6.
グエルのおかげと言うには大変腹立たしかったが、スレッタは少し気が晴れたらしい。動きは少ないながらも一日をベッドの上で目を腫らし悲嘆することは少なくなった。
――旧ベネリットグループ企業のM&Aに関して。
流れるテレビニュースをぼんやりとスレッタは眺めている。プロスペラの死を乗り越えようとしているとはいえ、勉学に手を出す程は回復していないらしく、毎日同じような内容の、特に進展も無いニュースをかけ流している。
エリクトとスレッタと言えば、少しだけここも関係性が、というよりはふたりの態度が変わった。エリクトはスレッタに早く立ち直って欲しかった故にプロスペラの死について触れないようにしていたが、スレッタが望むならばと、プロスペラどの数少ない思い出を話すようになった。ついでにナディムの話もだ。
プロスペラはともかくとして、ナディムがスレッタの父かと言われれば多分否と言えるのだろうが、スレッタは「おとうさん」とナディムを呼称した。エリクトの妹であるならば間違えではないので否定はしなかった。
ともあれ、エリクトと家族の思い出と言うのはスレッタが考えているよりもずっと少ない。幼い記憶なので曖昧な部分もある。
それでも、プロスペラとしての母親ではなく、エルノラとしての母親の話を聞くのは新鮮だったようで、スレッタは独り言のように話すエリクトの言葉を聞いていた。
「エリクトとお母さん、意外と思い出が少ないんだね」
『当たり前でしょ。僕がエアリアルに生体コードが移行されたのいつだと思ってんの。スレッタの方がずっと長くいるって、ボク言ってるじゃん』
「そうなんだけど、それでもお母さんとエリクトの方が、繋がりが深いのかなって思ってた」
『まぁ、ボクはスレッタとこうして話せるようになるまではほとんどひとりみたいなもんだったからね。別にエアリアルと話してる訳でもないし』
「あの声は、エリクトの声だったの?」
スレッタが小声で聞いた。いなくなった腰のあたりに一瞬だけ顔を向けて、確認するように問いかける。
『君がずっと声が聞こえると言ってたのは、ボクじゃなくてエアリアルだ。三回目の決闘でシステムダウンさせられる瞬間に謝ったのも、エアリアル。……君と一緒に一番居たかったのは間違いなくエアリアルだったね』
「エリクトは?」
『ボクもスレッタが好きだよ。でも、ボクはボクで、ヴァナディース機関を壊したことが許せない、ボクを助けたい、クワイエット・ゼロを完成させたいて言うお母さんの気持ちに協力したからね』
少しだけ本音をエリクトは漏らす。スレッタが大切なことは間違いがない。自分とエアリアルを犠牲にしても、可愛い妹は守りたかった。それとは別に、エリクトとしては、プロスペラの計画にスレッタが組み込まれていようとも、組み込まれていなかろうとあまり関係はなかった。
エアリアルみたいに純真にスレッタの幸せだけを願っていたわけじゃない。エリクトとて、自分の幸せが欲しかった。ひとりでいるあの真っ白な空間で、何も届かない場所からは逃げ出したかった。今こうしている壊れかけた箱庭は確かに地獄だが、それでも何もない空間よりもよっぽどマシだった。
「エリクトも、ひとなんだね」
そんな話をすると、スレッタは少しだけ笑った。エリクトも笑いながら息を吐いた。
『君はなんだと僕を思ってるんだか』
「達観しすぎてて、なんか違うのかなって」
『なにそれ』
「ううん。……ねぇエリクト、この前はごめんね。酷いこと言った」
『いいよ別に。お互い様でしょ。ボクだってスレッタの気持ちを汲んでいるようで全く組んでなかった。早く立ち直ればいいのにって、自分の気持ちを押し付けてた。ボクのほうこそごめん』
スレッタの謝罪に、同じようにエリクトも謝罪で返した。スレッタも「うん」と頷いて、それからもう少しとプロスペラの話を強請る。就寝間際に読み聞かせをする母親というものはこんな気持ちなのかとなりながら、エリクトはまだ話していない思い出話を続ける。
やがて、夜も更けて話すネタもなくなってきたというところで、エリクトは殊更猫なで声を出した。
『ところでスレッタ』
「なに?」
『この前の、グエル・ジェタークとの件だけど』
「今日はもう寝るね」
『スレッタ』
エリクトの諫める声に、スレッタは浮かしかけた腰をソファに落とした。そっぽを向いてこみれよがしに頬を膨らませて聞きたくありませんアピールするのは、小さな子供そのものだった。
『スレッタはどうしたいの』
「どうって?」
『グエル・ジェタークと付き合いたいとか、今更思ってるの』
「エリクトが、言ったんだよ」
