1.
「お母さんはなんで私にあの資料を託したと思う?」
スレッタはエリクト小声で尋ねた。プロスペラの残した遺書は、スレッタが思っていたものと同じで、それでもそうじゃない事を祈っていた。
プロスペラは結局母親であることよりも、ひとりの人としての道を選んだ。スレッタの望んだ形で、母親としてはいてくれなかった。
『これはボクの一個人の意見だけど、愛情表現だと思うよ』
「これが?」
目を見開いて問返す。エリクトはどうしたことかスレッタとは違い母親の愛情というものが分かっているらしい。
スレッタとしては、生まれてから十数年、与えられていた愛情が愛情ではなかったのかもしれないと、ここ数年ずっと自問し続けている。
『そう。だって考えてもみなよ。お母さんが残した資料を公開することで議会連合は実質的に解体されるだろうし、旧ベネリット・グループも完全に解体される。元々お母さんは万が一の時にボク達をかくまう為にこんな僻地を最期の場所として選んだ。ボクたちが心安らかに安全に過ごせるようにってことだと思うけど』
「でもエリクト。私、根本的になんで隠れなきゃいけないかわかってないんだけど」
スレッタはきょとんとしてエリクトに問いを重ねた。
プロスペラとエリクトは言葉を多く重ねなくとも、お互いに理解をしていた。それはスレッタには理解できなかったことで、二人の仲の良さを伺わせる。言い換えれば、疎外感を感じさせられる。
『スレッタはリプリチャイルドだ。それでいて、データストーム汚染というデメリットを抱えつつも、ボク以上にパーメットと、デートストームと同調できる。それは分かる?』
「うん。エリクトよりも、私はあの時確かにデータストームを受け入れて、パーメットと同調していた」
『そう。今はモビルスーツ開発競争がいったん落ち着きを見せているけれど、今後どうなるかはわからない。もしかしたら旧ベネリット・グループが新たに新兵器としてモビルスーツ開発するのにデータストームを克服できた被検体がいたとしたら。議会連合がオックス・アースを影で飼っていたようにまた同じことをするために、今度はパイロットを作ろうとしたら。強化人士よりもデータストームへの耐久が高いパイロットが作れるとしたら。一番先に矛先が向くのは誰だと思う?』
「……私?」
教師のように説明するエリクト。スレッタ確認するような声に、エリクトは肯定する。いまだぴんと来ていないスレッタの様子に、エリクトはさらに言葉を砕いた。
『一度人工的に作り出せてしまったのだから、二度目も人工的に作り出せてしまう。スレッタがモルモットにならないように、お母さんは議会連合と旧ベネリット・グループの汚職事件とクワイエット・ゼロの全容の資料をまとめた。一緒くたに排除するためにね。ま、本人の怒りと理不尽なやるせなさも十分にあったかもしれないけれども。それでも、これはスレッタやボクを守ろうとしているお母さんの愛情だとボクは思うよ』
「……そっか」
理解はできないが言い分としては納得出来る。スレッタは立ち上がると、資料の入っている封筒を取り出した。
「公開、するべきかな」
『スレッタがどうしたいかによると思うよ。……それに、今更だからね』
「どういうこと?」
ドアノッカーが鳴った。この家のノッカーを叩くものはグエルか、グエルがよこした介護職員しかいない。今日は介護職員が来る予定もなければ、グエルがおとずれるのも明日の予定だ。
こんな辺境の地に訪れる知り合いなどグエルくらいしかいなかった。スレッタがロフストランドクラッチを突きながらエリクトを連れ、返事をして玄関まで歩く。
「どなた様ですか?」
『スレッタ待って』
エリクトが声を潜めて待ったをかける。
ガチャガチャとドアを開けようとしている音に、スレッタは動きをとめてエリクトを見た。もしかしたら強盗の類とかなのかもと不安に陥る。身体が万全な状態ならまだしも、今この状態ならスレッタは子供にだって押し倒されるし、力で勝つことは出来ない。
「スレッタ!」
