4.
罪と向き合う。
文字にすると簡単だが、スレッタの罪と言えば何にあたるのだろうか。シャディクの言ったそれは、結果論に過ぎない。
「シャディクの言ったことだが」グエルはフロント行きの艇の窓から変わり映えしない宙の風景を眺めながら口を開いた。「気にするなよ」
ひとり考え込むスレッタが横目でグエルを見やる。
艇はスレッタに対して気を遣ったのか、いつもグエルはこのクラスの席に座っているのか、案内された席は個室だった。隣に座るグエルにスレッタは温度のない目で上から下まで眺めたが、グエルはこちらを向くことはしなかった。
「私の罪って何だと思いますか」
「スレッタに罪はない。おまえは今罰する側なんだろ、俺たちを」
「私にはわかりません。罪も、罰も。みんなが悪くて、最悪の選択肢を踏み続けた、希望だけじゃいられなかった。そうなんじゃないですか。違うんですか」
「……」
「強いて言えば、グエルさんにそういう風に庇ってもらうようなことばかりしていることが、私の罪なのかもしれません」
「スレッタ・マーキュリーが何の罪を背負っているかだって?」
スレッタがグエルを糾弾しようとすると、頭上から冷めた声が降ってきた。聞いたことのある声だ。スレッタは訝しんで声の人物を見ると、エラン・ケレスがスーツを着て、座席の背もたれに腕を預けてスレッタとグエルを見下げている。その後ろにはスレッタよりも濃い肌の色と、それとは対照的なプラチナブロンドの髪を持つセセリア・ドードが立っている。
「エランさん」
名を呼んでみたが、スレッタが知っているエラン・ケレスではないような気がした。スレッタの初恋のエラン・ケレスはもっと落ち着いているし、ともにクワイエット・ゼロ計画を止めようとしたエラン・ケレスよりも皮肉に満ちた顔つきをしている。
「ケレスさん。ここ、個室ですよ」
「知ってるさ。この艇、僕が出資しているからね。乗客名簿確認して、たまたま同じ艇だから挨拶しに来ただけ。スレッタ・マーキュリーをもう一度見てみたかったしね」
「わたし、ですか?」
グエルの口ぶりからして、スレッタの知っているエラン・ケレスではない。多分この人が強化人士ではないオリジナルなのだろう。何の話もする理由はないと思ったが、エランはそんなことを気にすることなく、三列シートの通路側、スレッタの隣の座席に座った。
その様子を見てセセリアはひとつ溜息をつくと、嫌味や皮肉を吐くことなく一度だけ頭を振って個室を出て行った。
「一度だけ僕は君に直接会ったことがある。あの時は何も知らない、無垢な小娘だと思っていたが、だいぶ目つきが変わった。人間らしい目だ」
「人間らしい目?」
「そう。汚れも欲も知らなかった人間が、どろどろとした薄汚い感情を抱え始めた目」
「ケレスさん、いったい何をスレッタに言いに来たのですか。生憎ですけど今取り込み中ですので」
グエルの庇うような発言に、エランはせせら笑いを漏らした。肘置きに肩肘をついて足を組む。
「魔性の女を、俗に魔女と呼ぶ」
「魔女?」
「そう。まさに今のスレッタ・マーキュリーのことだ。何も知らない、自分の正義を疑わなかった聖女が、世界の醜さを知って怨嗟を抱え込む。穢れを知らぬ無垢な小娘が周りを許すことが出来ないと他者を誑かしてね。今の君はそんな目をしている」
スレッタは思わず自分の片目を隠した。咄嗟にエランから顔を背ける。
この男はずけずけとスレッタの傷を抉った。皆が求めていたスレッタ・マーキュリーの皮を剥がすような言葉だった。
「だから、なんだっていうんですか」
スレッタは気丈に振舞って言い返した。どろどろとしたものはずっと胸の中に残っていて、しかしそれらは皆がスレッタが与える罰を受ける事で少しずつ胸がすいている。
エランはスレッタの様子を気にせずに言葉を続けた。
「自分が嫌な思いをしたからやり返す。別に構わないさ。人間てそういうものだろう。僕が何でここに来たのかと言ったら、君の母親が君のことをどう思って僕を強請りに来たのかなと思っただけ。高潔なグエル・ジェタークをどう誑かしたのかと思っただけ」
変わった話の方向性にスレッタは困惑した。ここでプロスペラの名前が出て来るとは思わなかった。エランと、というよりはペイルとプロスペラがいまだ繋がっているとは考えていなかった。
「……アスティカシアの再建の話に一番に食いついてきたのは、プロスペラ・マーキュリーが理由ですか?」
グエルはなにか心当たりがあったらしい。グエルはエランに詰め寄るように睨みつけた。
「そうさ。危うくプロスペラ・マーキュリーに殺されるところだった。ベルメリア・ウィンストンの所在を教えて、アスティカシアの再建の話題が出たら融資しろと。そういう条件で僕はプロスペラから見逃してもらったってわけ」
言い訳をすることも無くエランはグエルの言葉を肯定した。そしてもう一度スレッタに向き直す。
