昼食を終え,両カップルはお店の前で別れた。今回の会計は達也が持つことになり,焔矢は思いっきり遠慮したのだが今日不躾な眼で見た事のお詫びだと言われ,亜夜子にもこういうのは素直に受けるものだと言われご馳走になった。
それだけではなく,焔矢からしたら渡りに船だったのは
「俺で良かったら何か力になろう」
別れ際,そんな事を言われ焔矢も持っていて困るものではないかと達也のプライベートナンバーとアドレスを貰った。もっとも暗号としては最高強度のものだが。
なんかただの休日の筈だったのに凄まじい人達に会ったなと思いつつも2人は達也と深雪と別れ,ショッピングモールへと足を向けた。
亜夜子が見ときたいというものがあるというからだ。
「達也さんに会ってみてどうだった?」
焔矢自身は過去に達也の事を尊敬していると言っていた人間で,そんな人間と初めて会ってどう思ったのかは興味があり亜夜子は目的のフロアに行くまで問いかける。
焔矢は再び亜夜子と手を繋ぎながら少し楽しそうに
「思ってたよりも接しやすい人で楽しかったよ。前から思ってたけど,あの人常識に囚われない考え方していて話していて面白い人だね。」
達也を面白い人と形容できる人間は少ない気もするが,焔矢も大概大物だなと亜夜子は思った。
本当に面白かったのか,すこぶる機嫌が良い。会わせようと思っていたタイミングとしては違っていたが,結果的に良かった邂逅だったと言えるだろう。
「そう,良かったわ」
亜夜子も達也の事を褒められるのは嬉しいので少しはにかみ,2人は亜夜子の目的のフロアへと向かって…焔矢は絶句したように目の前のフロアを見ていた。
「…亜夜子,なんでここ」
2人が来たのはホームファッション売り場であり,家具や照明…そしてベッドなどがある売り場だ。その中でも亜夜子が来たかったというのはどうやらベッドの売り場である。
亜夜子は焔矢の手を離しながら目の前のダブルベッドの触り心地を確かめながら事も無さげに答えた。
「なんでって…貴方の部屋のベッドを見に来たのよ?」
さも当然かのように言い放つ亜夜子をジト目で見る焔矢は,ここでの抵抗は無駄だと悟ったが一応理由を聞いておこうと思った。
「…もう亜夜子達が用意してくれたベッドあるけど」
元々焔矢を軟禁の為だった部屋が今では普通に住処となっている事に今更ながら不思議な感覚があるが,それを差し引いてもどうしていきなりベッドをまた選ぼうなどという事になったのか。
別に今使っているベッドはフカフカで弾力性もあり,とってもいい眠りに就ける良いベッドだというのは素人の焔矢でも分かる位良いものだ。
なのになぜと疑問符が抑えられなかった。
「私が泊まりに行く時にいるでしょ?」
(もう少し周りに配慮してくれませんかね?!)
周囲にいる家族連れとか,何か用事があって1人で来た男性とかの視線がこちらに向いたのを感じながら内心で叫んだ。その事は亜夜子だって分かっているはずなのに寧ろ楽しそうにくすりと笑いマットに触れる。
「これは少し硬いわね」
言いながら他のマットレスも見に行く。周囲の視線が痛い事に焔矢が辟易していると,彼女は優雅に振り返る。
「焔矢,これなんてどう?」
展示されているマットレスに触れながら亜夜子は焔矢を呼ぶ。結局,そんな彼女の姿になんか思っていた事は吹き飛んでしまい苦笑いをしながらも彼女に近づいた。
「今焔矢の部屋にあるのと同じ位フカフカだと思うけど」
そう言われて焔矢はそのマットレスを触ると,確かにフカフカでダブルの分反発力も不思議とシングルよりもあるように感じた。
焔矢自身は余りベッドに拘りはない方であるが,そんな素人の自分でも上質なもので出来ていると分かるほどのマットレスだ。
「確かに…とても寝やすそうだな」
「他のも見て見ましょ?」
亜夜子はそのまま他のマットレスの場所へと歩いて行ってしまって,焔矢はもしかして少しはしゃいでいるのかもしれない亜夜子に苦笑しながらも大人しく彼女の後を追う。
