仮面を外した亜夜子と,焔矢の関わり方が微妙に変わっていきます。
では!
既に人が静まり返るほどの深夜の時間帯,焔矢は疲れた顔をしながらも亜夜子と文弥と一緒に四葉が管理しているあのビルへと戻って来た。
一応…あの作戦が終わった後に焔矢を本家に連行する予定だったのだが,先程現当主の執事である葉山から亜夜子宛に真夜が焔矢を”好きにさせなさい。ただし監視は続行する事”というお達しを受け焔矢も特に抵抗するまでも無く戻って来たのだ。
なんなら,焔矢は本当に四葉に狙われていると自覚があるのかと思うほどにいつもと様子が変わらなかった。
「こちらが新しいIDです。どこかに出かける際は内線で私か文弥に必ず電話をする事。しなかったら実力行使でいかせてもらいます」
部屋の前まで焔矢を送り届けた亜夜子は,カードキーを焔矢に渡す。昨日この部屋に届けたものとは違う,今朝焔矢を軟禁した後に変えたIDと同じ物だった。
受け取ったプラスチック素材で出来たそれを胸ポケットに入れながら返す
「ああ,それなら先に言っておくが明日はレーベルのスタジオに行く。」
「練習ですか?」
「それもあるけど…ライブのセトリも演出も全部変える」
「…急ですわね。」
2ndライブまで残り2週間を切り,1回目よりも大きな会場である為裏打ちされた期待は甚大なものだ。
だからそれに備えて今までライブのセットリストも演出も考えてレーベルの人達も既に動いているだろうにこのタイミングで全部変更というのは急だ。
「次のライブも…あいつらを霊体のままにしてステージにあげるつもりだったけれど…天王さん達に分かってもらう為にはこれしかないだけだ」
焔矢は一度目のライブでは人知れず先程の魔法を使ってライブをしていた。
もっともレーベルの人間は打ち込みだと思っているし,打ち込みの音源も勿論あるが多くは聡たちが霊体のまま演奏していたのだ。
ステージ上では1人でも,周りに仲間達がいたので焔矢は本当の意味で1人ではなかった。焔矢が復讐に走らなかったのは,文字通り心の中に仲間がいたからで両親の死の悲しみも仲間達のおかげで乗り越えられていた。
「やらないといけない事はまだある。悪いが,亜夜子に構ってる暇はない」
「なっ,誰も構ってほしいなんて言っていません!」
いつの間にか焔矢の亜夜子の呼び方が呼び捨てに変わっているが,今更そんな事を気にできる状況ではなかった。まるで自分が構ってほしいみたいに解釈されたのが甚だしいと不機嫌になっている。
その今までどこかの”お嬢様”のような振る舞いをしていた亜夜子が,今では少し砕けていた。
「俺を見張るのも勝手にすればいいが,邪魔はするな」
「ええそうさせてもらいます!」
怒ったかのように投げやりにそう言って亜夜子は踵を返し,1階上の自分の部屋へと戻って行った。
そんな亜夜子を,彼女から見えないように微笑んだ焔矢はそのまま部屋の中に入った。
未だに亜夜子たちに生殺与奪の権を握られている状態だが,既に開き直っているのでヨルをフローリングに下ろし焔矢は机の椅子に座り休む間もなく作業にかかった。
先ずはレーベルの代表,大原宛にライブについて話したいという旨のメッセージを送る。いきなりセトリも演出も全て変えたいだなんて頭を痛める要因にしかなりえないが…覚悟を賭けたライブなのだから分かってもらうしかない。それに向こうの仕事は焔矢のライブをより盛り上げるためにするものだ。仕事なのだから断られたら困る。
次に,モニター型の情報端末に出したのは昔と変わらないDTM,現代では情報端末によって音楽を作成する編集ソフトを白紙の状態で広げる。
オーディオインターフェースにギターを接続し,先ずは適当に思いついたものを鳴らしてみる。言うまでも無く,新曲を作るためだ。
「最初は…スローで行くか」
普段の焔矢たちの音楽は全力全開で最初から駆け抜けるものなのだが,今回は逆にしようと思い立つと…外野にしてみればよく飽きないなと思うくらい彼は楽器に夢中になり始めていた。
この外野というのは,自室の情報端末で焔矢を監視していた亜夜子である。
「本当…まだ狙われている自覚はあるのかしら」
現在は様子見という事になっている焔矢だが,彼はまるでそんなもの気にしていられないか,そもそも危機感を抱いていないんじゃないかと思うほどいつも通りの様に音を奏でている。
一応,焔矢本人が”魔法力増幅”なんてものは欠陥能力と言ってはいるが別に”魔法力増幅”自体は出来るものであると本人が認めてしまっている。
十文字家のような体質じゃなくても魔法演算領域に干渉出来るというのは,焔矢が思っている以上に意味があるものである。魔法師を兵器として十師族のどこよりも深く体現している四葉にとって…それが足踏みする理由にはなりえない事を亜夜子は知っていた。
