私と君のアーカイブ   作:自産自消

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適度にいい性格してる女、棗イロハ。この沼から抜け出せません。


イロハが先生の失言を聞き逃さなかった話

 ゲヘナ学園を卒業した後、私はシャーレの先生専属の秘書になった。

 といっても見習いだ。当番の生徒がやる仕事の拡張版と呼称した方が正しいだろうが、一般にそうやって浸透しているものだから仕方がない。甘んじてこの肩書を背負うことにしている。

 仕事は書類の仕分けに護衛。先生代理としての権限も先生側から付与されることがある。悪用しようと思ったらいくらでもできる肩書きだ。

 

「はぁ……本当に、めんどくさいですね」

“ごめん。今日もよろしくね、イロハ”

 

 まあ、悪用しようなんて思えないくらいには忙しい仕事なのだが。

 キヴォトスという街は、端的に言って治安が悪い。毎日どこかで店が爆破され、銃弾が飛び交い、スケバンが恐喝をしている。犯罪行為を押し留めるためにそれ以上の武力が行使され、謀略が跋扈する。末法という言葉が実に相応しい。

 そんな街を実質統括する立場になった先生および連邦生徒会の下には、事件の被害者への賠償や政治的な問題解決のため、毎日気が遠くなるような仕事が舞い込んでくるわけで。

 

“イロハが来てくれるようになってから、テッペンは越えずに済んでるんだよね”

「それが普通なんですよね、社会では。……この議題は適切な部署に丸投げですね」

 

 私が秘書に就任する以前、先生は当然のように連日徹夜していた。

 そうしなければ回らない体制側に問題があるだろうと声を大にして言いたかったが、あの連邦生徒会も人手を増やせるものならさっさと増やしていただろう。それがいつになっても行われないということは、まあやる人間がいないのだ。こんな独裁体制を作り上げた挙句、突如失踪した連邦生徒会長が恨めしくなる。

 

「今日は仕事の他の予定はあります?」

“ない、今のところは”

「ならOKです。さっさと終わらせましょう」

 

 その上、この「先生」という男はなかなかにコミュニケーション範囲が広い上に心優しい。

 先生のモモトークには、事あるごとに生徒からの通知が来る。大抵はデートの誘い紛いのものなのだが、稀に本物のSOSが混ざりこんでいるから質が悪い。生徒たちの適度なガス抜きと救助を兼ねて、先生はモモトークの通知が来るたびに予定を確認し、溜まった仕事そっちのけで生徒のもとに向かわなければならない。

 

「どうせ今日も昼頃に通知来るんでしょうけどね……」

“あ、あははは……”

「何が『今日空いてる?』ですか。空いてるわけないでしょう」

 

 先生が口の端をひくつかせながら笑う。思い当たる節がないわけではないだろう。彼女たちの「今って大丈夫?」は「今日か近いうちに必ず私に会いに来い」という意味だ。

 おかげで先生の仕事の予定はとんとん拍子で後にずれ、「気付けば机に向かったまま朝を迎えていました」なんて状況はしょっちゅうだ。私が就任した時はそんなことが毎日のように起こっていたというのだから、全くもって救えない。

 

(まあ、私もその片棒を担いでたんですけどね……)

 

 頻繁に「自分がサボる共犯になってほしい」という名目で先生を休憩スペースに引きずり込んでいた私は、間違いなく先生にとって頭の痛い存在だっただろう。

 秘書になった後にそのことを聞いてみたら「あの時はありがたかったよ」と笑っていたが、お優しい先生のことだ。私を思ってウソをついている可能性が高い以上、どこまで本当だか分かったものではない。

 こうして仕事を本格的に手伝うようになったということで、少しは罪滅ぼしができていたらいいのだが。そのためにも無我夢中で目の前の仕事を終わらせる。何事もまず手を付けなければ進まないのだ。

 

 朝からずっと両腕を机の上に置きながらPCのモニターか書面に釘付けになっていると、目と肩に疲れが溜まる。首を勢いよく傾けると、20を迎えようかという女子からおおよそしてはいけないような重低音が鳴り渡る。この調子だと肩凝りも酷いことになっていそうだ。

 日が高くなり、出勤前に摂ったクロワッサンとシーザーサラダではもう持ちそうにないと胃腸が悲鳴をあげる頃合いになった。そろそろ昼食をとろうと先生に声をかけると快諾が返ってくる。

 先生は傍らのレジ袋から唐揚げ弁当と野菜ジュースを取り出した。毎度思うことだが栄養バランスというものを考えていない。もしかして栄養の何たるかをご存知ないのだろうか。

 

“あれ、イロハもお弁当?”

