5.
リハビリを初めて半年ほどになる。クワイエット・ゼロ計画を阻止してからも一年と半分が経過していた。
スレッタが言うよりも、彼女のリハビリは順調に見えた。免荷式トレッドミルによるリハビリはほぼ終了し、日常生活の動作練習に移っている。
「この補助ロボット、ガンド技術を利用して地球寮の皆さんが作ってくれたんです」
スレッタは自分を支える機械を優しく撫でる。死神が不満そうにスレッタの腰に腕を回していて、拗ねている子供のようにグエルは見えた。
「この前まではぶらさがって足を動かすリハビリでしたけど、ちゃんと足をつけて歩くリハビリなんです」
今日のスレッタは口数が多かった。グエルは俯いて機械を見つつ歩行訓練をするスレッタを見守る。もしバランスを崩して倒れるようなら助けるつもりでいたが、補助ロボットのおかげでそんなことはなさそうだった。
「やっと座ったり立ったり自分でできるようになって」
不意にスレッタの言葉が途切れた。機械を手から離して、ふわふわとおぼつかない足取りで歩を進め始める。死神も腰から離れて目を伏せた。「こんなにひとりでも補助無しで歩けるようになったんですよ」と数歩進んだところで、スレッタは力が抜けたようにその場に崩れ落ちた。その動きにグエルはぎりぎり支えるのが間に合うと、スレッタは小さく震えていた。表情は俯いていてずっと見えてなかったが、歯軋りの音が聞こえた。
「なんでっ」スレッタが細く吼えた。「こんな、私だけ!」
スレッタが拳を振り上げて、壁を殴った。その音さえも儚くて、力が籠らない事を如実にグエルへと伝える。
「お母さんを悪い魔法使いにしたくないだけだった。エリクトをとめたいだけだった。こんな機械になんて頼らなくたって、お母さんとエリクトと一緒に普通の生活がしたかっただけなのに!」
「――あぁ」
「怖いって泣いた私をみんなで見捨てたくせにっ、今更こんなことしないでください! 憐れまないでっ」
「そうだ。そうだよ、スレッタ・マーキュリー」
グエルの言葉にスレッタは、やっと顔を上げた。スレッタは目の下にくまができて、落ち着いたブルーグリーンの瞳からボロボロと涙を落としている。
「俺たちが、お前を死地に追いやった。他にももっと方法があったのに、一番最悪な方法でスレッタだけに押し付けた。死ぬかもしれないと恐怖で泣いて震えるお前を全員が見て見ぬふりをした。だからお前のその意見は至極真っ当で、俺たちはそれを受け止めなければならない」
自分が決めたことだとスレッタはきっと言い聞かせて今まで過ごしてきた。自分が決めたことで、その結果が体の不自由。自分で決めたことだから仕方ないと諦めつつも、周囲がスレッタの為にという行動がきっと裏目に出たのだろう。危ない均衡を保っていたスレッタの心が、プロスペラも、エリクトも、ミオリネもいないこの現状でふつりと切れてしまった。
「……手を取ったミオリネさんは逃げました。なのになんで何も関係ないあなたが、そんなこと言うんですか」
「そう思うなら今からでも遅くない。俺はお前にこの手を取ってほしい」
グエルの軽口にスレッタは「あなたの手はとりません」と律儀に返した。
「いくらでも罵ればいい。ミオリネに言えないぶんも、ぶちまければいい。俺はそれを正面から受け止めるから」
「愛の告白みたい……」
「そうだとしても、受け取りはしないんだろう?」
「……そうですよ。私の婚約者は、ミオリネさんです」
スレッタはボロボロと泣き続けながらもグエルに手を伸ばして縋ろうとはしなかった。
「ずっとミオリネに抑圧されてたスレッタがこうして本音をぶちまけてくれるなんて、俺は嬉しいよ」
「なんでも受け入れるって気持ちが、崇拝みたいです」
「崇拝なら綺麗なところだけ見たいものだ。俺は、お前だったら汚いところでも話して欲しいし、受け止めたい」
