マスター、私にお任せを!   作:マヤコフスキー

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竜に心臓を奪われ、竜を斃す運命に生きる者・覚者。その覚者にのみ付き従う事を使命とする漂泊の戦徒・ポーン。戦うこと以外は不器用な覚者・アレクセイと経験豊富で料理が得意な初老のポーン・ハンとの旅物語。トレボを奪取し、城都へ帰還したアレクセイ。憧れの我が家で休む間もなく次の任務へ向かう。ヴィルヘルミナに助けられ、親友・ベルントから「法務官・ヴァルデマル」を救うよう依頼を受けたが……?
※諸事情により、pixivより先に話数が進んでいます。
※すみません。ペースト上手くいっておらず変になってました。申し訳ありません。


第五章

 

 

 

 

Land and skies and seas yearn.

Finish the cycle of eternal return.

 

 

 

 

《テールスープとマッシュポテト》

 

 

 アレクセイはハンの手際の良い作業を見つつこんな事を思っていた。

 産まれて初めてのマイホームのキッチンの最初の食材がトカゲの魔物の尻尾なのか、と。

 

 さて、下処理は十分に済みました。浮き上がって固まった余分な脂は捨てずにとっておきましょう。後で着火剤の材料に使いますからね。調理の工程に移りましょう。まずは身と皮を剥ぎます。リザードマンの皮は熱すると綺麗に剥ぐことが出来ます。クレスト部分は丁寧に抜き取り一度湯がき、流水で肉の表面を洗い落とします。こうする事で殆ど臭みの無い上品な仕上がりになります。下処理だけでも大変な手間です。高級食材というだけありますね。肉をこぶし大程の大きさに切り分け、ヴェルンワースハーブ、塩、粗挽きした黒胡椒をまぶし、水を張った鍋に入れます。ひと口大に切ったイワシメジ、ポロネギ、セロリ、ニンジンを…

「ハン、俺は前にニンジンは嫌いって言ったよな?」

「…………」

「セロリも嫌いなんだけど」

「…………」

どうかご容赦を。いずれもスープの仕上がりに欠かせないのです。鍋にぶち込みます。

「うわああ!」

「アリョーシャ、作ってくれる人に文句を垂れるな」

「コイツ!ポーンの癖に覚者の言う事聞かねえんだけど!」

「お前のそれは世間一般的な表現で我が儘と言うぞ」

 ごもっともですベルント様…。さて、調理に戻りましょう。火加減には十分に注意してください。沸騰してしまうとスープに濁りが出てしまいます。美しい黄金色のスープに仕上げるには丁寧な作業は欠かせません。そしてこれは私が異界で手に入れた南部オレガノやキングローリエ、パセリ、タラゴンといった様々なハーブを乾燥させて作ったブーケガルニです。香りと風味の素晴らしいエッセンスになることでしょう。肉や野菜の旨味が凝縮されたスープにはシンプルに塩ベースがベストですね。さて、煮込んでいる間に付け合せを作りましょう。蒸かしたヒメガライモを潰し、バター、ミルク、塩と粗挽き胡椒を加え滑らかになるまで混ぜ合わせます。スープも程よく仕上がってきましたね。温かい内に器に盛り付け…。

 

 「さあ、出来ましたよ。テールスープとマッシュポテトです」

 

 アレクセイは目の前にある黄金色に透き通った美しいスープとバターが香るマッシュポテトに目を奪われていた。スーシキと紅茶をつまんでいたが、腹はぐうぐう鳴るし涎が止まらない。

 めちゃくちゃ美味そうな匂いがする…!!クッソ、これがほんとにあのリザードマンのスープかよ!!

しかしアレクセイにはリザードマンのあの姿が目に焼き付いて離れず、スプーンを手にしたまま微動だに出来なかった。ベルントはそんなアレクセイを不思議に思ったが、夜勤明けの疲労感もそこそこにスープをひと口含んでその旨味に悶える。

「なんてことだ…!とんでもなく美味い…ッ!」

匙が止まらないとはこの事だ。野菜やテール肉の旨味や栄養が溶け込んだスープに濃厚でねっとりしたヒメガライモのマッシュポテトを浸せば相乗効果はひとしおである。美味そうに食べるベルントに堪えきれず、アレクセイも恐る恐るひと口啜る。

「……ッッッ!!」

思わずスプーンを落とした。あまりにも美味すぎた。言葉では表現出来ない。苦手なものが三つ、ニンジンやセロリ、そしてリザードマンの尾が入っているとはとてもじゃないが信じられなかった。トレボで傷ついた肉体に熱いスープが浸透していく。

「…はわ」

思わず変な声が出た。それくらいに美味かった。それからはアレクセイはもう夢中だった。ニンジンだとかセロリだとか、リザードマンの尾だとか、そんなものもう頭には無かった。手掴みでスープに浸かった肉に齧り付く。

「ンふぅっ!!」

鼻から感嘆の息が漏れた。

 はぁぁっ、ヤベェ、なんだコレ!めちゃくちゃ美味い!肉厚なのに身がほぐれる。旨味が凝縮しまくった魚みたいな味なのに、すげえ肉食ってる感…脂身も程よくてサラッとしてる。ワイルドっぽい風味なのにハーブがマイルドにそれを包んでて臭みを感じない。ヤベェ、あの見た目からは想像が出来ん上品な肉だ。

「アリョーシャ様、髭の周りがベタベタですよ…」

ハンが布巾を差し出したが、アレクセイはゴシゴシと袖で口を拭く。ナイフとフォークで器用に食べるベルントは「ハァ」と溜め息をついた。ハンはどうしようもないと思いつつもその姿にどういったわけか安堵する。

「しかし、安心しました。貴方が美味しそうに召し上がる姿を見るとどういうわけか心が安らぎます」

「実際、めちゃくちゃ美味えからな」

ベルントも頷く。

「ポーンがこんなに美味い物を作れるとは思わなかった。素晴らしいスープだ。この肉も骨や軟骨から身が綺麗に解れる。ハンさん、いったい何の肉なんだ?」

「リザードマンの尻尾の肉ですよ」

「いっ!?」

アレクセイはフフンと笑った。

「俺が尻尾を切ったんだ!」

「………よもやそんな高級食材を……?」

「ええ、私もリザードマンの丸焼きを食べた経験がありますが、結論から申し上げるとリザードマンの可食部は尻尾のみでしたね。異界では寄生虫に感染して苦しみましたから」

「…………」

「…………」

「おっと、食事中に申し訳ありません」

アレクセイは肉を齧りつつ「プフっ」と吹き出す。

「いいからお前も食えよ、ハン」

 

 ベルントとの昼食会と言う名の密談を終えて、アレクセイは眠気と戦いつつも武器や防具の手入れを行っていた。

「ロドリグおじさんが言っていただけあるな。見ろよ、ここは燃えてた筈だが煤で少し黒くなってるだけだ…ちょっと薄めたレモン果汁で拭けば簡単に落ちたけど」

ハンはキッチンと部屋の掃除をしつつアレクセイのその作業を見守る。

「貴方は自分やその身の回りには無頓着ですが、装備品への拘りは強いですね」

「そうか?」

「ええ」

「あんまり自分じゃ自覚してねえかも…でも自分の武器とかは他人に触られたくはねえだろ」

「貴方はそうでしたね。一度貴方の剣を研ぎましたが、とても嫌な顔をされていたので」

「…あん時はお前の事まだよく知らなかったし、ポーンが絶対に覚者を裏切らないなんて保障も無かっただろうが」

「確かに」

ハンはひと通りの事を終えると何をするでもなく部屋を彷徨いたりぼんやり立ったりする。何もすることが無くなると決まってそういった行動をした。アレクセイにとってはもう見慣れた光景だ。

「ハン」

「はい、覚者様」

そんな時に呼ぶと決まって嬉しそうな顔をする。何もする事が無い、目的が無い、どうすれば良いのか分からない、アレクセイにとってそれは想像出来ないが、覚者がいないポーンはそんな時間が永遠に続くのかと思うと不安で堪らないだろう。トレボへ向かう途中で出会ったマリーニャというポーンに出会ってから、アレクセイにとって少しポーンへの考え方が変わりつつあった。

 何をどうすりゃいいのか分からねえって不安は、知らねえ場所に急に独りにされた事と同じだよな。

アレクセイは極力、ハンに何もしない時間を与えないように務める事にした。

「ここに座って俺の手伝いをしろ」

「はい」

「俺は…知っての通り手先が不器用だからよ」

アレクセイはハンへ剣を差し出す。

「分かりました。私にお任せを」

「防具立てがもう一個くらい欲しいよな」

「そうですね。しかし、スペースがもう…」

「案外広いと思ってたがこうして見ると狭いか」

そんな会話をしつつ二人で装備品や武器の手入れをしていく。野営の時に使ったギアもついでに。

「ハン、アレ欲しくねえ?アレ…」

「アレ?と申しますと?」

「ほら、小さく折り畳めて魔法でボッてつくヤツだよ、商店で見かけたろ?」

「ああ、コンパクト魔導バーナーですね。確かに」

「アレがあれば態々コッヘルとかの煤を落とさなくて済むし」

「そうですね。しかしとても高価でした」

「あと、あれも魔法だよな?あのめちゃくちゃ明るいランタン」

「ええ、ファントムやアンデッド避けがついたものですね」

「ああゆうのいいよなぁ、それから熱くなりにくいテーブルつきの焚き火台と、それからあの天幕、すげー迷彩効果あってさ、グリフィンとかにも襲われないぜ」

「いいと思いますよ」

アレクセイは次々に高価なキャンプギアやサバイバルギアの話しをした。ハンは相槌を打ったり時々自分の考えを話したりしつつ、隣にいるアレクセイを見る。

「アリョーシャ様」

「おん?」

「ひとつ、不思議な事を話してもよろしいでしょうか」

「お?おお」

「…大抵の場合、ポーンは姿や形が変わっても仕えていた覚者様の事を記憶しています。たった半刻でも…それは私たちが人間のように目や脳で記憶しているからではなく、覚者様を感じているからなのです」

「へえ」

「しかし、私は…」

ハンは手を止めて俯く。寂し気にアレクセイを見つめた。

「…以前のマスター事だけは…朧げなのです。名前も顔も…まるで霞がかったように、判然としないのです」

「以前のマスターって事は、俺のご先祖様か」

「ええ」

「他のポーンは?どうなんだ?」

「貴方と出会うまで、私は他の仲間たちに打ち明けましたが、誰ひとり、そんなポーンはいませんでした」

アレクセイには無論、解決しようのない話しだった。何せ自分自身は人間で、もし寿命がポーンのように無限だとしても人の顔を覚えてられるか?といえば答えは分かりきっていた。

「覚えてなきゃ何か不便なことでも?」

「はい?」

「え、いやだってよ、もうとっくに死んじまったんだろ?」

「はい」

「何かひとつでも思い出がありゃ、別に顔とか名前とかどうだっていいだろ…お前が以前の覚者といて幸せだなーとか思えてたなら俺はそれで良いと思うぜ?」

「………幸せ、とは具体的に?」

アレクセイは「あーそうか」と思った。漠然とした“幸福度”は人それぞれの価値観だ。そういった事について論理的思考を求めるポーンには不向きの話題だろう。

「前の覚者について、何か思い出せる事は?」

「そうですね…」

ハンは考えた。

「…初めて…マスターに矢を組んで貰った時、でしょうか」

「他には?」

「残念ながらそれ以外には何も…」

「じゃあお前にとってそれが特別だったんだ、ならそれで良いじゃねえか。それに、その覚者の事についてお前にとって何か思い出したくねえ事とかあるかもしれねえぞ」

ハンは不安げな顔をする。

「そう、なのでしょうか。それで本当に良いんでしょうか」

「良いか悪いかなんて所詮結果論だろ?そのうち答えが出るさ、お前不老不死なんだから、ンな事でくよくよすんなって」

アレクセイは激励を込めてハンの肩を強く叩く。まだ治りきっていなかったのか、ハンは痛みに背筋をピンとさせた。

「いっ」

「あ、わり…」

「いえ…」

 

