3.
ミオリネはプロスペラに病室を追い出された後、スレッタの病室に顔を出すことはしなかった。それよりも、彼女を支えるための基盤を整えることにしたのである。そんなスレッタから連絡が来たのは、彼女がリハビリを始める前という頃だった。スレッタが覚醒してから半年ほどたった出来事であった。
連絡を受けたミオリネは小さな小箱を用意してスレッタの病室へと向かう。プロスペラとエリクトはきっとスレッタが説得してくれたのであろう。病室を開けると、プロスペラの姿はなかった。
「調子はどう?」
「前にお話しした時よりは、だいぶ良くなりました。これからリハビリも少しずつ始めるんですよ」
スレッタは自分の腕に繋がれた点滴を眺めながらミオリネに返した。
「ところでミオリネさん。前に言ってた指輪、作ってくれましたか?」
「ええ。スレッタの言う通り、豪奢なものにしたわ」
椅子に座って、小箱の中身を見せる。喜んでくれるかと思ってスレッタを見たが、スレッタの反応は思っているよりも微妙なものだった。
「豪奢なものがいい、て言ってたけど趣味じゃなかったかしら?」
「そんなことはないですよ、想像してたよりもびっくりしただけです。ね、ミオリネさん。プロポーズ、してもらっていいですか。憧れだったんです」
スレッタがうっそりと笑って見える。半年前と同じように、それはミオリネの知っているスレッタには見えなくて、背中に冷たいものが流れる。怖くなって、それでもスレッタがまだ自分を受けれいれてくれるのが嬉しくて、感情がぐちゃぐちゃになりながら目頭が熱くなる。
「スレッタ。あたしがスレッタを大切にする」
それでも深呼吸をしてスレッタに告げるが、当のスレッタは不満そうに唇を尖らせて目を細めた。
「そんなつらそうな顔をしてプロポーズをしないでください。笑って、やり直して」
「スレッタ……大切にするわ。絶対に、もう不幸にはさせない」
「はい。ありがとうございます、ミオリネさん。――この指輪、大切にしますね」
様々なものを隠すようにミオリネはスレッタに抱き着いた。スレッタの手がミオリネの背中に回る前に、苛立たし気な声がミオリネとスレッタを突き刺さした。
「おいミオリネ」
「いたっ。な、何すんのよ!」
スレッタから力強く引き離される。ミオリネは掴まれた肩を勢い払いのけた。荒々しい挙動で病室に入ってきたグエルはスレッタが目の前にいるのにも関わらず口を開いた。
「お前、よくスレッタに求婚なんてできたものだな! 自分がした行いを忘れたのか!」
「……何言ってんの。スレッタはずっと私の婚約者よ。指輪を送って何が悪いっていうの」
「ずっと見舞いに来ていなかった癖に、今更スレッタの婚約者なんて白々しすぎるだろうが」
「じゃあなに、あんたはいつも見舞いに来ていたっていうわけ」
「そうだ。スレッタはやっと自由になったんだ。今更お前なんかが縛り付けるなんて、スレッタの気持ちを考えたことはないのか」
ミオリネの嫌味に簡単に頷かれて、つんと鼻の奥が痛くなる。自分はプロスペラとエリクトに拒否されて病室に近づくこともできなかったというのに、この男は許されて毎日通っていたのかというのか。
「それはこっちのセリフ。スレッタのこと好きだったのは知ってるけど、でもスレッタは渡さない」
「まるで子供の癇癪だな。そうやってスレッタを今更縛るのか」
「縛る? スレッタがあたしを選んだのよ。アンタじゃなくて、あたしをね」
「嘘をつくな。スレッタの幸せを考えるなら、そんな非常識なこと出来るわけないだろう。大体、お前の家族がスレッタの御家族を――」
「――だからあたしが責任取るって言ってんのっ!」
それ以上聞きたくなくて、ミオリネはグエルの言葉を遮った。半年前にもミオリネはプロスペラとエリクトに突きつけられた言葉だ。
エリクトもグエルも家族がというが、したこと、されたことを忘れたのかと言うが、別問題だ。これはミオリネとスレッタの問題なのであって、そこに親達は関係ない。
