病院へ行き,必要な治療を施された焔矢の肋骨は完全に接着する事が出来た。元々焔矢が咄嗟のバックステップで威力が半減されたというのも大きな理由としてあるのだろう。
病院の先生にしてみれば,なにがどうして肋骨に罅が入るような事態になるのか不思議なのだろうが,そもそもこの病院は四葉の息がかかっている場所なので余計なことは聴かれなかった。
代わりと言ってはなんだが,1日歌う事は禁止された。焔矢の歌い方は元々体力も喉も,身体もそれなりに使うものでだからこそ重厚感のある声が出せるのだが定着していない今の状態でやるのは悪化に繋がるだけだと言われ大人しく頷いた。
情報端末から一成に色々あって病院にいる旨を話し,取り合えず学校に戻ることにした。荷物はまだ学校だし,今でも黒服の護衛は付いている…と思う。
だから道端で襲われるような事はないだろうし,学校でまた襲われる可能性も低いだろうという考えの元である。
学校に到着するころには既にHRが終わっていたので,心配してくれていた一成に心苦しかったが事情をはぐらかし,預かってもらっていた荷物をもって一度生徒会室にも行ってみる。
「…仕事早いな」
生徒会室には誰もいなかったが,代わりに散乱しているはずの窓ガラスの破片がなく元通りになっている事からも既に黒羽の誰かが知らず知らずの内に窓を張り替えたのだろう。
「誰だ…こんな下種な事をしたのは」
生徒会室…先程までは自分と心が主に焔矢の命を賭けて熾烈な戦いをしていたとは思えない位に戻っているのを見て,不意にあの時心の心が揺れたあの様子を思い出した。
初めて気が付いたかのような,そんな様子だった心を見た時焔矢はもしかして心自身が洗脳されているのではないかと勘繰った。そしてそれ自体は正解で,自分を本当の意味で見失った心は襲い掛かって来た。
今思うと,彼女の速さは尋常ではなく移動魔法を使ったのだろうかと思ったがもしかすると違うのかもしれない。
なぜなら彼女は先天的に”心を読める”という超能力者だ。一般的にBS魔法師と呼ばれる人間であり,そう言った人間は基本的にその偏った魔法特性しか使う事が出来ないのが通説だ。
焔矢もそう言う意味では,”精神体召喚”だけを使えるBS魔法師ではあるのだろうが彼の場合は後天的だった為他の魔法が使えたとしても驚くような事ではないのかもしれない。
実際はそもそも魔法演算領域に他の魔法特性などないから出来ないのだが。
彼女のそれがBS魔法であると仮定するのなら,他の移動系魔法とかを本当に使えたのかが疑わしくなってしまう。CADを持っていたから焔矢は彼女を魔法師と思ったわけだが…CAD自体は魔法師じゃなくても持つことは出来る。
想子を流すと言った流れは魔法師ではないと出来ないが,それでも持つこと自体は出来る。
だが,彼女が魔法師じゃないとなるとあの異様な速さは説明がつかない。
…強化人間,それにされてしまったのだとしたら説明がつく。
そこまで考えた時,あの時文弥の力を借りずに彼女を抑え込む事が出来たのなら…もう少しマシな結末があったのかもしれない。
「はぁ…」
先程の亜夜子との問答を思い出す。久々に見た…否,あの日よりもずっと冷酷で冷たい刃を研ぎ澄ませたような亜夜子の言葉は焔矢の中にずしりとのしかかった。
別に…魔法で戦闘が出来たら良いなとかは考えたことはない。ない物に頼った所で意味が無いし,だからこそ音楽に集中で来たとも言える。
だが,実際にこうして無力なせいで心の情状酌量の余地を潰してしまったのは…間違いなく自分のせいなんだろうなと焔矢は思ったのだ。
しかし後悔しないのは自分の信条,やるせない気持ちは確かにあるが取り合えず今はヨルの顔でも見て癒されようと思って一度帰る事にした。
生徒会室を出て,学校も出て駅に向かう。
個別電車に乗り込み,現在の自宅である調布に向かう。途中のペットショップでヨルのおやつを買い込み帰って来ると
「わん!」
ヨルの熱烈な歓迎を受けた。
最近は少し大きくなった身体を,小さな頃と同じようにぶつけてきて流石に焔矢も苦笑いを隠せなかったが,ある意味いつもの日常の象徴なので黙って頭を撫でる。
するとヨルは嬉しそうに尻尾を振り,目ざとく焔矢が持っている犬用ジャーキーを見つけたのか「くれ!」と目を輝かせる。
