勢の観客が押し寄せていた。どうやら有名な演目のようだ。観客は拍手をして喜んでいる。しかし、アレクセイには単調でつまらなかった。“アリズンハート”と呼ばれるイチゴ飴を食べつつ芝居を眺めていたが、覚者が竜を倒した所ですっかり見飽きてしまった。イチゴ飴の最後のひと口を食べ終えると串を床に捨ててベッドへ仰向けに寝転がる。だらしなく首を下げて逆さまの部屋の世界を眺めた。ハンは椅子に腰掛けていてずっと道化師の帽子を見つめている。
「嫌なら捨てろよ」
「嫌ではありません」
「そんな眺めるモンでもねえのにか?」
「どうすべきか分からないのです」
「そこら辺に置いておけ」
「はい」
ハンは自分のベッドの枕元に帽子を大切そうに置いた。
「おいハン」
「はい、なんでしょう」
「ロセイエスのポーンはほんとにあんな美女だったのか?」
「わかりません。ロセイエス様がこの世にいるのなら、そのポーンも必ず傍にいる筈ですが、ロセイエス様がいない以上は知る術もありません」
「覚者が死ぬとポーンも死ぬのか?」
「死にませんよ。我々ポーンは不死です。生命という明確な時限は我々にはありません。苛烈な損傷も時の流れもポーンに干渉しないのです。覚者様がその命を全うすればポーンの役目が終わるまで。再び漂泊へ還り新たな覚者様の召喚に応じる。そうやって廻るのです」
「覚者が死んだ時、ポーンにも寂しいとかそうゆうのは感じるのか?」
「感じますよ」
「そこは感じるんかい」
「はい。しかしそれは正しい感情なのか私にも判断しかねます。そうですね、なにか言いしれぬ不安のようなものが込み上げてくるのです。悔恨や逡巡と言いましょうか、とにかく二度と味わいたくない気持ちでした」
「そうゆう所は人間と変わんねえのな、難儀だねえお前らも。俺はてっきり“次の雇い主の所に行こう”位に思ってたぜ」
「マスター」
「んん?」
「申し訳ありません。喩え私がポーンであってもこういった話題は極力控えて頂きたいと強く感じます」
アレクセイは静かにハンの方を見た。斜陽に照らされたその横顔は酷く悲しげで物憂げだ。
「悪かった。不謹慎な事を言ったよ」
「ご理解を頂き嬉しく思います」
ハンは未だ寂し気な面影を残しつつも穏やかに微笑む。
「誤解をしないで下さいね。貴方の好奇心旺盛な所や直向きな行動力は素晴らしい長所です。私はそんなアリョーシャ様を魅力的だと感じています」
アレクセイは照れ隠しをしつつ再び窓の方へ向かう。
「そうかよ」
芝居はいつの間にかエンディングを迎えていた。覚者・ロセイエスは晴れてヴェルムントの最初の王になり、美しい娘と結ばれている。
『ヴェルムントは竜の支配から解き放たれた!我が臣民よ!今より永遠の安寧を約束しよう!』
「めでたしめでたし、か」
つまんねえ物語だな。
《パスチラ/潜入調査》
ヴェルンワースの富裕区は平民区の人間も余り立ち入る事はない。貧民区の者など以ての外である。ベルントと予め立てた計画はこうだ。祭り二日目の夜、つまり今日の夜である。覚者王ロセイエスの鎮魂の為の花火が上がるのだ。そして今年は長きに渡る預かり王統治の時代から覚者王統治の時代に移る大きな転換期である。慰労を兼ねて今年は盛大でより豪華な花火が用意されていた。その時を狙い執務室へ侵入し、公妃ディーサに纏わる醜聞などの証拠品を探し手に入れる。しかし、夜間帯の王宮内への侵入は不敬罪で逮捕される為に変装する必要があった。ベルントが宿屋に届けた物は王宮内にいる騎士の鎧一式だった。
「マスター、ベルント様からの手紙も入っていますよ」
早速、兜をかぶろうとしていたアレクセイはその手紙の封を破いて中身を見た。手紙にはベルントのメモと共に城の詳細な地図が入っている。
「“夜間、協力者と共に侵入せよ B”…いよいよってか?ハーァ、装備を手に入れる為とはいえ面倒な事になってきたな」
「見事な鎧ですが、軽いですね」
「見た目だけ精巧に作られてんだろ。この兜もほぼブリキで出来てる。式典か何か用なのかそれとも…ところでよ、ハン、協力者って誰のことだ?」
「検討もつきませんね」
「つーかよ、ベルントは何処行った?」
「祝日のこの賑わいですから、警備に勤しんでいるのでは?」
アレクセイは曖昧に頷くと、同封されていた地図を睨むように眺めた。
「マスターはなにを?」
