私と君のアーカイブ   作:自産自消

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イロハが先生の思い出話に付き合う話

 先生がある日、キヴォトスから消えた。

 そしてその次の日の朝、お土産を抱えてキヴォトスに帰ってきた。

 

“あれ、言ってなかったっけ? 同窓会に呼ばれてさ”

 

 そう何の気もなしにのほほんと笑う先生の姿を見て、少しイラッとした。事前に伝わっていたとはいえ、私たちの知らない外の世界に帰って行った先生を心配していたこっちの気も知らないで、随分と呑気なことだ。

 

「まあ、言われてましたけど。同窓会って?」

“小学校の頃の同級生と会う集まりだよ”

 

 手渡された土産の中身は、随分と古臭そうな菓子折りだった。お煎餅だと先生は言う。

 

「会って何かするんですか? そんな昔の知り合いと会って」

“一緒にお酒飲んだり、ご飯食べたり……現況を聞いたりね”

「へぇー……?」

 

 先生はこのキヴォトスであまりお酒を飲まない。真夜中に何か起こる可能性もあるし、その場合にアルコールによって判断能力が低下した状況で指揮を執るわけにはいかないからだ。「第一、生徒のいる場所で飲酒していたら悪影響になっちゃうでしょ?」とは先生の弁である。

 

「そんな昔の知り合いと会って心を潤すって、なかなか寂しいですね」

“えー、楽しいのに……”

 

 残念そうな顔をされる。本当に楽しかったのだろう。

 かつて別れた友達。子供の頃の輝かしい思い出。それらに浸りたての先生には少しきつい揶揄だったか。少し反省だ。

 

「で、どんなことを話したんですか?」

“大したことは話してないよ? ああ、私が先生やってるって言ったらみんな驚いてたな”

 

 先生の目は私を見ているようだが、実情は違う。私の後ろの遥か遠く、もうおそらくは会う機会のないだろう誰かを見つめているのだ。それが気に入らなかった。

 

“小学校の頃の私はお世辞にも出来がいい生徒じゃなくってさ”

「そうだったんですか? それは勉強ができないとか、そういう意味で?」

“それもあるし、何よりやんちゃだったんだよ。授業中に騒いだりとか”

 

 それはキヴォトスでは日常茶飯事だ、と思った。だけどそれはあくまでキヴォトス内での話であり、先生のいた外の世界では大人しく授業を受けるような子が大半なのだろう。

 

“九九ってあるじゃん?”

「それいつの話ですか? 九九って基本中の基本じゃないですか」

“私が習ったのは、確か小学2年生の時だったかな”

 

 小2というとまだ物事の判断もつかない歳じゃないか。何ならイブキよりも年下である。

 

“九九のテストって分かる? 暗記したのを先生の前ですらすら言えたら満点貰うんだよ。どこかでつっかえたらやり直し”

「うわ……」

“満点貰った人から一抜けで自習タイムに入るんだけどさ。私は何回も間違えちゃってね”

「うわぁー…………」

“結局、最後にクラスで満点貰ったのは私なのでした。ちゃんちゃん”

 

 おどけたように先生は言うが、その記憶はさぞかし屈辱だっただろう。当時の幼き先生に同情してしまう。

 戦車長という役割上自分は数学ができなければいけない立場だった。着弾距離を算出するために、複雑な方程式の問題がパッと解けなくてはいけないのだ。だから候補に挙がった頃は死ぬ気で高等数学を頭に叩き込んだものだ。

 そんなごく当然に求められることができず、夜な夜な枕を涙で濡らしたことが私もある。「できない」ということは、子供にとって大きなストレスになり得るのだ。

 

“それ以来勉強が苦手になっちゃってさ”

「それはまあ、そうでしょうね」

“で、勉強しないんだったら授業中暇じゃん? だから友達に話しかけたりするんだよ”

「あー……ダメですね」

“授業をまともに聴かないから点数が下がる。点数が下がると学校が面白くなくなる……”

 

 若き先生の挫折である。そうして問題児のできあがりというわけか。

 スケバンという学園生活からの落伍者を日々目にしている自分からすると、彼女たちもこういった経緯で生まれてしまったのかと思ってしまう。だからと言って私ができることは何もないのだけれども。

 

