私と君のアーカイブ 作:自産自消
答えは10年後(※)
「────アリスは、先生のことが好きです」
ある日、いつになく真面目な顔をしたアリスからそう言われて、私は言葉に詰まった。
“……本気だったの?”
辛うじて問いになってないような問いが口から漏れた。
分かっていたことだった。アリスの自分へのじゃれ方が、いつの間にか少し煽情的なものになっていたことなんて。
どこで勉強をしてきたのか知らない。おそらくゲーム開発部の部室の中に積まれているノベルゲーから学んだのだろう。さりげないと言うにしてはあまりに稚拙な、しかしあまりに懸命なボディタッチがここ数ヶ月の間で多くなってきていた。
「本気です、最初から」
自分を見上げるアリスの目が潤んでいる。制服のボタンを握りしめた手は、込められた力のあまりにブルブルと小刻みに震えている。その仕草は、アリスが精一杯の勇気を振り絞って今この場に立っていることを十二分に指し示すものだった。
「先生のことが好きなんです。だから……その……私と……付き合って…………」
このキヴォトスに来てから分かったことだが、私はどうやら生徒たちから少なからず好意を寄せられているらしい。自分のしてきたこと……そこらのホスト顔負けレベルで多感な時期の生徒たちの面倒を見ていたことから考えるとそれはそうだと思った。そして好意を寄せられていることを自覚するたび、その生徒とは「先生と生徒」の関係を強調したり、それとなく距離を離して依存心を解消させようとしていた。
ただ、こうして生徒から直接的な好意を告白されるのは初めてのことだった。しかもその相手が、まさかアリスだとは。
アリスは精神的に幼いところがある。プレイしたゲームに影響されてセリフを真似してみたりするのはいつものことだ。今回の告白だって、いつもの調子だったら「恋愛ゲームでもやったんだろうな」と思っていたに違いない。
だが、それはダメだ。そんな顔で、そんな声の調子で言われてしまったら、彼女は本気で言っているんだと思わざるを得ない。
もしここでおざなりな対応をしてしまえば、アリスの心に大きな傷をつけてしまうことは必定だった。そんなことは先生として、大人として許されない。
“…………ねえ、アリス”
片膝をついてアリスの目線に合わせ、微笑を顔に浮かべる。いつも生徒の前で浮かべているそれとは比べるまでもなくぎこちないものだが、そうでもしないとおかしくなってしまいそうだった。
“アリスは今までどんなゲームをやってきた?”
一言一言、噛み締めるように、慎重に言葉を選ぶ。ゲームのようにやり直しはきかない。
“ゲーム開発部で作ったゲームもやってきたよね”
“ゲームセンターの格ゲーなんかもネルとやってたよね”
“アリスはきっと、人より多くのゲームに慣れ親しんできたと思うんだ”
“そしてその中には……たとえば、恋愛ゲームとかもあったんだろうね”
「……何の話をしてるんですか」
アリスの呼吸が早くなる。今にも溢れ出しそうな彼女の眼を見つめているとつい顔を背けたくなる。だから必死に眼を合わせる。背けてしまったら、そのまま一気にアリスから逃げてしまいそうだった。
「私は、本当に先生のことが好きなんです。ゲームから得た感情ではないと……」
“きっとそれは本当なんだろうね。それは嬉しいよ”
“でも、アリス。世の中にはいろんなゲームがあるんだ”
ゲームのたとえだったら、アリスはきっと分かってくれる。アリスはゲームが大好きだから。
“ホラーゲーム、戦略シミュレーション、スポーツゲーム、ローグライク……アリスの知らない名作ゲームはまだ世界にたくさんあるんだ”
“それは人間にだって同じことが言える。キヴォトスの外には、私以外にもたくさんの『大人』がいる”
一言一句がとても重い。そんな泣き出してしまいそうな顔をしないでくれ。
「……先生が一番です。私の中ではずっと」
“アリス。それは、アリスが外の世界を知らないからだよ”
アリスに限った話ではない。キヴォトスの生徒たちは外の世界を知らない。その強い感情は雛の刷り込みに近いものだ。
その感情に流されていたら、きっとアリスは後悔する。冷静になって考える時間を与えてやりたかった。
“学校を卒業した後、アリスはいろんな経験をするだろう。いろんな人と話して、いろんな人といろんな関係を持って、いろんな感情を抱くだろう”
“今ここで、『私しかいない!』って自分の感情を決めつけるのは、早計すぎるんじゃないかな”
「……私が、子供だからですか?」
ひくっ、とアリスの喉が鳴る音が聞こえた。ひっくひっく、とその音は頻度を増していく。
「子供だから、生徒だから……先生は付き合ってくれないんですか?」
ああ、アリス。恋愛ゲームだと大抵は告白シーンで終わるものだろう。だけど人生は違うんだよ。その後も続くんだ。
“まあ、そういうことになるね”