「地図を頭に入れてんだよ。鎧つけた兵士が地図片手にウロウロするわけにはいかねえだろ?」
ハンは頷くとアレクセイが散らかした物を静かに片付ける。真剣に地図を記憶しようとブツブツ呟くアレクセイの横顔を見つつ、今回の事はなにも力になれないことにハンは歯痒い思いを抱えていた。
私にもマスターの手助けが出来ればいいのですが。
「ハン」
「はい、マスター」
「お前さ、甘いモンとか作れるか?脳味噌使うとよ、欲しくなるんだよ甘いモン。今日はトコトン使う気がしてな」
眉間を寄せて唸るアレクセイに対し、ハンは目を輝かせた。
「はいマスター!!私にお任せを!!」
「いつもより声デカくね?」
さて、では今回はリンゴの恵み、パスチラを作るとしましょう。流石は一等の宿屋、とても良いオーブンがあります。火加減の難しい焼き菓子ですが、これなら申し分ないでしょう。小麦粉が手に入ったら様々な物を焼きたくなりますね。マスターはリンゴがお好きなようですので、この前作り置きしたリンゴのピューレを使い切るのにもパスチラは最適です。パスチラは新鮮な卵と砂糖があれば誰にでも作れます。多少火加減が難しいですが、上手く焼ければフワフワもちもちの食感が楽しめますよ。
まず、卵は卵黄と卵白を分けます。今回は卵白のみ使用します。卵黄には後ほど…そうですね、カスタードプリンになってもらいましょうか。卵白を泡立てます。角が立つくらいまでしっかりと。砂糖を加える事により弾力のあるメレンゲに仕上がります。ボウルを逆さにしても落ちなくなればメレンゲはほぼ完成ですね。リンゴのピューレを少しずつ加えてメレンゲと混ぜていきます。ピューレは半分ほど残しましょう。これは再び使用します。また、ピューレの水分量が多い場合、メレンゲがしぼんでしまうので気をつけましょう。使用するリンゴは水分量の少ない熟成したリンゴか、或いは酸味の強い滑らかなリンゴの使用が最適ですね。メレンゲとピューレが充分に混ざったら、型に入れましょう。やや大き目の長方形くらいでしょうか。厚すぎず、薄過ぎずが程よいですね。表面を滑らかに丁寧に仕上げましょう。とても大切な工程です。いよいよ予熱したオーブンへ。オーブンの温度は…水を一滴垂らしすぐに蒸発しないくらいが頃合いです。薪を少し抜いたり、足したりしつつ温度を一定に保ちましょう。難しい肯定です。四半刻ほど焼いて、オーブンの温度や焼き加減を見つつもう四半刻…。上手く焼ければ弾力のある生地へ仕上がります。粗熱を取り、型から取り出しましょう。生地を切る…のもいいですが、せっかくの生地を潰してしまうのも惜しいので今日は巻いてみましょうか。ここで余らせたリンゴのピューレを表面に塗り、形が崩れぬよう慎重に…
「おい、ハン。まだか?」
「もう少しですよ、マスター」
「めっちゃいいニオイすんだけど」
「ええ、お待ち下さい」
相変わらず間の悪い方ですね。気を取り直し、ゆっくり巻いていきましょう。全体のバランスを見つつ、生地を潰さぬように。丸めた生地の形を整え冷ましたら食べやすいサイズに切り分け、彩りに清廉草を少し千切って添えておきますか。…ああ、可憐で愛らしいですね。お茶をいれましょう。甘いパスチラにぴったりのヴェルンワース産の茶葉が好ましいですね。さあ、完成しましたよ。
「お待たせしました。マスター」
「おお?ロールケーキか?」
「これはパスチラですよ」
「ぱんちら?」
「いいえ、リンゴのお菓子です」
「へえ!いただきます!」
アレクセイは地図を見ることにも飽きたのか部屋を散らかしていた。それは衝動的で落ち着きのない性格故にとりあえず思いついた事を行動してしまう、謂わば“障害”の副産物なのだろう。メルヴェのレンナルトはアレクセイの直しようもないそれに頭を抱えたが、裏を返せば衝動的で落ち着きのない性格は戦闘向きだった。加えて人並み外れた動態神経の持ち主である。普通の人間からすれば“カンの良い奴”と思われがちだが、それだけでは今日まで生き残ることは出来なかっただろう。ハンは彼のそんな短所について考えこそすれど対して何も感じなかった。また片付ければいい程度に。
「ッンンゥ!」
アレクセイは相変わらず唸りつつしっかりと吟味していた。
うわあ…唾液腺が爆発しそうだ…!甘い!しっかり甘いだけじゃない!リンゴの風味が強い。リンゴのジャムか?
