私と君のアーカイブ   作:自産自消

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イロハが先生に看病される話(※)

「――――くしゅっ!」

 

 脇に置いていたティッシュ箱からティッシュを抜き取り、すぐさま鼻をかむ。今日これで何十回目かも分からないくしゃみだ。くしゃみのし過ぎで鼻の奥と頭が痛くなってきた。

 

「あー……あー、きついですね……」

 

 丸めた鼻紙をゴミ箱に投げると、縁に当たってころりと床に転がった。こんなことならゴミ箱もベッドの横に置いておけばよかったと少し後悔する。

 少しの倦怠感と発熱、鼻詰まりに咳くしゃみ。完全に風邪である。関節痛などはないから感染症の類ではないだろうが、病気なことには変わらない。

 

「こういう形でサボるのも、いいかもしれませんがね。体調が良ければベスト……」

 

 朝から額に貼ってあった冷えピタが、粘着力を失ってブルブルと目の上で揺れている。その温い感触がやけに気持ち悪くなったので、剥がしてまたゴミ箱に捨てた。今度はきちんとリングインしたようで、山盛りになった鼻紙の上にポスンと着地した。

 

「体調のいいうちにスポーツ飲料買っておいて正解でしたね……」

 

 買ってあるのはそれだけなのだが。他に冷蔵庫の中にあるのは確か、昨日のうちに解凍しようと思っていた味付き肉とパックジュースに卵に野菜数個。

 

「パックごはんは確かあったか……でも、料理しなきゃダメなんですよねぇ」

 

 食欲自体はあるのに、腹に物を入れられないだろうという変な感覚がする。固形の何かが食べたかった。快気祝いにはジャンクフード祭りをしてやろうと強く決意した。

 中途半端に閉めてあるカーテンから差し込むオレンジ色の光が眩しい。外からは生徒たちの歓声、それと爆発音に発砲音が遠く聞こえる。そろそろ外に出て新鮮な空気を胸いっぱい吸いたいところだが、外に出る気力がない。

 

「卵雑炊が食べたいですね……醤油かけて……」

 

 自分で料理をしないなら、何かを食べる手段は外食かデリバリーかだ。だが病人の身空で外食だなんて倫理的にどうだという話になる。

 

「となると、デリバリーですね……」

 

 スマホでデリバリーアプリを起動する。ある程度探すと味の薄そうなおかゆを出してくれる店がヒットした。値段はトッピング諸々含めると概算で2000円強。高いが、デリバリーなんてこんなものだ。というか外食自体がどうしたってこれくらいの値段になってしまう。

 

「はーぁ……背に腹は、代えられませんね」

 

 重い指で「注文する」をタップする、その瞬間。

 コンコン、と予定にない来訪者がドアをノックした。

 

“イロハ? いる?”

「……いますけど」

 

 大人の男性の声。間違いなくシャーレの先生だ。

 

「私の現状分かってて来てます? というか何で来たんですか」

“分かってるよ? だからいろいろ持ってきた”

 

 ガサガサ、チャポチャポと音がする。食べ物を持ってきてくれたのか。

 

「どこで聞いたか……なんて、訊いても仕方ないですね。今開けます」

 

 体を起こすと、普段は私の真後ろでもっさもっさ言っている髪が、自重に圧されてペッタンコになっているのが何だか面白かった。ピンク色の縞々パジャマを引きずりながらドアを開けると、先生がニコニコ笑っていた。

 

“や、イロハ。体調はどう?”

「救急医学部にかかって薬ももらってます。ただの風邪です、1日寝ていれば治るかと」

“そっか。ちゃんと食べられてる?”

 

 実のところ、量を食べることはできていない。ゼリーを1皿食べただけで腹が満たされてしまう。どうにも胃腸系が弱っているようだ。

 

「食べることはできるんですがね」

“何食べたの?”

