私と君のアーカイブ   作:自産自消

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本当にかわいくて強いスーパーヒロインですね、白洲アズサ。


白洲アズサ
アズサが先生に添い寝する話


 今日の先生は、とても疲れているように見えた。

 少し会いたくなってモモトークでお願いをしたらあっさりと快諾が返って来て、内心ウキウキしながら先生の待つシャーレの休憩室に入った。

 すると先生が、マッサージチェアの上で死んでいるかのように座っていた。天を見上げたその表情は見えず、だらしなく開いた口からは魂らしきものが飛び出している幻覚すら見えそうだ。グオングオンと機材の運動に合わせて、まばらに上下運動をしているだけのその姿はまさしく死体。

 

「先生。先生?」

 

 とてもじゃないが昼頃だとは思えない状態だ。むしろ仕事中だからこそこんなグロッキーになってしまったのだろうか?

 

“ん…………ああ、アズサ”

「どうしたの先生。具合悪い?」

“いや、具合は悪くない……ただ、ちょっと意識飛んでた……”

 

 意識が飛ぶって、それは寝ていたということなのではないだろうか。そうなると今ここに私がいることが申し訳なくなる。

 普段先生は疲れていたとしてもそれを表に出すことはあまりない。所作の端々から疲労を感じることはあっても、それを隠す努力を先生がしている以上は指摘しないのが礼儀というものだ。もちろんできる限りの配慮はするけれども。

 ただ、これはダメだ。これはもはや隠せていない。「隠す」という努力をするための気力もないのだろう。今先生が鉄火場に晒されたらまず開始10秒で致命傷を負うことは間違いない。

 

“本当ごめん。せっかく来てくれたのに”

「気にしないで。私が来たくて来ただけだから」

 

 先生は私が何か用事があってここを訪れたと思っているようだけど、実際のところは違う。ただただ私が会いたくなって来ただけだ。むしろ謝るべきなのは、束の間の休息の邪魔をした私の方だ。

 

“お茶淹れるよ。ちょっとそこに座ってて”

「あっ、私も手伝う」

“ダメダメ、今のアズサはお客さんなんだから。ほら、リラックスリラックス”

 

 リラックスを必要としているのはどっちだと言いたくなるが、何とか抑える。しばらく先生の隣の席で待っている、と緑茶の渋い匂いが漂ってきた。

 

“アズサは緑茶と紅茶のどっちがいい?”

「先生は緑茶?」

“うん、今からアズサのも淹れるところだけど”

「じゃあ私も緑茶で」

 

 緑茶というのは飲んだことがない。トリニティの自治区では専ら紅茶が主流なもので、その中で茶葉の生産地だとか砂糖とミルクはどれだけ入れるかとかの派閥があるらしい。意味が分からない。どれもこれも同じ紅茶ではないか。

 見慣れない陶器らしきコップに入った緑色の湯気立つ液体を啜ってみる。

 

「…………ぇぅ」

“苦かった?”

「分からない……お茶?」

“うん、お茶。口に合わなかったら紅茶淹れ直すよ?”

「いい。まだ一口飲んだだけだから」

 

 実際のところ、味自体はそこまで嫌いではなかった。熱さと渋味で面食らってしまったものの、後に残った風味は何とも心を落ち着かせてくれる。

 少し冷めてきたので、二口、三口と口に含んでみる。渋い。苦い。これが大人の味か。

 

“最初は抹茶オレとかの方がよかったかもね”

「抹茶オレ?」

“冷やした抹茶に砂糖とミルク淹れて……まあ、カフェオレの緑茶バージョンだよ。手間かかるからインスタントの方が早いと思うけどね”

「ふーん……今度買ってみる」

 

 ふにゃりと笑う先生の顔は、やはりどこか疲れているようだ。よく観ると目の下の隈は前に会ったときよりも色が濃くなっているし、普段は細まっているだけの目も今では閉じかけてしまっている。

 そして温かいものをお腹に入れたせいだろうか、先生がいよいよウトウトし始めた。会話もどこか要領を得ない返答ばかりになってきた。

 

「先生……先生?」

“んー……あー……アズサ…………?”

 

 一瞬意識が戻って私に笑いかけたと思ったら、すぐに寝息らしき静かな呼吸の音が聴こえ始める。こぼれたらいけないと思って先生が持っていたコップをそっと取り上げても反応がない。いくら何でも隙があり過ぎだ。

 正直なところ、寝るのはいい。むしろ疲れているのだったらまず先生の体調を優先してほしい。だけどここで寝るのはダメだ。このまま机に突っ伏して寝てしまうと身体が休まらない。ちょうど近くにベッドを見つけたので、移動するように提案してみる。

 

「先生、寝るならベッドで寝よう?」

“あー……ごめん、寝てた?”

「思いっきり寝てた。先生、疲れてるんでしょ? そこにベッドあるから、横になって」

“横になったら……”

「先生の身体が一番大事。寝るまで一緒にいるから」

 

 少し顔をしかめてきっぱりと言ってやると、先生はぐずりながらもベッドまで移動し始めた。移動の仕方もだいぶ覚束ない。この短い距離の合間に転んでしまわないかと心配になった。

 介助されながらも何とか先生が横になる。そしてそれに付き添って私もベッドに横たわり、先生と向かい合う形になる。これで添い寝の準備は万端だ。

 

“…………あれ。何でアズサも寝てるの?”