「ハン、これ何が塗ってあるんだ?」
「リンゴのピューレですよ」
「二日酔いの朝に食ったやつか」
なるほどな。強い酸味と甘味のバランスが絶妙だ。それになんだこの食感!スポンジでもないぞ?歯ざわりは軽く、でもふわっとしてもっちりした感じ。上品だが食いごたえはある。ちゃんと菓子食ってる感があって満足するな。
「ハン、めちゃくちゃウメェ!」
「それはよかったです」
「コレ食って、今夜は脳味噌フル回転だな」
「ええ、上手くいくことを願っています」
夜である。花火は海の方角から上がるらしくヴェルムントは人でごった返していた。アレクセイは人混みを縫いつつ、富裕区の方まで来ると、木陰で鎧を身に着けていく。外面だけ見目をよくしているだけで細かい場所が動き難く、股のあたりがキツかった。
「キチぃぞこれ」
「少しの辛抱です」
アレクセイは城の方へ歩いていく。普段なら見張りが多いのだろうが、幸い城の敷地内手前まで誰にもすれ違うことは無かった。ベルントがこの日を理由にした意味が理解できる。
「マスター」
「ん?」
「ここでお待ちしています」
「あーそうか。じゃあ後でな」
「はい」
敷地内へ入って城を見上げる。近くで見ると実に美しい造りだった。先代覚者王の栄華を物語っている。しかしアレクセイがその建築美など理解出来る筈もなく、トイレが幾つあるのだろう位しか頭に浮かばなかった。
「失礼」
突然話し掛けられてアレクセイは「もうバレたのか?」と青ざめる。話し掛けたのは女性兵士だった。
「もしや貴方が覚者様ですか?」
「は?」
「ベルント隊長からお話しを伺っています。私に着いてきてください」
アレクセイは何が何だか分からなかったが、昼間に見た手紙の内容について“協力者”の文面を思い出し納得する。
分かり難いんだよ、ベルントの野郎。
言われた通りアレクセイは女性兵士へ着いていく。じっくり尻を眺めながら。
「こちらからお入り下さい。地図は頭に入れてますね?」
「おう、問題ねえ」
「左様ですか。覚者様、城内では何卒騒ぎを起こされぬようご留意を。わたくし共にも立場がありますゆえ」
「へえ、どうせなら今すぐ君に逮捕されたいくらいだよ」
女性兵士はイラッとして眉間を寄せる。
「失礼致します」
アレクセイはスンとしたが、城内へ続く裏戸を開けた。兵士達の私物や鎧が置かれている。どうやら詰所のようだった。アレクセイは周囲を気にしつつ階段を探す。この城は二つの建物の造りになっていて、二階が渡り廊下で繋がっている。主に二階が王族や宮廷仕官たちの私室や職場だった。他の階段は外周に通じており、兵士たちの道である。アレクセイは真っ直ぐに渡り廊下へ続く二階の階段へ向かった。その途中である。
「おい!セミョン!」
誰かが声を張る。アレクセイは自分が呼ばれている事に気がついたのは声の主が肩を叩いたからだ。
「セミョンどこへ行くんだ?花火は見に行かないのか?どうせ皆暇なんだ。少し位ハメを外そうぜ?」
アレクセイは目を泳がせる。どう切り抜けよう、と。とりあえず腹痛のジェスチャーをした。声をかけた兵士は呆れたように鼻で笑う。
「はあ?お前また変なモン食ったのかよ?しょうがねえな、早く来いよな!」
兵士が離れていってアレクセイはホッとした。辺りを警戒しつつ階段を上がっていく。途中、可愛らしいメイドたちのゴシップに釣られそうになったがグッと堪えた。執務室へ入ろうとドアノブを握る。ベルントの話しが本当なら今夜は鍵が開いている筈だ。音を立てぬようにそっと回す。グッと押し込んだが…開かない。建付けが悪いのか、ノブは回るが何かが引っかかっている。
「………」
嘘だろォ…?
少し向こうから話し声がした。ランタンの灯りが見える。外周を回っている兵士が見廻りで来ていた。アレクセイはドアを押し引きしたが開かない。隠れる事も考えたが、死角のないこの場所ではどう足掻いても怪しまれる。
一度出直すか?
アレクセイがその場から離れようとした時。
ドンッ!
