私と君のアーカイブ   作:自産自消

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今でこそ純真で幼いアリスだけど、もう少し成長したらどうなるんでしょうね。


アリスの様子がおかしい話

 アリスが執務室に来た。それはいい。当番だから来るのはまあ道理ではある。

 アリスが手伝いをしてくれる。それはいい。メイド服に身を包み、慣れない手つきで箒を操る姿は見ていて非常に癒されるものがある。

 

「先生、お掃除終わりました!」

“あ、ああ、うん……”

 

 掃除を一通り終えたアリスが私のすぐ右隣に椅子を持ってきて、チョコンと座る。最短でも現在私とアリスの間には手すり2つ分の距離があるにも関わらず、私の腕に白衣越しで何かが触れる。

 ゆっくりと右に目を向けると、不自然にこちらに寄りかかるアリスと目が合った。

 

“……アリス? どうしたの?”

「あっ……!」

 

 そしてアリスはすぐに、それはそれは綺麗な姿勢に座り直す。マリンブルーの瞳は何事もなかったかのようにこちらをじっと見つめてくる。

 

“仕事が気になるの?”

「えっ?」

“いや、パソコンを覗き込むような素振りだったからさ”

 

 パソコンの前に陣取っている私に寄りかかると、自然とアリスも画面を見る体勢になる。さすがに仕事の資料を見せられはしないが、子供ながらに大人の仕事に興味が湧くこと自体は否定しがたかった。

 

「いえ、そういうわけではないです」

“あら、そう?”

 

 違うようだ。そうなるとアリスの行動の意味がよく分からない。

 

「あっ、先生! 他にもっと手伝えることはありますか?」

“手伝えること……?”

「今のアリスはメイド勇者で、先生の当番です! 先生の役に立ちたいです!」

 

 ふむ、と顎に手を当てて考える。執務室はアリスが掃除をしてくれた結果……状況は前とそれほど変わっていない。となると掃除のやり直しを命じるのが一番に思い浮かんだが、それはアリスの仕事を全否定することに他ならない。

 天井を見上げて思案していると、ちょうど1つ思い当たった。メイド服姿のアリスにはうってつけの仕事だ。

 

“じゃあ、紅茶を淹れてほしいな”

「紅茶ですか?」

“うん、淹れ方は分かる?”

 

 ティーバッグにお湯を淹れて1、2分待つだけ。薄目も濃い目も自由自在、実に便利な現代の産物である。

 ただ、アリスは出生が出生だ。それにゲーム開発部の部室に電気ポットはあっても紅茶はない。だから淹れ方そのものが分からない可能性がある。

 

「紅茶……茶葉は、どこにあるのでしょうか?」

 

 そして、案の定アリスはティーバッグの存在そのものが分からないようだった。

 

「あの電気ポットを使って淹れるんですよね? だとするとティーポットも必要だと思います」

“ティーポットはね、ないんですよ”

「…………? では、どうやって?」

 

 私は、机の傍らに置いてある「紅茶」と書かれた紙箱を軽く叩く。衝撃で蓋が少し開き、ティーバッグがずらりと詰まった内部が露になった。

 そのうちの1つを取り出し、催眠術師がよくやるようにぷらりとアリスの目の前に垂れ下げてやると、アリスは概ね理解したように、または使い方を掴み損ねたように目をぎゅっと細めた。

 

“これを使います”

「これは……中に茶葉が入ってるんですか?」

“一緒にやってみよっか”

 

 2つのマグカップそれぞれにティーバッグを放り込み、アリスと一緒に電気ポットの前に行く。隣からとてとてと、私の歩調よりも明らかに速くかわいらしい足音が響いてくるのがいじらしい。

 

“ティーバッグを入れたコップに、お湯を注いで待つだけ。簡単でしょ?”

「……カップラーメンみたいですね!」

“ゲーム開発部で食べたことあるの?”

「モモイたちと一緒に食べました!」

 

 コップの中に入ったお湯が、少しずつ橙色に染まっていく。紐を使ってティーバッグを揺らせば早く出来上がるが、今は傍らにアリスがいる。

 

“これはアリスの分ね”

「えっ?」

“私の分は、アリスが淹れてほしいな”

 

 そう言って未だ空のコップを手渡すと、おずおずと両手でコップを受け取ってくれる。緊張しているようだったので「大丈夫だよ」と伝えてやると、アリスは1つ大きく深呼吸をしてポットに目を向けた。

 

“ポットの使い方は分かる?”

