2.
「スレッタ!」
意識を失っていたらしい。男の声でスレッタはゆっくりと目を開いた。グエルが心配そうにスレッタを覗き込んでいる。
「あ……? 私、一日気を失ってましたか?」
『違う』
エリクトの気落ちしたような声がスレッタの言葉を否定した。キーホルダーは汚れていて、多分ミオリネが地面にでも叩きつけたのだろうと予想はできた。
『あのあと、すぐにサビーナがミオリネを引き摺って行った。レネがスレッタをベッドに運び入れて、グエルを呼んだけど体調はどう?』
「え、エリクトがグエルさんを呼んだの?」
『意外そうな声を出して茶化さないでよ。今現状、頼れるのグエル・ジェタークしかいないんだから、いやいや渋々、業腹に決まってるでしょ。全く、スレッタがあの時グエルなんかにその指輪もらわなければボクだって……』
そのまま小言に入ろうとしたのをエリクトは言葉を区切った。そして『説教は後でいいか。体調は? 痛いところある?』と尋ねた。
「お尻が痛い……というか、足がしびれてる感じがする」
「医者に行こう。歩けるか」
スレッタは素直に頭を横に振るとグエルはスレッタを横抱きにした。
「あっ、待って。エリクトも一緒に」
グエルは枕元に置いてあるキーホルダーをスレッタに握らせてくれる。スレッタはエリクトを両手で抱きしめると、小声で尋ねた。
「エリクトは怪我してない?」
『ボクは怪我なんてするわけないでしょ』
「こ、心は痛いかもしれないし」
『変な気を回さなくていいよ。でもごめん。この件はボクが悪い』
◇◆◇
グエルが自身が乗り入れた車両の後部座席の背面を倒してスレッタを寝かせてくれる。尻が痛いと訴えるスレッタに少しでも負担がかからないようにという配慮だった。
「痛むかもしれないが、悪化させないようにゆっくりと走る。ここら辺は道が舗装されていなくて負担をかけたくないから、到着が少し遅くなるのは勘弁してくれ」
グエルが会話の間に割り込むのも申し訳なさそうに告げる。スレッタは「ありがとうございます」と礼を告げると、グエルは軽く頷いて運転席へと座り車両を動かし始めた。サスペンションの跳ね上げのない、道の悪さを感じさせない、丁寧な運転だった。
「それで、どうして? よくわかってないけど、ミオリネさんが嫌いで、ミオリネさんから私を守ろうとしてくれたんでしょ。謝らなくていいから、何があったか教えてよ」
いつになく殊勝なエリクトの言葉に、スレッタは唇を尖らせて反論した。
『お母さんが残したベネリットグループの汚職の証拠と、議会連合の癒着の資料、あれはスレッタが公開しようとも公開しなくても、どのみち世には出るようになっていた。スレッタが自分自身の手でミオリネが嫌いなら手を下せるようにって残しておいただけだ。アレの公開日時は今日のはずだったけれども、どこからから漏れたらしい。ボクが想定するよりも早く事は動いて、デリングは見事に逮捕された。たったそれだけのことだよ』
これから、議会連合とオックスアース社の癒着も取り上げられて、もしかしたらドミニコスとかそっちにも捜査の手は及ぶかもしれないね。とエリクトは続けた。
「グエルさんに渡した資料を、グエルさんが公開したんですか?」
「俺はしてない。……これは誓って本当だ。最初は追及の材料にしようかとも思ったが、そもそもこの資料はスレッタのお母さんがスレッタに残したもので、俺が勝手に公開していいものではないとわかっていたし、旧ベネリット・グループ企業はどこも少なからずダメージを受ける。俺はジェターク社をその天秤にかけて、公開しないことにしていた。もちろん、スレッタがそうしたいと望むなら協力するつもりではあったが」
話を振られて、グエルはバックミラー越しにスレッタを一瞥しながらそう答えた。グエルはスレッタを何よりも一番に優先してくれる。スレッタはそれがありがたく思うと同時に少しだけ恐ろしくも感じた。自分が何かを言えば、グエルはその通りに行動してしまうのではないか。例えば婚約を破棄するといえばそうするだろうし、CEOを辞職しろと言うならそうしそうだった。そやな危うさを感じさせた。
「お母さんの残した資料が、どうしてミオリネさんとエリクトに関係するの」
『お母さんが残した資料は、ミオリネも逮捕されるようにクワイエット・ゼロ計画に名を連ねていたはずだ。それなのにひとりだけこうして逃げおおせているのを見ると、デリングが直前に気がついてミオリネを咄嗟に名前を外したのかな。ま、牢獄に入ってシャディクと仲良くするか、父と好きな人間を天秤にかけるかのどちらかしか選べなかったわけだけど。はは、いい気味』
エリクトの嘲笑う声をスレッタは諫める気にはならなかった。スレッタの中にも少しだけそんな黒い気持ちがあったのは確かだった。
『ま、ミオリネ・レンブランはこれからどんどん苦しくなる。悲劇の主人公ぶってたけど、物語が終わればこれからは自分が今までないがしろにしてきた物事の責任を取らなくてはならない。』