大きな音が響く。火薬の爆ぜる音。花火である。外周の見廻りの兵士が踵を返して花火を見始めた。アレクセイはしてやったりと花火の上がるタイミングと爆ぜる音を計算してドアへタックルした。どうやらドアに本が挟まっていたようで、本が床に滑っていく。アレクセイは静かにドアを閉めた。
「あっぶねぇ…」
兜を取り去る。錆臭いし息苦しかったし、なにより髭が蒸れて痒かった。彫刻の美しい磨りガラスの窓は時折上がる花火の光が射し込む。光源としては充分だった。アレクセイは執務室を眺める。ゆっくり歩いて物色をした。
「ヴェルンワース年代記、バタル戦争…ヴェルンムント税法、王政の統治…美しき自然、魔法大全、竜征の勅語…」
この辺は違うな。
アレクセイは本棚から事務机へ向かう。
「へえ、いい羽根ペンだ。これはグリフィンの物か…年代物だが草臥れてない。お、こいつは緑柱石の小箱か、凝ってんなァ。インクは…鉄とタンニンか、普通だな。羊皮紙、羊皮紙…何々?決算報告書、搬入証明書、輸出品内訳…?読めん」
アレクセイはブツブツ言いつつ机の上の物をひとつずつ漁っていく。羊皮紙が分類に纏められた物や屑入れに入ったものひとつひとつを。アレクセイは装飾の施された椅子に座り込む。少し偉そうにポーズをして、それから手を組んで考え込んだ。引き出しを開ける。何かの書きかけの書類が何枚もあった。書き損じのものも。食べかけの何かまで…。あまり綺麗ではない。どうやら執務室といっても公妃だけが使う訳ではないらしい。
「ん?」
香水のにおい。
机の下から香っている。アレクセイは机の下を覗く。破いたような紙の切れ端が落ちていた。端が焦げている。何も書かれていないが、この紙から匂っていた。アレクセイは花火の明かりでそれをよく見る。透かせばよくわかった。植物で出来た紙だった。
「これだけ紙質が違う?…公妃様はこだわりが強い御方らしい。この国じゃ羊皮紙を使うのが一般的だ。火で消失し難いからな。だが、これは紙だ。羊皮紙に書く前にメモをした?几帳面なのか?だが敢えて燃やしている。絶対に見られたくない内容だったから?」
アレクセイは紙のにおいを嗅ぎつつ、椅子を傾けて後ろを見る。逆さまの世界に絵画が映った。恐らく公妃ディーサとその御子息だろう。
「ん?」
この子ども、見覚えがあるぞ?何処で見た?思い出せねえ。俺の記憶がぶっ飛ぶ前の出来事か?
アレクセイは目を細めたり遠ざけたりしてみた。ハッとする。
「……スヴェン?」
おいおいおいおいッ、クッソが!一番サイアクな予想が的中しちまったよ!
アレクセイは眉間を寄せる。
スヴェンがディーサの息子なら、俺はスヴェンの母親を貶めようとしているってことだろ?スヴェンはいい奴だった!親がクソでも子に罪はねえ!スヴェンを路頭に放り投げるのか?だがこのヴェルムントで実権を握っているのは間違いなくディーサだ!偽覚者なんぞ頭さえ挿げ替えればどうにだってなる!偽覚者云々の前にディーサをまずどうにかしねえと俺の覚者人生が完全に詰む…!!
またしても板挟みの選択だ。しかし今度ばかりは崖から飛び降りてどうにかなる問題ではない。アレクセイはむしゃくしゃしてガシガシ頭を掻いた。少し冷静になろうと深呼吸をする。椅子に凭れて両手で顔を覆った。
どうすりゃいい?考えろ、アリョーシャ。どうすりゃスヴェンも救える?ここにはディーサが仕事をした微かな痕跡しかない。かなり不自然だ。大抵仕事をすれば痕跡は確実に残る。床には女の髪の毛ひとつない。ここのメイドが極めて優秀というわけでもない。彼女たちは最新のゴシップばかり話していた。ディーサが何か隠しているのは明白なんだ。
「クソ…」
アレクセイは天を仰ぐ。すると、書棚の上に見覚えのある箱があった。精巧に彫刻された木箱である。
「あれは」
すぐに背伸びをしてそれを抱えて降ろす。書棚の上にありながら埃ひとつ無い。何度も開いた形跡がある。箱からは紙と同じ香水が漂っていた。確信する。ディーサの私物だ。
「どうなってやがる?引き戸みてえなのはあるが何も入ってねえぞ…?なんだよこの箱、でも何処かで…何処で見た?」
椅子に深く腰掛けて目を閉じて考える。花火の閃光が部屋を照らしてはフェードアウトするように暗くなった。集中していくと次第に外界と感覚が切り離されていく。閃光と同時に思い出す。
『そんな箱、どこにでも売ってそうだけどな』
『そう見えますか?でも、色んな仕掛けがあるんですよ。正しい手順じゃないと開かない仕掛けで…ほら、こんなふうに法則があるんだ』
「スヴェンが買った箱か!…全て同じわけじゃないがよく似てる。正しい手順…正しい手順だと?それから法則…どんな法則だよ?」
アレクセイは箱を睨みつける。頭を使いすぎて苛々していた。力ずくでこじ開けたいが、そんな事ができる訳がない。いずれにせよ残された時間は僅かだ。自力でこの箱のからくりを解くしかない。アレクセイの悪癖のひとつに集中すると周りが見えなくなる事があった。花火の閃光が二人目の影を作る。アレクセイはビクッと肩を震わせて影の方を見た。蝋燭の灯りが点っていた。アレクセイは椅子から飛び退いて窓の方を見る。
「…だ、誰かいるの?」
聞き覚えのある声。声変わりが始まって間もない声だった。
「スヴェン?」
「え!その声…っ!」
ドン!と花火が舞い上がった。互いの顔が照らされる。
「アリョーシャ!?ど、どうして此処に?」
アレクセイは額を抑える。
お前の母親の悪事を突き止めに来たぜ!なんて言えるかよ!