その後,2人はダブルベッドと他にベッドに必要なものを一式購入し,宅配サービスで頼んだ。現代ではこういった大荷物の宅配も一昔前よりも充実しているのでベッドの大きさは大した問題にならなかった。
因みに届けられる場所は調布のビルではなく,黒羽が管理している別荘の1つでそこから更に黒服たちがベッドを輸送するという事だ。亜夜子が四葉の黒羽と公表していても,住所までご丁寧に世間に教えるつもりはないということである。
そんなこんなで,割と高いベッドという買い物を済ませた2人はその後もショッピングモールの中をあちこち見て回った。というか,亜夜子が焔矢を連れまわした。勿論荷物持ちとして。
先ずは亜夜子の水着を見たり,焔矢が新譜を買ったり,各地の名産品コーナーで2人して目新しい他県の名物料理を見たり,2人でヨルの新しい服を探してみたり…焔矢は特に亜夜子の水着姿に恥ずかしそうにして亜夜子がそれをからかうという場面がとっても印象的だった。
そうやって午後をショッピングモールで過ごしていたが,2人は暫くすると外に出て次に焔矢が元から行きたいと言った場所へ向かう事にした。
その場所を聞いた亜夜子は目を丸くしたが,直ぐに思い直したのか微笑んでそれにOKを出した。
渋谷の個別電車に乗り込み,他愛のない話をしながら向かうこと数分。中野の外れに目的の場所はあった。
近所の花屋で菊の花を買い,2人は焔矢の目的の場所へと辿り着いた。
「ここが…」
亜夜子は,様々な墓標がある所を通りぬき辿り着いた墓標は…
「久しぶり,紅羽」
焔矢はどこか穏やかな表情をしながら,目の前の墓標に膝をつきどこか感慨深そうにそっと撫でた。
今回のデートで,亜夜子が大体立てた予定の中で唯一焔矢が頼んで組み込んでもらった場所。焔矢の先導者,宝栄紅羽の墓標だ。
今日8月11日は…沖縄海戦が起きた日であり焔矢にとっては紅羽の命日だ。
沖縄では今日犠牲者を弔う催しがやっているはずだが,焔矢はそこに行くのではなくこうして直接紅羽の墓標に行くようにしている。
亜夜子と既にデートの約束をしていたから,という理由もあるのだが個人的にこうして1人でゆっくりと出来る所で色々報告したい事があるのだ。
「なんか,この1年で色々なことが起きたけど…一番ビックリしたのはやっぱり亜夜子の事だと思う」
この1年で焔矢はプロデビューを果たし,四葉に狙われ亜夜子と婚約し,マフィア絡みの事件に巻き込まれた。達也ほどじゃないにしても凄まじく激動の1年間だったと思う。
しかし,その中でも焔矢がビックリしたのは本人の言うように亜夜子との婚約だった。
なにがどうして,どんな巡り合わせで彼女と巡り合い…彼女の長の思惑があるにしても婚約する事になったのは自分じゃなくてもビックリする事だろう。
「初めまして,焔矢の婚約者の黒羽亜夜子と申します。」
亜夜子はそんな婚約者のぶっちゃけにどこが苦笑いをしながらも,自分もこの1年で誰かと婚約…それも達也以外の人間に心底惚れてしまうなんて去年の自分に言ってもとても信じられない事だったと思う。既に達也の事で諦めはついていたと言っても,やはり達也以外にとなると思っていた事はあるのだから。
だけど今はこうして焔矢の婚約者として隣に立って…彼の先導者に墓参りをしている。その事に不思議な気持ちを感じながら口を開く。
「わたくしは…あなたが焔矢に音楽の道を示してくれなかったらきっと彼に出会う事は無かったと思います。」
誰かの墓参り…普通愛する人とのデートで到底するべきじゃないような場所に行く事を亜夜子が許可したのはこの事を伝えたかったからだった。
お互いの共通の知人とかならまだ分かるが,亜夜子にとっては完全なる赤の他人なのだから紅羽の墓参りにくる道理はないが…焔矢が紅羽の墓参りに行きたいと言った時に思ったのである。
