私と君のアーカイブ 作:自産自消
シロコと一緒にラーメンを食べる話
アビドス高等学校近郊に、紫関ラーメンという店がある。店主の個人経営で運営されている、リーズナブルな価格とそれに見合わぬ量、何よりその味が魅力の屋台ラーメンだ。
“大将、やってる?”
「おっ、シャーレの先生じゃねえか。いらっしゃい」
昼間に来ればセリカのバイト姿も拝めるのだろうが、今の時刻は夜の9時。今頃は夜間警備か自宅で寛ぐかしていることだろう。
暖簾を潜ると柴犬姿の店主がいい笑顔で出迎えてくれる。湯気と共にスープのいい匂いが漂ってくる。今日も絶好調なようだ。
「今日は何にする?」
“紫関ラーメン大盛りで”
「あいよぉ!」と元気のいい掛け声とともに、目の前で麺が熱湯の中に入っていく。少し熱気に中てられて、思わず白衣を脱いでしまう。
今日の仕事が終わったのはいいが、日がな一日動き回っていたせいで昼食を食べそびれた。そうなるとアドレナリンが切れた瞬間に堪え難いほどの空腹感が襲ってくる。何か腹に入れたかった。それこそ明日も食べなくてもいいくらいの満腹感を脳に送りたかった。
「今日は随分お疲れのようで。仕事かい?」
“あはは、まあ……”
「おう、それじゃこっちもトッピング全部盛りサービスだな!」
今回の案件はヘルメット団の鎮圧だった。正直楽な仕事ではあったのだが、とにかく数が多くて時間がかかる。今日の午前は書類仕事もこなしていたものだから、もう寝るまでは働く気になれそうにもない。
美味しいものを食べて、帰るまでに消費する気力を回復しておきたかった。空腹と疲労感からか、今日の指揮でまずかったことばかりが思い起こされる。
「どうも落ち込んでるねぇ。悩み事かい?」
“ああ、まあ……”
「生きてりゃしくじることの1つや2つあるわな。まあ、ラーメン食って元気出してくれや」
スープのいい匂いがますます強くなっていく。視界が湯気でぼやけ、波立っていた心が少し落ち着いた。
「おっ、そんなこと言ってたら……来ましたぜ」
“んっ……? あれは……”
ボーっとしていて気が付かなかったが、自分のすぐ近くで足音が聴こえた。その気配は着々とこちらに近づいてきて、そして先程の私と同じように屋台の暖簾をくぐった。
「ん……先生?」
“シロコ?”
「先生もここで食べてたんだ。……びっくりした」
シロコが私の隣に座る。火薬と硝煙の匂いがした。
端正な顔にはついさっき貼られたと思しき絆創膏が見える。今日の私の指揮のミスが原因で負った傷だ。
“怪我の調子はどう?”
「怪我っていうほど大袈裟なものじゃない。明日には治ってる」
だから大丈夫、と微笑まれる。その笑顔が申し訳なく思えて、ふっと目を逸らしてしまった。
キヴォトスに住む生徒たちの身体はとても頑丈だ。弾丸1発で重傷になり得る私とは違い、執拗に撃ち込まれでもしない限りは問題がないのだ。シロコが言っていることは正しいのだろう。
それでも、私が一因となって生徒に怪我をさせたという事実は変わらない。深く息をつくと、胸の奥に渦巻く黒い靄めいたものが一緒に抜けていく気がした。
“今日はごめんね。私のミスだった”
「心配しないで。不意打ちを喰らったのは私のミス」
“別動隊の存在に気付かなかったのは私だよ。ヘルメット団の一部がどこかに消えたのは分かってたんだけど……”
「大丈夫。今こうして生きてるんだから、気にしないで」
顔を見ることができない。カウンターの上で握りしめた氷水入りのコップが冷たい。
気まずい沈黙に耐えながら目の前の空間をじっと見つめていると、そこにスッと大盛りのラーメンが差し出された。頼んでいないトッピングの山が光っている。
「はいお待ち。紫関ラーメン大盛りね」
“このトッピングは……”
「サービスよ、サービス。盛り過ぎちまったから、まあ食ってくれや」
店主が屈託なく笑う。湯気が目に沁みて涙が出そうだ。
「店主、私も同じくらいの……」
「分かってる、大盛りの全盛りトッピングサービスね」
見ると麺が既に熱湯の中に入っている。いつの間に注文をしていたのだろうか。そう思ってシロコの方に顔を向けるとバッチリと目が合ってしまい、そして気まずそうに目線を逸らされた。
思わずコップを握りしめる力が強くなる。自分の至らなさを心の奥底に封じるように、コップの中の水を一息に飲み干した。
“シロコ”
できる限りいつも通りの口調を取り繕う。動揺を悟られないようにラーメンを啜り始めると、味わい深いスープが冷えた心を温めてくれる。
「ん、どうしたの先生」
“……最近は、学校どう?”