「あ、いや…俺は、その」
スヴェンは小走りにアレクセイへ肉薄する。町で出会った時よりスヴェンは公子らしいダブレットと装飾を身に着けていた。城都兵の装いをするアレクセイに首を傾げつつも、机の上の“からくり箱”に視線を落とす。スヴェンは顔に暗い影を落とした。
「……もしかして、アリョーシャも母の事を調べに来たの?」
アレクセイはわかり易く体を跳ねさせる。元より嘘を付く事が苦手だった。罪悪感があれば尚の事である。
「あ、いや、俺は、その、なんというか、その、偶々、ここに、あの」
こんなときハンがいてくれたら。
アレクセイは切にそう感じた。こういった人心掌握術はアレクセイにとって不得手だった。アレクセイが何か上手い会話の逸らし文句を練っている中、スヴェンは大きなからくり箱の表面を撫でる。
「僕も母の事を調べに来たんだ」
「は?」
アレクセイは勿論きょとんとした。スヴェンはなにか腹に据えたかのような険しい目でアレクセイを見据える。
「僕の母がディーサだと言うことを君は薄々気づいてたんでしょ?いいんだよ。でも、これはあの時の恩返しじゃない。僕だって母を苦しめるようなことはしたくないけど、でもそんな事言ってられない。自分の目で確かめなくちゃ…息子の僕だけしらんぷりなんて絶対に出来ないだろ?」
スヴェンのその目と強い意志は揺るがなかった。スヴェンが今まさに進もうとしている道は叛意という茨の道である。彼を掌握したい人間にとって絶対に進ませたくない道だ。ディーサはどう感じるだろう。これがただの反抗期ではない事をディーサは気づくだろうか。スヴェンのその揺るぎない向上心をアレクセイは無駄にする事など出来なかった。
「ありがてえよ、スヴェン。この箱のからくりについて教えてくれないか?」
「うん。開け方は僕があの店で買ったものと同じで、ここを引いたり閉じたりするんだけど」
「ウーン」
「でもこの箱は僕が買ったものよりもう少し複雑で、何度やっても駄目なんだ」
割と常習犯かよスヴェン、お前。
「とりあえず、お前の箱の開け方でやってみてくれねえか?」
「え?でも開かなかったよ?」
「とりあえずでいいんだとりあえずで、ゆっくりやってみせてくれ」
スヴェンは乗り気がしなかったが、あの店のからくり箱と同じ手順をアレクセイに見せる。
「…どうアリョーシャ?なにかわかった?」
「八回…八回か、ということは…二段階式だろ…」
「アリョーシャ大丈夫?」
アレクセイはブツブツ何か言っていたが、スヴェンの声掛けに何拍か遅れて反応する。
「ん?ああ、お前の箱と違ってこの箱は変化する模様が三段階ある。だが大雑把に動かせばいいわけじゃない。必ず法則がある筈だ」
「どうやって動かせばいいの?」
「いや、そこは俺もカンだが…」
「急かすわけじゃないけどそろそろ花火が終わって皆が戻ってくるよ?その法則はなに?」
アレクセイは頭を使い過ぎておかしくなりそうだった。ただでさえ“3”という割り切れない数字であるにも関わらず生活スタイルに役目のない法則だ。アレクセイは箱の動作と模様の法則性の計算が合わなかった。何故なら三つの法則に従えば六手で開いてしまう事になるからだ。そんな簡単に開くならこんなに苦労はしない。
待てよ?六手目はスカだとしたら?作り手だって六手目で箱が開いちまうような作りにしてねえ筈だ。
「スヴェン、ちょっと試してもいいか?」
「いいけど、でも組み合わせや確率を試す時間は無いからね?」
アレクセイは頷くと箱のギミックを操作していく。スヴェンが祈るように見つめていると、からくり箱がカタンという音を立てる。
「開いた」
「ほんとだ!アリョーシャすごい!」
早速ふたりで中を検める。アレクセイが嗅いだ香水のにおいが強かった。手鏡や装飾品まで様々な物がある。
「へえ、スヴェン、お前の母ちゃんは拘りが強いな。これサキュバスの翼膜のペンだぜ?羽根ペンじゃねえ、鉱石を削って翼膜で装飾されてる。ここにインクを注入して無限に書けるのか…貰いもんかな?」
「わからないけど、それ母のお気に入りなんだよ。光に照らすとキラキラして…じゃなくて早く証拠になるもの見つけないと!」
「つったってよぉ」
箱の中の羊皮紙を物色していく。アレクセイが探しているものは植物で出来た紙だった。スヴェンも不正に繋がりそうな物が無いか探すが、その月の決算書や古い招待状、幼少の頃に母に渡した手紙や絵が綺麗に整頓されているだけだった。スヴェンは罪悪感に苛まれたが、今の母はその頃の母とは比べ物にならない。悪霊に取り憑かれたように人が変わってしまっている。スヴェンは優しかった頃の母が恋しくて堪らなかった。まだ何も知らない子どもの時のように一緒に仕事をしたかった。母の手助けになりたい。その一心だった。からくり箱の中に閉ざした思い出が蘇るが、幼い頃の自分の手紙に交じるように材質の違う紙が紛れ込んでいた。繊維が模様のように入り混じるそれは“紙”だった。見掛けない字だ。インクもこの国で使っている物とは発色が違う。
「アリョーシャ、これ」
アレクセイはその“手紙”を手にする。自分の手にしていた切れ端と照らし合わせる。同じ植物の繊維から作られた紙だ。
「母に宛てたもののようだけど…メルヴェの事について書かれてる」
「メルヴェを奪取せよ、へえ、随分きな臭い内容じゃねえか」
「証拠になるかは正直分からないけど、でも母宛にしては文面が乱雑だ。間違いなく非公式の内容だよ。母に宛てる手紙には必ずその国の印章が必要なんだ」
「お前がいて助かるぜスヴェン、とりあえずこの手紙はベルントに渡しておくか」
不意にドアの向こうが騒がしくなった。いつの間にか花火も終わっている。
「スヴェン様!どちらへ!」
「公子様ー!」
スヴェンはハッとする。
「いけない!僕がいないってバレた!」
「早く箱を戻せ!」
慌てて箱を締めて元に戻す。各ドアがノックされて開いていく音がした。窓を開けようとするスヴェンの手を貸す。まだ散らかした物を片付けていなかった。アレクセイはそれらを元に戻していく。
「綺麗にしたらここから庭へ出て!彼らは僕が足止めしておくから!」
「恩に着る」
マジええ子やスヴェン…!