「現金な奴だな。お前伴野さんにもおやつ貰ってるだろうに」
言いながらジャーキーの封を開け,1つだけ取り出すとチラつかせる。ヨルは先手必勝とばかりにお座りを披露し,鼻息荒くしてスタンバる。
お手やおかわりに伏せ,最後に待てをしてから口の中に放り込んでやると尻尾をぶんぶんと振りながらリビングにある亜夜子が持って来たであろうヨルのペットクッションまで宝物を持って行くかのように行き食べ始める。
そんなヨルを微笑ましい眼で見た後,ギターをリビングに立てかけいつも亜夜子と晩御飯を食べるテーブルの席に着く。
「はぁ…たった2日で色々あり過ぎだろ」
昨日襲われかけたと思ったら亜夜子に自分の過去を話して,そして今日は本格的に狙われた。
似たような事では以前の四葉とのごたごたなのだろうが,あの時よりもある意味ショッキングだったので流石の焔矢も精神的疲労は逃れられなかった。
心に襲われた事,亜夜子の久々に見た黒羽としての顔…どちらも慣れ親しんだものから離れすぎていて今やっと理解が追い付いた感じもする。
そんな事を考えていたせいか,無性に亜夜子の事を感じたくなってしまう。
焔矢は,ヨルのジャーキーを食べる咀嚼音を聴きながら眼を閉じて亜夜子の気配を感じ取る。
情報次元であるイデアから直接自分の内にある亜夜子とのパスを知覚し,距離に置き換え探し出す。もしかすると彼女は索敵されている事に気が付いているかもしれないが,別に自分だって普段からプライベートを明かしているのだからこの程度の事はしたっていい筈だ。
「…今は帰ってきている途中,か」
そうして亜夜子の気配が,到底歩きだとは思えないほどの速度で近辺を移動しているのを感じた焔矢はイデアとの接続を切り結論付けた。
懸念点としては,亜夜子の近くに文弥の気配がなかったことだろう。文弥はよくどこかに出かけているし,焔矢も実の所それほど話したことはない。
大体どちらかがゆっくりする時間がないというのが大きな理由だった。だからさっき文弥に下の名前で言われた時割とビックリした。前は確か名字呼びだったからだ。
「飯でも作るか」
時刻は夕方,今日は早めに帰れるはずだったので炊飯器飯の用意はしていない。準備をするにしてもそろそろ始めないと変な時間に食べる事になる。
そんな時,焔矢の情報端末に着信が入る。
訝し気に見た焔矢だったが,直ぐに出る事になった。
『今大丈夫?』
開口一番に電話の主である亜夜子が問いかける。
「ああ」
白々しいなと思いつつも,それを指摘する事はしなかった。
焔矢の部屋にはまだ監視カメラはあるし,多分どこかに盗聴器もあるだろう。いつでも焔矢の情報を得られるというのに大丈夫もくそもあったものじゃないだろう。
だが,それを分かっているから指摘するのも時間の無駄だった。そんな事で一々時間を取られたくないというのが本音である。
定番の言い合いのようなじゃれあいをするのなら別に良いのだが,今はどう考えてもそんな事をするべき時じゃない。
「ご飯を作るのなら,私の分も用意しといてもらえるかしら?聞きたい事,あるでしょ?」
「…分かった。一応聞くがアレルギーとかないよな?」
「ええ,それじゃ後で」
そう言うと亜夜子は電話を切り,焔矢も思う所はあるが取り合えず晩餐の用意をする事にした。お米を炊き,先程見た亜夜子の場所的にそれほど時間的余裕がないのは見て取れたので冷蔵庫に入っている漬物と野菜炒め,卵とキャベツの肉炒めにする事に決めて作り始めた。
これだけでは何か物足りないなという事でお味噌汁も作ることにしてせっせと作り始めて数十分後,インターホンを鳴らす事も無く亜夜子が帰って来た。
「ただいま」
「お帰り,亜夜子…って」
「ふふっ,どうしたの?」
焔矢の反応がよほど呆けたものだったのか,亜夜子は愉しそうな笑みで聞き返した。
だが,焔矢からしてみればそれもその筈で彼女は何故かまだ仕事着とも言える…どこかの不良少女のような恰好だったのだから驚くなという方が嘘だ。
流石にHDMは付けていたりしていないが,それでも派手な格好としか思わなかった。
それでも似合ってしまう辺り,彼女の容姿が良いという事なのだろう。
「なんでまだその格好してんだ」
「あら,お気に召さなかった?」