崇拝というのは、きっと事実だった。だからサマヤ家とジェターク家の家庭環境を重ねてグエルは吐き気を催したし、グエルはスレッタ・マーキュリーに進みたいと願った。
その実、皮を剥いでしまえばスレッタ・マーキュリーという少女は立派なひとりの人間で、自分が思っているよりももっと近しい存在だった。泣いて苦しんで、憐れむなと、自分を貶めてくれるなと主張する、年相応の少女だった。
グエルはスレッタの言葉を黙って聞いていた。背を撫でるようなことも、励ますような言葉もかけることはしなかった。それはグエルの役割ではなくミオリネの役割だと理解していた。ただ、吐かれる怨嗟たちを正面から受け止めていた。
スレッタもきっとグエルからの言葉は望んでいない。
「なんで、ミオリネさんは逃げたのに、あなたはずっと聞いていてくれるんですか」
「誰かにぶつけないとやっていけないやるせない気持ちというものは誰にもあるだろ。それをスレッタは自分の家族たちや友人に言えなというのなら、なんも関係のない俺が一番の適任だ」
「そんなの、馬鹿な人がすることですよ。損してばかりでお人好しなんですね。相変わらず」
「どうだか。誰にでもこんなことしているわけじゃないさ。損得勘定だけじゃない、スレッタだからしている」
グエルは自分でも呆れて息をはいた。いつだってどうすればいいのか、何が最善なのかはわからなくて、それでも行動だけが先に出る。今回もそうだった。スレッタが泣くなら、それは自分の前だけであってほしい。振られているのに女々しいとグエルは自嘲した。
スレッタのことは諦められそうにはない。それでもスレッタが他の人の手を取るというのであれば、グエルはなんだかんだと言いつつ大人しく身を引くだろう。せめて何かの形でかかわり続けたいと思うが。崇拝だったと自覚したとしたとはいえ、それはそれとして恋心も確かに存在していた。それは簡単に捨てられるものではない。
「……こんなんじゃ、いつまで経っても復学できない」
散々言葉を吐いたあと、スレッタが気にしたのはいちばん身近な事で、きっとスレッタにとって大切なことだった。
「そういえばなんだが」
「なんですか」
「今、アスティカシアは閉校している」
「え、」
驚いたのか、スレッタの涙がやんだ。目元は真っ赤に腫れ上がりとても見せられる顔では無いと思ったのか、グエルを一瞬だけ見てまた顔を伏せた。
「べネリットグループが出資、運営している学園だったから、グループが解散した今当然の対応だな」
「じゃあまた、別の学校探すところからなんですか……」
「スレッタ」
グエルが凛とした声でスレッタの名前を呼ぶと、スレッタは顔を上げてグエルを見た。
「半年」
「はぁ」
「半年でアスティカシアを復興させる。だから、お前も半年でリハビリ完治させろ」
「え、そんな、できないです」
「できる」
グエルはキッパリと言い切った。完治して欲しいという願いを込めた。
「そしたらあともう一年、それで卒業して教員の免許取ってくれ」
「――なんで、グエルさんがそんなことするんですか」
スレッタはなんて答えて良いか分からないみたいで、逃げるように質問した。
「そんなふうに私になにかしても、私はグエルさんには何も返しませんよ」
「それでもいい。こんなことで許されるとは思っていない。お前が俺を照らしてくれて、進みたい道を作ってくれたんだ。だったら、今度は俺がスレッタの道標を照らしたい」
スレッタがそう望むのならば、そのようにありたい。
瞼を伏せたスレッタを、下から覗き込む。完治して、またあのモビルスーツの操縦技術を見せつけてくれ。まるで本当に神に希っているようにも見えて、そんな偶像崇拝をしている自分ともこれで終いだとグエルは優しい瞳でスレッタを見つめた。