私と君のアーカイブ 作:自産自消
いつもの先生といつもの私(※)
いつものように「万魔殿の任務」という名目でシャーレに向かっていると、見慣れた顔が真正面の扉から出てきた。
いつも以上に目に隈を作り、足元は少しおぼつかず、微笑は相変わらず。……「先生」だ。
「お疲れ様です」
“ん? ああ、イロハか。お疲れさま”
何とはなしに挨拶をすると、ヘラリと笑って返された。徹夜することさえ珍しくないという仕事量だという先生が、こんな時間に外出とは。
「お仕事サボる気になりましたか」
“ああ、イヤ……まあそうだね、たまにはレストランでご飯を食べようかと”
30分だけね、とバツが悪そうに付け加える。シャーレの内部には「エンジェル24」というコンビニがある。どうせいつもはそこのコンビニ弁当で済ませているのだろう。給食部の部長が聞いたら卒倒しそうな栄養バランスだ。
しかしまあ、ちょうどいいのも確かだ。朝食を少し遅めに食べていたのに釣られ、私もこの時間になるまで昼食を済ませていなかった。
「ご一緒してもよろしいですか?」
“構わないよ。どこで食べたい?”
「先生が最初に行こうと思っていたところで」
こちらにしれっと渡されそうになった昼食決定権を突き返す。面倒だったし、本当に何でもよかった。さすがにお子様ランチなんてのはTPO的にごめんだけど。
“お蕎麦でいい?”
「駅前のやっすいところですか」
“食べたことある?”
「値段相応でいいと思ってますよ」
固い麺、申し訳レベルに盛られたネギ。思いっきり腹を空かせればご馳走だ。「空腹は最高のスパイス」とはよく言ったもの。
「金欠ですか?」
“最近予定外の出費をしてしまってね”
「机の上のフィギュア、今月増えてましたものね」
目の前の大人が引き攣ったような笑いを浮かべる。全くだらしのない人だ。遊べるお金があれば100%使ってしまうのだろう。それで食が疎かになってしまうのはいかがなものだろうか。
「分かりました。行きましょうか、駅そば」
“ごめんね。もうちょっといいとこ行こう”
「話を聞いてたら私もおそばの気分になりました」
まあ私はどっちかというとうどん派なのだが……券を提出する際に選べるからその時に言えばいいか。「話が違う」とツッコまれでもしたらいい話の種になるだろう。
そんなことを考えながら、隣の独特な匂いを放つ大人と共に、硝煙臭い街の中へと歩を進めた。
◇
この街は、治安が悪い。何かあればスケバンが銃を持ち出し、爆発や強盗なんていつものこと。
今回私たちが通ろうとしている道は、まさにそんな輩の巣窟となっている裏路地があっちこっちに伸びていた。
「────ンのか、あぁ!?」
「────さい、もう……」
ドンドンドン、カランカラン。
概ねスケバンかゴロツキが壁に発砲して脅しをかけているのだろう。これもまたいつもの混沌、いつもの風景だ。
“……………………”
そして、発砲音が聞こえた方角に伸びた裏路地を目を細めながら見つめる先生は、いつものようなにょろにょろとした表情ではなかった。
「先生」
思わず声をかける。隣に立っている人間がまるで別人に見えた。
“ごめん、ちょっと行ってくる”
「行くって、どこに。あっちですか?」
まさに問題が起きている方角に目線を向ける。裏路地は陽射しを拒絶するかのように闇深く広がっている。
“うん、そっち”
そう言って先生はツカツカと歩き出した。たまらず後を追う。先生の歩調はさっきとはまるで違う。自分の早歩きでは歩幅の関係でとてもじゃないが追いつけそうになかった。
そうしてやっと先生に追いついた先では、予想通りの光景が広がっていた。迷い込んだのだろうか、トリニティの生徒が今まさにスケバンに金をとられようとしている場面。見飽きた光景だった。
「何だよシャーレの先生! 邪魔すんじゃねぇ!」
「コイツがぶつかってきたんだよ!」
スケバン3人は口々に吐き捨てながら先生に銃を向けた。示威行為。お楽しみを邪魔された獣が牙を向けるような野蛮で、しかし確かな効果を持つものだ。
“やめなさい”
そう諭すように言いながら、先生は両手を上げ……そして、スケバンの方にゆっくり歩き始めた。
…………歩き始めた?