「…似合ってるけど絶対に部屋での恰好じゃねえだろ。まだ少し時間かかるから,着替えてきたらどうだ?」
「そう?じゃあお言葉に甘えて」
言うと亜夜子はそそくさと部屋を出ていき…焔矢はなぜ亜夜子があんな恰好でやって来たのかを察した。
(気を遣わせちまったな)
敵対関係だった頃なら兎も角,今は婚約者であるので焔矢は亜夜子のほぼあらゆることに反応してしまうようになってしまった。
さっきシリアスな表情を見てしまっても,その体質?は変わらずつい彼女が黒羽の女性としての表情を見せた後でもいつも通りのやり取りをしてしまい…それが亜夜子の計算通りだと気が付き敵わないなと苦笑いをしながらもご飯を作り続ける。
そもそも焔矢がご飯を炊いたタイミングも彼女は知っているのに着替えずに先に部屋に上がったのは,あの恰好を見せる為だったのだろう。さっきは心の事とか色々あって,しばらく緊張しっぱなしだった焔矢をいつも通りにする為にあの奇抜な格好をこの部屋で見させることが目的だったのだろう。
そんなこんなで,ご飯も炊き終わり他のお惣菜も準備をし終えたタイミングで長袖の黒ワンピースに着替えた亜夜子が再び部屋に戻って,2人はテーブルを挟んで向かい合う形になった。
「「いただきます」」
そうして2人は一緒に食べ始める。
2人がこうして一緒に晩御飯を食べるという光景は,今ではそれなりの回数あるようになっている。
まあ,亜夜子にしてみれば弟の文弥が達也を狙う組織を潰す為に夜は出かけているからというのが理由としてもあったのだがそれでも亜夜子はそれなりの回数を焔矢と一緒に過ごしている。
だが,今日ばかりはいつも通りという訳でもなく…焔矢の料理に舌鼓をうっていった亜夜子が箸を置いたのを見て焔矢も箸を置いた。
2人の皿は既に空であり,お代わりをするような大食漢では2人ともない。必然としてここからは今日の話になるという事だ。
「さて,美味しくいただいた所で…焔矢の気になってる事を話しましょうか」
「…天霧はどうしたんだ?」
「無事よ。命を取ることもしていないし,貴方の言うように洗脳されていたのだから情状酌量の余地はあると思っているけれど」
「けれど…なんだよ」
不自然な所で止まった亜夜子の言葉を促す。
しかし,亜夜子はそれに答える前にある事を聞いた。
「その前に,貴方は彼女をどうしたいの?」
それは…ある意味焔矢には予想外の質問だった。
正直に言うなら,今度こそ学園生活を送り,本当の人の声を聞いて欲しい。
自分がやって来たヴァイオリンという道を,その旋律を聴いた人達の声を聴いて欲しいと思っている。少なくとも,焔矢が彼女の生徒会自治の下で過ごした1年はそれなりに充実していたし彼女のヴァイオリンからインスピレーションを貰ったこともあるのは本当だ。
だから,彼女には音楽で世界を変えられる事を知って欲しいと思っている。
だが,焔矢を殺しかけたという意味では彼女は四葉の基準で言うならば完全な制裁対象になってしまう。そして…その事に異を唱える事は焔矢には出来ない。
やられた本人が大丈夫と言っているからではない。四葉としての決定であり,彼女を止める事が出来なかった自分にそんな事を言う資格がないと言ったのはさっきの亜夜子だ。
それに,この問の意味は焔矢がそれを理解しているのかを亜夜子が確かめる為だった。
そうして言葉に詰まった焔矢を見て,亜夜子は少し困ったように眼を細めた。だが次に仕事としての眼に変わると淡々と事実を告げた。
「結論から言うと,彼女はマフィア・ブラトヴァの現地協力者だったわ」
「マフィア・ブラトヴァ…ってなんだ?」
「簡単に言うと,シシリアンマフィアとロシアンマフィアの名前よ。国際的な犯罪組織,の方が分かりやすいかもしれないわね」
より正確に言うなら多数の殺し屋がいる組織であり,今現在においても司波達也を狙う輩の名前でもある。
「彼女は必要な情報をすべて話してくれたわ。裏付けの段階だけど,彼女の様子から見るに本当の事を話してくれてると思う」
洗脳が解け,彼女に待っていたのは焔矢に対する罪悪感だったそうだ。
そこには正体不明の輩に囚われ自分がどうなってしまうのかよりも,焔矢の安否をするほどであり…それを見た亜夜子は彼女は本当に焔矢の事を好いていたんだなと思った。