音楽が無ければ…自分はきっと焔矢と出会う事は無かっただろうと。
焔矢が音楽に目覚めなければ,あの飛行機テロも起きず,仲間達が焔矢に取り憑くことも無く…そもそも仲間達と出会わない事だってあり得なかったかもしれない。
少なくとも焔矢が紅羽と出会わないと,四葉は焔矢に眼を向ける事も無く亜夜子も焔矢と人生のどこかですれ違うだけの人生だったかもしれない。少なくとも焔矢がUFWを習得しない限り絶対に自分は焔矢と婚約しなかった。
紅羽と焔矢の出会いが,自分と焔矢の分水嶺だったと亜夜子は思うのだ。だから…
「焔矢と私を…出会わせてくれて,ありがとうございます」
にこりと,焔矢も横で見ていて見惚れるほど美しい笑みで亜夜子は感謝した。紅羽から始まった物語が,こうして自分と焔矢を繋いでくれた事に彼女は感謝しているのだ。
焔矢は,どうして正直デートに似つかわしくない墓参りをしたいという要望に亜夜子が答えてくれたのかが分かっていなかったのだが…この言葉でどうして一緒に来てくれる事にしたのかを察して…嬉しそうに微笑んだ。
そして焔矢もそっと手を合わせ,亜夜子の言うように改めて自分と音楽を巡り合わせてくれた事に感謝をしたのだった。
その後,焔矢は紅羽に簡単にプロとしての活動の事を報告し道は遠く険しくとも一歩一歩着実に進んでいる事を報告し2人はお墓参りを終えた。
2人は事務所で掛水などの桶を返却した後,霊園を出た。
「結構歩いたわね,休憩がてら焔矢の実家に行きましょうか」
霊園を出る頃には既に日は傾き始め…否,よく見たら曇り空が広がり始めていた。その事を見ながら亜夜子は何と無しにその事を提案する。
ショッピングに始まった2人のデートは総括すると楽しかったが,思ったよりも歩く時間の方が長かったこともあって亜夜子のいう結構歩いたという言葉も嘘ではなかった。
焔矢も軽く1万5000歩は超えているなと内心で思いながら,ここが地元であることもあるし元々の用事として焔矢の実家に行く事もあって頷いた。
「そうだな。…なんか雲行きも怪しくなって来たし,早めに行こうか。」
そう言って2人の足は,霊園と同じ中野にある焔矢の実家に向かう事にした。その道中でも他愛のない話をする。
「焔矢は明日はスタジオに入り浸り?」
「入り浸りって…まあ入り浸りだな」
焔矢は既に夏休みの宿題は九校戦タイアップが終わったこの1週間ですっかり終わらせているし,今日のようなデートを除けばやっとガチの練習を出来ると内心結構喜んでいた。
もちろん今日のようなデートが嫌なわけじゃないけど,達也と深雪のように世間に公開されているような状態じゃなくまだただのお嬢様と一般市民の自分のデートはそれなりに注目を集めてしまう為,ゆっくりしたいという意味では何度もそうできるデートではないとは思っていた。
そんな訳で,久しぶり(焔矢基準)に楽器に思いっきり触れる明日は長時間スタジオに入るつもりだった。
打ち合わせも目的だが,練習も同じ位楽しみなのだ。
焔矢の心底楽しそうな顔にどこか嫉妬っぽい表情を浮かべながらも,亜夜子はそれを飲み込み今後の彼の事について問いかける。
「新曲?」
「いや…明日はアレンジの方。新曲を考えるにしても,他の曲を疎かにする訳にはいかないし明日の打ち合わせ次第かな」
新しい曲に手を出すのだけが良いわけではない。焔矢自身の音楽は既に15曲,Alter Egoとしての楽曲は17曲はある。流石にこれだけ曲が増えていたらその過程で新たなアレンジを考えられるかもしれないし…なんなら仲間達に関しては焔矢がデート中「あれ良いんじゃね?」とか言い始めて音を鳴らしていた。
彼らには既に時間という概念がない以上,どうしても暇を弄ぶ。身体があればまた違ったのだろうが,彼らの時間の潰し方は大体アレンジを考えるか,新曲のメロディーを考える事なのだ。