スレッタはミオリネから資産を半分奪えれば十分だったはずだ。それで満足するかなと思っていた。だから卒業と同時にスレッタはミオリネにありもしない証拠を突きつけて、そうなるように行動した。
――その時のミオリネさんの顔は見れたっけ。
「私、まだエリクトの顔以外見れないよ」そうだ。あの時確かそう言った。ミオリネの顔は見れなかった。昨日会った時も、ミオリネの顔は確かに見れなかった。つまり、そういうことだ。
「あは。私最低だ」
「スレッタ?」
スレッタはグエルの問いかけを無視してキーホルダーを抱きしめた。スレッタは座面で丸くなる。
もう二度と、ミオリネに直接会うことはないだろう。ニカが以前「喧嘩をしても話し合って仲直りできるならそれが一番いい」と言ってたのを思い出す。
スレッタとミオリネはついぞそんな関係に発展することなかった。この関係は友人でも何でもなく、ただの契約、主従、利用、言葉にすれば近くない関係だったのだ。自分のあの半年ほどの学園生活がミオリネの支配で終わってしまっていたという事実に改めて愕然として少しだけ涙を流した。
グエルの運転する車は心地が良くて、とろとろとスレッタは微睡み身を委ねていると、エリクトとグエルの会話が聞こえてきた。
『デリング・レンブランは多分この件について情報が公開されるよりも先に動いていた』
「つまり、何かしてきてもおかしくはないということですか?」
『杞憂であってほしいけどね。一度だけミオリネとデリングが共に会話をしている場に同席したことがある。シャディクの保釈について話していたけれども、もしかしたらその時にはデリングはお母さんが動いていたのを知っていたのかもしれない』
「なるほど」
デリングの父がスレッタに危害を加えることはしないだろう。そう言いたかったが、口を挟める雰囲気ではなかった。デリングがスレッタに直接加害する理由はないはずだ。
『スレッタを病院に連れてったら、そのまま宇宙にでも逃げるか。ミオリネが来たってことは場所割れてるし』
「それは任せてください。サマヤさんも、ひとつ席をご用意しますので」
『なに、いつぞやの嫌味の意趣返し? キーホルダーなんだけど。ボク』
「違います。あなたがどんな形であれ、スレッタのお姉様で、ご家族で、ひとりの人として尊重したいだけです」
グエルの真摯な声にエリクトは面食らったように一瞬言葉を失っていた。
『そんなことをしたって、ボクは君が大嫌いなままだよ。……せいぜい、利用されてればいいんだよ、君なんて』
「重々承知してます」
『なにもわかってないくせに』
それ以上余計なことをエリクトが言う前にスレッタはキーホルダーを抱きしめる。
エリクトの語調が少しだけ和らいだのをスレッタはしっかりと理解していた。エリクトは人グエルやミオリネに常に刺々しい態度をしていたが、特にただ意味もなく嫌っている訳でもない。グエルはこうやって、少しずつ人と距離を埋めるのが得意なのだなとスレッタは病院に着くまでの間、再び微睡みに身を任せた。
エリクトの言うとおりに、病院につくとテレビニュースはクインハーバーにあったオックスアース社のガンダム製造についての話題で特報が組まれていた。それについて、いまだ公開された資料の全文をマスコミには関係各所が伝えていないのか、議会連合との関係については発表されていなかった。
スレッタは待合室で待ちながらもグエルに寄り掛かってぼんやりとテレビニュースを眺めていた。
プロスペラが残したこの資料が正しいものだったのかどうかはわからない。それでも、これもまたスレッタの関係ないところで事が進んでいくのだろうなと他人事のようにそのニュースを聞き入れる。
『特に真実を否定しないなら、親として子供に責任がいいかぬようにすべての罪を被る。それが親として正しい事なのか、一時でも総裁という座に胡坐をかいて、見えるものを見ようとしなかった罪を贖わせることが親として正しいのか』
スレッタの手のひらの中でエリクトは小さくつぶやいた。
「私はミオリネさんじゃないから、何が正しいかなんてわからないよ」
『そうだね。ま、何をしたところで、あの性格がもう変わることはない。あれだけスレッタを大切なのと宣った口で、スレッタに怪我を負わせて最終的に保身に走るんだから。気にしないほうがスレッタの心の為だよ』
ミオリネが嫌いなわけではない。はずだ。スレッタがアスティカシアに入れたのは、ミオリネの尽力があったからであることは間違いではない。それ以上に、今思えば抑圧されてしまったとは思うが。エアリアルと引き離されたくなくて、今思えば盲目だったことは否めない。
「ミオリネさんが嫌いなわけじゃない、かぁ」
スレッタの独り言にエリクトもグエルも反応しなかった。嫌いではないのに、スレッタはミオリネの顔を見ることはついぞできなかった。複雑な心境に、スレッタはこっそりとため息を吐いた。
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