私と君のアーカイブ 作:自産自消
「先生! イブキね、次はこっちのゲームがやりたいな!」
“お、それか。イブキはそういうゲームやったことある?”
「分かんない! 先生、やり方教えてー!」
ただいま勤務中……なのだけれども、今日はイブキが遊びに来た。
午前中は仕事を手伝ってくれていつもよりハイペースで仕事が進んだものの、一緒に昼食をとってからはイブキの集中力が切れてしまったようだった。だから今はこうしてイブキのゲームに付き合っている。
今回イブキが選んだのは最近発売されたローグライクゲーム。序盤だけ手を付けてそのまま積みゲーと化してしまっていたものだ。最近は仕事が終わって帰宅したら即就寝という日が多いので、全く手を付けられていないゲームや漫画が溜まっていく一方だ。
「あ、分かった! ダンジョンを探索していくんだ!」
“そうそう。私が最初にやったローグライクは『ポケ○ン』だったなぁ……”
「『ポ○モン』でも出てたの!? やってみたーい!」
“……もう10年以上は前だから、イブキはそのリアクションになるよね。あはは……”
イブキは慣れない操作ながらも着々とダンジョン攻略を進めていく。時折不運とミスが重なってHPを0にしてしまうこともあるが、それでもイブキはコントローラーを放り投げるようなことはしない。1時間ほど経つと最初のダンジョンをクリアしてしまった。
「やったー! ボス倒したよー!」
“やったねイブキ! すごい!”
「へへー、良い装備拾えたんだよ! 先生見てた?」
“見てた見てた!”
無邪気にはしゃぐイブキを見ているとこちらの気分まで高ぶってくる。
「よし、次のダンジョンは明日頑張って攻略する!」
“あれ、これでおしまい?”
「うん! イブキね、また先生のお手伝いするの!」
“別にそのままやっててもいいのに……”
イブキはゲームの電源を切り、また私の仕事を手伝う気満々の様子だ。この歳で既に自制心を覚えているのか。本当に口調が幼いながらもどこか大人びている子だ。
「えらいでしょ!」と言わんばかりに胸を張っているイブキの頭を撫でると、途端にふにゃりと顔を綻ばせてくる。いつまでも撫でていたくなるが、今は仕事を進めなければいけない。
“じゃあ、書類の仕分けをお願いできる?”
「うん! 頑張るね!」
私の隣にドサリと座り、『大人の仕事』をこなしていくイブキ。家族の用事を手伝っている時の私も、両親からはこんな風に見えていたのだろうか。自分が『大人』になったことを今更ながらに実感させられる。
そうしてしばらく仕事を続けていると、仕分けに慣れてきたイブキが私に雑談を振るようになった。話題はイブキの身辺であったこと。私から話題を振るようなことはない。イブキのワンマントークショーだ。
「――――でね、マコト先輩はその日ずっと私から離れてくれなかったんだよ!」
“それは大変だったね”
「でもね、イブキはマコト先輩のこと大好きだからいいの!」
“万魔殿のみんなは仲がいいんだね”
昨日あったらしいことを話しているうちに、いつの間にかイブキの仕分けを進める手が止まってしまっていた。しかしそんなことを指摘するような野暮な真似はしない。
イブキの楽しそうな顔を見ているとこちらも朗らかな気持ちになってくる。一種の清涼剤だ。
「あっ、そういえばね先生! イロハ先輩なんだけど!」
そして話はイロハに関するものになった。
イブキは万魔殿の中では特にイロハに懐いている。イロハ愛用の戦車「虎丸」に搭乗したイブキが、上部のハッチから上半身を乗り出す姿はゲヘナ自治区のあちこちで見かける。
だから、これから話されるのはイロハとの思い出だろうと思っていた。
「スマホの待ち受け、先生なんだよー!」
そんな話題だとは思わないだろう。
“…………何て?”
「イブキね、イロハ先輩の待ち受けこの前チラッて見えたんだー!」
待ち受け。スマホのロック画面かホーム画面かは分からないが、どちらにせよそこに自分の画像を待ち受けとして設定するということは、イロハは私に対してかなりの感情を寄せているということになる。それも、悪感情では決してないものを。
そして私はイロハに写真を撮らせたことはない。それはつまり、イロハが私を隠し撮りしていた可能性があるということで。
「でもね、イロハ先輩は他の人にはスマホは絶対に見せないんだよ!」
“あ、ああ、うん”
当然だろう。待ち受けの画面なんて見られない方がおかしいのだから。
そしてそれは「イロハは待ち受けについてはあまり人に見せたくない、知られたくない」ということの証左だ。
“イブキ、それは……イロハは秘密にしてほしかったんじゃないかなぁ?”