“あの頃は本当、楽しくなかったな……友達と会えるのは楽しかったけど”

「あー、友達。昨日会ってきた?」

“そう。今振り返ると、何だかんだ言ってあの頃が一番無邪気に遊べたかもな”

 

 そうして先生は、机の上に置いていたお土産の煎餅の包みをビリビリと開ける。出てきたのは深緑に茶色に黒……思った通り、地味な色の煎餅が盛り沢山だ。

 これはシャーレに遊びに来た生徒用のものらしい。今自分が手に持っている煎餅は当番の生徒用のものだ。向こう2週間分は買っているというが、先生の財布は大丈夫なのだろうか。

 

“かわいいお土産じゃなくってごめんね”

「大丈夫です、私お煎餅好きなので。今度サボる時にいただきます」

“あ、そう? 嬉しいな”

「安心するんですよね、ああいうお菓子。ジャンクなのもいいですけど」

 

 世辞ではない。こういったお菓子を茶請けにするとこれがまた落ち着くのだ。

 市販の煎餅にインスタントのお茶という組み合わせでさえ美味しいと思えるのだから、こんないかにもよさげなお煎餅にお高い玉露なんて合わせてしまった日には、どんなに心が安らぐのだろうか。想像するだけで心が湧きたつ。

 

“いやー、買ってよかったよ。おすすめに素直に従っておいてよかった”

「え? おすすめ?」

“昔好きだった子がちょうど和菓子屋さんでさ”

 

 ピシリと、表情筋が固まる感覚がした。先生はそんな私を気にも留めずに、懐かしむように昨日のことを語る。

 

「……会ってきたんですか」

“うん、ずっと同級生でさ。お店が思った以上に繁盛しててさ、時間に余裕持ってお昼のうちに行っておいてよかったなって”

「へぇ…………」

 

 実家のお店をずっと覚えていて? 店の商品をおすすめされるほどに仲良くて? それでこのお煎餅を買った?

 …………なるほど。それはそれは、何とも暖かそうな思い出だ。

 

「その子、どんな子だったんですか? どんな大人になってたんですか? 失恋したんですか?」

“う、うん? 訊きたいの?”

「JKというものは他人の恋バナには敏感なんですよ」

 

 もっと正確に言うならば「先生の過去の恋バナには」だが、そんなことはどうでもいい。

 今はまず目の前の大人を問い質さねばいけない。そうしないと何事も始まらない。焦る気持ちを抑えつけながら、私は先生に叫ぶように問いを投げかけた。

 

「で、どうだったんですか? 先生の恋路について。教えてくださいよ、ほら」

“いや、そんなに面白い話じゃないよ? 好きだったけど、何も言えないままに卒業して離れ離れになったっていう”

「ふーん?」

“好きになった理由も、「可愛かったから」とかそんなのだったし……”

 

 なるほど、確かに聞いてみればつまらない、ごくありきたりな子供の恋愛だ。

 

「昔の先生は面食いだったんですねぇ」

“昔と言ってもまだ子供の時だよ!? 今は違うからね!?”

「そうですかそうですか、まあその点に関しては深く聞きませんけど」

 

 その先を聞くのは、どうしても怖かった。だから話題を逸らす。

 幸いにして、逸らす先は十分すぎるほどあった。

 

「その人と会って、どうだったんです?」

“どうだったって?”

「こう、過去の思い出が蘇って、恋愛感情も……とか」

 

 だって、告白もできずに終わった恋愛なんて、未練として残るに決まっているじゃないか。

 先生はうーんと唸りながら頬杖を突き、あちこちに視線を泳がせている。まるで自分の感情が分かっていないような仕草だ。答えを待っている間、右手に握っていた菓子折りがズシンズシンと重くなっていく気がした。

 

“……どうだったんだろうね?”