 

 

 《異界渡り/ペリメニ》

 

 

 

 日が傾き始める。アレクセイは既にウトウトしていた。二日も満足に眠っていなかったせいもある。肉体が充分な栄養を蓄えた故に休息を欲しがっていた。ハンは装備を身に着けつつ矢の一本一本をチェックしている。

「異界ってよ、具体的に何処行くわけ?」

「此処と似た別の世界の時もあれば、全く別の世界の時も。一度降り立った地は国同士の戦争で荒廃した地でしたね。死体を喰らう魔物が特に多かったです」

「俺も行けたりして?」

「人間には不可能です。異界の扉は時限という理を超越した門です。つまり、そこには“時の流れ”が存在しません。貴方方のように“寿命”が存在する“生物”にとって異界を渡る行為は幾百もの時を一瞬で跨ぐ事と道理です。存在自体が消えてしまいますよ」

「何を言ってるのか分からねえが、つまり死ぬんだな」

「ええ。私が異界で過ごす一年は、ここの時間の流れと比例しません。異界と異界は互いに干渉せず時間の流れが異なるのです…私が異界で十年過ごすとも、或いは一分であろうと貴方が目覚める頃には戻るでしょう」

アレクセイは今一理解が出来なかったが、腕を組んで頷く。

「初めてポーンが凄いと思った」

「馬鹿にしておられますか?」

「いや、あ!待てよ?時々お前が俺んとこに一瞬で戻ってくる時あるけどそれって」

「ええ、便利でしょう?」

「…………」

「人ならばともかく、覚者様であれば何処へいようと私達の追跡からは逃れられませんから…それに、異界にいても貴方の事を感じています。私に隠れて妙な行動をしても筒抜けですからね?」

「信用しろよ、今日のとこはマジで眠いから昼まで爆睡だぜ。たぶん」

ハンは眉間を寄せる。アレクセイは信用されていない事がすぐに分かった。

「マスター、くれぐれも」

「しつこい」

「申し訳ありません。しかし本当に貴方はじっとしていないので、いっそベルント様に頼んで檻に入れてもらおうかと」

「俺はケモノ扱いかよ!」

ケモノならばまだ調教が出来る、ハンは喉まで出かかったそれを飲み込む。

「アリョーシャ様、よろしいですか?ご自身で釜に火を入れない事、火事になります。保温瓶にお湯が入れてありますのでサモワールが手に入るまでお茶はこちらで我慢してください。お夜食にはテールスープで煮込んだペリメニがありますからお腹が空いたらそれを召し上がってください。デザートにはリザードマンのゼラチンで作ったイチゴゼリーがありますので」

ペリメニとはいわゆるダンプリングのひとつだ。

「いつの間に…」

 見てたら腹減ってきた。昼あんなに食ったのに。

「万事、私にお任せを」

「つーかお前マジで俺を何だと思ってやが」

アレクセイはハッとする。奇妙な仕返しを思いついた。覚者ひと筋のポーンにだけ通用するだろう仕返しを。ハンは再び装備品の最終確認をしていた。手のひらの印を空間に翳せば、異界への門が出現する。

「ハン」

「はい、覚者様」

アレクセイはハンに躙り寄る。肉薄してくるアレクセイにハンはたじろいだ。

「アリョーシャ様?」

「なあ、マジで異界行っちまうのか?俺を置いて?俺をひとりにすんのか…?ちょっと寂しくなるなぁ」

ハンは見るからに動揺した。どう答えればいいものかと狼狽する。アレクセイは込み上げてくる笑いを堪えるのに必死になった。

 ヒヒヒッ!めちゃくちゃ動揺してるウケる!

「貴方が行くなと言うなら貴方の指示に従います。しかしお許しを、ポーンにとって異界へ赴くという行為は本能的なものなのです。ベルント様の言っていた事も気になります。必ず貴方の役に立ちますので…」

ハンは終始穏やかにそう告げるとアレクセイの顎にそっと手を添えた。

「どうか、ご容赦を」

狼狽しつつも愛おしげに見つめてくるその目にアレクセイは何だか急に恥ずかしくなる。純情な男を少し誂ってやろうという目論見は見事に玉砕した。

「それではアリョーシャ様、行ってまいりますね」

顎に添えられた手が離れていく。片時も離れたことのなかった従者は異界の中へ静かに消えていった。アレクセイは奇妙な気持ちになっている。誰もが「我が家は温かい場所だ」と言うのに、どうゆうわけか肌寒く物静かで味気のない場所のように思えてきた。

「……ケッ」

感傷に浸るなんて自分らしくない、と何をするわけでもなく家の中を彷徨く。ひとりで何をしようと考えるが、大した事は浮かばない。そういえばひとりの時はいつも何をしていたっけ、と取り留めのない事ばかり考える。腹は減っているがひとりではどうも食べる気も起きない。いっそのこと酒亭・明星の宴へでも行ってベルントに奢って貰おうか、などと考えが過った。ドアノブに手を掛けた所でハンの言葉を思い出す。ドアノブにかけた手がゆっくりと離れていく。

 こんな事になるなら酒でも買ってくりゃよかったぜ。

酒があれば多少の慰めになったかもしれない。家の中ならどれだけ飲もうと自由だ。但し「ひとりで出歩かない」という約束は霧散するだろうことはさておき。アレクセイはキッチンを覗きこむ。ハーブや料理のいい香りがした。真新しいキッチンとは思えないほどいい香りだ。

 とりあえず腹が膨れればまた眠くなるだろ。

そう考えて、小鍋の蓋を開ける。湯気と懐かしい香りが立ち昇る。丁寧に包まれたダンプリングは黄金色のスープを漂っていた。

「うまそ」

皿を洗うのが面倒で鍋ごと食卓へ持って行く。キッチンの床下収納のひんやりしたそこからスメタナ(サワークリーム)を取り出し、たっぷりと鍋の中へ入れた。ペリメニにはこれが欠かせない。一気に食欲を唆る。スメタナの溶け出したスープを啜る。

「ンッ!!」

 美味い…ムカつくけどリザードマンのスープマジでウマイ…!程よい塩っけにスメタナのクリーミィさが驚くほどマッチする!相乗効果何割マシだこれ…!?

ひとりで悶絶しつつ、ペリメニを口へ運ぶ。丁寧に包まれた生地からじゅわりと肉汁が溢れる。リザードマンの事などすっかり頭から抜けていた。

「ンっ…」

 なんだ?めちゃくちゃ美味い、めちゃくちゃ美味い、ンだけど…なんだ?いや、すげえ美味いんだけど、なんか違う。コレ、どっかで食ったことある。こんなに美味いモン、俺は…どこで食った?

アレクセイはひとり黙り込んで夢中でペリメニを食べていく。よく噛んで味わう。記憶は無いが確かに食べた事がある。そう断言出来る。

 

 いつ…どこで…?

 

目を伏せてスープの淀みを見つめた。ゆっくりと瞬きをして、ふと前を見る。自分の目と髪色がよく似た女性が微笑んで向かいに座っている。

 

 『アリョーシュカ、私のかわいいアリョーシュカ』

 

包み込むような優しい声でアレクセイをそう呼んだ。慈愛に満ちた真っ白な手のひらが頬を包み込む。何も感触は無いのに、妙に温かい。酷く懐かしい。無い筈の心臓がドクドクと生を脈打つ。どうゆうわけか片目から涙が頬を伝って落ちていった。

 

 『あなたの食べてる顔が、母さんは大好きよ』

 

隣には幼い自分がいる。綺麗な服を着て、ボウル一杯のスープを掻きこんでいた。

 

 いつの記憶だ?俺にもこんな幸福だった頃があったのか?

 

 アレクセイは俯いて記憶の糸口を探す。頭の中が霞がかっている。自分のつま先すら見えない場所で、ほつれた記憶の糸口は幾つも足元から始まっていた。これを手繰り寄せればきっと何か思い出すかもしれない。幸福で限りない時間を。手繰り寄せた記憶は酷いものだった。アレクセイの目の前には見覚えのある汚い子どもがいる。かき集めた材木の端材やボロ布で何かを作ろうとしていた。その汚い子どもが自分なのだと分かったのは、何を作るにも不器用だったから。傍らには骨と皮になって呼吸をするのも必死な女性らしき人が冷たい地面に横たわっている。雨風を凌げる満足な屋根や壁も無い。墓地のような一角だった。

 『母さんだいじょうぶだよ、俺がベッドをつくるからね。一緒に寝よう?』

その女性が幻視した母親だとは俄には信じられないのに、母親なのだと理由もなく確信する。母親の骨と皮のような肉体からは膿混じりの肉腫が幾つも剥き出ていて悪臭を放ち、虫が集っていた。歪に曲がった手脚は骨が折れたまま繋がったりした事を物語っている。幼いながらに理解していた。母はもう何をしても助からない、と。だからせめてベッドで、温かいベッドで楽に眠らせてやりたかった。

 

 『アリョーシュカ…わたしの、かわいいアリョーシュカ…ありがとう。かあさんは、しあわせでした』

 

 ああクソ…なんてもんを見せやがる。

 

アレクセイはそれ以上はもう食べる気になれず、ベッドに横たわった。

 やわらけえ。

唐突に理解する。なぜ自分がベッドひとつにあれだけ固執していたのかを。人並みの生活に執着していたのかを。母を楽にしたかった。その一心だった。せめてもの罪滅ぼしのような執着が今の自分を創り出している。アレクセイはすっぽりと布団を被ってベッドの中で丸くなった。せめて夢の中だけは幸福だった頃の記憶に浸っていたい。そう願わずにはいられなかった。

 

 その異界は巨大な大陸で、いくつもの小国が武力戦争を繰り返している不穏な世界だった。ハンはキメラの鬣が完全に寝た事を見届けて漸く矢を収める。雇い主の覚者は自分のポーンに回復魔法をかけていた。壮麗で凛とした女性の覚者をハンはよく知っている。そしてこの覚者にハンが雇われるのも初めてではない。

「カーン」

覚者の呼びかけにハンは振り返る。

「はい、覚者様」

「此度も助かった。あの村は屡々、キメラの襲撃に合っていたのだ。キメラは縄張りに入りさえしなければ無害なケモノだが、ひと度人肉の味を覚えた個体は狂暴化して手に負えんからな」

女覚者は腰に手を当ててキメラの死体を俯瞰すると腕を組んでハンを見上げる。

「ポーンたちの噂を耳にしたぞ、貴様、主が出来たそうだな?実に目出度い、私の誘いは振っておいてソイツにご執心とは恐れ入る。今宵はこのキメラの肉で宴でもしようか」

「キメラの肉は食用には向きませんよ。以前食べましたが、尿臭と舌が痺れるような刺激的な味がします」

「それは残念だな…食いごたえがあるかと思ったのだが」

深手から回復したエルフの男ポーンが静かに立ち上がり

、覚者の傍らに走り寄る。

「すみませんでした」

「全くだよ、どうしてお前はいつもすぐ調子に乗るのか理解しかねる。前線は大切な役職だ。お前が先にやられては意味がない」

「返す言葉もありません」

「まあよい。無事に依頼はこなせたのだ。急ぎギルドへ戻り報酬を受け取らねば…カーン、たった五日だが世話になった。美味い食事も良き力添えになったぞ」

「ありがとうございます。満足のいく結果です」

「おお、そうだ。これは礼の品だ。受け取るといい」

ハンは手のひらの中のそれを手にとって星空に翳す。

「指環ですか?」

「お前たちの世界ではそう呼ぶのか?それらは我々の世界ではアーティファクトと呼ぶ。魔法や魔力が創り出した産物だな。手にはめたり首に提げたりするものだ。それには加護が宿っている。強い加護ではないが、ガルム程度の魔物の牙は防げるだろう」