「別に誰を憎もうとそれが悪い事じゃない。君が自分の罪はなんですか、て言うから、客観的に事実を述べただけだ」
そこまで言うとエランはひとつ息をついた。そして甘ったるく、しかし皮肉に満ちてスレッタに言い放つ。
「君の罪は無垢な聖女のままでいなかったことだ」
◇◆◇
エランは言いたいことだけ言うと席を立った。無垢な人形よりも人間らしい人間に支援をしたと思った方がまだましだ。とスレッタを肯定したのか否定したのか分からない言葉を残してだったが。
「エリクトも、そう思う?」
『無垢な聖女のままでいなかったことが罪だと言うならそうなのかもね。でもそうして成長するんでしょ。どうしてもスレッタには譲れない矜恃ができて、自分のプライドを傷つけられたから相手を許せなかった。許すことができるなんて聖人君子にまで到れるなら、誰だって苦労はしない』
「うん」
『全員が何かしらの罪を犯している。その罰を与えるのは誰かって話であって。少なくとも、スレッタの罪がこうやって晒されて、誰が罰を与えるのか。それが自然に巡り巡ってくるのか、誰かがしてくれるのか。少なくともそれはボクの役目じゃない』
「そうなの?」
『ボクはスレッタに与えられた罰をこの先ずっと受け続けるからね。君がボクに与えた罰は、そういう罰だ』
スレッタは手のひらに収まるキーホルダーを抱きしめるように握りしめた。もしかしたら、縋るように握りしめたかもしれない。
「エリクトは、私のこと嫌いになった?」
嫌われるのは怖い。でもスレッタはそれだけのことをエリクトに課している。今一緒にいるのはスレッタが望んでいるだけだからもしれない。
『大嫌いなんて言うわけないでしょ。母さんの言うことだけを聞き続けたスレッタが、自分の気持ちに向き合っている。ボクはそんなスレッタが愛おしいよ』
スレッタの気持ちを他所にエリクトは穏やかな声で答えた。
「私も……」
エリクトが好き。そう言いかけて言葉を詰まらせた。大切な家族ではあるが、好きなのかは分からなくなってしまった。
ふらふらところころとスレッタの気持ちは変わってしまうような気がして、瞳を伏せる。
逃げるようにグエルの方を見ると、グエルは先程のエランとのやり取りを考えているのか、代わり映えしない宇宙空間を窓越しに頬杖を着いて眺めている。
「グエルさんも」
「俺か?」
「グエルさんも、私のこと好きとかじゃなくて、結局同情だったんですか」
「――は?」グエルのつっけんどんかつ刺すような声が個室に響いた。「何を言っている」
なんとなく逃げるように振った話題だったが、グエルの返しにスレッタは苛立ちを覚えた。いつもの殊勝な態度ではなく、真っ向から否定されたような気がした。声を尖らせて、先程の続きと言わんばかりにスレッタは口を開いた。
「だってそうじゃないですか。今までのグエルさん私の事が好きなんじゃなくて、こうなってしまった私に負い目があるから、アスティカシアの再建をして私に入学しないかってもちかけたんじゃないですか」
荒んだ心がグエルにも矛先を向ける。ぐちゃぐちゃな感情なのは理解していたが、スレッタはグエルを糾弾することをやめることは出来なかった。
「私のことが好きなんじゃなくて、罰を受けて自分が楽になりたいだけなんじゃないかなって」
『ははっ。言えてる』
エリクトが乾いた笑いで口を挟む。
先日からずっと思っていた事であった。グエルはスレッタのことを好きだと言い、プロポーズをしながらも決してスレッタに意図をもって触れようとはしない。最初に触れられてたときだって、スレッタが縋って見せたから受け入れただけで、グエル自身にはそう言った感情はスレッタに対してないのかもしれないと思わせた。
「……糾弾したければ糾弾すればいい。俺はそれを受け入れる覚悟はできている」
「そう、それです」
スレッタの中にずっとあった違和感だ。グエルを受け入れる気がなかったから無視してきた違和感。
こうしてスレッタはグエルを責める場が整ってしまった。一度は剣呑な声を出したグエルだったが、またいつものようにスレッタが言う全てを受け入れる体勢に戻ってしまった。スレッタにはそれが気に食わない。
「普通は、人が人を罰するなんておかしいじゃないですか。なんでグエルさんは受け入れるんですか」
「……四年前、クワイエット・ゼロ計画を頓挫させる時に、皆がスレッタ・マーキュリーを死地においやった。当たり前の顔をして、だ。俺はずっとそれを後悔している。だからスレッタには権利がある。俺たちはそれを受け入れる義務がある」
グエルの物言いにスレッタをプツンと何かが切れる音が脳裏になったような気がした。左手におさまったアクセサリーを外す。
「じゃあ、あなたが私にくれたこれは、ただの義務だって言うんですね。先が短い私を憐れんでるだけなんですね」
「そんなわけないだろう」
「グエルさんの言う、私に進みたいってなんですか。そうやって人を崇めるような物言いをして、エリクトの言う通りなんじゃないですか。――今こうして糾弾しているのにそれを受け入れるあなたが、憐れみ以外に何があるんですか」
