3.
シャディク・ゼネリの罪は極刑から一転して、減刑される方向で話がまとまりつつあるらしい。とはいえ、すぐに出所ができるというわけではなく、それでも実刑判決は免れることはできないだろう。
尾てい骨骨折という診断を貰ったスレッタは安静にする意味も含めて車いすを使用することにした。座面に穴あきクッションを敷いて少しでも臀部への負担を減らそうとする。
「ドーナツ型のクッションだ」
『怪我人が何変なことで喜んでるの』
とやり取りしたことは記憶に新しい。
さて。スレッタは電動車いすだというのに押してもらいながら、その部屋を前にしてひとつ深呼吸をした。そっと電動車いすを押すグエルを見ると、グエルも視線に気が付いてスレッタのことを見た。
「緊張してるのか」
「それは。アスティカシアにいた頃も、考えれば個人的に会話したことなんてほとんどありませんでしたし」
「まぁそうだよな」
「……俺がいるから安心しろ、とかは言わないんですね」
「俺がそんな気障な人間に見えるか。俺にはスレッタにそんなことをいう権利なんてない」
グエルの言うことはスレッタにはわからなかった。グエルは何をもってスレッタに求婚したのだろうか。指輪を渡すときは諦め切れなかったとか言っていたような気がするが、好きという気持ちよりも、贖罪とか、そんな気持ちのほうが大きいような気がする。例えばスレッタが別れると言えば、そのまま受け入れそうな。今もこうしてシャディク・ゼネリの面会にグエルは付き添いを自分から申し出てくれたわけだが、恋愛感情というよりは、すっかり保護対象になっているような気がする。
まぁ別に構わないかとスレッタは思いなおす。それならそれで、スレッタもやり方を変えればいいだけなのだ。
気を取り直してひとつ深呼吸をして、目の前の扉をきっかり三回、ノックをした。「どうぞ」と帰ってきた声は硬質で義務的なものだ。シャディクのものではない。
グエルはスレッタの代わりに扉を開くと、先に入ってシャディクの座る机に置いてある椅子をどかした。ついでに通り道を広くさせようとほかの椅子も脇に動かす。
「やっ。水星ちゃん。元気だったかい?」
シャディクの声はスレッタが想像していたよりも軽く、というよりは軽薄に聞こえた。学園にいた頃よりも薄っぺらいような気がする。たかが名前を呼ばれただけで何がわかるのかという話だが。
「私はそこそこです。シャディクさんも」
そこまで言いかけてスレッタは言葉を詰まらせた。ご機嫌いかがですか、も違うし、最近どうですか、も違う。なんといっていいのか言葉に迷っていると、シャディクが「グエルも座れば?」と脇によけた椅子を示した。
「それで?」シャディクの目が細まる。「ナイト様を連れてきて、わざわざ嗤いに来たのかい?」
「シャディク!」
グエルがスレッタの後ろで怒ったのを、スレッタが片手をあげることで制した。シャディクはそれさえも「女王様だね」と悪意がないような笑顔を浮かべてスレッタに返した。
「事の次第はこんな場所でも、嫌でも耳に届く。それでも俺は面の皮を厚くしてきたことに驚いてるんだ」
「本当は会いに来る予定はありませんでした」
「だろうね。用はお互いに無いし」
「はい。でも、こうなった以上、私はここに来るべきなのではないかなと思いました」
「ふぅん。何しにかな」
「……わかりません」
スレッタがきっぱりというと、シャディクはこってりと笑みを浮かべたまま首を倒した。この仕草はシャディクなりの、今できる戦い方なのだろうとスレッタは胃を痛める。あくまで話の主導権をスレッタに渡すことで、スレッタから話をさせようとしている。
「わからないけど、あなたが被った冤罪を晴らしに。それで、正しく罪を償って……なんて、ミオリネさんの受け売りでしかないですけれど」
そこまで言ってスレッタは首を横に振った。
「違う。そうじゃありません。私は知りたかったんです。何でシャディクさんがクワイエット・ゼロまで罪を被ったのか」
「それを知って何になる」
「何にもなりません。でも、知ったうえで、ミオリネさんをお願いしますって、言いたくて」
嫌いではなかった。でも許すことはできなかった。とはいえ、不幸になってほしいわけではない。スレッタの中でぐるぐると感情が渦巻く。どろどろとした真っ黒なものが、胸の中に巣食っている。
「なんで、テロまで起こして、学園をぐちゃぐちゃにしてまでどうにかしたかったアーシアンとスペーシアンの問題を捨ててまで、冤罪を被ったのですか」
シャディクの目標はベネリット・グループの緩やかな解体と、格差問題解決への足掛かりを作ることだったはずだ。
「別に捨てたわけじゃない」
シャディクは絞り出すように低い声を漏らした。
「やり方を変えたんだ。目標のひとつであったベネリット・グループの解体は結果的にミオリネがやってくれた。残りは格差問題だけだ。だったら、そのままミオリネの実績にしてしまえばいい。この悲願の達成に、革命家の名前に俺の名前が刻まれなくても構わない。結果が同じならばね」
「テロの実行犯を、フォルドの夜明けの面々を司法取引に使ったのはその悲願の為とでも言うのかよ」
「そうだね。フォルドの夜明けは顔が割れている。仕方なかった、いた仕方ない犠牲だった。それは彼らも承知している。交戦で死ぬか、目的の為に有意義に死ぬか。それだけの違いさ。これが達成されれば彼らの死も無駄ではなくなる。そうだろう?」
シャディクは馬鹿にするようにグエルに問いかける。グエルは犠牲を払うという言葉が嫌いだと知ったうえで、わざと煽るような発言をしている。グエルもそれを察したのか、シャディクを睨みつけるだけで言葉を返すことはしなかった。
