1.
「俺はお前が思っているよりも立派な人間じゃない。……期待しないでくれ」
デスクに肘をつけたグエルは心痛の面持ちで言葉を発した。手慰みに捲られていた釣書から手を放し、唐突に告げられた言葉にラウダは振り返り、グエルと顔を合わせる。そして理解出来ずに首を傾げた。
「義兄さん、疲れてる?」
「いや。あ、まぁ疲れてはいるんだが、そういう話ではなく」
グエルはなんだか言いにくそうだった。いつになく真剣な雰囲気を察して、ラウダは否定も肯定もせずにグエルの言葉を待った。
「俺は、お前が思っているよりも矮小な人間だ。それこそ、父さんを殺したことをお前に告げられないような。ちっぽけな、人間だ」
ひくりとのどが引き攣る。クワイエット・ゼロ計画を止めた際にラウダが叫んだ言葉を糾弾されているようだった。あの時の自分は子供だった。義兄が何を考えているかがわからずに、自分を犠牲にして――させられてまで他人の業を背負うとするから、グエルの優しさに漬け込む人間があまりにも多いから、とっさに出た言葉だった。
「僕は、いつだって義兄さんの味方だ」
言い訳を重ねるようにラウダの口から言葉が滑り出た。義兄がどれだけ周りに利用され傷つこうとも、自分だけは義兄の味方であり続ける。およそ一年前に自分が義兄に言い放った言葉を思い出した。
「それだ。俺はラウダに、味方で居てほしいわけじゃない」
グエルはピシャリと言い放った。いつになく厳しい声にラウダは思わずたじろいだ。
そして水星の魔女の、褐色の肌を思い出す。一度だけ見舞いに訪れた病室。少女の赤い痣は薄くなることがなく、まるで呪いのように彼女を蝕んで目覚めさせようとしなかった。対比してまっさらに消えた自分の頬をラウダはカリカリとかいて、ゆっくりと呼吸をする。
「義兄さんは、まだ魔女に囚われてるのか。その魔女は、どっちだ……」
「スレッタ・マーキュリーは魔女ではない」
グエルは断言すると、多分話が纏まらぬまま言葉を口にしたのであろう。言葉を探して視線をさ迷わせて、気まずそうに口を閉ざした。
義兄を軽んじる人間が嫌いだった。グエルをあっけなく振ってミオリネの手を取ったスレッタも嫌いだったし、ミオリネも勝手にベネリットグループの資産売却とグループ内の多くの人間を路頭に相談もなく迷わせたので嫌いだ。ミオリネは特に人々を惑わせる魔女というのに相応しいとラウダは思っている。
「あー……、ある人から言われた。俺とお前の決定的な隔たりはお互いに崇拝しているからでは無いかと」
「は?」
「つまり、俺とラウダは対等ではないと言われた」
「誰に?」
白い妖精みたいな悪女を思い浮かべる。ミオリネでは無い。あの女はそんなこと言わない。そこまでラウダとグエルのことに構わないだろうし、口を出す理由もないからだ。
スレッタは最近覚醒したというが、他人の家族について口を出すような人間には思えない。地球寮の人間もそんなデリケートな部分の話をすることは無いだろう。
ラウダにはその指摘をする人間が思い当たらずに問い返した。グエルは言いにくそうにしながら、結局その指摘人物の名言を避けて話を続ける。
「スレッタたちを見て、お互いに信用して、心配して、いい家族だと、羨ましいと思った」
いい家族。ラウダは内心で反芻する。ジェターク・ヘビー・マシーナリーのトップとして威厳があった父親であった。一企業としてベネリットグループ内の大企業として、グループを牽引していた手腕は確かなものだ。しかし、家庭向きの人であったかと言われると疑問が残る。一般的には不義理な男だと評されてもおかしくない。お互いの母親が蒸発したからといって半分しか血のつながらない息子たちを引き合わせるほうがどうかしている。
だがその一方で、父親からの愛情がなかったわけじゃない。ラウダにはそれがわかっていた。愛情がなかったのならば、母親が蒸発した時に捨て置くことだって可能だったはずだ。すでに後継には先に生まれたグエルがいるのだからラウダという人間は絶対に必要ではなかった。それでもジェターク家に向かい入れたのは、確かに愛情はあったのだろう。