もちろん,出来によっては新曲も考えるかもしれないし…というか,焔矢の実家に向かっているのは新曲のアイディアの為なのだから亜夜子の予想の全てが間違いなわけではないが当初の目的はアレンジの為である。
「打ち合わせって…どんなお話なのかしらね」
そこで亜夜子は大原からの打ち合わせの内容が気になった。流石に明日は学友たちとの予定があるのも本当だったのでついて行くわけにはいかないが,既に焔矢の世界にいる彼女も相当に彼の仕事について気になっているのである。
「ライブだと嬉しいな」
亜夜子の言葉に焔矢ははにかみながら希望を述べる。この前一曲だけとは言えライブをしたばっかりなのにと亜夜子は少し苦笑したが,どこか微笑ましくもあったので「そうね」と言っていると焔矢は自分の顔面に何か冷たいものが当たったのを感じた。
「亜夜子…今」
「ええ,外れるなんて珍しいわね」
一瞬焔矢がシリアスな雰囲気を出したかと思えば,亜夜子は本当に珍しいと思ったのか空を見上げてぽつぽつと降り始めた雨雫を感じていた。
現代の天気予報が外れるのは本当に珍しかった。
焔矢も空を見上げると,昼くらいの快晴が嘘かのようにどんよりと曇っていて…
「ちょっと早歩きしようか」
「そうね」
雨音が地面に打ち立てられ,それはやがて轟雷に変わった。
早歩きどころか,結局2人は走る事になってしまい突如としてバケツをひっくり返したような凄まじい雨が2人を打ち付けた。
2人は当然傘なんて持っていなくて,ずぶぬれになりながら焔矢の実家に到着した。
「…めっちゃ濡れたな」
焔矢は割と久しぶりな実家への帰省がこんな雷雨の下だとは思っていなくてげんなりしたように亜夜子へ振り向いて…彼女の純白のワンピースが透けていて…
「亜夜子,お風呂準備するから止むまで待とうか」
現代の服は既に雨によって透けるという事はなく,そんなラッキーイベントなど起こる訳も無く,また焔矢自身もそんな可能性は微塵も考えていなかったので普通に玄関でワンピースの端を絞って雨に降られたせいか,それとも走ったせいで少しメイクが崩れている亜夜子に言った。
「…っ」
ただ…服が透ける,なんてことはなかったがそれを差し引いても美女が滴る姿というのは絵になるほど美しく,振り向いた時のその普段は見ない光景に焔矢は少し息を飲んだ。
亜夜子は濡れてお気に入りの服が重くなってしまったことにげんなりしていたようだが,焔矢の視線に気がついたのかニヤニヤとした笑みに変わる。
「ええ,ご厚意に甘えていただきましょうか。…一緒に入る?」
「ばっ?!」
「冗談よ」
顔を真っ赤にした焔矢をケラケラと笑いながら亜夜子は,こんな時でも優雅に家に上がる。焔矢はタオルを亜夜子に渡し,久しぶりに触る実家のお風呂を掃除してから自動湯張りを行い,リビングに戻ると…
「ええ,それじゃあヨルちゃんをお願いね」
家の電話端末を使って恐らく文弥にでも連絡をしていたのか,まだ少し滴っていながらそんな事を言って電話を切った。
焔矢は取り合えず,買った服とか名産品コーナーで買った他県の変わり種の食べ物を出しながら問いかける。
「文弥さんか?」
「そうよ。今日はこのまま泊まりましょ?」
「おーわか…えっ?!」
少し雨宿りしたら帰ると思っていた焔矢はビックリして手に持っていた沖縄そばセットを落とした。
2人は婚約者であるのだし,この前も普通に2人で寝たのだから一見なんの問題も無いように思えるがあの時とは明確に1つ違いがあった。
因みに先週のホテルでは焔矢は部屋に戻ったので一緒に寝てない。純粋にライブを終えて色々大原とやり取りをしていたからである。
閑話休題
その明確の違いとは,ヨルがいるかどうかである。
2人がいる所にヨルありというのが2人にとっての日常過ぎてあれだったが,2人の間に過度の深雪のようなスキンシップが無かったのは,大体2人の間にヨルが専売特許とでも言うべき場所にすっぽりと収まって2人に「撫でろ。愛でろ」と迫って来るからである。