「卵焼きに野菜詰めた簡単なものですけどね」

“卵焼き? 手作りなの?”

「夕飯の残りですよ」

 

 ほうれん草の胡麻和えは簡単に作れるからいい。黒い弁当箱の蓋を開くと、白いご飯がまず真っ先に目に飛び込んできた。保存のために保冷剤で冷やしてあるのが痛い。温かい白米ならいくらでも食べられるのに。

 

“え、すごい。メチャクチャ美味しそう”

「そんなでもないですよ。普通です普通。彩りが多いだけですって」

“イロハっていつも自分でお弁当持ってくるよね。料理できるの尊敬するなぁ”

 

 ゲヘナ4000人の給食を作り続けていたという伝説を持つ給食部の愛清フウカほどではない。私ができるのはせいぜいが料理初心者の家庭料理くらいだ。

 

「卵焼きもそんなに綺麗に作れませんよ。ほら、形がちょっと崩れてるでしょう」

“いやいや、ちゃんと巻けてるだけでもすごいよ。私なんて卵焼き作ろうとしていつも途中で諦めるもん”

「それでスクランブルエッグにするんでしょう?」

“よく分かるね!?”

 

 何せ私も通った道だ。醤油を入れてあった卵液だろうと、バターを混ぜてしまえば何だかおしゃれになってしまう。

 それに瑞々しいレタスとトマトを添えてしまえばあら不思議、綺麗なモーニングプレートの完成と相成る。洋風なスクランブルエッグから和風な匂いがするのはご愛嬌というもの。

 

「まあ今回は成功してるんですけどね。スクランブルエッグではないです」

“どれだけ料理頑張ったの? 1年くらい?”

「まさか。1か月ですよ」

“1か月!? 短くない!?”

「先生が不器用すぎるだけなんじゃありませんか?」

 

 レシピをちゃんと見ることができて、かつ最低限の器用さがあれば料理というものはできてしまう。科学の実験と同じだ。下手なことをしようと思わなければ成功する。

 

“いいなぁ、イロハの料理かぁ……”

「あげませんよ?」

“ご飯たかるほど人間性は堕ちちゃいないなぁ。ああ、でも……”

 

 先生が唐揚げを頬張りながら私を優しく見つめてくる。口元に米粒が1つ付いていた。

 

“イロハはきっといいお嫁さんになるんだろうなぁ”

「…………はい?」

 

 そこで飛び出た言葉を「そうですか」と平気な顔をして聞き流すことは、私にはできなかった。

 

「お嫁さんですか。私が?」

“あ、ごめん。セクハラだった?”

「別に何でもいいです。今私が『いいお嫁さんになる』って言いました?」

 

 普通、会話は頭の中で流れを予測しながら組み立てるものだ。キャッチボールに比喩されるように、相手の受け取りやすい話題を投げて、相手が投げる動作をする前から受け取り方と投げ返し方を考えておく。それが互いにとってスムーズな会話を生むのだ。

 だけど、今回は違う。完全に行き当たりばったりの即興劇だ。

 

“言ったけど……もしかして結婚するつもりなかった?”

「そ、ンなこと……!」

“ごめん、私また余計なこと言ったね!?”

「っ……まあ、許します。はい、許しますとも」

 

 感情的になるなんて論外。上から目線になるなんて愚行中の愚行だ。しかしながら今回ばかりは許してほしい。

 何せ、今目の前で唐揚げを飲み込んだ男は、私の尻尾を踏んづけたのだから。

 

「…………どの辺がですか」

“えっ?”

「どの辺を見て、私が『いいお嫁さんになる』と仰ったんですか」

 

 それならば、その責任を取ってもらう他ない。迂闊な発言は死を招くのだ。

 

“え? まず毎日料理ができるでしょ?”

「時々冷凍食品詰めてますけどね」

“手を抜けるところをきちんと抜くのはアリだと思うけどな。ちゃんと栄養バランスも考えてるみたいだし”

 

 本当に面倒になった時は弁当をおにぎりにしたり、夜を外食で済ませたりしている。そんなに長所と言われるようなことではない。

 

“後、こうして仕事を真面目に手伝ってくれるでしょ?”

「はぁ…………」

“仕事もできるしさ、やっぱりカッコいいなーって思うよ”

 

 仕事を真面目に? 何で私が文句垂れながらもこの仕事を半年続けているのか、まさか分かっていないのか、この人は。

 

“ちゃんと助言というか、忠告もしてくれるもんね”

「……それは先生が危なっかしいからでしょう」

“そういうことをちゃんと面と向かって言える人って、良い親になると思うんだよね”

 

 「親」ときた。とうとう「親」という発言まで出てきた。

 これは私への宣戦布告と受け取ってもいいだろう。手袋を投げつけられても無視してやるような度量の広さは、私にはない。

 

「じゃあ、先生」

“うん、どうしたの?”

