私と君のアーカイブ   作:自産自消

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イロハが先生と今生の別れをする話

“あ、そう言えば私、余命宣告されたんだよね”

 

 最初は、普段の軽口への意地の悪い仕返しかと思った。

 意味が分からなかった。このタイミングで突然そんなことを言い出したから。

 だから、私は「冗談ですよね?」といつものようにヘラヘラ笑いながら茶化すしかなかった。

 

“いや、本当だよ”

「……質が悪いですよ、先生」

 

 鞄の中からゴソゴソと大きな封筒を取り出される。何枚もの大きな書類ですっかり膨らんでいるその封が、鋏でジャキジャキと開けられていく。

 その中に入っているものが何なのかなんて聞きたくなかった。

 

“これ、外の医者にかかった時に見つかったものね。ここに影みたいなのがあるでしょ?”

「……分かりませんよ、そんな、医学的なことなんて」

“大丈夫。私も説明されても分からなかったから”

 

 それでも、先生は何事もないように淡々と説明していく。

 曰く、先生の身体機能はもう既に年相応のものではなくなっているらしい。体のあちこちにガタが来て、まともに働かなくなってきている臓器もあるという。

 そして、極め付きは目の前で突き付けられているレントゲン写真だった。

 

「……これ、何ですか」

“癌だって。転移済みらしくってね”

 

 あるはずのない白い影が、身体の至る所にある。右手に力が入って、写真がくしゃりと音を立てた。

 

“最初は随分長引く胃炎だなって思ってたんだけど、月日が経つにつれて何も食べられなくなってね。これはおかしいと思って医者にかかったら、うん”

「胃癌、ですか」

“体重もだいぶ減ってるしね”

「確かに、最近痩せたなとは思ってましたけど」

 

 なぜだ。なぜ気付かなかった? どうしてもっと早くおかしいと言えなかった?

 先生は生徒と食事をする機会が多い。それに加えて日頃からカップ麺やコンビニ弁当といったカロリーや塩分の多いジャンクフードで済ませているから、体重が減る方がおかしかったのだ。

 なぜ、「ダイエットしてるのか」で思考を停止してしまっていた? 頭の中はそればかりぐるぐると考えていた。

 

「お仕事は……どうするんですか」

“ギリギリまでやるつもりだよ”

「何で……?」

 

 意味が分からない。ここまでこの人の行動の意味が分からないのは初めてだった。

 

「療養に専念したら助かるかもしれないじゃないですか! どうして!?」

“もう助かる可能性はないんだって。癌があちこちに転移して、取り除いてもどうにもならないらしい”

「じゃあ! 長生きしてくださいよ! こんな仕事サボってもいいじゃないですか!」

“それをしたら、生徒はどうなると思う?”

 

 絶句する。この人はいつもそうだ。生徒のことしか考えていない。

 病院に行かなかったのだって、自分が離れた後のキヴォトスがどうなるかを考えたら行けなかったのだろう。そうして病状が進行し、気付いたら末期症状が出始めていた。

 

「どうしてあなたは、そんな……!」

 

 こんなことがあるか。こんなことがあってたまるか。

 

「どうしてそんなに、笑ってるんですか……!?」

 

 こんなもの、私たちが先生を殺したようなものじゃないか。

 私たちが、キヴォトスという都市そのものが、先生という1人の人間を使い潰し、燃やし尽くしたのだ。

 

“ごめんね。正直に言わせてもらうよ。今、すごく嬉しいんだ”

「は……!?」

“悲しんでくれる人がいたんだなって”

「当然じゃないですか! 私にとって先生は1人だけです! この先もずっと!」

 

 ガタガタと脳が震える。視界がぐらぐらと歪んで、立っていられなくなりそうだ。

 それでも、先生が倒れない限りは私が倒れてはならない。そんな義務感があった。

 

“私が死んだ後、また新任の先生が来ることになっている。優秀で誠実な人だ”

「代わりがいるって、ことですか」

“先生とはそういうものだよ”

「そんな、そんなことって……」

 