それはそれとして,すっかり作曲作業に夢中になってしまっていた焔矢をこれ以上見るのは意味がないと割り切りバスタイムにしようと立ち上がった。
同時に,文弥がドタバタと部屋に入って来た。
「姉さん!」
「文弥,レディーの部屋に入る時はノック位しなさい」
「あ,ごめん…じゃなくて,ご当主さまからの連絡だよ!」
それが今日の…既に日付を越えたから昨日の事についてだと理解するのに時間はかからなかった。元々暗号メールで監視続行の命を出してきたのだからこんな直ぐに連絡が来るとは思わなかった。
内心お風呂に行く前で良かったと思いつつ,少し身なりを整えてからリビングに出る。
「こんばんわ亜夜子さん。夜分に申し訳ないわね」
「いえ,それでご用件はやはり…」
画面の中にいる真夜はちっとも申し訳なさそうに思っていなさそうに形式的な挨拶をしてくる。確かに既に時間は0時を越えて夜分であり,何もない第三者から見たら迷惑極まりないのだが亜夜子にはそんな考えは無かった。
妖しさと,大人のかわいらしさが同居した美しさを放つ真夜は亜夜子の密かな変化を感じたのかくすりと笑う。
「ええ,音羽焔矢の事よ。まったく,貢さんも追跡調査をしていればこんな事は防げたのだけど」
貢はあの事故の後,焔矢に干渉する事はなく最近メジャーデビューしたことで焔矢の所在を知った形になっていた。
彼としても,まさか焔矢が唯一無二の魔法を使えるようになったことなど知らなかったので一概に彼を責める事は出来ない。それでも真夜としてはもっと穏便に焔矢を手に入れる事が出来たと嘆息している。
もしもきちんと追跡調査をして,焔矢の能力が分かっていれば彼を養子にするとか色々手はあったのにとちゃっかり非合法なことも頭に浮かべている。
真夜の言葉から貢が受けたお小言は結構なものだと思ったが,反論の余地も庇う理由も特にないので愛想笑いで誤魔化しておいた。
「亜夜子さんも考えていると思うけれど,彼の魔法は彼自身が思っているよりも貴重なものよ。」
「はい,おば様」
焔矢自身は,未完成状態…つまり仲間達を霊体のままにする際の副産物として溢れ出した想子が他者の魔法演算領域に影響を与える事である。
しかし四葉にとって魔法とは兵器,その研究をしないという理由には到底なりえなかった。本人は欠陥魔法だと思っているが,彼にとってのあの魔法のゴールと四葉が考えるゴールが違うので感じる事が違うのは当然だった。
「本来なら彼を連れて帰ってほしい所なのだけど,彼の魔法が本当なのかを確かめる必要があるからライブまでは待ってあげるつもり。」
「それでは…」
ライブの後はどうするのか…そんな事が口から出かかり,口を閉じた。
ライブの後の事なんて決まっているではないかと,本物だとしたら”連れて帰る”しか指示されることはないだろうと。
それが例え,亜夜子が反射的に”嫌だ”と思っても…真夜には逆らえないと忠誠心から理解させられている。
「亜夜子さん,どうしましたか?」
「いえ,何でもございません。」
「そうですか?それなら構わないけれど…」
真夜が人を食ったような笑みで見ているのを見て少し居心地が悪くなった。
ふと亜夜子は一昨日真夜に焔矢の事を好いているのではないかと聞かれたことを思い出した。
それが何故こんなタイミングでかは分からなかったけれど,それが一種の予知だと気が付くのはもう少し後になってからだった。
真夜はその後,先程の出来事の顛末を話してくれた。向こうの実行犯は”連行”された事,協力者たちはたっぷりと恐怖心を植え付けて家に帰したこと。
協力者たちに対しての制裁が緩いように感じられたが,彼らは協力者と名ばかりの何もやっていない人間だし四葉は司法機関じゃない。わざわざ魔法師としての資質も持たない一般人に構っている暇がないというのが本心だった。
「所で」
一しきり顛末を話し終えた真夜は,唐突に話題変更をした。
亜夜子は当主からの新しいお話をしっかり聞く意思表示として居住まいを正した。
…真夜がそんな亜夜子を見て,これから亜夜子がどんな反応をするのかとワクワクしながら話し始めた。
「優秀な魔法師は早婚が望まれ子孫を残す事を求められる…というのは当然承知よね」
亜夜子はまさか父からではなく,現当主から言われるとは思わなかったが魔法師界の常識なので”知らない”だなんて言えなかった。
自分が本当に恋焦がれていた人物とは,既にそんな関係になれないと諦めた事を再確認させられた気分だった。
それでも,いずれは自分も誰かと結婚し子を産まなければならない。既に研究で後世の魔法師の方が魔法力の点では次世代の方が優れているのが分かっているのだから28家の中でも最強に君臨する四葉の…既にレディーというべき亜夜子がその宿命から逃れる事は出来ない。