「私は先生を寝かすために横になってる。先生は無理しがちだから、寝たふりしてすぐに仕事に戻るかもしれないから」

 

 先生の疲弊具合からしてもそんなことはないだろうとは分かっていた。ならばなぜこのようなことをしたのか。

 答えは決まっている。私がそうしたかったからだ。つい魔が差してしまって話の流れでベッドに入り込んでみたら、呆気なく理想の体勢に持って行けてしまったというのが真相だ。

 

「私が一緒に寝てあげる」

“うーん……まあ、いっか……”

 

 もう意識を保つのでさえ精一杯なのだろう。そう言った傍から先生の瞼が落ち始める。

 

「おやすみ、先生」

“んー……アズサ…………”

 

 そして私は先生に身体をガシッと抱きしめられた。

 先生のYシャツがすぐ近くにある。この匂いはお茶、そしてどこかツンとくる男性特有のもの。距離が近い。頭が一瞬でパンクしそうになる。

 

「せ、先生っ!?」

 

 振り解こうと思えば振り解ける。そういう体術はアリウスにいた頃に何回も学んだ。先生の力が弱いのもあって、やろうとしたら簡単に制圧できるだろう。

 だけど、そんなことをしたくはないと強く思った。だって、先生がこんなにすぐ近くにいる。今世界で一番先生に近いのは間違いなく私だ。

 頭をゆっくりと撫でられる。くぐもった声からして先生はおそらく寝惚けているのだ。正気の先生がこんなことをするはずがない。

 

“うーん……アズサは……”

「せ、んせぇ……?」

“アズサは、かわいいね”

「はっ……!?」

 

 かわいい。私が。先生に、そう言われた。

 情報の処理が追いつくと同時に、顔が一気に熱くなる。かわいいって言われた。言われちゃった。ヒフミやハナコに言われるのとは少し違う。この感情は照れ臭さではない。

 羽が布団の中でゴソゴソと動いてしまう。感情が昂ると羽の制御ができなくなるのだ。

 

“髪の毛サラサラですごい撫で心地いいね”

「せんせっ……その……」

“髪飾りの花も綺麗だね。アズサそのものみたいだ”

「そのぉっ……!」

 

 口説かれているわけではない。今目の前で広がる屈託のない笑顔が演技によるものではないということは先生が今寝惚けていることからも、長い付き合いからも分かっている。つまりこれは全部本音だ。

 

“でもこうしてみると、アズサは小さいね”

「う、うん」

“小さいのにいっぱい頑張ったんだね。こんな小さい手で銃持って、ずっと戦ってきたんだね”

 

 私の手が掌にすっぽり収まってしまうくらいには、先生の手は大きい。

 あの手を見る度に、先生もやはり私たちとは違う「大人の男性」だと理解させられた。それも私たちとは違う場所にタコができた、銃を持ったことがない人の手。

 

“すごいね、アズサは”

「す、すごくない。すごくないよ先生」

 

 思わず否定してしまうが、先生はそんなことも気にしない。まるで私の言葉が聴こえていないようだ。

 

“強くてかっこいいし、かわいいし、すごいよ”

「そっ、そんなこと……」

“私はね、アズサをずっとこうして褒めたかったんだ”

 

 先生を見上げる。その微笑みは、いつも浮かべているそれよりも数段慈悲深く見えた。まるで、いつかトリニティの自治区で見た神様の像みたいだった。

 

“きっとアズサは、あんまり褒めてもらってこなかっただろうから”

 

 先生が、私の後頭部を優しく撫でる。そのスピードが徐々に遅くなってきているのが妙に惜しい。

 

“その分だけ、いや、その100倍は褒めたかったんだ”

「…………先生」

“ごめんね、私のわがままで……アズサは、どんな大人になるのかな……”

 

 お嫁さんかな。キャリアウーマンかな。それとも友達と一緒に新しいことを始めるのかな。……もしかして、全部かな。

 その言葉を最後に、先生の口からは寝息しか聴こえてこなくなった。依然として私を抱きしめたまま。

 

 何だか目頭が熱くなる。休憩室は窓からの日光もあって明るい。アリウス領にいた頃は、世界の全てが暗かった。

 こんな明るい場所にいられるようになるなんて、思わなかった。

 そっと、両腕を先生の背中に回してみる。ただでさえ密着していた先生の身体がますます私の身体に近づいて、もう2人の間の距離は1cmもないだろう。

 

 先生に愛されている。先生が愛してくれる。先生が、こんなに近くにいる。

 それだけのことが何て嬉しいんだろう。何で、私の心はこんなに満たされるんだろう。

 このままずっとこうしていたい。少なくとも、あと数時間は…………。

 

 

 

 

 

 

“本当に申し訳ありませんでした”

「あっ、謝らないで先生。勝手に添い寝したのは私だし、そもそも変なことは何もされてないから……」

“寝惚けてアズサにセクハラしました。その上すごく失礼なことを言った覚えがあります”

「そんなことはない。セクハラっていうほどのことでもないから……」

“せっかく来てくれたのに……もう、死ぬしかないのでは……?”

