淪落の聖女   作:R_echan387

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砂時計に融けたビスクドールⅢ

3.

「ありがとうございます。手伝ってくれて」

 スレッタは車両から荷物を降ろし終えたグエルに向かって礼を告げた。

「大した量じゃないから構わない。それよりも寧ろ三人分の荷物がこんなに少なくていいのか?」

「はい。家具とかはあとから業者さんが持ち込んでくれるので、お願いしたい物は小物とか、衣類とかそんなものだったんです」

 スレッタがグエルにお願いした荷物は、衣類が入った段ボールが五つと、日用品が入った段ボールがふたつ、リビング雑貨が段ボール三つだ。これで三人家族分。だいぶ少ない荷物だった。

「リビングに置く雑貨とかは配置を手伝えるが、さすがに衣服を触るのはな。箱を開けることはするから、それだけは中身を自分で移し替えてくれ」

「気を遣ってくださりありがとうございます」

 衣類の箱をこれからスレッタの部屋になるであろう場所へと置いた。衣装棚はまだ届いておらず、スレッタは箱に触れようともしなかった。

「それにしても、ミオリネの荷物は後から来るのか?」

「あぁ」スレッタが気のない声で返す。「婚約破棄したんです、ミオリネさんと」

「え」

 スレッタの言葉に、グエルが一瞬固まった。

「あいつ、スレッタのことを幸せにするって言っておきながら……!」

 そしてすぐに怒りに目を染めるグエルに、スレッタはなんて事のない声で返す。

「私がミオリネさんを振ったんです。ミオリネさんには、ミオリネさんのお金で私のことを幸せにしてもらおうかなって。まぁ、ほかにも理由はあるんですけれども」

 何も気にしていないというように、スレッタは小物が入った箱を開ける。ひとつ取り出して、家具が届かないと配置が決まらないと考えたのか、また段ボールに戻した。

「だってミオリネさん。ある人に会いに行くとき、絶対に指輪外すんですよ」

 スレッタがおかしそうに笑った。ミオリネにみせた表情が嘘だったのではないかと言いたくなるような笑い方だった。

「ハンデをおった私を見捨てることができかなかったと思いたいですけどね。実際は、ミオリネさんのアクセサリーだったのかもしれないです。私が必要だったんじゃなくて私がエアリアルに乗っていたから、決闘で負けなかったから。スレッタというアクセサリーがミオリネさんにはきっと必要だったのかも知れません」

 今となっては聞く機会もないですけど、とスレッタは息をついた。

 グエルは勝手に箱の中からクッションを漁ると、床に敷いてスレッタをその上に座らせた。ロフストランドクラッチを腕から外すのを手伝って、横に置く。

「ミオリネさんにとって、私よりもシャディクさんの方が大切ですからね。今も昔も多分そうですし」

 スレッタがエリクトを見る。一年前、エリクトをミオリネに押し付けたのはミオリネを見張っていろいうことの他ならなかった。大嫌いな女と一年も行動を共にしてうんざりしていて、解放されたことにエリクトは頭痛が晴れたような気さえしている。

「私も身体はある程度動くようになりましたし、グエルさんのおかげで卒業することも出来ましたし」

「その身体で……」

 グエルは悔しそうに言葉を飲み込んだ。結局リハビリはしていたが、完全に元通りには回復しなかった。それでもパイロット科として卒業出来たことは、エリクトやエアリアルがいなくともパイロットとして優秀なのだという証左だった。

 エリクトは自分にそんな資格がないと理解しつつも、スレッタのことを誇らしく思える。

「私が今の状態になったのは、自分の決断です。他にも選択肢があったのに死ぬかもしれないって怖かったのにキャリバーンに乗るって決めたのは、私自身です。……もうしっかりと受け止めてますから」

 それに、とスレッタが続ける。

「ミオリネさんにとって、私がアクセサリーだったのと同じように、私はミオリネさんが好きなんかじゃなくて、ただの依存先でした。ミオリネさんの花婿で居たがったのも、結婚したかったのも、そうしないと私は私の居場所を作れなかったから。エアリアルと一緒にずっといられなかったから。お母さんもエリクトも、私が本当にミオリネさんを好きで結婚するって言ったら、きっと大反対ですよ」

 仕方なさそうに眉尻を下げてスレッタは笑った。

『当たり前でしょ。ボクはミオリネも許してないし、グエルだって許してない』

 スレッタをとめることができたはずなのに、止めるどころか後押しした女と、止めることを諦めた男だ。エリクトが好きになれるはずもない。グエルは冷えた声で制したエリクトに文句言うことはしない。この男からしたら、エリクトこそがスレッタを止められたと主張してもいいだろうに、すべて自分が悪いと非を受け入れる。自己犠牲の塊なところはスレッタと似たり寄ったりで腹が立つ。