「ゼリーです。この前先生のお見舞いに行ったときに差し上げた、果物の」

“イロハも食べてたんだ。美味しかったなぁあれ”

 

 外から入り込む空気が妙に寒くてブルリと体が震えた。そうだった、悪寒の症状もあったんだった。暖かい布団の中に入ってたからすっかり忘れてしまっていた。

 

“っと、ごめんね。上がっていいかな”

「上がって何するつもりですか」

“よかったら何か作ろうかと思って。ほら、材料も持ってきた”

 

 見えたのは卵にパックのごはん。私が今一番食べたかったものだ。

 

“私が風邪ひいた時は料理なんてできなかったからさ。イロハもひょっとしたらって”

「…………そう、ですね」

 

 何で、この人はタイムリーで私が欲しいものをさらっと出すことができるかな。

 

“大丈夫そうだったら帰るけど”

「……お願いしても、いいですか」

“うん、任せて”

 

 暖房の効いた部屋に、病人の私と大人の男が1人ずつ。

 創作だったらここで急接近するんだろうけど、残念ながらここは現実で、私と先生はそういう関係ではない。私は枕元に置いてあったレディコミをさりげなく掛布団で隠しながら、ベッドの縁に座った。

 

「ガスコンロがあるので、はい、それで料理していただければと」

“料理するには食堂使わなきゃいけないもんね”

「それがなかなか面倒なんですよ」

 

 先生がクローゼットの中にあったガスコンロを取り出し、慣れた手つきでボンベを設置する。何か恥ずかしいものとかが置いてなかったかと心配になってしまい、どことなく落ち着かない。

 確か下着棚と洋服棚はベッドの真下にあるから見られることはない。本棚にも変な本は置いてないし……大丈夫、なはずだ。

 

“じゃ、作るね”

「早すぎませんか、作るの」

“もう7時だからね”

 

 カーテンを開けると、もう外はだいぶ薄暗くなっていた。空を見たら一番星と、半ば欠けた月が光っている。

 

「……もう、そんな時間ですか」

“昼寝とかした?”

「少しうとうとして、気付いたら2時間くらい落ちてました」

“寝られたならよかった”

 

 携帯ガスコンロがチチチと音を立てて点火する。どうやら動作確認だったようで、すぐに先生は火を消した。

 

“あの、フライパンって”

「ガスコンロと同じところです。料理用具はその近辺に固めてあるので」

“ああ……ごめんごめん”

 

 先生はクローゼットに頭を突っ込んであれこれ物色した後、よく冬に使われる小さな土鍋を持ちだした。

 水道はあるから洗い物をわざわざ食堂でしなくていいのが楽だ。尤も、こういった自室での料理はあくまで黙認されているだけで、何か事が起こったら真っ先に規制されるだろうが。

 

「火事とかには本当に気を付けてくださいね」

“大丈夫。その点は注意してる”

 

 床を焦がしたりしたら洒落にならない。高額の弁償をしなくてはならないうえに、後に部屋に来る生徒にも迷惑がかかる。何よりそうなったら処理がめんどくさい。

 土鍋にレンチンしたごはんを落とし、水とうま味調味料を少し入れて、火にかける。するとふつふつと甘い匂いが広がり始めた。

 

“これにごま油とか垂らして食べると美味しいんだよ”

「いかにも美味しそうですね」

“やってみる? 一応持ってきてるけど”

「食べたことないので、ぜひ」

 

 ぼーっと先生が料理するのを見つめていると、何だかお腹が空いてきた。

 そうして最後に卵を割り入れてぐるぐると菜箸で混ぜると、簡単卵がゆのできあがりというわけだ。

 

「でもそれ、量多くないですか? ごはん2杯分はありますけど、そんなに食欲ありませんよ?」

“うん? これ私の夜食も兼ねてるんだけど”

「はい!? 本気で言ってるんですか。うつりますよ?」

“うつらないよ。それに、独りでご飯食べるのは寂しいじゃない?”