「えー? そんなのおかしいよ!」
憮然とするイブキを宥めようとするが、イブキはなおも口を走らせる。
“人には見せないってことは、自分だけの秘密にしたいってことだろうし……偶然知っちゃったとしても、それを私に教えちゃダメじゃないかな”
「うーん、納得できない! だって、イロハ先輩は先生のこと好きだもん!」
ガクリと視界が揺れた。脳髄が直に掴まれたようだ。
爆弾発言をかましてくれたイブキは、私の目の前で天真爛漫にニコニコと笑いながら「それでね、それでね」と私に拝聴を求めてくる。
「イロハ先輩はね! いつも先生の話をしてるんだよ!」
“わ、わァ……”
「『今日秘密のスペースで先生と一緒に漫画読んだ』とか、『先生と一緒に買い物行った』とか、先生とのお話いっぱい聞かせてくれるんだー!」
“そっ、そ、そうなんだぁ……へぇ……”
いつも当たり前のように浮かべている微笑が、今回ばかりは本当にぎこちないものになってしまっている。表情筋で引っ張った口の端がギッチギチに固まって動かない。この表情を崩したら、私は次にどんな表情になるか分からない。
少なくとも今は泣きたかった。あの飄々として私を揶揄ってくるイロハが、私のいない場所ではイブキに甘く私との思い出を語っているなんて知りたくなかった。嬉しいのは事実だが、そういう問題ではない。
“い、イブキ、それは多分イロハが一番知ってほしくないことだろうから、その……”
「何で?」
“その、プライベートと言いますか、乙女の花園と言いますか”
「えー? 絶対知ってもらった方がいいもん! だって……」
そうしてイブキは、今日最大級の威力を誇る爆弾を私に向かって投げつけた。
「イロハ先輩、先生のこと好きだもん!」
天を仰ぐ。ああ、そうか。今までの話で薄々察してはいたけど、そうか。今すぐに手で顔を覆ってあらゆる情報を遮断したくなるが、イブキを目の前にしている以上はそうもしていられない。
“……そうかなぁ?”
「そうだよ! だってね、イロハ先輩は先生の話をする時、すっごい綺麗に笑うんだよ!」
“あ、そうなんだ……イロハが『私のことを好き』って言ったわけじゃないんだね?”
「それはさすがに聞いてない!」
つまり、イロハが私のことを好きだというのは、あくまでイブキがイロハの行動が表情から算出した推測でしかない。よってこの推測が間違っている可能性も僅かながらに存在する。
よし、証明終了。うら若き少女の秘密を知ってしまった可能性は少しだけでも否定された。
内心冷汗を垂らしながら一息ついていると、スマホがモモトークの通知音を鳴らした。通知の主は、目下私の心を荒らしまわっている棗イロハその人。
イブキに断りを入れ、今となっては慣れた手つきでモモトークを開く。イロハのトーク画面を開くと、どうやらイブキを探しているようだった。
『お仕事中申し訳ありません。イブキがそちらにいませんか?』
“いるよ。送ってこうか?”
『いえ、こちらから向かいます。お仕事中でしょうし』
“OK、イブキにも伝えておくね”
『30分ほどでそちらに着きますので、よろしくお願いします』
スタンプを送ってスマホの電源を落とし、イブキに声をかける。イブキ側にあった書類の山は既に半分ほど処理されている。当初の予定から考えたらだいぶ片付けてくれた方だ。
“イブキ、後30分くらいでイロハが迎えに来るって”
「えー! 先生ともっと一緒にいたーい!」
“イロハが心配してるよ。それにまた明日会えるから。そうしたらまた一緒にゲームしたりしよう”
「明日も来ていいの? やったー! ありがとう先生!」
花が咲いたように笑うイブキを眺めながら、私は目の前の仕事を順繰りにこなしていく。
そうこうしているうちにイロハがシャーレの執務室に飛び込んできた。時計を見るとイロハからのモモトークが最後に発信されてから20分強しか経っていない。よほど急いで来たのだろう、額には汗が何滴も滲んでいる。
「あっ、イロハ先輩!」
「イブキ……本当に、探しましたよ……」
“お、お疲れ、イロハ”
「先生も、お変わりなさそうで、何よりです……」
イロハが肩で息をしながら、たどたどしく言葉を紡ぐ。私も何とか平静を装ってはいるものの、先程のイブキの爆弾発言を聞いてしまった以上は今までのように平坦に接することはできない。どうしても意識してしまうのだ。
「マコト議長も心配していますので……帰りましょう、イブキ」
そう言って差し出された手を取りながら、イブキは歌うように今日ここであったことをイロハに伝える。
ここで私がもう少し気を張っていたら、制止の言葉でもかけたものを。
「あのね、イロハ先輩! イブキね、今日先生と一緒にゲームしたの!」
「おや、それはいいですね」
「それでねそれでね、いろんなこと話したんだよ! イロハ先輩のことも!」
ギシリ、と時が止まった音がした。それに気が付いた瞬間、大量の冷や汗が背中を流れていく。
「………………へぇ?」
“…………えっと”
「イブキ、どんな話をしたんですか?」
イロハの柔らかな、しかしこの場面に限ってはどこかドスの効いた声が執務室に響く。そしてそんなことなぞ知る由もないと言わんばかりに、イブキはニコニコ笑いながら言った。
「イロハ先輩と先生、すごく仲いいなーって!」
ギリギリアウトだ。無罪と有罪の境界線を反復横跳びされている。
イロハに視線を向けると、口が真一文字に結ばれていた。よく観ると手がプルプルと細かく震えている。
賢いイロハのことだ。私とイブキの間でどんな会話がなされたかを全て察してしまったのだろう。自分の秘密が少なからず、一番知られたくないだろう人に明かされてしまったことにさえも、容易に想像がついてしまったのだろう。
“…………あの、イロハさん?”
