私と君のアーカイブ 作:自産自消
旧き思い出とペロロ様(※)
別に何か用事があったわけではない。ただ自分には縁遠かった施設だった、だから少し踏み入ってみたいと思った。それだけだった。
何をする施設だったのかは知識として知っていた。ゲームセンター……お金を払って遊ぶ場所。本当なら今だって自分とは無縁であるべき場所だった。その日その日を生きることを考えなければならない自分にとって、たとえ昨日たまたま報酬を額面通り受け取ることができたからといっても、生活費以外は何かあった時のために回さないといけないはずだった。
ただ、少しいい気分だったから入った。それだけだ。
自動ドアを抜けると、そこはネオン街よろしくビカビカと光る魔窟だった。
ゲームらしきピロピロ音が絶え間なく流れ、時々生徒の怒号と筐体を叩く音、まれに銃声。空いている筐体には「コインを入れてください」のテロップと共にプレイ画面が垂れ流されている。
「…………虚しい」
何たるカオス。ブラックマーケットでもここまでの音と光の暴力はないのではないだろうか。
正直入ってしまったことを後悔しそうになったが、「入ってしまったからにはある程度見て回らないといけない」という意地もあった。どうやら複数個コーナーがあるようなので、眉をしかめながら進んでいく。すると、ぬいぐるみやフィギュアの箱がガラス内に閉じ込められている何やら珍妙な筐体がずらりと並んだコーナーに出た。
「UFO、キャッチャー……?」
上部分にポップな字体でそう書かれてあるのを読み上げた。UFOキャッチャー。名前だけは知っていたが、いざ目の前にしてみると何とも拍子抜けだ。
世間一般ではこの中にいるようなものを「かわいい」とか「かっこいい」とか言うのだろう。当番としてシャーレの先生の手伝いをする際も、先生のデスクの上にロボットのフィギュアがあった記憶がある。こういうものにお金をかけられるのはやはり大人の特権とでもいうべきか。いずれにせよ、今の私には縁遠いものだった。
ふらふらと流し見していると、あるものが目に入った。強烈な既視感。そうだ、以前トリニティを襲撃した時にアズサが中に爆弾を仕込んでいた……。
「…………あっ」
そして、目の前にいる少女にも見覚えがあった。やはりエデン条約でのごたごたの時に、瓦礫の上に立って私たちに臆せず宣戦布告をしていた、亜麻色の髪をしたトリニティ生。
「アリウスの、錠前サオリさん?」
「……阿慈谷ヒフミ」
かろうじて名前が出てきたのはきっと、アズサと関連づいていたからだろう。
私は猛烈な気まずさを感じながら、「なぜここに」と言わんばかりに目を見開く彼女をどこか俯瞰的に見ていた。
「ここにいるのは……興味だ。別にここで何かをしようというわけではない」
ボソリと弁解をするように言う。相手からしたらかつてトリニティとゲヘナを攻撃した極悪非道のテロリストがなぜこんな場所にいるのか理解ができないだろう。
ヒフミは呆気にとられたようにこちらを見つめている。それがどうにもむず痒くて、自身の影を意識せざるを得なかった。
阿慈谷ヒフミは、どうやら筐体の中にある特大のぬいぐるみが欲しいらしい。財布の中に見えた何十枚のコインの大半が今日この場で消えるのだろう。人間の上半身くらいはあるあのぬいぐるみを抱えて帰るのだろうか。理解ができなかった。
しかしここで私と出くわしてしまったことで、どうやらあちらもあちらでやりにくいらしい。ネジが緩んでいるのか、アームはぬいぐるみを満足に掴むことすらできずにガタガタと上下運動しながら揺れるばかりだ。
……このぬいぐるみ、本当に変だな。普通では考えられない表情をしている。瞳はグリンと上を向き、嘴からは舌がデロンと垂れ下がっている。腹はでっぷりと肥え、鳥を模したキャラクターであることだけが辛うじて分かる。
「そのキャラクターは……何だ」
「ペロロ様です」
きわめて真剣な目つきで振り向かれ、一瞬ぎょっとした。いつか聖園ミカがカタコンベで我々アリウススクワッドを圧倒していた風景が頭をよぎる。トリニティ生は全員こんなのばかりなのか。