 

 2杯のお椀におかゆをよそう。湯気が立っている。熱々の証拠だ。

 久しぶりに外食や給食ではない誰かの料理を食べる。そうして、簡単な食卓が出来上がった。

 

“じゃ、いただきます”

「いただきます」

 

 息を吹きかけて少し冷まし、熱いうちに口に入れる。いつも食べているジャンクフードのような濃い味ではなく、ふんわりと沁み入る薄い味が胸をほっと温めてくれた。

 

「んっ、美味しいです。すごく、すごく美味しい……」

“そう? ならよかった。時々こういうのが食べたくなるんだよね”

 

 聞くところによると、このおかゆは先生のオリジナルレシピだという。試行錯誤とアレンジを重ねてようやく掴んだ、先生だけのおかゆ。

 そんなものが、今こうして私に振る舞われていることが、少しだけ嬉しかった。

 

“とはいえ、似たようなものはあるだろうけどね”

「いいじゃないですか。調味料は同じでもそれは先生の舌に合ったオリジナル配分なんでしょう?」

“一時期自炊にハマっててさ。イロハは普段どんなもの作ってる?”

「私はあまり自分でレシピ考えたりはしないですね……」

 

 そうして、2人テーブルで向かい合いながら何気ない話をした。

 料理のことから派生して家事のこと、そして最近読んだ本のこと。面白かった漫画を先生にオススメしたり、展開について話し合ったり。夢中になって話しているうちに、左手に持っていたお椀はちょうどいい温度になっていた。

 

 気が付くと、おかゆは全て私の腹の中に難なく納まっていた。

 

「ごちそうさまでした。本当に美味しかったです」

“おそまつさまでした。洗い物はしておくから、横になってて”

 

 お言葉に甘えてベッドで横になり、布団を被る。隠していたレディコミが頭にこつんと当たった。

 洗い物をする先生の背中が妙にぼやけて見えるのは、きっと熱のせいだろう。カチャカチャと食器の擦れる音を聴いていると、言い様のない焦燥感が私の胸を焼いた。

 

“うん、洗い物終わったよ。今乾燥させてる”

「本当に、ありがとうございます。何から何まで……」

“いいんだよ。ゆっくり休んでね”

 

 先生の顔が逆光になってよく見えない。

 それが無性に寂しいのは、風邪で心が弱ってるからだ。そうに違いないのだ。

 

“私はこれから帰るけど……イロハは寝られそう?”

「…………はい」

 

 先生が優しく私の頭を撫でてくる。先生の手は暖かくて、安心して、いつまでも触れていてもらいたかった。

 少なくとも、私が寝るまでは撫でていてもらいたかった。

 

“本当に大丈夫そう?”

「大丈夫です。心配しないで、先生はお仕事頑張ってください」

“……そっか。イロハは強いね”

 

 そんなことを言わないでほしい。私は強くない。

 先生が持ってきた調味料や料理で出た生ごみをそれぞれ袋に入れて鞄にしまう。カランカランとごま油の瓶が音を立てた。

 

“早く元気になったイロハの顔を見せてね”

 

 私は、一体どんな顔をしているというのか。いつもの私だろうに。

 

“それじゃあね、おやすみ”

「……はい、おやすみなさい」

 

 力を込めて首だけ起こすと、先生の背中がドアの向こうに隠れてしまった。

 脱力して枕に頭を埋める。見上げた白い天井が眩しかった。

 

「…………何で」

 

 何で、先生はあんなに優しいんだろう。何で、先生はあんなに安心させてくれるんだろう。

 何で、いなくなったらこんなに寂しいんだろう。

 

「うぅぅぅ……!」

 

 涙が溢れだしてくる。寂しい。淋しい。孤独なのは嫌だ。

 でも、私は「大丈夫だ」と言ってしまったから。だから、先生は私の意思を尊重して出て行ってくれたんだろう。

 

「一緒にいてって言えたら、いてくれたんですかね……!」

 

 普段だったら「一緒にサボりませんか」なんて誘えるのに、こういう時に引き留められない自分の弱さが嫌になる。

 瞑った瞼の裏を、電灯の光が刺激する。目の奥が滲むように痛い。鼻水だって出てくる。

 早く治さないといけないのは分かっている。だが、この痛みが引くまでは眠れそうにもなかった。

 

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