 ゴソゴソと書類を封筒に戻し、先生はふらりと立ち上がる。いつもは気にならないその仕草さえ、私には決死の思いで踏ん張っているように見えた。

 枯れ木のような脚だ、骨ばった腕だ。こんな姿に成り果てながら、先生は生徒のためにキヴォトス中を走り回っていたというのか。

 

「これ、他の人には言ったんですか」

“いや、これが初めてだよ。これから生徒会に言いに行くところ”

「……そう、ですか」

 

 こんなことになるから、もっとサボらせたらよかったのだ。休ませたらよかったのだ。

 一緒に先生の好きなゲームをしたり、漫画を読んだり、その感想を言い合ったり……いや、それすらもさせずに先生の体調の異変に気付けたら。

 もしこれが悪夢だったなら、もしも過去に戻れたら……そんなありもしない「もしも」ばかり考えてしまう。

 

“ある程度引継ぎの準備はしてて、これから本格的に引継ぎのための手続きを進めてく予定”

「……どうでもいいです」

“だから、大丈夫だと思う”

「どうでもいいです! 自分のことを考えてくださいよ!」

 

 そう叫ぶと、先生は優しく笑った。どこかに消えてしまいそうな微笑みだった。

 

“これが私のやりたいことだよ”

「…………は」

“最期まで、生徒のために働きたいんだ”

 

 何も言えない。何かを言ったところで、先生はもう止まることはないだろう。

 この人は、もうどうしようもない。

 

「……勝手に、してください」

 

 私では、どう足掻いても救えない。

 

“ごめんね、イロハ”

「……1つだけ、教えてもらってもいいですか」

 

 もう先生には会わないと決めた。会ったらきっと私はまともじゃいられなくなる。先生の意向を無視して、先生をどこかに連れ去ってしまうことだろう。

 だから、これが先生との最期の会話だ。

 

「何で、最初に私に教えたんですか」

“え?”

「他にもいましたよね。風紀委員長だってそうだし、トリニティの元ティーパーティーだって……アビドスとも親しいって噂じゃないですか」

 

 それだけが気にかかっていた。

 

「何で、万魔殿から邪な目的で遣わされたと分かっていた私を、最初に選んだんですか?」

“……………………”

 

 先生はしばらく顎に手を添えて考え込み、そして笑った。

 

“何でだろうね。ただ、一番最初はイロハが良いなって思ったんだ”

「偶然では、ないと」

“そうだね。この日にイロハに話そうとずっと決めてた”

 

 その言葉を聞いて、目が痛くなった。ジワリと熱くなって、涙が出てくる。

 呼吸が覚束なくなり、視界がぐにゃぐにゃに滲んでいく。先生の顔を最後まで見るために、溢れ出た涙を制服の袖でぐしぐしと拭った。

 

「…………先生」

“何?”

 

 先生はもうドアノブに手をかけている。これが、私が見る先生の最期だ。

 

「私は、先生のことが大好きです」

 

 だから、後悔のないように告白をする。

 

「この先どんな人が現れようと、私にとっての先生は、あなただけです」

 

 先生の姿を、記憶の奥底に焼き付ける。

 

「今まで、ありがとうございました」

 

 もう会わないと決めた。だから、精一杯の笑顔で送ろう。

 謀略なんて関係ない、私だけの、心からの言葉だ。

 

“…………嬉しいよ、すごく嬉しい”

 

 ガチャリ、とドアが開く。先生の背中が、ドアに遮られて消えていく。

 

“ありがとう、イロハ”

 

 そうして、私と先生は別れた。

 後にこの執務室に残ったのは、堪えきれなくなって泣き崩れた女一人だけだ。

 

 

 

 

 

 

 半年後の春。

 

 たくさんの生徒に看取られながら、先生は笑ってこの世を去ったらしい。

 

 

 

 

 

 

 集団墓地。ここではトリニティもゲヘナもミレニアムも関係なく、ただたくさんの墓と、そこに参りに来る人間だけが立っている。

 元はトリニティの一教会の墓地だったが、死んでしまったシャーレの先生を埋葬するにあたり、この墓地を中立地として連邦生徒会が管轄することとなった。いずれこの墓地にはゲヘナの人間も埋葬され始めることだろう。