「理解していると思うけれど,亜夜子さんにもそういう時期が既に来ているわ。」
貴方の希望を叶えてはあげられないけれどと,言う真夜に悪気がないのは分かっているがそれでも辛いものは辛い。
今まで司波達也を恋焦がれてきたせいか,他の有象無象を愛せる自信がなかった。どうしても達也と比べてしまう。
「もちろん,貴方の思い通りの人とも言えない。婚約者は私が指名します。」
隣では文弥がいきなりの展開にオロオロしてしまっている。彼はそういう方面ではピュアなので亜夜子が誰かと結婚する事に少し動揺している。なぜなら体裁だけとは言え,相手の人物は自分の兄になるかもしれないのだ。
亜夜子は亜夜子で…こんな深夜にそんなこれからを左右するような展開に戸惑いしかないが,それを態度に出さず淡々と頷きつつも身体を強張らせた。
「とはいえ,今日はもうお疲れでしょうしその話はまたいずれしましょう」
意味ありげに笑ったおばの顔が…亜夜子にはやけに印象的だった。
翌日,焔矢はこの日も学校を休んでいた。彼の学校は芸術科高校に当てはまる音楽科高校であり,魔法科高校と同じく主要な科目は情報端末を使ったオンデマンド授業である。魔法科高校と違うのは,魔法科高校では主要科目の定期考査が無いのに対して普通に主要科目の定期考査がある。
だがこの時期は既に定期考査が終わった後なのもあり,後は音楽関係の実習によって成績が決まる。しかし,そもそも焔矢は既にプロ入りを果たしているし,完全記憶能力を持っているし,最悪精神世界にいる仲間達に力を借りれたりで今更高校のカリキュラム程度を1日2日休んだところで対して痛手ではなかった。
「感心しませんわね」
焔矢から出かけるという連絡を受け,2人でビルを出た亜夜子が街中に出るとため息交じりに言った。
何に感心していないのか…は,言うまでも無く学校をさぼっている事だろう。昨日に関して言えば大体亜夜子たちのせいなので何も思わないのだが,今日に関しては自主休講であるのでつい口から出たのだろう。
因みに今日の亜夜子は髪をリボンで結わえ,シックな黒のワンピースという少女らしさと大人らしさが上手く合わさったファッションだった。
「仕事だから仕方がない。テストも終わってるしちゃんと学生の本分はしているんだから良いだろ」
既に一度はバチバチに敵対行動をとった間柄か,それとも黒羽貢の娘という側面が焔矢にとって大きくなってしまったのか彼の態度は砕けたものになっていた。
亜夜子も一晩経ち落ち着いたのか,これまで焔矢と初めて会った時のような大人らしさはそのままに少し艶やかな動作が目立っていた。
「仕事って…自分で増やしたんじゃありませんか」
呆れたように言ってくる彼女に,事実その通りだから焔矢は眼を反らした。
朝になって大原からのメッセージが来て,内容としては焔矢の無茶に付き合うという旨が主な内容だった。
だけど,急な変更なのだからそれぞれライブの為に駆け回ってくれていた人達に直接説明しろという至極真っ当な事を言われて指定された時間にこうして向かっているのだ。
現在,2人は個別電車に乗り込みあとは最寄り駅に向かっている。
一応高校生の焔矢だが,背丈に関しては大学生にいても可笑しくないし亜夜子の妖艶とした美しさから大学生のカップルにしか見えなかったらしく補導される事は無かった。
「ていうか,あ…亜夜子だって大学良いのかよ。よくわからないけど,魔法大学って難しい事してそうだけど」
昨日は謎のテンションのまま亜夜子と呼び捨てにしていた焔矢だったが,一日経って冷静に考えると付き合ってもいない女性に対して呼び捨てすることを恥ずかしく思ったのか一瞬眼を伏せたのを亜夜子は見逃さなかった。
「あら,心配してくれてるの?」
ニヤ~っていう効果音が付きそうな程弄ぶかのような表情を見せた亜夜子は,計算つくされたようにあざとく焔矢を上目遣いで見た。
亜夜子の特徴的な赤い瞳は,しっかりと頬を赤くしていた焔矢を映していた。
「心配って言うか…後で単位落として俺のせいにされないかが不安なだけだ」
「ご心配には及びません,わたくしこれでも優等生なんですよ?」
実際亜夜子は大学での成績も優秀であり,1日2日自主休講した所でなんら支障がない。
しっかり答えを返された焔矢は少し罰が悪そうに外の景色に目を向けた。
そんな焔矢をからかおうかと思った亜夜子だが…静かに目を閉じた焔矢の意識が現実にないのを見ると寸前で止めた
「まったく」
自分を前にして,精神世界の仲間達に会いに行くなど女性の扱いとして減点だ。
…ただ,別に親しく話す間柄でもないので続く言葉を喉の奥でぐっとこらえ亜夜子も情報端末から達也から教えてもらった書籍サイトを見始めた。
