私と君のアーカイブ 作:自産自消
ユカリと一緒にお花見をする話
「恩返しをしますの!」
執務室の扉を開けて一番に、ユカリは胸を張ってこう言った。
“…………んん?”
「日頃の恩を返させていただきますの!」
ユカリが今日シャーレに来る旨はモモトークで知っていた。その要件を聞いても『秘密ですわ!』の一点張りだったものだから何かあったものかと身構えていたのだが、まさかの恩返しと来たか。
“えぇと、ユカリさん? 1つ聞いてもいい?”
「はい、何ですの?」
“私に対する恩返しなのは分かったけど、何に対する恩返しなの? 全然心当たりがないんだけど……”
内心で大いに戸惑いながらぎこちない笑顔でそう伝えると、ユカリは『ではお答えします!』といつもの喜色を満面に湛えて説明し出した。
「先生は、身共にいろいろなことを教えてくださいます!」
“そうかな……?”
「初めて行ったげーむせんたー、駄菓子屋で食べたあの! どれも身共にとっては忘れられない大切な思い出ですわ!」
“そ、それならよかったけど……”
何とかリアクションをとっていると、ユカリは『しかし!』と表情を一変させて、私にズイッと一歩大きく距離を縮めてくる。
「気付きましたの! 身共は、先生に与えられてばかりだと!」
いかにも一大事だと言うようにユカリが深刻そうな顔をしているが、私にはそれが何かの問題であるようには聞こえなかった。
“……え、いや、いいんだよ?”
「よくありません!」
“私は大人でユカリは子供なんだから、そんな大層なこと考えなくったって……”
「それじゃあよくありませんのっ!」
あまりの気迫に思わず尻込みしてしまう。その一瞬の怯みに乗じてユカリが畳みかけてきた。
「百花繚乱のえりーとたる身共が、与えられてばかりだなんていけません! 百花繚乱の名折れですの!」
“え、ええ……? そうかな……?”
「ですので……たまには、身共に恩返しさせてくださいな」
今までのやり取りから分かった。いや、元から分かっていたことではあるが、ユカリは100%善意で私に恩返しをしようとしてくれている。
大人として子供に負い目を感じさせてしまったのはいただけないが、そういうプライドでこの申し出を断っては今度こそユカリを傷つけてしまうことになりかねない。
“……分かった。じゃあ、お言葉に甘えようかな”
「本当ですの!? 嬉しい! 感謝いたしますわ!」
ユカリという子は非常に分かりやすい。感情と表情が直結しているとでも言えばいいのか、この年頃の女子にしては致命的と言っていいほどに腹芸ができないのだ。
だから、目の前のこの笑顔もおそらくは本心からの笑みなのだ。
“それで、ユカリはどう『恩返し』するつもりなの?”
「ふっふーん! 実は既に考えてありますの!」
そう言ってユカリは自慢気に、持ってきていた鞄から文字がびっしりと書き込まれた紙を取り出す。光に透けてうっすらと時刻を示す小さな文字が何個も見えた。
「この後時間が空いていることは確認済み、ですので! お時間いただきますの!」
“お、おお……その紙は何? 予定表?”
「はい! この日のために夜更かしして作り上げたんですの!」
『気付いたら夜の11時まで起きてました!』と恥ずかし気に告白するユカリの手の中で、予定表がクシャッと音を立てた。
“なるほど。じゃあこの後はどうするの?”
