1.
「よかったスレッタ、目が覚めて。ずっと待ってたの」
スレッタが覚醒したと地球寮の面々経由で話を聞きき駆け付けたミオリネは、嬉しさで泣きそうになりながらよかったとスレッタへ告げる。結局は感極まってミオリネは彼女の前で涙をこぼした。
「今度は、私がしっかりと大切にするから。もうガンダムの呪いになんて悩まされなくていいの。好きなことをして、やりたいことリストを埋めて、私が支えるから」
スレッタに向けて伸ばした手を、スレッタはとることをしなかった。不思議そうに落ち着いたブルーグリーンの瞳をミオリネの顔と差し出された手を交互に見比べる。
『あのさぁ。スレッタの代わりに言ってあげるけど、君って加害者の自覚ってものがないからそういう発言が出るんだよね。家族になるんでしょ、だっけ? 何言ってんの。なるわけないじゃん』
スレッタは口を開いていなかった。それでもスレッタと同じ声、いや、それよりかは幾分か低い声が、聞こえた。
「エリクト」
今度はスレッタが口を開いた。幻聴が聞こえているのかと思ってミオリネは顔を顰めて、頭を抑える。
「キーホルダー、なんです」
「はぁ?」
弁明するようなスレッタの言い分に、かつてスレッタとお揃いだと言われてもらったキーホルダーの目の部分がピコピコと光る。
『だってそうでしょ。今まで来なかった癖に、スレッタが目が覚めたと知ったら旦那面して病室に訪れるわけ。君の父親がボクたち家族をこんな目に遭わせたというのに、そのうえで家族になれるなんて本気で思ってるなら、お慰みが過ぎるってもんじゃない? さすがに気持ちが悪いんだけど。どんな考えしたらそうなるか、まともな情操教育を受けてたらあり得ないと思わないかな』
「私と、父親は別だわ」
『言い訳を重ねるところが、自分の立場というモノを理解してないんだよ。厚顔無恥という言葉を知ってる? 君の様な人間のことを言うんだよ。鏡を見てごらん』
冷たいエリクトの言葉に、指先を握りこむ。奇麗に整えてある爪が掌の肉に食い込んだ。スレッタに助けを求めて視線を泳がせると、のっぺりとした瞳とかち合った。ゆっくりとスレッタは口を開く。
「ミオリネさんは、私たちを憐れんでるんですね」
半年以上ぶりに覚醒したスレッタがミオリネに向けた言葉は、久しぶりに聞いた声は平坦な物言いだった。柔らかそうに笑う彼女は、知っている姿と全く違う。その瞳はクワイエット・ゼロ計画をとめる前に自ら引きこもっていた部屋の扉を開いた時に見た瞳同じだった。眉根を下げて優しそうな顔をしているのに、瞳が穏やかではない。
「そんなこと、ない」
自分に向けられるその瞳が信じられなくて、ミオリネは弱々しくスレッタに返した。
「確かにミオリネさんのお父さんと、ミオリネさんは違います。もしかしたら、ミオリネさんのお父さんとミオリネさんを一緒に考えたらいけないのかもしれません。けれども」
そう言うスレッタはミオリネの知っているスレッタではなかった。いつも自分の後ろにいて、母親が大好きで、ミオリネがいないと何もできないスレッタとは違う。全く知らない女だった。
そこまで言ってスレッタは言葉を区切った。そして何かを考え直したように、ふっと笑いを漏らす。
「でもミオリネさんは、私のこと大切なんですよね」
まだまだ筋肉が固まっていて動かしにくいであろう首をこってりと倒して、スレッタはゆっくりとミオリネに問いかける。大切という言葉には間違いはない。大切だ。ガンダムの呪いに縛られず、やりたいことリストを埋めて、好きなことを過ごしてほしい。早く元気になって、自由に過ごしてほしい。願わくばその一助に自分がなりたい。ミオリネはそんな思いを込めて、スレッタの問いかけに頷いた。
「じゃあ、幸せにしてください。私のことを」
『スレッタさぁ、やめなよ。ミオリネなんて。本気なの? こんなのと家族になるとか、嫌なんだけど。』
「うん、本気だよ。ミオリネさんが幸せにしてくれるっていうなら、幸せにしてもらわなくちゃ」
『どこからどう見ても、誰から見たってその選択肢は間違えてるって断言してもいいけど。スレッタが許したって、ボクとお母さんは許さないよ』
「そこはミオリネさんが頑張るところだから」
私には関係ない。とでも言わんばかりの態度に、ミオリネはスレッタに試されているのだと思った。だとしたら、これはきっと、スレッタからの試練だ。ともにこれから一緒にいるための。それならばミオリネは頑張らなければならない。それがスレッタへのミオリネが示せる誠意だ。
「ミオリネさん、指輪、欲しいです。結婚するという証。うんと高級なやつ」
「ええ。もちろん。用意するわ」
やっと今まで見慣れた笑みを向けてくれて、ミオリネは安堵の息を吐く。
その時、ノックもなしに病室の扉が開いた。ミオリネは一瞬、扉を開けた女性が誰だかわからなかった。ミオリネはその人物を、ヘッドギア越しにしか見たことがない。スレッタと同じ癖毛を揺らしているプロスペラ・マーキュリーは、信じられないものというよりはまるで蛆虫を見るような目で病室に入ってくると、つかつかと足音をたてて部屋の端に置いてあったヘッドギアをつけた。そしてミオリネの首根を掴む。一体データストーム汚染が激しいと言っていた体だったはずなのに、どこにそんな力があるのか、プロスペラはミオリネを引き摺り病室の外に追い出そうとする。
「痛ったい! ちょっと、やめな、さいよっ!」
腕を振ってもがいたが大人の女性にはかなわない。首が閉まって息苦しい。暴れたことでもっと首が閉まった。
プロスペラがミオリネを病室の外まで追い出すと、有無も言わずにその扉を閉めようとすので、ミオリネは慌てて閉まる前に指先を滑り込ませた。勢いよく占めた扉が、ミオリネの指を壁と挟んで不吉な音共に激痛が走る。
「うっ!」
プロスペラはその様子に閉めようとしていた扉を開けた。ミオリネはその隙を逃がさずに「プロスペラ!」と叫んだ。少しでも話を聞いてほしい。しかしプロスペラはミオリネの想いが届くはずもなく、何も応えるえることなくミオリネの腹を蹴り飛ばして扉の前から引き離すと今度こそぴしゃりと扉を閉めた。そのままロックまでかけられて、ミオリネは痛む手を忘れて思い切り扉を叩く。
「開けなさいよ! くそっ。あたしは、スレッタに話があんの! まだ終わってない!」
挟まれた手と反対の手で扉を開けようとスライドに手をかけてがちゃがちゃと音をならす。
「大丈夫スレッタ? 何か言われなかった?」
『大切だから家族になりましょうだってさ』
「あぁ。相変わらず、愚かな娘なのね。アレは」
『お母さんが戻ってきて助かったよ。どうやって追い出そうか困ってた』
「むしろ席を外して悪かったわね」
扉越しにプロスペラとエリクトの会話が聞こえる。どんどんと扉を叩く音をふたりは無視しているようで、ミオリネの叫びも聞いていない。
「お母さん、ちょっとだけ、疲れちゃった」
眠たそうな小さな声が、ミオリネの耳にも届いた。
「そう。あとは病室にいるわ。ゆっくり休みなさい」
「うん。そうするね。おやすみ、お母さん、エリクト」
何をしても開かない扉を前にミオリネは歯噛みしながらじくじくと痛む指先を抑えた。しらうおのような指が、紫に変色していた。