今度の講義においてレポートを出されるであろう所の復習と,キーワードを確認する程度のものだ。
(私は…あなたの事をどう思っているのかな)
しかし,亜夜子の意識は書籍に向いていなかった。
その意識は隣で眼を閉じている焔矢に向いて…奇妙な関係に対して疑問が浮かんだ。
客観的に見るのなら,自分は焔矢の敵である。彼がどう思っているにせよ今自分は焔矢の生殺与奪の権を握り,事が終われば彼を連れて行かなければならない。
そうじゃないにしても焔矢にとって自分は仲間達の,そして両親の仇の娘だ。彼は復讐なんかに興味はないと言っていたが,それはイコール憎しみを持っていないという事にはならない。
現に焔矢は昨日,憎しみ自体は否定しなかった。殴ってもいいのなら殴ると言っていた。
彼にとって父は今でも憎しみの対象であり,亜夜子は憎しみの対象の娘…普通に考えて心中穏やかじゃない筈だ。
それなのに今の焔矢は前にも増して堂々としていて…自分に憎しみがあるのか分からなかった。
それが不気味であり,不思議な所だ。
だからだろうか,亜夜子自身も敵意自体を焔矢にはそれほど向けていない。寧ろ人間的な評価であれば亜夜子的には高評価な人間だ。
それなりに頭がよく,機転も利いて,安っぽい正義感もあって,唯一無二の魔法を使える。
(というか,あなたは厳密には魔法師なのよね)
魔法を使う事が出来る人間を魔法師と呼ぶので,BS魔法にあたるであろうが焔矢も魔法師であることには変わりはない。本人は仲間達がいないと使えないから自称しないが,魔法師であることには変わりない。
焔矢を魔法師として認めないのは魔法こそ全てが四葉位なものだ。
(あなたなら…少し楽しそうなんだけどね)
胸の中で,今日の夜中に話題として出た婚約者について考えを巡らせた。
いつかは来ると覚悟していたが,いざ来てみると自分は本当に達也とは結婚出来ないんだなと改めて現実を突きつけられた。達也とは違う人を夫として迎える。
既に覚悟して,諦めた事なのにそんなふうに思ってしまうなんて存外自分も諦めが悪いらしい。
しかし,その違う人というのが焔矢なら…多少楽しいんじゃないかと思った。
自分の裏の顔も既に知っていて,歳も自分より2つ下。亜夜子にとってもまだ焔矢は自分の素を出せる相手だった。
…まあ,真夜がこんな半魔法師のような人間を四葉に迎え入れるとは思えなかったのでない物ねだりだし,彼は最悪人体実験行きなのだが。
「大丈夫か?」
あり得ない考えに浸っていた亜夜子の耳に,心配気な声が聞こえてきてゆっくりと隣に向くといつの間にか仲間と何かを話し終えた焔矢が心配気に顔を向けていた。
その顔がまるで彼の飼い犬であるヨルみたいで亜夜子はクスっと妖艶に笑った
「ええ,少し考え事を」
「…一応聞いておくが物騒なことじゃないだろうな?」
「聞きたいですか?」
「いや,やめておく」
碌にならないような事を言いそうだったので先手を打つかのようにそう言うと,「あら残念」と全く残念に思っていなさそうな亜夜子を尻目に,個別電車はレーベルの最寄り駅と到着した。
2人は駅を出て,以前天王に襲われた公園を通っていく。
普通怖い体験をした場所であるので普通の精神状態ならば迂回するのが人の性かもしれなかったが,生憎2人にはそんな感傷を持ち合わせていなかった。
「というか亜夜子,いつまでついて来る気だ」
「事務所に入る時には姿を隠すのでご心配には及ばないわよ」
「それって事務所の中には入って来るって事なんだが…」
「ええそうですけれど,なにか?」
なにか?と言われても問題大有りなのだが…まあ,亜夜子の隠形の腕も知っているし下手はうたないだろうと信じて何も言うまいと開き直った。
その後は会話も特になく,2人はレーベルの事務所にまで辿り着いた。亜夜子は隠形によりその姿を認識されなくして2人は事務所に入って行く。
約束の5分前だったが,直ぐに大原は会ってくれるらしく焔矢は女性事務員によって会議室に案内された。亜夜子は事務員に姿を認識されず,何食わぬ顔で付いて行く。
会議室に通された焔矢は,その顔ぶれを見て一瞬足を止めてしまった。
亜夜子からしたらそんな大した人物達ではないのだが,ステージが戦場である焔矢にとってまさかこの変更の打診がここまで影響を与えているとは思わなかったのだ。
「まさか…皆さん集まってるとは」
いても焔矢的には大原を始め,ライブ演出を考えてくれるスタッフや音響の相談についてよく乗ってくれるスタッフくらいだろうと高を括っていた。
しかし,いたのはそれらのスタッフに加え衣装担当の女性スタッフやステージのモニターに映る映像を作ってくれている人達…凡そ今回のライブに関わる各部門のスタッフ達が集結していた。
「君のメールからはどこか切羽詰まったものがあったからね。」