「私が先生のお嫁さんになって差し上げましょうか」

 

 いつものように、揶揄うような笑みを顔に乗せて言う。しかしその笑顔は、平常時の数倍は嗜虐的なものだったのが自分でも分かった。

 だって、私は「いいお嫁さんになる」のだろう? それがもし本音ならば、決して悪い取引ではないはずだ。それとも先生はお世辞を言ったのか? そんなわけはない。そんなことをするようならばとっくの昔に死んでいるはずだ。

 先生はしばしぎょっとしたように目を見開き、その後慌てて私から眼を逸らした。好機だ。席から立って距離を縮める。

 

「なって差し上げましょうか? 先生の、お嫁さん」

 

 耳元で囁く。どうやら私のウィスパーボイスは、先生に対して特攻効果を持つらしい。

 

“あー……いや、そういう意味じゃなくって……”

「じゃあ、どういう意味なんですか?」

“イロハには、私よりももっといい人がいる、から…………”

 

 定型句だ。だが、そんなもので止まってやる義理は私にはない。

 

「いい人か否かは私が決めますよ。それに、私に男を値踏みして決める趣味はありません」

“い、イロハ……!?”

「私にとって価値のあるものは、私が決めます」

 

 私は、「自由・混沌」が校風であるゲヘナ学園を出た人間だ。この場は私の思うが儘に、自由に振る舞わせてもらおう。

 戯れに耳に息を吹きかけると、先生の身体がビクリと跳ねた。それがあんまりにかわいらしかったので、私の口からクツクツと小悪魔のような笑い声が零れ落ちた。

 

「この仕事に就いて数年経ちましたけど……やっぱり、先生が一番です」

 

 体重をかけてやる。制服の向こうにある私の身体はさぞ柔らかいことだろう。

 少し敏感なところが擦れて声が出てしまう。これは少し計算外だったが、想定以上の効果を齎したようだった。先生の息遣いが少しばかり荒くなっている。恐怖しているのか、それとも興奮しているのか……。

 

「私は、先生と一緒にいたいと思っていますよ。これからもずっと」

 

 頬についていた米粒を掬い取って舐める。先生の身体が少しばかり震えてきた。

 実際、卒業後も先生を狙っている生徒は数多いる。トリニティの元ティーパーティーに、ミレニアムの冷酷な算術使い。アビドスなんかにもいたらしい。

 だがお生憎様だ。彼の隣の席に、彼を一番狙える立場に座ったのは私だ。それに対して私は同情の念は持ち合わせていても、一切の憐憫を感じていない。「恋は戦争」とはよく言ったものだ。

 

「お忘れかもしれませんが、私はもう既に『生徒』ではありませんので……。一緒に住んで、毎日朝ごはんを作って差し上げることも、可能なんですよ……?」

 

 行動を起こさなかったのが悪い。適切な距離内にいなかったのが悪い。そう言われるくらいだったら、最初から全速力で特攻してやる。

 幸い、数年の付き合いで先生が私を憎からず思っているのは察することができた。ならばそこに付け込んで攻めるだけだ。

 

「……先生が望むならば、ですが」

 

 その攻勢の中にはこれこのように、わざと距離をとって焦らしてみせたりなんかの駆け引きだってある。

 密着させていた身体を先生から離し、あたかも今の行為が冗談かのようにしてやる。手を出してくれれば儲けもの、そうでなくてもこれは布石となる。

 いずれ何らかのきっかけで効果が顕現する、埋伏の毒となる。

 

“…………イロハは”

「はい?」

“イロハは、何で私がいいと思ったの?”

 

 腑抜けたような先生の声が、静かな部屋の中に響く。先程まで私の迫撃が行われていたとはまるで思えないほどに、静寂が私たち2人の耳を打っている。

 

「……さあ、何ででしょうね?」

 

 その問いに対する答えはただ1つだ、愚かで愛しき我が先生よ。

 

「いつの間にか、私の人生は先生なしではありえなくなってしまいました」

 

 目線が真っ向からぶつかり合った。私が膝を屈するか、先生の防壁が崩れるか。実にくだらない、しかし最も重要と言える戦いが今ここに幕を開けた。

 

「いつか、この責任はとってもらう所存ですので」

 

 そうして素知らぬ顔で掻き込んだ弁当は、いつもよりも数段上の味がした。

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