淪落の聖女   作:R_echan387

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箱庭に弓引く背約者よ深淵へと旅立てⅧ

4.

 地球行きの艇はスレッタの予想よりも早く用意された。

 グエルが地球に降りる日にあわせて組まれた日程だった。グエルは先に地球に降りていた。念の為のボディガードをつけられたが、彼らはスレッタの見えない位置にいる。艇の個室はスレッタとエリクトだけだ。

「あの家に戻ってどうするの」

「……気持ちの整理」

 逃げ出すように――事実逃げ出したのだが――離れた地球の家にスレッタは思いを馳せた。たった一年と少し、思い出に残るものでは無い。水星の実家の方がまだ思い出が沢山ある。

 それでも、地球の、あの家族を閉じ込めた箱庭にスレッタはもう一度だけ戻ろうと思った。

「それってなんの気持ちに対して? 自分の行い? 目を背けていた恋愛感情?」

 エリクトはやや低めの声で皮肉げに問うた。いつぞやのグエルに向けたような尖った声だった。

「エリクトはなんで怒ってるの」

「ボクはスレッタが、グエル・ジェタークに縋ったことについては許してないからね。心配してんの」

「もう一度、お母さんの残した資料を……、お母さんの遺書をみたい」

 スレッタの答えにエリクトは考え込むように黙った。スレッタは手のひらのキーホルダーを柔く包んでは広げてを繰り返す。ソワソワとした動きだったが、それでも一呼吸おいて手のひらのキーホルダーをまっすぐ見た。そのキーホルダーは歪んではいなかった。

「お母さんが私を愛してくれてたとしてさ」

「うん」

「私には、その愛情はとても分かりにくかったから。家族の愛情ってよく分からなくて」

「それが分からなかったから、自分が愛されてるか分からなかったってこと?」

 黙って頷くと、エリクトはふむと言葉を漏らす。キーホルダーだと言うのに、自分よりも小さいのに大人びた姿を思い出させる。

「最初に一つだけ言うと、君は確かにボクのリプリチャイルドだけど、確かに愛されていたよ。これはずっと言ってるけど、嘘なんかじゃない。お母さんがスレッタに注いだ愛情は僕とはまた違う質のものだったけれども、スレッタは確かに愛されていた」

「周りがそう思っても、私が愛されてるって思わないとダメじゃないの?」

「それはそうだね。そこはそれを伝えきれなかったお母さんが悪い。でもさ、お母さんはスレッタを捨ててクワイエット・ゼロ計画を行おうとしたわけじゃない。スレッタの幸せを願って、どろどろとした醜いものに付き合わせるなら、折角できた友達と暮らして欲しかっただけ」

 エリクトはスレッタがプロスペラの愛情を乞う度にこうしてプロスペラのフォローをする。

 何回か口にしたが、それがどうしてもスレッタには納得ができなかった。エリクトはスレッタと一緒にいた時間が長いはずなのに、スレッタよりもプロスペラのことを理解しているようだ。

「でもそれだとスレッタは納得できないんでしょ。ボクがどれだけ言葉を尽くしたところで、お母さんの気持ちはスレッタには伝わらない」

「みんなが私の為だって言いながら、私の気持ちを考えてくれない」

「ずっと思ってたけど、スレッタのそれはもはや子供の癇癪だね」

 宥めすかされるように笑われてスレッタはエリクトから顔を背けた。

「まだ小さな幼子。それこそ二、三歳のような。ボクもルブリスに構いきりのヴァナディース機関の人たちに焼きもちを焼いたな」

「いいよそんなフォロー。私だって、こんな感情持つのは初めてだもん」

「君はボクやお母さんや、それこそエアリアルから離れてようやく人として生まれ落ちたんだなて思うよ」

「訳わかんない」

 会話を打ち切るようにスレッタは窓の外を見た。スペースデブリも無い宇宙空間の航路はただの闇のようだ。視界の先に青い惑星が見えたが、スレッタの心は段々と重くなってきた。

「……グエル・ジェタークのことが好きなの?」

「グエルさんて眩しい人だよね。なんで私なんかを好きになったんだろう。少なくとも、私はもういい子じゃないのに」

「そんなことは知らないけど。一目惚れに理由なんてないんじゃない。ボクの前で堂々とプロポーズするくらいだし」

「好きだよ。多分。私、グエルさんのこと」

 エリクトが囁くように尋ねると、スレッタは内緒話をするような声で返した。

「私のために色々してくれて、私のことを考えてくれて、たくさん愛の言葉をくれる」

 いつぞやの一夜を思い出す。あの時は自暴自棄な部分は確かに多かったが、それでもグエルはそんなスレッタに手を伸ばしたし、後悔させたくないと言わんばかりに言葉を告げてくれた。

「でもねエリクト」

 スレッタは記憶にあるグエルの顔を思い出す。スレッタが最後に見たグエルの顔は、クワイエット・ゼロ母艦を停止させる際にキャリバーンに乗るスレッタを苦しげに見送るしかできなかった顔だ。

「私はあの人の顔をまだ見ることができないの。お母さんも、エリクトも、ミオリネさんも見れたのに、グエルさんの顔だけは見れない。グエルさんの手を取らなければ見れるようになると思ったのに、全然ちっとも、そんなことは無いの」

 静かな声でスレッタは語った。エリクトは怒るか、引くかと思ったが、何も返さなかった。

 スレッタも応えを求めていない。ここで会話が終了したかと思った頃に、エリクトが口を開いた。

「グエルの手を取ることで、復讐する気?」

「……それはグエルさん次第、なような気がする」

 グエルの手を取ったところであの歪んだ仮面が取れるとは限らない。グエルが何をしたらスレッタの心を晴らしてくれるのかわからなかった。

 その答えがあるかもしれないと求めて、地球に降りようと考えた面もある。

「最後に自分の好きな人に復讐だなんて、最高のセンスしてると思うよ」

「おかしいよね、こんなの。自分でもわかるけど、もうぐちゃぐちゃになったこの現状を、どうしていいのかわからないから」

「ボクはグエルの手を取ることでは幸せになれないと思ってる。でもスレッタはそうじゃないんでしょ。自分の復讐をした先に、それでも口先だけじゃなくて隣にいてほしいと望んだわけだ」

「……うん」

「後悔はしない?」

「しないと思う」

「随分と、スレッタは感情豊かになったね。エアリアルというゆりかごから出て、女神のように全てを許容していたけど、聖女と言われたように人にまで堕とされた」

 エリクトは唐突にからからと笑った。スレッタは伏せていた瞼をぱちくりとあげて肩をはねさせた。

 おめでとうとでも言うように、とても穏やかな声でエリクトは続ける。

 

 

「あはは。聖女の淪落だ」

 

 




三話連続投稿です。
19時、20時、21時に投稿します
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