グエルからしてみたら、もしかしたらもっとラウダよりもヴィム・ジェタークという男の愛情がわかりにくかったのかもしれない。ヴィム・ジェタークという男はラウダとグエルを平等に愛してくれたのかもしれないが、直系ということを踏まえると、少しだけ自分を優遇してほしかったと思っても、間違いではないだろう。それでもグエルはグエルでラウダを卑下することなく扱ってくれたし、それだからラウダはグエルの一助になりたいと常に思うのだ。もしかしたら義兄は父親の難しい愛情にでは無く、素直な愛情に飢えていたのかも知らない。
「とにかく、だ。俺はお前のことを信用している。対等にだって話したい、と思っている」
グエルも結局どう伝えていいかわからなかったのであろう。悩んだ末にポロリと落ちた言葉だったようで、そこで会話を切り上げてしまった。対等に話すというのは、そういったところの認識の擦り合わせなのではないかと思ったが、口を閉ざしてする気もないくせに釣書を渋い顔をして眺める義兄に、ラウダはそれ以上首を突っ込むことは出来なかった。
2.
ペトラ・イッタの病室を訪れる前に、ラウダはグエルに隠れてひっそりとペトラと同じ病院に入院している、スレッタの病室へ見舞いに訪れた。そろそろスレッタが覚醒して半年ほどが経つ。スレッタは少しずつ会話ができるようになりリハビリなどにも着手するそうだと、ペトラから聞いた。
ラウダがスレッタの病室を訪れることは多くなく、それでも多分ミオリネよりは多い回数を見舞っていた。
見舞いに訪れると言っても、会話は少ない。グエルをいい意味でも悪い意味でも変えたきっかけになったのはスレッタだったし、ラウダは基本的に女性という生き物を信用していない。たまたま、同じガンダムタイプに乗っただけの、それだけの関係だ。
「義兄さんに何か言ったのか」
単刀直入にラウダがスレッタに問いかけると、スレッタは何のことかわからないといったように小首をかしげた。
「えっと、何のことでしょうか」
「家族の在り方について、考えさせられたと義兄さんが言っていた」
スレッタはなにか思い出したようだ。小さく「ああ」と声を漏らして続ける。
「私たち家族が羨ましいって言っていたので、グエルさんとラウダさんならまだお話しするのは遅くないですよって」
「余計な世話だと思わないのか」
「そうかもしれません。でも、私たち家族は、グエルさんが思っているよりも羨ましいなんてものじゃないんです」
スレッタは眉根を下げて困ったように笑った。泣きそうな顔にも見えて、ラウダはなぜスレッタがそんな顔をするのかさっぱりわからなかった。
「私たちは、もう、取り返しがつきません。お母さんは終活を始めてますし、私だってリハビリをしたって長くはないんです。残るのはキーホルダーに押し込めてしまったエリクトだけで、死ぬこともできないデータだけの精神体だけでこれからずっと生きてくんです。そのうちみんなが死んで、きっとエリクトを覚えている人もいなくなる。そんな私たちを羨ましいなんて言うのは、違うと思います」
ゆっくりとでも確実に先が真っ暗な道を歩かなきゃいけないサマヤ家と違って、グエルとラウダは喧嘩して、怒って、笑って、許しあって、理解しあえる時間がたくさん残されている。
スレッタはそう暗に伝えた。
「私からしたら、おふたりのほうが羨ましいんです。だって、それだけの時間が残っている。私は、エリクトに触れたこともないんです。エリクトだって私に触れたことはない。姉妹なのに。こんな寂しい事、きっとありません」
ラウダは不意に初対面でグエルが己を抱きしめてくれたことを思い出した。妾の子、冷遇されるべきな子。そう言われればその通りなのに、グエルは「オレに弟がいただなんて、すっげぇ嬉しい」と言ってくれた。血が半分しかつながらない義兄ですらそんな温かさを持っていたというのに、この実の姉妹たちは触れ合ったことも、体温を分け合ったこともなく、家族討ちをさせられたのだと、ラウダはやっと正しく認識した。