言語を話さないと分かっていても,愛犬がいる前であれこれするのは恥ずかしいと思ってしまうのは人の性で2人も例外ではなかった。
文弥に連絡したのは,ヨルの世話の事なのだろう。別に今や焔矢の住みかとなっているあの部屋には,ペット用HARがあるから理論上だけで言えば餌の分だけヨルは生きられる。
昔はヨルと一緒に逃げる選択を選んでいた焔矢に呆れていた亜夜子も,いつの間にかヨルに絆されている事がよく分かる一幕である。
そんな訳で,ヨルがいない家で2人きりと言うのは初めての経験なのだ。
「あら,なにか期待した?」
焔矢の考えた事が分かったのか,色っぽく微笑んだ亜夜子は少し腕を組んで胸を強調するように張った。それを見た焔矢は思いっきり眼を反らしながら言い訳するかのように
「い,いや…じゃあ今日買ったのしかないけどご飯にしようか」
思いっきり”なにか”を考えないようにして目を反らした焔矢をクスクスと笑った亜夜子は,お手伝いの為に立ち上がった。2人は沖縄そばを準備し,食し,夜も遅くなってきた頃。
亜夜子は焔矢の実家に残していた白シャツと短パンをもって,お風呂場に入る。
「ふぅ…今日は,沢山歩いたわね」
だからか,身体が沁みるようにお風呂の湯加減が丁度いい。暑すぎずぬる過ぎず,丁度いい湯加減で漏れ出る声は色っぽかった。これは亜夜子のわざとではなく素の反応だった。
長い時間の買い物はしている時は楽しいが,終わった後は少し疲れてしまう。デートは思いがけないハプニングがありながらも楽しいと言えただろうが疲労は少し誤魔化せなかった。
そのデートの最終目的地はこの家だったのだが,想定外の雨で足止めを食らい…亜夜子の独断でそのまま泊まる事にした。
幸い,亜夜子の約束も午後からだし焔矢の打ち合わせは午前中のお昼前だ。泊まって,明日の朝に調布に戻れば焔矢も楽器を回収できるだろうし自分も準備する事が出来るだろう。
更に雨が激しくなっていたのは先程窓から見て知っていたし,我ながら英断だったと思う。
「…焔矢は今頃,探してるのかしら」
焔矢が今回実家に一度元々戻って来るつもりだったのは,スコアを持って行く為である。
それもただのスコアではなく,過去Alter Egoを組んだときにやろうとして純粋に求められるレベルが高すぎて出来なかった曲のスコアを持って帰るためだった。
アレンジをするにしても,新曲を考える必要がある時に焔矢は過去出来なかったその曲をやりたいと仲間に相談しその為に必要なのだという。
別にスコア自体は覚えているのだが,過去にどんな思いでその曲を作ったのか等を思い出すために必要だったのだ。
亜夜子がお風呂に入るまで探している様子はなかったので,今頃スコアを探しているのだろうと考えた。
「それにしても,私も大胆なことしたものね」
そこで亜夜子の思考は焔矢が今何をしているかではなく,現在も雨が降っているとはいえ焔矢と2人で泊まる事についてシフトした。
泊まると言っても焔矢にしてみれば泊まるという言い方ではないのだろうが,亜夜子にとってこの家は天王に狙われたあの日に,ヨルを回収する為にやって来たのが最初で最後。
いくら彼の両親が既に故人であっても,こうやって婚約者の生家に来るのは色々思う事があるのだ。
その内,2人とヨルで過ごすのが当たり前になる。その為に今も色々環境を変えている途中で,既に焔矢と一緒に寝ること自体には何の違和感もない。
彼の寝顔や息遣いがいたって平和なことも,彼もまた亜夜子と寝ることに煩わしさは感じていないようだ。
生活の嗜好も,亜夜子はそれなりに把握しているし…既にほぼ夫婦と言っても過言ではない位には2人の時間は増えて行っていた。
焔矢の知らない焔矢に関してはこれからも探していけるだろうから,あと2人の間で分かっていないのは…
「夜の相性…くらいかしらね」