亜夜子は一番奥,つまり上座に控えていた男が大原だと察した。彼は意外にがっしりとした体躯に,いい年の取り方をしていると察する事が出来る整った白髪,それにビッシリと高級なスーツを着て社会で揉まれた男というのを体現していた。
焔矢のメールだけで,これだけの人達を集めているという事はそれだけ焔矢の話に耳を傾ける気があるという事。それは焔矢に対しての期待そのものだった。
「切羽詰まったというか…まあ,切羽は詰まってますね。」
天王達に向けてのライブに変えると決めたのが昨日の夜,ライブまで残り2週間を切っているので急いでいるのは本当だった。
ただ,これから話す事は普通の人間なら到底信じられないような話…焔矢は予め頭の中で考えていた説明をする事にした。
「先ずは――」
焔矢は流ちょうに話し始めた,先ずは一昨日にあった自分のバンドメンバーの父親である天王亘から始まった出来事の話。
上手く自分が狙われた本当の理由,”魔法力増幅”という眉唾物の話を出さずに自分がバンドメンバー達の家族に狙われた事を話す。その情報には四葉の人間がかかわった事も上手く誤魔化しており,話の中身には既に大亜連合の魔法師の話も出さない事で天王達の暴走のようにすり替えられていた。
そもそも魔法師が相手ならば焔矢が無傷でここにいる事の方が違和感に繋がり,四葉の事も話さないといけなくなる。余計な混乱を避ける為,本当の話5割,嘘5割を混ぜて話す事にしたのだ。
「なぜ昨日の段階で知らせなかった?」
大原の鋭い眼光が焔矢に突き刺さる。それは当然であり,既に焔矢はレーベルの一員でありもしも彼に何かあれば彼の予定が全てぱあとなる。
そうじゃなくとも大原は焔矢に絶大な期待を賭けている為,命の危険があった出来事を1日遅れで報告してきた事を問い詰めるのは至極当然だった。
しかし,焔矢はそれに臆することなく理由を告げた。
「彼らの説得に時間がかかったからです。俺の仲間が…死んだことに変わりはありません。それでもあの人達が一番身近にあいつらを感じる事が出来ないのなら俺が音楽を通じて彼らの眼を覚まさせるしかない。」
本当は昨日の昼間は貢に気絶させられていたし別に焔矢が天王達を説得なんてした訳でもないが,調べられる訳でもないし仮に調べられるとしても四葉の情報操作が既に入っているので彼らに真実を知ることはできない。
それに,焔矢の述べた理由も強ち嘘ではない。焔矢は音楽を通じて,彼らの息子達が選んだ道を見せてあげたかった。
「その為のセトリや演出の変更か。だが音羽,それがどれだけ大変なのか分かっているのか?」
大原に与えられている情報では,未だに天王達は焔矢をよく思っていないと思われる。彼らの曇った眼を,”焔矢”だけが晴らす事は相当至難の業だと思っているのだ。
実際それは間違っていない。音羽焔矢だけなら出来ないだろう。焔矢の中に息子達がいると分かっていても,彼らにとっての息子たちは間違いなく死んでいるのだから。
だが…焔矢は1人ではない。それは精神的というだけじゃなく,物理的にも同じ事だった。
「分かっています。だけど…これは
「俺達…?何を言っているんだ君は」
一見して意味の分からない焔矢の言葉に,大原だけでなく他のスタッフからも戸惑いの眼が送られる。しかし焔矢はそれについては一言も言及せずスタジオに移動するように言う。
なぜ?という意見が多い中,古谷が席を立つとトップに釣られるように他のスタッフ達も立ち上がる。
(あれを使うなんてね)
その後を一言も発する事せず,亜夜子が付いて行くとスタジオに入ると総勢約10人のスタッフがスタジオの真ん中に立ってどこからか持って来たマイクを握っているのを見つめていた。
「音羽,いつもの楽器はどうした?」
焔矢がスタジオに案内した時点で既にスタジオに楽器を置いているのかと思ったが,何もないのを見て大原が問いかける。焔矢は不敵な笑みを浮かべつつ,精神を統一する為に瞳を閉じた。
「最初に皆さんに謝らないといけません。俺は…魔法を使えない訳じゃありません」
その言葉に案内されたスタッフ達はどよめきを起こす。
焔矢は魔法が使えないと聞いていたし,今の時代魔法を使える人間の方が少ないのだからそれ自体はなんも可笑しい事ではなかった。だが問題なのは焔矢がそれを隠していた事であり…それを何故このタイミングで言うのかが全く分からなかった。
質問しようとする男性スタッフを,大原は手を出す事で押しとどめ眼で焔矢に続きを促した。
「この魔法は,俺があいつらを失った同時に得た…音羽焔矢に許された唯一の魔法…冥界と現世を繋ぎとめる,俺達の焔が生み出した1つの奇跡」
瞬間,昨日と同じようにカっと眼を見開いた焔矢を中心に想子の嵐が吹き荒れ…スタジオを真っ白に染めた
