私と君のアーカイブ   作:自産自消

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コユキ遺書概念に強く影響を受けています。ご注意を。


イロハが先生の遺書を見てしまう話

 シャーレの先生という人は、よく危ない目に遭う。

 腹を撃たれたり、上空数千メートルから落ちたりしたことはキヴォトス中に知れ渡っているが、そもそも彼は私たちのように強い身体を持っていない。銃弾1発が当たっただけでも致命傷になり得てしまうのだ。

 そうでなくとも、先生の主な仕事は「学校内で起こった事件の仲裁」である。こう言ってしまえば命の危険はないように感じるかもしれないが、そこはやはりキヴォトスクオリティ。悪ければミサイルがすっ飛んでくることもあるのだ。その危険を顧みずに自分から厄介事に首を突っ込むものだから、どうして今も先生は生きていられるのかが分からなくなる。

 

 そういう先生だからこそ、こういうものが存在してしまうのは当然だったのかもしれない。

 

「…………これは」

 

 普段は見られない先生のPCの画面が、先生が席を外した際にロックをし忘れたままピカピカと光っていた。

 だから好奇心で覗いてしまったのだ。何か先生の恥ずかしい弱みでも掴んでやろうかと『ドキュメント』のカテゴリを開いたのが間違いだった。

 そこにあったのは、『遺書』と名付けられた、つい最近に作られたらしいフォルダ。一目で分かった。これは、軽々しい気持ちで開けてはいけないものだ。見なかったことにするべき先生の秘奥だ。

 

「ぁ…………」

 

 しかし、私は吸い寄せられるようにそれをダブルクリックしてしまった。コチリコチリという小さな振動が、人差し指を通して脳髄を揺らす。

 深呼吸を1つし終えるよりも早くフォルダが開き、画面上にtxtファイルが2個浮かんでくる。タイトルは『みんなへ』、そしてもう1つは……。

 

「『イロハへ』、ですか」

 

 自分に宛てたものがあるのは想定外だった。だが、ここまで来てしまったらそんなことは関係ない。

 全てを見るしかない。私に残された選択肢はそれだけだった。

 

「……まずは、『みんなへ』、ですかね」

 

 フォルダを見つけた時の困惑はどこへやら、おそらく生徒全員に宛てたものである遺書に目を通している時の私の心は、驚くほどに凪いでいた。

 「何でこんなものが」「まさか、自殺を企図している?」と思わなかったわけではない。しかし、それ以上に感じたことは「ああ、やはりか」だった。

 あの先生が、自分が死んだ後のことを考えていないわけがないのだ。

 

「…………しかし、大した内容は書かれてませんでしたね」

 

 最後まで目を通してみたが、そこに書かれた内容は非常に事務的なものだった。私の後任と仲良くしろだとか、『虚妄のサンクトゥム』のような一大事が発生した場合はみんなで協力してくれとか、自分の死後にキヴォトスや学園に及ぼされる影響を鑑みて認めたのだろう。

 txtファイルを閉じると、次に私の目が吸い付いたのは自分に宛てられた遺書だった。内容は想像がついた。事務的な内容の概ねを先程私が見たものに込めたのならば、その他の個人宛ての遺書に書きつける事柄なんて想像がつく。

 

「せいぜい、これは思い出と助言といったものですかね」

 

 そうしてカーソルを『イロハへ』に合わせた瞬間、私が今一番聞きたかった、あるいは一番聞きたくなかった声がした。

 

“…………イロハ?”

「あっ……」

 

 顔を上げると、先生が呆然と突っ立ったまま私を見つめていた。

 どっと汗が出てくる。その眼つきが、自分が先生の中の踏み込んではいけない領域に踏み込んでしまったことを嫌でも痛感させてきた。

 

“それ、私のPCだよね……?”