平坦な口調を取り繕う。どうしたって自分が生徒を傷つけることになると思うと、自己嫌悪で死にたくなった。
“私はどこまで行っても『先生』だから。生徒の可能性を縮めるようなことはしたくないんだ”
“この答えは、生徒の誰に告白されたとしても同じだよ。アリスが特別な生徒だからってわけじゃない”
“私は、生徒とは恋愛関係は持たない。ごめんね”
言い切ると同時に、アリスの眼からポロポロと涙が溢れ始めた。言葉を紡ぐにつれてどんどん表情が曇っていたのはきっと、色良い返事を貰えないことを分かっていたからだろう。
「…………ぅ、っく。ぅ、うぇ、ううぅ……!」
「あ、ありがとう、ござい、ました……ごめんなさい、ごめんなさい、先生……」
アリスは優しい。何でと詰め寄ることもなく、追い縋るでもなく、私の言葉を受け入れようとしてくれる。
そんな子の好意を、100%無碍にすることはできなかった。
“…………ただ、アリス”
「…………?」
“今ここでアリスの告白を断る理由は、アリスがまだ外の世界を知らないからだ”
もう一度、噛み含めるように言い聞かせる。決して、君が嫌いなわけじゃないんだよ、アリス。
“いつかアリスが大人になって、いろんなものを見て、学んで……いろんな人といろんな関係を持って”
“それでもなお私のことが好きだという気持ちが変わらなかったら、私にもう一度告白してほしいな”
“その時は、私も1人の男として、アリスの気持ちに答えようと思う。もちろん、その時は断るかもしれないけどね”
大きくなれ、アリス。そうしたら、一対一で対等に話すことができる。今君に必要なのは冷静になり、成長するための時間だ。
“私もちゃんとアリスのことを考えて、自分のことも考えて……こんな中途半端な答えじゃなくって、ちゃんとアリスと向き合った上で応えるよ”
“期間は……10年だ。その間、私は結婚したり誰かと付き合ったりしないと約束する”
“アリスが私以上に好きになれる人を見つけるか、10年後にいろんなことを知ったアリスが、『それでも』って私にもう一度告白してくるまではね”
“待てるかな?”
だから、泣かないで。アリスには笑っててほしいんだ。
「待っててくれるのは……先生が、アリスのことを好きだからですか?」
“好きだよ。1人の生徒としてね”
そりゃあアリスは時々生意気なことだって言う。ナチュラルに私のことを下に見ることなんてしょっちゅうだ。
だけど、それでも、私の愛すべき生徒の1人だ。ならば私は先生として、彼女に真っ正面から向き合うべきだろう。
“私は生徒みんなの味方だよ。もちろんアリスの味方でもある”
「……先生は、アリスのことを信じてくれるんですね」
“信じるよ。きっと、自分で考えて答えを出してくれるって”
泣き腫らした眼は赤く染まっているが、涙はもう止んでいた。制服の袖で眼をぐしぐしと拭って、震える声でアリスは言い出した。
「……アリスは、世界を救いました。アトラ・ハシースの箱舟の時もそうですし、ゲームでもそうです。奴隷になっても、石像になっても、諦めなかった勇者だっていたんです」
だから待てると、眼に強い輝きを宿す。それはもう幼子ではなく、恋に燃える1人の女の子の姿だった。
「……わかりました。10年、待ちます。10年、アリスは社会のいろんな人をラーニングします。そして、この気持ちにちゃんとした答えを出します!」
あれほどの速さでゲームの何たるかを学んだアリスだ。きっと、社会に出ても大丈夫だ。
「それまで、待っててください! アリスは先生のこと、諦めません!」
“うん、アリスならきっと、自分の納得する答えを出せるよ”
申し訳なさを少しと、精一杯のエールを乗せて言祝ぐ。
“応援してるね。……頑張れ”
「はい! アリスは頑張ります!」
◇
────10年後。
あの後、アリスからのアプローチはなくなった。まるで何事もなかったかのように、アリスはゲーム開発部の活動に参加し続け……そして、無事に卒業した。
アリスは社会に出て、ゲーム会社に入った。名うてのプログラマーとして、入社数年で会社のエースになったらしい。大したことはしてないながらも誇らしくなってしまう。
私とアリスの関係は、アリスが社会に出た後も続いている。前よりも希薄な関係ではあるが……たまに会ってカフェで話をしたり、1日にゲームをしたり、そのくらいだ。迫られたりとか襲われたりとか、そういうことは一切なかった。
そして、今日はまだ生徒だった頃のアリスから本気で告白された日から、ちょうど10年。
モモトークでアリスから「ちょっとお時間いただけますか?」と連絡が来たから、見晴らしのいい展望台で夜景を見ながら待ち合わせをしている。
ちょうどいい温度の夜風に吹かれていると、後ろからトントンと足音が聞こえてきた。
「────先生」
“…………アリス”
振り返ると、カジュアルながらも綺麗に着飾ったアリスがいた。
“社会には、どんな人がいた?”
