私と君のアーカイブ 作:自産自消
“少し困ったことになったよ”
執務室に帰ってきて早々にそう言って頭を抱えるのは、私の直属の上司であるシャーレの先生。
それを横目に、先日市街地で行われた銃撃戦の被害を受けた各店舗への賠償に関する書類を読んでしまい、何もかもを放り出したくなってきているのが私こと棗イロハだ。
「困ったことが起こっているのはいつものことでしょう、このキヴォトスは」
“それって何の書類? 総力戦について?”
「いえ、生徒が起こした被害の賠償についてです」
“あぁ……”
頭が痛くなってくる。害を振り撒かれる側になってみると、ここまで生徒に対して殺意が湧いてくるものか。
それもこれも暴力沙汰への歯止めにすらならないほどに弱い抑止力と、いつ勝手に爆発するか分からない地雷がそこかしこに埋まっているキヴォトスが悪い。この街では基本暴れた奴の勝ちなのだ。あれだけ好き勝手しておいて軟禁される程度の罰しか受けていない温泉開発部や美食研究会がそれを証明している。
「でも今回はマシですよ。店舗自体が吹っ飛んでませんから」
“それってマシなのかなぁ……”
「賠償が格安で済みますからね。今回はショーウィンドウと商品数個、後は失われた信頼諸々含めてこれくらいになるかと」
そう言って電卓で弾き出した概算を先生に見せると、口から呻き声をあげながら机に突っ伏してしまう。仕事をする手が止まってしまったので肩を強く叩くと壊れかけのおもちゃのような声が出てきた。
“連邦生徒会にまた渋い顔される……”
「基本このキヴォトスでは生徒の自由が尊重されている……とはいえ、ですね」
“何でこう、次から次へと問題が……”
そういえば、先生の方にも問題が起こったらしかった。先程の外出で何かあったのだろう。
そしてその外出がモモトークの呼び出しから始まったことを鑑みるに、先生の頭を悩ませている問題は容易に想像がついた。
「また告白されましたね」
“うん……よく分かったね”
「分かりますよ。私を誰だと思ってるんですか」
先生は地雷処理の達人だ。キヴォトスのあちこちで起こる大体の事件の解決に携わり、呼び出されたら二桁は軽く超える数の生徒にパーフェクトコミュニケーションを決め、生徒の初恋を奪っていく罪作りな男。
そしてその被害者の中には、先生にガチ恋した末に告白に踏み切るという勇者ももちろんいる。今回先生がカチ合ったのはその類だろう。
「見たところ、嬉しさ半分に気まずさ半分といったところでしょうか」
“嬉しくはないよ!?”
「さあ、どうだか」
“し、信頼ないなぁ……”
笑ってやる。目の前でいかにも「自分困っています」と言わんばかりのぎこちない笑顔を作っているこの女たらしには、これくらいの扱いがちょうどいい。
「どこの誰から告白されました?」
“えっと……トリニティの、貴島さんです”
「ああ、貴島さん。彼女、明らかに先生に熱視線送ってましたものね」
“まあ、薄々そうじゃないかとは思ってたけどね……。いざ面と向かって告白されると、やっぱり気圧されちゃうよ”
これで告白されるのが一体何回目なのか問い詰めてやりたい。この男は思いを伝えられる度にふらふらと執務室に戻ってきては、このように机に突っ伏して頭を抱えているのだ。
先生は生徒にとって100点満点の扱いをいつもするから、そこで勘違いをされてしまうのだ。そろそろ学べばいいのに、先生は一向に「理想の先生」であることをやめない。
しかし、あの貴島さんが動いたか。些か意外だった。彼女はもっと内気なものだと思っていたが。
「美人さんですよね、あの子。清楚で、所作が洗練されてて……。実のところ、ちょっと嬉しかったでしょう」
“嬉しくないよ!?”
「へぇ? じゃあ何で笑ってるんですか」
“わ、笑ってないよ……あはは……”
一行で矛盾している、とはまさにこれを指すのだろう。呆れ果てて物が言えなくなる。
もちろん分かっている。この笑いは決して嬉しさから来る笑いではなく、空笑いだ。人間はどうしようもなくなった時はとりあえず笑うらしい。私が秘書になってからの数年間で先生から学んだことの1つだ。
「そんなに鼻の下を伸ばしちゃって、全く救えない人ですね」
“伸ばしてないよぉ!?”
実際のところは伸びてなんかいない。それどころか冷汗が先生のこめかみに何滴も走っているのが見えた。
それを分かっていて、なおも私は先生を問い詰める。なぜなら面白いからだ。ニコニコと笑っていじくってやれば、この人は想定以上の反応を返してくれる。
しかしそろそろしつこくなりそうなので、ここでトドメといこう。先生はこれがある限り、私に逆らえない。声のトーンを落とし、囁くように語りかけた。
「……私で童貞捨てたくせに」
“ぐふっ!?”