「貴重な品をありがとうございます」

「ではな、カーン」

「またお会いしましょう」

女覚者とエルフのポーンと別れて、互いの道を歩みだす。ハンにとってこの異界の地は特殊な場所だった。一世紀というスパンで訪れるが、いつだって戦争が絶えない。この地はポーンにとっても最も羽振りの良い土地だ。戦争が絶えない故に傭兵としての需要も高く情報共有も容易い。そしてポーンの噂は異界中を彷徨うのだ。噂の出所は不明だが、人間の噂と違うのは一切の“嘘”や“脚色”が無い。ハンはこの五日間で様々な噂を耳にしたが、最も興味深い内容はポーンのみが感染する病の噂だった。似たような話しを全く聞かなかったわけではないが、ポーンが内科的な病に侵される事は人形が精神疾患に罹る位に不可思議な話しだったからだ。ハンはリムストーンの傍らに立ち、帰還の為の“門”或いは“扉”をくぐっていった。野火の立ち昇る暗雲とした景色から一変して、雄大な自然と繁栄が象徴された景色が一面に広がる。巨大なリムストーンのモスクの通りを人々が活発に行き交っていた。ハンは脇目も振らずにアレクセイが待つマイホームへ戻った。

「マスター、いま帰還しました」

案の定、家の中は散乱している。床に様々な物が転がっていた。テーブルも食べ残したものや食べ散らかした物で汚れている。早速仕事だ。ハンは少しうんざりし始めていたが、アレクセイといる事はポーンにとっては一種の喜びのようなものもある。何をすればいいのか分からない、どうしたらいいのか分からない、ポーンにとってそれは何よりも苦痛なのだ。何もせず異界を彷徨っていると自分自身の存在すらも曖昧になってくる。覚者の中にはポーンを労り“何もしなくていい”と言う心優しい者もいるが、ポーンにとってそれが苦痛である事をあまり理解しては貰えない。アレクセイは寝相も悪かった。上半身だけがベッドから落ちている。落ちそうで落ちない姿勢のそれは器用なのか不器用なのか分からない。どういったわけか掛布はテーブルの下にある。

「アリョーシャ様、お腹を出しては風邪を引きますよ」

ハンはアレクセイを抱き起こすとベッドに正しく安置した。それからハンは少し予想が外れた事に不思議な思いでいた。てっきりアレクセイが何処かへ抜け出すことを予想していたからだ。ハンは何故だろうと思いつつも、アレクセイの気まぐれが都合よく働いたと結論づける事にした。テーブルに置いてある鍋は彼が横着して鍋ごと食べた事を物語っている。ハンは鍋を覗いて「おや?」と思った。鍋の中のペリメニは半分も減っていなかった。イチゴのゼリーも手つかずである。ハンはしょんぼりと眉を下げた。

 

 お口に、合わなかったのでしょうか。

 

不安げにアレクセイを見る。たったの数分でまたベッドから落ちていた。

「…ハァン…メシまだかァ…?」

寝言である。

 

 いや。

 たぶんお腹がいっぱいだったのでしょう。

 きっと、そうです。

 

 

 《トマトチーズリゾット/ポーンの病》

 

 

 

 「ハン!奴の膝をつかせろ!」

アレクセイの指示を受け、ハンはサイクロプスの膝を射る。矢はサイクロプスの関節に命中し、よろめいて膝をついた。立膝をつくその体にアレクセイが飛び乗ってよじ登る。頭部まで登りきってふらつきつつもバランスを取ると、剣をその目玉に突き刺した。サイクロプスは暴れてひと吼えしたが、やがてフラつき倒れていく。アレクセイは軽々と飛び降りた。

「お見事です!マスター!」

アレクセイはハンとハイファイブを交わす。

「ハン!ナイスカバー!」

城都に近い森にサイクロプスが現れて暴れ回って困っている。そんな内容の依頼だった。

「いい汗かいたな。つーかよ、こうゆうのって城都の兵士の仕事じゃねえのかよ?序でにあいつらの給料も貰っておこうぜ」

「軍組織の戒律は我々の預かり知らぬ事ですのでなんとも、とにかく依頼主の所へ行きましょう」

依頼主はハーフリングの木こりだった。仲間たちをサイクロプスに食われ、明星の雫で通夜をしている。支払われたのはたったの五百ゴールドと採れたてのトマト、袋いっぱいの麦だった。アレクセイは腑に落ちなかったが、木こりは重労働の割には稼ぎが少ない職業だと言い包められる。アレクセイは鵜呑みにこそしなかったがそれでも、肉親を無残に喰い殺された彼らにそれ以上は何も言えなかった。

「苦労した割にはショボい報酬だったな」

「しかし、麦が沢山手に入りました」

 嬉しいのはお前だけだぞハン。

「アリョーシャ様、そう気を落とさずに」

「落とすだろ。トレボの一件も思ったほど金にならなかったからな…あいつらにとって一市民が解決したって事にしたくねえんだろ。自分の軍隊がお粗末すぎてテメぇでテメぇの顔に泥を塗る事になる」

ハンは「フム」と顎を撫でた。

「そうゆうものなのですか?アリョーシャ様はお金や名声の為に依頼をこなしているのですか?」

アレクセイは何か居た堪れなさ気に眉間を寄せて振り返る。

「そう言われるとよぉ、俺も寝覚めが悪ィんだけど」

「すみません。ふと気になったのです」

ハンのその目は素直のひと言だった。けして厭味で聞いてきたのではない。ハンには申し訳ないが精悍な初老の顔で言われると例えポーンとはいえ少し心外な気持ちになった。

「お前らポーンには人間の労働について理解出来ないかもしれんが、いいか?労働には対価がある」

「存じてます」

「よし、対価はこの際なんだっていい。要は信用だ。正当な労働報酬は信用で成り立つんだ。コイツは期待以上の働きをしたから追加で報酬を出すとかつまりそんな感じだよ。お前も他所の覚者に雇われて、ショボい報酬だったらショックだろ?予め、雇用されるなら自分の価値を保証するための信用ってのが大事なんだよ」

「…そうですね。至らない点があったのかと感じる程度でしょうか。しかしアリョーシャ様の言いたい事は理解できました。つまり今回の一件は貴方がその信用を見誤ったという事ですね」

アレクセイは「ぐ」と押し黙る。そうだ。楽な仕事だと早とちりした。報酬について深く掘り下げなかった自分の落ち度である。しかし皆まで言われると何か癪に障った。

「悪かったな、単純脳味噌の覚者様でよぉ」

「そう自虐的になさらないで、貴方の選択はきっと間違っていませんよ。サイクロプスに家族を奪われた彼らにとってどれ程無念だったか計り知れません。アリョーシャ様がいなければ、被害はもっと広がっていたかも」

アレクセイはフッと笑う。

「お前はよくできたポーンだよ。欲しい言葉を無償でくれる」

ハンは微笑んだ。

「覚者様と共にある。私たちポーンにとってそれだけが大きな価値なのです」

 

 見晴らしの良い丘の草原は気持ちが良かった。野牛がのんびりと寝転がったり草を食んだりしている。アレクセイは火を起こすために細い枝をナイフで削いでいく。

「なんかもっと簡単に着火する方法ねえかな」

「では、これを使いましょう」

「なんだそりゃ」

「動物性の油脂とおがくずを混ぜて円形に成型した着火剤です。ナイフで簡単に切れますし、驚くほど早く焚き火を起こせますよ」

ハンは手製の着火剤をナイフで一欠片ほど削ぐと、それを使って手際よく火を起こした。普段使っていた方法での着火が馬鹿らしくなるほど簡単に火起こしが出来た事にアレクセイは「すげえ」とハンを見直す。

「お前、マジで色んなこと知ってんな」

「脂身は貴重ですからね。石鹸にもなりますし、加工のバリエーションが豊富です」

「油って石鹸になんのか?へえ、初めて知ったぜ」

「ええ。普通に作れたりもしますが、魔法や錬金で加工すればより人体に刺激の少ない物も作れたりしますよ」

ハンは言いつつも手際よく食事の準備をしていく。

「なんか、やろうか?」

ハンは驚いて振り返る。いつもならハンの料理が出来る間のアレクセイは涎を垂らして待っているか、水を汲んだりしてくるだけだが。ハンはどうすべきか迷った。気まぐれとはいえアレクセイの意志を尊重したくもあり、おとなしく待っていてほしいとすら思う。アレクセイはポーン相手にその意見は少し酷だったかと考えた。

「野菜とか洗うけど」

「え、ええ」

アレクセイは汲んできた水でトマトを洗った。

「何を作るんだ?」

「麦とトマトが手に入りましたのでリゾットを」

「トマトのリゾットか?」

「それと、チーズも使いましょうか」

 めちゃくちゃ美味そう。

 

 今日のランチはとても手軽です。メスティンを使えば炊く・煮るが同時に行えます。メスティンで穀物を炊く際は吹きこぼれに気をつけましょう。重石を置くのがベストです。炊いている間にトマトを刻み…

「なあ、俺もやってみていいか?」

「…ええ」

 珍しいこともありますね。

「こ、こんな感じか?」

「アリョーシャ様、こちらのナイフを使ってください」

「俺のナイフとコレの違いはなんだ?」

「私のコレはペティナイフと言います。小回りに富んだ利便性の高い料理ナイフです」

「…うお!めっちゃやり易い!」

 マスターがトマトを刻んでくれている間にチーズを擦り下ろしておきましょうか。

「俺、料理とか初めてやるかもしんねえ」

「料理と戦闘はよく似ていますよ」

「マジ?」

「ええ、時間・五感・センス・閃き…今ある食材と環境を最大限に生かし尚且つパフォーマンスに優れたものを如何に作り出すか。私が戦闘より料理が好きなのはその点ですね」

「へー、俺は何にも考えずに作ってたのかと思ってたぜ。美味けりゃ何でもいいかー位に」

「…………」

 分かってくれていなかったですね。ええ、特に期待はしていませんよ。ええ。

「アリョーシャ様も食材の効果を知るいい機会かもしれませんね」

「食材の効果?」

「ええ、私を含め我々ポーンは人体のスペシャリストですよ。常に覚者様をベストな状態に維持するのもポーンの役目です」

 

 ※ハンの固執した拘りであって全てのポーンがそうである訳ではないことを二人は知らない。才略のポーンはひとえに細かな拘りが強い。

 

 麦は芯が残った状態が丁度良いです。刻んだトマト、チーズを加え、乾燥した南部オレガノ、黒胡椒で風味を整え…

「さあ、出来ましたよ。フレッシュトマトのチーズリゾットです…本当はサフランがあればもっと良い仕上がりになるのですが」

「いやいや、超絶美味そう」

「…今日は少し外気温が高いので清廉草のお茶にしましょうか」

 

 お茶と食事の準備は整った。

「いただきますッ!」

アレクセイはある時からがっつく事はしなくなった。食事のマナーは相変わらずだが、飢えた獣のようだった頃とは比べ物にならない程“食事の時間”を堪能している。

「ンン!うまっ!!」

 トマトの酸味とこってりしたチーズの塩気が堪んねえ!麦のプチプチした感触も楽しい。火を通したからか麦の香ばしい感じもいいアクセントになって、黒胡椒のスパイシーさとハーブの香りが食欲を唆るぞ!このお茶が口ン中爽やかにしてくれる。無限ループじゃねえか!

