私と君のアーカイブ   作:自産自消

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この小説のR-15要素の9割を担ってる話。


イロハがイブキに関する重大な相談をする話(※)

「本当にもうどうしたらいいのか分からないんです」

 

 もう世の中の全てに絶望したとでも言うように、イロハが私の真向かいで大きくため息をついた。

 いかにも深刻そうなモモトークでシャーレ近郊の喫茶店に呼ばれたはいいものの、何でそんなに暗い顔をしているのかは依然として分からない。

 ウェイターが先に頼まれていたらしい紅茶を持ってくる。目をぎゅっと瞑りながら一息に熱いお茶を飲み干すその様は、トリニティのナギサが腹を痛めている様子を彷彿とさせた。

 

“何……? どうしたのイロハ”

「要件言ってませんでしたっけ」

“言ってないね。『一刻も早くご相談したいことがありまして』って言われて、それだけ”

「ああ……そういえばそうでしたね。申し訳ありません」

 

 普段なら「これもサボりの一環ですよ」とでも軽口を叩かれるのだろうが、どうにもそんな精神的余裕すらもないようだ。まあ仕事の手を止めてここまで来ていることは否定しづらいのだが、生徒の問題解決とどっちが優先すべき課題かと言われたら明白だ。

 

「……イブキ、ご存知ですよね」

“イブキがどうかしたの?”

「イブキが……えーっと……その…………」

 

 唾を飲む。イロハがここまで言い淀むほどの何かがイブキに起こってしまったのか?

 イロハがまた火山のように大きく息を吐き、被っていた帽子を乱暴に脱ぎ、重そうに頭を抱える。そして覚悟を決めたかのように、一息に口を切った。

 

「…………机の角に」

“角に?”

「………………その、擦りつけてまして」

“擦り……あっ”

 

 頭が真っ白になった。その行為の意味を理解した途端、何か聞いてはいけない禁呪を耳に入れてしまったように脳の全てが粟毛立つ。

 そうか、今まであまり意識してはいなかったが、イブキは11歳だ。そういうことを知っていてもおかしくはない。

 重たい沈黙が2人の間を流れる。先程まで空間内を漂っていた紅茶の香しい匂いも、今はすっかり鼻に入ってこない。

 

「…………見ちゃっ、たんですよねぇ」

“……はい”

「万魔殿の、机の角に擦りつけてるとこ……」

 

 イロハが教会で神父に懺悔するように、言葉を必死に紡いでいく。

 イロハはイブキを大変に可愛がっている。それはもう、目に入れても痛くないほどに。戦車のあの特等席に乗せていることからも容易に察せられることだろう。

 その妹分の性の目覚めを事故的に目撃してしまったのだ。心労はいかばかりだろうか。

 

“……バレてるの? その、見たこと”

「バレる前に部屋に入りました。部屋に入る前に開いてた扉の隙間から見えたので……」

“おお…………”

 

 残念ながら私に兄弟姉妹はいない。だから家族のそういうことに遭遇してしまったという経験もないのだ。どっちかというと私は隠す側だった。

 そういう立場の自分からすると、やはり性に関するあれこれは秘密にしておきたい事柄だった。露見した時に何がどうなるか分かったものではないからだ。

 

「ああ、その時は何も気付いてないフリしましたよ。『探し物ですか』って」

“あ、うん……”

「『な、何でもないの、イロハ先輩!』って、ピューって部屋を出て行ってしまって……」

“うん…………”

 

 感情が精神の容量を超過した時、人は笑いしか出ないらしい。この場合、私の超過した感情が一体何だったのかは分からないが。

 

「絶対バレましたよね……」

“…………まあ、その可能性は、高いかな”

「あぁあぁあぁあぁ…………」

 

 いよいよイロハが机に突っ伏してしまう。そう言えば何も注文していなかったことを思い出して急に気まずくなり、店員を呼んでコーヒーとドーナツ数個を頼む。

 店員は今の私たちを見て何を思っただろうか。傍から見たらいろいろと噂のシャーレの先生と、慟哭の真っ只中の女子生徒が同席しているのだ。まあろくな推測をされていないだろうということは、店員の怪訝そうな目つきからして簡単に分かった。

 

“これ、他の人に相談とかは……”

「一応マコト議長には相談しました。したんですけどね……」

“ダメだったの?”

