「スレッタ・マーキュリーはいるか」
引越しをする準備をしているさなか。凛とした声とともに鳴らされたドアノッカーに、スレッタではなくグエルがその人物を出迎えた。グエルが確認するように寄越す視線に、スレッタは小さく頷いた。
グエルが扉を開いてリビングにまで案内してきたのは、久しく会っていなかったサビーナだった。
「随分と高尚な騎士を飼っているのだな」
「喧嘩を売りに来たというのなら、スレッタが見えないところで買うが」
中庭を親指で指し示せば、サビーナは溜息をついて首を振った。視界に入る段ボール箱には何も触れない。きっと引っ越すことはわかるだろうに、それを知ることはないとわかっているようだった。サビーナと会うのはきっとスレッタにとってこれが最後になることだろう。
「いや。すまない。私は喧嘩をしに来たのではない。軽率な発言を詫びよう」
「えっと、それで、今日はどうしたんですか」
「先日はミオリネが無礼を働いた。それからシャディクも。その謝罪に」
サビーナがソファにつく前に頭を下げる。スレッタはその様子を目を伏せて確認した後に、ちらりとグエルを見た。腕を組んだグエルはサビーナを責め立てることもなく、スレッタがどうするかを見守ることにしたようだ。ここで、サビーナを許したとして、グエルはどんな顔をするだろうか。その表情を見れることはないけれど、ひっそりと傷つけばいいとスレッタはグエルに対してとげとげとした感情を持つ。
「ミオリネさんを簡単に許すことはできないけれど、サビーナさんの謝罪をしたいという気持ちは受け取ります」
「それでいい。ミオリネのことは許さなくていいし、とめきれなかった私のことも許さなくていい」
「話はそれだけか。だったらこちらも忙しいからお引き取り願おう」
グエルはサビーナに高尚な騎士と皮肉を言われたことに対して密かに腹を立てたのであろう。まるで本当の騎士のようにスレッタを守ろうと冷たく追い返そうと迎え入れたリビングの扉を示した。
「まだ話は終わっていない。ミオリネがこの場所を知っていたのはデリングがスレッタの居場所について調べていたからだ。プロスペラ・マーキュリーは散々こちらを振り回してくれたが、デリングはスレッタを巻き込む算段の様だったからな」
「どうしてそれを、サビーナさんが教えてくれるんですか。ミオリネさんを傷つけたのは私で、サビーナさんにとって、シャディクさんが大切なミオリネさんを傷つけた私を許せないと思っても不思議じゃありません」
「まぁ普通ならな」
サビーナは珍しく肩を竦めた。その様子にスレッタは思わずグエルを見た。表情は分からなかったが多分グエルも同じ感情を持ったのだろう。学園にいるときはシャディクと同様にほとんど関わったことはなかったが、もっと機械的な人間かと思っていた。
「私たちの理想を結果的に打ち砕いたのを許せるわけではない。しかし、だからと言ってミオリネがスレッタを傷つけていい理由にはならないからな」
「よく、わかりません。私は地球寮にいさせていただいてましたが、一応スペーシアンで、あなた達が憎む対象じゃないんですか」
「スレッタ・マーキュリー」
強い瞳がスレッタを射抜いた。スレッタはたじろいで身を一歩引いた。ソファの背が当たり、深く凭れる。
「旧ベネリット・グループの解散をどう思う」
「えっと、どうって……」
「なんでもいい」
難しい問いだ。シン・セー開発公社は旧ベネリット・グループの末端であったが、スレッタは社長令嬢として育ったわけでもないし、そう言った教育を受けたことはない。プロスペラも旧ベネリット・グループとしての忠誠心が高かったわけではないので、そういった話をしたこともない。
「終わったんだなって、思います」
「終わった……?」
「はい。旧ベネリット・グループが解散したことで、お母さんはひとつ、終わりを迎えたのだと思います。でも、きっとサビーナさんが言いたいことはそうじゃないですよね。……私は、何も変わっていないと思います」
何も変わっていない。グループが解散したとしても、地球には資金のひとつもおりていないようだ。それはプロスペラが残した資料を見てわかっていた事だった。結局は一時的に地球に落ちた資金は、宇宙へと吸い上げられている。旧ベネリット・グループが解散したとしても、そのうち旧ベネリット・グループに変わる大きな企業グループが台頭するだけだ。