アレクセイはウットリしたりニコニコしたりした。アレクセイが何も言わずともその表情を見ればハンに気持ちが伝わる。

「ハン!お前も食ってみろよ!めちゃくちゃウメェぞ!」

「はい、いただきます」

「ンン!んま!メスティンひとつで炊くのと煮るのが同時に出来んのか、すげえな」

「はい、このクッカーは非常に便利です」

「やっぱり野営のギアは散財してまで買う価値はあるな」

「異界のマスターの中にはギアを手作りする方もいましたよ。それから既製品をカスタムする方も」

それを聞いてアレクセイは匙を進めつつもブスッとした顔をする。

「へいへい、どーせ俺は不器用覚者様デスヨ」

「それも貴方の個性です。人には得手不得手がありますから、そんな覚者様だからこそ我々ポーンがいるのです。意思の希薄な私達には覚者様が必要です。貴方の不得手とするところは甘えてくれてもいいんですからね」

アレクセイは照れ隠しに舌打ちしてリゾットを掻き込んだ。

「アリョーシャ様」

「…ん?」

「ひとつ報告をさせて頂いてもよろしいでしょうか」

「報告?」

「ええ、異界に行った際の情報です」

アレクセイはリゾットをモゴモゴ咀嚼しつつ、朝方(といっても正午前)にハンが何か言おうとしていたのを思い出した。寝起きで頭が働かず「後にしろ」と言ったことをアレクセイは漸く思い出した。

「なにか分かったのか?お前のお仲間の事とか」

「ええ、近頃、ポーンだけが感染する病があるのだとか。罹患リスクも高く感染方法もそれを防ぐ術も不明で、発症すれば我々を一種の興奮状態にさせるそうです」

「ポーンの興奮状態っていうのが今一よく分からんのだが」

「噂では初期症状的にはただ好戦的になる程度のようです。進行し重症化すると覚者様の命令さえ無視し、殺戮衝動を抑えきれなくなるのだとか」

「だが噂だろ?」

「ポーンの噂は人々の噂とは少し違います。我々は欺瞞を抱かぬ存在です。その病が別の異界での話なのかそれともポーン達共通の話題かははっきりします。これは我々にとって由々しき事態なのです」

アレクセイはズビズビとお茶を啜る。

「でもよ、それがベルントがお前らのお仲間の様子が変だっつーのと何か関連が?」

「さあ、そこまでは…しかし、私も長く異界を放浪としてきましたが、そんな病は初めて聞きました」

「防ぎようがねえのと、初期症状がただ好戦的になるってだけじゃ早期に見つけるのは難しいな。言う事聞かねえってのも今一釈然としねえ…つかよ、それは病なのか?」

「と言いますと?」

「あ、いや、病ってのはよ、普通は命を脅かすもんだろ。床に臥せって、動けなくなって、死ぬ。それが自然の摂理や法則性を持った“病”だ」

「そうですね。広義的ではありますが…」

「お前の言うそれはさ、好戦的になって言う事聞かなくなって理性ぶっ飛ぶってよ、病っつーか…その、なんつーか」

ハンは首を傾げる。

「……なんというか?」

「取り憑かれてる、って感じだよな」

「取り憑かれる?何に、でしょう」

「知るかよ」

ハンは顎を撫でてアレクセイの話しを考察する。

「確かにアリョーシャ様の意見は一理あります。私たちは漂泊から生まれた不死の魂魄です。明確に生命という定義を持たぬ存在なら“病”というものに犯されたりはしません。貴方の言う“取り憑く”といった表現は言い得て妙なのかもしれません」

「だろ?つかよ、意外とお前もそのポーンの病とやらになってるかもな」

「え?」

「だってお前俺の言う事聞かねえじゃん。お前あのペリメニにニンジンとか野菜入れたろ。俺嫌いっつってんのによぉ!」

ハンはどうにもならない顔をしたかと思えば額を抑える。

「…貴方のそれは、ただの我が儘なので」

 やっと得心がいきました。擦り下ろしたニンジンを入れたので召し上がらなかったのですね。いや、今朝は鍋ごと召し上がっていましたが。やはり昨夜は満腹だったのでしょうか。

「アリョーシャ様、ふと思い出したのですが」

「あ?」

「昨晩は食欲が無かったのですか?体調でも悪くしたのかと」

アレクセイは昨晩の事はあまり思い出したくはなかった。偶然にもこの従者が作った料理が母親の作ったものと酷似していた事は自分だけが知っていればいいと思った。

「………ニンジンが入ってたから」

そう誤魔化した。実際はニンジンが入っていようが無かろうが美味すぎたことは事実だ。聡明な従者・ハンならばそれが見え透いた嘘であることはすぐにバレる。現にアレクセイは嘘をつくことが出来ないのだから。

「なぜ嘘をつくのですか?」

話し相手が人間ならば何かしら察してくれただろうが、この男はポーンなのだ。

「そうゆう事にしておいてくれ」

「そうですか。分かりました。そうゆう事にしておきます。しかし、アリョーシャ様の体にはニンジンを始めとした野菜の栄養価は必須ですので、出来るだけ摂取してください」

「うっせえな!美味けりゃなんだって食ってやらァ!」

 

 食後はどうにも眠くなる。気持ちの良い晴天にフワフワした雲が流れていく。

「こんなにのんびりしていいんでしょうか」

隣りにいるハンがそう呟く。何も言わずとも周囲を警戒してくれているが、魔物どころかケモノの気配ひとつしない。

「のんびりしちゃ駄目なのかよ」

「いえ、今夜は潜入任務がありますから、また甘い物を欲せられるかと」

「今回はスヴェンが手助けしてくれる。前みてぇな事にはならんだろ。それにお前が言うように人間ってのは完璧じゃねえ、行動には痕跡がつきものさ…理由は分からんが俺はそうゆうのを見つけるのが得意らしい」

「そうですか」

「ああ、それとやる事がねえからこんなゴロゴロしてる訳じゃねえ…こうゆう時間も必要なのさ、俺とお喋りすんのが退屈なのは同情してやるよ」

「そうゆうわけでは…」

「人間ってのはリラックスして脳味噌とか休息したりすんのが必要なの」

「そうゆうものなのですか」

「そうゆうものなの」

ハンは徐ろにポーチの中を漁り始める。

「思い出しました。アリョーシャ様にこれを」

ハンがそう言ってアレクセイに差し出したのは指環だった。アレクセイはぎょっとする。ヴェルムント人の文化では求婚には指環を差し出す事が当然だった。

「お前ふざけんなよ!」

「え?」

「俺はお前の事好きだけどそうゆう意味じゃねえから!」

「え、え…アリョーシャ様…?」

人間とポーンの決定的な理解のすれ違いである。ハンにしてみれば、異界の覚者からの報酬は自分ではなく自分の覚者に対しての報酬である。ポーンに対する報酬や贈り物をしたとしてもポーンは「覚者への報酬、プレゼント」という理解以外に出来ないのだ。無論、アレクセイがそんなポーンの異界の文化など知る由もない、況してや他のポーンを雇い入れたりした事も無い以上知らないことは当然と言える。アレクセイからしてみれば、急に美しい指環をプレゼントされたようなものだ。

「お前がつけろ!自分でつけろ!俺はいらねえ!」

「…?…は、はい、分かりました」

ハンは頷くと左の薬指に身につけようとするのでアレクセイは慌ててひったくる。その指に指環をする事は、彼らにとって“つがい”の意味がある事をハンは知らない。

「やはりマスターが着用しますか?」

「着用しない!左の薬指以外の別の指にしろ!」

「分かりました。どの指がいいでしょう」

アレクセイは右手の薬指に指環を嵌めてやった。

「こっちにしろ。力が宿る」

「ありがとうございます」

無論、形が指環に似ている“アーティファクト”という魔具の一種であることをアレクセイは知らない。

 

 

 

《娼館の女王》

 

 

 

 城内は相変わらず様々な噂話しが飛び交っていたが、特にトレボ奪還の話題は尾や鰭がどこからともなく着いて回っている。ある兵士の話しではトレボを取り戻したのは北の砦の兵士団長の小隊だとか、ある女中の話しでは本物の覚者だとか、宮廷庭師によるとトレボを取り戻したのは一市民だと譲らなかった。アレクセイは「我こそは」と名乗り出たくてしょうがなかった。

 クソ、やっぱりこの鎧股がキツイ。

モゾモゾしつつ階段を登り、二階のフロアに着く。深夜、スヴェンがアロルドを呼びつける手筈になっていた。アレクセイがアロルドの部屋の前に差し掛かると、突然ドアが開く。

「まったく小僧め!こんな時間に呼び付けて一体何の用だ?」

アレクセイはすぐにこの太った男がアロルドなのだな、と分かった。真紅のローブは高級なシルク製だが、裾は虫食いだらけだし、襟はワインの染みや食べ零しの染みで汚れている。スヴェンからの情報によれば、アロルドは元々貴族や名家の生まれではなくただの商人だった。それが何故、宮廷財務官としての地位に昇りつめたのか、黒い噂の絶えない男だという。

 金鉱でも掘り当てたのかね。

アレクセイはアロルドが去るのを待った。

「おい!そこのお前!」

アレクセイは自分が呼ばれているとは思わず無視をする。

「お前だよ!まぬけ!」

尻を蹴飛ばされる。ただの飾りみたいな鎧なのでアレクセイは痛みに蹲る。

 な、なんだよクソ!タマイッたぞタマァ!

「大袈裟に痛がるな!この間抜け!ヴィルヘルミナが来たら必ず俺を呼べ!分かったか?」

「わ、わか、わかりまひた…ッ」

 冷やすモン欲しい…っ!ハン助けてくれ!あンのクソ野郎…ッ!

股がキツイのがこんな所で災いするとはアレクセイは少しも考えていなかった。とにかくアロルドが数人の侍従を引き連れてスヴェンの部屋へ行く頃には痛みはある程度収まった。よろよろ歩きつつアロルドの部屋へ入り、鎧を脱ぎ散らかして股間を冷やす。

「…ハーッ!イッテェ!」

 死ぬかと思った。つか冷静に考えて心臓無くてもタマは蹴られると暫くイテェのな。斬られたり殴られたりってのはすぐ収まるのに。アドレナリンのせいか?まあいいや、ちょっと休憩…。

 

 漸く痛みから回復してアレクセイは部屋の中を物色する。ディーサの時とは違い、様々なものが机に散乱しており、食べかけのリンゴが傷んで羽虫が集っていたりした。アレクセイはそれ以上何かを探る気になれなかった。物があり過ぎるというのも考え物だな、と思いつつ周囲を物色する。

「ん?」

床に何か擦れたような跡があった。屈み込んでよく見れば壁の向こう側へ続いている。不自然な壁の造りだ。アレクセイは燭台を手にして壁に寄れば火は吸い込まれるように一定方向に揺れた。

 ここに空間がある。

アレクセイは壁を撫でつつ幾つかの面を押してみた。ギィ、と粗末な音と共に壁が動く。隠し扉だ。

「男の夢満載かよ」

 俺もデカい家建てたらぜってぇ造ろう。とりあえず将来の為に参考にさせてもらおうか。

そんな事を思いつつ燭台の明かりを頼りに物色する。誰にもバレないとでも思っていたのか、机には収賄の証拠になりそうな様々な手紙や書類があった。

「ん?」

アレクセイは一枚の羊皮紙を手に取る。国交断絶しているとベルントから聞いたバタルの印章が押された手紙だった。

「癖字強過ぎて読めねえ…んん、神、…か、神凪…?神凪の声?なんだ神凪の声って?まあいいや、とりあえず怪しさ満載なので拝借っと、後でベルントに読んでもらおう、あとは…これは、会計簿の改竄か?馬鹿な俺でも収支が採算合わねえのが丸わかりだぞ。どうやって誤魔化す気だよ、面白いんでこれも貰っておく」