スヴェンは執務室を出たすぐ先の廊下で兵士達を足止めする。
「スヴェン様!ああよかった!どちらへいらしたので?」
「ご、ごめん、花火に見飽きて、その、探検してたんだ」
「左様でしたか!スヴェン様、次は必ず私共を側に置いてください!高潔なる公妃様よりそう強く仰せつかっておりますゆえ!」
「う、うん、ごめんね」
アレクセイはそんなやり取りを聞きつつスヴェンの苦労に同情した。
あんなんじゃ家出もしたくなる。自分の部屋に鍵もかけれねえぞありゃ。俺なら発狂するね。
そんな事を思いつつ窓から外壁を伝って庭園を出た。それと同時に兵士たちが部屋に入ってくる。スヴェンも。アレクセイが上手く逃げた事にホッとした。
《鉄と刃と最終計画》
酒亭・明星の雫にて。ベルントはアレクセイが持ち出した手紙の内容について難しい顔をしていた。確かに公妃・ディーサへ宛てた手紙に違いないだろうが、内容が余りにも漠然としていた。しかしアレクセイが言うように宮廷で使われる羊皮紙とは違う材質で、それに使われるインクも赤みの強い黒だった。アレクセイはシチューを頬張りつつベルントに切り出す。
「近隣でそうゆうのを使ってる国はあんのか?」
「ある。あくまで俺の予想だが、ディーサが呼んだ隣国の男がこの植物の紙とインクを使っている」
「誰なんだそいつは」
「俺は何でも屋じゃないぞ。それに反公妃派の俺に素性を明かすわけないだろうが」
「んん、それもそうだな、悪い」
「しかし、ディーサが何か企てをしているのは確かだろう。この手紙から糸口が見つかる事を願うばかりだ。よくやったアリョーシャ」
「おう、ベルント。正当な働きには正当な報酬があって然るべきだよな?」
ベルントは「まいったな」とばかりに頭を抱える。
「現物主義め」
「現物の何が悪い?」
ベルントは「先が思いやられる」とばかりに首を振りつつ、革紐で丁寧に丸められた羊皮紙を取り出すと、紐を解いてアレクセイに内容を見せる。
「なんだこりゃ?」
「見て分かれ」
「分かる。“市民証”だろ?今更なんで?」
「アリョーシャ、これから何をするにもお前の“身分”を証明するものが必要になる。例えお前が本物の“覚者王”であろうとな。ケツに火を灯す勢いで発行させたんだ、ありがたく思え」
「アレクセイ・マトヴェーエフ…へえ、マトヴェーエフって俺の名字?」
「そうだが?それがなんだ?」
「俺、名字あったのか」
「それも憶えてないのか?まあいい、とにかくその身分証さえあれば一般的な依頼も受けることが出来る。それなりの収入も見込める筈だ。万が一逮捕されたとしても権利が守られるしな。ああそうだ…それとこれも」
ベルントは真鍮の鍵を置いた。
「なに?お前ん家の合鍵?俺とお前ってそうゆう仲なの?」
「違う。お前に家を買った。いつまでも宿屋じゃ不便だろ?」
アレクセイは鍵とベルントとを見た。感動のあまりベルントに抱き着く。
「ありがとう!ありがとうベルント!!一生俺を養ってくれ!!」
「……それは絶対に嫌だ」
ベルントはアレクセイの戦傷年金を担保に全額支払った事が喉まで出掛けていたが、そっと飲み込む事にした。アレクセイは上機嫌だった。ベルントにとって上機嫌のアレクセイ程扱いやすいものはない。
「持つべきは友だちよりベルントだなぁ、市民権に家まで…至れり尽くせりだ!そんで?何を企んでんだベルント殿?」
「ああ、ただの一般市民は王やコンスルとの謁見は許されないが、ヴェルムントに大きく貢献した市民には謁見が許される。王より直接栄誉を賜るのだ。つまり、お前がそこでポーンを引き連れ、この国の正式な覚者王であることを証言し、且つ証明する事が出来る。現覚者王は臣民からの信頼も低い、お前が覚者王より先んじて臣民からの信頼を勝ち取れば自ずとお前に傅く筈だ」
アレクセイは「ふうん」と言いつつパンを齧る。今日のパンはきちんとしたライ麦パンだった。モスモスと咀嚼しつつ喋った。
「人助けか、なんだっていいけどよ、まあ万事ぜんぶ俺に任しとけよベルント!」
親指で口元のパンくず拭い落としつつ俯瞰した。
「なんだか今は人生が楽しいんだ!誰も俺を否定しない!寧ろ感謝されたりする!俺は俺のしたい事が出来る!覚者になる前がどんな人生だったかは分からねえけどな!」