「白目剥かれました。あれはしばらく使い物になりません」

 

 イブキは万魔殿のアイドルだ。天真爛漫清浄無垢、その無邪気な振舞いには私も思わず日頃の疲れを忘れて構い倒してしまうほどだ。

 そのイブキが、いよいよ純真なままではいられなくなってしまう。関わりの薄い私でさえショックだったのだ。万魔殿で共に日々を過ごしているイロハやマコトの受けた精神的衝撃は推し量ることもできない。

 

「なので先生にこうして愚痴の相手になってもらう必要があったんですね」

“ま、まあ私でよければいくらでも話を聞くけど……”

 

 ふと、コーヒーのいい匂いがする。いつの間にか私の傍らに、頼んでおいたブルーマウンテンが置かれてあった。そして机の真ん中には、砂糖やチョコがたっぷりかかったカラフルなドーナツも。

 耐えきれなくなってピンク色のドーナツに手を伸ばしてかぶりつくと、イチゴの酸味とチョコの甘味がいい具合に口の中で混ざり合う。そうして甘くなった口の中をコーヒーで流し込むのがまたいいのだ。思考が一旦リセットされる。

 

「……この先、イブキにどう接したらいいか分からないんです」

 

 イロハが零す。それを私は、頭に糖分を回しながら聞く。

 

「次イブキに会ったとして……今まで通りに接することができるか自信がなくって」

 

 難しい問題だ。変わっていく親しい人に対して前と同じように振る舞えるかと言われると、私にも自信がない。

 ましてやイロハは、イブキの一番恥ずかしい部分を目撃してしまったと言っても過言ではない。気まずさを隠すことは困難を極めるだろう。

 私には、どうしたら最善なのかを判断することはできない。

 

“……うーん、これは私の経験談になるんだけどさ”

 

 だから、私はどうしてほしいかを経験から推測して言うことにした。

 

“あっ、結構下品な話になるけど、不愉快に思ったら言ってね”

「……先生も、こういった経験が?」

“私はどっちかというとイブキ側だったけどね”

 

 ふとした時に自分語りをしてしまうのは大人の悪い癖だ。だからできる限り簡潔に話す。

 

“私、学生の頃にR-18のゲームを買ったことがあるんだよ”

「学生の頃に……?!」

“こう、通販サイトで取り寄せて、家族にバレないようにして……ね”

「いいんですかそれ」

“ダメだから家族に内緒で動いてたんだよ”

 

 何のことはない。性的なことに興味が湧いて、やってみたくなったから買ったのだ。大抵の男子学生ならやってみたいと思うだけのことだっただろうけれども、私の場合は貯めた資金と行動力があった。

 

“で、届いてさ。段ボール開けたらあるわけよ、ゲームが”

「えっちなゲームがですね」

“まあね。それで明日休みだからやろうと思ってその日は寝たんだ”

 

 子供というものは愚かだ。特に行動を起こす時、自分では精一杯に頭を回しているつもりでも、どうにもどこかに穴があることに気付かない。

 そして、近しい大人はどうしたって子供の隠していることを暴いてしまうのだ。

 

“次の日、父親からご飯に誘われてさ”

「あっ……」

“まあバレてたよね。段ボールのガラから気付かれて、そこからネットの履歴とか……家族共用のパソコンだったからさ”

「バカですか」

“バカだったんだよ、当時の私は”

 

 今でも忘れられない。あの日、優しい目をした父親から「お前、何買った?」と言われた瞬間を。

 

「……それ、大丈夫だったんですか」

“何が?”