たったの1曲,されど凄まじいインパクトを誇る1曲を歌い終えた焔矢は開いた口が塞がらない大原達を見た。
彼らは例外なく,そのサウンドに飲み込まれ目の前で起こった事が何なのかを理解している者はいなかった。
ただ”感じた”のだ,音羽焔矢の音楽は…これまでの音楽とは全く違うものだと,それはもう革命的と言っても過言ではなかった。
実際,それが
「これが,俺達の
たったの1曲,しかし焔矢は彼らの情報体を維持するという役目もあったため見た目以上に疲弊はしているが…それでも大原達の答えを待つことにした。
因みにだが,亜夜子もこの時フリーズしていた。予め聞いていたのとはいえ,その圧倒的な音の重圧はこれまで音楽というものに触れてこなかった亜夜子ですら言葉に出来ない存在感を残していた。
そしてフリーズしていた中から一早く復活したのはやはり大原だった。
「な…何をやってるお前ら!今すぐ次回のライブのプランを全部変更するぞ!ぼさっとするな!」
興奮を抑えきれないように,もはや怒号に近い叫びを後ろで控えていたスタッフ達に繰り出した。古谷の怒号に触発されたかのように,スタッフ達が一斉に動き始めた。
その俊敏さはもう少し唖然されるかなと思っていた焔矢も呆気にとられた程だった。
「音羽,聞きたい事は山ほどあるが今日は1日全て貰うぞ」
普通逆説付いているなら家に帰すんじゃないかなと苦笑いしながら焔矢はそれを承諾し,それを影で見ていた亜夜子は1つの疑問を持った。
それは…
(1日って…1日?)
1日…長時間,自分は話す事も出来ず身を潜めないといけないのかと焔矢に抗議の眼を向けたが焔矢は不幸にもその視線に気が付くことなく…2人がレーベルを出たのは夜の21時を過ぎてからだった。
実に8時間レーベルの事務所に籠っていた事になる。飲まず食わずに焔矢と大原達とのライブについての会議を永遠と見せられた亜夜子の機嫌はすこぶる悪くなっていた。
「はぁ!」
不機嫌さを隠そうともしない大きなため息が亜夜子から漏れる。公園に入ったあたりから隠形を解いた亜夜子の隣に並んでいる焔矢が何故亜夜子が不機嫌なのかが分からず戸惑ったように問いかけた。
「あ,亜夜子…何か凄い機嫌悪いけど…」
どうしたの?と続けようとした時,亜夜子が睨みつけてきてその迫力は正直昨日ヒールを演じていた彼女よりも強く焔矢はたじたじになってしまった。
「時間がかかるのなら,最初から言うべきではなくて?」
その言葉でようやく亜夜子があの場にずっといたのだと知って焔矢は「えぇ」と困惑する。
因みに,焔矢は亜夜子の存在をずっと感知していた訳ではない。焔矢に亜夜子は見つけやすい体質だと言っても,亜夜子の隠形は以前のように探そうと思わないと探せないレベルであるので事務所の中で焔矢は彼女の存在を認識していなかった。
だから焔矢にしてみれば勝手に監視の為に息の気を遣うほどの場所で8時間近く待っていたのは亜夜子の都合であり,自分の知った事ではないというのが紛れもない本心だった。
しかしそれは火に油を注ぐ結果になってしまう事はいくら焔矢でも理解出来たため,それとなく意見を言う事にした。
「いやでも,本当は何日もかけて打ち合わせするライブの事をたったの1日で纏めてくれたんだから時間は仕方がないというか」
ついでに言うなら,1日で済ましたのは焔矢の練習時間や学校との兼ね合いもある。
「…分かってるわよ」
亜夜子も子供ではない。黒羽の次期当主になる文弥の補佐として,文弥以上に大人が何たるかを理解し演じる事が出来る彼女にとってこれが我儘なのは分かり切っている事だった。
それでも今まで焔矢のような人間に会った事なく,”四葉”だと聞いても恐れも抱かない彼に対してそれなりに心を許しているからこその不機嫌さだった。
そんな子供っぽい所を垣間見た焔矢は知らず知らずの内に小さな笑みを浮かべた。
「ただ,遅くなったのは事実だし…どこか食べてから帰ろうか」
その笑みを悟られないように――もう悟られているが――話題を変えた。
亜夜子は焔矢の方を仰ぎ見るようにして微笑を浮かべた。その瞳の奥に蠱惑的な光が宿っている。
彼の思いがけない提案にいたずら心が芽生えたのだ。
「それはデートのお誘い?」
この問に亜夜子はからかい以上の意味を持ち合わせていなかった。
自分を放っておいてずっと事務所に籠っていた焔矢に対する八つ当たりのようなものだ。彼が赤面して恥ずかしがるところを見て恥をかかせたいというのが大きな理由である。
「そうだけど?」
だから…まさかそんなカウンターが飛び出てくるとは思わず,ドキリとしながら焔矢を見上げる。彼は彼で確かに少し頬を赤くして恥ずかしがっているけれどダメージは亜夜子の方がずっと高かった。
(私…今,嬉しいって思った?)