だが,焔矢との話にはそんな余計な話は必要ない。そもそも自分だって焔矢の事が好きなのだから他の女狐のそんな話をするつもりは毛頭なかった。…聴かれている可能性もあったが
「達也さんを狙う計画の為に,貴方を利用しようとした事もね」
「…って事は,俺を狙ったのは精神召喚魔法ではなくて」
「あなたの魔法力増幅が目当てでしょうね。」
「どいつもこいつもありゃ欠陥だって言ってんのによ」
頭をガシガシする焔矢を見ながら亜夜子は「まだそんな事を言っているの」と呆れた眼を向けていたが,焔矢の立場に言わせてみればそうなのかもしれないと思い直してそれを指摘する事は無かった。
焔矢からすれば彼の魔法力増幅は魔法師生命と引き換えるものであり,何のメリットもないものだと思っているし,何より彼がその魔法を使うのは,自分達の音楽で世界を変える為のもの,間違ってもこうやって争いを助長させるものじゃないのだ。
だから焔矢に言わせれば魔法力増幅は欠陥であることに間違いないのだし,口ではこう言っている焔矢もそれが希少で稀有なものだと自覚はしているのだからそれをあらためて言うまでもないと思ったのだ。
「それはそうとして,取り合えずは彼女の扱いは保留。今は他の敵組織の構成員を潰す事の方が大事だし,あなたの安全の為にもね」
心は既に戦意などなくなっているらしく,今も監禁されている部屋で大人しくしているようだ。
そんな彼女からの情報から今晩達也を狙う殺し屋や強化人間達の掃討作戦が行われる。それは達也を狙う賊を片付けるという目的の為だけでなく,間接的に焔矢を守る為でもある。
つまり亜夜子たちはきちんと”契約”を遂行してくれているのだ。
さっき焔矢に対して仕事としての態度で向き合ったのは,それが焔矢の為だということもあったのだろう。実際焔矢は亜夜子にああ言われるまで,亜夜子からすれば綺麗ごとを言おうとした。
だが,文弥たちからすれば彼女は達也を狙う組織の末端とは言え構成員であり粛清の対象。
彼女を止められなかった焔矢に,それを言う資格はないというのは…焔矢自身が一番分かっていた。
これ以上,彼女の処遇についてどうこうする話は焔矢には無意味だと察し…話題を変える事にした。
「まあ,俺の情報端末を盗聴も必要性が証明されてしまったからな」
一見すると脈絡もないプライバシー破壊の言葉だったのだが,亜夜子は焔矢なら気が付くと思っていたのか特に驚くこともせず華麗に微笑んで
「流石ね,いつ気がついていたの?」
「んなもん文弥さんが彼女の能力を知っていたからに決まってんだろ」
焔矢に言わせてみれば逆にそこ以外でどうやってあの短時間で彼女の能力を知れるというのかというのが偽らざる本心だ。
あの時は密室であり,あの生徒会室は元々防音仕様であり外部に音が漏れる事が基本的にない。あの学校は音楽を専門にする事からあちこちの教室が防音仕様であり生徒会室も例外ではない。
そして,彼女が犯罪組織の現地協力者であるならば――そもそも彼女の様子から察するに彼女は小さな頃は他人に分かってもらいたくて自分の能力の事を話していたかもしれないが,成長するにつれてそれが無意味だと知り話さなくなった可能性の方が高い。
マフィアに入ったのなら尚更で,もしも彼女の事を最初から警戒していたのならもしかすると調べられていたかもしれないが焔矢の見る限り亜夜子が彼女を警戒していたのは”好いている”という方だけであり達也を狙う輩というものではなかった筈だ。
だから消去法的に文弥が彼女の能力を知っていたのは,好いてくれた影響なのか口が軽くなって焔矢に話したあの時位しかなく,逆説的に何かしらの手段で盗聴していたと考える方が自然。
では生徒会室に仕掛けられていたのかと言われると,別にまだ焔矢は生徒会役員でもなく生徒会室に行く事も稀なので恐らく違う。あと焔矢を確実に盗聴できるのは…常日頃から持っている携帯型情報端末しかないのである。
「怒ってる?」
ある意味四葉の裏切りのようなものなのだが,亜夜子は申し訳なさを一切感じない清々しい美しい笑みで首をこてッと傾けて聴いて来る。
そんな1つ1つの動作もまた美しく,亜夜子に弱い焔矢は少しぶっきらぼうに答える。
「このざまで怒るなんて言えるわけねえだろうに。」
