淪落の聖女   作:R_echan387

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箱庭に弓引く背約者よ深淵へと旅立てⅥ

目を醒ましてからと言うものの、スレッタは鬱屈とした日々を送っていた。満足に動かない身体、好き勝手言う見舞客。見える顔と見えない顔。全てにうんざりとしていた。目が醒めてしまえば誰もが変わることなくスレッタを受け入れて――意識をなくしている間あれだけエアリアルにわがままを言っていた自分が恥ずかしくなる。

 ほとんどがスレッタの心情に気がつくことがなく自分の主張を通そうとする。

 多分、最初に気がついたのはエリクトだ。もしかしたら気がついたのではなく、エアリアルと話したのかもしれない。そして次に気がついたのはプロスペラだった。

『顔が見えない――?』

「そう、なの。ホッツさんの表情もなんだかぐちゃぐちゃに歪んでるし、お母さんのそのヘッドギアも歪んで見えるの」

 チュアチュリーの件で分かっていたが、脳波には異常はない。気持ちの問題だ。エアリアルが渡した仮面だ。あれは自分が着けるものではなく、誰かに着けさせるもの。

『それは……ボクたちのことが、いや。いいよ、うん。当たり前だ』

「怒らないの?」

『怒る――?』エリクトが不思議そうな声を出す。『その感情はもっともなものだよ。家族だから許して当たり前なんてことはない』

「そうね」

 それまで黙っていたプロスペラも口を開く。その声音は悲しげで、だがどこか少しほっとしていた。

「許せないって思ったものを無理に許さなくてもいいわ。それが親であってもね。それでも……、いえ、なんでもないわ」

 それでも一緒に居たい。この感情の終着点を見届けてほしい。そうは言えなかった。少なくともプロスペラはスレッタが目を醒ます前から行動を起こすことを決めていた。

 

 

 終活を始めたプロスペラがスレッタから離れて半年。つまりスレッタがリハビリを始めて半年ほどになる。クワイエット・ゼロ計画を阻止してからも一年と半分が経過している。

 一番歪みが激しい仮面を着けているのは毎日見舞いに来る男、グエル・ジェタークだった。

「この補助ロボット、ガンド技術を利用して地球寮の皆さんが作ってくれたんです。この前まではぶらさがって足を動かすリハビリでしたけど、今はちゃんと足をつけて歩くリハビリにまで回復しました」

 今日は一段と気分が良くなかった。有り体に言って、機嫌を取れていなかった。リハビリは順調だが完治には程遠く、完全に元の生活に戻れるかと言われると難しいのだろうと自分がよくわかっていた。

 こんなスレッタを見て何が楽しいのだろうか。憐れんでいるだけなのではないだろうか。もしくは毎日訪れる自分に酔っているだけなのかもしれないとスレッタは卑屈に考える。

 その証拠にグエルは口数が少なく俯いている。

 自分の機嫌が取れない日はよくない。誰かに当たり散らしたくなってしまう。努めて冷静であろうとするのに、体と感情と考えが全て切り離されて独立して好き勝手に動く。

「やっと座ったり立ったり自分でできるようになって――こんなにひとりでも補助無しで歩けるようになったんですよ」

 スレッタは補助機械から手を離して自分の足でよたよたと歩いた。真っ直ぐ綺麗に歩いたつもりだったのに動きはぎこちなく、ふらふらとしている。

 ――結局、この身体は治らないんじゃないか。治ったとして、あと何年生きられる。

 かくん、と足に力が入らなくなってその場に崩れ落ちる。グエルは倒れる前にスレッタの腹に手を回して支える。人ひとりを片手で支えたというのに何も問題がなさそうなその態度にスレッタの保っていた緊張の糸がふつりと切れた。

「どうして……」

「スレッタ?」

「なんでっ」スレッタが細く吼えた。「こんな、私だけ!」

 スレッタが拳を振り上げて、壁を殴った。その音さえも小さくて、拳が痛くなるくらいに力を込めたつもりなのに全く痛くない。

 一度口にしてしまえば恨み言は口から次々とこぼれた。そしてグエルはそれを淡々と受け止める。それさえもがスレッタにはない心の余裕に見えて、自分がただの癇癪を起こしているだけのような気がしてならない。