「ご存じありませんか? モモフレンズの、ペロロ様です」
「知らない」
知らないものを「知ってる」と答えても何にもならない、正直に返す。モモフレンズ……? 初めて聞く単語だ。食べ物の名前ではなさげだが。
「モモフレンズってアニメのキャラクターです。BDありますよ! 貸しましょうか!」
「結構だ。BDを見る環境がない」
そうですか、とヒフミが残念そうにつぶやく。どうやらヒフミはそのアニメ、ひいてはその「ペロペロ様」なるキャラクターのファンらしい。……そしておそらくは、アズサも。
「…………アズサも、そのキャラクターが好きなのか」
「アズサちゃんは他のキャラも好きです! この前は映画も観に行ったんですよ!」
鼻息荒くヒフミが声を上げる。するとハッとした表情を一瞬見せてから、恥ずかし気に一言こちらに向けて謝罪をしてきた。別に謝るようなことではないのだが。
……私がここに来てから10回目のトライに失敗したころから、話題は共通の知人であるアズサに移った。とはいえそれまでも大した話はしていない。彼女のUFOキャッチャーへの集中を妨げたくはなかったため、プレイの合間にぽつぽつと私が質問し、彼女が返す。そんなぎこちない雰囲気が続いていた。
…………しかし、久しぶりに同年代の人間と会話をした。だから、私の口も軽くなっているのだろう。
少し、懺悔がしたくなった。11回目のプレイが失敗に終わったのを見計らって、私は話し始めた。
「…………エデン条約での騒動の時」
「えっ?」
ヒフミがこちらを見る。筐体からの「コインを入れてね!」という声がやけに脳に響いた。
「私は、アズサに爆弾をくらわされた」
正確にはあの時あの場所で一番深い傷を負ったのは姫だっただろうが、そういう話ではない。話をする際に必要なのは事実ではなく真実だということを、私はここ最近の生活で学んでいた。
「……ペロロ様のぬいぐるみの中に、爆弾を?」
「知っていたのか」
「アズサちゃんが教えてくれました」
それすらも話していたのか、と思わず目を細める。親友とはこのような関係を言うのだろう。私にはそのようなものはついぞできることはなかったな。私の後ろにいるのは皆私が体を張って守るべき人間ばかりだった。対等な友人関係とは一体何なのか、私には他人からの情報でしか分からない。
ヒフミは相変わらず真っすぐにこちらを見ている。その瞳があまりに眩しくて、思わず視線をUFOキャッチャーの方に逸らした。
「…………あの時」
ガラス窓の向こうにある十数個のぬいぐるみは、微動だにせず虚空を見つめている。
「アズサはどんな気持ちであのぬいぐるみを手放したのか、分からなかった」
理解はしていた。しかし、その奥底にあるものまでは知らなかった。知る必要がなかった、ということも言い訳になってしまうだろう。
「あのぬいぐるみはきっと……お前が関係してるんだろう」
「……………………」
詳細は知らない。だが、その表情だけで大体の答えは見えていた。
それだけで、私の心はギシギシと音を立てて軋んでいった。
「……すまなかった。私たちは、とんでもないことをした」
そうして、潰れるようにそう言った。
そういえば、あの件での謝罪を関係者たちにしたことはなかったな、とふと思う。
あの後から私たちはお尋ね者となり、陽の光の下では生きられなくなった。触れ合う機会もないのでは謝罪のしようもない。
だが、今こうやってこの場に、あの混乱の渦中にいた生徒がいる。
「あなたたちを傷つけた。あなたたちの下にいるアズサを、必要以上に傷つけた」
償いとはどのように行われるべきなのか、私にはわからない。法の裁きから今こうして逃げている以上、私の謝罪も本当の意味での償いではないのだろう。
だが、たとえこれが罪の意識から逃れるための虚しい自慰行為だったとしても、言わずにはいられなかった。
野球帽を深めに被り直し、会釈をする。それが精一杯だった。それ以上してしまうと、大袈裟すぎて冗談に受け取られてしまうようで嫌だった。