「そういえば、エリクトって、ミオリネさんとなにか約束してたの?」

 エリクトの機嫌が損なったのを理解したのか、スレッタは早々に会話を変えた。

『ミオリネとボクが?』

「うん。だってなにか会話してたよね、ライ麦畑で話した時」

『あぁ、そのこと。別に大したことじゃないよ。ミオリネが欲しいって言ったものをボクが用意するねって安請け合いしただけ』

「ふぅん、でも、約束はちゃんと守らないとダメだよ」

『それを今の君が言う?』

 スレッタはつまらなさそうに声をあげるだけで、特別エリクトを責めようとは思わなかったようだ。スレッタは目が醒めてからというものの、人への関心をあまり持たなくなった。このやり取りも気になったものの、別にエリクトが約束を守ろうとも破ろうとも自分に被害が来なければいいのだろう。

 もしかしたら、スレッタがエリクトをミオリネに渡した時点である程度何かを予想していたのかもしれない。それでも苦言を呈するだけで終わるところをみると、これ以上口を挟むことはしないようだ。

 すっかり大人になってしまった――大人にしてしまったスレッタに、エリクトは寂寥を覚えて目を伏せる。八百長の決闘に付き合わされたあとに、もっと丁寧な突き放し方をしていればこうはならなかったのだろうか。

 スレッタの体に最初に毒を流し込んだのは、間違いなくエリクトだ。自分とエアリアルの記憶を、データとしてパーメットとして流し込んだ。それはスレッタの精神を無理矢理大人にさせてしまい、こうして今の達観へと繋がっている。

 不意に視線を感じると、真っ白いそれがエリクトを睨めつけていた。多分考えていたことは同じだったのだろう。真っ白いそれはスレッタに毒を流し込んだ時も酷く憤慨していた。

 真っ白なそれの視線を受け流して、エリクトはひっそりとため息をつく。

 視界に入ったグエル・ジェタークはスレッタから見えない位置で顔を歪めていた。

『隠れたところでそんな顔しなくともスレッタには見えてないよ』

「エリクト?」

 ぼそりとつぶやいや声はスレッタの耳には届いたがグエルの耳には届かなかったらしい。スレッタは首をかしげながら聞き返したが。エリクトは『別に』というだけで返すことはしなかった。

 

 

 引っ越しも終わって、荷ほどきもほとんど完了してしばらくが立った。スレッタはアスティカシアを卒業した後は通信学生として教員免許を取ることにしたらしい。時折電子テキストを開いて、難しそうな顔をしながら端末にペンを滑らせているのを見かける。わからないことをよくエリクトにまで聞きに来るが、エリクトとて教員免許を持っているわけでもないし、何なら学校に通ったこともないので勉学ができるかと言われたらまた別の問題だ。それでもスレッタは懲りずにエリクトへと聞きに来て、ふたりで考えることも多い。スレッタはそういう事をエリクトに求めているのかもしれないと気が付いてからは、「わからないけど」なんていうよりも「調べるか」と言うことのほうが増えた。

「お母さんとこうして過ごせるの、もしかしたら十年ぶりくらいかも」

 スレッタは車いすに座るプロスペラに対して、彼女よりも高い椅子に座ってその肩を叩いている。スレッタとエリクトのもとに戻ってきたプロスペラはもうずいぶんと体にガタが来ているようで、歩行は困難になっていた。意識ははっきりしているが、それでもプロスペラ自身が言っていた終活を終えたことで満足しているのか、ぼんやりと外を見ていることも増えた。そこには自分の人生の半分以上をかけて駆け抜けていた、エリクトが知っている母の後姿――プロスペラの面影はなくてそれが寂しさを感じさせる。

『ボクも年なのかなぁ』

 寂しさを感じるなんて。ひとりごちた声はスレッタにもプロスペラにも届いておらず、空気の中に溶けていく。

 スレッタと言えば、彼女が寝ている間にプロスペラと会話したように、こんな穏やかな日常を望んでいたようだった。体に不自由を抱えながらも、こうしてやりたいことリストと称してスレッタはプロスペラが少しでも楽になるように体をほぐそうとしている。プロスペラが寝ているスレッタにしていたように、今度はスレッタがプロスペラに同様のことをしている姿は、親子なんだなと思わせた。

「大丈夫? 痛くない?」

「ええ。ちょうどいいくらい」

 スレッタが叩く力はきっと入っていないだろう。プロスペラの肩は凝ったままだし、それは全員が理解している。こんなのおままごとだとエリクトは言わなかった。わかっていることだ。スレッタとプロスペラは時限爆弾を抱えていて、エリクトは反対に相変わらず無限に続くかもしれない時間をこれからひとりで過ごすのだろう。わずかな時間しか籠れない箱庭たとえ傍から見て地獄だったとしても、エリクトは自ら壊そうとは思わなかった。スレッタが望んだ小さな箱庭は、エリクトにとってもこの先かけがえのないものになることは想像がついたからだ。

「こうして家族みんなでね、のんびり過ごせて嬉しい。お母さんとふたりだけじゃなくて、エリクトもいるし、みんなもいるし」

「これからはずっと一緒よ」

「うん」

 プロスペラは残り少ない時間を今度こそスレッタとともに過ごそうと決めたらしい。肩を叩くスレッタの手に自分てのひらを重ねて笑いかけた。

『というかお母さん、何で地球だったの?』

 スレッタとプロスペラの体の不自由さを考えれば、無重力空間のほうが少しは楽なのではないだろうか。そうでなくとも、こんな地球の端にあるような冬の寒さが堪える地域でなくともよかったはずだ。エリクトは純粋に疑問に思ってプロスペラに尋ねる。