「なら」
スレッタの言葉にグエルの顔が歪んだような気がした。グエルは一瞬だけ眉根を寄せて、スレッタの腕を強く引く。尻が少しだけ座席から浮いて、しかしグエルの胸に飛び込む前にふたりの席を隔てる肘掛に阻害された。
「お前を抱きたいと、もう傷つかぬように閉じ込めてしまいたいといえばお前は満足するのか? スレッタ・マーキュリーが俺の人生を変えた、生き方を変えた。そんなおまえの隣でお前を今度は俺が支えたいというの間違いだと言うのかよ」
「私はミオリネさんのトロフィーでも、グエルさんの偶像崇拝の対象でも、みんなの英雄でもなんでもないんです。みんなを許せなくて、家族と認めてくれなかったお母さんとエリクトに認めて欲しくて、大好きなエアリアルともっとずっと一緒にいたかっただけ」
『スレッタ、ボクは、お母さんもボクもそんなこと思ってないよ』
話の雲行きが変わったことを察したエリクトがすぐさま訂正を挟む。その発言はスレッタの琴線に触れた。
みんなの人生を狂わせた。認めたくはなかったがシャディクやエランの指摘はその通りだった。しかしスレッタの人生だって狂わされている。結局誰が救われることなく、みんな等しく地獄に落ちるんだろうなと激情に呑まれながらスレッタは訴えた。
「何回もこの話をして、その度に私は納得したようにしてたけど、私は誰にだって愛されてなかった。こんなに辛いなら、ずっとエアリアルのコクピットで閉じこもっていた方が、水星で救助活動してた方がずっとずっとよかった」
一気に話して、肩で息をする。グエルの痛ましそうな視線を感じて、それさえもスレッタの神経を逆なでした。
「……サンドバッグにしたいのならすればいい。それが俺がおまえに示せる最大限の愛情だ。――でもスレッタはそうはできない。性根が優しすぎる。だからシャディクの言うことを真剣に考えて、ミオリネのことに罪悪感を抱く」
グエルはスレッタの手を取ると、その指輪は外さないでくれと言わんばかりに嵌め直した。
その様にスレッタの勢いが崩される。深呼吸をして、背もたれに身を預けた。グエルから顔を背けて、そして心の中にずっと閉まっておいた言葉を漏らした。
「……結局お母さんの復讐を止められなかった時点で、こうなることは決まってたし、わかってたんです。そこにエリクトの思惑が、ミオリネさんの思惑が、私の思惑が、全部悪い方向に重なっただけ」
「……復讐なんて、ろくなもんじゃない」
「それは外野だから言えるセリフです。私はお母さんの気持ちを否定しようとは思いません。お母さんは私のことは怒ってないけど、許すことはできないって言いました」
思い出すだけでも心臓がきゅっとなる。僅かな寂しさを覚えてスレッタは自分を抱きしめた。
「お母さんが言いたいことは、やりたいことはわかるんです。わかってしまったんです。お母さんはどうしてもミオリネさんのお父さんも、連合議会も許すことはできなかった。最後は私やエリクトの為ではなく、自分のために生きた。ミオリネさんがお父さんも、地位も、立場も、全部失って私たちは初めて対等になれたのかもしれません。そんなことを思う私はきっと薄情なんです。グエルさんが思うような、好きでいてくれるような人間では私はないんです」
「そんなことはない」
グエルも咄嗟にフォローの言葉を返したが、スレッタの言ったことが胸に刺さったのかその否定の言葉は弱々しかった。
「復讐が罪というなら。お母さんの行為を見て見ぬふりをして、寂しいというだけの子供というなら。シャディクさんやエランさんの言う通り、これは私の罪なんですよ」
そうして話を打ち切ると、グエルに背を向けてスレッタはこれ以上の拒絶を意味する。自分から話し始めておいて失礼なのは承知していたが、スレッタはこれ以上グエルと会話したいとは思わなかった。
そんなスレッタを嫌いになるならなればいい。いっそ嫌われたほうが楽になれる。そうしたほうがずっといい。
『ねぇスレッタ』
スレッタの言い分を黙って聞いていたエリクトが手のひらの中からスレッタにが話し掛ける。
『ボクもお母さんも、君のことを愛している。それだけは間違いないよ。スレッタの思う愛情とは違くて、難しいかもしれないけれども』
――エリクトにはやっぱり私の気持ちはわからないよ。
エリクトがプロスペラをフォローするたび、スレッタには疎外感を感じる。エリクトにプロスペラの話を強請って、エリクトとエアリアルと共にスレッタと一緒に過ごした時間のほうが長いと理解しているというのに、それでも納得できたようでずっと納得できなかった。
それくらいに、グエルとの決闘でエアリアルを奪われたスレッタは心に傷を残された。平然な顔をして死地に追いやる目の前の男や、自分の身体に毒を注ぎ込んだ姉が許せなかった。
エリクトの言葉を無視して、世界と自分を遮断するようにそっぽを向いて目を閉じた。