「……データに、一切の改竄はしていません。確認してください」

“…………うん”

 

 大人しくPC前の席を明け渡すと、先生は速足でそこに座った。そして、『遺書』のフォルダが開いたままの画面を見た瞬間に、いつもは眠たげに絞られている先生の瞼がカッと開いたのが分かった。

 

“見たの? 私の、遺書……”

「……はい。生徒全員に宛てられたものだけ」

 

 そう言うと、先生は「そっかぁ……」と天井を見上げた。その様はトリックを探偵に隅から隅まで解明された、推理小説の真犯人のようだった。

 

「……訊きたいことがあります」

“うん、答えるよ。できる限りは”

 

 先生の表情は、もういつもと変わらない笑顔になっていた。決して極限を迎えた精神であれを書いたのではない。この人は、正気であれを書いたのだ。そう感じて一瞬言葉に詰まった。

 

「先生が自殺をしようとしていないのは、何となく分かります。……なら、何でそれを書いたんですか?」

“私もいつしくじるか分からないって、気付いたからかな”

 

 そう言って先生は、懐からボロボロのカードを取り出した。いつも先生が会計に使うカードだろうか? しかし数か月でここまで朽ち果てることがあるのか? 疑問が頭の中に浮かんでは消えていく。

 

“これを、ある人から託されてね”

「……ある人、とは」

“ごめんね、それは言えない”

 

 先生は言葉を濁したが、私はある程度察しはついた。あの日、先生が『アトラ・ハシースの箱舟』に乗り込んだ後、先生はあそこで何かを見たのだろう。そこで誰かと会い、何かを話し、そして赤黒く染まったカードを渡されたのだろう。

 おそらくは、先生に立場が近しく、かつあの事件で死亡した誰かから。先生がそれを契機に遺書を書いているのは、つまりそういうことではないか。

 

“と言っても、イロハなら分かっちゃうかな”

「……まあ、少しだけですが」

“だろうね。イロハは賢いから”

 

 そんな褒め言葉を貰っても嬉しくなかった。

 心臓の音が今更になって大きくなってくる。その鼓動に合わせて自分の身体も跳ねてしまっているのではないかと思うほどに、強く、大きく、重く響く。

 

「自殺をしようとしているわけでは、ないんですよね」

“それはない。誓ってもいい”

「なら。よかったです。……それで、その」

“まだ、イロハに宛てた遺書は見てないんだよね”

 

 そうだ。なぜ、先生は私宛ての遺書だけを作ったのだろう。

 いや、この憶測は少し間違っているかもしれない。なぜなら、そのtxtファイルの最終更新日は昨日だ。私だけに遺書を作っているという可能性は、限りなく低い。

 

「見ていません。ただ、そういったものをこれから作り続けるんですよね」

“……うん。生徒全員に作る予定だよ”

「はっ……骨が折れますね」

 

 少なく見積もって数十人に、この35KBにもなる文量を読ませるつもりだろうか。読む方も書く方も厳しい道のりになるが、おそらくいざという時に渡された生徒はこれを読みきるだろうし、先生も書き上げてしまうのだろう。

 

「本当は……何てものを書いてるんですかって、すぐに止めるべきなんでしょうね」

“ごめんね、イロハ。それは……”

「言いませんよ。先生のご意志ならば、止めようがないじゃないですか」

 

 私が今ここで何を言っても、先生は遺書を作るのをやめないだろう。業腹だが、自分がいなくなった後のことを考えて今のうちに動くというのは現状のキヴォトスには絶対に必要なことだからだ。

 悲しかった。目の前で微笑んでいる大人が、自分が死ぬことすらも考慮しなければいけない状況に置かれていることに我慢がならなかった。

 

「だけど……私宛ての遺書は要りませんよ、先生」

“え、何で?”

「だって、私は先生が死んだら後を追うつもりですから」

“…………え?”

 

 ニッコリと、先生と同じように微笑んでやる。

 

“……どうして”

「先生を独りで死なせたくはありませんので」

 

 結局のところ、私がやろうとしているのは殉死だ。先生がもし孤独に死ぬというのならば、私は全身全霊を以てその事実を否定してやりたかった。それがたとえ先生の意思に背くことになろうとも。

 

“……イブキのことは、どうするの?”