アレクセイは次に棚を物色する。小難しい税理系の本ばかりだ。試しに一冊手にとって開いて驚いた。税法ではなく内容は春画ばかりの本だ。表紙だけが小難しい本で中身や内容は酷いものだ。特に“美しきヴィルヘルミナ”と題された裸婦や春画の蒐集品は狂気的ですらある。

 そういやさっきヴィルヘルミナがどうしたとか言ってたな。この女何者なんだ?なんだって宮殿をウロチョロ出来んだよ。しかし美女だな。まあ、裸婦画はともかく美術的価値ってものはイコール資産だ。年数が経てば芸術は頭角を現しヴィンテージっつーランクになればたった一枚の絵画に何千枚もの金の価値がつく。アロルドの野郎はただの好々爺じゃねえな。収賄や着服で得た金を美術品や工芸品に変えている。金持ちにとって信用はもう“金”ではなく“現物”で、ブツのランクで相手の資産価値を測るんだ。俺も覚者王の前のちょっとした火遊びどころじゃなくなってるぞ。ベルントめ。

「とにかくズラかるか」

アレクセイは脱ぎ散らかした陳腐な鎧を身に着けると窓の外から飛び降りた。牛車を引く牛の藁の上に着地する。藁を払い落としながら庭園を歩いていく。もうこの辺りの見張りは居ていないようなものだ。彼らは戟に凭れて居眠りしている。アレクセイは兜を脱いだ。脱いですぐ、夜風に混じって嗅ぎ慣れない甘いにおいがした。この辺りでは絶対に嗅ぐことはない高級な香水の香りだ。

「あら…?見掛けない兵士ね」

そこには際どいデザインのドレスを纏った黒髪の女が立っていた。情熱と情愛が形になったかのような美貌の女性だ。

「…………」

 やべ。やらかした。超美女が俺を見つめている。じゃなくて、兜を取っちまった。どんな顔をすりゃいい?とりあえず兵士として振る舞うか?つか、ヤベェ…この世に美女っているんだな。いやマジで超俺を見てんじゃん!

アレクセイは雷に打たれたかのようにフラフラしたが頭を振ってどうにか正気を保つ。

「お、お前、そ、そんな所で何をしてる」

「フフッ!何をしてるように見えるのかしら?それに面白いわね、兵士なら私を知らない筈は無い。私こう見えて人に忘れられた事無いの…新人さん?」

 墓穴掘った。やらかした。だが、恐らくこの女がヴィルヘルミナだろう。

「新人さん、私にも質問をさせて?貴方がアロルド様の部屋の窓から出てくるのを偶然見かけたのよ。一体あの部屋で何をしていたの?」

言えるわけが無い。この女が敵なのか味方なのかすら分からない以上、アレクセイは自分の顔を晒したくは無かった。

 

「誰かいるのか?」

 

背後から聞こえた巡回兵の声にアレクセイはハッとする。

「こっちよ」

ヴィルヘルミナがアレクセイの手を掴んで庭園の奥へ匿った。

「おい!なん」

言葉は不自然に途切れた。触れ合った唇にアレクセイはビクリと戦慄く。キスだ、と頭が理解した瞬間、全身が沸騰しそうになった。とにかくいい匂いだし、何もかも柔らかくて蕩けそうだった。腰が砕けそうになる。生きていて良かった。記憶は無いがこんな美しい女性とキスなんてした事が無かった。

 この娘は俺に気があるのかな。

 

「そこの者!何者だ!ここで何をしている!」

 

永遠に続けばいいと思われた時はその声で終わりを迎える。ぽーっとしたままのアレクセイにヴィルヘルミナは笑うと、華奢な指で唇の口紅を拭い落として巡回兵へ振り返った。

「大声で無粋なコね?ナニをしていると思うのかしら」

ハーピーの扇を手に吟遊詩人のような言い回しでそう言うと、巡回兵は萎縮する。

「こ、こ、こ、これはヴィルヘルミナ様!失礼致しました!」

アレクセイは頭が働かない。巡回兵はおどおどする。

「ヴィ、ヴィルヘルミナ様、お、お相手様は…その」

「今日は外でヤりたい気分なんですって」

「さ、左様ですか…その、失礼ですが、お相手様は?すみません、仕事ですのでどうかご容赦を」

「そう、で?それを知ってどうするの?私も貴方も誰も得をしないわよ。今の地位を失いたくないのは私も同じ…分かったら回れ右をなさい。それともなに?人の愛の営みを覗く悪辣な趣味でも持ち合わせておいでかしら?」

巡回兵はビクッと肩を震わせてたじろぐ。

「滅相もありません!失礼しました!」

ヴィルヘルミナは巡回兵が去っていくのを見送るとアレクセイへ振り返った。

「もう安全よ」

「そうだな、多分性病はないから思いっきりヤろうか」

彼女の腰に手を添えた瞬間、平手打ちされた。アレクセイは泣きそうになった。

「何を寝ぼけてるの。私も貴方も見つかりたくなかっただけでしょ?ひと芝居打ったのよ…余所者なら知らないでしょうけど、天地が落ちて来ようが貴方に私は買えないわよ」

 これだから美女は…。

アレクセイは頬を擦りつつ唇を舐めた。仄かに蜂蜜のような風味がする。それが口紅の味なのだ、と初めて知った。

「キスもひと芝居に入るのか?」

「ええ、単純な男ほど騙されるものよ」

「なるほど、言えてる。効果は身を持って体感できたぜ」

ヴィルヘルミナは扇を口元に添えてクスクス笑った。

「よく言うでしょう。人に親切にすればイイコトがあるって…女のカンは当たるものよ、この恩は何倍にもなって返ってくるって」

「随分と高慢だな」

「お嫌いかしら?」

「ンン、大好き」

「アハッ!貴方ってバカね、そうゆう素直なお馬鹿さんって私も大好きよ。これも何かの縁ね。ほら、これをあげるわ」

言うと胸の谷間から一枚のカードを差し出した。変わった絵柄のカードだ。下半身が昆虫で上半身が獅子の魔物が描かれている。

「なんだこれ」

「ミルメコレオのカードよ。会員制の娼館って所ね…お金を貯めていらっしゃい。私たちは安い商売女じゃないの」

「初回限定割引きクーポンとか無いわけ?」

「ええ、安い男なんて来ないから…さあもうお行きなさい、貴方が何者なのかは、世間が決めるわ」

アレクセイはミルメコレオのカードを丁寧に収納した。

「おう、助けてくれてありがとう」

 

 

《不穏の足音》

 

 

 アレクセイは無事に城内を抜ける事が出来た。漸く窮屈な鎧を脱げる。

「アリョーシャ様!」

「大人しく待ってたか」

「ええ」

 こうゆう所は従順なんだよなぁ。

そんなことを思いつつ木陰で鎧を脱いでいると、ハンが何やら落ち着かない。

「どうした?」

「いえ、マスターから嗅ぎ慣れないにおいがするものですから」

 コイツいよいよ犬っころじゃねえかよ。

アレクセイは自分のにおいを嗅いだが、ハンが言うような臭いはしない。

「まあいいや、調度いいからベルントんとこ行こうぜ」

「はい」

 

 ベルントは明け休みの真夜中に押しかけられるとは思わなかった。ドアを開けるより早く声でアレクセイだと分かる。寝静まっているフリをしようにも、この男は「出直す」と言うことを知らない。鍵の修理代の事を考えれば素直に出た方が建設的だ。

「なんだ。こんな遅くに…」

「報告は矢の如しっていうだろ?」

「光陰矢の如し…いや、なんでもない」

「ほら」

アレクセイはアロルドの部屋から失敬した書類や手紙をベルントへ差し出す。

「…入れ」

ベルントの住居はアレクセイが今住む住居の十倍は広い家だった。使用人や女中が真夜中の来客に驚いて慌てていたがベルントは彼らに気にせず休むように告げる。アレクセイはその間にもベルントのベッドに転がったり、勝手に倉庫を開けるなどしてやりたい放題だった。

「アリョーシャ様、勝手に人様の私物を漁ることはいけない事なのでは?」

ハンが注意した所でやめるわけではない。この男は誰の言う事も聞かないのだ。ベルントにとって慣れた光景だった。アレクセイの行動を目で追っても何も始まらないので、手に入れた書面や手紙を読んでいく。

「アリョーシャ、神凪の声とは?」

「知るかよ、つかよく読めたなお前、ひっでぇ癖字だぞ」

「この字より酷い癖字を小さい頃から読まされてきたのでね」

アレクセイは棚から焼き菓子を見つけて食べ始める。

「マスター、勝手に食べてよろしいのですか?」

ベルントは「何かの暗号か、それとも暗喩か」と何やらブツブツ言いながら彷徨く。

「やはり公妃派の連中はバタルと通じている。それも密接にな、バタルで何やら良くない事が起きているのだろう」

口や髭周りに食べかすをつけつつ、アレクセイが振り返る。

「ならバタルへ行くか?」

「そう簡単じゃない。深夜に他人の家へ勝手に入って許可もなく菓子を食ったり銀食器を失敬するのとは理由が違うぞ」

「そんな奴がいるのか」

「これは憶測なのですが貴方のことですよアリョーシャ様」

アレクセイは食べかすを床に撒きつつ心外そうな顔で腕を組んだ。

「…とりあえず分かった事を整理しようぜ」

「自分本意に話しを進めようとするな。お前には本当に助かっているが…頼むから今夜は寝かせてくれ。人手不足でな、明日は交代を二晩頼まれてるんだ」

アレクセイは腑に落ちない顔でベルントを睨む。

「……ずっと不思議に思ってた事がある。お前、何でそんなに頑張ってるわけ?」

「は?」

「覚者王ってのがお前にとってどれほど大事なのか俺にはよく分からねえけど…お前が命を掛けなきゃなんねえほどの存在なのかよ。ポーンじゃあるめえしよ」

「マスター、ポーンとは」

「ハン、ちょっと静かにしてろ」

アレクセイは「ンン」と咳払いする。

「俺はこの通りの男だ。おまけに記憶もぶっ飛んでる。大した生まれの血筋でもねえ、お前にとって俺の価値ってなんだ?俺をこの国の王にして、お前自身はなにをしてえんだよ」

ベルントは目をおよがせる。その目には罪悪感のようなものが映っていた。ベルントは遠い記憶のアレクセイを見つめる。

「…私は…」

 

 『あの家は泥棒の家よ』

 『うちが没落していったのもあの家のせいだわ!』

 『薄汚いマトヴェーエフ!』

 『あの家だけが嫡男を産むなんて!』

 『黒魔術で生まれた子よ』

 『他の家は皆死産だったというのに!』

 『死ね』

 『死ね』

 『マトヴェーエフ家』

 