「俺たちが、お前を死地に追いやった。他にももっと方法があったのに、一番最悪な方法でスレッタだけに押し付けた。死ぬかもしれないと恐怖で泣いて震えるお前を全員が見て見ぬふりをした。だからお前のその意見は至極真っ当で、俺たちはそれを受け止めなければならない」

「……手を取ったミオリネさんは逃げました。なのになんで何も関係ないあなたが、そんなこと言うんですか」

 スレッタはミオリネから財産を半分もらおうと婚約を結んだ。それくらいは許されると思った。しかしスレッタを一番最初に突き落とした人間は滅多に自分の前に姿を見せない。

 手を取らないと決めているグエルの方がまだマシだと思うくらいだ。

「そう思うなら今からでも遅くない。俺はお前にこの手を取ってほしい」

 グエルの軽口にスレッタは「あなたの手はとりません」と律儀に返した。スレッタの一番近くにいて、でも手を取ってもらえない寂寥さを抱え続ければいい。

「いくらでも罵ればいい。ミオリネに言えないぶんも、ぶちまければいい。俺はそれを正面から受け止める。俺はおまえから逃げたりしない」

「なんですかそれ愛の告白みたい……」

 大切だと言った口で、突き放したくせにいい顔だけはするのだ。スレッタにはそれが理解できない。グエルが何を考えているのか知りたくもなかった。

「そうだとしても、受け取りはしないんだろう?」

「……そうですよ。私の婚約者は、ミオリネさんです」

 スレッタはボロボロと泣き続けながらもグエルに手を伸ばして縋ろうとはしなかった。ここでグエルの手を取ったら、グエルだけがいい思いをする。そんなの、クワイエット・ゼロに向かう前の自分が報われない。

 だからスレッタはグエルもミオリネもみんなを傷つけると決めたのだ。

「ずっとミオリネに抑圧されてたスレッタがこうして本音をぶちまけてくれるなんて、俺は嬉しいよ」

 スレッタの恨み節をグエルは黙って聞いていた。それでいて、本音を話してくれて嬉しいなんて優しい声を出すのだ。きっと多分、スレッタは渋い顔をしながらスレッタの話をきちんと聞いてくれたグエルが好きだった。決して話すのが得意ではないスレッタの話を遮らずにいたのはグエルだけだった。

 そんな感情を思い出させる。

「なんで、ミオリネさんは逃げたのに、あなたはずっと聞いていてくれるんですか」

「誰かにぶつけないとやっていけないやるせない気持ちというものは誰にもあるだろ。それをスレッタは自分の家族たちや友人に言えないというのなら、なにも関係のない俺が一番の適任だ」

「そんなの、馬鹿な人がすることですよ。……損してばかりでお人好しなんですね。相変わらず」

「どうだか。誰にでもこんなことしているわけじゃないさ。損得勘定だけじゃない、スレッタだからしている」

 好きだったかもしれないけどグエルが憎い。何もかも失ったスレッタに対して、ミオリネもグエルも何も失っていない。自分だけが被害を被っている現状が憎い、でもそんな自分は好きじゃなかった。

「……こんなんじゃ、いつまで経っても復学できない」

 そんなぐちゃぐちゃの感情に蓋をして、逃げるようにスレッタは過去へと思いを寄せ不意に思い出したことを口にする。そう言えば、アスティカシアはどうなったのだろうか。あの後、建物を建て直して再開できたのだろうか。

「そういえばなんだが」

「なんですか」

「今、アスティカシアは閉校している」

「え、」

 まさかの言葉に、スレッタは流していた涙がぴたりとやんだ。もしかしたら学校運営が旧ベネリット・グループだったから解散した今どうなっていることかと思いもしたが、まさか閉校していたとは思っていなかった。てっきり運営が変わっているのだと思っていた。