『は?』
責任を擦り付けるようなスレッタの物言いに、エリクトは丸い眉を跳ね上げた。スレッタは最近はめっきりなくなっていた指遊びをしながらちらちらとキーホルダーを見た。
「グエルさんには下心があるって」
『……言ったね、確かに言った。え、ボクの発言のせいだって言いたいの?』
「そうだよ」スレッタがきっぱりと言い放つ。「エリクトがあとの時、下心があるって言わなかったら、グエルさんに縋ろうとは思わなかったよ」
『それはボクへの意趣返しってわけ?』
スレッタは肯定も否定もしなかった。その沈黙がどちらかエリクトにははかりかねて、長い溜息を吐く。
『それがスレッタのやりたいことなの?』
「違うけど。でも、疲れちゃった」
『スレッタもいい年なんだから、ボクのせいにしないで自分の言動に責任持ちなよ。あんな風に関係をもって、後に辛くなるのはスレッタでしょ』
スレッタはその落ち着いたブルーグリーンの瞳を半分伏せると、ふいと不貞腐れるように顔をそむけた。先程の子供じみた仕草ではなく、本気で干渉してほしくないという態度だった。
『君は自分がやり始めたことに責任を持たなければならない。それは分かってるんでしょ』
「わかってる、よ」
『で? どうするつもりなの』
「……わかんない」
『はぁ?』
迷子の子供みたいな口調に、思わずエリクトは語気を強めた。スレッタは唇を尖らせてその身を小さくする。
「グエルさんの手を取ろうだなんて、思ってなかったもん」
『だから?』
「グエルさんて、何で私のこと好きなのかな」
『そんなこと本人に聞きなよ。ボクは反対だっていうだけ』
「そうだよね」
スレッタはソファに寝転がる。しれっとエリクトのせいにしたスレッタに、これ以上のスレッタへの説教のタイミングを失ってしまった。こういう狡賢い事ばかり覚えてと、エリクトは米神をもんだ。
アポイントもなしにグエルはまたも顔を出した。エリクトが嫌味を言う前にスレッタはエリクトを制する。しかしスレッタはグエルを家の中に入れる気はないようで、体を支えるようにして玄関を塞いでいた。
「何の用ですか」
「中に入れてくれないか?」
「今は部屋がちらかってるので」
スレッタが首を振って拒否する。エリクトにはスレッタの考えがよくわからなかった。先日は自分からグエルを求めておいて、今はグエルを遠回しに拒否している。
「……この前の件、謝罪しに来た」
中に入れてもらえないと理解したグエルはバツの悪そうな顔をして頬を掻いた。スレッタはムッとした表情でグエルを睨みつけた。
「痣だらけの女に手を出したこと、後悔してるんですか」
「手を伸ばしたことに後悔していない。けれど、順番を間違えたことについては後悔している」
「意味わかんないです」
グエルはキーホルダーを目線で探した。エリクトはスレッタの手のひらに収まっていて、グエルからは見ることが出来ない。リビングにでも置いてきたのかと思ったか、グエルは緊張を解すように息を吸った。
「ミオリネと婚約破棄をしたと聞いて、正直俺は嬉しかった。俺じゃなくて、ミオリネを取ったと思っていたから」
「……」
「スレッタ、宇宙へ帰らないか」
「……どうして」
グエルはスレッタが宇宙に帰るという危険性を考えているのだろうか。プロスペラがなぜスレッタとエリクトを連れて僻地に籠ったのか理解しているのだろうか。それとも、それを理解した上でその発言をしているのか。
「俺はスレッタへ想いを結局諦めきれなかった。おまえがミオリネと婚約している間もジェターク社の立て直しの為にと融資の話を受けて、見合いも考えた。でもスレッタのことが頭に絶対チラついて、俺はそれを良しとすることは出来なかったんだ」
グエルが体を支えているスレッタの手に自分の手を重ねた。短く整えられた爪が、スレッタの特定の指を掻く。
「俺は、スレッタ・マーキュリーに進みたい。……もう少し、ジェターク社が落ち着いたら必ず来る。だから、ここを今度こそ、空けておいてほしい」
グエルの言葉にスレッタは驚くことも、顔を赤らめることもしなかった。淡々とその言葉を耳にして、少し考える素振りを見せたあとにひとつこっくりと頷いて見せた。
そこでやっとエリクトはスレッタのやりたい事を理解した。スレッタ本人は先日エリクトと話をしたようにグエルのことを真剣に考えているわけではないのだろう。ただプロスペラを喪った寂しさを手短にあったもので埋めただけだ。
スレッタとグエルの間には確実な温度差があったが、多分グエルは理解していなかった。エリクトはあえてそれを指摘することはしなかった。