「宇宙だと目につきそうだしね。地球のほうが隠れるのにはちょうどいいのよ」

『あぁ、そういう……』

 どうやらプロスペラとエリクトは全く別のことを考えていたらしい。エリクトはふたりの身体のことばかりを心配していたが、プロスペラはスレッタとミオリネが婚約を破棄することを予見して、スレッタを隠すために地球を選んだようだった。

『あれ? でも、隠れる必要あるの?』

「念には念を入れたほうがいいでしょ。万が一あなた達に何かあったら、お母さんいやだもの」

 スレッタはふたりが何の話をしているか全く理解していないようで、肩を叩きながら首をかしげている。それでも自分が口を挟むことじゃないのだろうと考えたのか、割って入ることはしなかった。

「スレッタ」

「なに、お母さん」

 急に自分へ言葉を投げられて、スレッタは困惑気に返事をした。

「お母さんの部屋の棚に、ひとつお手紙がおいてあるわ。スレッタに宛てたね。私に何かがあったら、それを開きなさい」

「……嫌だよ、そんな、すぐ死んじゃうみたいなこと言わないでよ」

 肩を叩くスレッタの動きが止まった。力をなくして腕がパサリと落ちる。

「いやぁね。私だって、すぐ死ぬんだなんて思ってないわ。でも、言っておかないと、いつ言えなくなるかわからないでしょ」

 スレッタはすぐ突っ走るから。とプロスペラは冗談交じりに笑った。スレッタもつられてへらりとした表情を作った後に、すぐにしぼんだ顔になる。

「やっぱりお母さん、私がキャリバーンに乗ったことを怒ってる?」

「……それはそうよ。スレッタが私の計画を邪魔したことを怒ってるんじゃない。危険な機体に乗って、自分の命を軽く見積もったことに怒ってるわ」

「それは謝っても許してくれない?」

「許せることじゃないわね」

 プロスペラは振り向くと、スレッタの顔を丁寧に撫でた。薄らと血管の上を走るように描くパーメットスコアが流入した痕が残る痣に、プロスペラは首を振って細い息を吐く。

「スレッタが私たちの計画を邪魔したことは許していないわ。代わりに怒ってはいない。それでもスレッタが死んでしまえばよかっただなんて、一度も思ったことはない。――ただ、スレッタの身体にこんな不自由を残してしまったのなら、突き放したりしないで協力してもらったほうがよかったのかと思うことはあるわ」

「そんなこと言ったら、エアリアルが怒るよ。きっと」

 その言葉に真っ白なそれが唇を突き出していーっとプロスペラを威嚇した。

『結局、何が正解だったかなんて……正解なんてなかったでしょ。全部両立することは最初からできなかったんだ。だからスレッタを突き放した責任を、ボクたちは全員がとらなければならない。違う?』

「エリクトにとって、私とは責任があるから一緒にいてくれるだけなの?」

『まさか。そんなわけないでしょ。責任だけならボクは君のことを庇ったりはしない。大切な妹だから自分を犠牲にしてでも、スレッタには生きててほしいと思ったわけだしね』

 目が醒めて泣いていたスレッタをエリクトは思い出した。自分に有機体の身体があったならスレッタの手を取って頭を下げて、痛い思いをさせて、怖い思いをさせてごめんと謝れたのにと常々考える。生体コードで成立しているエリクトの言葉は、いつも空虚で誰の耳にも届いていないような錯覚をさせられる。

『ま、だからボクとしてはミオリネもグエルも甘い蜜をいまだにスレッタから吸おうとしているところが大嫌いなんだけど』

「エリクトはいつもそう言うよね」

『当たり前でしょ。スレッタと共にいたいのなら自分のしでかしたことの大きさを理解するべきだ』

「エリクトは理解してるの?」

『スレッタが思うよりもね。ずっと理解しているつもり』

 だからミオリネに押し付けられた時もいやいや渋々ながらに聞き入れたし、スレッタが望むようにミオリネの不貞の証拠をでっちあげた。

 スレッタは実際にミオリネをどうこうしようとは思っていなかったようで、ミオリネはあっさりと自身の持つ資産の半分をスレッタに引き渡したことで、スレッタもそれ以上なにかをしようとは思わなかったようだ。ミオリネとしても、スレッタと争うよりもシャディク・ゼネリをどうにかするほうが優先順位が勝っていたのだろう。それなのに、いまだ自分のしでかしたことをしっかりと理解できていないミオリネはスレッタに文句を言っていたとエナオを通して聞いていた。

 ――一生自分の立場というものを理解する気はないのだろうな。

『まぁ、もう気にすることでもないか』

 エリクトはプロスペラがスレッタに託した手紙に思考を寄せた。その手紙がプロスペラのエリクトへの愛情表現になるのだということを、見てもいない手紙の中身が想像ついて、ひっそりと目を瞑った。

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