へへ、とアレクセイは笑う。ベルントはそんなアレクセイを嬉しく思う反面、なにか複雑な心情だった。
もしもお前が全てを取り戻したとして、お前は本当に王になりたいんだろうか。自由を取り戻したとしても、待っているのは王としての責務だけだ。お前は子どもの頃から戦う事しか知らなかった。何をしても上手くいかない。仕事も長く続かなければ、人とすぐトラブルを起こす。不器用で問題児。子どもながら背中にはいつも鞭の痕があった。医者やシスターが匙を投げた母親の介護をたった独りでしていた。大人になって王立陸軍に志願し兵士になったのも生きる為だ。世間は必死に生きるお前に見向きもしなかった。そんなお前が誰にも縛られず自由に生きる姿は親友の俺にとってどれほど嬉しいだろう。例えそれが“覚者”としての仮初めの自由だとしても。アリョーシャ、どうしてお前が“覚者”なんだ。
「おい!ハン!」
アレクセイは話しが終わるまで待機していた従者を手招く。
「はい、マスター。なんでしょう?」
「ベルントが俺達に家を用意してくれたんだ!早速行ってみようぜ!」
「はい」
ベルントはハッとする。
「アリョーシャ、まだ話しは…!」
制止も聞かずに走り去る。かと思えばすぐに戻ってきた。
「ベルント!場所どこだ!?」
いずれにせよ、先が思いやられる。
ベルントが用意した家は商業区と貧民区の堺にある木造と石造りの家だった。長らく空き家だったようだが、必要なものは全て揃っている。しかしクモだのネズミだのの“住人”が余りにも多く、掃除は欠かせなかった。ハンが「私にお任せを」と言い出したが、例え優秀な執事だとしてもハンの掃除は一日以上は要する。アレクセイが待ってられる筈も無かった。少なくなった資金は全て家の修繕費とメイドや職人を数人日雇いし掃除や改築をさせる事に使われた。そして今日は朝から用事がある。毎朝が不機嫌のアレクセイは珍しく上機嫌なのだ。
「ハン、鍛冶屋のロドリグおじさんが俺らの装備を用意してくれたそうだ」
「それは何よりの朗報ですね」
「早く行こうぜ」
着の身着のまま出ていこうとするアレクセイをハンが捕まえる。
「マスター、お待ち下さい。朝食はしっかり召し上がりましょう。一日の始まりには朝食が肝心なのです」
「ああ?いいよ朝飯なんか帰ってからでも」
「その指示は従いかねます」
「クソポーン」
「申し訳ありません」
なんやかんや問答しつつも、ハンの作る朝食はいつだってアレクセイの心も腹も満たした。
「朝からオムレツなんて贅沢だなぁ」
「卵は完全栄養食です。朝の始まりには欠かせませんよ。それに、装備を揃えたらトレボへ向かいますからね。保存が効かない食材は使ってしまわないと」
「ンン、んまい…!」
アレクセイはハンの手料理を食べつつ、ふとフォークを止める。アレクセイはハンのマグにお茶を注ぐ。ハンは慇懃に礼を述べて優雅に口をつける。
「なあハン、数日は寝心地の良いベッドやこうしたのんびりした食事とも無縁だな」
「マスターにしては随分悲観的ですね。野営での食事や見張りは私にお任せを」
「へへ、そりゃ期待してるけどさ、やっぱり思うんだよ、睡眠と三食の食事が効いてるって。俺マジさ、今コンディション抜群よ?」
「ええ、私にも感じています。最初に出会った時のマスターは随分窶れていました。貴方が覚者様であられるからと元々のスタミナのおかげであの時は無事に山越えを果たせましたが、ごく普通の人間なら栄養失調で満足に動くどころか死に至るでしょう」
「だからせめて野営に使うモンは凝っていきてえよな?」
「それは良い案ですね。トレボ出発の前に探してみましょう」
アレクセイは「そういやよ」と言いつつ音を立てて熱いお茶を飲む。
「お前はポーンの癖にやたらそうゆう事詳しいけど、ポーンにも勉強する養成所とかあるわけ?」
「ありません。私の戦徒としての経験が長いという事もあるのでしょうが、戦いとは即ち“知識”と“情報”です。魔物の生態や行動学だけでなく、私は人体のエキスパートです。ポーンと肉体構造が酷似している以上、戦闘に於いて人体は非常に扱いやすいです。ただ、ポーンと違うのは人間は極地に立たされると我々には想像もつかない行動をとる事ですね。特筆すべきは自爆という行為です。大変理解しかねます」