悲鳴のような、怒鳴りつけるような声をしていたのはミオリネだ。
「ミオリネさん?」
ミオリネが今のスレッタの居場所をするはずがない。スレッタは訝しげな声を上げたが、それでも知っている人間の声に安心をした。切羽詰まったその声は、なにか助けを求めているのかもしれない。スレッタは玄関の鍵を開けた。
途端、開けられた扉をからミオリネがとびかかってくる。勢いよく胸倉を掴まれて、そのままバランスを崩して倒れ込んだ。
「いっ!」
『スレッタ!』
「あんた! そんなにあたしたちのことが憎かったっ⁉ 最低だと思わないの! こんなだまし討ちみたいなことっ」
「な、なにを」
「あんたが! プロスペラがでっちあげた資料に、クワイエット・ゼロあることない事書いたんでしょ! おかげでくそ親父が逮捕されたんだけど!」
スレッタがざっと顔を青ざめた。ミオリネはその反応にスレッタが犯人だと確信したようで、スレッタの腹を思い切り殴りつける。
プロスペラが残した資料はどこにも公開していない。どこかに漏洩しているはずもない。ミオリネがそんなことを知っているわけもなかったが、今ここで言い訳を連ねればミオリネの暴行は大きくなりそうだった。スレッタは痛む尻に顔をゆがめながらも腹と頭を両手で覆い少しでも急所を殴られないようにと身を縮こまらせた。ミオリネの力がいくらかつてのスレッタよりも弱いとはいえ、無抵抗の状態ではさすがに痛かった。
「や、やめてください。ミオリネさん、痛い!」
悲鳴じみた声で抗議をするがミオリネの耳には一向に届いていないようだった。
「あたしからお金をむしり取るだけじゃ満足的なかったの! あたしはあんたのためのずっと婚約者としてやってきてたじゃない!」
ミオリネの暴力から身を守ることしかできないスレッタを見て、エリクトが声を上げた。
『いい加減にしなよ』
随分と取り乱しているのであろう。エリクトの声に反応したミオリネは、スレッタのことを離して今度はエリクトをつまみ上げた。
「あんたとプロスペラでしょ! よく考えたらスレッタがこんなことするはずないもんね! あたしたちがあんたに何したっていうのよ!」
ミオリネが振り下ろした拳が、スレッタの腹に入る。思わず呻いて、スレッタは痛みに意識を朦朧とさせる。
『さて。これはボクが言っていたミオリネとの約束だ。シャディクを助ける手助けとなる情報を開示してあげる。ボクは確かにそう言った。実際に、これでシャディク・ゼネリは極刑くらいは回避できるだろうね。その後は知らないけど。その対価としてほしかったのはレンブラン家の零落だ。ははは。ようこそ地獄へ。ずっとのうのうと生きていたレンブラン家が、ボク達とはまた違った地獄に落ちてきてくれて、とても嬉しいよ』
エリクトがミオリネと何かを話している。エリクトのせせら笑う声にスレッタは「エリクトは」と小さく声を上げた。
「私の味方じゃないの?」
『スレッタ、痛い思いさせてごめん。ボクはスレッタの味方だよ』
そうして一泊置いて、低い声を出した。共にしていたスレッタも聞いたことのない声だった。
『でもだからって、ボクが復讐しない理由にはならない』
「……そんなに、世界が憎い?」
『いいや? お母さんの復讐も、スレッタの復讐も黙って見ているつもりだったさ。スレッタがボクに課した罰も背負うよ。でもね、ミオリネは君を大切だと言いながら、君を殺そうとしていたことに、自覚すら持たなかった。この期に及んでこの愚かな娘は何をボクたちにしたのか全く理解していない』
散々エリクトは今までミオリネとグエルに馬鹿にした口調で、冷たい言葉を吐いてきた。それでも、今まで聞いてきた中で、スレッタはこんなにも冷酷で、人の心がないような声は初めて聞いた。なんだかんだと冷たい言葉だけれど遠回しに気付きを、そしてきっかけを与えるような言い方をしていたのをスレッタは知っている。
『これは、ボクのミオリネに対する復讐だ』
けれども、そう吐き捨てるエリクトには優しさなんて少しもなくて、スレッタは初めてエリクトの怒りを垣間見た。