「おまえも、そう思うか」
「はい。きっと、この歪みを個人が直すことはできません」
「じゃあどうしたら変われると思う」
「それを私が答えられたら、シャディクさんはもっときっといい方法で解決できたと思います」
「はっ。違いないな」
サビーナはそう言って僅かに肩を落とした。きっとサビーナは綺麗事を求めていたわけじゃないだろう。だからスレッタも自分の考えを素直に話した。
「試すようなことを言ってすまない」
「サビーナさんは、それでも格差が埋まるようにしたいんですよね。みんなが同じ教育を受けて、みんなが同じ幸福を享受することができる世界を」
「そう、だな。そうだ。そう思ってきた」
「……私はサビーナさんが求めるような答えを言うことはきっとできませんよ」
それはスレッタの出身がスペーシアンだからという訳ではなかった。政には疎いとわかっている。サビーナが求める答えはスレッタには分からなかったし、それが正しいものなのかも分からない。
やりたいこと――信念はわかる。けれどそれに対する答えは持ち合わせていない。
「答えを求めているんじゃないんだ。スレッタにでもわかることを、ミオリネはわからなかったからな。だから……そうだ。自分のやってきたことが正しかったのか、未来に繋がるのか、分からなくなってしまっただけだ」
「私は今のミオリネさんが何をしようとしているのかも、サビーナさん達が今まで何をしてきたのかも知りません。だから無責任なことは言えないけれど」
スレッタの言葉をサビーナは目を合わせて待った。眼光がスレッタを貫いて、スレッタはひとつ深呼吸をする。
「私は、それを間違えているとは思いません」
スレッタの答えにサビーナは表情を綻ばせた。
「そう思うか?」
「はい」
安易な肯定は否定を産む。それはエアリアルとプロスペラの複雑な関係でもそうだったように。
それでも、今のサビーナが第三者からの肯定を欲しているのはスレッタにもわかった。
距離の近いシャディクでも、御三家であったグエルでも、元グループ総裁であったミオリネでも、渦中のアーシアンでもよくない。
なんの関わりも影響もないスレッタこそがサビーナを肯定することに適任だった。
とはいえ、スレッタも無責任に望まれたから肯定する訳では無い。シャディクはやり方を間違えたし、全員が薄氷の上を歩いていたが、目指したことは自体は間違えていない。それはスレッタが学校を水星に作り、水星を活性化させたいと考えたのと何ら変わりないからだ。より良いものに、自分の星を変えたかった。
「……ここ、引っ越すんです」
「そのようだな。だからと言って、私がその場所を聞いてはいけないのだろう」
サビーナが積まれたダンボールの箱を見て首肯した。
「そう、ですね。あなたがミオリネさんと一緒の限りは」
「そうか」
「はい。あなたが来てくれた理由と同じです。だから言いません」
「強調せずとも、追いかけたりはしないさ。それでも、そうか。……寂しくはなるな」
サビーナの言葉にスレッタが瞬いた。まさかそんなふうに思ってくれるとは想像していなかったからだ。
スレッタとサビーナの関係は薄い。それこそ、知り合いの知り合いの、そのまた知り合いくらいの距離感で、話したら友達だと思いたいスレッタでも、友人としてカウントしていいのかわからなかったところだ。
「もし、あなたから見て、ミオリネさんがアーシアンとスペーシアンの問題にきちんと向き合えるようになったと思ったら」
「思ったら?」
「グエルさんに連絡してください。そしたら、その時またお会い出来ると嬉しいです」
「……残されてる猶予は少ないな」
「そうですよ。あっという間に死んじゃいますからね、私」
スレッタがいたずらっ子のようにくすくすと笑うとそれまでずっと黙っていたグエルが「おい」とスレッタを諌めた。
「さようなら、スレッタ・マーキュリー」
そう言ってサビーナはスレッタに握手を求めた。スレッタがサビーナと差し出された手を見比べる。
そしてそっと手を重ねた。
「さようなら。サビーナさん」