呼びかけるとギラリと睨まれた。その顔は林檎のように赤くなっていた。
「……帰りますよ、イブキ」
「はーい! 先生またねー!」
“……う、うん。また明日”
イロハがイブキの手を半ば引っ張るように歩いていく。そして執務室に、この後の身の振り方について頭を抱えた私だけが残された。
◇
「イブキ、1つ聞いていいですか?」
どこだ。イブキはどこまで話した。
先生の反応からしてかなり奥深いところまでバラされているのは確定事項だ。焦りながらも何とかいつもの口調を保ちながらイブキに問う。
「私について話をしたと言ってましたけど……どんな話をしたんです?」
「あのね、イロハ先輩がスマホの待ち受けを先生にしてることとー!」
ワンアウト。いつ見られてもおかしくないと思って細心の注意を払ってはいたが、まさかイブキに見られていたとは。
「…………と?」
「イロハ先輩が先生の話をしてくれるってこととー!」
ツーアウト。イブキに先生との思い出話を話していたという事実が先生自身の耳に入ったことは確定した。膝を折りたくなったが何とか堪える。
しかしまだ、まだ分からない。先生に関わったどの生徒もこれくらいのことはしているだろう。決定的な情報は流れていない。大丈夫だ。
「……まだ、あるんですね?」
「その時のイロハ先輩、すっごく綺麗な顔で笑うんだってこと!」
空振り三振、スリーアウト。ゲームセットである。
完全に先生には察されてしまったことだろう。イブキの心配する声をよそに、私は変な声を口から漏らしながら地面に蹲った。
「イロハ先輩!? 大丈夫!? 具合悪いの!?」
「だ、大丈夫……大丈夫じゃないですけど、大丈夫です……」
まさかイブキ経由でバレてしまうとは思わなかった。正直イブキのことを舐めていたのは間違いないが、幼さゆえの無遠慮さというものをもう少し考えておくべきだった。
精神的ダメージを負った私を気遣ってか、イブキは私に語りかけ続ける。
「あのね、イブキね、最近恋愛小説読んだの!」
「あ、あぁ……はい……」
「すっごく素敵だったの! それでね、その主人公の女の人がね、イロハ先輩みたいだったの!」
トサリと地面に落ちた私の軍帽を、イブキが拾ってくれた。
「イブキね、イロハ先輩と先生が結婚してくれたら、すごく嬉しいなって!」
笑顔で差し出された軍帽を受け取る。冬は日が短い。まだ4時頃だというのに空は真っ赤に染まっている。
オレンジ色の光に照らされたイブキの顔が輝いて見える。イブキでさえこんなに赤い顔に見えるのだ。私なんてどんなに真っ赤なのだろうか。
「イブキは、私のことを考えてくれたんですね」
「うん! …………ダメ、だった?」
「ダメなわけではないですよ。はい、嬉しいです。……とても」
今まで、私と先生の関係は膠着状態だった。
私が揶揄い、先生が反応する。私が誘い、先生が乗る。その繰り返し。安定した関係と言えば聞こえはいいが、残念ながら私は生徒でしかない。ここから一歩先に進むためにはどうしたらいいか、私にも分からなくなっていた。
それが、今日この日を以て動き始める。良い方向か悪い方向かは分からないけれども。
「やってやりました」と言わんばかりに胸を張るイブキの頭を撫でながら、また私は歩き始める。
「……ありがとうございます、イブキ」
「えへへ~、どういたしまして!」
「それはそうと、帰ったらちょっとお説教しますからね」
「えーっ!」
驚かれたが当然だ。乙女の秘密を暴いてしまったのだから、これくらいはさせてほしい。
しかし次に先生と会う時、私はどうしたらいいだろう。分からない。こんなに感情に振り回されるのは初めてだ。
「イブキ。明日先生に会いに行く時、一緒に行ってもいいですか?」
「うん、いいよ! 一緒に『不思議のダ○ジョン』やろー!」
「面白そうですね。どんなゲームなんですか?」
「うーんとね、まずね!」
とにかく、明日先生とちゃんと話そう。どうなるかは分からないけど、できる限りのことはしよう。
少なくとも、この鳴動をなかったことにはしたくなかった。ようやく動き出したこの関係の命綱を、しっかりと掴んでいたかった。