私と君のアーカイブ   作:自産自消

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愛清フウカ
フウカが先生に料理を教える話(※)


 キヴォトスに来た当初、私は仕事に慣れずに徹夜ばかりしていた。

 今でも仕事が繁忙期に差し掛かると徹夜せざるを得なくなる時があるが、それでも当番の生徒の協力を得られ始めたことや私自身が書類仕事に慣れたこともあり、それまでよりも比較的早めに自宅に帰れるようになった。

 

 そうすると日々の生活に余裕ができる。自宅に帰った直後に倒れるように眠るばかりではなく、ある程度自分の趣味や生活のことに気を回せるようになった。たとえば、料理とか。

 いつまでも外食やインスタント食品で食事を済ませていては食費が跳ねあがるばかりだ。そう考えて簡単な自炊に手を出してみたら、これが思った以上に面白い。

 自分の勘と舌を信じて少々アレンジしてみるもよし、ネットで見た難しめのレシピに挑戦してみるもよし。どちらにせよ食費を浮かすことができるし、何より楽しい。失敗しても自己責任で終わる分、気が楽なのだ。

 

 そして、今私の目の前に料理の楽しさを教えてくれた生徒がいる。

 

“ということで、ここ最近で料理は少しできるようになったんだよ”

「へぇ……! それは素晴らしいことだと思いますよ!」

 

 愛清フウカ。ゲヘナ学園給食部の部長。かの学校の食を実質1人で切り盛りしている女傑だ。

 私が仕事に慣れなかった頃は、時折自宅に招いては料理を作ってもらっていた。「さすがに生徒に自分の身の回りの世話をしてもらうのは忍びなかった」というのも私が料理に凝り始めた原因なのだが、やはり私の付け焼き刃な料理ではフウカの味に遠く及ばないというのが実情だ。

 

“それでもたまにだけどね。ふと気を緩めるとすぐ外食に走っちゃったりして”

「おそらく自分の味に飽きちゃってるんだと思いますよ。普段どんな料理を作ってらっしゃるんですか?」

“いやぁ、手の込んだものはあんまり。茹でたパスタにソースかけたり、カレーを作り貯めて3日凌いだり、それくらいだよ”

「それも立派な料理ですよ。……だけど、同じものが続くと栄養面でも偏りが出てしまいますし、何より先程言ったように先生ご自身が自分の料理に飽きちゃいますから」

 

 確かにカレーを作れば野菜や肉を多量に摂取できる。パスタは手間が省けて楽だ。だけどそればかりになると「今日もまたこれか」という落胆がないこともなかった。

 

「私も料理を始めた頃は、そのスパイラルに陥ってましたから」

 

 フウカはまとめた書類を机の上でトントンと綺麗に揃えながらそう言って笑う。当然のことなのだが、フウカにも料理初心者の頃があったのかと思う。

 

「……何ですかその目は。私だって料理が不慣れな時期はありましたよ?」

“何で思ったことがバレたの?”

「そういう目をしてました。全くもう……いえ、そう思ってくださることは嬉しいんですが。あっ、これゲヘナ関連の書類群です」

 

 書類が私に手渡される。その手は私の手とは違い、指のあちこちに包丁タコと思しきものができていた。

 毎日のように包丁やおたまを使って台所を走り回っているのではそうもなろうというものだが、それでもその細くも強い指に一瞬だけ見惚れてしまった。

 

「……あの、先生?」

“あ、ああ。ごめんごめん、その指……”

「指……このタコですか? あはは、恥ずかしいものをお見せしてしまいましたね」

“いやいや、全然恥ずかしくないよ。フウカが頑張った証だよ”

「そ、そう言われると……んんっ……」

 

 男子にとっての一瞬は女子にとっての数秒。そう誰かが言ったことを思い出す。反省だ。

 

「――――話を戻しますが、先生は今料理でマンネリに陥っているということでよろしいですか?」

“マンネリってほどじゃないけど、まあ、そうかな?”

「でしたら……もし、よろしければでいいんですが、私が何個か料理のレシピをお教えしましょうか?」

 

 私にとっては願ってもない申し出だ。給食部として毎日数千食作っているフウカのノウハウを知れるというのは大変に嬉しい。

 しかし、そうなるとフウカの負担を増やすことにもなりかねない。

 

“いいの?”