なるべく別の話題を振るようにする。今日あったことを話し始めたら、また謝罪合戦になりかねない。というよりも、なってしまうだろう。何せ申し訳なさを感じているのは私だけではないのだから。
“ホシノたちとは、ちゃんとやれてる?”
「ん、異常はない。みんな仲良し」
“最近はどんなことがあった? 遊びに行ったりした?”
「遊びに行くのはあまり……だけど、部室でよく話したりする」
大将が無言でシロコにラーメンを差し出してくる。それをシロコも無言で受け取り、啜り始めた。
ラーメンを吹く音と啜る音が2つ、夜の闇に溶ける。狭い屋台の中は暖色の蛍光灯で満たされ、気が緩んだ途端に涙が出てきてしまいそうに優しい空間だった。
“銀行強盗とかは……”
「してない。やれって言われたらするけど」
“やらないで!?”
「ふふ、冗談だよ先生」
山盛りになったもやしを、スープと一緒に口に放り込む。思わず口の中をやけどしそうなほどに熱々だ。
シロコは熱いものが苦手なのだろうか、私よりも念入りに息で冷ましてから麺を口に入れている。やはり動物の耳がついている生徒は猫舌の傾向が強いのだろうか。どうやらこの視線も感じ取られてしまったようで、シロコは恥ずかし気に顔を背けてしまう。
「……熱いの、好きなんだけど、苦手で」
“あらら”
「でも、好きの方が強いから。だから紫関ラーメンにはよく来る」
カウンターの向こうに目を向けると、目を瞑ってうんうんと頷いている店主の姿が見えた。
“1人で来るんだ?”
「1人でも、みんなでも。ここではセリカもバイトしてるし」
“ああ……”
「みんなで食べるラーメンも美味しい。けど……」
シロコがラーメンを一口、二口と口に含む。それを美味そうに飲み込んで一息つくと、仄かな湯気が飴色の空間に消えた。
「1人で食べるラーメンも、美味しい」
“じゃあ、お邪魔しちゃったかな?”
「ううん、先生と食べるラーメンも、とても美味しい」
スープの沁み込んだネギをレンゲに盛って噛み締めると、シャキシャキと鋭い音が頭の中に響く。醤油で味付けされた芳しく奥の深い味が、ネギの辛味によって一層引き締まっている。
「私は、先生を邪魔だと思ったことなんてないから」
2人の間を少し冷たい風が吹いた。シロコの銀髪と、トレードマークの水色のマフラーが夜闇にたなびいて綺麗だ。
「また、一緒にラーメン食べてくれると、嬉しいな」
いつの間にか、目の前のどんぶりはスープ以外は何もなくなっていた。気付いてみれば腹もそこそこに膨れ、満足感が脳髄を満たしてくる。
マリンブルーの眼が心配げに震えている。それも私の見間違えかもしれないが、それでも双方がお互いに何らかの後ろめたさを感じていることは間違いなかった。
“もちろんだよ、シロコ”
だから、私は謝らない。謝ったら、それは私がシロコに対して罪悪感を抱えていると認めたことになってしまう。シロコが「何も気にしない」としている以上、それはいけない。私たちは、この場で暗い気持ちを押し流すしかない。
“また、一緒に食べよう”
夜空に星はない。雲の向こうでゴウゴウと何かが唸っている。
明日になったら星空が見れることを祈りながら、私たちはそれぞれの帰路を歩き始めた。