「っ! えぇと、この後はまず百鬼夜行に行きますわ!」
“そっか。じゃあ一緒に行こうか”
「はい! えすこーと、させていただきますわ!」
踊るように私を先導するユカリの姿がとても眩しい。しばらく歩いていると、距離が少しできているのに気付いたユカリが私の手をぎゅっと握ってきた。
「置いていかないように、ですの!」
ユカリの左手は日頃から銃を握っているからだろうか、柔らかさの中に少しだけ硬さがあった。
そうして引っ張られるように、私たちは百鬼夜行まで歩いていく。昼の空は青く、春の空気は涼しい。絶好の外出日和だ。
「今、百鬼夜行では桜がたくさん咲いておりますの!」
ぶんぶんと私の手を振り回しながらユカリが楽し気に零す。
左手に見える川には、上流からちらほらと花びららしきものが流れてきている。有名な俳人なんかがいたらこの風景で一句詠むのだろうが、生憎私にはそこまでの文才はない。ただ綺麗だと見惚れるだけだ。
「これから、一緒にちょっとしたお花見をいたしましょう!」
“お花見かぁ。するのもだいぶ久しぶりだな”
ユカリが言うことには、今の百鬼夜行は絶好の花見日和らしい。春の百鬼夜行を観るのは楽しみだ。愛しき生徒のエスコートの下で花見をするなら尚更である。
「先生が最後にお花見を去れたのはいつですの?」
“そうだなぁ、私が小学生の頃だから……10年以上は前か。懐かしいな”
「そうなんですの! やっぱりお弁当とか持って行ったり?」
“うん、唐揚げとかミートボールとか、大好物ばっかり詰め込んでくれたっけ……”
雑談を交わしながら歩いていると、いよいよ百鬼夜行特有の和風の街並みが私たちを出迎えてくれる。
“うわぁ、これは……”
「ふふーん! どうですの先生! これこそ桜花爛漫、百鬼夜行自慢の桜並木!」
日の光に照らされる桜が、キヴォトスの澄みきるような青空に映えている。それでいて風に乗って桜の花びらがひらひらと漂ってくる。風上を見るとどうやら山の方面から来ているようで、綺麗な桃色に覆われた山はしばらく緑に戻る様子はない。
“すごい……!”
それしか言葉が出てこなかった。下手に言葉を紡いでしまったら勿体ないと思えるほどに、その風景は私の心を打った。
「気に入っていただけたようで何よりですわ! さぁさ先生、まずは一緒に茶屋に行きましょう!」
“茶屋? お団子とか出してくれる、あの?”
「はい! 先生が前に『どらま』で観て憧れていたと仰ってましたので!」
“えっ……?”
言った張本人がそのことをすっかり忘れていた。それなのにユカリは覚えていてくれたのか。
そしてその小さな夢を叶えてくれようと、今私の手を引っ張ってくれている。それが私には堪らなく嬉しかった。
“覚えててくれたんだ! 嬉しい、ありがとう!”
「身共もお気に入りの茶屋ですの! きっと先生も気に入りますわ!」
そうして辿り着いた茶屋は、かつて私が時代劇で観たものそのまんまの外観だった。真っ赤な布が敷かれた腰掛けに2人で座り、店員に注文をする。店の中では着物姿の料理人がみたらし団子の焼ける甘い匂いを漂わせながらあくせく働いている。
街はさながら花明かりといったところだろうか。春の陽気に照らされ、道を往く生徒たちも楽しげだ。
「先生、来ましたわ!」
“お、来た! お団子とお茶!”
私が注文したのはみたらし団子に餡団子のセット。温かいお茶もついてかなりリーズナブルなお値段に仕上がっている。ユカリも同じものを頼んだようで、嬉しさのあまり弧を描く口元から八重歯がきらりと見えた。
いただきますを手早く済ませ、串を横にしてかぶりつく。一瞬にして強烈な甘味に支配された口の中にお茶を流し込めば、脳髄から全身に向けて快楽信号が走り抜けた。
“こうして食べてたら、縮緬問屋のご隠居が話しかけてきたりするんだよね”
「ちりめんどんや……?」
“ああ、私の好きだった時代劇の主人公の世を忍ぶ仮の名前でね……”
そうして概略だけ話したら、ユカリは目を輝かせて続きをせがんできた。そういう態度をとられるとついつい口を滑らせてしまいそうになるが、何事もほどほどがいいものだ。
大一番での決まり文句を教えてやると、真剣そうな表情で『いずれこれを身共の決め台詞に……!』と考え込むのがとても面白い。百花繚乱を担わんと意気込むユカリには些か劇薬だったかもしれないが、未来の自分を夢見て楽し気にしているのだからこれでいいのだろう。
“それじゃ、お勘定よろしく”
「はーい! 毎度ありがとうございますー!」
そして時代劇の通りに、盆の上にちょうどぴったりのお代を置いて店を出る。どうやらまだまだ予定があるようなので、引き続きユカリにエスコートを頼む。
「それでは、身共のとっておきの場所にご案内いたしますわ!」
“とっておき?”