 皮肉にも、先生は死んだ後もその身を使って、この集団墓地という狭い土地に限ったものではあるが、トリニティとゲヘナの和解の一助となったのだ。

 

 だから、今ここに私が立っていても、何の不思議もないわけだ。

 

「先生、もう秋ですよ」

 

 持っているのは彼岸花。墓に備える花としては不適切だと言われているが、そんなことは私には関係ない。

 私が備える花は、これしかない。赤、白、黄色が入り混じった葉のない花束を、先生の小さな墓の前に置く。

 

「私、今先生になるために勉強してるんですよ」

 

 ただの独り言だ。先生がこれを聞くことはない。

 死んだ者は、二度と蘇らない。

 

「難しいですね、子供って。本当にイラつくことばかりです。実習中もサボれやしません。……でも、先生はずっとその子供と向き合い続けたんですよね」

 

 私はあの後、結局先生に会わなかった。私が当番としてシャーレに入り、そしてあの衝撃の報告を受けたあの日が、私と先生の今生の別れだったというわけだ。

 

「先生はすごいですね。今からもう追い着ける気がしません」

 

 でも、それでよかったと思っている。私はあの日、一生分の先生への言葉を吐き出した。

 笑って別れられたのは、きっと2人にとってよかったのだろう。私はそう信じている。

 

「――――あれ?」

「んっ?」

 

 後ろの方で足音がした。振り向くと、桃色の髪をしたオッドアイの少女が立っていた。身を包んでいるのは確かアビドス高等学校の制服。

 噂には聞いたことがある。確かあれは……。

 

「小鳥遊ホシノ、でしたっけ」

「うへ~、元ゲヘナの戦車長に名前覚えられてるなんて光栄だね~」

 

 目的は私と同じらしい。胡蝶蘭を墓に供え、墓石を見つめながら彼女は言う。

 

「これで置いてかれるのは2回目なんだよね」

「……そうですか」

「でも、今回はちゃんとお別れ言えたから、いいかな」

「だと思いますよ」

 

 日差しは柔らかく、キヴォトス中に降り注ぐ。照らされる彼女には、かつてその戦闘力で畏れられたという面影は少しもない。

 

「……ねえ、元戦車長さん」

「何でしょうか、アビドスの人」

「先生は、このキヴォトスに来て楽しかったと思う?」

 

 遠くで銃声が聞こえる。キヴォトスの日常が、今も繰り広げられている。

 

「先生は、キヴォトスに来て後悔しなかったと思う?」

 

 風が2人の間を優しく吹き抜けていく。見上げると、雲が白く光っていた。

 

「後悔しなかったはずがないと思いますよ」

「だよね~」

「先生は、『後悔なんてない』って言うでしょうけど」

「おじさんもそう思うな~。というか実際にそう言われたし」

 

 随分と奇妙な一人称だ。それはきっと、喪った悲しみを隠すための仮面なのだろう。

 

「でも、それとは別に……楽しかったと、そう信じたいですね」

「……だね」

 

 脳裏に思い浮かべた先生の笑顔が今も眩しい。

 あの声も、あの顔も、先生と一緒に仕事をサボったあの時間も、忘れることができない。少なくとも、今はまだ。

 

「…………あ~、でも平和だねキヴォトスは。今日も」

「そうですね。全く……呆れるほど平和です」

 

 事件もなく、事故もなく。もちろん生徒が死亡するようなこともなく。

 先生が死んだ今日も、キヴォトスは招き入れた新たな先生と共に動き続けている。

 

「…………キスくらいしておけばよかったですかね」

「うへ!?」

「なんて、冗談ですよ。冗談」

「冗談には見えないよ~、その顔は」

 

 先生を殺したこの街は、今日も生きている。

 

「愛してますよ、先生。さようなら」

 

 先生の死を踏み越えて、私たちは生きていく。

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