「べネリットグループが出資、運営している学園だったから、グループが解散した今当然の対応だな」

「じゃあまた、別の学校探すところからなんですか……」

「スレッタ」

 グエルが凛とした声でスレッタの名前を呼ぶ。顔を上げると一層ぐちゃぐちゃに歪んだ顔が目に入った。眩暈がしてきて、僅かに目を細める。

 グエルがぴんと指を立てた。

「半年」

「半年?」

「半年でアスティカシアを復興させる」

 ぴんと立てた指をスレッタへと指した。

「だから、お前も半年でリハビリ完治させろ」

「え、そんな、できないです」

「できる」

 グエルはキッパリと言い切った。力強い言葉だった。その口調はスレッタの心をざわつかせる。

「そしたらあともう一年、それで卒業して教員の免許を取ってくれ」

「――なんで、グエルさんがそんなことするんですか。そんなふうに私になにかしても、私はグエルさんには何も返しませんよ」

「それでもいい。こんなことで許されるとは思っていない。お前が俺を照らしてくれて、進みたい道を作ってくれたんだ。だったら、今度は俺がスレッタの道標を照らしたい」

 そんなまぶしいことを言わないでほしい。スレッタはグエルが好きになったスレッタではなくなってしまった。いろいろな感情を内包して醜さばかりが身につく人間になってしまった。道標なんて言葉は今のスレッタに対して重たいものすぎる。

 それでもそんな風に言うものだから、スレッタはグエルの言葉についこくりと頷いてしまった。

 

 ◇◆◇

 

 グエルは本当にその後、半年で学園を復興させた。そしてスレッタに復学意思確認書を渡す。いろいろ考えて、スレッタは復学することにした。

 学園を卒業するタイミングで婚約したミオリネから財産を半分譲り受けて少ない余生を漠然と過ごそうと決めていた。だと言うのに、グエルの行動力は自ら言ったようにスレッタに道を作っていく。

 それが嬉しく思うと同時に、また誰かが決めたレールの上を歩かされるのかという恐怖と、自分の少ない余生を漠然と過ごさずに済むという安堵があった。

 グエルはスレッタに会う度に複雑な感情を残していく。好きだとはもう言いきれない。憎いという気持ちもありつつ、しかし尽くされ満たされる感覚。

 復学してこうしてグエルと話していると、立場は違くなったが過去に戻ったような気がする。それこそ、学園に編入した直後の何も隔たりも陰謀もなかったころのように。スレッタはこうした穏やかな学園生活を送ることを夢見ていた。決闘なんてしたくなかったし、エアリアルを壊すような行為もしたくなかった。

「最近はどうだ」

 メールを閉じたスレッタにグエルは伺いを立てた。スレッタは過去を思い出させるように、取り留めのないメールを一日一通ミオリネに送り付けている。もちろん返信なんて一度も来たことがなくて、スレッタは何ら変わらないミオリネに内心息を吐く。

 大切にする、私が守る。なんてグエルの前で豪語していたと言うのに、ミオリネは今はもう逮捕されたシャディクに付きっきりだとエリクトが言っていた。結局は皆がスレッタよりも大切なものがあるという事実。それだと言うのにグエルはほとんど欠かさずスレッタに会いに来る。

「座学は意外と出来てます。実はラジオでそういった教育番組を流している局があって、お見舞いなんかが来ない時はかけ流していたので」

「実技は?」

「これも意外かもしれませんが」

 エアリアルを思い出した。スレッタを守ってくれていたスレッタの家族。スレッタの姉――と言っていいかは分からないが、便宜上姉でよいだろう。

「私が得意なのは実はクロスレンジなんです」

「エアリアルのガンビットは確かに脅威だったな」

「はい。ガンビットたちは私の声に応じてくれただけで、主導権は私にありません。えっとつまり、何が言いたいかと言うと――実技も実は困っていないということです」

 クロスレンジというのは繊細で緻密な操縦が要求される。ひとつ間違えればコクピットに攻撃をしてしまうかもしれないし、ビームライフルのようにレギュレーションもかかっていない。