「死なないで先生」

 

 あの後つい落ちてしまった私の意識は、3時間後に先生がベッドから飛び起きる音で急激に覚醒した。まず私の目に入ったのはこの世の終わりのような顔をしながらベッドの下で土下座を敢行する先生だった。しかし、何でそんなに申し訳なさげなのか分からない。

 

「その……確かに頭撫でてもらったりしたけど」

“うん、ともすればセクハラだね……”

「私は、えっと……嬉しかったから、いい」

 

 頭を撫でてもらい、褒めてもらい、剰え添い寝をしてもらった。他の男の人にされるなら拒絶の1つもしようものだが、先生にされるのならば話は別だ。

 

「できることなら……次会ったときも、してほしい」

“な、何を?”

「頭を、撫でること」

 

 本当は褒めてもらうこともねだろうかと思ったが、それは少し違う気がした。

 戸惑いながらも小さく頷いてくれる先生。それだけで次に先生と会うのがどうしようもなく楽しみになってしまう。

 

“あの……今日、何もできなかったからさ”

 

 先生がなおも申し訳なさげに話し出す。何もできなかったなんてことはないと思うんだけど。

 

“明日、よかったらもう1回会わない?”

「えっ?」

 

 瞳孔が最大まで広がるのが自分でも分かった。自分では見えないはずなのに。

 もう1回会える。明日。先生と会える?

 

「いいの?」

“アズサがいいなら、だけど……”

「いい。是非。お願い」

 

 どこで会うのか、何をするのかも私の希望に沿ってくれるらしい。寝起きで頭にかかっていたもやが一気に晴れる。

 挨拶をして部屋を出た瞬間に、弾けたように走り出す。早く帰っていろいろと準備をしなければならない。シャーレのビルから寮まではそこそこに距離があるはずなのに、まるで飛んでいるかのようにどこまでも速く走れた。

 まだ日も暮れぬうちに部屋に飛び込み、急いで明日のための準備をする。銃や爆弾のメンテナンスは、今夜いつもより念入りにする。他には、そうだ。服だ。

 

「服、どんなのが……」

 

 先生はいつもの制服の私をかわいいと言ってくれたけど、せっかくならお洒落して行きたい。でも、今ある服の中でどれがいいのか、私には分からない。

 今だけは「服なんて最低限あればいいだろう」と思っていた自分を引っ叩きたくなる。でも今から服を買いには行けない。もう外は真っ暗だ、遅すぎる。

 

「……こういう時は、相談」

 

 スマホでモモトークを開き、補習授業部……いや、それはダメだ。理由は分からないけど、心がざわざわする。

 誰がいいだろう。友達……ヒフミ? コハル? ううん、違う。サオリは論外だ。そもそも連絡先を持っていない。

 悩んだ結果、開いたのはハナコのトーク画面だった。ハナコはいつも意味の分からないことを言っているが、真面目な相談にはきちんと乗ってくれる。

 

『こちらペンギン。応答せよ』

『アズサちゃん? どうしましたか?』

 

 メッセージを送るとすぐに帰ってきた。ベッドに腰かけるとその反動で少しだけ身体が弾む。それが何だか落ち着かなくって、いつか先生がくれたスカルマンのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。

 

『相談がある』

『何かあったんですか?』

 

 文字を打ち込み、送信ボタンを押そうとして、逡巡する。いいのだろうか。今の私は、平常時ではありえないほどに浮足立っている。こんな状態で行動したら、良くも悪くも突飛な結果になってしまいやしないか。

 でも、今の私には分からないことだらけだ。だって、「誰かにもっとかわいく見られたい」なんて思ったこと、初めてだから。

 

『明日、先生と会うことになったから、かわいい服で行きたい』

『服、ですか?』

『うん、服』

 

 スカルマンを抱きしめる力がどんどん強くなっていく。緊張している証だ。

 メッセージを待つ数分がどうしても長く感じて、後ろからベッドに倒れ込んだ。スカルマンは何も答えてくれない。もどかしくなって顔に強く押し付けると、唇に柔らかな感触が伝わってくる。

 そして、気付いたらハナコから新着メッセージが3件来ていた。

 

『なるほど。これは一大事件です』

『とりあえず、今アズサちゃんが持っている服を写真で送ってくれませんか?』

『全部です。思いっきりかわいくしちゃいましょう』

 

 心臓が飛び出しそうだ。身体が熱い。でも、先生に私のことをもっと「かわいい」って思ってもらうためだから。

 鏡に私の姿が映る。顔はいつもより紅潮し、挙動のあちこちがぎこちなく、また忙しない。

 指で頬を持ち上げて笑顔を作ると、心が少し和らいだ。先生は、この私をかわいいと思ってくれたのだ。

 

「…………よし!」

 

 そうして私は、箪笥から服を引っ張り出し始めた。

 窓の外に広がる夜が明けるのが、どうしようもなく楽しみだった。

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