「すまない、アリョーシャ…帰ってくれ、頼むから」

アレクセイは何か言い掛けたが、舌打ちをする。

「わあったよ…」

「もし」

「あ?」

「…いや、明日の夜に話そう。あの酒場で待ってる」

「……おう」

会話はそれ以降続く事は無かった。アレクセイにとっては消化不良のような心地だ。すっかり静まり返って肌寒い城都の街を歩きつつ商業区の端にある自宅へ向かっていく。

「なあハン」

「はい、マスター」

「こんなことしてよぉ、竜をブッ殺せるとは思えねえんだけど」

「アリョーシャ様がすべき事や為さりたい事をすれば良いのです。私は貴方の為す事を信じていますよ。私はどこまでも着いていきますので」

「そりゃ、あ、ありがてえんだけどさ…」

「それよりも…失礼」

ハンはアレクセイのうなじのあたりのにおいを嗅ぐ。

「な、なんだよ」

「やはり奇妙なにおいがします。帰ったら是非、お風呂へ入ってください」

「体拭いたぜ、えーっと、一昨日の夜?」

「いえ、マスターの体臭はよく覚えています。ひどい臭いですから。私が感じているのは貴方からしているとは思えない甘い香りですね」

 ひどい臭いつったか?お前俺が華やかな御令嬢にでも見えてんのかよ。四十過ぎのオッサンだぞ。

アレクセイは「あ、」と思って、ポーチからミルメコレオのカードを取り出してにおいを嗅いだ。

「これのにおいか?」

ハンはスンスンとにおいを嗅いでハッとする。

「これですね」

「きっとヴィルヘルミナの香水のにおいだろ」

「どなた様ですか?」

「こう、麗しい感じの美女だよ。おっぱいがデカくて、いいケツして…とにかく宮殿の庭で助けてもらってな。そのついでに貰ったんだ」

「漸く得心しました。それで、これは?」

「ミルメコレオの会員カード。所謂、貴族御用達の娼館の店だな」

「娼館…ですか」

「お前も行く?」

「行ってどうするので?」

アレクセイは妙な気分になった。見た目ばかり初老の男に“娼館”がいったいどんな場所なのか教える事に得体のしれない罪悪感がある。

「あーいや、ほら、ポーンにも必要だろ?ほら、アレ、い、息抜きって奴だよ!毎日毎日、俺のツラを見て、魔物の血に塗れてたらノイローゼにでもなるだろ?お前がどんな娘がタイプかは分からんが、清楚系かなぁ、スレンダーな美女を隣に侍らせて…なあ?」

言いつつアレクセイは独りでグフグフニヤニヤしてハンの肩を組んで引き寄せる。

「で?どんな娘がタイプ?」

ハンは困惑する。娼館という場所がどんな場所かは分かるが、なぜそんなものがあるのか理解が出来ない。況してやポーンは人間のように視覚からの情報だけで人々を見ている訳ではなく、見目形の好みを聞かれても応え難かった。

「申し訳ありません。言葉の意味がよくわかりません」

そう答えるしか無い。

「ポーンにも感情はあるだろ?生まれたからにはイイ女と一発くらいは〜とか感じるだろ」

「………俗物的な会話を所望するのですか?」

「所望します。ぜひ興味がある。ポーンはどんなセックスをするんだ?どんな女を抱く?」

ハンは少しうんざりした顔をする。無論、そういった質問や会話をされるのは始めてではないが。

「アリョーシャ様、先ず我々ポーンにおける性別というのは貴方がた人間のように繁殖を目的とした生物学的雌雄ではなく、識別という概念です。男女という大きな区分のひとつと捉えてください。以前にも申し上げた通り我々は子孫を残す事は出来ません。疑似繁殖行為は出来ますが体内で生命を創り出すという複雑な発生段階には至らないのです。貴方の言う“感情”も私の中にありますが、人間のように自由に発現させ吐露することは非常に稀だとお考え下さい」

「なんかこう、もっと、もっと俗物的に端的に言ってくれないか?例えば俺みたいに」

「………」

ハンは目頭を抑えた。かなり考え込んでいる。

「申し訳ありません。指示に従えません」

「従え、お前ならできる」

「フム……や、ヤることは出来なくもないが自分からはヤれない」

「分かり易いわ。即理解できた。じゃあ俺が店に行ってあの可愛い娘とヤってこいと言えばヤるのか?」

「ポーンは人間を傷つけられません」

「娘がイエスと言ってもか?」

「ええ」

「商売でも?」

「私自ら売買という契約を結べません」

「上手いこと出来てんのな」

「恐縮です。しかし、やはり貴方がた人間の倫理観は複雑怪奇、奇妙奇天烈です。理解しかねます。アリョーシャ様、次は私から質問させてください。何故人間はつがい同士であるにも関わらず別個体と関係も持つのですか?貴方がたの倫理観に則ればそれは禁忌ではないのですか?その上、そういった場を設ける公的機関や施設さえ創造します。剰えそれを信仰する者まで。自己の肉体を傷つけてまで商売をする事に価値を見出す事に何の利益があるのでしょう?」

アレクセイは答えることも面倒になったが、ハンの素直な疑問は興味深かった。それから、昼間の噴水広場の前で司祭に扮装させて今の御高説を垂れれば多少の路銀は稼げそうだとケチな商売さえ考えていた。ハンの知的で精悍な美貌にはそういった言葉を何処か神聖的なものに変換する位の説得力がある。彼がポーンだという固定概念があるからこそアレクセイは聞き流せるが、それが無ければイコンを片手に祈ってしまいそうだ。

「アリョーシャ様?」

答えを催促される。そんな貌で首を傾げて眉を下げられると非常に滑稽だ。

「お前さ、人間に対して複雑に考え過ぎ。俺も前にも言ったけど、お前が思うほど人間は良く出来た生物じゃねえよ。欲に弱いの人間ってのは。んでも、ある程度節制しねえと普通の暮らしが出来なくなんの。人生にも迷いやすいから参考程度に宗教とか信仰とかそうゆう教えがあるだけ」

「ではアリョーシャ様、愛とは具体的にどういった状態なのですか?つがい同士でなくとも愛欲が成立するものなら誓いあった者同士の絆というものは一体どうなるのでしょう」

「お前も結婚とかしたらわかるよ」

「ポーンは結婚ができません」

「つーか俺に愛だのなんだの聞いてマトモな答え求めんなよ。教会に行けよ教会に」

 あー面倒くさ…。コイツを娼館に連れてくのやめよ。娼婦も男娼も揃って悟りを開いちまうよ。

「アリョーシャ様」

「この話し終わり!」

「貴方が俗物的な会話を求めたのでは?」

「どこが俗物なんだよ!司祭に説教された気分だわ」

「申し訳ありません」

 これなら料理させてた方が遥かにマシだ。つまんね。

そう考えつつ商業区の通りに入っていく。唐突にハンがアレクセイの傍らにぴったりと寄った。

「なんだよ、くっつくなよ」

「違います」

「あ?」

ハンはチェストにあるナイフに手をかけていた。戦闘時のように目をギラギラさせている。

「どした」

立ち止まるアレクセイの腕を引いて誘導する。

「こちらへ行きましょう」

「お、おう」

 急に殺戮スイッチ入るのな。

足早に腕を引かれたかと思えばハンはピタリと立ち止まる。アレクセイはハンの背中に鼻をぶつける。「なんだよ」と思いつつハンを見るが、肩を掴まれて踵を返された。足が縺れそうになる。

「ハン?」

「マスター、今夜は宿屋へお泊りする事を推奨します」

「ハァ!?つかなんだよ急に!教えろよ!」

「殺気に鋭敏な貴方ですら気がつかないのですから、相当な相手です。複数の人間の気配ですが、とても人間とは思えません。生気を感じない。なにか妙なものを感じます」

アレクセイには何も感じなかった。それは裏を返せば「静かすぎる」とも言える。ハンの言う妙なものについては分からないが、人間のような感覚野の持ち主ではないポーンには何か感じるのだろう。

「……お前が言うなら信じるよ」

「ありがとうございます。しかし申し訳ありません。貴方と過ごす聖域を血で穢したくないだけなのです」

 聖域?家が?忘れてた。ポーンにとったら覚者様々だもんな。そら聖域か。聖域ってなんだっけ、頭追いつかなくなってきた。

「ここに来て二千ゴールドは手痛い出費だな」

「命には代えられません」

「そりゃそうだけど」

宿屋へ行けば素泊まりでも深夜料金まで加算された。トレボでの報酬は既に底を尽きそうになっていたが、ハンの言葉のとおりに命には代えられなかった。

 まあ、どうにかなるだろ。

そんな気持ちでベッドに横になる。剣も盾も提げていなかった為に、アレクセイは直ぐ手に届く距離にナイフを置いた。ハンは部屋の中央に立ち尽くしている。ドアや窓をじっと睨んでいた。

「俺を狙ってるって事だよな」

「ええ」

「別に相手をする位どうって事なさそうだが」

「相手をすれば更に狡猾で巧妙な相手が増えるだけです。こちらが敢えて消極的な行動をすれば彼らからアクションを起こすでしょう。狙うならばその瞬間です。生かして捕らえるか、その場で亡き者にするかはマスターがご判断を」

「手慣れてんな」

「どの異界に於いても覚者様の命を狙う者は少なくはありません。私にお任せを」

アレクセイは曖昧に頷く。今夜はハンの背中を見て眠ることになるだろう。襲撃の不安はないが、頭を巡るのは「何故自分が狙われるのか」だ。アレクセイは目を閉じて考えうる限りの原因を探ったが、やはり自分自身が“覚者”である以外の理由は思いつかなかった。

 俺は誰にだって親切で丁寧に接してきているからな。

そう考えて無理矢理にでも目を閉じる。

 

 こんな事で本当に竜を倒せる日がくるんだろうか。

 

 明け方から雨だった。重たい雲が伸し掛かり、気分も憂鬱になる。日が少し昇り始めた頃、アレクセイは目を覚ます。薄明かりの射し込む部屋の中央でハンは座して瞑想をしていた。アレクセイはまだ寝ぼけていたがそんな思考でも、ハンが料理をしないのは珍しい光景に思えた。

「…はよ」

控えめに声をかける。ハンは厳かに振り返った。

「おはようございます。よく眠れましたか?」

「んなわけ、寝たんだかそうでないんだか分かるかよ」

「そうですね。マスターにしてはとても早起きですから」

「あ?いま何時」

「明け方の五時頃でしょうか」

「人間の起きる時間じゃねえよ」

「もう少し眠りますか?」

「ンン…喉乾いた」

「分かりました。少しお待ちを」

ハンは水差しから水を汲むとアレクセイへ丁寧に差し出す。アレクセイはマグの中でゆらゆら揺れる水面を見つめてゆっくり飲み干した。空のマグをハンへ渡す。アレクセイは夜明け前の薄暗い部屋にいてもハンの顔がよく見えた。

「ハン」

「はい。アリョーシャ様」

「少しは寝ておけ」

「ありがとうございます。ご心配には及びません」

「つってもお前、俺が知る限りトレボからマトモに寝てねえだろ」

「アリョーシャ様、私はポーンで」

「ンな事はもう知ってるよ。お前の肉体が何度もリセット利く体質なのもな、だけど俺の気分の問題だ。俺が休んでる時はお前も極力休んでくれ」

ハンは不思議そうな顔をして顎を撫でる。

「アリョーシャ様、人間を始めとした生物は眠ることにより成長ホルモンなどの恒常性を分泌し疲労回復を致しますが、我々ポーンにとって眠るという行為は目を閉じる事と然程大きな違いはありません。我々にとって覚者様こそが力の源であり」

「待て待て待て、早朝の寝起きに呪言唱えてんじゃねえよ。目を閉じる位しか理解できねえわクソポーンが」

「申し訳ありません」

「寝起き知力レベル赤ちゃんの俺にも分かるように言えよ」

「分かりました。確かに百聞は一見に如かずと言いますからね…アリョーシャ様、お手を拝借しても?」

アレクセイは欠伸を噛み殺しつつ左手を差し出した。長年、剣を握り続けてきた不器用で武骨な手だ。ハンはその手の甲に自分の手を添えて、そっと頬を凭れさせる。白銀と真鍮色の混ざるよく整えられた髭の感触は思ったより柔らかく、ほんの僅かに触れ合う頬の体温は人間のそれと変わり無い。アレクセイは脳が働かなくなっていた。ポーンとはいえ早朝から初老の男の頬に触れているのである。アレクセイは恥ずかしいのか、滑稽なのか分からなくなった。