「桜がとっても綺麗に見られる場所ですの!」
歩く最中にいろいろな話をした。
最近の学業のこと。百花繚乱で起こった様々なアクシデント。花鳥風月部の起こした事件の後も、ユカリは青春を満喫しているようだった。
「先生のおかげですわ!」
そう言うユカリは先程よりも強く私の手を握り、半ば走るように目的の場所へと私を連れて行く。
しばらく進むと街を離れ、自然の匂いが強くなる。今は春、花の匂いが特に薫ってくる時期だ。
「もう少しですの! 先生、足は疲れてませんか?」
“まだまだ全然大丈夫!”
「ならよかったですわ!」
桜並木の中で花びらたちも地面を彩り、まるでピンク色のトンネルだ。
そうして辿り着いた先は、まさに人々が夢見た桃源郷。樹齢何百年はあろう桜の大木を中心に、四方が桜に取り囲まれた花見の名所だった。
私はご機嫌に笑うユカリをよそに、ただ呆気に取られて立ち尽くすばかりだった。こんな美しい場所がこの世界にあるということが半ば信じられなかった。
「先生ー!」
大木の下で私に手を振るユカリの声で我に返り、ユカリの下に急ぐ。移動に伴う風圧で、花びらがふわりと小さく舞った。
「ここ、家の者たちにも、誰にも言ったことのない場所ですの!」
“ユカリが、自分で見つけたの?”
「はい! 小さい頃に偶然辿り着きましたの!」
私が隣に座ると、ユカリがほぉっと息をついて空を見上げる。少し興奮して赤みが差した頬が、桜の色によく映えている。
気がつけば、私の手にユカリの手が重ねられていた。先程のどこか硬い手とはまた違う、女の子らしいすべすべの指の感触。
「……先生に、見せたかったんですの」
“私に?”
「はい。お花見を、先生と一緒にしたくて……」
私の肩にユカリがもたれかかる。桜のものとは違う上品な香りが鼻をくすぐった。
前を見る私からは、横にいるユカリの表情は見えない。そのままユカリが語る。
「この先も、ずっと、ずっと、先生のお傍にいられたら……」
“……ユカリ”
「そうしたらきっと、どんなに素敵なことだろうと、身共は思っておりますの」
薄々分かっていた。ユカリが私に恩返しをしたかったのは本当だろう。ユカリは嘘をつけるような生徒ではない。
ただ、それとは別の目的が存在していたのも事実だろう。それはきっと……。
「……先生。お花見でーと、いかがでしたでしょうか?」
慣れない夜更かしまでして、くしゃくしゃの紙1枚にたくさんの文字を書き連ねて、私すらも覚えていなかった私自身の小さな夢を叶えてくれて。
何とも健気で、いじらしい子だ。その真っ直ぐな感情を直視することは、私にはできなかった。
その感情の揺れを察したのだろう。ユカリが小さく笑い声をあげてまた言う。
「分かっております。身共はまだ、先生には釣り合いません」
“…………ユカリ”
「今の身共は未熟も未熟。キヴォトスを駆け巡る先生の隣に立つにはあまりに力不足ですわ」
真実だ。ユカリはまだ子供なのだから当然ではあるのだが。
それに、私は『先生』として、生徒の可能性を狭めることだけはしたくなかった。ユカリも分かっているのだろう。その声色は、明らかに一世一代の告白をする女の子のそれではなかった。
「ですので……どうか、待っていてください」
重ねられた手に、少しだけ力が入る。きゅっと握りしめられた。
「身共がいつか大人になるまで……どうか、先生の隣を空けておいてくださいまし」
強く風が吹いた。風鳴りと共に、地面に敷き詰められた花びらたちが一斉に空に舞い上がる。
「また、2人で……この桜を見ましょう」
未来のことを約束するのは、きっと無責任なことなのだろう。私はキヴォトスに住む人の中では身体が弱い。いつ銃弾を喰らって死んでしまうかも分からない身分なのだ。
だけど、それを言い訳にして、この可憐な少女から逃げたくはなかった。
“できるかどうかは分からない、けど……”
「…………はい」
“来年も、2人でここに来ようね”
「っ! は、はいっ!」
目を見て言う。ユカリの顔はやはりというべきか、桜よりも鮮やかなピンク色をしていた。
そうしてそのまま、2人でしばらくそこに留まっていた。会話はなく、聴こえるのは風の音と互いの呼吸だけ。
それだけなのに、不思議と心は満たされていた。繋がれた手は、その日の夕方に別れるまでは離してもらえなかった。