これを聞いていよいよ精神のHPが0になったのか、先生は突然毒でも喰らったかのようにガタンと机に倒れ込んだ。
そうだ。私と先生は肉体関係を結んでいる。それも1回だけではなく、何回も。
「私をあんな痴態に遭わせたのは、どこの誰でしたっけ?」
“私です……ごめんなさい……”
謝るようなことは何もない。なぜならこの肉体関係は、私の度重なる挑発が先生を根負けさせたことから始まるからだ。いつも先生が使う「君はまだ子供だから」という言い訳も、私が卒業した段階でもう既に使えなくなっていたのだ。
つまりは私の長年にわたる誘い受けが功を奏したものである。だから先生は本来被害者側であるはずなのに、この話題を出すたびに仔犬のようにしょぼくれてしまう。
もう仕事どころじゃない精神状態の先生に椅子ごと近づく。キャスターのガラガラという音が静かな部屋に走った。
「……返事は、どうなさったんですか」
少しだけ真面目な口調で問いかける。大事な問題だ。
“もちろん断ったよ。『もう決めた人がいる』って”
「……そうですか」
それならばいい。「先生が貴島さんの決死の告白を、血涙を流しながら断った」という分かりきった事実を聴くだけで、私のどこかささくれ立っていた心が瞬時に凪いでいく。
本当に冗談じゃない。この人は私のものだ。本当は告白する権利さえあなたたちにはないというのに。
“言われたよ。『棗さんですか』って”
「へぇ。勘がいいですね。その答えは?」
“『そうだよ』って返したよ。指輪だって見せた”
「いつもはしてませんものね。『痛めちゃうから』って言って」
ゲヘナ学園を卒業した後に先生専属の秘書になった私は、ハッキリ言ってキヴォトス中の生徒から嫌われている。
それはいつの間にか先生の隣に座っていた私への嫉妬であり、私がいる限り先生を自分のものにできないという怨嗟でもある。先生を攻略するためには、まず私という存在を上回らなければならないのだ。
そんなことができるわけがない。日夜先生を隣でサポートする立場にある私と、キヴォトスの一生徒。互いの間にある差は歴然としている。
“でもね……やっぱり、私が生徒を泣かせたっていうのは、辛いよ。何回やっても慣れない”
「まあ、それは大いにあるでしょうね。お疲れ様です」
“うん、ありがとう……”
背中をトントンと優しく叩いてやると、先生が少しずつ再起動する。背もたれに寄りかかって天井を見上げ、疲れ果てたように深くため息をつくこの先生の姿を見たことがある生徒は、果たしてこのキヴォトスに何人いるだろうか。
答えは0だ。先生が精神的に弱った姿を見せるのは、秘書として傍にいる私に対してだけだからだ。
「泣いちゃったんですか、その子」
“『分かってたんです。ごめんなさい……』って。今後どう接したらいいか”
「いつも通りでいいんですよ。私としては、本当はもう少し淡泊になってほしいですけど」
でも、先生はそんなことをしない。生徒に対して100点満点の対応をし続けるような先生だからこそ、私は万魔殿の任務も何もかも放り投げて先生の隣に立とうと決めたのだから。
“イロハにも我慢させてごめんね”
「いいんです。最初から覚悟はできてるので」
“あ、あはは……”
我慢なんてしていない。面白くないのは確かだが、それでヒステリックに浮気を疑うようなことはしないのだ。
なぜならば、先生の『先生』ではない顔を知っているのは私だけだと知っているからだ。先生の好きなもの、先生の思考回路、先生の性癖。その九割九分を把握しているからこそ、先生も私相手には少しだけ態度がほぐれる。
「まあ、先生の交友関係を制限するようなことはこの先もしませんので。思う存分やっちゃってください」
“ありがとうね、イロハ”
「……一応聞いておきますけど、浮気のご予定は? 言うなら今のうちですよ」
“ないない! イロハだけだよ!”
知っている。そのことを先生も分かっている。だから、このやりとりは2人とも楽しげに、かつ呆気なく進められる。
「なら、いいんです」
“そういうことをしたのも、イロハだけだからね”
「はい、承知しています」
先生が私に童貞を捧げたように、私も先生に処女を捧げたのだ。その責任はとってもらわなければ困る。
「では、さっさと仕事を済ませてしまいましょう。今日は早く帰りますよ」
“そうだね。せめて今日くらいは日付が変わらないうちに帰らないと”
帰宅した後の先生の姿を知っているのは、後にも先にも私だけでいい。
「帰ったら先生の好きなもの作って差し上げるので、頑張りましょう」
“え、本当に? じゃあ私ハンバーグが良いな”
「買い物には付き合ってくださいね」
先生と一緒に食卓を囲むのは、この先も私だけでいい。
「……寝る時は、一緒に寝ましょうね」
“うっ……!?”
「嫌ですか? 私と寝るのは」
先生に犯されるのは、私だけがいい。
“…………お手柔らかに、お願いします”
「お断りします。今日は激しめにしますので」
首筋に鬱血痕を刻んでやろう。それも1個だけではなく、何個も、何個も。醜い嫉妬であろうが構うものか。もう私のものなのだから、指輪以外の分かりやすい証をつけることに何の遠慮が要るだろう。
「頑張りましょうね、先生」
”…………っ!”
後ろから抱きつきながら耳元でそう囁いてやると、先生は私をギラリとねめつけてくる。
一般の生徒には絶対に見せないだろうその妖しく輝く目つきが、私はとても嬉しかった。