「あー…まあ、そうかもな」
「申し訳ありません。食事中にすべき話しではなかったですね」
アレクセイはへらっと笑う。
「いや、お前といると退屈しねえよ。会話も弾むしな。何つーかさ、こうやって美味いモン作ってくれたりするとブレるんだよ。俺ら人間様には“慈悲”ってのがある。俺には無縁のように思えても、気が乗らねえ事もあったし、悪夢に魘される時もあった。だがお前達ポーンにはそれがない。覚者を守る為には非情になれる。殺した人間の顔が毎夜夢に出てくる事もない。そうだろ?」
「ええ」
アレクセイはオムレツの最後のひと口を噛み締める。
「こうやって美味いモン食うとさ、お前がポーンなんだって忘れちまいそうになる」
「それは、どういう事なのでしょう?」
「つまり対等の関係には一生なれないんだなーってこと」
ハンは小難しい顔をする。知的で精悍な雰囲気とは不釣り合いのその顔にアレクセイは笑った。考えた末にハンは何か閃いたかのようにハッとする。
「つまりマスターは私が女性の姿であることを望まれると!?」
「どうしてそうなったかね?」
朝食を終えたアレクセイ達を待っていたのは、店の前で仁王立ちするロドリグだった。
「待ちくたびれたぜアリョーシャ、牛車がヴェルンワースを一周しちまう位にな!」
「そんなに待ってねえだろうが」
「すみません。ロドリグ様、朝食をとっていたものですから」
「呑気なモンだぜ…。とりあえず店ン中へ入れ、見せたいモンがある」
期待を胸に店の中へ行くと、アレクセイが待ちに待った物が飾られていた。アレクセイは感嘆の溜め息を漏らしつつその飾られた防具と剣の細部を見ていく。ハンも弓を手にして材質を撫でた。
「…すげえ」
「素晴らしいですよ、ロドリグ様」
ロドリグは頷く。
「感動だろ?バタルにいる従兄弟から急遽素材を取り寄せて作った。防具は布製だが、城にいる貴婦人が着ているドレスとはわけが違うぞ?特殊な樹脂から生まれた糸で出来ている。軽い上に編み合わせれば鉄よりもより強固で燃えにくい。そんじょそこらの魔物の爪や牙なんて掠り傷ひとつ負わせられないだろうさ!武器も鍛え直してある。アリョーシャ、お前の武器は友だちに感謝するんだな!それは士官クラス以上の兵士が帯刀を許される剣と盾だぞ?」
アレクセイは鞘から剣を抜く。鞘に触れるだけで金属とは思えない音色が響く。今まで使っていた剣が模造刀に思えるほど洗練されて美しい剣だった。装飾ひとつさえ威厳を感じる。盾は驚くほど軽く取り回しも申し分ない。盾の中心には威力を上げるためのスパイクや凹凸がついていた。試しに剣の柄で叩いてみるが、手に衝撃すら感じない。ハンは装備もさることながら、やはり弓が気になるようで引き絞った感覚をチェックしている。
「ポーンの旦那、旦那の弓は従兄弟に調整してもらった。元々この弓はある狩人が使っていたものでな。どんなケモノも魔物もその弓で狩っていた逸話がある。高威力だが、その分扱いも上級者向けだ…しかし旦那なら問題はなかろう」
「ええ」
「やべえ、ありがとうロドリグおじさん」
「私からも感謝の念を」
「礼を言うのは俺の方だ。久しぶりにいい仕事をさせてもらった。さて、最終仕上げをするからお前らの体の寸法を測らせてくれ」
ロドリグの仕上げの肯定は夕方までかかる為、アレクセイとハンは出発の為の準備に勤しんだ。ここの宿屋での寝泊まりもこれが最後になると思うとどうにも感慨深い。思えばあっという間だった。
「明日に備えて今夜は早く休みましょう。どれだけ急いでもトレボまでは丸一日は掛かります。途中、魔物の警戒もせねばなりませんから、実際は早くて二日か三日でしょうね」
「新しい武器と装備、それから野営のギアを試すいい機会じゃねえか」
ハンは部屋の蝋燭を消して廻りつつフッと笑う。
「その意見はどうにも否定しきれませんね」
「これから忙しくなりそうだな」
アレクセイは自分の枕元のランタンを吹き消す。窓から星明かりが射し込んだ。
「おやすみ、ハン」
「はい、おやすみくださいアリョーシャ様」
第三章 終