そういう運命だったというのには、きっとスレッタはまだ大人になりきれていないのだろう。いや、割り切れなくなってしまったのだろう。もしかしたら少しだけ、そんなことを言ってしまったグエルへの当てつけだったのかもしれない。
ラウダが病室を訪れると、己の恋人であるペトラは笑顔で出迎えた。
ペトラは、崩落事故により足を欠損している。一時は絶望とともに嘆いていたものだったが、テスターとしてガンド技術による義足をつけないかとクワイエット・ゼロ計画が収束したのちに地球寮の皆に提案された。
ただの木偶の坊の足をつけるか、ある程度神経まで接続した義足をつけるか。ペトラとラウダは悩みに悩んだ。ガンド技術を使うということは、ラウダがシュバルゼッテに乗った時に浴びたパーメットを、今度はペトラが浴びてしまうかもしれないということだ。
ガンド技術の医療応用とは神経系に直接義肢を接続させて、少量のパーメット粒子を体内で交信させ壊死してしまった神経系を再び再稼働させる技術だ。地球寮の人間はそう説明した。安全性が完全に確立してはいない技術。もしくはヴァナディース事変で明らかになりつつあった情報が闇に屠られたかもしれない技術。
安易に手を出すにはあまりにも重すぎる。ラウダはペトラをとめようとした。万が一にもデータストーム汚染が確認されたら。取り留めた命がガンド技術で失われることになったら、ラウダはきっとこの先生きていくことは難しいであろう。少なくともただの義足なら、今後不便は残るだろうが、死ぬことは無い。
そんな思いとは裏腹に、ペトラと言えばあっさりとガンド医療に手を出すことを決めた。なんだかんだ文句を言いつつも、直接ラウダを責め立てることは少ないペトラとの初めての喧嘩だった。
「人はいつか死ぬし、私だってあの事故で死んでいたかもしれない。だったら、生き残ったならこの先発展していくかもしれない技術に尽力したいです」
なんだかんだとか弱い女だと思っていた。自分が守らなければいけない女。女が嫌いだった自分が惹かれた女だ。けれどもきっぱりと何かを決めたときの強い瞳に惚れた。自分を支えようとしてくれる健気さに惚れた。
ラウダがグエルとの会話の内容をさり気なく話すと、ペトラは考えるように口元に指先を当てた。そして慎重に言葉を選んでからゆっくりと口を開く。
「ラウダ先輩って、グエル先輩のことなんだと思ってるんですか。先輩の話を聞いてると、お義兄さんの話をしてるとは思えなくて。――そう、まるで神様みたいな」
「神様」
ペトラの言葉にラウダは絶句する。イーカロス神話をふいに思い出した。己の傲慢さで失墜する男の話だ。グエルを太陽で、自分がイーカロスだと思ったことはないが、もしかしたら他者からするとそういう風に見えていたのかもしれない。
「僕は傲慢だと、ペトラは言うのか?」
「はい」
あっけらかんと言い放って、ペトラは笑った。まさか気が付いていなかったのかという笑い方で、ラウダは眉間にしわを寄せた。
「でも、私はそんな傲慢さがあるラウダ先輩が好きです。全部手に入れてやる、みたいな?」
揶揄うように言われて、ラウダはペトラが言いたかったことを察する。一本取られたなと思いながら、小さく肩をすくめた。
「私は、ラウダ先輩を支えますよ。早く足が自由に動かせるようになって、株式会社ガンダムのテスターとしても、ジェターク社の社員としても活躍する予定なんです」
きっぱりと言い切るペトラの髪をラウダは緩く梳いた。
そういえば一度だけ真正面から見たことがあるスレッタ・マーキュリーの瞳も人を惹きつける強い瞳だったことを思い出して、だからグエルはスレッタに心を強く奪われたのかと、ラウダはようやく理解できた。
3.
