淪落の聖女   作:R_echan387

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エリクト視点


砂時計に融けたビスクドールⅠ

1.

『あっははははは。スレッタ、最高!』

 エリクトは手を叩きながらスレッタのことを褒めた。スレッタは「なにが?」と言いつつもミオリネにべったりと笑顔を張り付けて続ける。

「不貞なんか、してないわよ」

「そうでしょうか。シャディクさんのところに頻繁に通ってるって、エリクトから聞きました」

「面会をしているだけで、不貞行為なんかしていないわ。大体、クワイエット・ゼロの件はシャディクの罪じゃないもの」

「まぁそうですよね。でも別に、実際にミオリネさんが、シャディクさんと不貞行為をしていようと、していまいとあまり関係ないんです」

 スレッタがキーホルダーをつまみ上げると、ボールチェーンが擦れてしゃらんと音を鳴らした。それを合図にエリクトが音声を流す。ミオリネがシャディクを求めて、シャディクがミオリネを求める――エリクトが知る限りでは一度もそんな会話をしていない音声だった。

「なにそれ、合成音声?」

「はい。エリクトが録音していた音声を、つなぎ合わせてくれたんですよ。別に実際どうだろうとあまり関係ないんです。聞く人が聞けば、こんなのデマだってわかります。でも、ミオリネさんはシャディクさんを救いたくて、こんなことに時間を割いてる暇ないんじゃないですか」

「……スレッタは何が目的なの?」

 ミオリネが声を絞り出しながらスレッタを睨みつける。スレッタはそれを見て、ゆっくりと口を開いた。

「ミオリネさんの財産を半分。それから、私たち家族が住むために家を建ててください。私たちは、もう何に振り回されることなく穏やかにゆっくりと過ごせればそれでいいんです」

 土手の下にいるプロスペラをスレッタは寂しそうに眺めた。

 プロスペラは相変わらずこちらに見向きもしないで、ぼんやりとライ麦畑を眺めている。その光景にミオリネはぞっとしていた。

 ミオリネがスレッタに怒鳴り散らそうとも、スレッタがミオリネを冷たく接しようとも、もうプロスペラにはこのやり取りすら認知されていないのだ。こんなのが家族だなんて、こんな歪なものをスレッタが大切にしようとするだなんて。きっとミオリネはそんなことを考えているのだろうと、エリクトはおよそ検討をつける。一年も一緒に居れば、この稚拙な考えの娘が何を考えているかなんて容易に想像がついた。何も理解していなくてばかばかしいミオリネの言動にため息が漏れる。

「私はもうミオリネさんの言うことを聞いているだけのお人形じゃありません。私とミオリネさんの関係は、地球に一緒に来てって言われたときに、応えなかったことで決着がついてるんです」

「……じゃあなんで、目を醒ましてから何年もいたのよ」

 わなわなと唇を震えさせてミオリネが悲劇のヒロインの様な顔をする。自分がいっさい悪くないと言っている顔だ。いや、この娘は事の因果関係というものを理解できていない。だからプロスペラに対して「家族になるんでしょ」と宣い、デリングに「親と私たちは関係ない」と宣い、エリクトの遠回しな忠告も嫌味も無視し続けた。何でスレッタがこんなことをしていたのかなんて、スレッタの気持ちなんて、ひとつも考えていなかった。

「私はもうひとりで生きることは難しいから。働ける見込みもないし、お金が必要なんです」

「学校の先生は」

「なったところでですよ。ハンデが多い教師を雇おうとしてくれるところなんてなかなかないですよ」

「アスティカシア……グエルは」

「よしみで雇ってくださいって言えっていうんですか」

「スレッタ!」

 ミオリネがプライドを傷つけられたのかスレッタの胸倉をつかみ上げた。スレッタが咄嗟にバランスを崩して転がり落ちないように、斜面に映えている雑草を掴んだ。実際にミオリネにはスレッタのバランスを崩せるほどの力はない。そんなもので体重を支えられるわけも、指先に力が入るわけでもないのに、それしかできないスレッタにエリクトが悔しく思った。咄嗟にスレッタが地面を掴んだことで、キーホルダーがスレッタの手から滑り落ちる。そのまま傾斜を転がって、ちょうどプロスペラの前にまで落ちた。プロスペラはそっとキーホルダーを救い上げて、ついた泥を払ってくれる。

 スレッタをこんな体にしたのはミオリネにも原因があるくせに、自分は何もかも受け入れてひとりで先に進んでいる気になっているのがエリクトには気に食わない。

 スレッタは何も進めていないし、エリクトも、プロスペラも、グエル・ジェタークもシャディク・ゼネリも、誰も何も進めていない。エリクトも各々の思惑があったとはいえ、全員がスレッタから向けられる咎を受け入れるべきなのだ。それをこの娘は、この女は。自分がスレッタの婚約者だったからという理由ですべてを水に流した気でいるのだ。

 見上げればスレッタとミオリネを、チュアチュリーとレネが引き離していた。チュアチュリーはスレッタのことを支えていて、ロフストランドクラッチをスレッタに渡そうとしている。傾斜ではかえって危ないと踏んだのか、スレッタが首を横に振っていた。