なぜなら,焔矢の言葉を聞いて不覚にも心臓を高鳴らせ”嬉しい”と思ってしまった事を感じたからだ。
魔法大学の”姫”として,その大人らしい容姿に加え男ウケするあざとさがある亜夜子は男子学生を引き連れる事が多い。
逆に言えば,男性から受ける扱いには慣れ過ぎている。
大学に行く前からも男性からの扱いはまさに姫かアイドルかのようなものだったのだが,幾千の男子生徒相手にデートの誘いを受けても”嬉しい”なんて感情は芽生えなかった。達也以外には。
「亜夜子?」
少し固まってしまった亜夜子に焔矢が訝し気に顔を覗き込んでくる。
彼の金色の瞳は獅子を思い浮かばせるほど獰猛でありながら,隠し切れない優しさが垣間見える。
その眼を見て現実に復帰した亜夜子は少し横に頭を振って,その間に余裕を取り戻した。
「いえ…そうね,どこかで食べに行きましょうか」
そして,焔矢のデートの誘いを受けたような答えを返してしまった。その事に一瞬焔矢は嬉しそうにしたが,彼女の小悪魔的な性格を思い出したのか少し身構える。
焔矢の身体が強張ったのを見た亜夜子は,いたずら心に火が付き…
「こんな美女とディナーに行けるなんて,焔矢さんも運がいいですわね」
「美女って…」
クスりと笑いながら言う亜夜子は酷く煽情的で,挑発されているのにそれよりも彼女の容姿の良さにやられる男が多いんだろうなと焔矢は片隅で思った。
焔矢的には自分で自分の事を美女と言うのかという呆れた気持ちがあるのだが…彼女が美女というのは客観的な事実であるので返す言葉が無かった。
「そうだな,運が良い」
だから敢えて揶揄するように言うと,ムッとした表情で見返す亜夜子。
普段から弟をからかう事が多いせいか,自分がからかわれることに耐性がない…というより焔矢にからかわれたくないと思った亜夜子は次の瞬間,彼の腕に自分の腕を巻き付けた
「ちょ,亜夜子?!」
流石にこの行動は予想できなかったのか,焔矢が慌てて彼女を離そうとするが亜夜子の方が力強く彼女はあざとく笑った。
「どうしたのでしょう?わたくしはただ”デート”,してるだけですよ?」
本当は焔矢が焦っている理由も分かっているはずなのに,小悪魔の様に微笑む彼女にドキリとした焔矢は…徐々に抵抗が無駄だと悟ったのかそれとも他の理由からか,諦めたように亜夜子の歩幅に合わせて歩き始めた。
傍から見たら2人はカップルにしか見えないのだが,そうじゃないという何とも微妙な絵である。
亜夜子は焔矢に店のチョイスを任せた。
因みに焔矢は落ち着いているように見えて結構パ二くってる。彼女が腕を巻き付けて来ただけでも初めての経験なのに,彼女は自称していた通り美女…それも,他人を陥落させる事が得意そうな悪女のような面が強いのに…腕は年相応に細くしなやかで,どこか甘美さえも感じる程美しい。
それに彼女の肌も触り心地がよく,繊細な感触が伝わってきて…極めつけは腕を絡めたせいか彼女の胸に腕が当たってしまっている事だった。
今はせいぜい自分気にしていませんよ?という態度を取るのに必死だった。
一方亜夜子は亜夜子で内心ほくそ笑んでいた。諜報・工作任務の他に亜夜子に任せられるのは交渉…四葉真夜の代理人として様々な大物とネゴシエーションを行ってきた亜夜子の前には所詮焔矢も子供,亜夜子に心の内を隠そうだなんて100年早い。
…このやり取りが,真夜が指名する婚約者に対しての意味も無いあてつけだと,分かってはいるけれど。
2人はその後,無言で歩みを進め焔矢がお店を選ぶことになったのだが…
「…信じられません」
少し今の時代には珍しい下町に焔矢が目指すお店はあった。都会とは雰囲気も違う場所で,別に焔矢がフレンチとかに行く事を期待していた訳でもないけどもう少しおしゃれなお店に行くのかと思ったら…
「なぜラーメンなのですか?!」
そう,焔矢が連れて来た場所は老舗のラーメン屋…都会のサラリーマンの為に深夜まで営業している地元の人間達に愛されているようなラーメン屋だった。
