8.
スレッタは何事もないかのように日々を過ごす。プロスペラが残した資料は、棚に残したままで手を付けようともしなかった。それでも時折考える仕草が増えたということは、どうするべきか悩んでいたのだろう。
プロスペラが残した資料はスレッタが別に悩まずとも時限式に解放されるようになっていた。スレッタがミオリネを許せないと思った時に自分の手で復讐できるようにあえて選択肢として託しただけだ。さすがにここまで来てスレッタの手ですべてが無に帰すのは、プロスペラの矜持が許さなかったのだろう。
そしてその公開日は明日へと迫っていた。走り書きされていた数字は、公開日と時間だ。
エリクトは内心でほくそ笑む。大嫌いなミオリネが、自分たちの人生を狂わせた元凶のデリングが今度こそ正しい形で罰せられる。プロスペラや、ナディムや、ヴァナディース機関の人たちがやっと報われる時が来たのだ。
「お母さんはなんで私にあの資料を託したと思う?」
『……これはボクの一個人の意見だけど、愛情表現だと思うよ』
「あれが?」
『そう。だって考えてもみなよ。お母さんが残した資料を公開することで連合議会は解体されるだろうし、ベネリット・グループも逮捕される。元々お母さんは万が一の時にボク達をかくまう為にこんな僻地を最期の場所として選んだ。ボクたちが心安らかに安全に過ごせるようにってことだと思うけど』
「でもエリクト。私、根本的になんで隠れなきゃいけないかわかってないんだけど」
スレッタはきょとんとしてエリクトに尋ねた。そういえばエリクトとプロスペラが会話しているときも、スレッタは入ってくることはしなかった。まさか理解していないからだとは思っていなかったが、確かに説明もしていなかった。これがすれ違いのもとだとエリクトはひとつ頷く。
『スレッタはリプリチャイルドだ。それでいて、ボク以上にデータストーム汚染というデメリットを抱えつつも、パーメットと、デートストームと同調できる。それは分かる?』
「そうだね。エリクトよりも、私はあの時確かにデータストームを受け入れて、パーメットと同調していた」
『そう。今はモビルスーツ開発競争がいったん落ち着きを見せているけれど、今後どうなるかはわからない。もしかしたら旧ベネリット・グループが新たに新兵器としてモビルスーツ開発するのにデータストームを克服できた被検体がいたとしたら。連合議会がオックス・アースを影で飼っていたようにまた同じことをするために、今度はパイロットを作ろうとしたら。一番先に矛先が向くのは誰だと思う?』
「……私?」
確認するような声に、エリクトは肯定する。いまだぴんと来ていないスレッタの為に、エリクトはさらに言葉を砕いた。
『一度人工的に作り出せてしまったのだから、二度目も人工的に作り出せてしまう。スレッタがモルモットにならないように、お母さんは連合議会と旧ベネリット・グループの汚職事件とクワイエット・ゼロの全容の資料をまとめた。一緒くたに排除するためにね。ま、本人の怒りと理不尽なやるせなさも十分にあったかもしれないけれども。それでも、これはスレッタやボクを守ろうとしているお母さんの愛情だとボクは思うよ』
「そっか」
スレッタは納得したように立ち上がると、資料の入っている封筒を取り出した。
「公開、するべきかな」
『スレッタがどうしたいかによると思うよ。それに、今更だからね』
「どういうこと?」
エリクトが説明しようとしたときに、ドアノッカーが鳴った。この家のノッカーを叩くものはグエルか、グエルがよこした介護職員しかいない。今日は介護職員が来る予定もなければ、グエルがおとずれるのも明日の予定だ。
スレッタがロフストランドクラッチを突きながらエリクトを連れ、返事をして玄関まで歩く。
「どなた様ですか?」
『スレッタ待って』
ガチャガチャとドアを開けようとしている音に、スレッタは動きをとめてエリクトを見た。旧ベネリット・グループに人間や連合議会の人間が今このタイミングで来るはずがない。
「スレッタ!」
悲鳴のような、怒鳴りつけるような声をしていたのはミオリネだ。
「ミオリネさん?」
ミオリネが今のスレッタの居場所をするはずがない。訝しげな声を上げたが、既知の人間だと安心したのだろう。エリクトが改めて制止をかける前に、ミオリネの異様な声質にもかかわらずスレッタは鍵を開けてしまった。
途端、開けられた扉をからミオリネがとびかかってくる。勢いよく胸倉を掴まれて、そのままバランスを崩してスレッタは倒れ込んだ。
「いっ!」
『スレッタ!』