「……ハンさんや…」

「はい」

心做しかハンがうっとりしている、ように見える。

「なんか、こう…俺にはよく分からないんだけど」

「アリョーシャ様、貴方のその弛まぬ向上心や溢れる好奇心、誰よりも強い意思こそが私達の焦がれて止まぬ善導たる覚者様なのです。私には感じます。貴方がいてこその私であると。ポーンにとって、それがどれ程重要な意味を持つのか…いつか貴方にも理解が出来る日が来ることを切に願っています」

「いや、あ、ウン…その、ハンさん、お前それで元気になるわけ?俺にとっては疲れたら爆睡する以外の回復方法知らないんだけどさ」

ハンは目を閉じたまますぐに答えなかった。睡眠の時のようにゆっくりとした呼吸をしている。ハンの手のひらにあるポーンの印が仄かに白く発光していた。

「……ええ、充分です」

アレクセイは何だか眠れなくなっていた。アレクセイが問い掛けても、ハンはあまり反応を返さなくなる。睡眠とは確かに違う。どちらかと言えば恍惚としている、と表現できた。ポーンにとって覚者に触れて貰えるという行為がどのような意味を持つのか。アレクセイは確かに興味があったが、風変わりな慣習を持つポーンの、人間には遠く理解の及ばない真理があるのだろう、と独りで結論づけることにした。

 

 あれから結局眠れぬまま朝を迎えて宿屋をチェックアウトした。人々が活動をし始める頃にはハンの警戒も無くなっていて二人はマイホームへ戻る。途中、アレクセイは家の周囲に自分を狙った者の痕跡が無いか入念に探った。噛みタバコの痕跡がある程度だ。噛みタバコはヴェルンワースで最もポピュラーでよく親しまれる種類だった為にそこからの情報は期待出来ないだろう。アレクセイはよく眠れなかったが、ハンはスッキリした様子で「今日はなにをしますか?」「そういえばやり残したことがあったのでは?」「私のいた異界での情報では」等と朝食を食べるアレクセイへしつこく聞いたりいつもの巧拙を述べてくる。

 暫くこいつに元気チャージするのやめよ。無理にでも寝かせた方がマシだわ。

アレクセイは何となくそう誓った。

 

 

《法務官ヴァルデマル》

 

 

 やることは山のようにあったがそれぞれのタスクを終わらせるにも資金が必要だった。ベルントから貰った市民証は確かに自分の身分を保証してくれる有り難いアイテムであったが、所詮“平民”以外の何者でもなく、危険で厄介な任務の割には報酬は期待出来ない。挙げ句には報酬を値切ってくる者もいる始末。アレクセイはロセイエスの噴水広場で「我こそは真の覚者なり」と叫ぶ変人たちを悪く言えなくなっていた。自分にもあれくらいの気概があれば、傭兵やシチズン(市民兵)等と思われずに済んだのではないだろうか、と。

 とにかく今は金だ。金がいる。それと、それから、竜の動向も気になる。どっかの国で暴れて人間たらふく平らげてあれ以上デカくなりゃ勝ち目なんてねえからな。人間食うのかは別として…。

「アリョーシャ様」

「なんだよ」

「先程からお金を広げて睨みつけていますが、これは食べられませんからね」

アレクセイは目をシパシパしながらハンを見つめる。

「お前もしかして俺が“どうやってコイツを食おうか”って考えてると思ってたのか?」

「ええ」

「ケッ!ポーンはお気楽だな。覚者様のケツを追いかけてりゃいいんだからよ。俺は家の修繕費のローンで借金まみれだっつーのに!悩みもなくて幸せだな」

ハンは首をかしげる。

「悩みがあると不幸なのですか?」

「一々俺の言う事の挙げ足とんじゃねえよ。お前の言葉遊びに付き合ってる暇なんてねえの!」

「申し訳ありません。マスターは今、懐事情で悩みを抱えているのですね」

「そーだよ。お前が金鉱でも掘り当ててくりゃ俺の悩みも吹っ飛ぶってもんよ」

「残念ながらそんな能力はありませんが、今まで手に入れた品を換金するのは如何でしょう?」

「換金?」

「ええ、例えばトレボで手に入れたジュエルは種類にもよりますが希少価値が高い物も含まれていますし、サイクロプスの牙はどの異界でも防具や魔除けとして重宝され高く売れます。それから、ウサギの皮なんかも服飾品の材料になりますからね」

「それだ!お前、価値とかそうゆうの分かるか?」

「ええ、多少は」

アレクセイは倉庫からいくつか売れそうな品を広げてみた。

「どうだ?ハン!」

「拝見します」

ハンはまず革袋いっぱいに入った未加工のジュエルをひとつひとつ手にしてふたつの種類に選り分けた。

「こちらは希少価値の高い物、そしてこちらは武器や防具としての利用価値の高い物です」

「なにがどう違うんだ?」

「いずれも天然鉱物という事に違いはありません。こちらの希少価値の高い物は宝飾品としての利用価値があります。そしてこちらは魔法との相乗効果の高い鉱物です。これはアメジストですね。杖の魔石として幅広く使われています」

「…へえ、どれくらいで売れる?」

「物によりますし、国によって希少価値も変わりますからひとえには」

アレクセイは他にも動物や魔物のなめし皮や価値があるのか分からないガラクタまで広げてみせる。

「どうだ?」

「なんとも…しかし、ウサギ皮やシカ皮は売れるかもしれません」

「よし、そいつも金にしよう!あん時のサイクロプスの牙、頂いとくんだったなぁ、知らなかったぜ」

「とにかく、懐事情が乏しいのでしたらこれらの品を換金しにいきますか?」

「おう!」

二人は商店の換金所へ向かって早速手に入れた品々を広げてみせる。換金所の主人は鑑定までの時間がほしいと言った。特に天然石は贋作の可能性も視野に入れて魔法使いに依頼をする為、丸一日はかかるそうだった。

「アリョーシャ様、いかがされますか?」

「そんな滅多な事出来ねえから、ベルントの言ってた奴の顔でも拝みにいってくるかな」

「どなたですか?」

アレクセイは顎を撫でて名前を思い出そうとした。

「えーっと、確か…法務官って言ってたぜ」

ハンは不思議そうな顔で顎に指を置く。

「この国の法の番人のような人が、なぜ監獄にいるのでしょう?」

「知るかよ、何にせよ皮肉な話しだよな」

「とても危険な人物なのでは?城内へは貴方独りです。警護をつけてもらう事を推奨します」

ハンのその言葉にアレクセイはじっとりと睨んでハンへ肉薄する。ハンは「アリョーシャ様?」と首を傾げた。アレクセイはフッと笑ってハンの額を指で弾く。ハンは心外そうな顔で額を擦った。

「なぜ私に攻撃を…」

「バーカ、相手は囚人だぜ。それにベルントが会えって言ってる。マジでヤバイ人物なら最初からンナ事頼まねえだろ」

「確かに、得心しました」

会話をしつつ富有区を歩く。ここを歩くと自分も何だか金持ちになったような気がして気分がいい。城門の番兵から身分証の提示を求められる。アレクセイは身分証を見せた。

「城へは何の用で?」

「囚人の面会だよ。ヴァルデマルさんって人」

「……そうか。手短にな、言っておくがここからは城内だ。不審な動きをすれば直ちに拘束する」

「ハイハイ」

城門を潜ろうとして、アレクセイは不安げな視線を感じて振り返る。ハンはパッと顔を上げて走り寄る。

「アリョーシャ様!」

 嬉しそうにすんなクソポーン、犬っころかっての。

「直ぐ戻るから、あそこら辺で適当に待ってろ」

「はい」

 まあ、なんかあれば問答無用で俺の事を探すだろ。何もねえとは思うけど。

アレクセイは初めて、公的に…とまではいかないが、夜間の侵入以外で城に足を踏み入れた。宮廷庭師が丹精込めて育てた草花の香りが漂い、白を基調とした彫刻やバロック様式の建物は嘗ての栄華を誇っている。

「えーっと」

 確かこっちだったよな。

一度投獄されかけた時の記憶を頼りに向かう。監獄は看守塔と呼ばれる城とは完全に分断された崖際に建っていた。看守塔の入口、もとい監獄への入口には先程の門番よりも屈強な番兵が立っている。

「あのぉ、すみません。ヴァルデマルさんっていう人に面会したいんすけど」

「許可証を拝見する」

「きょ、許可証?あー許可証がなきゃ、駄目?ッスよね」

「貴様何者だ?身分証はあるか?」

アレクセイは身分証を見せる。人相書きと本人を見比べ、偽造された身分証ではないか目を凝らしていた。

「マトヴェーエフ?」

「は、はい」

番兵はハッとする。

「ベルント殿が言っていた。お前が覚者…なのか?」

アレクセイはホッとする。

 やっぱ持つべきはベルントだぜ、話しが早そうだ。しかし、コイツに下手な態度はとれねえな。

アレクセイは咳払いをした。

「そうだ。急ぎヴァルデマル殿と話さねばならない事がある。竜とこの国に関わる政の件だ。通してはもらえぬだろうか?」

 うわあ、我ながらクソみてえな三文芝居だぜ。

しかし番兵を納得させるには充分だったようだ。番兵は頷くと「騒ぎは起こすなよ」と念押ししてアレクセイを通した。監獄は崖をくり抜いた地下の造りだ。どの房に行くにも看守室を通らねばならない造りになっている。アレクセイは厳格そうな看守長と話す為の小さな格子の窓から咳払いする。

「も、申し訳ないが、ヴァルデマルという囚人と面会したい

看守長は書類仕事をしていた手がピタリと止まる。格子窓越しにアレクセイを睨んだ。

 マジで怖いんだけど。

看守長は体躯だけでもヒグマのようだった。ずんぐりと立ち上がり鍵束を手にすると、億劫そうに部屋から出る。アレクセイは檻の外で猛獣を相手にしているようなそんな嫌な汗が背中を伝う。 

「来い」

「はい」

声が裏返りそうになった。アレクセイは看守長の後ろを歩く。看守長は僅かに振り返って「お前」と声をかけた。

「…どこかで会ったか?」

 ねえよ。少なくともテメぇみてえな奴とは友だちになりたくねえわ。

「よくある顔でね」

そう答えた。

「そうか。そうかもな。お前のようなふてぶてしい目を何処かで見た気がするんだが」

 やめてくれよ。冗談じゃねえわ。

「囚人番号・三〇三番の男は特別房にいる」

「相当な極悪人…ってことか?」

看守長は足を止めた。ゆっくりと振り返る。

「ほう、名前は知っているが罪名は知らないと?公開されていた筈だが?」

 やっべえ、やっべぇ…クッソ!こんな事ならベルントにきちんと聞いとくんだった!やらかしたか!?