 

 私がそんな思いを込めて問うと、フウカは何事もなさげににっこりと笑った。

 

「いいんです! 先生のお役に立てるなら喜んで!」

“それじゃあ、この仕事が終わった後でいい? 今日は夕方には帰れそうなんだ”

「はい、是非! あっ、その前に買い出しには付き合ってくださいね?」

“もちろん。私のことだからね”

 

 今回の食料の買い出しはいつもと違って、楽しいものになりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 その後私たちは仕事を早急に片付け、すぐにスーパーマーケットに直行した。

 

「聞いた限りだと先生の食卓って麺類が多そうなので、今回は麺類なしでいきましょう!」

 

 そう言いながらフウカは慣れた手つきで買い物かごに野菜や肉を入れていく。何を作るのかを訊いても、「それはご自宅についてからのお楽しみです」の一点張りだ。

 しかし、フウカの顔がいつも以上に輝いて見える。給食部部長として大変な思いをしていることは事実だろうが、それでもそこにフウカは確かに楽しみを見出しているのだろう。

 

「あっ、このピーマン色が濃くてツヤもある! 新鮮な証ですよ、先生! ……今日の目当てはこれじゃないんですけど」

“そうなんだ? 賞味期限と値段にしか目が行かないものだからなぁ……”

「すぐ料理に使うならそれでもいいと思いますが、先生はご多忙ですから何日も続けて料理することができないんじゃないですか? そうなると鮮度が落ちて、悪くすれば腐ってしまいますよ」

“うぐっ……確かに、そうだね”

 

 ふと、冷蔵庫の中で変色した野菜たちのことを思い出す。悪戦苦闘しながらビニール袋に密閉したあの瞬間はこの先忘れられそうにもない。

 

「そうなると食材にも失礼ですから、料理計画には余裕を持たせましょうね」

“気を付けます……。あっ、この辺りはあんまりじっくり見たことがないな”

「勿体ないですよ? たとえばこれなんか冷凍可能ですし、日持ちしますよ。今日使うわけじゃありませんが買っておきますね」

“ありがとう、助かるよ”

「……買ったこと、覚えておいてくださいね?」

“あ、あはは……”

 

 今回の買い物のお金はさすがに私が出した。フウカは「私が買うと決めたものなのに」と固辞しようとしたが、私のために買ってもらっているものに私がお金を出さないのは道理が通らない。

 それに、買い終わった後の量に反してそのお代は想定よりもかなり安く済んでいた。これもフウカの目利きの為せる業なのか、それとも私がただ未熟なのか。

 

「先生も料理と買い物に慣れれば、これくらいで済ませられるようになりますよ」

 

 フウカはそう言って笑う。2人して両手いっぱいに荷物を持ち、えっちらおっちらと私の家に向かっている。その様は見る人が見れば兄妹か夫婦のように映るのだろう。

 その事実を知ってか知らずか、フウカの顔はいつもよりも紅潮している。それが単に夕焼けの光を顔に受けてのものなのか、それとも現状を気恥ずかしがっているのか。私には判断がつかない。

 

“それじゃ、鍵開けるからちょっと待ってて”

「はい。やっと着きましたね」

“荷物重くなかった? 私がもう1個持てばよかったね”

「いえ、これでも力はある方ですから。それに先生に無理をさせるわけにはいきませんし」

“それでもフウカが私の大切な生徒であることに変わりはないんだよ。ごめんね”

「んっ……謝らないでください。全然重くありませんでしたから」

 

 そうして私が鍵を開けると、フウカはおずおずと玄関に上がり込んできた。

 

「お……お邪魔、します……」

“何回も来てるんだから、そんなに畏まらなくてもいいのに”

「畏まりますよ。先生のご自宅なんですから……他に上がれる子が何人いるか……」

“現状はフウカしか招き入れたことがないよ”

「そ、そうなんですね。えへへ……あっ、洗い物ちゃんとしてますね」

“洗い物をするところまでが料理だって、フウカが言ってたからね”

 

 今、日頃から掃除や洗い物を徹底しておいてよかったと心の底から思っている。過去の私の失敗から学び、いつ自宅を離れてもいいように洗い物だけは毎食後にやるようにしていたのだ。

 

「それでは、お料理を始めましょうか」

“はい、よろしくお願いします”

「そんなに恐縮しなくても大丈夫ですよ。今回は生姜焼きのレシピをお教えしますね」

“いいね、生姜焼き。私好きなんだ。でもどうしても手が伸びなくって”

「そうなんですか! じゃあちょうどよかったですね!」

 

 そう言ってフウカは私に分かりやすく説明しながら、準備とその他の料理の作成をてきぱきと進めていく。私は言われた通りに野菜や肉を切るだけだ。

 生姜焼きのタレには2種類の調味料しか使わないと聞いた時は大層驚いたものだが、生姜を入れた後の味見をした際には確かに「これだ」と唸るほどには生姜焼きの味だった。

 

「後は火を通した豚こま肉と玉ねぎに、このタレを炒め合わせたら完成です」

“あっ、それは私もできる。やってもいい?”