痛みに声もならなかったのだろう。スレッタは苦痛に表情を歪めている。ふたり分の体重を受け身もなしに引き受ければ、こうなるのも当然だった。エリクトは咄嗟に手を伸ばしたが、そもそもがキーホルダー故に支えることもできなくて舌打ちをした。
「あんた! そんなにあたしたちのことが憎かったっ⁉ 最低だと思わないの! こんなだまし討ちみたいなことっ」
「な、なにを」
「あんたが! プロスペラがでっちあげた資料に、クワイエット・ゼロあることない事書いたんでしょ! おかげでくそ親父が逮捕されたんだけど!」
スレッタがざっと顔を青ざめた。ミオリネはその反応にスレッタが犯人だと確信したようで、スレッタの腹を思い切り殴りつける。スレッタは何もしていないし、情報の一斉公開は明日に指定されていた。だからエリクトはわざわざ明日グエルをここに来させて、そのまま万が一を考えて宙に上がろうと画策していたが、もしかしたらグエルが勝手に一部の情報を公開したのかもしれない。
「や、やめてください。ミオリネさん、痛い!」
ミオリネの暴力から身を守ることしかできないスレッタを見て、エリクトが声を上げた。
『いい加減にしなよ』
随分と取り乱しているのであろう。エリクトの声に反応したミオリネは、スレッタのことを離して今度はエリクトをつまみ上げた。
「あんたとプロスペラでしょ! よく考えたらスレッタがこんなことするはずないもんね! あたしたちがあんたに何したっていうのよ!」
『はぁっ?』
エリクトは今まで一番理解できないといった声を思わず漏らした。さすがに言葉を失って、エリクトは視線をさまよわせた。何をしたか理解していないのはこの娘だけだ。
この愚かな娘ともども、クワイエット・ゼロの実行者として資料は名を連ねていたが、逮捕されたのはデリングだけであるらしい。デリングはプロスペラの行動に勘付いてせめてミオリネだけは守ろうとしたのだろう。この娘は、それさえも気が付かずにのうのうとこうして直情的にスレッタに食って掛かっている。
せめてスレッタがこれ以上暴行に晒されないように、エリクトは殊更嫌味を張り上げた。
『……すべてを手に入れたつもりで、すべてを失った気持ちはどう? 滑稽に踊ってくれてありがとう、ミオリネ・レンブラン』
「最低! くず! 人をなんだと思ってるのよ!」
全部自分に刺さる言葉だとは思っていないのだろう。スレッタは痛みに呻くだけでこちらを気にかける余裕はないようだ。
『さて。これはボクが言っていたミオリネとの約束だ。シャディクを助ける手助けとなる情報を開示してあげる。ボクは確かにそう言った。実際に、これでシャディク・ゼネリは極刑くらいは回避できるだろうね。その後は知らないけど。その対価としてほしかったのはレンブラン家の零落だ。ははは。ようこそ地獄へ。ずっとのうのうと生きていたレンブラン家が、ボク達とはまた違った地獄に落ちてきてくれて、とても嬉しいよ』
実際に直接ミオリネに会うことはないと思っていたから、嫌味なんて考えていなかった。しかし口を開けば言葉はすらすらと出てきて、それだけ恨みが溜まっていた。スレッタを守る唯一の方法だったのかはエリクト自身もわからなかった。
「エリクトは」
スレッタが呻きながら小さく声を上げた。
「私の味方じゃないの?」
『スレッタ、痛い思いさせてごめん。ボクはスレッタの味方だよ。……でもだからって、ボクが復讐しない理由にはならない』
エリクトは自分の意思で意思で、復讐をしたかった。プロスペラがスレッタの手で公開するのは、スレッタがレンブランが嫌いになって恨んでいたらでいい。プロスペラの遺書はそういう意図だった。それを今、スレッタにこれ以上の暴行被害が及ばないように、あえてエリクトは誇張した言い方をしてミオリネの気を引いた。こんな形でしかスレッタを守れない自分が憎らしかった。
「そんなに、世界が憎い?」
スレッタはなにかを確かめるように、苦悶に表情を歪めながらも訪ねた。
『お母さんの復讐も、スレッタの復讐も黙って見ているつもりだったさ。スレッタがボクに課した罰も背負うよ。でもね、ミオリネは君を大切だと言いながら、君を殺そうとしていたことに、自覚すら持たなかった。この期に及んでこの愚かな娘は何をボクたちにしたのか全く理解していない』
ミオリネがエリクトを握りつぶそうと、キーホルダーに圧をかける。もちろん壊れることなんてなくて、色白の手が余計に真っ白になっただけだった。
エリクトはひとつ深呼吸をして、思い切り悪役ぶって告げる。
『これは、ボクのミオリネに対する復讐だ』
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