訪れたのはグエルの私室だった。シャツに緩めのパンツといった格好で、つまらなさそうにぺらぺらと紙束を捲っている。写真が何枚か同封されているそれは、すべてがデジタルで管理されている現在、古めかしいものに感じるが、釣書とはこういったものらしい。どうせする気もないくせに、しても断るとわかっているのに律儀に捲ってはセッティングされる義兄が最近痛々しく思える。義兄はいつだって搾取される側だ。
「見合いするの?」
「どうだかな。しても上手くいく気がしない。融資と引き換えにというが、どうせ種馬なのは目に見えてるしな」
乱雑に肘をついてぼそりというグエルを横目にラウダは余っていた椅子に腰を掛けた。
グエルは言わずもがな優秀なパイロットだ。モビルスーツ開発事業が低迷している中だが、優秀なパイロットの種を欲しがる人間は多くいる。そのうえでジェターク社への融資を引き換えに持ってこられる縁談はままあった。その縁談もまともに進まぬまま破談として終わっているのだが。
「……身を固めるのには、ちょうどいいのかもな」
その声は諦念を過分に含んでいた。
この前見舞いに訪れたスレッタの病室を思い出す。いっそ悪趣味ともいえる豪奢な指輪がサイドテーブルに他の私物の中に埋もれるように乱雑に置いてあった。グエルの趣味ではない悪趣味なほどの豪奢な指輪で、スレッタの趣味とは思えない派手さのものが、ゴミのように置いてあったので記憶には強く残っている。送ったのは大方ミオリネなのだろう。スレッタとミオリネが再度婚約を改めて結んだという話はグエル越しに聞いてはいたが、スレッタは同時に先が短いとも言っていた。
スレッタ・マーキュリーという女が何を考えているかは知る由もないが、それでグエルがまた割を食う役割になってしまうのは気に食わない。
「そんなこと言って、諦めきれないんでしょ。義兄さんは」
「まぁ。諦められてたら、こんな苦労はしていない」
「だったら進めばいいだろ」
ラウダは珍しくグエルに発破をかける。グエルを振っているスレッタに義兄を渡すのは嫌だったが、それでグエルが幸せになれるというのならば、その残り少ない余生をグエルに捧げろとラウダは内心で悪態をついた。
「ミオリネの手を取ったのにか?」
「あの魔女が渡した指輪なのか知らないけど、乱雑にサイドテーブルにぶん投げてあったけどね。どうにも好き同士には見えないけど。ミオリネが縛り付けてるのか、スレッタが縛り付けているのかは知らないけど。どう見ても、僕と義兄さんのように対等ではないね」
ラウダの言葉にグエルは珍しくぱちくりと目をまたたかせた。
「お前、スレッタの見舞いに行ってたのか?」
「義兄さんが驚くところはそこなの。ペトラの見舞いのついでにたまたま立ち寄っただけで」
「ふはっ、そうか。じゃあそういう事にしておいてやる」
久しぶりに破顔した顔にラウダの息が詰まる。それでも眉間の皴は残っていて、グエルの今までの葛藤をうかがわせた。
「……欲しいものは手に入れるのが、グエル・ジェタークなんだろ」
「……そうだったな」
ふたりして顔を見合わせて笑いあう。グエルと笑いあったのは久しぶりの様な気がする。クワイエット・ゼロ計画が収束してからというものの、グエルは常に緊張を張り巡らせて渋面をしていたし、ラウダもラウダでジェターク社を再興に向けて、そしてペトラのことで手一杯でもあった。
グエルをすべて肯定し支えるのではなく、グエルが間違えた道を歩み始めたり、迷った時に後押しできる関係でありたい。他人が言うような、イーカロスのように崇拝ではないのだと、真っ向から意見できる関係がグエルの言う対等なのではないかとラウダはようやく思えたのだった。