「なんでスレッタ! あんた、あたしのこと選んでくれたじゃない!」

「だって、ミオリネさんが一番お金がありそうだったから」

「はぁっ? 意味わかんないんだけど!」

『スレッタ』

 エリクトが呼びかけると、スレッタはゆっくりとプロスペラとエリクトを見た。

『スレッタ。ミオリネには何言ったって無駄。帰るよ。やることは沢山あるんだから』

 これ以上はミオリネの相手なんかすると疲れる。エリクトは暗にそう告げると、スレッタは小さく頷いた。チュアチュリーの肩を借りて、スレッタは傾斜からゆっくりと階段にまで誘導されている。ニカが車いすのところにまでやってきて「押しますね」と声をかけてくれた。

「そうよ! エリクト! あんた取引! 忘れたわけじゃないでしょうね⁉」

『うるさいなぁ。結局今のミオリネにとっては、スレッタよりもそれなんでしょ。あとで渡すよ。それで満足でしょ。あとはサビーナたちを経由して。少なくとも、ボク達には直接もう接触しないでよ』

 レネに羽交い絞めにされて喚くミオリネにエリクトが吐き捨てる。車両に押し込まれたミオリネにほっとスレッタが息を吐いて、緊張からの解放と共にその場にへたり込んだ。

『疲れた?』

「うん。緊張した。……皆さん、ありがとうございます。せっかく来てくださったのに、なんか迷惑かけちゃってすみません」

「別に、あーしたちは迷惑してねぇよ。久しぶりに会ったミオリネ、変わったなぁって思ったくらいで。スレッタのほうが危なかっただろ」

「そうかな? むしろ変わってはなかったと思うけど。結構ミオリネって直情的なところあったと思うよ」

 チュアチュリーの言葉に、ニカが小首をかしげた。

「なんでミオリネさんが怒ったのか、理由聞かないんですか?」

「聞いてほしいなら聞くよ。でも、スレッタはずっと我慢してたでしょ。たまに喧嘩するのはいいんじゃないかな。それで仲良くできることもあるかもしれないし、それで仲良くできないならそれまでの信頼関係だったんだよ」

 スレッタがやや消沈気味に尋ねると、ニカは優しく言葉を発した。穏やかなニカの目線は一周だけ待っている地球寮の面々を追った。

「ニカさんは大人なんですね」

「私は地球寮の皆に、ちゃんと自分のことを話せて、それで受け入れてもらえたからね。むしろ怖いことなくなった」

「こう見えてニカねぇ、あーしに怒られて大泣きしたんだからな」

「やめてよ恥ずかしいなぁ」

 ニカが軽くチュアチュリーの肩を小突いた。チュアチュリーもニカにやり返していて、ふたりして笑っている。スレッタとミオリネはこうはならなかったなとエリクトは溜息を吐いた。ただミオリネが変わったところで、もうこんな機会を持ちたいとは思わないんだろうなとエリクトはスレッタの伏し目がちな表情を見た。

「ともあれ、助けてくれてありがとうございました。あとは、私はお母さんと一緒にゆっくりと車いす押して帰りますから大丈夫です」

「本当に?」

「はい」

「わかった。じゃあ先に言ってるから、もし何かあったら連絡してね」

「もちろんです」

 今日集まった理由はニカの出所祝いと、スレッタの卒業パーティを兼ねてだった。ミオリネと話したいというスレッタに地球寮の子たちはわざわざ迎えに来てくれたのだ。

 ニカとチュアチュリーが、地球寮の子たちと合流してミオリネたちとはまた別車両で去っていく。スレッタはロフストランドクラッチを腕に着けると、ゆっくりと歩き始めた。

 プロスペラもキーホルダーを膝にのせて、自分の力で車いすを押し始める。

 重力でプロスペラは殆ど地球では車いす生活だったが、それでもある程度はまだ自分で動けるほどには、体の自由がきいていた。

「お母さん」

「なあに」

 スレッタがそっと呼びかけると、プロスペラはのんびりと返した。

「あれで、良かったと思う?」

「さぁ。スレッタがどんなことを考えてるのか、お母さんわからないけれど。でもスレッタは満足できたの?」

「……」

 プロスペラの問いかけにスレッタは答えられなかった。悲しそうに目を伏せて、そして顔を上げた。

「私、まだエリクトの顔以外見れないよ」

「……そう。スレッタ、少しかがめる?」

「え、うん」

 スレッタが少しかがむと、ちょうどプロスペラの手が届く位置にやってくる。プロスペラは自分と同じ色と髪質を持つそれを丁寧に撫でた。

「お母さんは何も言える立場じゃないけどね。スレッタがそうしないとって思うなら、それが答えなんじゃないかしら」

「そうなのかな」

『そうでしょ』エリクトが口を挟む。『だって、それくらいのことを、皆がしている。前にも言った通り、スレッタはみんなに利用され続けてもいいの』

「それは、やだ」

 スレッタは駄々をこねる子供のように、甘える子供のように首を横に振る。

『スレッタの選択を、誰もが責められるものじゃないよ。ボク達はスレッタの選択を受け入れる側だからね』

「そうなの?」

『そうだよ』

 スレッタは答えずにまたゆっくりと杖を突いて歩き始めた。それに合わせて、プロスペラもまた車いすを押し始める。箱庭の中に閉じこもってしまえればどんだけ幸せなのかともエリクトは考えたが、こんな状態で箱庭に詰められたとて、地獄でしかないのだと内心で呪詛を吐き捨てた。

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