1.
真っ白な幼子は、ベッドの縁に腕を置いてその上に頭を乗せていた。少しだけグレーみのあるブルーグリーンの瞳を、悲しそうに揺らしている。椅子に座る幼子は、床に届かないのかプラプラと足を遊ばさせていた。表情と行動がどうにもかみ合わない幼子は、目の前で眠り続ける女の子を身じろぎひとつせずじっと見つめている。
それは痛ましい光景だった。ティーンと言える年頃の子にしたら似つかわしくない赤い痣が、血管のように浮き出ている。それは少しだけ光を持っていて、内側からではなく外側からべったりとなにかを張り付けられているようにも見えた。赤い癖毛に埋もれるように除呼吸をしていて、繋がれたベッドサイドモニターの心電図が異様なほど遅いスピードで動いている。これならばコールド・スリープから解凍作業をしていると言われたほうが、まだましなほどだ。沢山の管につながれた少女、スレッタ・マーキュリーは今、そういう状態だった。
データストームの流入値が限界を超えたスレッタは、ラグランジュの攻撃をオーバーライドによって停止させた後、意識を失いこんこんと眠り続けている。
「植物状態――?」
ドールの様な可憐さとは反して、きつめの眼差しをもつ少女がやや低めの声で、まさか。とでも言わんばかりに口を開いた。
ミオリネ・レンブランの悲痛な声に、それを横で聞いていたグエル・ジェタークは内心で白々しいと冷めた目で見下ろした。スレッタを信用していると言うていの良い言葉を笠に、彼女を死地に追いやろうとしている張本人のひとりだったではないか。グエルがキャリバーンに乗ろうとするスレッタを止めた時にグエルを睨んで発言を封じた女。しかしそれをグエルは言及することはしなかった。スレッタを死地に追いやり、黙認したのは自分だって同罪だった。だから、こうなる可能性があることはある程度予感していた。出撃前に呑み込んでしまった言葉を、グエルは今更ながらに後悔している。もしくは、もっと自分に力があったのなら。後悔したって遅いし、それでスレッタの状態が回復するわけではない。
キャリバーンが消滅した後にミオリネはスレッタの救難信号を基に彼女を回収して、少しのやり取りのうちに、スレッタは意識を失ったと言う。
植物状態というのは正確な表現ではないのかもしれないが、ほかに言い様がなかった。ヴァナディース事変により過去の被験者たちの情報は闇に葬られて何も情報はなかった。知っていそうなベルメリア・ウィンストンはここまでのスコアへ同調した人間の症状は知らないと言うし、スレッタの母であるプロスぺラ・マーキュリーはミオリネやグエルに対して話そうともしなかった。
そんな状態で最初は万が一のために集中治療室で面会謝絶のうえで療養していたスレッタだったが、一応容体が安定したという決断のもと高度治療室へと移された。
そうなればスレッタ・マーキュリーへ見舞いに来る人間は、グエルも含めて沢山いた。もちろんグエルとてそのひとりであったし、自分だけが見舞いに来ているわけではないのだから、地球寮の人たちやもミオリネとタイミングが被ることもある。グエルとしてはできるだけひとりのタイミングで見舞いたかった。酸素マスクをし、沢山の機械に繋がれ延命させられている。目醒めるかどうかもわからない、勝手なエゴで死地に追いやって今度は生かそうとしている。それは彼女にとって幸せなことなのだろうか。
たった十七歳だというのにもしかしたらもう二度と目を醒まさないかもしれない。そしてその役割を押し付けてしまったのは自分だと、何かひとつでも変われるものがあればスレッタはもしかしたら意識くらいはあったのかもしれない。――そんな陰鬱な考えをしてしまう自分を認めたくなくて、できるだけほかの人がいない時間を見計らっていた。
だからなのだろう。グエルには幻覚が見えていた。見舞いに訪れると、必ず真っ白な幼子がいる。病的に白い肌に、アルビノの癖毛で、特徴的な丸い眉に青い瞳。いつもベッドの縁につまらなさそうに頭を乗せて、床に届かぬ足をぷらぷらと遊ばせている。きっと、スレッタに子供がいたら、こんな遺伝をしていくのであろうと想像がつく容姿。グエルはそれがスレッタを連れ去ろうとしている死神に見えて仕方がなかった。
最初は同じく入院している患者が遊びに来ているのかと思った。しかし、それはほとんどスレッタの病室に入り浸っているプロスぺラも認知していないようで、たまたま見舞いのタイミングがあったティルに聞いてみたが、怪訝な顔をされてメディカルチェックをお勧めされた。グエルが来るたびにいるのだから、ほかの人たちが見たことないなんてことはないはずだ。だから、これはグエルの幻覚なのだろうと察して、その幼子について問うことをやめた。
その日もグエルは花束を持ってスレッタの見舞いに訪れていた。宇宙空間において決して安価ではないその花束は一度も二日続けて花瓶に活けられているのを見たことがない。きっとグエルやミオリネが帰ったあとに、その花束はゴミ箱へと捨てられている。プロスペラは見舞いに来るグエルとミオリネをとことん無視した。まるで居ないものかのように扱われ、話を振ってそれが帰ってきたことは無い。グエルもミオリネも彼女にとっては許されない存在なのだろう。スレッタを自分たちに差し向けて、家族討ちをさせようとしたと取られてもおかしくない。実際にそうなのだから、グエルはプロスペラのささやかな抵抗を黙って受け入れている。
それでも、プロスペラが自身にハンディを負いながらもスレッタの様子を頻繁に見ているという事は、スレッタ自身が母親に求めていたものが少しでも与えられているということだ。グエルはそれに少しだけ安堵して、彼女に向けられていた愛情は確かにあったのだと思うことが出来た。
捨てられるであろう花束を一瞬でも花瓶に活けて、死神を無視して椅子に腰をかける。グエルが来た瞬間、プロスペラはどこかへ行ってしまった。同じ空間に居たくないだけかもしれないが、ゆっくりと見舞いができるとグエルにはそれがありがたかった。
「スレッタ・マーキュリー」
一分間に三十回も満たない心臓の動きが、モニター越しに確認できる。植物状態になって、もう半年はたっている。いっそ楽にした方がスレッタの為になるのでは無いのかと悩んだ時期も一瞬あった。実際にその管に手を伸ばしかけたこともある。しかし、死神が強くグエルを睨んで、それをひきとめた。死神としたらスレッタを連れて行けることは嬉しいだろうに、そうはさせなかったのだからスレッタ自身が生きたいと願っていると勝手に思うことにしている。何もかもがグエルのエゴだった。
少しだけ薄くなった痣をグエルは撫でた。この痣が無くなった時に、スレッタは目が覚めるのだろうか。ならばはやく消えて欲しいと、かさついた指の腹で拭うように撫でている。