そう,それが亜夜子が自分の事を大胆と言った理由である。彼の実家で,彼の部屋で,2人きりになるタイミングというのはこれからあるのかはまだ分からない。
いや,やろうと思えばいくらでもそんな機会は作れるのだがヨルの事を考えると余りにわざとやるのは躊躇われる。
だからあくまでも自然にが良かったのだが…それを差し引いても自分の行動に自分自身が一番驚いていたのは確かだ。
亜夜子の頬は少し紅くなり,それが湯のせいなのかはたまた別の事のせいなのか…その10分後,亜夜子は静かにお風呂を出たのだった。
焔矢の白シャツを着ているせいか,少しぶかぶかだったが亜夜子はそれすらもワンポイントに変え彼シャツを楽しみながらリビングに戻る。
しかし,やっぱり焔矢の姿は見えなくて2階からなにやら物音がしたのを聞き彼が戻ってくるまで待つか,それとも会いに行こうか…どちらかに悩み…会いに行く事にした。
今日はここで泊まるし,流石に焔矢の両親の寝室で泊まりたいとは気持ち的に思わなかった。それは純粋に後ろめたさからで,寝るとしても焔矢の部屋だと決めていた。
だからベッドを整えるなら手伝ってあげようという,それ位の気持ちだった。
「…あ」
そこで亜夜子は,階段に上がって直ぐ近くにある部屋が少し空いているのを見て覗き込んだ。
亜夜子は焔矢の家の場所を知っているし直接一度来たこともあったが,こうして中に入ること自体は初めてだった。だから,その部屋の存在を伴野から聞いていても来るのは初めてだった。
その部屋は,かつての焔矢の両親の部屋で…奥には仏壇があり両親の写真が飾られていた。
亜夜子はそっと部屋の中に入り,仏壇の近くにあったお線香(無味無臭)を手に取り火を点け刺した。
どんなに近代化が進んだ現代でも,故人に挨拶するという習慣が変わることはなくこうして家に仏壇があるというのも珍しいわけではないのだ。
亜夜子は焔矢の両親の写真を見て,2人とも生前の笑顔の写真で…やっぱり親子だからか,父親の方が若干白髪だが焔矢が時折見せる優し気な表情は母親によく似ていた。
ふと亜夜子は思った。もしも彼らが生きていたら,自分は焔矢の妻として認められたのだろうかと。
焔矢が言うには両親はそれほど魔法を嫌ってもいなかったというが,それでも四葉の名前は色々考える足枷となるはずだ。自分達は生粋の魔法師の一族,真夜が焔矢を欲したのは彼の魔法を研究したいというのと…彼の遺伝子を持った子供が欲しいと思っているからだ。
亜夜子自身は焔矢の子供を産むと考えた時に嫌悪感は全く感じないが,それでも人間はレッテルの方を信じるものである。
だから,もしも焔矢が四葉の縁者になると知ったら認められなかったのかもしれない。会った事もない人達にそう思うのは失礼なのかもしれないが,もういないからこそそんな事を考えてしまうとも言える。
でも…だからこそ,伝えなければならない事があった。
(きっと,ご子息を支えてみせます。私が彼の誓を守らせてみせます。だから…見ていてくださいませ,お義母様,お義父様)
そうして黙とうし,数分後彼女は立ち上がって部屋の入口にいた焔矢に声をかけた。
「それで,何見てるの焔矢」
「き,気づかれてた」
戦慄したように声を震わすが,どこかふざけている感もあり亜夜子は笑みを抑えられなかった。
焔矢は壁に隠れて見えなかった身体を見せて,その右手に見覚えのない紙があるのを見てそれが過去のスコアなのだと悟った。
「当然でしょ?焔矢の隠形じゃ私に気づかれないなんて100万年早いわ」
「えぇ…まあ見つけてほしいから別に良いんだけどさ」
そう言って頭を掻きながら部屋に入ってきて,彼も一瞬仏壇に黙祷した。
その邪魔をする事なく,亜夜子ももう一度目を伏せて…2人は両親の寝室を出たのだった。
亜夜子は黙祷した時の,焔矢の若干寂しそうにした表情を見逃す事はせず。
★