アレクセイは「へへ」と引き攣った愛想笑いをする。

「せ、世間に疎いもんで…その、あ、えっとぉ」

「フン、罪名は“国家反逆罪”だ。高潔なる公妃様に楯突いたのさ」

不意に監獄から悲鳴が木霊した。縦に長い造りの監獄は悲鳴がよく響き渡る。鞭の音がした。アレクセイは奇妙な感覚になった。人間の悲鳴もケモノの悲鳴も幾度となく聞いてきたが、妙に背中がザワつく。ビリビリと痛みすら伴ってくる。怯えたようなアレクセイに看守長は気を良くしたのか肩を揺らした。

「よく聞いとけよ、お前が何かしたらここへ来るんだからな」

「そんときゃお手柔らかに頼むぜ」

いつものニヒルな軽口がつい滑った事にアレクセイはハッとする。看守長は聞き逃さなかった。こちらをじっと睨んでいる。

「…お前」

「すんません!口滑りました!」

アレクセイの肩に鎧で固められた手が置かれる。指先が研磨されていて爪のように鋭かった。肩に食い込んで痛い。

「その目、見覚えがある」

「あ、や!勘違いです!きっと!ここへは初めて来ました!」

「………若い頃、お前の目と瓜二つのクソガキを鞭打った事がある。ガキに鞭を打つなんざ当時の俺には良心が痛んだが、そのクソガキだけは違ってな。背中の皮膚が捲れて血が滲むまで打ってやったよ。今頃どうしてるか、生きてりゃテメェと同じくらいだろうな」

 アレクセイは自分の背に鞭の痕がある事を知っていたが、やんちゃをした時の名残り位にしか考えていなかった。何せ記憶が無いのだ。今さら傷痕の事など憂いた所でどうしようもない。だが、木霊する鞭の音と悲鳴を聞く度に、なぜ背中がビリビリと痛むのか、理由は何となくハッキリした。

 ああ、俺がその時のクソガキってことか。

アレクセイは真っ直ぐ看守長を見据える。

「その瓜二つの目を見たから何だ。今になって良心が痛んだのかよ」

「いいや、俺のお陰で真っ当な人間になったのだと神々しい気持ちだよ」

看守長は間を置かずそう答えた。

「そうかい」

 一生仲良く出来ねえタイプの人間だな、コイツ。看守と仲良くするつもりねえけど。

アレクセイはそれからは極力静かに後ろを着いていった。光も殆ど届かぬ程潜ると、特別房と書かれた場所へ辿り着く。看守長は忠告の為に振り返る。

「他の連中には話し掛けるな、目も合わせるな」

「わかった」

鉄製のドアのハンドルを回す。開けた瞬間から嫌な空気が足下を流れた。叫び声や囁き声が聞こえてくる。

 

 「心臓だ…心臓を差し出せ、違うお前じゃない」

 「そこに、またそこに目が…」

 「ぃヨオ…え、ぃっ、よぉぉ」

 「牛乳屋さんがくるわ」

 

僅かな明かりを頼りにアレクセイは横目に閉ざされた房の小さな格子の窓から中を覗き見る。囚人は全裸だった。真っ暗な中にいる為に瞳孔が散大している。痩せ細った体を小刻みに震わせながらその場で小さく足踏みをしていた。意味の分からない言葉をブツブツ言いながら「ヒヒッ」と無邪気に笑ったり何も無い場所に向かって突然吠えて怒りだしたりした。

 おいおい、ヴァルデマルは意思疎通出来んだろうな。

この房にいる囚人の多くがこの“世界”には居ない違う存在の何かに気付くのはそう遅くはない。

 

 「だれ…だれ…」

 「あいつがいる。あいつが見ている。世界の目がいる」

 「いアにさグゥう…な、オ?」

 「牛乳屋さんじゃないのね」

 

 怖いんだけど!

アレクセイはなるべく息や気配を潜めた。特別房の三〇三と書かれたそのドアを看守長が顎でしゃくってみせる。

「三〇三番、お前に客だ」

アレクセイはびくりとする。

 気持ちの整理が!

恐る恐る格子の窓を覗く。そこには静かに中央で座して仄かな明かりを頼りに読書をする痩せた老年の男がいた。精神病を患った他の囚人たちとは雰囲気が違う。まず綺麗な白い囚人服を着ている。

「わしに客だと?公妃の遣いなら帰ってくれ。死んでなくて残念だったな」

「あんたがヴァルデマルで間違いねえか?」

老年の男の痩せ細った褐色肌の指が止まる。格子の窓にいるアレクセイの目を見た。

「わしがそのヴァルデマルという男だという確証もないのに、何故名を尋ねる?」

「別にあんたがヴァルデマルだろうが変態老人だろうがどうだっていい。俺の親友があんたの助けを借りたいと言っている」

「ほう。で?お前さんはその親友の遣いか?」

「そんなところだ」

「その親友は何故ここへ来ない。何故お前を遣わせた?」

「……俺は“覚者”だ」

言えば、特別房の囚人たちが喚きたてた。アレクセイは「え!?」とたじろぐ。看守長が「静かにしろ!」と房のドアを叩いた。

「気にするな客人よ」

「じいさん、こんなとこに居ておかしくなんねえのかよ」

「なぜ?お前はお前自身が正常だと判断が出来るのか?わしにとって自らを“覚者”だと名乗るお前の方がここに居る者達より遥かに逸脱して感じるぞ」

「……めんどくせえジジイだな、俺のポーンよりめんどくせえ。ここから出て話そうぜ、この空気はイヤなんだよ」

「ここは外より居心地がいいぞ。仕事もせずに済むし四六時中好きな本を好きなだけ読める。毎食困ることもないし、好きな時に眠ることができる。見廻りの看守に従順にしていれば鞭打ちされることもない」

アレクセイはがしがし頭を掻いた。

「ここはサナトリウムじゃねえぞ」

「そうだ。もうわかったろう。わしはお前さんの親友に手を貸すつもりはない。ここを出ていく気もない。話しはもう無いな?ではさようなら、自称覚者よ」

アレクセイは舌打ちする。あまり人に見せたくは無かったが、装備を緩めて胸の光る傷を見せた。老人・ヴァルデマルの目の雰囲気が変わる。

「おお…これはこれは。一世紀も前の話しだが一人の男が“我こそは覚者なり”と名乗った。覚者の胸にはそなたのような竜の爪で抉られたような光る傷痕があるという。覚者を名乗った男はその場で首を落とされた。つまり今回もまたどちらかの首が落とされるだろうが、わしはそなたに賭けるとしよう」

ヴァルデマルはアレクセイの胸の傷を見て全て悟ったように頷きつつ笑った。

「何処から来た?」

「メルヴェ」

「託宣師の言葉は間違いではなかったようだな。覚者殿、そなたの存在を預言した者がいる。その者はもうこの国には居られぬが、預言通りメルヴェから覚者が誕生したというわけだ」

「預言だとかどうだっていい、で?俺の親友を助けてくれるのか?くれないのか?」

「覚者殿、わしはもう長い事生きている。竜に選ばれたのはそなたかもしれぬが、選ばれただけでそなたは特別になったわけではない。喩え“覚者”と言えど尋常一様なままでは他者の意志には勝てぬ。そなたはただ親友を救いたい為に老体の力添えが欲しいのか?それとも、凡庸には見えぬ先を見据えているとでも言いたいのか?或いは玉座が恋しいのか?」

自問自答し続けていた事を言葉の形として問われるとアレクセイはどうにも答え難かった。

「ハァ…記憶がぶっ飛んじまってて俺は俺自身の事すら漠然としてんのに、いけしゃあしゃあと御高説捲し立てやがってクソジジイ」

「まあな、鉄格子の不思議な力だ。人や獣を監禁する為の用途だが、言い換えれば不可侵領域と言える。わしとそなたは鉄格子というもので護られているからな…して、そなた記憶が無いのか?」

「変態魔術師に呪われてんだよ」

「難儀だな、寛大なる公妃様のやりそうな事だ。わしがこの養老施設に収容される前、異国の魔術師の事で何やらやり取りしていた。竜に滅ぼされた小さな国だったが魔法研究の盛んな国だった。竜の力とは恐ろしい。人の歴史から一国を一瞬で消し去るのだからな」

「へえ、人間サマも恐ろしいって事を誰かが躾けてやらねえと」

ヴァルデマルは肩を揺らして笑った。

「そなた名前は?なんという?」

「アレクセイ」

「本名か?」

「ジジイ、人を誂うのも大概にしろ」

「許せ、巷ではか弱い老体を言葉巧みに騙す輩が多いのだ」

アレクセイは面倒になって身分証を鉄格子越しに見せる。

「ほら!」

ヴァルデマルは身分証に記されたアレクセイの名を見て、少し驚いたように目を見開く。それから、人相書きとアレクセイを見比べた。

「…なんだよ」

「マトヴェーエフ?」

「俺の名字だけど」

「そうか」

アレクセイはピクリと片眉を上げる。何を話すにも長々と厭味混じりの言葉を返すヴァルデマルにしてはいやにさっぱりとした回答だったからだ。

「アレクセイ、そなたの頼み事について前向きに考えてやろう。無論、この施設にいては然程自由は効かないからな」

「脱獄でもする気か?」

「まさか、そんな型破りな事はせんよ。況してや老体だ。鎧を身に着け腰に物騒なモノぶらさげてる若者に勝てるわけなかろう。わしは法務官だぞ。この国の法を定め遵守する事に命を捧げてきた。そしてその法を掻い潜る方法も知っている。何も問題はない」

「へえ。良い弁護士を紹介してやろうと思ってたのによ」

「弁護士などあてになるか、インクを失った羽根ペンの方がまだ雄弁に物を語るぞ」

アレクセイはとりあえずこのヴァルデマルという老人についてベルントへ前向きな報告が出来るだろう、と考えた。結論を出すのは早計だが、公妃ディーサを良く思っていない事は明確だ。目的は違うにせよ、利害は一致している。

「ジジイ」

「なにかね」

「ひとつ確認してえんだ。お前、俺の名字を聞いて急に心変わりしたみてえだが、何か知ってんのか」

ヴァルデマルは驚いたが表情にも態度にも出さないよう努めた。そしてこの覚者・アレクセイは存外、頭の回る男なのだとも認識する。第一印象からすれば“覚者”という地位に浮かれている風にしか見えなかったからだ。

「知っていたとして、そなたは知りたいのか」

「ああ、ジジイだけだからな、俺の名字について知っていそうな人間は」

「記憶を失ったと言っていたな。しかし、そなたには知る権利があるだろう」

「老い先短えんだから手短に話せよ」

 

 ヴァルデマルとの面会を終えてアレクセイは漸く地上へ出たが、地上に出てすぐ猛烈な吐き気に襲われた。

「ヴ…ッェエっ!」

蹲って吐き戻すアレクセイに門番の兵士が気付いて駆け寄ってくる。

「だ、大丈夫ですか?」

「すまねえ」

「地下は囚人の脱獄防止の為に平衡感覚を奪う魔法結界が何重にも連なっているんです。魔法に耐性が無い人には辛いかもしれません」

 あー、妙に嫌な空気だったのは魔法かよ。クソったれが!目の前がフラつく上に胸糞悪い話しも聞いちまったってのによぉ。

「お前らよく平気だな」

「我々は基礎魔法の訓練を受けていますから」

アレクセイは水を一杯貰ってベンチで少し休んだ。暇を持て余す兵士たちの会話が聞こえてくる。

 

 「聞いたか?メルヴェまでの牛車の運行が再開したってよ」

 「知ってるよ。またあの長い道のりの護衛のシフトが回ってくんのか」

 「街道はそれほど安全になったって事さ」

 「バカ言え、安全なもんか。この前だってグリフィンに何頭の牛がやられたと思ってる」

 「じゃあなんで再開したんだ?メルヴェの復興の為じゃないのか?」

 「平和ボケ君、ここだけの話しだぜ、お偉い様方にとってメルヴェを占拠する事は何よりも重要らしい。竜の襲撃のとき何かあったに違いない。でなきゃ王立軍の総入れ替えなんてしねえし、お優しい託宣師様が国外追放されるわけねえだろ」

 「おいおい飛躍しすぎだって、軍の入れ替えは汚職が横行していた事と託宣師様は御歳を召されて痴呆が始まったからじゃないのか?俺はそう聞いたぞ」

 「そう思ってるがいいさ、俺は次の任務で軍を辞めるつもりだ。こんなきな臭えとこごめんだね」

 「はあ?辞めてどうすんだよ」

 「実家のブドウ園でも継ぐさ、のんびりワインでも作るとするよ」

 

 アレクセイの頭の中には、ウルリーケと物見台でのやり取りが浮かんでいた。本能で感じていた。

 

 早くメルヴェへ行かなければ、とても嫌な予感がする。

 

 

 

 

 




暑さで死んでいました。
もし、楽しみにしていた方、オマタセシマシタ…。
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