「じゃ,これからも盗聴はOKって事で」
「絶対可笑しいだろこの会話」
なぜかさらりと犯罪してもOKと言っているような会話であり焔矢も思わずツッコんだが,別に聞かれても困るようなものは特にないので放っておくことにした。
今の所,焔矢はほぼ全ての情報を亜夜子に提供している状況で普通に考えれば肩身が狭いことこの上ないのだが実際はそれほど焔矢の肩身が狭くなっている訳ではない。
理由として,「知られたところで今は困らないから」というのが大きい。これが今でも四葉が焔矢を実験動物としての狙いでバチバチにやっているのなら兎も角,亜夜子を通じて四葉の内縁になる事がほぼ確定している現状で彼女達が敵に回る事がないと分かっているから。
四葉はいつでも焔矢を裏切れる,と言われればそれまでだがその場合だって焔矢からすればどうする事も出来ないというのがあったから自分の事を知られていようが関係ない。
そんな事で肩身狭くなっている時間があるのなら音楽に時間をかけたいというのが焔矢の本心であり,亜夜子も彼との接し方で焔矢が”音楽バカ”と言うのは知っているが故に彼ならこんな事をしても怒らないだろうという少し歪な信頼関係の下で成り立っているのである。
しかし,真夜の方はどう思っているかともかくとして亜夜子には少なからず罪悪感はそれなりにある。別に焔矢は敵ではないと分かっているが,彼の護衛の為とはいえプライバシーを全て掌握しているというのはいくら亜夜子でも思う事がある。
だから,亜夜子も焔矢にはそれなりに甘いのだ。
「…天霧だけどさ」
少し,柔らかくなった空気に投じる焔矢のシリアスな声。亜夜子も彼に合わせて少し顔を引き締めて何かを言おうとしている焔矢を見つめる。
心の処遇について,焔矢に口出しする資格はないと亜夜子は言外に何度も伝えた。
焔矢もそれをきちんと理解しそれを口にする事は無かった。
だから,恐らく焔矢の言おうとしている事は彼女の処遇についての話ではない。
「彼女は何で今のようになったんだ?」
そして,それは概ね亜夜子の予想通りの言葉で心の過去についての問いかけだった。
彼女の尋問の場に亜夜子はいた。というか,同性の方が良いだろうという安直な理由だったし自分なら下手に自分と焔矢の関係を聴かせない自信があったからである。
だから,恐らく洗脳が解けた彼女の話をほとんど知っているはずだという焔矢の予測は正しい。
亜夜子には本来そんな事を焔矢に教える理由はなく,すげなくあしらうのが四葉としての普通だろう。
だが,今の亜夜子は四葉である前に焔矢の婚約者であり先程の理由から焔矢には甘い亜夜子は…語ってあげる事にした。
「天霧心,東京都世田谷区出身。年の離れた兄とご両親の3人家族で小さなころから数々のコンクールの賞を総なめにしていた天才児。彼女の言う通り,あの日あの飛行機に彼女とご両親も搭乗していたわ」
「…どっちのシートだ?」
「カプセルシートよ。だから彼女が生き残っていたとしても不思議ではないわね」
カプセルシートは,1つの機体に少ない代わりに充実した設備が1つ1つの席に取り付けられていて,頑丈さも売りの1つ。それが功を奏したのか彼女は生き残る事が出来た。
もっとも焔矢は事故当時彼女の姿を見ていないが,ビジネスシートにいた焔矢には彼女の存在を知る機会が無かったのだからそれも当然であろう。
「ここからが肝なのだけれど,調べてみたら当時彼女は現場から忽然と姿を消していたらしいわ」
「それがマフィアの奴らに”拾われた”って奴なのか」
「そうみたいね。どうしてそんな所にマフィアが,それも当時いたのかは分からないけれど彼女は”助けられた”と思っていたみたいね」
「…彼女の心を読むことについてはどうなんだ?」
その”助けられた”せいで焔矢と…そして四葉と事を構える事になってしまったのだがその事は口にせず彼女のBS魔法の事を聞くと亜夜子は少し微妙な表情になりながらも応えてくれた。
「それは本当よ。だからこそ,私達も彼女の扱いには困っているのよね」
「俺と似たようなものだから,か?」
「そう,彼女の能力は私達黒羽としては欲しい」
諜報・工作任務を行う事が多い亜夜子達黒羽の人間には諜報向きの魔法師が多い。文弥のようにアタッカーとなる人物も勿論いるが,亜夜子なんかは諜報向きである。