夜,雨音は止む事がなく焔矢も亜夜子の判断が正しかったことに心の中で感嘆としながらお風呂に入って,亜夜子と夜のティータイムをしゃれこみながら今日の出来事について話して…やがて2人は寝る為に焔矢の部屋に行く事にした。
最初焔矢は自分はリビングで寝ると言ったのだが,亜夜子が却下し結局焔矢のシングルベッドで寝ることになったのである。
「亜夜子,なんか遅いな」
その亜夜子に先に部屋に行っていてと言われ,なんの疑問も持たず自室に戻って来た焔矢は今日の出来事で思いついた歌詞のワードを軽く紙に書きながら待っていたのだが…15分位経っても亜夜子が来なくて首を傾げた。
今日の寝間着となる彼シャツが着に食わなかったのだろうか,とかそんな事を考え始めた時…部屋のドアが開いた。その瞬間に何やら香りのいい,薔薇のようなものを感じながら焔矢は扉の方へ見て
「遅かったな,亜夜…子?」
固まった。
それはもう石像かと思うほどピタリと,まるで石になってしまったかのように動けなかった。
眼がパチパチと何度か瞬きをして…次第にカーッと顔を赤くしてようやく意識を覚醒させた
「な,なんでそんな恰好してんだよ?!」
思わず立ち上がりながら叫んだ。
そう,焔矢が固まってしまった原因は亜夜子の恰好にあり端的に言えば…亜夜子はバスタオル一枚だけだったのである。
彼女の小悪魔的なプロポーションが惜しみなく晒されていて,おまけになぜか少し湿っぽくなっていてそれが彼女が遅かった理由にシャワーをしていたからというのは分かったが,それとこれとは全く別の話である。
その亜夜子と言えば,焔矢の眼の錯覚もあったのだろうが普段の数倍は色っぽく所作の1つ1つが情欲を焚きつけるようになっていた。そして,本人も分かっているのだろう,艶やかな笑みと動作で机から立ち上がった焔矢の前に歩く。
焔矢はまるで金縛りのように動けなくなって…
「なんでって…嫌だった?」
「嫌とかそう言う話じゃなくて…んっ?!」
あれこれ纏まらない言葉を言おうとした焔矢だったが,それを遮るかのように亜夜子が口付けして無理やり口を閉ざさせた。
顔を真っ赤にした焔矢があわあわと形に出来ない口を動かして何かを言おうとするが,それよりも早く亜夜子は焔矢の身体を押して彼のベッドに放り投げた。
完全に油断していたのと,頭が色々働いていないせいで焔矢はあっさりと放り投げられて…彼の身体に亜夜子はタオル一枚の状態で跨った。
「あ,亜夜子…いきなりどうしたんだよ…」
亜夜子の悪戯が成功した小悪魔みたいな笑みを見て,ようやく現実を認識した焔矢は心臓の音が凄まじい速さでしているのを自覚しながら問いかける。
彼女は自分の髪を耳にかけながら,色っぽく答えた
「だって…婚約してるのだから可笑しくないわよね?」
そんな事を言われたら彼女が何のためにそんな恰好をしてきたのか,嫌でも分かってしまって…婚前交渉なんて基本的にNGと言われている現代でそれを破るなんて四葉の女性として良いのかよと,焔矢は自身の中に瞬間的に浮かんできたこの言い分を放つ。
「ででででも…まだ結婚はしてねえだろ?!」
明らかに動揺しまくっているが,亜夜子はそれだけ焔矢が自分に魅力を感じてくれているのだと感じて更に嗜虐心が燻った。
亜夜子は焔矢の頬に優しく,ただし情欲を搔き立てるような仕草で…まるでガラス細工が壊れないような丁寧さで触れる。焔矢がその触り方にビクビク震えているのを愉しそうに見ながら
「あら,”セオリーはぶち壊すもの”ではなかったの?」
以前聞いたThe Last Resortのテーマを引き合いに出され,こんなR18展開でそんな事を言われると思っていなかった焔矢はマグマのように紅くなった顔のまま抵抗する。
「セオリーというか常識では?!」
「”常識妄想想像超えてけ Gose on"?」