「…………議長が、何とかするでしょう」

 

 そうなってしまうと、イブキを遺して逝くことになってしまうことだけが心配だった。

 

“イブキは、イロハがいなくなったら悲しむよ。だって、あの子はイロハのことが大好きだもの”

「…………!」

 

 そして、それを先生の口から指摘されたくはなかった。

 

「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」

“……そうなっちゃうよね”

「はい。私は、先生のいない世界でおめおめと生きていたくはありません」

 

 おそらく先生の死は、生徒同士の諍いに巻き込まれるとか、生徒を守ろうとする行為に起因するものだろう。そうなるならば先生は、キヴォトスという学園都市に殉じるということになる。

 先生の犠牲の上に成り立っているキヴォトスでのうのうと生きていく。どんな拷問だ。

 

「別に、遺書を書くのはいいんです。先生にとって必要なことなんでしょう?」

“…………うん”

「ただ、それが活用されないように努力はしてください。死ぬことを念頭に置いて行動しないでください」

 

 先生の目を真っすぐに見つめる。先生は口を真一文字に結び、眉をしかめながら私を見てくる。

 PCの画面がいつの間にかブラックアウトしている。マウスを動かしたら、またあの『遺書』のフォルダが出てくるのだろう。

 

“もちろん。私だって死にたくないよ。だから、最善を尽くす”

「……当然です」

 

 先生は、生徒の利益にならないことはしない。ただ、自分の命が生徒を脅かすような状況になったとしたら、まず間違いなく命を捨てることを選ぶだろう。

 そんなことを許したくなかった。

 

「それと……さっきの件は、本音ですから」

“……本当に、やるんだね”

「私を殺したくなかったら、先生は生きてください。私が死んだらイブキが悲しみますよ」

“それは、嫌だな……”

 

 卑怯な女だ。イブキを人質に取っているようなものではないか。

 でも、そうでもしないとこの人は思い留まらないだろう。だから、私の命とイブキの死生観の2つを掛け金としてテーブルに置く。

 

「止めても無駄ですからね。先生と同じように」

“あはは……そう言われると、何も言えなくなっちゃうな”

 

 そうして先生はPCを再起動し、開いてあったフォルダを閉じた。デフォルトの青いホーム画面がOSのロゴと一緒に光っている。

 

「……勝手に見て、ごめんなさい。今後はもう二度としません」

“ああ、うん。そうしてくれると助かるな”

「好奇心でやってしまいまして」

“まあ、私も通った道だから。あんまり気に病まないでね”

 

 話は終わった。先生はこの後も仕事を続けるのだろう。私も当番として夕方になるまで先生を手助けすることになる。

 しかし、まだ解決していない謎がある。

 

「……最後に1つだけ、訊いていいですか」

“うん、何?”

「何で、私宛ての遺書を最初に書いたんですか?」

 

 他にも先生が目をかけている生徒はいるだろうに、なぜよりにもよって私が最初出たのか。それが疑問だった。

 先生はうーんと唸りながらしばらく考え込み、そして私に向き直って言う。

 

“もしそういう状況になった時、イロハのことがまず真っ先に思い浮かんだから、かな”

「……と、言いますと」

“心配になったからさ。イロハ宛ての遺書だけは真っ先に書かなきゃって思ったんだ”

 

 なるほど。私が先程言ったような行動に出ることは、最初からお見通しだったわけだ。

 何枚も上を行かれている。生徒でいる限り、先生に勝てることはまずないだろう。

 

「なるほど。私のことが好きだから、とかそういう理由ではないと」

“違うよ!?”

「ふふっ、冗談ですよ」

 

 だから、この軽口はせめてもの反撃だった。

 全てが先生の計算通りというのは御免だ。だから、私は殉死だってする。

 

「…………そんなこと、分かってますよ」

 

 いつか、先生の碇になりたい。先生が「イロハがいるから死にたくない」と思えるだけの何者かになりたい。

 風にも吹き飛ばされてしまいそうな先生の命を地上に繋ぎ止める何かになりたいと、強く思った。

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