スレッタをこんな目に遭わせてしまった罪を償う。冤罪を自ら被ったシャディクを救う。ミオリネの行動動機はそれだけなのだ。たったそれだけのことを、どうしてグエルに文句を言われなくてはならないのか。
大声を出して肩で息をつくミオリネを鼻で笑う音がした。
『君たち、ほんとデリカシーって言葉を知らないよね。ヒートアップして喧嘩するのは勝手だけど、ボクたちの前でする話? ミオリネもグエルも何も変わりはしない。君たちの自慰行為に、ボクたちを使わないで欲しいんだけど』
冷たく響く声に病室が一瞬で静まり返る。
『ボクからすれば、今更スレッタの見舞いに来るミオリネも大概気持ち悪いし、毎日ピンクのカーネーション見舞いの花に持ってくるグエルも気持ち悪い。どうしてボクたちを放っておいて欲しいと伝わらないのかな』
「エリクト。そんなことない。私、お見舞い来てくれるの嬉しいよ」
『スレッタがどう思ってるか知らないけど。でもボクはボクの意見として、君たちには来ないで欲しい』
「……私は、スレッタの婚約者よ」
足掻くようにミオリネはエリクトへ言い訳をする。エリクトはあからさまにため息をついて、この話が平行線になることを悟ったのかそれ以上に語らずにむっつりと黙った。
「私、ちゃんと話したよ、エリクト。なにかダメなの?」
『別に。スレッタがそう決めたのならそうすればいいよ。ボクはグエル・ジェタークとミオリネ・レンブランを許さないって言うだけの話で、それをスレッタに強要するのは違うからね。君たちと違って、ボクはスレッタの意思を尊重したいし』
エリクトの言葉にミオリネすっかり治った指先で拳を強く握る。グエルも唇を噛み締めているのが視界の端に見えた。
「じゃあミオリネさんとグエルさんに謝って」
『はぁ? 話聞いてた? スレッタなんか勘違いしてない? ボクは君の妹でもなんでもないし、ボクの言うことは至極真っ当なわけ。スレッタの近くにいるってことは、ずっとこうして自分の罪にこの人たちは向き合うってことだけど。今更甘い蜜だけを享受しようとするなんて、図々しいんだよ。スレッタはこのふたりに利用されてていいの?』
「り、利用されるのは嫌だけど……そんな言い方、よくないよ」
「いや、事実だ」
グエルはエリクトの言葉に賛同する。
「俺たちが、スレッタにひとりだけ辛い役目を押し付けた。だから、サマヤさんの言うことは正しい。――スレッタの前で話すようなことでもなかったな。デリカシーのない話をしてすまない」
「気持ち悪い。やっと自由になったですって? スレッタのこと何も知らないくせに」
プロスペラとエリクトがどれだけ拒絶しようとも、スレッタは毎日訪れたグエルよりもミオリネを選んだ。
「ミオリネさんも、それ以上はだめです。その、喧嘩はしないでください」
気まずい沈黙だけがその場に残る。スレッタを気遣うグエルの視線を見て、ミオリネはどうしてか悔しく思えてきてグエルのことを強く睨みつけた後、長い髪を翻して彼女はスレッタの病室を出ていく。
扉を勢いよく閉める前に見えた光景は、元来そうであるべきだったもののように見えた。グエルは明らかにスレッタを気遣っていたし、スレッタもグエルを気にかけていたようだった。
グエルがスレッタを幸せにすることが問題なのではない。スレッタがグエルを選ぶというのならば、ミオリネは素直に身を引くだろう。しかし現実はそうはならなく、スレッタはミオリネを選んだ。ミオリネに己を幸せにしろと突きつけた。
病院のエントランスにまで下りて、自動販売機で飲み物を購入する。スレッタの願い通りに指輪を送ったことは間違いではないはずだ。それだというのに、スレッタは明らかに喜ぶというよりも、何かに安堵していた。もしかしたらグエルの手を取らないと決めていたのかもしれない。利用するのなら、利用すればいい。それでもミオリネはスレッタの幸せのために、彼女に尽くすと決めているのだ。
かり、とミオリネはは己の首を少し引っ掻く。
送った指輪が、豪奢な指輪が、自分の首を絞める重たい首輪に見えてしまったとミオリネは思いたくなくて、慌ててそんな思考を流すように飲み物に口をつけた。