「いや、バレたんでしょう? その、秘密を……あんまり知られたくない人に」

 

 これは隠していても仕方がないと思い、全て父親に話した。あの眼光からして父は私の全てを看破しており、後は私の自白を引き出すだけの状態なのだと確信したからだ。

 そうして話し終わった後、父はうーんと唸りながら店の天井を見上げた。

 

“『小遣いから出したのか』って訊かれたね”

「……それと?」

“それだけだった。『お前の金から出したのなら言うことはない』ってね”

 

 拍子抜けだと言うようにイロハが目を見開く。あの時の私もこんな表情をしていたのだろう。

 

“『お前もそんな歳になったんだな』って感心されて……『あんまり表で言うもんじゃないぞ』と釘を刺されて、話はそれだけだったかな”

「…………それ、いいんですか」

“よかったんじゃないかな。私も犯罪者になるつもりはなかったし”

 

 その時に啜ったラーメンは、味がしなかったことだけは覚えている。帰った後に母に何と言われるかを想像しただけで震えが止まらなかった。

 しかし、家に帰ってもその件について追及されることはなく、その後も平凡な毎日が続くだけだった。

 

“その、何て言うかな……。イブキは、多分イロハが気付いてることも察してるだろうね”

「…………まあ、そうですね」

“そうなると、イブキもイロハと同じ気まずさを感じてると思うんだ”

 

 イロハがハッとしたように私を見る。

 当然だろう、言うなれば今のイブキはエロゲーを買ったことがバレた時の私だ。そそくさとその場から離れたということは、自分がしていることに対してちゃんと認識している証拠だ。

 だからこそ、今イブキがイロハにしてほしいことも何となく想像がついた。

 

“だから、これは私の願望になるんだけど……イロハには逃げずに、ちゃんと話してほしいかな”

「……先生のお父さんがしてくれたように?」

“何事も話さなきゃ始まらないし、ね”

 

 思い返せば、あの日一番ありがたかったことは、父が私を拒絶しなかったことだろう。だからこそ家族仲を拗らせることなく、私は健全に成長することができたのだと今では思う。

 そんな経験をした私だからこそだろうか。これが原因で2人の仲に亀裂が入るのは本当に見たくなかった。

 

“それで、元子供だった私の願望を言うなら……祝福してあげて”

「祝福ですか? 何を?」

“大人に一歩近づいたこと、かな”

 

 性徴期・思春期というものは、子供が避けて通れない成長の通過儀礼だ。そこでたとえば性的なものだったり、周囲との関係だったり、いろいろな知識を吸収して子供は大人になる。

 私たち先達がするべきことは子供の避けられぬ成長を拒むことではなく、仲間入りを祝ってやることではないか。

 

“きっと、イロハも同じような成長をしてるだろうからさ”

「そういう知識はありますけれども……」

“うん。だから『仲間』として話してあげて”

 

 モヤモヤとした感情を押し殺して接するのは難しいだろう。いつまでも純粋なままではないことに対する失望なんかも、ひょっとしたらあるかもしれない。

 だが、こういった仕事はイロハにしかできないのだ。現状イロハがやってやらなければ、誰もイブキの成長を真っ正面から言祝ぐことができなくなってしまう。

 

“もしどうにもならなかったら、私がまた相談に乗るからさ”

 

 あの時は父のみならず母も、私の所業を概ね分かっていたことだろう。裏で相談をしていたことは想像に難くない。それにも関わらず、

 ならば私のするべきことは、大人として子供の成長を見守り、支えてやることだ。父や母が私にしてくれたように。

 

「……そうですね。このままだとイブキを傷つけてしまいますから」

 

 そう言って、イロハがスマホを取り出してポチポチと操作する。何を打ち込んでいるかは分からないが、察しはついた。

 

「ありがとうございます、先生。この後、イブキとちゃんと話してみようかと思います」

“うん、それがいいよ”

「本当にありがとうございます。危うく取り返しがつかなくなるところでした」

 