「先生!?」
「っ!? ンだよ! 撃つぞ!?」
つい、スケバンと同じタイミングで同じようなことを口走る。
スケバン3人は一斉に銃口を本格的に先生の方に向けた。それでも先生は一歩前に進んでいく。
先生の表情は後ろからじゃ見えない。何を考えているのかも分からない。しかしいつもの柔和な雰囲気が、丸い背中が、全く崩れていないのが逆に恐ろしかった。
「おい……止まれ! 本当に撃つぞ!?」
“銃を下ろすんだ”
「何だよ!? 先生弱いんだろ!? 銃1発で重傷だって……」
そうだ。先生は弱い。エデン条約の際に起きたゴタゴタでは、アリウス分校の人間に腹を撃たれて重傷を負ったらしい。
では、何で、先生はその銃を相手に丸腰で歩いて向かっている? 普通は恐怖があるはずだろう。必死に噛み殺していても、声や身体がが震えたりするはずだ。
“……………………”
先生は両手を上げたまま、一歩一歩を踏み締めるように進んでいく。
私はといえば、今現在置かれている状況にようやく頭が追いつき、腰にぶら下げていた銃に手が伸びた。早く撃たないと。
「先生っ!!」
思わず叫んだ。先生は振り返らない。歩みを止めない。
“イロハ、撃たないで”
頭が真っ白になった。引き鉄にかかっていた指が、その瞬間にガチリと固まって動かなくなった。
今ここで少なくとも先生側の人間である私が撃たないと先生が撃たれる。なのにその先生は私に撃つなと言う。わけがわからない。呼吸が浅く、早くなる。先生が、このままだと死ぬ。
スケバンに目線を逸らすと、3人とも顔が青ざめていた。あちらから見たら、先生はどんな表情をしているのだろうか。
「あ……う……!?」
「何だ……何なんだよ、先生は!?」
“私は「先生」だよ”
そんな当たり前のことを訊いているんじゃない。何でそんなことをするのかという話をしているんだ。
いつの間にか、先生とスケバンの距離はおおよそ5歩分くらいまで縮まっていた。この距離を外すような者は、今この場所にはいないだろう。
その距離になって、ようやく先生は足を止めた。依然として振り向くことはしない。
先生、スケバン3人、カツアゲの被害者、そしておまけに私。張り詰めるような沈黙があたりに立ち込めた。おそらくその沈黙に一番やられていたのは私だ。ゲヘナの戦車長たる私が。
スケバンたちはマスクをしているからか、フーッフーッと荒く呼吸をしていた。構えている銃はガタガタと震えている。目の前にいる、おそらくキヴォトスで最弱の生き物であろう「先生」に、彼女たちは間違いなく怯えていた。
「…………お、おい!」
「ああクソッ!」
とうとう耐えきれなくなったのか、スケバンたちは銃を下ろすと同時に先生とは反対方向に走り出した。トリニティの制服に身を包んだ被害者さんは、スケバンが見えなくなったのと同時にヘタリとその場に座り込んでしまった。
“大丈夫?”
「あ……はい…………」
被害者の介抱をする先生を、私は離れた場所から見ていることしかできなかった。
◇
「あんなこと、いつもしてるんですか」
事態は終わった。被害者は無事何もとられずに「ありがとうございました!」だなんて深々と頭を下げていた。いつもの表情を崩さずに笑いながら礼を受け取る先生は何だか、非常に気味が悪かった。
“時々ね”
「……おかしい」
可笑しくもないのに笑いが漏れる。人間、感情が一定値を超えると笑いとして出力されるらしいが、それは本当だった。
この場合は呆れと恐れと、怒りだ。
「死ぬかもしれなかったんですよ」
“うん、そうだね。あの距離だったら間違いなく死んでたね”
「分かってたなら何で」
怒鳴らないように、口調をなるべくフラットに保つ。それでも声が震えてしまう。ほら、感情は言葉に乗るのに。
“でも、私は先生だから。生徒のことは信じないと”
先生の口調はどこまでもいつもと同じように、慈愛に満ち溢れたものだ。恐怖なんて一欠片もない。
気持ちが悪い、気味が悪い。腹の奥には今何も入っていないはずなのに、グラグラと熱い何かが煮えたぎっているような心地がした。
何かを言葉にして伝えたいのに、何も出てこない。頭の中は、まるで私の秘密の休憩スペースの床のようにごちゃごちゃとしていた。
“心配かけてごめんね、イロハ。大丈夫だから”
大丈夫って、何が。口をついて出そうになったその言葉を、理性をフル動員して抑え込んだ。
私は今どんな顔をしているんだろうか。歯を食い縛り、目を見開き、呼吸を荒くして……きっと他人様には見せられないものだ。
“……イロハ、ありがとうね”
「ハ…………何がですか」
礼? 笑いが出そうになる。私はただ立っていただけだ。
“撃たないでいてくれて”
“あそこで撃ってたら、きっとあの子たちは取り返しのつかないことになってた”
「────ふ」
ふざけるな。
その言葉は、口から漏れ出た息と共に風に乗って消えた。
「誰の心配をしてるんですか」
“生徒みんなの心配だよ”
博愛主義、慈悲の化身。先生はどんな生徒でも……それこそ、先生の腹を撃ったらしいアリウスの生徒にさえもその態度を崩さない。
しかし、その愛の対象に、先生自身は入っていない。人間には絶対に自己防衛本能というものが備わってるというのに。
私はその事実に耐えきれなくなった。情けなくて、恥ずかしくなって、先生と顔を合わせられなくなって、被っていた帽子のつばで先生の目線を遮った。
「……逃げましょうよ」
いつかと同じように、先生を誘惑する。
あの時と大違いなのは、私の声が震えていること。まるで縋るように、目を閉じながら言葉を紡ぐ。
「誰も責めやしませんよ、こんな仕事辞めたって」
その後に起こる混乱なんて分かりきってる。でも、言い出してしまったら止められない。私の夢を語る様はまさしく「子供」なのだろう。
「私が手伝いますよ、何ならついて行きますよ。私は先生の味方です、だから」
“イロハ”
答えなんて、分かっていた。
“それはできないんだ”
“大人としての責任を、私が放り出すわけにはいかない”
叫びたかった。泣きたかった。この人はいつもそうだ。最後の一線だけは絶対に踏み外さない。
仕事はどれだけサボらせようと決して投げ出さないし、遊びすぎて破産したなんて聞いたことないし、生徒のためなら自分の命さえも賭け金にする。
“ありがとうね、イロハ”
しゃがみ込んで私の顔を覗き込んだ先生と、無理矢理目線が合わさる。
その目はいつものように優しいものだった。目の奥にツーンと熱いものが走る。
それでも絶対に泣かない。泣く権利なんて私にはない。私はこの人に守られているのだから。
そんないつも通りの自分と、いつも通りに火薬の臭いがするこの街が、どこまでも憎かった。
見上げた空は、まるで私を嘲笑うかのように、どこまでも青く澄んでいた。
???「先生、私がいるとはいえそういうことするのはどうかと思います」
新題:イロハが先生を逃がそうとする話