中学から黒羽の工作部隊の指揮をとって来た彼女から見ても,心の「人の心を聴く」という能力は是非とも欲しい。彼女の先天性のBS魔法故に彼女以外に変わりがいない唯一無二の能力だ。
だが,焔矢はそれは無理なんじゃないかなと思ってしまった。
なぜなら…
「彼女は…裏の世界に向いていないんじゃないか?」
洗脳されていたとはいえ,自分に襲い掛かった事に罪悪感を持つような彼女が裏の仕事に就けるとは焔矢ですら思わなかった。彼女の戦闘技術も…凄まじかったが非魔法師の焔矢でもそれなりに食らいつけた程であり亜夜子の疑似瞬間移動のような咄嗟に逃げられるような術式も持っていない彼女に,それが出来るとは思わなかった。
しかし亜夜子はそんな焔矢をニヤリとした笑みを浮かべ
「さっきまで彼女の素性に気がつかなかった焔矢がそれを言うの?」
「うぐっ?!」
さらりと焔矢の気にしている事…自分の人の見る目について指摘されて言葉に思いっきり詰まった。
確かに焔矢は今日の事があるまで心の正体について全く知らなかった。考えようともしなかった。焔矢からすれば彼女は学校の先輩であり,ヴァイオリニストであり,生徒会長だ。
逆に言えば彼女は焔矢に自分の正体を知られない程の演技力があるとも言い換える事が出来る。
焔矢には過去亜夜子の正体を見破れなかったこともあるので彼女の指摘は焔矢の自信を抉る破壊力がある。
もっとも亜夜子はその程度の事で焔矢が潰れないと知っているが故の指摘であるが。
焔矢はこれ以上は分が悪いと察し,咳ばらいを1つすると話題を変えた。
「兄がいるって言ってたよな。っていうか,彼女はそれ自体は覚えているのか?」
「覚えてなさそうね。ただ,彼女の昔の戸籍にはちゃんとお兄さんの存在は確認されてる。」
心の兄という言葉を聴いて,焔矢は脳に何かが霞め取られたがその違和感に気がつくことが出来ず頭を振って違和感を追い出した。
実際,その兄の名前を聴いても焔矢には全く知らない名前だった。
だからこそ,その違和感を言葉に出来なかったのである。
「…亜夜子,1つお願いがあるんだけど」
「なに?」
「今度の新曲を,彼女に聴かせたい」
今度の新曲——いうまでも無く九校戦のタイアップ曲だ。焔矢は黒羽の内情についてほとんど知らないが,今は拘束している彼女が今度の自分の新曲を聴くことは…出来ないんじゃいのかと思ったが故の言葉だ。
それを聞いた亜夜子は流石に予想していなかったのか眼を少し見開き,問いかけた。
「どうして?」
「聴いていたなら知ってるだろ,彼女は自分の音楽を信じる事が出来なかった。悪い言葉だけを聴いて,自信を無くして仮面を被った。」
それは…もしかすると過去の自分だったかもしれない。
紅羽に勇気を貰わなかったIFの自分。どれだけギターが上手くても,歌が下手だったせいで嘲笑られたどこかの世界線の焔矢がもしかすると彼女だったかもしれない。
誰かに自分の音楽を信じる勇気をもらっていたのなら,もしかするとこんな事になっていなかったのかもしれない。
それを信じられなかったから,音楽で世界を変えられないと言い放った。自分が変えられないと思い込んでいたから,音楽で世界を変えられる訳がないと思っている。
多分,それ自体は洗脳が解けた今も変わらない。
彼女がこれから先,黒羽によってどんな処理が行われるのかは分からない。
だけど焔矢は,彼女が自分の音楽を信じられないままで生きていくのは嫌だと思った。
「音楽は俺自身だ。だから,伝えたい事を…”音楽が世界を変える”って事をこの俺が彼女に証明する。」
自分の音楽で,心の世界を変えたい…否,変えるという焔矢の強い瞳。亜夜子が彼に惚れた,音楽に一途に向き合う姿。
自分達の音楽が本気で世界を変えられると思っているが故の自信と覚悟,だが亜夜子はそんな彼らを知っているからこそ遠回りとも言える事をしている彼に問いかけた。
「焔矢はお人よしね,あなたが彼女に情けをかける必要なんてないのよ?」
それはそうである。
焔矢にしてみれば彼女は自分の身を狙った敵であり,実際肋骨損傷というものも被害として受けた。
いくら心に洗脳されていた事実があったとしても,彼女の為にそこまでしたいというのは間違いなくお人よしだろう。それも,九校戦のイメージアップを図るための新曲で同時に彼女の世界を変えたいというのは難易度が高い。