 それらが完璧に行えるくらいには上半身は回復していた。下半身は未だに歩くのに苦労するので、むしろモビルスーツの方が今のスレッタにとっては移動が楽なのである。

「そうか。寮生活で困っていることはないか」

「心配には及びません。地球寮の皆さんがとても良くしてくれます。最近はチュチュ先輩とロウジさんが意外にも仲良くなってるのに驚きました」

 正反対の性格のふたりをスレッタは思い浮かべる。ロウジは無口なばかりだと思っていたが、鋭い発言をし、チュアチュリーはそれに食ってかかっている。

「そうか。旧地球寮の面々は、今はブリオン社製のモビルスーツを使っているのか」

「はい。ブリオン社から復学した生徒は特に少なくて、ブリオン社製のモビルスーツはほとんどないからチュチュ先輩と私のを整備してくれるって」

「不自由なことは?」

「特に何も無いです」

 それはグエルへの拒絶ではなく単純な事実だった。歩行は難儀だが、それはもう仕方の無いことで、どうにかするしかない。グエルもそれが分かっているのか「そうか」とだけ返した。

「……あー、ところで、サマーホリデーはどうする」

 サマーホリデーを終えると卒業の時期だ。スレッタを支援する以上の心配、つまるところプライベートの話にグエルは一瞬言葉を詰まらせながらも問うた。

 なぜグエルがそのような声を上げるのだろうか。スレッタを見捨てたのに、今更こちらに踏み入るような真似をするのだろうか。ずっと寝ていた時に感じたどろどろとした感情がまたひょっこりと頭を出した。

「地球で、みんなと暮らす予定です」

 みんな、という曖昧な言い方をしたのはミオリネと暮らす予定はないからだ。

 それでもグエルはスレッタが意図した通りに受け取ったようで僅かに顔を顰めた。

「そう、か」

「はい。もしかしたら、荷物のお引越しとかお手伝いをお願いするかもしれません」

「それはもちろん。手伝おう」

 グエルはそこまで言うとスレッタをちらちらと見た。しばらくは口を開くか迷っていたが、やがて決めたように口を開いた。

「アスティカシアの教員枠がひとつ残っている。非常勤だ」

「そうなんですか」

「あぁ。俺としてはしっかりとした人物を向かい入れようと思っていて、その、もし良かったらだが――」

「――残念ですが、それはできません」

 食い気味に否定すると、グエルは断られると思っていなかったのか目を丸くする。

 スレッタは卒業後、働く予定は無い。三人でひっそりと過ごす。多分きっとプロスペラが先に亡くなって、追うようにスレッタもこの世を去るだろう。

 学校の先生なんて、いつ死ぬかも分からないスレッタが抱えるには重たい責任だ。

「私は卒業後に専業主婦になるんです。そうしてミオリネさんの帰りを家を綺麗にして待って、美味しいご飯を用意します。そういう約束で、復学しました」

 全くの嘘だが。しかしグエルは苦しげに眉根を寄せると息苦しく感じたのか詰襟のホックを外す。

 グエルなんてスレッタの人生において必要ない。そう敢て主張することでスレッタはグエルに復讐しようと考えていた。しかしどれだけ冷たいことを言ってもグエルの仮面が取れることはない。

 そう言えば、エリクトの――というよりはキーホルダーの顔はエリクト自身が「ボクは死ぬこともなく、スレッタやお母さんを今後見送らないといけないってことか」と言ったことで仮面がはがれて行った。もしかしたら、拒絶をすることで仮面がはがれるのではなく、受け入れることで仮面がはがれるのかもしれないと脳裏にかすめる。しかし、スレッタがグエルを受け入れることは現状、気持ち的にできそうにはなかった。だってグエルは、スレッタがキャリバーンに乗ることをわかったうえで止めてくれなかった。死んで来いとミオリネと同様に背中を押した側だからだ。エリクトやプロスペラとはまた立場が違う。

 スレッタ自身もその仮面がどうしたらはがれるのかなんてわからなかった。それくらい、スレッタはグエルに対して複雑な感情を持っている。再び、スレッタがグエルの表情を見られるようになった時、スレッタとグエルの関係はどうなっているのだろうか。

 

 




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