 頭を下げられるが、そんな大層なことはしていない。むしろ下品な話をしてしまった分、こちらの方が申し訳なく思うレベルだ。

 

「お呼び立てしてすみません。その、お代は……」

“私が払うよ。大丈夫、大人のカードがあるから”

「…………ありがとう、ございます」

 

 イロハのバッグから財布を取り出しかけた手がギチリと固まる。この分だと夕食はもやし弁当で済ませることになりそうだが、後悔はなかった。

 

“私はもうしばらくここで飲んでるよ。早くイブキの所に行ってあげて”

「あ……すみません」

“いいんだよ。ここのコーヒーとドーナツ美味しいし”

 

 まだカップには半分ほどコーヒーが残っている。せっかく気分がいいことだし、もう少し味わって飲みたかった。

 すると席を立ったイロハが、何かを言いあぐねたように目を逸らす。問題は解決策を見つけて一段落ついたと思ったのだが、まだ何かあったのだろうか?

 

“どうしたの、イロハ? 何かあった?”

「……これ、言うべきか言わざるべきか迷ったんですが、言っちゃいますね」

 

 あまりこんなこと言いたくないんですけどね、とイロハが苦笑いした。何事かと思いながらコーヒーカップを手に取る。

 

「イブキ、先生のことを呼びながら……シてたので…………」

“えっ”

 

 視界から色が消えた。手がガタガタと震え始め、冷めたコーヒーが勢いで指に少しかかる。

 もしそれが真実だとしたら、イブキは私のことをそういう目で見ているということだ。

 

「…………先生も、イブキに対する態度は考えておいてやってくださいね」

 

 そして、イロハは風のように店から出て行ってしまった。席に残されたのはコーヒーに指を濡らした私だけ。

 窓の外からイロハが駆け出していくのを見送る。本来なら後方理解者面して満足気にドーナツを嗜める場面だろうが、最後の爆弾発言を聞いた身分ではとてもじゃないがそんなことはできない。

 

“…………マジで”

 

 辛うじて漏れ出た呟きは、誰に届くこともなく虚空に消えた。

 

 

 

 

 

 

 その後、イロハとイブキはきちんと話して仲を修復したようだった。

 翌日に同じような相談をマコトから受けたが、イロハと同じように返してやると「ではケーキを作るとしよう!」と凄まじい張り切りようを見せていた。何とか止めたが、今後また同じようなことが起こり、今度は誰の制止も受けなかったらと思うと少し気が重くなる。

 

 そして、最近新たな問題が発生した。

 

「先生! イブキね、先生と結婚するー!」

“う、うん……それはちょっと、ダメなんじゃないかな……?”

「何でー? イブキが大人になったら、の話だよー!」

“うーん…………”

 

 当番の日に、いや、イブキが当番でもない日にシャーレに来た際、イブキからの接触が非常に激しくなった。

 今までのような膝の上に座ってきたり手を繋いだりといったような無邪気なものではない。頬にキスだとか、明らかに親愛以上の感情を持って行われるべきスキンシップが日に数回の頻度で襲ってくる。

 

「ね! いいでしょ、先生!」

“うーん……うぅーーん…………”

「……これはまた、派手にやられてますね。ではお邪魔しまして……よいしょっと」

 

 イブキを迎えに来たらしいイロハは、眉を顰めてこちらを見つめてくる。そんな表情をするくらいだったら助けてくれればいいものを、何を血迷ったかイロハはこれに便乗して私を揶揄ってくるのだ。

 

「イロハ先輩はこの前当番だったからいいでしょ! 今はイブキの時間!」

「こういったものに卑怯も何もないんですよ、イブキ」

「ぐぬぬぬ……!」

“あの、イブキ……? イロハ…………?”

 

 両隣を占拠された私に逃げ場はない。2人はあの後一体何を話し合ったというのか。

 それを聞く勇気は、私にはなかった。

 

“た、助けて……食べられる……”

 

 遠くの空の向こうで、父が私を笑っている気がした。

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