「はい。アリスはちゃんと使えます」

 

 手慣れた手つきで注ぎ口の下にコップを置き、「注ぐ」のボタンを押す。お湯が注がれていくのをじっと見つめるアリスの顔は、どことなく初めてやることに対する高揚感を隠しきれていないようだった。

 

“じゃあ、交換こ。席で飲もうか”

「はい! 交換です!」

 

 席で待っている最中もアリスはティーバッグに興味津々そうで、紐を操ってしきりにチャプチャプと音を立てていた。ある程度時間が経って私がお茶に口をつけ始めると、アリスは慌てて私と同じように飲み始めた。

 

「……熱いです!」

“熱いなら冷まさないとね”

「はい! ふーっ、ふーっ……」

 

 そうしてアリスはちびりちびりと、一口一口を大事に味わう。1匙数千円はする、それこそトリニティのティーパーティー御用達の紅茶を飲むように、ゆっくりと、舌の上でお茶を転がしていた。

 

「先生の淹れてくれたお茶、おいしいです」

“そう? 私もアリスの淹れたお茶、おいしかったよ”

「先生、もう飲んじゃったんですか?」

“え? うん、アリスはゆっくり飲んでていいよ”

 

 実際、味はいつも私が自分のために淹れるお茶と変わらないだろう。同じ材料で同じように作って変化が出るなんてことは、普通はあり得ない。普通は。

 問題なのは、誰が何のために作ったかだ。料理とはただの栄養摂取ではなく、誰かと場を共にすることでかけがえのない「思い出」を作ることができる。そんな小さな記憶が、いつかの未来で自分自身を何らかの方法で救うのだ。

 アリスは依然として、目を細めてお茶をじっくりと味わっている。あまりに大事そうに飲むものだから、そんなに紅茶が気に入ったのかとついつい眉を緩ませてしまった。

 

「……勿体ないです。こんなにおいしいのに」

“あはは、私は熱いの大丈夫だからすぐ飲んじゃうんだよ“

 

 仕事に手をつけ始めると、隣でこくんこくんと液体を飲み込む音が聴こえてくる。十数分ほど経つと飲み終えたようで、コトンと机の上にコップが置かれた。

 ふぅ、とアリスが息をついた。足をぶらぶらさせながらも、視線は数秒に1回くらいの頻度で私の方を向いている。その目線に合わせてみると、アリスはハッとしたように慌てて空のコップに目を向けてしまう。

 

“……アリス?”

 

 堪らず声をかけると、アリスの身体がびくりと跳ねた。

 

“どうしたの? 体調悪い?”

「いえ、そんなことは……」

“いや、顔真っ赤にしてるからさ”

 

 耳の先まで真っ赤になっているその姿は、とてもいつものアリスとは重ならない。言葉の中にも、無垢が故の毒というものが見当たらない。アリスの様子がおかしいことに、今更ながら気付いた。

 いや、嘘だ。私は気付いていた。そっと額に手を当てると、アリスが小さく詰まった声をあげる。

 

“熱はないみたいだね。でも具合悪いなら無理しなくても大丈夫だよ?”

「いえ、アリスは大丈夫ですっ! ……本当に、大丈夫です」

“何か今日は様子がおかしいからさ。心配なんだよ”

 

 口から出る言葉の何と白々しいことか。気付かないふりをする大人の、何と卑怯なことか。自分で自分が嫌になるが、真正面から受け取ってはいけない感情というものもある。

 そういうことにしておかないとやっていられない。

 

「……アリスは、最近おかしいんです」

“おかしい?”

 

 目を伏せて、アリスがぽつぽつと語り始める。

 

「アリスは……前よりもずっと、先生に嫌われたくないと思うようになりました」

“…………うん”

 

 聞きたくない。聞いてしまったら、私はどうしたらいいのか分からなくなる。

 

「それだけではありません。アリスは……先生の傍に、ずっといたいと思っています」

“と、いうのは”

「理由は、分かりません。深刻なエラーです」

 

 アリスには社会経験というものがない。それこそ、今ゲーム開発部の一員として青春を謳歌しているのが奇跡に見えるくらいだ。何せ「天童アリス」の実年齢は1歳にも満たないのだから。

 もちろん、いろいろ特殊な成長を見せているとはいえ、通常と比べて周回遅れではある。だからだろうか。「アリスの情緒そのものは普通の女の子のそれと変わりない」という事実をすっかり失念していた。

 

「分かりません。分からないんです。アリスは……今まで、どんなことを言ってきたのか」

 

 アリスが回転椅子の上で体育座りをする。弾みで少しだけ、私に背が向けられた。まるで私の表情を見たくないとでも言うようだ。

 

「アリスは……アリスは、今までの発言の中で、先生を……」

“魅力以外オール1扱いだったね……”

「……失礼だった、と思っています」

 

 実際のところ、キヴォトスの生徒のそれに比べたら、私の身体は酷く貧弱だ。だからアリスにそういう扱いをされようと、事実だからと苦笑するほかなかった。何より発言者がキヴォトス内でもとりわけ力の強く幼いアリスだったからこそ、大して傷つくようなことはなかった。

 だが、今問題なのはそこではない。今ここで「大丈夫だよ」なんて言ったところで、アリスの抱えた問題は解決しないだろう。

 

「おかしいのは分かってるんです。今更になって、このような心配をするなんて……」

“……アリスは、これからどうしたいの?”