殻に閉じこもってしまった彼女の世界を変える事がどれほど大変なのか,聡明な筈の焔矢に理解出来ない訳ないでしょ?と亜夜子は目線で訴える。
しかし,焔矢は獰猛の肉食獣のように口の端を吊り上げ,いつもの飄々とした様子ではなく――間違いなく王としての貫禄と雰囲気を身に纏いながら答えた。
「情け?んなわけねえだろ,俺が”出来る”と言っている事を”出来ない”と言っている阿呆に分からせる為だ。情けなんかじゃねえ,俺のあいつに対する”宣戦布告”だ。」
「…っ」
ここ最近は余り見る事が無かった――というかライブが無かったから見なかった彼の裏側の”王”を垣間見た亜夜子は一瞬息をするのも忘れて彼に魅入った。
言葉だけを聴くのならとんでもなく傲慢であり強引だ。
だが,焔矢からはそれを感じさせない圧倒的な意志の力を感じまるで迷っている民を,背中だけで引っ張っていく王者のようだった。
「たった1人,彼女の世界を塗り替えられないのならどの道世界を塗り替えるなんざ夢のまた夢だ。俺の言う”世界を変える”は,たった1人の例外も出さず在り方を変える事だ,争いなんざくだらねえことを分かってもらう事だ。だから,ここで逃げる事なんざ俺に選択しない。彼女の世界を,この俺の音楽で破壊する」
焔矢と心の音楽は,ほぼ真反対と言っても良い位コンセプトが違う。
焔矢達の音楽は,圧倒的な重音と腹に響くような…それでも人の身体を踊らせるような音に世紀末のような歌詞を載せ,焔矢の誰にも比肩出来ない想像絶する歌声で見るもの聴くもの全てを堕とす音楽。
だが心の音楽は彼とは反対,堅実を如実に表す正確無比な演奏であり大衆が求める音を一寸違わず聴かせるヴァイオリン。ヴァイオリンでボーカルをする事はないが(そもそもヴァイオリン的に出来ない)それでもコンセプトとしては反対だ。
心の音楽は,彼女が人の心を聴くことによって変わってしまった物だろうと焔矢は思っている。自分の音楽が,過去受け入れられなかったから人の心を聴いて大衆に受けいられやすいものに変え――それが受け入れられてしまった。
言ってしまえば機械的で,そこに彼女自身を表す音はどこにもない。
焔矢はそれを考えた時,1つだけやってしまったと思う事があった。
それは自分が彼女に対して,自分は彼女の音楽を受け入れていたと言った事。何故ならその言葉は心にとって自分にとって偽物の音の方が良いと言われているようなものであり,逆に彼女の事を傷つけてしまったのではないかというもの。
本当の所は分からないし,じゃあなんで泣きそうな顔をしたんだよとなってしまうがそんな可能性がある以上,焔矢には彼女の音楽を取り戻さないといけない義務が発生したのである。
だからこその,心の音楽の破壊なのである。彼女が自分の音楽を取り戻すには,彼女の音楽を破壊する必要がある。創造の前に破壊ありである。
そんな焔矢の胸の内の思考はバンドマンとしての思考であり,亜夜子は彼のそんなところまで見破った訳ではなかったけれど焔矢のいわんとしている事は何となく察したのかどこかしょうがなさげにため息をついた。
「はぁ…分かったわ」
「ありがとう,亜夜子」
四葉としては,別に彼女が自分の音楽を思い出すなり取り戻すなりした所で扱いは変わらない。だから別に焔矢の戯言に付き合うのは時間の無駄であるのだがそれを受けてしまう辺り亜夜子も焔矢には甘いのである。
亜夜子の方に恥ずかしがったり照れたりする反応がないだけであり,この2人は世間的に言わせれば間違いなく相思相愛のカップルである。
焔矢の少し大げさなお礼に,亜夜子は華凛な笑みを浮かべて答え2人の話は終わったので亜夜子は席を立つ。
2人して食器をHARに入れ洗浄し,焔矢はこれから作曲作業に入るという事だったので
「ヨルちゃんおいで」
亜夜子はヨルを呼び――今更だがヨルは雌である――ヨルは焔矢のいない間に亜夜子に主従関係を叩き込まれたのでテクテクと亜夜子の元に歩み寄る。
「どうしたの?」と見上げるヨルの楽しそうな顔を一度撫で,玄関にあるヨルのリードと散歩鞄を手に持った。
「今日はヨルちゃんを預かるわ」
