私と君のアーカイブ   作:自産自消

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旧題はとある曲名をまんま載せたものなので、念のためここでは新題にしておきます。


秤アツコ
アツコと雨の中をはしゃぐ話


 その日は雨が降っていた。空は灰色に染まり、外に出るにも傘が必須だ。天気予報では明日の朝までこの調子らしい。低気圧だからか頭もしくしくと痛くなってくる。

 執務室内も何だかじめじめとしてきて鬱陶しくなった午後4時過ぎ、スマホがブブッと小さく奮えた。

 

『先生、暇だったら来てくれる?』

 

 通知欄に表示されていたのは、アツコからのそんなモモトーク。指定された場所は郊外の野原。あそこには放棄された建物が多数あったはずだが。

 窓の外を見やると雨はますます勢いを増している。この調子だと傘なしで外に出るなんて自殺行為もいいところだ。

 

“雨、いつ止むのかな……”

 

 そんなことを思いながら、外に出るための準備をした。いつもの白衣に身分証、防水仕立ての鞄にシッテムの箱を入れ、ビニール傘を手に持った。

 傘をさすと、透明な膜の上にいくつもの水滴が落ちてくる。足元も傘から垂れ落ちた水滴が濡らしていく。

 

“これは、帰ってきたら靴下もびしょ濡れだな……”

 

 しかし、アツコはこんな雨の中どうしているのだろうか。なぜ私を呼び出したのだろうか。もしかして花に関する心配だろうか? でもそれならモモトークで済むし……。

 アツコたちアリウススクワッドはエデン条約における事件を起こした一味として追われている身だ。あちこちを放浪してその日その日を生きるのに必死だという。そんな中で私が力になれることがあるなら何でもしてやりたいとは思っている。

 

“……だけど、用件を聞いていないんだよなぁ”

 

 訊いても「秘密」の一点張りだった。アツコはこういうところがお茶目というか、いたずらっ子というか、まるで映画の中から抜け出たお転婆なお姫様のようだ。実際高貴な血筋だとか「ロイヤルブラッド」だとか言っていたが、詳しいことはよく分からない。

 雨が降っているとなると外出している人も少ない。いつもは放課後の生徒たちでにぎわっている大通りも、今だけはその鳴りを潜めてただ安全運転の車が往来するだけだ。

 

“こうなると、銃撃戦もあまり行われないんだね”

 

 火薬が湿るからか、はたまたそんな気分にはなれないからか、そもそも生徒の姿すらあまり見かけない。平和なのはいいことだが、やはりちょっとだけ寂しい。「火事と喧嘩は」とはよく言ったものだと思う。

 このペースで歩けば20分くらいで目的地に着くだろう。傘の向こうの風景を睨みながら、できる限り濡れないように私は歩調を速めた。踏みしめた水たまりがバシャリと音を立てて、跳ねた水がズボンの裾にかかって少し気持ち悪かった。

 

 

 

 

 

 

「先生、いらっしゃい」

“アツコ、どうしたの?”

 

 野原のど真ん中に、アツコは傘もささずに立っていた。

 

“濡れちゃうよ”

「もう濡れてる」

 

 傘を買うお金がないのか、もしくは買った傘が使えなくなってしまったのか。どちらにせよ、今のアツコは頭のてっぺんからつま先までびしょ濡れだった。

 水はけの悪い土が、一歩前に進むたびにビシャビシャと音を立てる。もう靴の中はすっかり浸水してしまって、靴下の感触も相まって非常に歩きにくかった。こんなことならいっそ裸足にサンダルで来た方がよかっただろうか。

 

“どこかで雨宿りしないと、風邪ひいちゃうよ”

「ふふ、先生は優しいね」

 

 でも、ごめんね。イヤだ。

 そう言って、アツコはくるくると踊るようにステップを踏み始めた。晴れていたらいつも被っているケープが遠心力でひらひらとそれはそれは綺麗に舞うのだろうが、今はずぶ濡れになってしまっているので重そうに上下運動するだけだ。

 だが、私にはアツコの表情が不思議だった。

 

“楽しいの?”

「うん、楽しい」

 

 まるで一挙手一投足を楽しんでいるかのように、アツコは心底楽しそうに笑っていた。声こそあげないが、それはまるで自分が今こうしてここにいるという事実を噛み締めているかのような笑いだった。

 時折呆けたように空を見上げては、思い出したかのように踊り出す。私はアツコが動き続ける様をひたすらに眺めていた。

 

“何で、私をここに呼んだの?”

「ん? ああ、言ってなかった」

 

 アツコが躍るのをやめる。その水の重みと遠心力に振り回される仕草すらどこか健気で、私は胸の内がキュッと締め付けられるような心地だった。

 

「実は、ね」

 

 アツコが、ゆっくりと足を振りかぶる。……あれ、振りかぶっている?

 その足元には小さな水たまりがあるのに、今更気付いた。

 

「大した理由はなくって。……先生と、遊びたかった」

 

 そう言い終わるのと同時に、アツコは振りかぶっていた右足を振りぬいた。

 蹴りあがった足に乗った何粒もの水滴は、慣性の法則に則ってアツコの前方……つまり、私めがけて真っすぐ飛んできた。

 

“わ、っぷ!?”