 

 分かりきった問いをアリスに投げかける。

 

「…………先生に、嫌われたくないです」

 

 分かりきった答えを、アリスが口に出す。

 

「先生のお役に立ちたいです」

“今日メイド服で来たのは、それが理由?”

 

 こくりと頷かれる。ただでさえ美しいアリスの造形はクラシカルなメイド服によってさらに引き立てられ、さながら人形のように綺麗だ。顔が見えないこともあり、今この瞬間を写真に撮れば神秘的な名画になることは疑いようもない。

 

「アリスは……どうしたらいいのか、分かりません」

 

 だからこそ、今日ここにメイド服で来た理由が「先生の役に立ちたいから」だけだとは、到底思えなかった。

 

“……私はね、アリス”

「はい」

 

 ゆっくりと、平均台の上を歩くように慎重に言葉を紡ぐ。

 

“アリスに言われたことは、全部覚えてるよ”

 

 ギシリ、とアリスの身体が固まった。堪らずこちらを見上げたアリスの顔は、驚愕と絶望の色に染まっていた。

 

“アリスと話したことは、全部覚えてる”

 

 誇張ではあるが、あながち間違いでもない。いつ何があったかくらいは覚えている。そうしないとどんなことがあるか分からないから、日記やメモの力を借りて毎晩何とか頭に叩き込んでいる。

 だから、アリスに言われたことは覚えている。その事実がアリスの眼にどう映るかなんて、最初から分かりきっている。

 

「あ……え…………」

“でもね、アリス”

 

 だから、これは私からのお説教だ。

 何が悪いかを分かったアリスならば、私の言うこともちゃんと聞いてくれるだろう。

 

“アリスの思う以上に、私は傷ついてないよ”

 

 これを赦しと思うか、宣告ととるかはアリスの自由だ。

 じっと目の前の少女の瞳を見つめる。絶望と希望が綯い交ぜになった表情をしながらも、アリスは私から目を逸らさない。本当に強い子だ。

 

“この先、どうすればいいかは分かってる?”

「…………はい」

“うん。じゃあ、これからは気を付けようね”

 

 怒っていない。アリスに対して憤怒なんて感情を持つわけがない。だがそれは「今までは」という話だ。反省をしたのにまた同じことを繰り返すのならば、その時はもう少し強い口調で窘めることになるだろう。この分だとそんなことは起こらなさそうだが。

 にっこりと笑って、頭を撫でる。するとアリスの固まった表情が、少しだけ和らいだ。

 

「……先生は」

“うん?”

「アリスのことが、好きですか?」

 

 心に波が立つ。「女の子は恋をすると綺麗になる」と人は言うが、それは周囲からの視線や自分の魅力の磨き方を意識し始めるからだ。「料理の一番の隠し味は真心」という名文句と同じ理屈である。

 良く言えば純真無垢、悪く言えば傍若無人なアリスが自分の振舞いを自覚したのは、きっと私に好ましく思ってもらいたいからだ。

 

“好きだよ、1人の生徒としてね”

 

 だから、私は分からないふりをする。

 アリスは利発だ。私の発言の意味も分かってしまうだろう。だが、それと同時にこんなことを言うことの意味も分かるはずだ。

 口に出したが最後、この温くも温かい関係性は壊れてしまう。踏み込むには、今のアリスにはあまりにも覚悟が足らない。

 

「……これからも、ここに来ていいですか?」

 

 アリスが私に体重を預けてくる。不自然な姿勢だ。手すりに身体が当たって痛いだろう。それでも私に触れたいという健気さが、私の心を抉る。

 最初から分かっていた。アリスは今、女性へと成長しつつある。

 

“いいよ。いつでもおいで。待ってるから”

 

 喜ばしいことだ。悲しいことだ。いずれ私たちは、何らかの答えを出さなければならない。

 きっとどうすればいいか分からないのは、私の方だろう。何が正解か、今必死に頭を回しても分からないのだから。

 

 いつの間にか、パソコンの画面は黒く染まっていた。もうしばらく再起動はしなさそうだ。

 

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