淪落の聖女   作:R_echan387

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箱庭に弓引く背約者よ深淵へと旅立てⅦ

 スレッタは端末がメッセージを受信する音で目を覚ました。今思えば昏睡している時のあの空間は居心地が相当によかったなと思い返す。

 スレッタは先日宇宙へ戻るとグエルが用意した家に身を寄せていた。追われているかもわからない微妙なラインだったが、念には念を入れた方がいい。もしかしたら、スレッタを狙っている人間がいないとも限らない。

 今までスレッタが住んでいた地球の家は今は売り手を探している。一年と少しを過ごした家だというのにあまり感慨はなかった。

 あの家はスレッタにとってプロスペラやエリクトを閉じ込めてグエルを利用する箱庭でしかなかった。スレッタがエリクトとプロスペラに求めた復讐の形だ。

 今身を寄せている家は、グエルがスレッタの為だけに用意した家だ。広くはないがそれでもスレッタとエリクトが生活する分には十分な広さで、万が一のために匿われるように過ごしている。

 スレッタの端末にグエルからの連絡が入る。来訪を知らせるチャイムもなく、セキュリティがしっかりとしている玄関が開いた。出迎えることはしないでくれというのでスレッタはそうしている。やっと車いすを卒業してまたロフストランドクラッチの生活に戻ったスレッタはそれがありがたかった。グエルに文句を言うのも違うが、急遽用意したこの家はバリアフリーには優しくはなかった。

「おかえりなさい、です」

 スレッタはグエルとは視線を合わせることなく来訪の挨拶をする。グエルは端的に返事をするとそのままキッチンへと向かいコーヒーを入れた。

「スレッタはコーヒー飲むか」

「要らないです」

 この前の言い争い以降、ふたりの間では微妙な雰囲気が漂っていた。それでもスレッタはグエルに謝罪する気は起きなかった。八つ当たりしてしまったことはよくなかったと思っているが、それでも謝ってしまえば自分のこのどろどろとした真っ黒な感情を否定することになってしまう。それは自分の為にもしたくはなかった。

 それは多分グエルもわかっていて、とはいえ軽く流すには重すぎるから神妙な顔をしてスレッタの様子を伺いに来るのだ。いっそ嫌いになって、善意とやらだけで家だけ与えて放置されていたほうがよかったのかもしれない。

 三人掛けのソファの上で横になっているとグエルはカップを二つ持ってきた。ローテーブルの前にコーヒーとシュガー、ミルクを置いた。飲まないと言っているのにグエルは律儀に用意する。いつでも飲めるようにだ。自分は使わないシュガーとミルクを用意してまで。

「好きなんですか、コーヒー」

 香りの良さにスレッタは尋ねるとグエルは一口すすりながら腕を組んで壁にもたれた。

「地球の飲み物としては比較的にな」

「地球の食事なんかは宇宙食よりもよっぽど進んでいると思います」

「どうだかな。流動食さながらのほうが摂取はしやすいから、どっちが進んでいるんだろうな。少なくともスペーシアンからしたら嗜好品の部類だとは思うが」

 ずず、と音を立ててコーヒーを啜る姿をスレッタはぼんやりと眺めた。

 エリクトは今この空間にはいなく、スレッタの自室にいる。なんとなくひとりになりたい瞬間もあるというのにリビングでだらけているのは矛盾しているようだった。

 無音が苦しく感じてスレッタはテレビのリモコンをとる。スイッチを入れると、未だにプロスペラの残した資料に物議をかもしている。

「……ミオリネさん、結局逮捕されなさそうですね」

「資金横領をした総裁として制裁を下してほしかったのか」

 淡々と返すグエルは自分に糾弾が向かないと思っているようにもみえた。

「どうなんでしょうか。……法に裁かれるのと、自分の行いが全て跳ね返ってくるのは、どっちが辛いんでしょうか」

 グエルはそんなにも俺たちが憎いか、とは言わなかった。グエルもテレビに顔を向けながらまたコーヒーのカップに口をつける。

「個人的には、法で裁かれるよりも、自分で自分を罰しないといけない方が辛いと思うがな」

「じゃあ、それでよかったんだと思います。……グエルさんは、アスティカシアを再建したのは自分への贖罪ですか」

 スレッタはこの前の問いを、もう一度グエルに問い直した。あの時はグエルは自分の感情を吐きこぼして結局答えとしては曖昧なものだったが、今度はそうはさせまいと感情に任せるのではなく静かに問う。

「……そうだな」

 グエルは一瞬だけ言葉に迷ったようだが、それでも真っ直ぐスレッタに向き直って告げた。

「俺はおまえに許されたかった。スレッタは勉学に励むことを目標にアスティカシア編入したはずだ。その機会を奪った俺が、奪った環境を整えることで、贖罪をしたつもりでいた」

「そんなので許すほど、私は優しくありません」

「わかっている」

「でも、ひとを罰するなんて言うほど高尚な人間じゃない。私は罰してるんじゃなくて、自分の気持ちを晴らすために皆に復讐をしてるだけです」

「その怨嗟はもう消えることはないのか」

「……もしかしたら」

 スレッタは寝転がっていたソファから身を起こすと口もつけないのに差し出されたコーヒーにシュガーを流し込んだ。ティスプーンでかき混ぜる。真っ黒な液体は自分の心のようだ。

「……最近、こんなたらればを考えてもとは思うんだが」

 スレッタの否定とも肯定ともつかぬ曖昧な返事にグエルは別の話題から切り込むことにしたようだ。

 スレッタはグエルの顔を見ることはしなかったが、顔を顰めた。

「アスティカシアを再建したのは、自分のためでもある。俺は地球で捕虜になった時に今まで奪ったものの多さに気が付かされた。俺が今まで知らずに虐げてきたもの達を知らしめられた」

「……」

「デリング・レンブランを暗殺しようとしていた父の罪を知った。暗殺は父の罪だが、しかしもし成功していれば犠牲は少数ですんだのかもしれない」

「グエルさんて」スレッタはグエルの顔をちらりと見た。「ラウダさんが言う通りに、高潔なんですね」

 相変わらずグエルの表情は分からなく、ぐちゃぐちゃに歪んでいる。そのまま見続けるの具合が悪くなりそうな気がして目を逸らした。

「シャディクさんにも言いましたが、私はこれは起こるべくして起こったことだと思います。なあなあになっていた責任がめぐってきただけ。それに対してグエルさんはそれを贖罪として昇華しようとしているだけで、私は復讐をすることで昇華しているだけです」

「おまえほど復讐という単語が似合わない女はいないな」

「茶化さないでください。私はもう、あなたが告白してくれた時のような、無垢な人間じゃありません。それこそエランさんが言っていたように」

「それでも、俺はおまえが好きでこの気持ちは変わらない」

 グエルはきっぱりと言い放つ。

 スレッタはカップを混ぜていた手を止める。その言葉を無視して自室に引き上げようと床に置いてあるロフストランドクラッチを手に取った。固定用のリングの部分を腕に嵌めようとすると、グエルはそれを察して手伝う。

「私はあなたがなんでそんな高潔にいられるかわかりません」

「ラウダもスレッタもそう言うが、俺だって俗世的だ。好きな女を匿って囲って、こうして足繁く通うくらいにはな」

「一度しか手を出さなかったくせにですか」

「今ここで無理矢理行為をしてもお互いに何もならないだろ」

 ソファから立ち上がるとゆっくりとスレッタは自室へと歩を向ける。

 リビングから出る時、スレッタは後ろを振り向いた。

「あなたのタイミングでいいです。最後に一度だけ、私をあの箱庭の家に連れてってください」

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