 

 顔、服、手、足、全てにまんべんなく水滴が引っかかった。口の中にも水が入った。ジャリッとした感触が歯を通して脳に響く。当然だ、水たまりの中には土もある。その中でも軽い粒は、水の中で浮いたりするのだろう。

 軽いパニック状態になり、思わず私は傘を落としてしまう。ビニール製の軽い傘は、ふわりとそのまま地面に音もなく落ちた。

 

「ふふ、大成功、かな?」

 

 アツコは面白そうに私を見つめ、またくるりくるりと楽しげに舞いを始めた。傘を落としてしまったものだから、私はもう全身がびしょ濡れだ。白衣には黒い斑点が付き、髪から目に水が滴り落ちる。

 ふと、空を見上げた。雲が動く音だろうか、飛行機のエンジン音だろうか、ゴウゴウと大きく重い音が鳴っている。空からは際限なく雨がザアザアと私めがけて降ってくる。服も靴も、もう私を重さで粘着質に縛る鎧に成り果ててしまった。

 

 ああ、と声が漏れる。この世界、この風景。青い空なんて見えない、陽の光は雲に遮られている。随分と陰気な天気だ。

 それがやけに楽しい。びしょびしょに濡れてこの後洗濯をしなければならなくなった服も、べしゃりと額に引っ付いた前髪も、雨粒が私の身体のあちこちを叩く感触も、その全てが私の感情のボルテージを高める。

 

 何て綺麗なんだろうか、この景色は。重苦しいはずの世界が輝いて見える。

 足元にはいつの間にか水たまりがある。私が気付いていなかったのだろうか、こんなに近くにあったのに。

 

“アツコ!”

 

 声をかけると、アツコは微笑みながら私を見つめていた。どことなく挑発的に見えたその表情は、私の心をどうしようもなくくすぐった。

 そうして私は、控えめに水たまりを蹴った。水滴が空中を舞う。

 土を少なからず含んだ水が、アツコの白いケープの上、綺麗な顔、ピンク色の髪めがけて飛んで行った。

 

「わっ……!」

 

 そう言って戸惑うアツコが面白くて、私はついつい笑ってしまった。笑った弾みで下を向いたその時、バシャァッという音と共に私の脳天に大量の水がかかる。

 

「……仕返し!」

 

 キラキラと、水滴を光らせながらアツコが笑う。それを見て、私の何かがブチンと音を立てて弾けたのが分かった。

 そこから先は私も夢中だった。水たまりを見つけては蹴り上げ、白い上着が汚れるのもお構いなしでお互いを汚すことだけを考えていた。

 それが楽しくて仕方なかった。脳が沸騰したような興奮に追い着かない身体が少しばかり悲鳴をあげたのでふと止まったら、その瞬間に土砂降りの雨が2人めがけて降り注ぐ。そうなったら2人とも笑うばかりだ。

 

 その野原は、もしそこに他人がいたらダンスホールのように見えただろう。私とアツコは常時ぐるりぐるりと位置を変え、身振り激しくかれこれ30分は動き回っていた。私の頭の中にはいつかどこかで見た社交ダンスの風景が頭を過っていた。

 クイック、クイック、スロー。バシャリ、ベシャリ、ドシャア。

 そうして一頻り動き回った後に仰向けに倒れ込むと、まだ雨は降り続いている。天の遥か上から何滴も雨粒が私の顔にかかるのがこれまた面白かった。興奮冷めやらぬ私を、泥だらけだけどまだまだ元気そうなアツコが息を切らしながら覗き込む。

 

「今回は、私の勝ち」

“そうだね……私の、負けだ”

 

 いつの間に始まった勝負は、どうやらアツコの完勝で終わったらしい。落としていたビニール傘はどうやら開いたままだったようで、風の勢いに乗せられて遠くに転がっていってしまっていた。私は寝転んだままアツコに問いかける。

 

“どうして、私をここに呼んだの?”

「……だって、ほら」

 

 アツコが空を見上げる。空はだんだんと暗くなっている。もうじき日も沈み、このあたり一帯は夜闇に包まれることだろう。もう5時か、とまだ緩く回転を続ける頭で考える。

 

「楽しかったから」

 

 アツコは先にこの場所を見つけ、一頻り雨に打たれていたのだ。

 そうして私と同じように興奮して、それを少しでも私に分け与えるべくここに呼んだのだろう。

 

「楽しかった?」

“……すごく、楽しかったよ”

 

 どうしてだろうか。この時間が終わってしまうのは名残惜しくなって、目の奥がジィンと痛くなった。

 開いた口から深く、1つ息をつく。透明な息は湿気た空気の中に溶けて消えた。

 アツコは倒れている私を覗き込む姿勢のまま、本当に楽しそうに笑っている。それはゲームに勝った子供のように誇らしげで、かつ姉のように慈しみ深い笑顔だった。

 

“アツコは、この後どうするの?”

「私は、もうしばらくここにいる」

 

 シャーレには来ないらしい。先生として、大人として考えるならば、子供の体調を考えたらシャーレのシャワー室でも貸すべきなのだろう。

 だけど、それを提案したとして、アツコは絶対に首を縦に振らないだろうという確信があった。それでいいと、私は思った。

 

“私は帰るよ”

「うん」

“体調には気を付けてね”

「大丈夫。何とかする」

“そっか。何かあったらシャーレにおいでね”

 

 アツコは何も答えない。ただ微笑んで私を見つめるだけだ。

 起き上がると、背中の方にぐっしょりと泥水が付着している感触があった。今後のことを考えて憂鬱になりながら内も外も濡れてしまった傘を拾い上げ、シッテムの箱が入った鞄を持ち直し、私はその野原に背を向けた。

 

 少し歩くと、パシャリ、パシャリとまた後ろで足音がした。

 振り向いた先には、アツコが雨に打たれながら、嬉しそうに笑っていた。

 

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