「はい。いろんな人がいました。優しい人がいて、かっこいい人がいて……厳しい人がいて、怖い人がいて、かっこ悪い人がいました」
まるでシャーレにいる時の先生みたいに、と悪戯っぽく彼女が笑って付け加えたので苦笑する。かっこ悪いと言われてしまったが、事実なので仕方がない。
「先生の仰っていた通りでした。世の中には、いろんな人がいるんですね。何も知りませんでした」
“そうか。ちゃんと、いろんな人と関わりを持てたんだね。よかった”
実のところ、心配はあまりしていなかった。そこそこ社交的で後輩気質なアリスは、きっと概ねの人から愛されるだろうと思っていたから。
“さあ……君の答えを聞こうか、アリス”
「……先生は、私の一番好きなゲームは何だと思いますか?」
質問に質問で返されてしまった。どうにもペースが握れない。私も緊張しているのか。
……アリスの、一番好きなゲーム。思い当たるものが一つあった。それは、アリスが最初に強く影響を受けたゲーム。ゲーム開発部の輝かしき思い出。
“テイルズ・サガ・クロニクル”
「さすがですね。アリスはあのゲームが今でも大好きです。後から思い返してみると確かにクソゲーでしたけど、それでも……アリスは、今のアリスを作ってくれたあのゲームが大好きです」
アリスが思い出を懐かしむように目を細める。昔の天真爛漫な色を備えつつも大人の色気も持っている、そんな無自覚ながらに洗練された表情だ。
「いろんな人がいろんな恋愛をしてました。そしてアリスは……いいえ、私は気付きました。恋愛とはきっとナンバーワンではなく、オンリーワンを探すものなんだって」
“……アリスにとってのオンリーワンは、見つかった?”
ニコリと笑いながら、当然ですと返される。
「オンリーワンのゲームは、さっき言った通りです。……私にとってのオンリーワンの人は、今もまだ先生です」
「先生。私、先生のことが好きです」
アクアマリンの眼に見つめ返される。背は低いながらも、あの時よりも少し大きくなっている気がした。
「私は……いろんな男の人から告白されました。でも、ずっと断ってきました」
「……先生、これはゲームからの借り物の感情ではありません。借り物の言葉ではありません。本当に、私自身の感情です。受け止めてくださいますか?」
10年間かけた考えなら、きっとそれは借り物じゃないはずだ。ここに来た時から、受け止める覚悟はできている。大人として、人間として、私は彼女の想いを受け止める。
“うん、聞かせてほしいな。アリスの口から、アリスの言葉を”
「ありがとうございます。……私は」
いつの間にか、アリスの一人称が変わっているのに気付いた。
「…………私は、先生と……いいえ、〇〇さんと一緒に、幸せになりたいです」
「〇〇さんのそばで、生きていたいと思っています。〇〇さんのことを、今以上に幸せにしたいと思っています」
「だから、不束者ですが……私と、付き合ってください! お願いします!」
アリスが頭を下げる。ポニーテールにまとめた髪が、勢いのままに前に垂れた。
“…………そうか。アリスの答えは、そうなったんだね”
“10年間、アリスなりに考えて、そうしてその答えに行き着いたんだね”
「はい、これが私の答えです」
“うん、分かってる。顔を上げて、アリス。顔を見ながら話がしたいな”
アリスの顔は、告白されたあの日よりも赤く染まっていた。この答えを出すまでにどれだけの葛藤を経たのか、どれだけの勇気を持ってここに来たのか、考えるだけで泣きそうになった。
“わかった。じゃあ、私も1人の男として、アリスに応えるよ”
“そうだね、私は────”
◇
先生がどんな決断をしたのかは、皆さんのご想像のままに。
今この時は「先生と生徒」ではなく、「男と女」「人間と人間」として、先生はアリスに答えを返すでしょう。
皆さんならどんな答えを返しますか?
新題:アリスが先生に告白する話