無駄に良い発音でThe Last Resortの歌詞の一部分を取り出され,まさか自分の首を絞めるのが自分の曲とは思っていなくて…そもそもこう言った問答になった時に焔矢は亜夜子に勝つことは出来ない。
おまけに今は亜夜子から普段は抑えられている色香がこれでもかと焔矢を満たしていて,正常な思考が出来なくなっているのも相まって詰みである。
「——っ…亜夜子」
抵抗できない焔矢を良い事に,亜夜子はそっと首に唇を落とす。普段は触れられない場所にそんな感覚が来たからか,焔矢は漏れ出そうになる声を必死に誤魔化す。
しかし,亜夜子は焔矢ならそうすると思っていたのかわざとらしくリップ音も鳴らす。その度に焔矢はビクッと身体を震わせて,耳元で囁きながらそのまま耳に口を付ける。
「焔矢が婚前交渉を守ろうとするピュアな人だったのは意外だけど,知らないの?遊びならダメってだけで…”その気”があるのなら婚前交渉も良いのよ?」
焔矢は基本的に音楽は”普通”を越えるが,それ以外の日常生活では割と普通である。性交渉の知識についても,言葉は知っているだけで手順とかは詳しく知らないしどっかで聞いた”婚前交渉はダメ”みたいなものを律儀に守っているのである。
…まあ,正直に言うなら誰とも結婚するとは思っていなかったから自分には縁のない話だと思っていたのはある。だから亜夜子の言った一定の条件を満たしているのならそれも許されるというのは初耳で…完全に退路が断たれたことを悟ってしまった。
別に…亜夜子とのそう言う事を考えなかった訳じゃない。だけどそんなのはもっとずっと後,自分が大学を卒業する位だと思っていたし,亜夜子もそんな痴女みたいなことを自分から迫って来ると思っていなかったのである。
「…亜夜子は,いいのかよ」
だからせめてもの抵抗で,そんな事を問いかける。彼女は婚約しても四葉の人間,その中でも情報を担う黒羽の姫だ。当主になる側の人間じゃないとはいえ,多分気持ちが先行しているように見える彼女は本当にそれをしていいのかという問いかけだ。
だが,亜夜子は小さく微笑む。
「嫌だったら…そもそもあなたと婚約しないわ」
さっきまでの悪戯心と色っぽさ全開の表情ではなく,どこか微笑まし気な笑顔で答えられて…焔矢は覚悟を決めるしかないのだと思った。
彼女は,自分から2人の新しい関係の為に一歩を踏み出してくれた。多分…本当なら自分が出さなきゃいけなかった一歩を彼女が出してくれたのだ。
焔矢はそっと彼女の頬に触れ,優しく落ちた髪を耳にかけなおした。そんな焔矢の行動を,嬉しそうにはにかんだ亜夜子は少し頬を赤くしながら言った
「私だって…初めてだから」
色っぽさでは深雪やリーナを上回る亜夜子も,経験は当然なく…数段大人に見える亜夜子もそうなのだと知って焔矢は少し安心した。そっと頬に添えていた手を,身体に回すと亜夜子も意図を察してくれたのか大人しく抱きしめられながら身体を重ねた。
亜夜子の肌の柔らかさが直に伝わって,もう既に理性は崩壊しかけていた。
それでも何か気の利いた言葉でも言おうかと思ったが,結局何も思いつかなくて
「…好きだ,亜夜子」
亜夜子は胸の中で少し眼を見開き,やがてクスっとした笑みに変わると再び小悪魔みたいな表情を浮かべて耳元で囁いた
「私も…好きよ」
そう言って亜夜子は,そのまま焔矢と重なったのだった
お疲れさまでした!
最期は関係が進んで終了です。亜夜子の真意は次回冒頭で少しだけ語る予定です。
今回のお話は亜夜子が焔矢の過去に触れるお話でもありました。彼らがいなければ焔矢とも出会う事が無かったですし,今は焔矢に矢印向きまくっている亜夜子がその事に感謝するのは自然かなと無理やり解釈しました()。
今度機会があれば逆に焔矢が亜夜子の母親の墓参りでも行く回を作りたいと思ってます。その時は貢とも再会かな…修羅場かな?
では!
どのお話見たい?
-
達也&焔矢(UBW強化話?)
-
空澤&焔矢(亜夜子についてあれこれ話す)
-
貢&焔矢(修羅場)