「はい。では私はその間にお味噌汁とごはんをよそってますね」

 

 するとフウカは隣のコンロで温めていた味噌汁の味を見ながら、ご機嫌に鼻歌を歌い始める。どうやら会心の出来だったようで、踊るような足つきで味噌汁をお椀によそい始めた。その横顔を見ながら思う。

 

(やっぱり、フウカは料理をしている時が一番楽しそうだよなぁ)

 

 みりんのアルコール分で酔った際には愚痴が飛び出す。時折美食研究会に連れ去られては酷い目に遭っているのも知っている。

 しかし、それでも料理というものを心の底から楽しんでいなければ、今のフウカはいないのだろう。そんなフウカが、今は誰よりも強く見えた。

 

“できたよ、フウカ。でもこれ量少なくない?”

「そうでしたか? 大人の男の人ってそれ以上に食べるんですね……?」

“いや、てっきり2人分だと思ってたからさ”

「…………え?」

“あれ?”

 

 フウカの顔色がすっと消える。その数瞬後には赤から青に二転三転し始めた。

 見ている分には面白いのだが、どうやらフウカは自分自身が食べることを計算に入れていなかったらしい。言われてみると、白米も味噌汁も1人分しかよそわれていなかった。

 

「だって、だって先生のためのお料理教室だと思ってましたから!」

“私はこれの半分でも十分足りるけど……”

 

 やせ我慢だ。これをおかずに白米2杯分くらい食べないことには私の腹が膨れることはないだろう。

 

“……フウカは、食べないの?”

「その、それは全部先生の分ですから……私が食べるわけには」

“じゃあ、私はフウカにも食べてほしいな”

 

 だけど、今ここでフウカにちゃんとした礼をしないことには始まらない。

 その礼とは口頭での「ありがとう」だけではなく、私自身がこうして料理を振る舞うことにもある。少なくとも、私はそう思っている。

 

“私がフウカのレシピでどれだけ上手く作れたか、フウカ自身に知ってほしいな”

「……そう言われると、食べるしかなくなっちゃうじゃないですか。でも、いいんですか? 量少ないですよ?」

“まあ、足りなかったらその時はその時だよ”

「先生は……全く、もう」

 

 玄関を背にしていたフウカはそう言ってため息をつくと、台所に来て白米と味噌汁をもう1人分よそい始めた。

 私はそれを見て、安心して生姜焼きを2枚の皿に半分ずつ盛り付けた。やはり誰かと共にする食事が一番心地良い。

 

「……実は、このレシピ」

“うん?”

「母から教わったものなんです。簡単で美味しいからこれだけは知っておきなさいって、ゲヘナに入る前のことです」

“そうだったんだ。そんな大事なレシピを教えてくれたの?”

「……誰にでも教えるわけじゃないですよ?」

 

 フウカが私の対面に座る。立ち上る湯気からはいい匂いがしてくる。もうこの香りだけで腹が満たされそうだ。

 

「相手が先生だから……お教えしようと思ったんです」

“……そっか”

「あの、先生。もしよかったらなんですけど……まだ、たくさんあるんです。お教えしたいレシピが、たくさん」

 

 フウカのレシピならば、私も飽きることはないだろう。何せ私の頭の中にあるレシピとは比べ物にならないほどの量があるのだから。

 

“うん。私からもお願いできるかな。いろいろ教えてくれる?”

「…………! はい! 是非、こちらからもよろしくお願いします!」

 

 やはり、フウカは料理をしている時が一番嬉しそうだ。

 そしてその顔が一層輝くのは私と料理をしている時なのだと思うのは、男としての傲慢だろう。

 

“それじゃ、冷めちゃうからいただこうか”

「あっ、そうですね! それじゃ、失礼して――――」

 

 2人して、手を合わせる。

 

「いただきます」

“いただきます”

 

 量は少ないが、それ以上に心が満たされる食事だった。

 

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