時刻は既に21:30,この時間帯なら寧ろ夜食になるのだが亜夜子には焔矢のチョイスが信じられなかった。
「任せたのは亜夜子だろ…」
どうやら相当楽しみにしていたらしく出鼻をくじかれたように眼を細めると
「こんな時間で女性にラーメンを食べさせようとするなんて信じられません!」
亜夜子の中で焔矢の高くも低くも無かった評価が一気に下落した。亜夜子は亜夜子なりに焔矢をそれなりに女性の扱いが出来ていると思っているからこそ晩御飯を任せたのに,よもやラーメンにされるとは思っていなかったのである。
念の為言っておくが2人はまだ腕を組んだままである。
「じゃあ勝手に帰ればいいだろ,今更他の所に行こうとは思わない。」
そう言って腕を解こうとするが,亜夜子が力を込めて振りほどけず呆れたような目線を亜夜子に向ける。
「…仕方がありませんわね,今回だけですよ」
だが亜夜子も帰ってから晩御飯をするにも準備に時間がかかるし,そもそも焔矢の監視任務は続行中なのだから彼と食の好みが合わなくても「じゃあ帰る」と言えないのが辛い所。
なので亜夜子は自分から降りたように見せる事で彼に貸しを作ることにした。
亜夜子の受諾の仕方に一瞬眉間を寄せた焔矢だったが,直ぐに気を取り直すと2人はそのまま店の中に入って行った。
2人の様子は何も知らない人から見たらカップルであり,お店の中にいるのは男性が多かったので一瞬で焔矢に嫉妬と「リア充爆発しろ」という視線が注がれたが2人は気にするまでも無くテーブルに通された。
因みにだが,亜夜子は昔ながらの看板にでかでかと書かれていた「元祖ラーメン!!」と書かれていたのに目を奪われ,看板の全貌を見ていなかったのだが,看板に正しくはこう書かれていた。
「鬼のような激辛!元祖ラーメン!」と…巷でそこは有名な激辛なラーメン店であるのだが普通に意味がよく分からない看板である。何故ならその元祖ラーメンの前に書かれた文面は長く同じ看板を使っているが文字が掠れていて暗い場所から見ると本当に書いているのか分からないのである。
そもそも普通「激辛ラーメン」って描くだろと誰かが言うような気がするが,これにはこのお店の苦難の歴史を語らなければならないので今はそっとしておこう。
この店は現代のラーメン業界ではそこそこ名が通ったお店であり,その称号は「日本一辛いラーメン」である。
ここまで長く語ったがつまり,何が言いたいのかというと…
「~~~っ???!」
静かな下町に響く女性の声にならない悲鳴が,夜の街に轟き…数十分後,灰になった美しい女性が男の腕に抱かれながら店を後にしたという
お疲れさまでした!
亜夜子,激辛ラーメンの前に敗北()。多分泣いてる。
辛い物好きとかいうボーカリストとは思えない好物している焔矢君。
看板の下りは無理やりに見えるかもしれませんが,亜夜子は8時間近く焔矢の監視のため音を立てず,永遠と会議の光景を見せつけられたせいで少し集中力が欠いていたということお願いします。
焔矢は亜夜子の本性を知った事で却って付き合いやすくなってます。気兼ねないとも言い換えれますね。
一目ぼれしたが故か,恐ろしさは確かに感じていますが亜夜子の見せる人並みの感情や反応に”同じ人間”なんだなと安心しています。つまり焔矢にとって四葉の人間はUMAみたいなものだったのが身近な存在になっているのです。
反対に亜夜子は自分の感情が分からず,八つ当たり気味にデートと言う単語を使ったりからかって自分が主導権を握ようとする事で安心しようとしてます。
次回は明日のこの時間です。ではでは
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達也&焔矢(UBW強化話?)
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空澤&焔矢(亜夜子についてあれこれ話す)
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貢&焔矢(修羅場)