 

 そして、先生は玉虫色の答えを出した。

 

「分かってないんですか?」

“いや、恋愛的な意味では諦めてるんだよ。その人既婚者だったし。ただ、ねぇ……”

 

 先生が顔を上に向ける。そこには天井しかない。先生の視界には何が見えているのだろうか。

 その視点の違いが、とても歯痒い。

 

“あの時と全く変わらない、いや、むしろあの時よりも美人になっててさ。それであの時と変わらない明るい態度で話しかけられたものだから、何だか複雑になってね”

「…………はぁ」

“重ねて言っておくけど恋愛感情はないよ? うん、それは本当”

 

 女々しいとは思わない。そういう誰しもが抱えるような未練を、先生も持っていたということだ。それは喜ばしいことだし、先生のことをなおのこと身近に感じられてよかったと思っている。

 しかし、それでも、私の胸の中に言い様のない感情が渦巻いている。その勢いは激しくなっていくばかりだ。

 

“お昼にその子の店に行ったって言ったじゃん? その時にちょうど会ってさ”

「その、先生が昔好きだった子に?」

“そこで少し話して、同窓会でも話して……その中で、既婚者で子持ちだって話を聞いてね。何かこう、気持ちにストンと整理がついたんだよね”

「整理がついた、と言いますと?」

 

 私がそう訊くと、先生は「上手く言語化できてなかったらごめんね」と前置きした後、顎に手を置いて噛み締めるように話し始めた。

 

“『ああ、この人の物語には私はいないも同然だったんだな』って。それを感じて、未練とかがスッと消えたのが分かったんだ”

「…………何ですか、それ。意味が分からないです」

 

 だって、それは負け犬以下じゃないか。歯牙にもかけられないモブ、映画の背景のエキストラ。

 そんな存在だったのだと感じながらも、先生は笑っている。その笑いは、すごく惨めなものじゃないのか。

 

“うーん、でもね。私はそれでもいいと思うんだよ”

「何でですか? 負けてるんですよ?」

“だって、その人にはその人の人生があったんだなって実感できたからさ”

 

 一瞬、息が詰まった。全身の筋肉がキュッと音を立てて締まった感覚がした。

 

“私にも私の人生があるように、あの子にもあの子の人生があって。この職業に就いてから感じてたことが、『やっぱりそうだったんだな』って確信に変わったんだよ”

「過去の自分の意思が報われなかったのに、ですか?」

“もう過去のことだったからね。ある程度感情の整理ってのもついてるんだよ。そのお店に寄ったのだって『折角だから』って気分だったし”

 

 先生、その結論は、すごく残酷です。言葉に出そうとした。

 でも、できなかった。それはきっと私の敗北を意味するからだ。

 

“だからね、いいんだよ、それで”

 

 よくないです。その結論は過去の自分にとっての冒涜でしかなくて。

 私のこの感情もいつかそうなってしまうということではないんですか、先生。

 叫び出しそうになった口を、決死の思いで横一文字に結ぶ。ギリギリと音がしそうなほどに、私の顔の筋肉が総動員している。

 

“…………イロハ?”

 

 先生がふと我に返ったように、心配そうな目つきで私を見てきた。

 

「……負け犬の遠吠えにしか聞こえませんよ、先生」

“ハハハ、そうだね”

 

 そうしてようやく言葉を搾り出す。この声の震えは、果たして先生に気取られずに済んだだろうか。

 

“でも、イロハ”

「何でしょうか、負け犬先生」

“ぐぅっ……ま、まあそれはいいとして、イロハには後悔のないよう生きてほしいかな”

 

 先生は相も変わらぬアルカイックスマイルを浮かべている。そこから感情を読み取ることはできない。

 しかしながら、それが心の底からの優しさからの言葉であることは容易に分かった。

 

“やっぱり、卒業して『終わった』って察した時は辛かったから”

「…………そうですか」

“だから、イロハもやりたいと思ったことはやっておいた方がいいよ”

 

 先生、その言葉は私にはダメだ。

 私だって仮にもゲヘナ生だ。そんなことを言われたら、自分の思うままに動いてしまう。

 

「なるほど……じゃ、もうじき時間なので私は帰りますね」

“あ、もうそんな時間か。話し込んじゃったな、ごめんごめん”

「いえいえ、先生の意外とカッコ悪い話も聴けましたし、満足です」

“ぐっ……!?”

 

 さて、許しを貰ったことだし、この先どうしてやろうか。

 

「先生、私は後悔なんてしませんよ」

“そうなることを祈ってるよ”

 

 とりあえず部屋に戻ったら、次はどうやって先生をサボらせるか、この煎餅を噛み砕きながら考えることにしよう。

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