「…………すまなかった」
「……いいんです。大事なのはぬいぐるみじゃないですから」
眼前の少女が穏やかに笑う。怒りや悲しみの色はそこには微塵もなかった。それこそがあの日あの場所に最も必要だった、「寛容」や「慈悲」の心なのだろう。
「アズサちゃんがあのぬいぐるみを本当に大事にしてたってことが、一番大事なんです。きっと、その想いは消えることはないから。だから……」
「…………いい友達を持ったな、アズサは」
羨ましいよ、とは言えなかった。被害者ぶってしまうようだったから。
「……あっ、ここでゲットしたぬいぐるみをアズサちゃんに渡すっていうのはどうでしょう! それならきっとアズサちゃんも喜びますよ!」
「…………あのぬいぐるみは、1つしかないだろう。私が同じものを渡したって意味がない」
「思い出はあればあるだけいいんですよ!」
快活に笑いながらヒフミが続ける。思い出はあればあるだけいい、か。
「きっと、アズサちゃんも、あの日サオリさんと敵対しちゃったけど」
私は、アズサたちに戦い生き抜く術を教えることしかできなかった。きっとあの時の彼女たちの目に映る私は、途轍もなく恐ろしく見えたことだろう。
その後に補習授業部で過ごした日々に比べたら地獄のような日々だったはずだ。アリウスでの思い出なんて一刻も早く忘れたいだろうに。必要以上にアズサを傷つけた私を、アズサは決して許しはしないだろうに。
「アズサちゃんは、サオリさんのことを、まだ好きだと思いますから」
そうではないと分かっていても、そう信じたいと思えるくらいには、私にはまだ心があったのか。
「……そう思うか?」
「はい。だって、サオリさんもアズサちゃんのこと好きでしょうし」
陽の光とはこうまで焼けつくものか。上着のポケットに入れていた財布を探りながら苦笑する。
「…………だと、いいな」
ジェリコの古則、第四。
楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか。
先生は「信じるしかない」と言っていた。ならば、私も信じるしかない。
「……お札しか持っていないんだが、どうすればいい?」
「両替機ありますよ! 案内します!」
きっと、私たちとの思い出の中に、少しでも思い出したくなるものがあったと。
◇
“アズサ、当番ありがとうね。助かったよ”
「大したことはしてない。でも、先生の助けになれたならよかった」
夕方。本日のシャーレの当番だったアズサが帰る頃合い。
いそいそと帰る支度を進めているアズサを、私は少しだけ呼び止める。
“ごめんアズサ、ちょっといい?”
「む、まだ仕事が残ってた? 手伝うけど」
“違うよ、渡さなきゃいけないものがあって”
机の下に置いてあったペロロ様の特大ぬいぐるみを持ち上げる。ぬいぐるみながら確かな重量感を感じるそれは、私のひ弱な肉体に少ないながらも確かなダメージを与えた。
「先生からの、贈り物?」
“ううん、とある人から。私はただ渡すだけ”
数日前に「アズサへ」と託されたそれを渡す。いつもはきゅっと結ばれているアズサの口元の端が、抑えきれないようにふにゃふにゃと歪んでいるのがはっきりと見えた。
「……名前は分からないの?」
“うん、分からない”
名前は明かさないでほしいと言われたからそう言う。たとえそれが公然の秘密だろうとも。
「…………機械とか」
“ないない、それは信じてほしいな”
「冗談。……分かるから」
いよいよアズサの表情が、噛み締めるような笑みに変わった。
「先生」
“うん、何?“
ぬいぐるみを本当に大事そうに抱きしめながら、アズサが言う。
「その人に伝えておいて。『ありがとう』って」
“……分かった。必ず、伝えておくね”
その言葉が、きっとあの子の生きる力になる。この思い出が、分かたれたこの子たちの溝をまた埋め戻すための道しるべになる。私はそう信じている。
いつか、彼女たちが5人揃って光の中で笑い合える日が来ることを、私は心の底から願った。