「それでも、旧ベネリット・グループの資産売却が、アーシアンに還元されているとは思えません」
「ははっ」
漏れ出たシャディクの冷笑に、スレッタは怪訝な目を向けるだけだった。スレッタはシャディクのことが学園にいたときからわからなかった。ミオリネに手を伸ばせる位置に居ながら一度も手を伸ばさなかった。ミオリネをスレッタに、グエルに託した。しかし当のミオリネはスレッタやグエルよりもシャディクを求めていたのは事実だ。直接口に出したことはなかったが、人の関係に疎いスレッタでさえ、自分よりもシャディクと共にいたほうがミオリネはその実力を発揮できるのではないかと考えたことは何度かあった。
「そんなの結果論に過ぎない。机上の空論ばかり話して、何も進まないよりも失敗してでも行動するほうがマシだ」
「だったら、」今度はスレッタが苦しげな声を漏らす。「あなたが、ミオリネさんに進めばよかったじゃないですか」
「ミオリネさんとの関係が、綺麗なままで終われないことに怯えるよりも、進めばよかったじゃないですか。そうすれば、私だって」
そこまで言ってスレッタは口をつぐんだ。「そうすれば私だって傷つかずに済んだ。こんな風にならなくて済んだかもしれないのに」吐き出そうとした怨嗟に、スレッタは寸でのところであの時の自分の選択を他人のせいにするところだった。
「もう少しきれいな形でベネリット・グループを解体できたかもしれないって?」
シャディクの突き刺すような声にスレッタは無言でうなずく。
「仮にベネリット・グループがもっと綺麗に解体出来ていたとしても、クワイエット・ゼロは俺のあずかり知らぬところさ。結局君がキャリバーンに乗って、そんな風に障害を抱えてしまう結果は変わらないかもしれないしね」
「シャディクっ。おまえ!」
グエルが今度こそシャディクに掴みかかろうとして署員に止められる。シャディクはそれを冷たい目で眺めながら、スレッタに対して取繕った笑顔を向けた。
「そうやってグエルも誑かして、とんだ悪女だ。君が来てからすべての計画が狂った。水星ちゃん、――スレッタ・マーキュリー。君もミオリネと大して変わらないんじゃないかい。無意識に人を引き回して。エランが死んだのも、グエルがそんな風になったのも、ラウダが狂ったのも、ミオリネを絶望に突き落としたのも、君のお母さんが君を捨てたのも。全部君のせいだ。君は自分の周りの人間を汚した罪を、どう償って生きていくつもりだい」
加害者と糾弾されて、スレッタは初めて自分が多くの人間の人生を滅茶苦茶にしているということを理解した。というよりは、目を背けていた事実を直視させられた。確かに、自分が決闘に勝たなければエランは死ななかったかもしれない。グエルは実父を殺すことなくドミニコス隊に憧れて研鑽を積んでいたかもしれない。ラウダも異母兄思いのよい異母弟でいられたかもしれない。ミオリネも父親に悪態をつきながらもレンブランを継いでいたのかもしれない。それでも、それはたらればであって、そうはならなかった。スレッタが学園に入学しなくても、ヴィム・ジェタークはデリング・レンブランの暗殺を企てただろうし、シャディクがテロリストと繋がっていたのことは変わらない。
「……私がいてもいなくても、いずれは壊れました。みんなが薄氷の上にいたんです。シャディクさんは、たまたま最初に踏み外した人を糾弾してるにすぎません」
「……言うようになったねぇ」
「私は、もうミオリネさんとは会えません。……だから、その。ミオリネさんのことをよろしくお願いしますね」
「本当に嫌味な人間だ。俺の出所はいつになるかわからないし、そもそも極刑が終身刑になるくらいなものでしょ」
伝えたいのはそれだけだ。ミオリネと言えば、アスティカシアにいた時におこした株式会社ガンダムからも離れ、スレッタからも離れ、デリングからも引き離されている。誰も助けられる人も、縋る人も誰も今彼女の周りには誰もいない。だからこそ、自分がもう近くにいられない代わりに改めてシャディクに託そうと、それが友人未満でしかなかった、依存でしかなかった自分たちの関係への清算なのだとスレッタは決着をつけに来た。
言いたいことだけ伝えられると、それ以上の会話は求めずにスレッタが電動車いすを少し後ろへ動かす。グエルが察して動かすのを手伝いはじめた。
「おいシャディク」
「なんだいグエル」
「おまえの理想を他人に押し付けんな」
グエルが背後でシャディクを睨みつけているのがわかったが、スレッタはなにか言うことはしなかった。グエルの痛烈な一言に、シャディクはどんな顔をしていたのかスレッタがうかがい知ることはなかった。代わりにグエルの大きな体躯に隠れるようにして背もたれに身を任せる。
完全に面会室の扉が閉まった後に、「私、こういうの向いてない」と泣き言を漏らした。
『だいぶ頑張ってたでしょ。可愛い悪女さん』
「い、嫌味なこと言わないでよ。緊張した」
『スレッタが満足したならそれでいいけどさ。さ、帰ろう。グエル、早くスレッタに甘い飲み物出してよ。気が利かないなぁ』
「ここにそんなものがあるわけないでしょう。待ってください。フロントの商業区に出たら用意するので」
スレッタはグエルとエリクトのやり取りを見守る。
罪、という言葉はスレッタが思っているよりも重たく心にのしかかった。エリクトはスレッタに皆が罪を償うべきだという。しかしシャディクはスレッタこそが罪なのだと非難する。
グエルがもしかして一緒にいるのは、罪悪感に悩まされているだけなのかもしれないなと、スレッタは休憩するようにそっと目を閉じた。