ヨルの散歩も晩御飯もまだであり,これから作曲に集中したいであろう焔矢を気遣ったであろう亜夜子の言葉。焔矢は彼女の気遣いに微笑んで答えた。
「ごめん,ありがとう。」
と言っても一階上の部屋に行くだけなのだが,大事な時期にヨルに構ってあげられなくなるというのも本当だったのでお礼を言うと亜夜子は微笑んだ。
「それじゃ,お休み焔矢」
「ああ,お休み亜夜子」
お休みのキス――は2人ともまだしたことないのでいたって平常運転でお休みの声をかけあい,亜夜子とヨルは玄関から出ていった。ヨルは初めて会った頃から亜夜子に懐いていたし,このビルに住み始めてからなにかと亜夜子と戯れていたので素直に言う事を聞いて亜夜子と文弥が住んでいる部屋にまで行ったのだった。
因みに,昔亜夜子に課せられていた焔矢の監視任務は既に終わっているので亜夜子は焔矢が眠るまで起きないといけないという制約は既にない。だからこそのお休みの言葉である。
「よし,やるか」
一人と一匹を見送った焔矢は踵を返し,亜夜子が彼の為に設置した防音室と言う名のスタジオに入り作曲作業を始めた。
元から方向性は決まっていたのだが,今回の事を受けて変える事にしたのである。大幅にではなく局所的にが付くが,それでも元から時間が無かった中での変更であり普通なら仲間達からもブーイングが起きる。
しかし,”音楽”に関しては5人ともバカであり最初は焔矢の誓だった”世界を変える”が今では5人の誓となっている今,焔矢のたった1人を変えられないなら誰も変えられないという言葉は正にその通りだったので誰もそれに不平不満を述べることなく作曲を進める。
基本的に焔矢が自分で鳴らした音を,精神世界にいるから”聴く”と言うには少し変な表現であるが仲間達が聴いて調整していく。
毎度の如く…と言ってもまだ彼らを率いた本格的なライブは1回しかないが,それでも彼らは大体ライブ本番でアドリブを入れてくることも多々ある。
元の作曲を決めないとそのアレンジも宙にふわふわ浮いたようなものになってしまう。
だがそれは逆に言えば焔矢はアドリブをやっても良いという考えであり,昔は…それこそバンドを組み始めたころは焔矢は仲間達にそれすらも許さなくて喧嘩をしまくった。
自分が作る音楽が頂点だと思っていたから,当時は仲間達を”パーツ”くらいにしか思っていなかった焔矢はアドリブなど許さなかった。
けれど,ある事をきっかけにそれに寛容になりAlter Egoはバンドとして急激な成長を遂げた。焔矢1人だけでは追い返されたライブハウスも,いつしか彼らに演奏して欲しいという人達も現れた。
彼らの絆が,確かな結束として強まったのである。
それは間違いなく音楽によって起きた事であり,音楽が彼らの存在を進化させた。
5人にとって音楽は大事なものであり,だからこそ音楽を信じられなくなっている心を放っておくなんて選択肢は5人には最初からなかったのである。
そうして,作曲作業をしていたり大原から第一高校の見学の許可が出たと報告を受けたりして…彼らの作業は深夜の2時まで及んだのだった。
——その夜,黒羽文弥率いる黒羽の実行部隊+チームナッツは心から持たされた情報によって判明したマフィア・ブラトヴァのアジトを殲滅した。
お疲れさまでした!
心はIFの焔矢です。セオリーをぶち破る事が出来なかった過去の焔矢が成長した感じです。
唯一無二の事が出来たり,それなりに共通点も多く心は焔矢には同族意識があって気になっていました。
そして,焔矢には甘い亜夜子。
前日の過去を明かされた事から焔矢に対して思う事が増えて遠回りの事をしようとしている彼の心配をしたけど,焔矢が心の音楽の為に新曲を考えるのは,究極的には誰かの世界を変える為の一歩だと返されヨルを預かって出来ることからサポートしていく。
では!
どのお話見たい?
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達也&焔矢(UBW強化話?)
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空澤&焔矢(亜夜子についてあれこれ話す)
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貢&焔矢(修羅場)